あのこは貴族のレビュー・感想・評価
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本当に素晴らしい映画。門脇麦さんと水原希子さんという二人の魅力的な...
本当に素晴らしい映画。門脇麦さんと水原希子さんという二人の魅力的な女優さんが共演するということで観に行ったのだけれど、泣かせるシーンがいくつかあった。松濤で生まれ育ったお嬢様で、名家の子息と婚約を果たした華子と、猛勉強して富山から慶応義塾大学に入学したものの、親の家計の問題で中退せざるをえなくなった美紀の人生は接点はなく、二人のからむシーンもそんなに多くないのだけれど、非常に大きな影響を及ぼすことになる。東京をタクシーで移動する華子と、自転車で移動する美紀。二人にはそれぞれ生き方に影響を及ぼす女ともだちがいる。この女ともだちがからむところに感動的なシーンがたくさんあった。この映画、これまであまり映画描かれていなかった、階級格差と女性同士の友情という二つのテーマが基調になっているのだけれど、東京の景色や、二人の女優さんの心の動きを的確にとらえる女性監督の手腕に巧さを感じる。特に夜の勝鬨橋(?)で橋の両側で邂逅する華子と美紀(と女友だちの里英)のシーン、里英が美紀とカフェで話すシーンはぞくぞくとするものを感じた。老若男女を問わず、多くの人に観てもらいたい映画だと思う。
誰が貴族だって?
原作は読んでいませんので、原作に対する評価や脚本演出に対する評価は混ざってしまいます。
さて、『クレージー・リッチ!』は普通じゃない金持ち一族が出てくるコメディーでしたが、海外が舞台だとしても華僑にはこういう人もいるなと思わせるだけのリアリティーが在りました。本作はどうでしょうか。貴族という言葉に見合うだけの人は出てきたでしょうか。劇場でもときどき笑いが起きていましたが、昔の大映ドラマの嫌みな金持ち一家程度での設定にしか見えませんでした。コメディーならよいですが、コメディーではたぶんないので、見ていて辛いです。役者の皆さんの縁起が良いので、嫌みに見えないので余計に困ってしまいます。
まず、病院経営者の一族。医療法人の理事長は医者しかなれませんし、医師免許は世襲ではありません。金持ちの医者がいても、もともとお金持ちなのに医者になった場合を除き、成金みたいなものです。『貴族』的な特徴はないと思いますよ。また、婚姻関係にない医師を呼んできて後継者にするということは、せっかく作った法人を乗っ取られるので、簡単な問題ではありません。必死に結婚相手に医者を探すが、皮膚科のお姉さんを跡継ぎにするはずです。別に皮膚科+整形外科で良くない?
高良健吾のうち。本当の貴族的な金持ちは、びっくりするほどの資産がありますが、昔から普通にお金があるので、お金があるから高いものを買うのではなくて、買ったものが結局高価なものであった、普通の人には選択肢に入らないような、となります。なので、大きな古い家でも別荘でも高級外車でも普通なことなので嫌みに見えません。他人には優しく、普通の人を見下したりはしません。気付かずに残酷なことをする場合が有りますが。誰かが亡くなると、資産分配の前に相続税が大変で、土地を切り売りしなくてはならないので、高齢のメンバーが無くなった場合の想定はしてあります。この一家も貴族には見えません。
松濤、アールグレー、慶応幼稚舎、Moe et Chandonなど属人の想像する金持ちワードが出てきますが、笑いをとろうとしているのか、鑑賞者の理解できる金持ちの設定はこれでいいよね、と思っているのかと思ってしまいます。そもそも、金持ち=貴族ではないので、貴族らしい伝統や奥ゆかしさなどをを表現すべきでしょう。はいからさんの伊集院家のおばあさまのように。
また、原作者が富山の方のようなので真実なのかも知れませんが、地方出身者の描き方もあんまりな気がします。
今どきの結婚かからも離れているし(『貴族』だとしても、結婚しても働く人なんていますよ)。親が失業したってせっかく受かった慶応を中退せず奨学金を考えたり、さすがに、キャバクラバイトなら何とかやってけそうですが。親が経営者なら『絶対、商学部』の様な気がします。ジャズの話をしているとき、店でかかるジャズも、なんだかなぁ。関西弁の男性は確かにお付き合いしたくないけど、ダマって消えるのは失礼です。外に婚外子が沢山いる父親もいやだなぁ。
