プロミシング・ヤング・ウーマンのレビュー・感想・評価
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さいきょうPと地獄の生きものたち
見終わってから目にしたプロデューサー、マーゴット・ロビーの字面に猛烈に納得。
どう考えてもマーゴットがやりかねない役だもん。。
そこをあの可憐なキャリー・マリガンがやるっていう。役者さんとしては大好きなんだけど、この役には正直ちょっと違和感。
スタイリッシュなアングルと色合いで、ゴダールとか連想させるシーンもあったり、実は時間が取れなくて2日にわけて観ましたが、序盤からめちゃくちゃテンポよくて止めるのが大変でした。
女性たちが日ごろ味わっている地獄を疑似体験できる映画でもあるので、かわいい娘のいるパパたちは見といたほうがいいんじゃないかな。。
2人の賢くて優秀な女性を見捨てる代わりに得られたものの帰結があのパーティだとするなら、本当に世の中はクソ、控えめにいって地獄だけど、似たような事例が後を絶たない。正規ヒューマンである男を生かすためなら「補欠」の女のことなんかどうでもいいっていうリアリストたちの既視感がすごい。
「ROMA」観た時も思ったけど、マッチョ志向の男性がやたら強さにこだわるのは、実は臆病さの裏返しなんじゃないかっていうこと。その怯えの源泉がどこにあるのかは知らないけど、もし男性優位社会そのものが元凶になっているならもはや持続可能なマッチポンプ。
それが弱まって救われるのはなにも女性だけではないっていう話。
世の男たちは観た方が良い作品
アカデミー賞脚本賞受賞作品。
「前途有望(プロミシング)」でありながら、性暴力によって未来を絶たれた親友の代わりに男たちを罰していく主人公の話。
『ジョン・ウィック』のような爽快感はなく、いかに主人公が復讐を成し遂げるかをサスペンスフルに描いている。
「サイコ女」「狂ってる」と追い詰めた男たちに罵倒されながらも着実に計画を遂行していく主人公キャシーの姿は、男性主体の世の中に深々と重いパンチを放っている。
個人的に観賞後の印象は『ブレイキング・バッド』に近い。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』はマーゴット・ロビーが立ち上げた会社ラッキーチャップ・エンターテイメント製作。マーゴットは映画業界に女性主体の映画がもっと増えるべきというポリシーの下、精力的に作品を制作している。
明るい未来が約束された若い女性
話題になってたので楽しみにしていた映画。
華麗な映画かと思ったが、中々えぐかった。
主人公は復讐に生きる女性で、前半と後半は話のテイストが変わる。
後半は割と目が離せなかった。
終わり方も映画としては良かったと思う。
後味の悪さを残さず、重くならずにスカッと終わる感じ。
キャリーマリガンが可愛かった。華麗なるギャッツビーの時に天使かと思ったのに、あまり私が見る映画に出てこないから忘れていたがやっぱり可愛かった。
戦う女
自分の憧れで分身とも言える親友が壊れた、
それは自身の崩壊でもあったのかも。
女を性の対象としか見ない男への侮蔑と復讐、
最後は自分を取り戻すために命をかけて戦う。
心を入れ替えた者には許しを与え
そうでない者には容赦しない。
ポップな画面に隠された
揺るがない決意。
理解あるような父が娘の「失踪もありえる」といい、
うざかった母が、「娘は誰にも言わず失踪するはずが
ない」と断言する、その対比も興味深かった。
おとこなんて
男なんて所詮そんなもん
酔っ払ってやられるのなんて当たり前
そんな世界で生きてる
そう思う反面
大切な人が死んで
自分もすべて失って
なのに殺した人たちは
幸せに生きてたら
きっと許せない
女を使って復讐するの
かっこいい
