あのこは貴族のレビュー・感想・評価
全228件中、1~20件目を表示
フラットというよりニュートラル
この映画のどこに進んでいるのかわからない、それでいて忘れがたい瞬間を確実に重ねていくような語り口に、最初は戸惑い、やがてなんとかペースをつかめるようになり、なんとも言えない心地よさが余韻として残った。
地方出身者としては水原希子が演じた田舎からの上京組に感情移入してしまうのだが、並行して描かれる上流(という言葉自体がすでに問題をはらんでいるが)の世界もまた、あるがままに並走していて、ほんのわずかな瞬間にだけ、ふたつの世界が交錯する。かといって格差社会に物申す映画ではなくて、厳然と存在する格差の中で、それぞれに生き方を見つけようとする人たちを描いている。
フラットというと公平な視線を指している気がしてしまうが、公平とも違う。どちらかというとニュートラルという言葉が近い。岨手監督が『グッド・ストライプ』を撮った人だと後から気づいて、納得した。あれも、どこに収めていいのかよくわからないけれど、とてもニュートラルでいい空気の映画だった。
東京は時折、自転車の方が車より速い
この映画は東京に生きる2人の女性を描く作品だ。東京という街は面白いところだと思う。ロサンゼルスほど貧富の差や人種で分断されておらず、かといって金持ちと貧困層の住む世界ははっきりと異なる。それでも東京は時折、違う世界に住む住人がまじりあう時がある。本作はそんな間隙のような瞬間を描いた作品と言えるかもしれない。
もう一つ、東京が面白いなと思うのは、混雑しているが故に車よりも自転車で移動した方が早い時があるということだ。主人公の華子はいつもタクシーで移動する。誰かが行き先を告げてくれたタクシーの後部座席に乗っているだけのような人生を彼女は送っている。彼女の人生の行き先は誰かに決められてしまっていることの象徴だ。もう一人の主人公、美紀は、自分の足と手で自転車を漕いで移動する。美紀は、自らの意思で人生の向かう先を決めている。そんな彼女の乗った自転車が、華子の乗ったタクシーを追い抜いていく。その時、初めて華子は自らの意思でタクシーの後部座席を降りる。
自転車がタクシーを追い越すのは東京ではしばしば見かける「東京あるあるネタ」にすぎないが、そんなあるあるネタを最も重要なシーンに活かされている。「東京の映画」として大変秀逸だ。
キャスティングの妙 門脇麦と水原希子の役への寄り添い方に喝采
「うーん、これは素晴らしい作品」。
鑑賞後の第一声。
山内マリコの小説を原作に、全く異なる生き方をする2人の女性が自分の人生を切り開こうとする姿を描いており、門脇麦が箱入り娘の華子、水原希子が自力で都会を生き抜く美紀を演じている。
このキャスティングの妙に、今作の伝えたいことが詰まっているような気がする。
おそらくパブリックイメージから考察すると、役どころが逆でも違和感は抱かれないはず。
それを製作サイドは承知のうえで、あえて今回のキャスティングで押し通している。
ふたりとも見事に役を生き、寄り添い方がとても繊細かつ美しい。
これこそ新境地開拓といえる役どころではないだろうか。
なんとなくク・リ・ス・テ・ル?