章立てがされていますが、時間が動くだけで、リズムや画像は同じなので、なぜこうしているかわかりません。
高良さん、門脇さん、水原さんは結局自分の人生を歩んでいくわけですが、きっかけが希薄ですし、結果として立場は変わりましたが、それぞれがあまり成長しているように見えません。オズの魔法使いを見ない位で別れるなら、もっと沢山嫌いなところがアルでしょう。とってつけたような複線に見えます。高良さんなら、気の利いた言い訳をして起こらせないでしょう。
それでも、この映画が印象に残っているのはキャストの頑張りです。高良さん、他の人だったらオモテ裏のある嫌みな人になってました。うそはついていないと思える演技でした。門脇さんは『貴族』には見えませんが、箱入り娘で時代から取り残されている感じがしました。水原さんは素敵です。豊島区の本屋の娘にしては洗練されすぎていると思ってましが、今度はいけてます。入学式のいいういしさや、田舎での気だるさや、自分のポジションをみつけて生き生きしているところのそれぞれ味わい深いです。その他、石橋さんや山下さんは始めてみましたが、そういう育ちのそういう仕事をしている人にちゃんと見えました。
まとめ、せっかくいいキャストなので、ちゃんとコメディーにまとめるか、若者が成長していく群像劇にすると良かったのではないかと思いました。ちゃんと、貴族を定義づけして、それに合わせた貴族像をリサーチするとよいのではないでしょうか。
私の億劫な気持ちを画と物語で代弁してくれました。
箱入り娘の婚活奮闘記。
物語のテーマや主人公の置かれている立場は「スワロウ」と通づる所があり、スワロウを頭の片隅に置きながら観ていました。
女性の生き方を問う映画は昨年沢山観ましたし今年も沢山上映されるでしょうから、作品に何らか特徴がなければ印象には残りません。その点、本作は貴族という日本でもよく知られていない閉ざされた世界が舞台で、そこにミキティのような庶民派や逸子のような海外生活者の価値観を入れることで貴族の世界をよりメタ的に見れる作りになっています。また、この手の映画には珍しく男性側の苦悩も描かれており、決して短絡的な作りにはなっていません。そもそも邦画でこういったテーマを取り扱っていることが私には新鮮で、持続的に興味をそそられました。
私にとって幸福とは「自分の欲求を理解する。その欲求に基づいた行動をする」というシンプルな行動原理です。これに制限を掛けるのが「他人の目」であり、それが家族の場合だとなかなか抜け出せず呪縛と化すケースがあります。私は家族が作り出した文化を継承するのが億劫で未だに結婚に興味が持てませんし、結婚となると相手方の家族の事まで考えなければならないので二重苦です。本作はそんな私の孤独な気持ちを画にしてくれた作品でした。
華子はジャズや舞台が趣味だなんて言っていましたが本当は興味ないと思います。離婚という決断は彼女の生まれて初めての意志だったかもしれませんし、お陰で自分の物語を手に入れることができて良い結末でした。一方で幸一郎のその後はどうなっていくのでしょうか?これはスワロウの時も思ったのですが、今後は男性側のにスポットを当てた作品も見てみたいです。今は多様な生き方が認められる時代なのでそういう作品も今後増えてくることでしょう。
最後に、本作は印象的なシーンが多かったので幾つか記録しておこうと思います。
・ミキティと幸一郎の食事シーン
大衆中華屋という普段の2人から遠く離れた着飾らなくて良い場所。幸一郎にとって自分の生い立ちを話す必要のなかったミキティの存在は大切だったはずです。
・ミキティが起業に誘われるシーン
ミキティはずっと誰かに必要とされたかったんですね。即答したことからその喜びが伝わってきます。
ミキティの生い立ちは庶民的ではあるものの、家庭の事情に巻き込まれている点では華子と同じ。追い込まれていたとはいえ、自分の意思で自らのレールを作れる人はやはりカッコイイし、そういう人について行きたくなる。華子の気持ちがわかる。
