プロミシング・ヤング・ウーマンのレビュー・感想・評価
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人生のための復讐か、復讐のための人生か... 崇拝対象を亡くした女性が仕掛けた恐怖の世直し!!
最愛の親友を男たちに弄ばれて失ったことでキャリアを捨てて無為に生きてきたアラサー女子が全身全霊を掛けて挑む復讐劇。そんな彼女を目の当たりにして”大人になれていない”と断ずるのは容易いでしょうが、"歳を重ねる毎に他人の痛みに対して無関心になることが真っ当な人間の心理なのか?"と観ている側に突きつけてくるような社会派作品です。
出てくる男性陣が皆んな卑俗で観ていて辛いですが、女性からの警鐘として観るべき作品なり...。
I can’t sleep
主人公が30歳にしては老けてるなあ、そんなに魅力があるか?とか言ったらルッキズムがどうとか言われるのかも知れないが、目からの情報としてどうしても気になる。お話はある女性の友人を死に至らしめた人々への復讐劇。かなり激しい。そこまでやる?一つ一つやる事が酷くて主人公に感情移入出来なかった。最後はそう終わるしかないかなあ。
痛い!いたい!イタスギル!!
ショッキングな映画でした。
この映画の突出して破壊的なのは、ラストの展開だと思う。
ラストには一切触れませんので、ご安心ください。
前途有望な若い女性・・・「プロミシング・ヤング・ウーマン」の日本語訳です。
主人公のキャシー(キャリー・マリガン)は、泥酔した親友のニーナがレイプされて、
その結果、自殺してしまったのです。
前途有望な医大生だったキャシーとニーナ。
ニーナはその事件で心を病み、キャシーは医学部を中退してニーナのサポートに
当たりました。
そして10年。
とあるカフェの店員として、やる気なく働くニーナ。
そして夜な夜な、泥酔して前後不覚を演じて、お持ち帰り男について行きます。
そして突然豹変して、お持ち帰り男を制裁するのが日課となってます。
(人畜無害的な男を選びますが、危険な行為ですね)
キャシーは金髪の手入れの良い巻き毛。
パステルカラーのワンピース。
住んでいる両親の家も、ロココ調のヨーロッパ的インテリア。
男を安心させる従順を感じさせる容姿。
砂糖菓子みたいに甘くて、無邪気な女にキャシーは見えます。
キャンディを舐めてるキャシー。
明るいBGM。ポップな映像。
友人コニー。
医大生の友だちにレイプされ、動画に撮られ仲間に配信されていた。
こんな「泥酔してレイプ事件」
一週間に1回から2回あるありふれた案件・・・なんですって!
10年も1日たりと親友のニーナを忘れないキャシー。
同情のあまり、我を忘れてるのかもしれません。
この映画は、女を貶める男たちへの「復讐」の映画です。
《あの時俺はまだ若くて、ホントに悪ガキだった》
《深い考えなんかなかった》
《あったのは欲望。欲望が理性に勝った》
ラストは観る人が男か?女か?で大きく変わると思います。
2020年(アメリカ)監督は女性で、女優でもある38歳のエメラルド・フェネル。
製作にマーゴット・ロビー。
〉ウーマン・パワーが実を結び、ハリウッドを揺るがす、記念すべき作品が誕生した。
捨て身の人間は、怖いもの無しだ!!
過去鑑賞
展開全てが好みの映画
復習するのに何故30歳になってからなのか不思議やけど
でもこうなればいいのにってのを全てやってくれた映画で大満足!
マーゴット・ロビーっぽいなと思ってたら制作がそうなんやね
誰も救われない
でも救われる映画
評価高いけど個人的には退屈だった
アマゾンビデオでプライムだったし、ここでの評価も随分高かったので
期待してみたけど結構退屈だったかな。
キャッシーが何故あんな状態で、何をしたかったのか
なんとなくは醸し出されていたからわかるのだけど、
終盤にならないとハッキリしてこない。
キャッシーのやるせない気持ちが何なのか、
見ている側にはわかりにくく中々物語に
没入できなかったのと、キャッシーの生きにくい人生を
長々と描いていること、また復讐なのかどうなのか微妙な
行動も煮えきれなくてダルかった。
ラストでまさかの返り討ちに合うも、
死んでからの後の仕掛けは面白いけど、
復讐もので返り討ちではカタルシスはないなと思った。
ニーナとの友情などがわかるエピソードが丸々カットされていたが
わざとなのだろうか?崇めていた、とか一言で済ませていたけど理由はなんなのか?