Netflixで。
読んでいないので想像ですが、非現実的にドラマチックではない、でもちゃんと色んな出来事の連鎖によって語られている原作を、うまくまとめたのかな?という印象。とにかく適温で心地いい。
キャスティングも、みんな名のある人だけどちゃんと役柄に合っていて無理がない。
とくに高良健吾。まさに適役って気がする。水原希子も「ノルウェイの森」の頃からは考えられない頼もしさ。
外側には暴力的な構図や力関係が渦巻いている中、かろうじてエアポケットのように平穏な場所で、心ある若人たちが互いに気を遣い、抑制を効かせて自分にも相手にもベストな選択をしていく…というノーブル青春ストーリー。
暴力とか性的なことは背後に感じさせつつ表には描かないため、上品。
ただ私はゲスなため上流階級のゴタゴタとかエグみとかもろもろ、もっとあってもいいし、それ以上にヒロイン2人の今後のご活躍をお祈りしたい気持ちだった。4人をメインにTVドラマとかやってくれてものいいのよ。でもそれには高良健吾の役が生々しすぎるかしら…
あと山中崇が出てくるとつい不穏な展開を想像してしまう。
ラストのオチはちょっと「花束みたいな恋をした」をきれいにしたみたいな印象。なにしろみんないい子。
貴族はほんのひと握り。そこに愛はあるんか。
いるいるこういう内部生。
えてして受験組の方が賢く、勉強と無縁の脳内ながら、家柄だけは良く、タチの悪い遊びだけは覚え、親の手伝いをして議員になる。
いるいるこういう上京組。
生きていくのに必死な様子もあるけれど、
必死に東京に馴染むよう努力している。
背伸びがあざとくがめつくさもしく見える時もあれば、たくましく見える時もある。
いるいるこういうお嬢。
お嬢とされる中でも家柄が良すぎて、相当な世間知らず。俯瞰で立ち位置を見極める力がなく、
どこにいってもおっとりぼんやり。
婚活で本当に見合うお育ちの方と出会えず、絶対に生活水準が違う層に出会いを頼んだりする。
どれも身近にいた。
どれも生きづらさがあるだろうと思う。
私含め世の大半はどれでもないから。
華子ほどのお嬢は、世に言うお嬢様扱いされる生い立ちの中でも、ほんのごくごくひと握り。
日本に〇〇家は限られるので、家柄同士で選ぼうにも母数が少ないから、大変そうだと思う。
大抵は、現代の日本人女子は生い立ちの経済力に関わらず、逸子タイプか美紀タイプ。
仕事をして自立していないと、日本人未婚男性の結婚対象としてはおろか、日本経済にとってもお荷物な風潮。また、富裕層の既婚妻でも、職を持ってないのは作中に出てくる階級という表現では下の方だと思う。働かずともお金が回る仕組みを女も持っていてこそ、富裕層出身女性らしいとなるのが現代よ。
ゆとりある家庭の子は頭が良く、手放す必要のない仕事に就き、家庭と仕事を両方持ち、臨機応変に華子のような振る舞いもできるが、中身は同世代男性顔負けで、毒舌。これが現代のリアルよ。
なので、作中の、家事手伝いなど死語で非現実的に思えるが、逸子の言う見えない階級は確かに存在する。
ダージリンやアールグレイを飲み慣れている層もいれば、マウントレーニア片手に仕事する層もいる。
どの層にいても、どんな事情でも、
泣きたい日も嬉しい日もあるし、
その日あったなにげないことを話せる人が誰でも良いからいれば上出来という美紀の言葉はその通りだと思う。
そして、どの階級でも自立力が問われる。
富裕層に生まれ家系に囚われる人生でよく似た生い立ちで性格も合う人を見つけるよりも、上京の孤独を分かち合える同郷の友を見つける方が確率的には簡単だろうなと想像するが。
でも色んなことをひっくるめて、昔からの女友達は楽。そういう関係性を求めた時に、階級を超えて見つけることは本当に難しい。
それが改めて映像化されている作品。
飲むお茶、お茶にかけるお金、行くお店、買うお肉、出会うところ、全てが異なるから。
結婚も、出会いの形だけ本人が模索する形式なだけで、もともと恋愛結婚ではないのだから、婚約に結婚にも進んでも幸一郎も華子もまっったく嬉しくなさそうで。その隙間隙間でわずかな愛が芽生えれば良かったのだが、同じ富裕層の中でも幸一郎と華子は階級が異なり、言い合える関係性にはなれない仕組みだから、やはり合わないんだなぁこれが。
頑張って稼いで背伸びしても、埋まらない違いは根底からあって、その階級差は下から上を見ると同じに見えるが、上の中でも細かくある。
青木>>華子>=逸子>>>>里英>=美紀
水原希子扮する美紀が、流れを掻き回さない、わきまえた良い子だから成立している話で、この子の味わった惨めと孤独とそれを乗り越える根性と生命力たるや凄まじい。それでも決してそれを人に言わず言動を荒らさないのが、実に富山県民のイメージそのものな気がする。猛勉強して慶應に入れたならキャバ嬢の世界でもアホくさい思いを沢山しただろうし、なんの苦労もなく何の見栄でもなく当然のように無職でエルメスを提げる人達の前では、美紀のヴィヴィアンやカルティエのバッグも虚しく見える。
門脇麦には、存在感が強く肝の据わったイメージがあり、この陰鬱とぼうっとした華子役は顔立ちの華やかさで決まったのかな?抑えた演技がストレスでないのかな?と思いながらも。
違和感を感じているが出さない感じが逆にリアルで上手だなと感じた。芸能界の女優さんで、お嬢様はほぼ見た事がないし、いても芸能界に入るほど奔放なお嬢様なので、自分の人生を自分で決める本物お嬢様の物申すタイプが多い。だからこの役をこなせる方は限られる中で、この女優さん本人の生い立ちは?