・華子のタクシーから降りるシーン
多くの人がこのシーンが記憶に残っているはず。
全自動的に移動する華子と自らの足でペダルを漕ぐミキティのそれぞれの生き方のメタファー。ミキティに助けを求めていたんだと思いますが、何はともあれミキティという存在が華子を変えたんですね。華子にとって幸一郎は何気ないことすら話せない存在だったんですね。
個人的に思い入れの強い作品でした。
皆んなまぼろし
「東京とはみんなの憧れで出来ている」
冒頭でタクシー運転手が
「お客さんをホテルへたくさん運んだことがあるけど、一度も中に入ったことがないです」というセリフがあった。確かに丸の内に立ち並ぶビル群なんか通り過ぎるだけで入ったこともない。
そんな丸の内の住人達にも上には上がいる。
松濤のお嬢様もしがない開業医の娘として青木家の前では格が落ちる。
その青木家も海運業で財をなしたと言っていたが、
つまるところ商人の出なので出るところに出れば、成り上がり者として後ろ指を刺されるのだろう。
人の欲望は饕餮で足ることを知らない。
東京の憧れは、外から眺めているくらいが距離感としては丁度いいのかもしれない。
この映画は幸せをテーマとして扱っているので
登場人物が出てくるたびに「この人は幸せなのか?」という目で観てしまう。
居場所と幸せは相関する。その自分の居場所は誰かに与えられても意味がない。
幸せも与えられるものではないという点において貴賤はなく、平等なのかと映画を観ながら思った次第。
しかしああいう層ともなると、絶対amazonとか利用したこと無さそうだな(笑)
美しい所作=上品なだけではない
上流階級の華子。地方から上京してきた美紀。2人の育ち、環境の差はひとつひとつの所作を見るだけで十分に感じることが出来る。
一般的には美しい所作とは、上品で品のある所作のことを指すと思う。ただこの映画においての美しい所作とは、華子、美紀、どちらにも当てはまるのだと感じた。
上京し、外的な要因で自身の道が絞られても、もがき続ける水原希子の所作も人間らしく、生を感じる、美しい所作だった。
実在する隠れた格差
とても面白い点をテーマとした映画です。
”格差”というのは一般的な生活をしているとあまり感じない。
普通に自分の生活を生きていると感じない。
ただ異なる世界に一歩入ると、こんな世界があるんだということがわかる。
美紀が富山から慶應に入ると違和感を感じる、、というのは私も感じることがありました。
でも、そこでしか生きていない華子はそれを感じない。
美紀と出会い、だんだん気づいていく、自分の世界の特別感を。
これらを秀逸に描いた部分はとても素晴らしいと思います。
友人や恋人、パートナーに感じる違和感はないでしょうか?
それはきっとこれまで生きている場所もそうですが、その人の環境も人生に形作っている。
そういった違和感を感じる映画でもあります。
特に結婚前の方や、友人や恋人、パートナーとの関係がよくない方向にいっていると思った方、
ぜひともこの映画を観てみて下さい。
自分の世界と他人の世界を考えるいいきっかけになると思います。
お勧めします。
映像と演出もすごい
「今の日本で階級差を描くのは難しい」って言われてるんだけど、描けるね。すごい。
演出がいいんだよね。門脇麦の箱入り娘の感じとか、石橋静河が語る感じとか。映像もすごい。石橋静河が河川敷で語るところは特に良かった。
予告編観てるから、門脇麦と水原希子のダブル主演だって分かってるんだよね。でも水原希子がなかなか出てこない。「いつ出てくるんだろう?」と思いながら観させておいて、登場させるシーンはキレがあって良かった。
キャストも良かったな。門脇麦のお姉さんに石橋けいと篠原ゆき子を使ってくるとか。篠原ゆき子は《ミセス・ノイズィ》よりいい演技だったよ。
途中まで「幸せな人が誰も出て来ない」と思ったのね。門脇麦も水原希子も高良健吾もみんな不幸そうなの。「この窮屈な状況で女性が割りを食っている」っていう感じかなとも思ったけど、それより、家に縛られるとみんな不幸になるってことだね。
ラストに向けては、女の人が家から解放されていって、そこそこ幸せそうに見えてきたな。