また、キャッシーがこれほどまでに長い間事件を引きずっていた理由なども
あのとき一緒に行ってればの一言もどうなのかと思う。
更に言えば男たちの悪行もなんとなく描かれているだけなので
彼らに対しての怒りの感情もあまり沸かなかった。
映画全体に醸し出される、なんとも気だるげな雰囲気が
好きな人もいるのかもしれないけど、現代の物語のテンポでは
なかったので個人的にはちょっとたるく感じた。
軽快に
こういったテーマでは重くなったり説教じみた作品になりがちなところを
軽快にポップに仕上げていて新鮮でした。
ただ、主人公の一貫性のなさから本題のテーマが全然響かない。
当事者たちへ復讐しようと思い立つ動機も弱すぎるし、
本人の問題を親友の不幸を言い訳にしてすり替えているだけに見える。
そんなに親友を想っていたなら30になるまでだらだらと関係のないバカ男に八つ当たりしてないで、さっさと張本人達とやり合えばいいのに。
主人公の大人になっても自分を大切にしてくれる人への敬意もない子供っぽい態度に、何だかなぁ...という気持ちになり、いちいち気が散ってしまいました。。。
画や配色などは可愛く素敵だなと思うところもたくさんありましたが、
全体的にもやもやする作品でした。
だからこそ、のもうひとつの世界
酒に酔ってたので覚えていない。若気の至りで当時のことを忘れてしまった。
この男どものもっともらしい言い訳を、ものの見事に打ち破る主人公。
復讐はいいとはいえない。法律に則って行動しなければならない。
そんなのは先刻承知の世界。
レイプ事件における長期にわたる裁判では、傷ついた女性の気持ちは救われない。男どもが本当に悪いことをしたという自覚もいまひとつ見出せない。
だからこその、もうひとつの世界。
そういった世界だから、現実を超越した奇抜な色彩に違和感はない。
映画だから、だからこその世界を描くのだ。そこに女流監督エメラルド・フェネルのポリシーを感じる。
描き方は自由。現実離れした空間で、真実を絞り出したい。その思いが伝わってくる。
表向きはエリート医学生だからといって、男の部分では欲望のおもむくまま、酒の勢いで女性を傷つけた。その天罰は重すぎるのだ。
そこは譲れない。加害者と被害者という事実は変わらない。そして真実はひとつ。
本作を観て、同じレイプ事件の秀作で、ジュディ・フォスターが主演した『告発の行方』を思い出した。
本作のケリー・マリガンが、ジュディ・フォスターの思いを、新しい視点で代弁しているように見えた。
ポップながら…
グサリとエグる、成敗劇。ラストは後味悪いというか、死んでからの大成敗。大学時代の親友が慰み者にされ、そのせいで医師を目指していた彼女は医大をやめ、死んでしまう。自分も親友と共に夢を諦め中退し、30歳になっても自立せず、彼氏や友人もいない生活を送る。夜な夜なバーでわざと酔ったフリをして、下心を出してきた男たちを成敗することを生きがいにしている。そんな中、慰み者にした、そしてその様子を助けなかった人達を見つけ出し、復讐していく。もう少し、親友ニーナとの仲の良かった想い出などを描いてほしかった。深い感情移入をあえて求めないポップさが逆に切なかった。
復讐!