と気にならせないのは門脇麦さんが演じたからだと思う。上京組でもたくましい生立ちでもないからこそできる役。
石橋静河は初期の役に意地悪なものがありその印象が強かったのだが、最近はどの役で見ても素敵。
自立しながらも誰かのために人肌脱ぐが姉御でもガサツでもなく落ち着いた役がとても似合う。
作中で楽器を引く姿がとても美しく、姿勢の良さが際立っていた。
高良健吾には、役の設定からして海運王の慶應出?そんな男性で、敷かれたレールの結婚という肩書き目的の女性だけで満足するはずがない。そんな人いないってと最初からわかりやすい。田舎ヤンキーも飲んだくれも浮気性もできる俳優さんでそちらが実に近いのではと思うがこの役ではそれらは封印させられている。
ただただ、本音を出さない関係性でも垣間見える、真を見つめない冷たさが伺える。
素晴らしかった
門脇麦も水原希子もとても良かったのだが、
その友人たちを演じる石橋静河と山下リオが凄く良かった!!
というのも、おそらく彼女らが
階級のグラデーションでいうところの中央付近にいるからっていうのもあると思う。親近感があって、本作中では陽だまりのような存在。
その4人の関係性がどこをとってもシスターフッドに見えて、とっても良かったです。ドラマで観たい!
特に好きだったシーンを2つ挙げると、
一つ目は、パーティにてバイオリンを演奏した石橋静河が、マカロンを食べるシーン。これが非常に良くて。
トップのマカロンを取って代わりに花を挿すのだけど、
それを遠くから見ていた水原希子が笑うのよね。
一般的には"いやしい"と思える行動を、水原希子は(おそらくは)"愛おしい"と思い親近感あったのよね。
グザヴィエ・ドランの『マティアス&マキシム』にも、一方が途中で火を消した煙草を大事そうにポケットに入れて、もう一方がそれを見て微笑むっていうシーンがあって、もんのすごく大好きなシーンなんだけど、それに近しいものを感じた。
もうね、"いやしさ"のようなものまで引っくるめて、その人を好きになるのが良くて。それを遠くから見て笑っているのもいいのよね。当人は気づいていないっていう。
あと二つ目が、
水原希子を起業に誘う山下リオ。
もうここの喫茶店シーンが全て良かった!!!!
台詞が刺さる刺さる。
子供を見て、独身で子供が嫌われないように、とか。
水原希子が、誘いに対して即答したのが良かったですな。しかも、そう言って欲しかったって……!熱いぜ…!
特にイガイガする事ない二人の関係が暖かかったですな。互いが都会のオアシスですよ。
というか、この二人のシーンは全部いいんですよ…。
ニケツとかマウントレーニアとか。
とくにニケツ!!!!!
