君の名前で僕を呼んでのレビュー・感想・評価
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10代の、ほんの一瞬しかない美しさ
ティモシー・シャラメの10代のほんの一瞬しかない美しさが詰まっている。それは数年経って演技が上達しても超えることはできないものだと思う。それを映像に切りとったという点は評価できる。
それ以外のところは正直退屈。
障害がなくてはならないとは言わないが、両親に理解がありすぎる。最後の数日の2人の旅行はロマンチックというより理解に苦しむ。
タイトルの君の名前で僕を呼んで。考えてみれば意味がわからない。
ひと夏のファンタジー
イタリアの夏の空気感、華やかな音楽、
限られた時間と世界のなかだけで許される
美しい青年たちの美しい恋。
エリオの透明感、憂いある美貌はファンタジー級。
何より両親の聡明さと包容力が素晴らしい。
父親の優しく深い言葉が静かに響く。
もう一人の主人公はこのお父さん。
美しい作品だけれど、
なぜか既視感があり、期待ほど没頭できず
また時間をおいて見ようかな。
ラストシーンが!
美しい景色と美しい音楽
美しい男
前半は物語の盛り上がりもなく進んでいくので
いつもなら退屈に感じるはずの私が
この美しさに引き込まれてしまいました。
エリオは17歳らしく感受性豊かで
女の子にも、あわよくば。と思う普通の男の子
そこに現れた完璧な年上男性オリバーからだんだんと目が離せなくなって特別な感情を抱くように、、、
オリバーって常に少し遠目、上半身アップくらいで映されていたのが、エリオと一晩過ごした後急にアップがくるんだよね。
そこに2人の心の距離とかも現れていたのかな。
記述すべきは親の理解ね。
17歳の息子が同性の年上に惹かれてるのに
静かに応援。
性別なんて全く問題ではなく
素晴らしい人間性、そして愛し合うことの尊さを語る。
これが40年も前が舞台だなんて。
そして1番惹かれたのは
ラストシーンの暖炉の前の長回し。
エリオの完璧な演技。
そして暖炉の火のパチパチいう音でフェードアウト。
エモい!エモすぎる!
同性愛とかで分けられたくはない
純粋なラブストーリー。
OP映像で確信した。
傑作だって。
心踊るようなピアノ曲と、古代の彫刻の写真のOP映像。その時点でもう、傑作だと確信。
すでに文才あるお姉様方が充分な賛辞を送っていると思うので、下手な文句を付け加えるような野暮な真似はいたしませんが、そうですね、、しかし、美しい映画ですね。イタリアの片田舎の悠久の時を感じさせるというか、つまり(テンポの早いアメリカ映画に慣れきってしまったのか)やや冗長に感じる側面もありますけども、全体にとにかく美しい。羨ましい。私も庭で朝ごはん食べたい(そこか(笑))。
主演二人も上手い。気持ちが通じ合うシーン(銅像広場のとこね)の、像を迂回してまた合流するあの演出のニクさよ。気に入りすぎてこの映画は母にも見せたのですが、あのシーンについて「映画史に残る」とのお褒めの言葉を頂戴いたしました(笑)
ラスト近く、父親の長台詞もいいし。終わり方もいいですね。急に画面を暗転させないで、ああやって映像を続けたままクレジット出す演出、好きです。それ以前に、駅で二人が一言も言葉を交わさないのもいいですね。
エリオにとって、忘れられない青春でしょう、これは。
エリオ、オリヴァー。しばらく忘れられなさそう。時代背景として諸々、制約はもちろんあるんだけど、とても幸せなBL映画です。こういうのがランキングに並ぶ時代になった。よきかなよきかな。
(結局、いっぱい付け加えたな(笑))
隣に寄り添ってくれる傑作
同性愛を扱っているということで、どこか観るのを避けていたが、定額サービスで初めて鑑賞。同性愛を扱っているが、感情を大事にすることの大切さを教えてくれる傑作。
主演の2人が魅力的でありその演技に引き込まれ、同性愛者でなくても登場人物に感情移入してしまった。また、攻撃的な人や嫌な人物が1人も出てこないことで、音楽とともに心が包み込まれるような感覚にさせてくれる。