大学生の時に友達を亡くしたキャシーが、友達を自殺に追い込んだ奴らに復讐する話。
自殺に追い込まれた事件の映像はないけれど、酷い話で,あんなことをされたら死にたくなるよなあ。当事者たちはもうすっかり忘れているような状態。とても腹立たしいのに、画像がポップだからかあまり重く感じない。
キャシーの服装もいつもポップでかわいい。家のインテリア等もとてもかわいい。パーティーに復讐に行く時のナース姿はとってもキュート😍まさかあんな結末とは思っていなかったが。
でも覚悟はしていたんでしょうね、結婚式にタイミングを,合わせてキチンと綿密に計画していたキャシー。さすがです。
ただ、復讐を終えて前向きに新しい人生を歩むポップなキャシーを見たかった気もします。
出てくる男みんなゴミ
ただ唯一の救いはずっとその事を後悔して慣れてない弁護士の男がいた事。
そいつが心の底から許して欲しいという気持ちを持っていて、キャシーからの手紙をちゃんと実行してくれた事。これがなければ無駄死だったと思う。
『プロミシング (showing signs of future success)・ヤング・ウーマン』には2つの暗喩があると思う。1つは世間的なサクセス、もうひとつはキャシーの復讐にとってのサクセス…
①Juice Newtonの『Angel of the Morning』を劇中歌で使用した映画はこれで2本目(もう一本は『デッドプール』)。この歌の爽やかさが映画の内容の過激さを中和する意図があるのかな?それとも皮肉さを狙っているのか?キャシーが朝帰りの途中で工事現場の男達に下卑た言葉で冷やかされるシーンの背景に『It's raining men』が流れていたのも中々皮肉。②一回観ただけでは面白さが分からないかも知れない。二回、三回と観た方が良いかも。アメリカ映画はブロックバスターとは別に時たまこういうオフビートな映画を作るから面白い(劇中でもキャシーの両親がTVで観ていたのは『狩人の夜』というカルト映画だったし)。アカデミー賞脚本賞を取ったからどうだ、というのではなく脚本が巧い(私の中では、ヴェネチア国際映画祭>ベルリン国際映画祭)>カンヌ国際映画祭>ゴールデングローブ賞>ニューヨーク批評家協会賞>全米批評家協会賞>ボストン批評家協会賞>アカデミー賞、くらいの格付けですから(あとロンドン国際映画祭やモントリオール国際映画祭、サンダンス映画祭等もありますわね。)④キャリーは精神的に不安定だったという台詞(便利な台詞だね)が出てくるけれども、いくら幼なじみで親友の為とはいえ、命までかけるだろうか?やはり、少なくともキャシーの方はニーナに対して恋愛感情はあったと思う。逆はなかったとしても。合わさると「キャシー/ニーナ」になるペンダント(『うる星やつら』ご参照)をずっと持っていたし最後の大芝居の小道具として使ったし。「ニーナは崩れてしまった。アルしか頭になくなってしまった」という台詞があるが、それでニーナが暴行されたパーティーにキャシーが参加しなかった訳もわかるし、アルへの復讐にはニーナに対してやったかこと➕嫉妬もあったのではないだろうか。⑤毎週如何にも酔っ払った股の緩い女の振りをして必ずそういう女をベッドに誘おうとする男を脅す芝居を続けているのもレズビアンでないと出来ないのではないかな。ストレートなら芝居中に感じることも有るだろうし偶々タイプの男だったらどうする?⑦これはスリラー映画というカテゴリーに入れられているようだが、少しもスリリングではなかった。むしろ知的な面白さに満ちた映画のように思う。情報は台詞などで伝えずあくまで設定したシチュエーション・映像で伝える。説明的でないので分からん人は分からんで良いよというスタンスで映画はズンズン進んでいく。⑧劇中でキャシーが大学では如何に優秀な学生だったかという台詞が繰り返し出てくる。本人の夢も医師になることだった。ところが、愛する人が暴行され告訴しても真面目な取り合って貰えず、挙げ句に退学して自殺。そんな大学に居たくはなかったという気持ちは良く分かる。そのpromising young womanが大学の同級生との付き合いもせず友達も作らずしがないカフェの女給となっている。あの時点で彼女は自分の夢とした人生を棄てたのであろう。あとは毎週女の下半身にしか興味のない男にサイコ女の振りをして裁きを下す日々を繰り返していた。