私なんてまさに「地方組」ですから、めちゃくちゃノスタルジーなシーンでもあり、希望も感じました。
きっと、誰にも奪えないというか、二人にしか経験できない瞬間ですもんね。うん、本当に良かった。
原作もそうらしいんだが、衣装もたのしめた。
年齢とともに変わっていくバッグやアクセサリー。
特に、社会人時代の水原希子のカルティエのショルダーバッグがとってもかわいかった。
あと、門脇麦が"アールグレイ"とか"ダージリン"とか、もう注文の仕方にまで、育ちが出るのね〜って感じで新鮮だった。
やっぱり、とても上手よね。
声色とか普段と違ったし、あと表情ですよ!!
表情で全てを語ってたから、この物語はこんなにも説明が少なく済んだんだと思いますよ。(時系列がいつのまにか変わってて、割と追いにくいけど、すっと入ってきた!)
ラストシーンは正直、腑に落ちなかったけど、
久しぶりにいいもの観たな〜と思いました。
邦画、全然捨てたもんじゃないです。
本当に素晴らしかったです。
多様な価値観に触れる事ができる名作。
面白かった。自分が知らない世界。
これまで知らなかった様々な価値観を知ることができた。
東京。
と一言で言っても、そこで暮らす人々の出自、価値観、身分は様々で。
実は多様で、それでいて互いに受け入れ難い価値観の相違があって。
自分と似た価値観の人たちが寄り添いあって生きているが故、自分と違う価値観の人達には無意識にフィルターをかけてしまっているのかもしれない。
上流階級の男性幸一郎と婚約しながらも、結果的に家族に縛られて抑圧されていく華子の姿を見ていると。
身分が高い事、収入が良い事=必ずしも幸福でない事が身に染みて良く分かる。
それは上流階級に生まれ、後継になる事を生まれながらにして期待され。自らの夢を抱くことすら叶わない幸一郎にとってもそうだ。
幸一郎の本音が垣間見えるシーンでは、裕福でありながらも抑圧に思い悩む様子が見て取れる。
むしろ地方出身でエリート街道からドロップアウトした美紀こそ、のびのびと自分らしく生きているくらいだ。
人並みの幸せというのは、個人の価値観が尊重されてのものだし。未来に馳せる夢さえあれば、どんな逆境だって人は前向きに生きて行ける。それが唯一の希望なのかもしれない。
薄味な印象
山内マリコ作品が好きで、原作は読んでいた。『アズミ・ハルコは行方不明』の実写化も微妙だったので期待せず視聴。
現代女性の痛々しいほどリアルな心理描写が山内作品の魅力だと思うが、映画用にきれいにまとめられた結果、全体的に薄味な作品になってしまったように思う。幸一郎ってもっと嫌な奴の印象あった。
襖の開け閉めやカフェの注文などから華子の育ちの良さを表現したり、同窓会で所在なく空いたグラスをまとめるシーンから美紀の性格を表現したりと、細かい描写の拘りは感じられた。
終盤、美紀と華子の会話で「どこで生まれたって最高と思う日もあれば泣きたくなる日もある。でもその日あったことを話せる人がいるだけでとりあえず十分」と話すくだりがあり、この映画のまとめのような発言ととれたが、イマイチピンとこなくてすっきりしなかった。
まとめると、
・狭い世界の価値観に囚われるな
・女同士で争うな、協力していこう
・どんな境遇の人でも悩みはあり、人生そう完璧にうまくいくもんじゃない。日常の小さな幸せとつながりを大切に
映像が暗い。雨のシーンも多いけど、昔の日本映画のような暗さだ 映画...
映像が暗い。雨のシーンも多いけど、昔の日本映画のような暗さだ
映画は結婚は子供産んで家を継ぐ事だと思っている華子と大学の学費払えず中退して仕事にもやりがいを感じられない美紀の人生を交互にみせる
どちらも幸せとは言えないところから脱して、笑顔が戻ってきた
東京に住んでることってそんなにすごいですか?