レイプで亡くなった親友の復讐に燃える女性の物語
前知識なしで鑑賞。鑑賞者の性別は男。
大学のパーティーでレイプ事故があり被害者の女性は告訴したが、双方お酒を飲んでいたこと、その場にいた人からの証言もなく、また「お互い酔っていたならしょうがない」という雰囲気が当時はあり、結果的にレイプとして立証されず、被告が罪に問われることはなかった。被害者はその後、自殺をしてしまった。
この作品は、その被害者の幼少期からの親友かつ大学での同級生だった女性の、「泥酔した女性を本人の合意なく性欲のはけ口としようとする男性(持ち帰り男)」や「レイプを訴えても真剣に取り合ってくれない周囲の人々」への復讐と怒りの物語である。しかしそんな彼女の復讐物語も、「精神的にちょっとやばいところがある」と見放されてしまう。。
要所要所でポップな演出があり全体的なテーマの重さが一部中和されており「重すぎて見れない」ということはなく、また序破急な展開により、重い内容ながらも引き込ませる演出となっている。
テーマ的に、内容に共感する女性がメインの対象なのかもしれないが、男性でも引き込まれる作品となっている。
過剰な復讐劇、左巻きのマッチョ映画
映画としては面白くないわけではなかった。
ラストも含めて意外性が2点あった。
だが、なぜここまで評価が高いのかという疑問は最後まで消えなかった。
いや本当は評価が高い理由は紹介文を読んだけで察することができたが、それを言葉にする面倒くささは、SNSで過激な人間を相手に不毛なやり取りをするのと同じ位に感じたので放置していた。
映画でのやり過ぎな復讐劇を見ることはそんなに珍しくはないが、キャリーの描き方で解せないのは、親友を失わせた自分自身に対する後悔の念や責任の所在を少しも描かず、全ての責任を加害者とされる側に求めるその態度であり、そこになんの疑問を挟む余地のない、おそらく監督はガチなんだろう。
この時点でこの映画はエンタメとして楽しむんだと分かるが、問題なのはこれをリアルな社会問題をからめようとしミスリードさせる評論家である。
最終的に親友を守ることができなかった自分への復讐としてのラストであれば、もっと評価は違っただろうとも思う。
ただのエンタメ映画に思想的な下駄を無理くり履かせ過ぎる風潮は、むしろ白けさせる。
感情のジェットコースター★
なんでこれを映画館で見なかったのか、本当に悔やまれる。それくらいよくできた復讐劇。恐怖と嫌悪感、その後にくる安堵と幸福感、と思いきや、、、
これ以上書くとネタバレしそうなのでこのへんにしとこう。とにかくいい作品なのでぜひ多くの人に見てもらいたい。。。
最高のバッドエンドだ。
最高のバッドエンドだ。この映画は傑作だと思う。二度目の鑑賞。よく計算されたら脚本だし、やっばり、女性の監督じゃないと、こういう映画は作れない。
最初のデートで薬局に行くが、多分、スキンを買いに行ったのだと僕は解釈している。
僕は男性なので、誤解しているかもしれないが、女性からすれば、スキンを付けた行為は、単に快楽を求めた行為であり、そこに愛が無い場合もある。しかし、スキンが無ければ、生殖行為になり、加えて、そこに愛がないと、女性にとっては、性的被害者になる。勿論、平等な両性の同意(合意)があっての事だが。僕は薬局に行った場面を、そのように解釈した。(男性諸君は『それではスキンがあれば良いのか?』って誤解しないで貰いたい)
最後、ハイヒールを脱いで歩くが、女性にとって、現代に残る梗塞具をあらわしているのと思う。それを脱ぐと言う行為は、女性解放の象徴だと感じた。
余談だが、男性である僕も、ハイヒールの靴音が嫌い。うるさい。〔まぁ、男のネクタイなんかもいらない。〕
