万引き家族のレビュー・感想・評価
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家族って何なんでしょうね
家族について考えさせられる。
6人で海に行くシーンが本当に幸せそうな「家族」で切なくなる。でもこのままじゃダメだと思って行動したお兄ちゃんは立派。低所得者のリアルな生活を見た気がした。
『凶悪』の時も思ったけどリリー・フランキーさんの演技リアルすぎて、本当凄い。
パルムドールを獲るべくして獲った作品
たしかにこれはパルムドールを獲るべくして獲った作品でした。
練りに練られたシナリオと細部まで神経が行き届いた演出。
小さなあばら家の中で身を寄せ合う6人全員の演技には息を呑むばかりです。
ちゃぶ台があり、登場人物たちがそれを囲んでいるという構図は、何千回も目にしたはずの「ホームドラマ」なのですが、観ている2時間のあいだ、凡多のホームドラマとの類似性について一瞬も頭をよぎることがなかったことこそが、独創性の証明だったのだと、今思うのです。
セリフを使わず演じられる多くのシーンのメッセージが、欧州人という文化背景が異なる人たちにも間違われずに伝わったことは、驚くしかありません。
幸せとは何か。
それは結局のところ、自分が自分のことを幸せだと思っている状態を指すのだろうな、と感じたのでした。
映画が進むにつれて、人間関係の糸の絡みがほぐれてくるのですが、しかし、ほぐれることは無条件に良いことなのか?
果たしてそれで幸せになれるのか、と観客に鋭く問いかけています。
これでカンヌを獲れないわけがない仕上がりでした。
ps.ムービーウォーカーのあらすじ欄に「団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける」とありますが間違いです。
あらすじ担当者は、映画を観ずに書いたのかも知れませんが、正しくは、真冬に、団地のベランダに締め出されていたのです。5歳の女の子が。
昨日発覚した哀しい事件が、偶然とはいえ、まったく完全に同じシチュエーションであったことがオーバーラップするのでした。
つじつまが合わない話は嫌い
リアリティがなさすぎて全く楽しめませんでした。
ほんとに生活困窮な人を描くと感動は一切生まれない。無理やり家族愛を入れたせいでつまんねえエンタメになってます。
絆
血の繋がりがないけど家族と呼べるのか。
きっと本当の父親、母親、兄弟にはなれないかもしれないが
それとは別の形で愛や絆があったのではとは思いました。
でも、本当の家族って何だろうとも思いました。
血が繋がっていたら家族なんでしょうか。
私はあの集団は家族と呼んでも良いと思いました。
信代の泣くシーンは何とも言えない気持ちに。
家族とは何か、善悪とは何か
子どもを虐待する母親と、貧困故に万引きをさせながらもコミュニケーションを取り愛情を持って接する家族。
嘘で塗り固められた家族なのに、大切なことは決して嘘はつかず、自分の言葉で伝える大人たち。血はつながっていて関係に嘘はないけど、子供を傷つけ、嘘の言葉で誤魔化す大人たち。
家族ってなんだろう?
常識から外れているかもしれないけど、子どもたちは本当の親に育てられるより幸せを感じてた?それとも間違いに気づいた翔太は最後まで父ちゃんとは呼ばなかったから幸せではなかった?