2023年12月14日
映画館で見損ねたああああと思ってたら、Netflix様が解禁されたのですぐ観ました。
感想は、面白いけど、物語に入り込む感覚まではない、という感じでした。
結局何が言いたいのか、自分の道を自分で切り開く的な、ありきたりなメッセージしか感じることができなかったです。
主人公の華子は箱入り娘で、自分の人生すら決められない、親の描いたレールに乗って、イエスともノーとも言わない生き方していました。
そんな中で美紀と出会い、都会で自力で力強く生き抜く姿に影響されます。
そして、幸一郎と離婚して、自分なりに生き方を模索していく、という感じでした。
たしかに、他のレビューにもあるように、
華子がいつもタクシーに乗っていて、
美紀は自転車に乗っている
描写を両者の生き様と対比させる考察は『たしかに!!』となりました。
ただ、2時間の映画で伝わってくるメッセージとして弱いかなあて思いました。
東京に住んでることがそんなにすごいんかよっ!!って思っちゃいました〜〜
階級の違う二人の女
映画冒頭、私は庶民なので庶民である美紀の気持ちの方に寄り添ってしまったが、箱入り娘として育ち、何不自由ない憧れの存在のように見えていた華子にも物語が進むにつれて華子なりの生きづらさを理解した。
不自由なく育ち世間を知らないという欠点が’’家’’に囲われるかごの中の鳥の状況を生んでいく華子。
一方で田舎出身の美紀の方は学費が払えずホステスとして働くも大学を中退。お金があればそんななことにはならなかったと思ってしまうが、その後、昼間の仕事に就きひたむきに自由に働く美紀の姿がかっこよく映る。
そして、出会うはずがなかった階級の違う二人をハイスペック男子が引き寄せ、華子は自分自身を解放していく。
お金があってもなくても自分の生きたい人生を歩んでる人が一番かっこいい。
そう思わせてくれた映画。
P.S.
階級が違いすぎると女のバトルにならないのなんとなくわかる。
金持ちってナチュラルに俺様凄い!って思ってるんでしょうな
麦ちゃんが上流貴族の政略結婚に巻き込まれる話。
庶民の居酒屋も生理的に受けつけられへんけど
さらに上流もなんだかなー
そこに愛はあるのか?
あーなさそうなんで離婚します。
すみませんでした、と土下座したら
高橋ひとみのチョップが麦ちゃんに炸裂。
この場面と麦ちゃんのウエディングドレスだけで90点です。
それにしても原作の山内まり子って麦ちゃん出演の
「ここは退屈迎えに来て」もそうだけど
上手く物語をこしらえるわ。
90点
イオンシネマ桂川 20210316
パンフ購入
原作とは別物の良さ
公開された時に気になっていたものの見に行けず。
最近、原作小説を読みとても面白く、やはり映画がみたいなぁと思っていたらタイミングよくABEMAで無料配信していたので見ました。
小説であれだけ言葉で説明されていたことが、映画ではほとんど言葉にされず、仕草や映像で表現されていて。(当たり前と言えばそうですが。)
要所要所の、小説において私が大事だと感じていた部分の設定が映画と小説で多数異なっており、またラストが、そこで終わるの!?という結末だったため、小説と映画で受ける印象が大きく異なると思います。
映画だけ見ると、ラストあのまま華子と幸一郎は寄りを戻すのではないかと感じるのではないだろうか。
私は映画は映画で、別物としてとても好きです。ですが小説の物語をベースに見ていたので、華子と幸一郎があのあと飲みに行って綺麗に別れるところまで見たかったなと感じてしまいました。
小説を読まずに映画を見ていたらどのような感想を抱いたのだろうかと、無理ですが体験してみたくなりました(笑)
小説を読んだ直後に映画を見たため、小説との違いに細かく反応してしまいましたが(それが嫌だったという意味ではなく)、読んでからしばらくたっていたらそこまで気にならないのだろうか。
また小説を読んでいてしんどいなぁと感じていたところや雰囲気は映像になることでかなり中和されていたように思います。