作品のテーマと違うかもだけど、観てて、「階級の固定」は思った。世代を超えて階級が固定される社会になってるね。そして上の階級に生まれたからって幸せとも限らなそう。
あと慶応大学は恐ろしいね。そんなに格差を感じながら過ごす大学なのか。
深いテーマを最低限の説明に押さえて、いい演出と映像と観せてくる岨手由貴子監督はすごいと思ったし、観たほうが良いと思うよ。
誰も不幸にならない映画は後味が良い。
予告編を初めて見たときに、とても映像の雰囲気が良くて惹かれた記憶があり評判も上々だったので鑑賞。
やはり映像は良かったし、一人ひとりの登場人物が実在するかのようなリアリティ、というか、わざとらしさが全く無いなという映画だった。
あまり良くない邦画を見ると、演者の演技が暑苦しかったり、演技が良くても音楽が大袈裟だったりと何かと映画を構成するあらゆる要素が上手く噛み合った作品ってなかなか出会えないのだけど、これは何もかも上手い具合に噛み合っているなという印象を受けた。
東京に憧れて背伸びして生きる話はよくあるけど、こういう一人ひとりが自分の生きる場所で懸命に希望を見出だしながら生きている様子は案外珍しいかもしれない。でも、そこがかえって現実味があった。
お嬢様の華子ちゃんと富山の田舎出身の美紀ちゃんがどうやって噛み合うのか、鑑賞前は疑問だったけど終盤の二人でベランダで会話するシーンでとても府に落ちた。
一生田舎で暮らす人も都会の裕福な暮らしをしている人も本質的なものは同じに近いのかな。
あのこは貴族。自分は…?
キャストの方々の演技がとても素晴らしかったです!
途中、気付けば美紀(水原希子)のことを応援している自分がいて、時に見せる華子(門脇麦)の箱入り娘感というか、お嬢さま感というか、ふとした一言が微妙に鼻につく感じがして、時々イラッとしていました。笑
でも最後は、登場人物それぞれが自分の意思で自分の人生を歩んでいる感じになっていて、前向きな終わり方だなと感じました。
親や家庭環境は自分で選べませんが、自分の価値観は自分自身が後天的に作り上げていくものであって、自分がどう生きていきたいかという判断の源になっていくのだと思います。
自分は周りからどう見えているんだろう?とか、自分の価値観だけで人に接していなかったかな?とか、ベクトルを自分自身に向けて、客観的に考えるきっかけとなる作品でした。
描写がとても良い
繰り返し出てくるシーン(自転車の二人乗り、タクシー、東京タワー、雨などなど)が印象深くてとても良かったです
最初はちょっと退屈だったのですが二人の主役が交わるあたりからどんどん感情移入していきました
というか主演って門脇麦だけだと思っていたんですが途中からアレこれ水原希子が主役なの??ってなりましたね(失礼しました)
女性の方々の関係性があまりギスギスしたものではなくなんというか前向きな感じがしてその辺もとてもよかった
個人的にツボだったのが弟の車がGTウイング付きの86だったことですかね(笑)
最後に水原希子さん本当によかったですこんないい女優さんだったなんて(また失礼しました)
良かったけども・・・。
あり得る感じで良かったけれども、リアリティ感でちょっと惜しい。
ただ、このテーマだと小さめだけど地方にもあるんだよねそういうの。
東京と同じで気づかないだけで。
地方のイオンで一生終えるみたいなのは何ともいえんというのが山内マリコなわけで、もうちょっと多重的に見て欲しいなと思いました。
ただ、映画としては演出が細かくて面白かったです。
音楽・衣装 大変良し
地方出身、美大卒、東京在住、30代半ば、独身、仕事バリバリやってる自分にはどこの階級もハマっていないけど、出てくる女の子たちの気持ちが痛いほど、
わ・か・る。
貴族たちもそうじゃい子たちも、みんな好きだ。
みんな好きだー。
そう思える物語でした。
音楽と衣装、あと、山下リオが良かった。
東京って棲み分けされているから。違う階層の人とは出会わないようにできてるから。
東京の、無機質なビル群の風景を見ているだけで、なんでこんなに悲しいのだろう?
街を行き交う人の姿が、なんでこんなに愛しいのだろう?
自分とははるかに階層の違う華子の生き方が、なんでこんなに共感するのだろう?