⑨70年代に、妹の担任教師にレイプされて勇気を出して裁判に持ち込んだのに過去の男性遍歴等を持ち出されて同意によるSEXという判決で相手の男は無罪となったが、男の魔手が今度は妹に及んだのを知ってライフルを持ち出して(ヘミングウェイの孫娘だけあってライフルを構えた格好が良く似合っていた)男は穴だらけにして(股関も撃ち抜くという徹底ぶり)仕留めるという結末で本作よりも更にすっとする(裁判の結果無罪となるというラストのオマケつき、さすがにこれは映画的な脚色で現実はそういう訳にはいかないでしょう)という『リップスティック』というややキワモノ的映画がありました。ハリウッド映画界に続いて最近では日本映画界でも性的強要の告発がやっと起こり始めましたが(これは女性側にとってとても勇気がいることだ)、本当に「下半身に人格はない」と言うけれど男というものは少しも変わっていませんね。日本のサラリーマンでもお持ち帰りは有りますし(国内では偉いさんだけでしょうが、海外では平社員でもあります)。⑩復讐のターゲットであるアル・モンローはロンドンに居てるしでそういう毎日を過ごしていたキャシーの前に偶々大学の同窓生のライアンが現れ、問わず語りに同窓生の近況を聞くうちにアルがアメリカに帰国していること、近々結婚することを知りムクムクと復讐心が沸き起こる。元々優秀でクレバーなキャシーのことだけに、綿密で周到な復讐計画を立てるのだ(どれだけ周到かはラストでわかる)。⑪と言っても、最終目的はアルであるとはいえ、その前に落とし前を着けなければならない相手が先にいる。どうも男に対する復讐が全面に出ているような見方をされているが、復讐の矛先は同性(女性)にも向けられる。⑫先ずは、同じ女性が暴行(輪姦ではないでしょう)を受けていたにも関わらず援護するのではなくその動画を観て笑っていたという、双子が出来た同窓生へ。泥酔させられた上に暴行されたことによる痛み・苦しみに同性なのに鈍感なこの女性に、泥酔したうえホテルの部屋で目覚めた時に知らない男性がいたことによって引き起こされる不安・恐怖・苦みを味わせて復讐その1完了。⑬続いて大学内の暴行を受けたという被害告訴問題を十把一絡げで処理していたこれも女性の教授へ。他人ではなく自分の娘が同じ目に遭う時に感じる恐怖・苦しみを味わわせて復讐その2完了。⑭次は原告側(暴行を働いた男側)の元弁護士。同じ様な事件で原告の無罪を勝ち取って来た。しかし今はそういう自分の過去の所業を悔いて仕事から身を引いている。キャシーはそんな彼を許す。しかし、自分の復讐計画の仕上げできっちり彼を利用している。⑮ライアンも一丁噛んでいたと知り、好意を持ち始めていただけに少しは悩んだようだが、動き出した復讐作戦はもう止められません。しかし、誰も彼も「若かったんだ!ガキだったんだ!」』という同じステレオタイプの言い訳しか出来ないのに辟易。若い男であればそれで許されると思っているのかしら。男なら許してもらえるかも、という男性社会の持つ意識の歪み。被害者の痛み・苦しみには想い及ばないのか、高学歴者であるのに。頭の良さと人間としての賢さとは全く関係が無いことが丸わかり。⑯そして最後の真打ち(?)アル・モンローへの復讐(間接的にはジョーへ、そしてライアンにも)。キャシーは死んでも良いという覚悟で臨んでいる。片方の手錠を力を入れれば簡単に外せるように繋いでおいたり枕の下で暴れたり(おとなしくしてしまえばアルも力を抜いてしまうだろうから)。ニーナが暴行されているところを撮影した動画や、キャシーの死顔を観客に見せず観客の想像に任せるのは良い選択。観るのもおぞましいという想像を膨らませてくれる。⑰啓発的な部分は確かにあるが、懲罰的な意味合いな映画ではないと思う。男性(特に若い)の性欲には蓋はたてられないし、酒や麻薬でラリった場合は理性など吹っ飛んでしまうし、何より未だに社会には男性有利が色濃く残っている(残念ながら我が日本でも)。従い、残念ながらこの類いの暴行事件は減りこそすれ無くなりはしないと思う。いらゆるジェンダー問題提起やフェミニスト問題提起が効果を示すとは思えず、なにより肝要なのは男性側の自制心の強化・自分の行動が相手に及ぼす心的外傷への理解の進歩を期待するしかないが、男って馬鹿だからね、同性だから良く分かる。社会制度や会社に守って貰わないと弱い動物ですから。⑱キャシーの死体は焼かれ(人の死体を焼く時は発火促進材をまかないと良く焼けないし、実際ひどい臭いがするそうだから、それにしては二人の反応がもひとつだったのが不自然)さて、これで犯罪を隠匿し予定通り結婚式を挙げている最中を見計らかって最後の復讐の花火を打ち上げる。