どこか心が荒んでしまったときに癒しとなってくれる映画です。生きるのに疲れてしまったとき、どこか寂しい気持ちになってしまったときにおすすめです。
父は優しく導く
父親は言う。悲しみから早く脱する為に感情に蓋をするなと。そして肯定して寄り添う。彼と同じくらいお前は善良で賢いと。身体も心も一度しか手に入らない。
先に生きた人間の、優しい配慮と、後悔すら受け入れる繊細さがそこにあった。こんな人になりたいと心から思った。
痛みを葬るな。感じた喜びを忘れずに。
恋路に向き合う三人
ジョン・アダムズのHallelujah Junctionが好きで、動画配信サイトでよく彼の曲を聞いていたのですが、その関連動画として、「君の名前で僕を呼んで」の予告を拝見しました。3年前の夏のことでした。ラヴェルのUne barque sur l'océanに乗せて流れる予告動画を見たときから、ずっと拝見したかった映画でした。そして、今年9月になって初めて、観る機会を得ました。鑑賞して以来、いままで折に触れてこの映画のことを思い返すようになりました。しかし、何故こうもこの映画を思い返すのか、何がそれほど気になるのかが、自分でも分かりません。
【「大人」と「子ども」の恋】
博学多才で、誰とでもすぐに仲良くなってしまう気さくな青年オリヴァーと、同じく才能にあふれているが、どちらかといえば内向的で気難しい少年エリオの恋。自転車に乗ってエリオがオリヴァーを街へ案内するシーン、バレーに興じるシーン、これらでさりげなくエリオに触れるオリヴァーは、最初からエリオに惹かれていました。しかし、エリオはと言えば、オリヴァーがエリオに対して「いろいろと難しすぎる」と零したように、その内面はどうにもよく見えてきません (オリヴァーがさっきの演奏をしてくれと何度頼んでも、素直に応じない件もそうです)。音楽の才能があり、オリヴァーの気品と知性に溢れた人格に魅力を覚えたのも間違いではないでしょう (エリオがイタリア人夫婦の矢継早なおしゃべりに堪えられなかったのは、見せかけの知性に対するアレルギーのようなものだったのかもしれません)。おそらく、表面からでは伝わりづらいエリオの情景を、M.A.Y. IN THE BACKYARD、futile devices、Une barque sur l'océanなど、様々な曲が表現(説明)していたのだと思います。楽しい、悲しい、嬉しい、憎々しい、といったただ一つの単純な感情ではなく、本人ですら翻弄されるような移り気で複雑な感情は、音楽によってしか表現しようがなかったのかもしれません。
しかし、流れるように虚ろ気な気分に委せたままのせいか、エリオが「いつも不安気」に話をしているようにオリヴァーには見えていました。オリヴァーとエリオの大きな違いは、相手にどのように向き合うべきかを、オリヴァーはその都度見定めていた点です。オリヴァーは、キアラという少女に表面的にでもきちんと応じる紳士であり、エリオの告白に対して嬉しくもありつつ、自分の感情・都合だけに流されず、世間一般の常識を省みて、「話してはいけない」、「恥ずべきことは何もしていない」と言ってエリオを制する善良な青年でした。初めてエリオとキスを交わしたオリヴァーは、エリオと距離を置きます。それは単に、常識を省みた上で節度ある態度を取るべきだと判断したからではなく、マルシアと結ばれる方がエリオにとって幸せなはずだと慮ったからにほかなりませんでした (鼻血を出したエリオの許へマルシアを向かわせたオリヴァーの行為は、そういうことだと思います。あるいは、オリヴァー本人にも、何とも言い難い戸惑いがあったのやも知れません)。
エリオには、オリヴァーの行為が「裏切り」に見えていました。そんなエリオに対するオリヴァーの言葉は、「大人になれ。夜に会おう」です。エリオは、約束の夜の前に、マルシアとデートをして、しかもセックスまでしてしまいます。こうして見れば、エリオはやはり「子ども」です。相手の行為の意味を冷静になって察するということは「大人」であろうと、難しいものでしょう。しかし、オリヴァーのことは気にはなるが好きなのかどうかも漠然としたまま、不安な気分に駆り立てられ、自分にとってマルシアとは何なのかも分からないままに、セックスにまで及んでしまう。エリオは、経験が浅く思慮が足りないガキである、と言っていいかもしれません。