彼女は一回しか泣いていない。馬鹿な男を愛しかけて、しかも、信じてしまった、自分に嫌気がさして泣いたのでは無く、快楽に我を一瞬でも忘れ、同時に、恋人の怨念を、忘れかけた自分に嫌気がさして泣いたのだと思う。恋人が集団暴行を受けたのだかから、完膚なきまでの復習しかないと思う。彼女は彼女を愛したのだ。間違いない。彼女は一人も男なんか好きになっていない。ましてや、ここに出てくる馬鹿男など。
命の価値
キャシーかっこいい
女の友情は強い
保身に走る男はかっこ悪い
医者になる未来も、家庭を持つ幸せも、深く傷ついた人にはどうでもいいのか。
親は切ない。
不器用なキャシー。
キャシーの時間は大学をやめた時から止まってたも同然だから。
キャシーの復讐が、やりすぎでないものが多くあれで、相手は反省できたのか少し気になりました。
「怒り」を感じることができる秀作。
あらすじは割愛、最初の感想としては「素晴らしい」に尽きる。
何も考えずにタイトルだけで映画を主張した。つまらなかったらすぐにウィンドウを閉じてしまう私が、この時ばかりは画面にかじりつくように映画を観続けた。話の展開もわからない、前知識もない状態で本作を観れたのがよかったのだと思う。
本作のテーマだが、在り来たりといえば在り来たりなテーマなのかもしれない。かつての親友・ニーナが複数人にレイプされた話。詰まる所は復讐劇だ。
大事な友人を助けることのできなかった自分を憎み、許すことができず、まるで自分を罰するように日々を生きる主人公・キャシー。彼女は毎日の中で身を削るようにしてニーナの受けた悲しみを晴らしていく。それは泥酔したふりをして、男たちの「欲望」を露わにするというとても危険な行為だった。
私は、本作に書かれていないだけで、キャシーは「復讐」のさなかで逆上した男性に傷つけられたことがあると思う。みんながみんな、本作の中にいた男性たちのように、きみわるがって帰してくれるとは到底思えない。男はよくも悪くも「男」で、女もよくも悪くも「女」だ。それはもう、最後のシーンにおいても力でキャシーが勝てなかったように、女性が非力であることはもうどうしようもない事実であるのだと思う。
彼女が過去に傷つけられていたとしても(もちろん本作にその描写はないので勝手な私の想像しかないのだが)歩みを止めなかったことに、私は彼女の「怒り」を感じた。
彼女がしていた「復讐」は、泥酔した女を連れて帰りあわよくば性行為をしようと企む男たちへの痛快な批判でしかない。一度でも彼女が男性たちに暴力を振るったことはあったろうか。警察に通報したことはあったろうか。おそらく、アメリカの法律にあかるくはないので憶測でしかないのだが、強姦未遂で男たちを通報することは彼女もできたはずだ。それなのに彼女はそれをしなかった。ただ、痛烈に批判しただけだった。それだけの行為に、私は彼女の重たい「怒り」を感じたのだ。
この「怒り」は現在社会のおいても多くの女性たちが抱いている「怒り」と似通ったものを感じる。
強姦された女性たちが泣き寝入りすることも、精神的・物理的に暴力を振るわれた女性が何もいえずに耐え忍ぶことも、女性であるがゆえに当てはめられる多くの偏見も……。
声をあげていいはずの「怒り」を飲み込んで、何もいえずに生きる女性がどんなに多いことか。同性であったとしても、私ですら知らないことの方が多いと思う。
この作品の良いところはそんなキャシーの「怒り」をとても緻密に描いているところにある。
まずは、最初のシーンからラスト付近まで続く彼女の復讐劇。そして、コーヒーショップで働く彼女の言った「なんでもできるけれどこれをしている」という言葉(詳細は不明なためあくまでもニュアンスで許して欲しい)。ライアンに対する言葉、マディソンへの報復、学長への行動。知的で、それでいて人の道からは外れることができなかった彼女の人間らしさ。理解のない両親(と断言するのも違う気がするが、母親の態度はどうかと思ったし、父親も何か変だなと私は思った)のもとに居続けて友人も、恋人も作ろうしなかった自分への「怒り」が綺麗に残酷に描写されている。幸せになる道を、彼女はあえて選ばなかった。幸せになれる方法なんて、いくらでもあったのに、だ。