社会にはミルフィーユのように階層がいくつもあって、例えば幸一郎は最上部の階層で、華子はそのすぐ下の階層で、美紀はといえば下は下でも真ん中くらいで。だけど幸一郎と華子の階層差より、華子と美紀の階層差は著しくかけ離れていて。そんな美紀より下の階層さえも、まだいくつもあって。たぶん、無限に。
同じ東京にもいくつもの階層の人間が生きている。「みんなの憧れでつくられていく、幻の東京」、そうまさに。そうなのだよ、ほんとに。だけど、みんなそれに寄り縋って生きている。それを本物だと信じることで、自分の存在を確かめている。地方民である自分でさえ、外部は外部なりの階層がある。
そう意識していた時、「事情は分からないけど・・最高の日もあればそうでのない日もあるよ。それを話す相手がいれば十分じゃない?」の言葉に、滝に打たれるような感覚を覚えて泣いた。たぶん、かつて勤めていたオフィスが、二人が見上げている東京タワーとほぼ同じアングルだったせいもあったのかもしれない。孤独を感じていた華子にとって金言であったように、僕にも響いた。
嫌味なく押し寄せるさざ波のような悲しみに襲われる気分に満たされながら映画館を出て、誰一人知り合いのいない新宿の街にたたずんだ。華子が最後の手にした解放感を味わいながら、この映画が、公開してずいぶん経っていながらも武蔵野館の客席が満席になる理由がわかったような気がした。
よかったぁ私、貴族じゃなくて。自由に選択できる人生で。
階層が違うと決して交わることがない東京というところ。私は地方民(大阪)ですがそれは関西ではそれほどには無い感覚で東京の友人と話していて(ん?)となる違和感がこの映画の中にはしっかり存在していてそこを上手く表現しているなぁと思いました。
庶民の私からすれば松濤のお嬢様というだけで十分に「貴族」ですが、さらに上の貴族層なのですね、幸一郎さんは。
あ、そう言えば幸一郎さんタイプの人、私達の学生時代に関西にもいましたねぇ。大会社の御曹司で私大の内部生、振る舞いもお上品でしたが女性関係はこっそりとあんな感じでしたw
内部生と外部生、都民と地方民、タクシーと自転車。これらの対比には誰もが(そうそう!)と共感できるはず。そして男性陣が覇気をあまり感じられない生き方をしている中、時岡美紀は友人の里英とともに逞しく、お嬢様側である逸子の清々しさも本当に魅力的。その男女の対比もよく計算されていてお見事でした。
ある年齢になると結婚するのが当たり前、と何の疑問もなく思って育ってきた華子のあの決断、選択に心からエールを送ります。
章立ての構成は映画には合いません
この映画、なぜ一章、二章、三章……と章立てにして作ったのでしょうか。その構成いらなかったなー。
たぶんストーリーの都合なんですよ。序盤に華子と美紀の接点があまりにもなさすぎるから、華子の章と美紀の章に分けたんだと思います。読んでいないので知りませんが、たぶん原作がそういう構成なんじゃないでしょうか。
だから序盤、水原希子が全然出てこないのが気になって仕方なかったです。チラシ見て出演しているのは分かっていたので。良い役っぽいのに何で?って思っていました。
でも普通、映画って章に分けないんですよね。分けている作品もなくはないですけど、少ないです。それには当然、理由があって、基本的に映画というメディアに章立ての構成は合わないんです。
もちろん他のメディアだとこの構成が効果的な場合もあります。例えば本は、必ずしも一気読みするとは限らないから章で区切る構成が生きるんです。テレビも連続ドラマは週に1話ずつに分けて放送されるので、章に分かれているようなものですね。1話の中にもCMが挟まれるので、その前後で章に分けることもできます。
映画はスクリーンの前に釘づけにされるので、少しでも観客の気持ちを途切れさせない構成をとるべきです。しかし章で分割されると観客の気持ちも途切れてしまいます。
ただ、この構成をとった気持ちは理解できます。この作品のテーマは、『東京生まれのお嬢様と地方から出てきた庶民の女性とでは、同じ東京でも見ている景色が違う』というものです。前者の代表が華子で後者の代表が美紀という構図になっています。
東京出身者×地方出身者 = 富裕層×一般層 = 華子×美紀
ってことですね。華子と美紀を対比させたい。だから華子の章と美紀の章を分けて対比させたら良いんじゃないかって思うのは自然なことです。