オリヴァーとのセックスの後、オリヴァーはエリオの素っ気ない態度に不安を覚え、「昨夜のことで僕を恨む?」と聞きます。街に出たあと、オリヴァーは「悔やんでほしくない、君を苦しませたかと思うと辛い、どちらも犠牲になるべきじゃない」と言いますが、エリオは「昨日のことを誰かに言うつもりはない」と言います。オリヴァーが手紙で「大人になれ」と書いたのは、世間体も気にしろ、ということではなく、世間の常識もそうだが、一番大切なことは相手のことを気遣う思慮だ、という意味だったのだと私は解釈しています。24歳と17歳の恋は、その年の差のとおり、「大人」と「子ども」の間の恋です。
【研究者の孤独、父親の存在】
ではなぜ、気難しい上に「子ども」であるエリオにオリヴァーはそこまで惚れてしまったのでしょう。オリヴァーは初めからエリオに惹かれていたようですが、バレーボールのときから距離を取るべきと決めていました。それにも拘らず恋に落ちたのは、おそらく哲学者ハイデガーに関する論文の内容をエリオに聞いてもらった時だと思います。「根底的な隠蔽は人間を構成する。それは自己のみならず他の存在者との関係でも同じである。彼ら(古代ギリシア人)は存在者の人間との関係のみで隠蔽を解釈しているのではない」。隠蔽(「覆蔵(Verbergung)」のこと?)という仕方で、人間は真理に関わっているということがオリヴァーの主張だったのでしょうか (あるいは「僕には秘密がある」という遠回しな告解だったのでしょうか)。一読しただけでは読者のエリオも、書いたオリヴァー自身ですらも分かりませんでした。しかし、エリオは「書いてたときは違った?」と聞きました。オリヴァーは将来有望の研究者ですが、研究とは世間からは理解されない世界をたった一人で歩むことですから、その営みはずっと孤独なものです。エリオの何気ない一言は、エリオ本人にはそんなつもりでなくても、オリヴァーには自身の孤独を理解してくれたかのように響いたのかもしれません。何気なくボディタッチまでしてしまうほどに惹かれてしまった相手は、自分のことを理解してくれるかもしれない。これは、恋に落ちてしまう理由にはならないでしょうか。
エリオの両親は、そんなオリヴァーとエリオの様子をよく見ていました。大雨の日、エリオの母はドイツ語で『エプタメロン』を朗読し、ある王女に仕える騎士が自身の恋心を王女に「話すべきか、死すべきか」で葛藤するところを語って聞かせます。「話すべきか、死すべきか」とはつまり、自分自身にごまかしを許さない、という厳しい姿勢です。恋路とは単に甘いだけでなく、苦しく厳しいものであるのだと、この映画の中で初めて仄めかされます。エリオの父(パールマン教授)は「私たちはいつだって話を聞く」と言い、常に深い愛情を以ってエリオに接します。ですがその愛は、実は大抵の親以上に厳しいものです。
オリヴァーと駅で別れたエリオは、父の許で彼の話を静かに聞きます。この映画のもっとも静謐なシーンです。
「大抵の親は息子に早く立ち直ってもらいたいと願う。でも、私は違う。人は早く立ち直ろうとして自分の心を削り取り、30歳までに枯渇させてしまう。新しい出会いの度、与えるものが減っていく。だが何も感じないこと、自分の思いを無視することはあまりに惜しい。・・・・・お前の人生はお前だけのものだ。だが忘れるな。この心と身体を手に入れることができるのは一度だけだ。やがて心が擦り減る、気づかぬうちに。肉体については見向きもされない時が来る。そして近づく者すらいない。今お前は、悲しく、辛いだろう。だが押し殺すな。せっかくの喜びも死んでしまう」