ライアンがいい人だったら、きっとハッピーエンドで終わって居たんだろう。キャシーの怒りをすくい上げることがもしもできたら…。と視聴してて、本当に心が痛んだ。
賛否両論あるだろうが、私はラストがとても好きだ。
死ぬことがなければ、という意見はあるだろうし、そこについては否定もしない。前述したように、この物語が幸せになる道はいくらでもあったのだから。
けれど、あえてその道を選ばずにキャシーは復讐を決行した。殺されることを、半ば予想して先回りし続けた彼女はなんとクレバーなことか。
プロミシング・ヤング・ウーマン。将来有望な女性。まさしくだ、と泣けてきてしまった。
罪の意識がない人間に、罪を認めさせることは不可能だ。
自分が間違ったことをしたと思わない人間を裁くことはできない。ニーナが自殺したときに、きっとキャシーはそれを悟ったのだ。
だからこそ、最後まで自分の罪を認めなかったアルたちに「自分を殺させた」のだろう。これで、どんなに彼らが弁明しようと、彼女を殺した事実は変わらない。「これで終わりではない」のだと、かつて罪を認めなかったものたちにキャシーは宣戦布告をしたのだ。
鮮やかで、痛切な彼女の復讐劇は「ニーナ&キャシー」、これにて終幕と至った。
自分を許すことができずにもがき苦しんだキャシーが、ニーナのネックレスをつけて復讐をしたことで、彼女はやっと許すことができたのかもしれない。ニーナを救えなかった時点でキャシーはもう、この結末をわかっていたのかもしれない。
なんにせよ、私は彼女「たち」の「怒り」を体験できて光栄だったと思う。
本作はぜひ、いろんな世代の人々の見てもらいたい作品だった。
不親切なストーリーはあえて?
簡単に言うとリベンジムービーなんだけど
どちらが…?
大きく言うと女性が被害者なのは間違いないが
男性の愚行は、映されていない。
と、いうより核心を突くシーンは
全て隠されている。
主人公のラストの死体さえも、あえてはっきり映していないところから
この映画のラインは、そこにあるのだと思う。
映画始まって1人目の男性の行く末
主人公と親友の関係性
男たちの愚行
それらは、映像的に存在するだけで映画に深度とドラマ性が増すはず。
あえて、不親切に映し出さないことで
はっきりと善悪を描かず、観客に罪悪感を植え付けているように思えた。
現代の映画的映画としては素晴らしいモノだった。
ラストとかはものすごくエンタメしてるんだけど
それも、まぁ 良い。
とってもいい映画
女性にとってアンフェアな社会の実情が、ある意味思った通りの展開で暴かれていきます。
主人公のキャシーの頭の良さにほれぼれします。
痛快なラストへ一直線かと思いきや、ある意味思った通りのどんでん返しがあります。
相手役の男(ライアン)を演じた、ボー・バーナムの名演技は必見です。
最後の最後にメッセージが現れます
;)
よく見る絵文字です。なのに、これを見た瞬間、キャシーの葛藤、苦悩が一気に流れ込んできて、号泣しました。
ニーナへの思い。ライアンへの思い。社会への思い。そして恨みから離れられなかった自分への思い。
監督のエメラルド・フェネルのセンスの良さにほれぼれします。
いやあ映画って本当に素晴らしいですね。
音楽が印象的
前情報とかなしに観たまず初めの印象は冒頭の音楽がなんか良いなということ。次はアメリカの30歳手前ってこんな感じ?ということ。一番印象に残ってるのは中盤のTOXIC。普段映画はそんなに音楽は気にせずに観ているけれど、すごく音楽がちょいちょい印象的だったなという映画。