きっとどちらかというような極端な答えはなく、翔太の心の中でぐちゃくちゃに混ざってる。
翔太はきっと、おじさんが正直に話してくれたから踏ん切りがついて、前に進んでいくのかなぁ。
万引き家族は、本当の家族だったのです
号泣しました
胸が張り裂けそうというのはこのことかと思いました
貧困問題だとか万引きだとか、年金の不正請求だとか、そんなことはこの家族のディテールに過ぎないことで、言わばフリルのようなものです
テーマはあくまでも家族とは何かです
鬼畜、家族ゲーム、台風クラブときて日本の家族はとうとうここまできてしまいました
本当の家族とは何か
父とは何か、母とは何か、おばあちゃんとは何か、兄妹とは何か
愛情と信頼の関係性とは何がもたらしてくれるのか
様々なテーマが提起されます
誰も知らない、そして父になるで提起されたことをさらに突き詰めたのが本作です
肉親間の愛情の崩壊もそれに関係しているのだと思います
この家族のモラルの崩壊が、その愛情の崩壊と比べて一体何ほどの事なのかと言っているのだと思います
万引き家族
肉親間の愛情が崩壊した本当の家族と比べて何ほどのことなのか
愛情が崩壊した家族の家の心の光景を可視化したならこのような姿なのだと思います
中盤になって、この家族の本当の関係性が薄々感づいてくるまで、何気なく見過ごしていた言葉や表情や素振りの意味、何気ないシーンの隠されていた本当の意味がようやくわかりかけてくると、それらは矢のように心に突き刺さってきました
もう終盤のころにはハリネズミのようになってしまいました
ゆりの元の服を燃やすシーンは、じゅりの火葬でした
虐待児は死んで、家族に愛される子供りんが生まれていました
ゆりがりんとなり家族の一員となったとき、信代は治に性交を迫ります
何故って、子供は夫婦に愛があって生まれて来るものだからです
だから何年もしてなかったのに、どうしてもしなければならなかったのです
愛の無いところに子供は生まれてきてはいけないのです
おばあちゃんは亜紀が戻れる環境になっているか定期的に確かめてくれていました
亜紀は聾唖の青年の4 番さんを抱きしめて自分も同じだと泣いていました
彼女の声は両親には聞こえないのです
だから彼女も自傷行為をしたことがあるのです
さやかの源氏名で性風俗店で働くことは両親への復讐であると同時に自傷行為だったのかも知れません
花火は音しか聞こえなくとも楽しい花火なのです
花火大会が行われていて家族で楽しむことには変わり無いのです
目に見えなくても良いのです
確かにあると感じとれているのですから
この家族に相応しい楽しみ方でした
おばあちゃんがこの家族のそれぞれを救いあげたのかも知れません
でも最初は家族に見捨てられて、長年独り暮らしだったのかも知れません
それが、また楽しい日々をもたらしてくれたと、新しい家族に恵まれましたと、声を出さずにありがとうございましたと五人の背中に言っていました
りんの歯が抜けた朝、おばあちゃんは亡くなります
歯が抜けるというのは死の暗喩であり、家族が
歯抜けになるということです
下の歯だから天に向けて放り投げるものです
じゅりのおばあちゃんも天国に行きました
りんのおばあちゃんも天国にいくのです
子供の成長と老人の退場、つまり時代が変わるという予告でもありました
家族はおばあちゃんが葬式代くらいはでる保険に入っていたことを知っています
でも、年金が止められないように死んだことは隠さねばなりません
だから床下に埋めます
でも死体遺棄ではなく、本当の意味の家族葬でした
おばあちゃんを本当に愛して悲しんでいる家族だけでお葬式を出してあげたかったのです
捨てた人は他にいるんじゃないですか
捨てられたおばあちゃんを拾って、愛している人間だけで立派な葬式出してあげたと言外に言っていました
本当の葬式をだしたら、愛しても悲しんでもくれない人がくるだけです
そんなことおばあちゃんは望んでいないと思ったのです
そんな人が喪主になるのです
海街diaryのすずの継母を思い出しました
じゅりはあの時死んだから、じゅりの家にいるのはりんです
りんは、もう悪くないのに謝らないし、叩かれるなら服もいらないと言えるのです
叩かれるのは可愛いいからでは無いことを、母ちゃんに教えてもらったからです
戻りたいといったのは、じゅりではなくりんです
じゅりの家ではなく、りんの家に戻りたかったのです
りんの母ちゃんに会いたかったのです
ニュースを知って一回帰るか?と父ちゃんにいわれた時、ゆりの足は椅子の足に帰りたくないと巻きついていました
それほど素晴らしい家族なのです
うちらじゃ駄目なんだよ
子供の幸せを願う母の言葉でした
セミの脱皮のシーンは祥太の成長の予感を表現していました
わざと捕まろうとしたと
つまり、自分でこの家族を終わらそうとしたと、ひとつの布団の中で父に打ち明けます
それでも絆は切れるものでは無いし、それを切ろうとした行動ではないのです
それを父にわかって欲しかったし、父もわかってくれています
降り積もった雪は、大事な家族の思い出が雪となって積もったようです
父と作る雪だるまは親子の絆の再確認でした
父ちゃんがおじさんに戻ったところで雪だるまは溶けずに残っているのです
子供は成長していつかでていくものです
それでもバラバラになって暮らしていくことになっても家族は家族なのです
息子を乗せたバスは父を追い越して走り去って行きます
息子は父の背を乗り越えていくものです