そこで流れるのが①で述べた『Angel mf tke Morning』…🎵Just call me angel of the morning, baby, don't touch my cheers before you leave me…baby, then slowly turn away from me, I won't bother you to stay with me…B・A・B・Y!…Just me call me angel of the morning, angel, then slowly turn away fiom me, D・A・R・L・I・N・G❗🎵…
この歌を背景にアルは結婚式の最中にキャシー殺害の容疑で逮捕され社会的地位も信頼も無くしてしまった(あの動画か証拠にあるので今度は申し開きは多分出来ないでしょう。ジョーやブライアンも含めて)。若気の至りのせいで気の毒になどという同情は全く無用だ、これにてキャシーの復讐計画は時分の命と引き換えに無事完了に完了。”you think this is the end, didn't you ? It is now. Enjoy the wedding! LOVE, Caccie&Nina”
⑲問題意識ガチガチで観るではなく、一本の奇妙に面白い映画として楽しむのが、この映画に対峙する一番良い観方だと思う、キャシーが命を賭けて戦おうとした何か、守ろうとした何かを忘れなければ……⑳キャリー・マリガンはアップになると老け(化粧負け?)が目立つが、女優としては一皮剥けたと思う。お母さん役をはじめ知らない役者さんばかりだったがお父さん役はクランシー・ブラウンだったんですね。すっかり良い爺さんになっちゃて、懐かし。
筋肉などいらない
派手なアクションのない(いらない)バイオレンスアクション映画だった。
段々とわかってくるストーリーと女の正体、男たちの醜さ、映っていないシーンにあるはずの残酷シーン(それを想像させる演出と役者たちの演技!)、2時間に詰まっていてこれはもう参りました。
派手な残酷シーンに慣れすぎた我々にも刺さりまくる。
ひとまず男は全員まじで最悪、と男の俺は思いました。
痛快な破滅の悲しみ
アメリカの文筆家レベッカ・ソルニットも『私が若かった頃は、名門大学のキャンパスで女性たちがレイプされていた』と書いていたが、本当にそのような事が頻繁に起きていたのだろうと想像できる。レイプ事件はありとあらゆる階層、コミュニティで起きていると思うが、一流大学で起きるときの特徴は、得てして集団であり、加害者は卒業後に高い地位に就き、あのときは子供だったと口を揃えて言い、かばい合うことが固い人脈となってしまうことだと思う。
そんな社会構造的な問題をはらむ重いテーマを、ポップな映像で痛快に描いているのが映画作品としての成功だろう。様々なテイストの衣装のビビッドな色彩が印象的でとてもかわいい。ダークヒロインの復讐劇と甘いラブストーリーが両立しているのが奇跡のようだ。あるいは破滅の美学ととらえることもできるかもしれない。深い悲しみがそこにあると思う。
自分と向き合って考えてみて
ポップなミュージックに始まり、主人公ジェシーはいつも可愛い服を着ているけど、内容はとてもシリアスな復讐ストーリー。
私もお酒飲んでよく記憶飛ばすほど泥酔するからすごく考えさせられた。
強要されたお酒で泥酔してレイプされても
次の日に「酔ってたんだから仕方ないでしょ」と言われてしまえば、それっきり。
でも被害者になったり、自分の愛してる人だったらどうする?と、問いかけられると「あの頃はガキだったから」で済まないよな。
この終わり方じゃないと、この映画を通して伝えたいメッセージを伝えることは出来なかったとおもう。
全てのサバイバーたち、生きててくれてありがとう
性被害を告発しても、誰もまともに取り合ってくれない。泣き寝入りする。被害者は口を閉じても、周りにいた人たちは彼女を「ヤられたコ」として見て、面白がる。傍観者たちは保身をする。
最悪で、生々しくて、救いのないプロットでした。
ニーナもキャシーも、素晴らしい女性(promissing young women)だったのにどうして幸せになれないの?
恐ろしい出来事をサバイブしたのにどうして更に耐えなくちゃいけないんだ。
全349件中、61~80件目を表示