小説よりも抽象的なので受け取りやすいかなと。小説の方がダイレクトに女性のしんどさを書き綴ってくれていて、読みごたえはあります。
門脇麦ちゃんも水原希子ちゃんも大好きで、映画の予告のイメージがあり、脳内で2人を想像しながら小説を読んでいました。
そのため実際に映画を見たら本物だ~!といった嬉しい気持ちになりました。笑
麦ちゃん演じる華子は小説のイメージよりもとても可愛くて可愛くて、品がよく、仕草や口調言動から明白に高貴な人物だと伝わってきて、とにかく美しかったです。
希子ちゃん演じる美紀は小説のイメージ通り美しく、またやはり可愛いらしかったです。小説から受ける印象よりも、人間らしくて可愛いなぁと感じました。
どんどん垢抜けていくビジュアルの変化はとても清々しく美しかったです。
小説を読んでいた時に幸一郎役がどなたかは確認せずに読んでいたため、映画を見て初めて高良健吾さんだと知りました。
高良さんもとても好きな役者さんです。
そのためか、小説の幸一郎はかなり嫌なやつという印象だったのですが、映画の幸一郎にはあまり強い不快感は抱けませんでした。
とても人間らしくて、憎みきれませんでした。
余談ですが
私は原作が小説、漫画、アニメ問わずなんでも、実写化作品が好きで、とくに実写映画化が好きです。
当たり外れはありますが、人間がその人物像(キャラクター)を表現するのを見るのが好きなんです。
原作の人物やキャラが現実世界にいたらこうなるんだろうなと納得できるような演技や世界観を見られるととても嬉しく感じます。
幸一郎はまさに人間が演じることで、こういう人いるよなぁと、血が通った姿が見られてとてもよかったです。
また、小説ではあまり描かれていなかった、美紀と平田さんが起業していく流れが映像で見られて嬉しかったです。
山下リオちゃんも好きな役者さんなので、平田さんにとても合っていて、希子ちゃんとリオちゃんのシーンは2人がきゃっきゃしてるのが可愛くて微笑ましかったです。
華子がひとり歩いている向かい側に自転車に2人乗りする女子高生がいて、華子の視線に気付いて手を振っているシーンもとても好きです。
原作にはないシーンなのに、あったのではないかと感じられて、小説の奥行きがさらに増えたように感じました。
原作にはないシーンで言うと、幸一郎と離婚するときに華子が幸一郎の母にビンタされるシーンは衝撃でした。
幸一郎しっかりしろよ!とムカつきましたが、華子も覚悟の上での離婚なんですよね。
同じ東京テアトルさんの作品で、『ちょっと思い出しただけ』も大好きなのですが。
東京の街を舞台にタクシーが行き来したり美しい風景が流れるのを見て『ちょい思』を思い出しました。
出演者みなさん可愛く美しく、とてもいい映画でした。
高良健吾がかっこよかった… でも花子と幸一郎はただ第一印象だけ良く...
高良健吾がかっこよかった…
でも花子と幸一郎はただ第一印象だけ良くて、乗せられたレールを歩くために一緒になった。恋愛の描写が最初だけで寂しかったな。
あと花子の喜怒哀楽を表に出さないお淑やかさ、これが品がいいと言うことなのかな、つまらない女に思った。
美樹と花子、それぞれ自分の道を切り開いていくとあらすじにあった。田舎者と都会ものの対比や、2人と高良健吾との関係性にどんなメッセージがあったのだろうか。2人の友人との関係だけが本物のような気がして、美しかった。
女性監督の台頭が著しい昨今。男社会はすでに踏み台でしかない。
「はちどり」や「82年生まれキム・ジヨン」、「スワロウ」そして本作と、最近とにかく女性の解放を描いた作品が目立つ。「スワロウ」以外は新進気鋭の女性監督による作品だ。
私自身不勉強で知らなかったが、女性芸術家が男性に比べて冷遇されてきた時代があった。
政治の世界や医療の現場でのそれはまだしも芸術の世界まで男尊女卑がまかり通っていた事実にショックを受けた。そんなものに縛られないことこそが芸術の世界だと思っていたからだ。だがその実態は「燃ゆる女の肖像」でも描かれていた。