別れの悲しみにたえて祥太は涙を見せまいと父ちゃんを見ませんが、やっぱり小さくなっていく父を見ずにはいられませんでした
目に焼き付けようとしているのです
マンションの1 階のベランダで遊ぶのは、じゅりではなく、りんでした
ベランダの柵の隙間から覗く様子はまるで牢獄の中に閉じ込められた囚人です
りんは踏み台に乗って柵から身を乗り出します
まるでこれから囚人が脱走しようと柵から身を乗り出したようにみえます
そこで映画は終わります
頑張れ!りん
万引き家族は、本当の家族だったのです
数々の世界的な映画賞を総ナメにするのは当然のことです
映画史に残るような永遠の名作です
ホンモノの愛はウソの家族でも
今更ながら鑑賞。
そこそこ気になっていたし、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールも取っているということで中々期待度は高め。
これは、面白いというか素晴らしい。
JOKERもパラサイトもそしてこの作品も現代社会に訴えかけるような映画は、難解かつ心が苦しくなる。
血の繋がりがほとんど無い5人家族は、祖母の「年金」で繋がっていた。年金で買えないものは協力して万引きをする。汚れた心しか持っていないと思いきや、この家族はいつも笑って過ごしていた...。
リリーフランキーと安藤サクラの魅力を最大限に引き出した所がこの映画の最大の見どころ。
暴力的な2人かと思いきや、心は心底優しく、でも恐ろしい。この映画に"恐怖感"を産み出したのはこの2人だろう。
そして、松岡茉優。
完全に彼女に魅了されちゃったんですが、結構今までの見てきた松岡茉優出演の映画の中でもトップクラスで可愛かった。もちろん、見た目だけでなく演技も。
子供って意外と筋が通ってるんだな。
直感と表情で自分を操作していく。
こんな家族の中でも2人は格段に成長を遂げた。
エンディングの曲はすっごい良かった。
不思議と涙がこぼれ落ちた。
何故だろう、彼らはもっと幸せになれたはずなのに。
大きな欠点としては、過去の振り返り。
逆にここを描かなかったから、コンパクトになっているのかもしれないがコンパクトにし過ぎた。
最近観た映画で例を挙げさせていただきますが、「恋は雨上がりのように」の1番の良かったところといえば時系列。何故、こうなったんだろうと思いながら見ていると後半にさしかかろうとした時に、過去に振り返る。あえて過去と現代をバラバラにすることで、最後まで飽きずにスッキリした気持ちのまま終えることが出来た。
この万引き家族では、見ている人がどう捉えるのかは自由とあえて縛らない作風にしていると言ったらいい意味になるだろう。しかし、見ている人の捉え方の自由度が広すぎるのは完璧な映画とは言えないのでは?
経歴、経緯、出会い、別れ、描くべき所は描かなくっちゃね。
たとえ、血の繋がった家族だとしても嫌いな人は嫌い。たとえ、血の繋がってない家族だとしても好きな人は好き。だって、結婚するってそういうことでしょう。
血が繋がってれば母親?家族以外の子供を育てたら、育てた人は母親になれないの?
映画館で見た方が染みただろうな。
松岡茉優出演の映画制覇の旅は、まだまだ続く!
良い感じ
柳楽裕也の誰も知らないという映画を思い出した。
若干似てると思う。
誰も知らないも良いし、この映画もとても良かった。
私が小さい頃に隣の家に5人兄弟の家族がいて
いつも遊びに行っていたんだけど
そこの家族はカップラーメンをみんなで食卓で食べてゲームをするような家族でそこに私が家族同然のように朝から晩まで遊びに行っていたのでその頃の事を思い出した。家の中は、この映画の家族の家にそっくり。
自分の家と180度家庭環境の違う家に家族のように可愛がってもらいそこにいた不思議な感覚がこの映画と全く一緒だなぁと感じた。
その家族とお風呂にも入ったし海にも行った。
私の家は母が常に働き家におらず父は離婚していなかったので祖父母に可愛がってもらって育った。母からも可愛がってもらい家族には感謝してるけれど、小学生の頃は寂しかったから近所のその家族のところで過ごすことが大好きだった。もし、私にその家族がいなければ、母は厳しかったし、今頃カップラーメンもゲームも知らない浮世離れした子になっていたか、とってもグレていたはず。
この映画に出てくる大人は、人として欠落している部分もあるけど、普通の大人が持っていない部分も沢山ある。普通の大人が持ってない部分って何か?それはここには書かないというかうまく言えないから書けないけど、それを感じるのがこの映画の見どころだと思った。
お金も大事だけど、それだけじゃない。
生きていく上でお金はものすごく大事だけれど、それが全てではない。でも、やっぱり大事。。
色々な社会問題とその犠牲者についても考えさせられた。
でも、どんな理由があっても、やっぱり犯罪はいけない。治と信代にはもうちょっと器用に生きられないかと、そしたらもっと良い未来があっただろうに、と少しもどかしく感じました。
日本の映画って何で、、
日本の映画ってなんで、わざわざ、エロシーンが長々と入っているのだろう。
お母さんと万引き家族見たいねって前から話してたけど、一人でレンタルして見てみたら、あー、親と見なくてよかったって思った。
家族で見れない映画とかは、印とかなんかつけておいてほしい笑
内容自体は、
悪くないと思うけど。
一人で見るならまあ、よかったかな?