内容はあまり意外性はなく、展開が読めるなと思いつつも、退屈せずに観られた。この鬱テーマを軽快に扱っている所が、これは特別で壮大なフィクションではなく日常で起こりうることなんだという訴えにも感じられる、逆に良かったと思う。
久しぶりだ
キャリーマリガン、
30歳にはちょっと・・・🤣
「shame」「華麗なるギャツビー」の時の
ショートカットより色っぽい♥️
そんな彼女が、
学生時代に起こった事件により、
謂わば男性不信になり、
(この言い方も男目線な感じで気が引ける)
友だちも彼氏も作らず、
夜な夜な男たちを成敗していく。
欲を言えば、
この夜な夜な成敗する男たちに、
社会的制裁を与えられたら、
とも思ったが、
あーオレ調子こいてたー😩
酒飲んでたからしょーがないよねー😅
くらいの反省では、
また同じ事しかねない。
コレが現実としては限界だろうか。
未遂だし。
「サイコ女」で片付けられてしまっているのが残念。
学生時代の事件の当事者、
モンローに辿り着いたのも、
ライアンが店に現れてキャシーに気付いたから、
であって、偶然の産物。
いつか果たしたい目標だったのかな。
キャシー最後の三文芝居も、
意外な結末😱
ライアンが助けに来ると思ってました。
でもそんな結末だと、
この作品の大命題たる、
性的搾取へのアンチテーゼ、
が完成しないよね。
裏切ってくれたプロットに拍手👏
モンローの逮捕容疑は、
ニーナの事件に因るから、
ライアンも避けられないなー😅
「これからよ」
あのメール、ゾクゾクキター❗️🤣
身を呈してまで、
友人の性被害を訴えたキャシーの執念、
見事な勧善懲悪‼️
私事①
「宮本から君へ」の後にこれ観た感覚は、
ジェットコースターな気分だが、
こーゆー作品が出来る土壌を讃えつつ、
宮本の決闘の高揚感も捨て難い🤣
私事②
病んだ医者って、
アルフレッドモリーナですよね❓
エンドロールに無かったですが、
人違い❓
ヒドい
あまりにもヒドかった。復讐劇をポップに演出していたけど、話の展開に救いが無さすぎた。
主人公の人生は友人が被害者になった時点で敗北となってしまったという印象を受けた。
八つ当たりで無関係な人の車を叩き割ったシーンで、自分に絶望している演出もあったりと、結局得るべきものは何もなく、悲惨な最後で人生を閉じるなど、何の救いももたらさない。
他の方のレビュー見ましたがこれのどこが痛快だったのか分かりません。
最後は、復讐を終えても、それでも心は晴れないながらも、家族や新たな友達に支えられ、前に進むキャシーを見たかった。
究極の友情なのか
ど頭から合意のない性行為を始めちゃう男どもを懲らしめる主人公。血の付いたシャツを見て、シリアルキラーの話かと思ったら、ただ懲らしめるだけだとわかって一安心。
医大生の同級生に公開レイプされて、その動画も回されて社会的死を感じて自殺してしまった超優秀な女友達の二の舞を減らす為に夜な夜なバーに繰り出していたことがわかる。
その行為は、被害者を減らす為でもあるけど自分の為でもあったのかな。
親友の家族も事件を忘れて前に進もうとしているけど、忘れたくないんだよね、大事な人だったんだもん。
最後は友人の無念を晴らすべく、死の覚悟をもってレイプ犯の人生に社会的制裁を下す主人公。
死んじゃう演技だと思ったら、本当に死んじゃって
、え?え?ってなったけど、心許せる彼氏がレイプを傍観してたことが判明して生きていることに希望を持ち始めた自分に絶望したんだろうな。
絶望感の中で生き続ける地獄や自殺することより、もしかしたら死よりも辛い絶望感をレイプ犯に与えて友人の仇打ちの武器として死ぬ方が彼女には納得感があったのかもしれない。
生まれ方は選べないけど、死に方は選んでもいいと思う。究極の友情物語。
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