それだけに今まで抑圧されてきた女流作家のエネルギーが作品に昇華されて素晴らしい作品を次々と生み出している。いずれは女流作家、女性監督という言葉も死語になるだろう。
本作の主人公華子は裕福な家庭で何不自由なく育った典型的箱入り娘で、年頃になり当たり前のように結婚を周りから急かされるものの、なかなか相手は見つからず彼女は焦っていた。
なぜ年頃だから結婚せねばならないのか、彼女自身わかってない。強いて言うなら「そういう風に育てられた」からであろう。
「年頃」の彼女は相手を探すもなかなかお目当ての相手には巡り合えない。同級生の間で未婚なのは彼女とバイオリニストの逸子だけだ。その状況が彼女をさらに焦らせる。
しかし、ようやく相応しい相手に巡り会えた。彼女よりも階層が高い良家の御曹司だ。
念願の結婚を果たした彼女だったが、やがてその結婚生活において自分の居場所がないことに戸惑いを覚える。自分の知らないところでどんどん物事が進み、自分は蚊帳の外だと感じる。
夫となった幸一郎は自分と同じく良家の生まれで「そういう風に育てられた」人間だった。家の思うがまま生きざるを得ない、そのように生きることに疑問さえ抱かない夫をそばで見続けた華子は彼の姿を通して今までの自分自身を見たのだろうか。
そして華子はかつて夫と関係のあった美紀との出会いを通して人生が一変することとなる。
美紀は地方出身の中流家庭の生まれであり、華子にとっては異質の存在であったが、間違いなく新鮮な存在だった。
美紀との触れ合いの中で華子は自分を取り巻く環境、自分を縛り付ける境遇に違和感を覚え始める。
そして美紀のある言葉が決定打となり、華子は生まれて初めて大胆な行動を取る。それは夫、幸一郎との離婚だった。
この世に生を受けて今まで自分を縛り付けてきたものにただ身をゆだねて生きてきた彼女にとって、自己を解放させる大胆な行動だった。その行動を可能ならしめたもの、それは彼女が唯一この世で自分が自分として培ってきたものである友情であった。
美紀が言うようにお金でもなく地位でもない、人が生きる上で最も大切なものは自分の気持ちを素直に打ち明けられる人がいるかどうかだ。
一年後、逸子のマネージャーの仕事をしている華子は幸一郎と再会する。けして互いを嫌いになって別れたわけではない。解放され自立した華子は今度は一人の人間として本当に好きな人を選ぶのだろう。その対象は別れた夫も例外ではない。
本作を観ていて、夫側のエリート層がえらく紋切り型に描かれていたが、これはあえて意図した表現とも思われた。今まで女性を縛り付けてきた古い慣習を単純化することで、より女性の解放をわかりやすくする効果があったと言えるだろう。
すなわち古い男社会はもはやこれからの女性を際立たせるための舞台設定でしかないということだ。
本作はそのメッセージ性の強さもさることながら役者陣、とりわけ女優陣の自然な演技に魅了される作品だった。
以前書いたレビューが全削除されたため再度掲載させてもらった。今は無きテアトル梅田にて鑑賞。
女性におすすめ
女性監督の作品だから、想像どおり良かったです。劇中で、「独身や主婦とかで対立させないように、女性が分断されない様にしないといけない」みたいなことを言っていたので、共感しました。ラストも解放感があってgoodでした。
2年前、鑑賞後の劇場から歩いて帰宅した。銀座方面から勝鬨橋の真ん中...
2年前、鑑賞後の劇場から歩いて帰宅した。銀座方面から勝鬨橋の真ん中あたりで自分はいま前向きと後ろ向きのどちらだろうと数秒考えたが、反対側を銀座方面に歩く人が見えたので心の中で手を振りながらまた歩き始めた。あのシーンの意味が少しわかった気がした。
昨夜、帰宅途中の橋でその記憶が蘇り、寝る前にもう一度配信で鑑賞した。
二度目は物語の余計な詮索をしなくてよいぶん、本来作品が持つ心地良さが増して爽やかに楽しめた。
きっと今日の帰りはあの居酒屋でふらっと瓶ビールでも呑むだろう。
全228件中、1~20件目を表示