感想が、違う方向にいってしまった。
血がつながっているだけが家族とは言えない
この家族、誰ひとり血がつながっていない。
それでも、思いやりながら生きて暮らしている。
私は、血がつながっている母親と全く合わない。
子供の頃、そんな母親に殺されそうになったことがある。
そういうこともあってからか母親から愛情を感じたことがない。
血が繋がってるんだから、母親と仲良くしなよなんて言われると心底思う。
自分なりに努力してきても何十年とうまくいかないのにどう仲良くしろと言うのかと。
血がつながっていないからこそ思いやりながら、ある意味、気を使いながら暮らしていけるのかな。
この新型コロナ感染で、収入がなくなり、どう生きていけばわからない人達が集まって暮らし、この映画のような生活があってもおかしくないと思いながら観た。
血が繋がっていても母親と呼びたくない人もいる。
信代が警察から「あなたのことを(子供達は)何て呼んでいましたか?」と言われているシーンが一番印象的だった。
母親と呼べるに相応しい人だけが子供を産めたらいいのにね。
確かに世界に通用する映画だわ
基本的に邦画はあまり観ない人なんだけれど、これは良い映画だった。
ストーリー的にも良く練られているし、メッセージ性もある。俳優陣もリリー・フランキーと安藤サクラ、実に素晴らしい。樹木希林に至っては日本の至宝であった事に間違いはない。
エンディング間近の子役二人の微かな台詞…見逃さなくて良かった。かなりの涙腺刺激ポイントだ。
本物の家族よりも本物の家族。
家族って一緒に暮らしたから家族になるわけじゃなくて心を通じ合わせたかどうかが大切で、万引き家族には愛を感じた。
たぶんこの映画に批判的なレビューを書いてる人は普通に幸せな家族で育った人たちなんだろうなって気がする。
自分は家族に愛情を感じたことがあまりなくて、親は仲が悪く、家族のコミュニケーションもあまりない家庭で育ったので、映画の中の貧しいけど笑顔の絶えない仲の良い血の繋がってない家族。を見て幸せな気持ちになった。
さすがに貧困でありたいとは思わないし、万引きOKでは無いけど、あの家族の空気感がとても心地よかった。
そしてみんな演技が自然で普通にリアルなドキュメンタリーを見てる気分になった。
役者って凄えなぁ
家族ができたら心が通った仲のいい家庭を持ちたいなと思ったし、愛情をたくさん与えられる人になりたいと思った。
久々にいい映画を見たなぁって
満足した。
パルムドールおめでとう
是枝フリークの私は狙って撮ったなと感じる野心作でした。
初めて是枝映画を観る人にもわかりやすい構成になっていますし、キャスティングも完璧です。安藤サクラと松岡茉優という初起用ながら間違いない名女優二人を。リリーフランキーと樹木希林はもはや是枝作品に欠かせないメンバー。
さまざまな家族の形を描いてきた是枝裕和が勝負をかけた集大成ではないでしょうか?数々の是枝作品に出てきた樹木希林に関しては「これが最後かも」と予見していたのではないでしょうか?
安藤サクラが警察での取り調べの長回しのシーンは心震えました。新自由主義の格差社会をベースに人間の孤独と絆を描いています。
ケンローチ、ポンジュノ、是枝裕和新自由主義下の闇を描くこの三人の監督からは目が離せない。
見終わった後
見終わった後
さびしさと温もりが一緒に
余韻として残る映画でした。
さびしさは、
社会や元の家族の中で
疎外されたり虐げられたりした
登場人物の抱える境遇を
目の当たりにしたからでしょうか。
温もりは、
それでも誰かと繋がって生きていこうとした
登場人物たちが
肩を寄せ合った温もりを
感じ取ったからでしょうか。
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