でも残念ながら、表現ってメディアに依存するんですよ。描きたい内容は同じでも、映画と本のようにメディアが違うなら描き方を変えるのが正解だと思います。
章立ては映画には合わないので、章に分けずに描く方法を考えるべきだったのではないでしょうか。
分断でもなく、連帯でもない。
圧倒的な身分差、住む世界の違いを、なにげない仕草や話し方や身につけるものなどで表現していて、彼らの間の溝はかなり深い。「身分なんて関係ない!」みたいな言葉はきれいごとに思える。
だけど、分断や対立の物語ではなかった。あらすじを見た時は、もっとドロドロした展開になるのかもと思っていたけど、中盤で石橋静河が清々しく宣言したように立場が違うからって憎み合う必要はない。
かといって、立場を越えて連帯しよう!というメッセージでもない。主人公は離婚したし、美紀さんとも人生の中でたまたますれ違っただけで、そこから親友になるわけでもなく、それぞれがそれぞれの幸せを求めていく。
分断でもなく連帯でもなく、それぞれの生き方がある。格差を描きながら、とても優しい気持ちにしてくれるところが好きでした。
女性の生き方 選び方。
落ち着きのある素敵な映画でした。
育った環境に違いはあるものの自分らしく生きていくことを選んでいく。
門脇麦 水原希子 石橋静河 山下リオ 高良健吾それぞれの役が違和感なく観られて魅力的でした。間の取り方とか台詞がいいのかな。 落ちついた印象をもちました。 待ち合わせとかも常にホテルなので贅沢な気分を味わえます。
水原と山下のふたりが楽しそうに自転車に乗っているシーンが好きです。 東京タワー 東京駅の夜景が輝いてとても綺麗。東京の街並みが好きです。
階層型社会から解放された女子4人
東京でそれなりの家庭で育った華子と地方から上京してきた美紀。
「東京は棲み分けがされている」
東京の街で全く違う世界(階層)を生きている本来交わることのないはずの2人。
しかし、青木幸一郎という1人の男性を窓口のようにして二つの世界が交わっていきます。
本当だったら修羅場となり得る(と思ってしまう)幸一郎を介した2人の邂逅ですが、お互いを攻めず、寧ろそこから交流が生まれる。
なんと優しい世界でしょう。
この場面もそうですが、逸子のセリフが何かと胸に刺さりました。
人はどうしても自分とは違う世界のことは無関心だし、軽蔑しがちだと思います。
しかし本作はそういった見えない隔たりを描きながらも、他の世界を認め、憧れを抱く華子のような優しさで包まれた映画でした。
(これこそ皮肉に聞こえてしまうかもしれませんが、)上流階級だからこその余裕から生まれる優しさなのかもしれません。
細かい演出も素晴らしかったです。
一つ一つの所作であったり、飲食物、それぞれが存在する場所等々。
そういった細かい部分がよく作られていたので、「これは庶民的だ」とか「これは貴族っぽい」とかスクリーンの中に探すのも楽しかったですね。
また、章ごとに分かれていることもあって、居酒屋を一つ例に取ってみても、華子パートと美紀パートでは全く違って見えました。
2人のキャスティングも逆じゃないの⁉︎と最初は思いましたが、納得です。
鳥籠から自由な世界に
映像の素敵な色合いがゆったりと流れる上品さを醸し出しています。
箱入り娘が鳥籠の外の自由な世界に憧れて飛び立つ話。
どんな環境に生まれたとて、なにかしらの不自由や悩みはつきもの…
「置かれた場所で咲きなさい」って言葉は、その場所に感謝をするって事だと解釈してる私としては、資産家でなに不自由ない暮らしの世界では親の決めたレールから外れる事は許されないし、そこには感謝や満足するという欲も膨らむ一方な気がする。
その点、庶民は自由だし小さな事でも満足するし感謝も喜びもあります♬何事も一長一短ですね。
ホテルのアフタヌーンティー、女子の憧れなのか娘も大学時代からバイトのお金で愉しんでました。親のお金じゃなくバイト代ってのが、つくづく庶民な我が家であります…ってか、あの上流階級はほんの一握りでしょう。
そして、なぜに居酒屋シーンにわざわざ大阪弁を持ってくる…関西って住めば分かるけど穏やかで上品な方々を沢山見かけます。作られた吉本のイメージが腹立たしい…あそこは普通に江戸っ子弁でいいでしょう。
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