パールマン教授は軽薄な気安めも慰めもエリオには与えません。彼はエリオに、自分が今抱えている苦しみから目を背けず、ちゃんと向き合いなさい、と言うのです。(それは、エリオにできる唯一のことだからでしょうか。それは、エリオだけでなく、私たちにも言えることでしょうか?) パールマン教授は、苦しいのだったら早く忘れて普通でいるのが一番いい、とは決して言いません。気安めや慰めで苦しみをごまかしてはいけない、そんなことをすれば喜びも絶え、心がすり減っていく。自身もエリオと「同じ」であったと告白したパールマン教授の言葉は、とても意味深長なものです。
プールサイドの光の乱反射、ガルダ湖の清らかな波打ち際、庭園の瑞々しい緑の場景、家の中を吹き抜けていく風.....イタリアの乾燥した空気の中に現れる強烈な光と影のヴィジョンのなかで、オリヴァーやエリオの肉体は、ギリシア・ローマの彫像のように美しく映えました。エリオにたかるハエや、汁気の多い桃に代表されるような豊穣な生命力にあふれたシーンもまた印象的です。しかし、それらもいずれ衰えていきます。肉体も季節も、心ですら、「気づかぬうちに」擦り減っていくのです。パールマン教授がエリオに示したことは、死すべきものの運命そのものです。それは、ただ単に、すべての事柄には終わりがある、というだけではないでしょう。「心と身体を手に入れるのは一度だけ」、「押し殺せば喜びも消える」、しかしどうしようとも心は「擦り減る」。死すべきものの運命には、悲哀が溢れています。(ですが、パールマン教授自身は、そんな死すべきものの悲哀があろうと、明るく朗らかで、深い愛情に満ちています。それが何故かは、これから自分なりに分かっていけたらいいなと、私は個人的には思っています。)
オリヴァーとエリオの電話でのやり取りの中、オリヴァーの印象的な言葉があります。お互いを自分の名前で呼び合い、そしてオリヴァーは「何一つ忘れない」と言います。忘れることで人は自分自身であり続けることができるものでしょう (変化することで同一であり続けるというヘラクレイトスの断片に関するオリヴァーの考察にあったように)。しかし、「何一つ忘れない」とは、死すべきものの運命に抗するかのような、「不死」の宣誓です。あるいはむしろ、この「不死(変化に揺るがされない自由?)」があるから、死んでいく時間や自分の心や肉体を受け入れていくことができる、という意味も、この映画の中には含まれているかもしれません (おそらく、考えすぎでしょうが)。何にせよ、オリヴァーもまた、パールマン教授の愛情を正しく受け取っていたのだと思います。
【エリオの涙、マルシアの存在】
ここまで映画の内容を自分なりにまとめて来て、どうしてこれほどこの映画のことが気にかかるのかが何となく見えてきました。ひとつは、エリオが最後に流した涙の意味です。エリオは何のため(何ゆえ)に泣いたのでしょう。オリヴァーの結婚と自身の失恋への涙? オリヴァーの誠実さに対して自分の過去の軽薄さが分かったから? あるいは、自身もまた何一つ忘れまい取りこぼすまいと、じっと堪えているから? 多分、複雑で難しい問題だと思います。
もうひとつは、マルシアという少女の存在です。結局この映画にとって、マルシアとはどういう存在だったのでしょう。「本を読む人って、謎めいてる。本当の自分を隠してる」と言うように、エリオの複雑さをマルシアもオリヴァー同様見抜いていました。「あなたは私を少し傷つける、それは嫌」、「私、エリオの彼女?」。エリオはそんなマルシアに対して、言葉で何かを明確にはしませんでした。
彼女との間での苦しみは、エリオにとって何の意味があり、傷ついたマルシアの苦しみは何のためにあったのでしょうか。オリヴァーとエリオとの間で、恋の苦しみがあったように、マルシアにも苦しみはありました。「私、怒ってない。エリオ、大好き。ずっと友達よね? 死ぬまで」。この言葉がどのような過程を経て紡ぎだされたのか、推し量るに余りあります。マルシアにとって、エリオとはどんな存在だったのでしょうか。そして、この映画(エリオの物語)全体の中で、マルシアとはどんな意味のある存在だったのでしょうか。
分からないことは諸々あります。ですが、モヤッとしたものを残せる分だけ、この映画は良い映画だったのだと思います。折に触れて、私はこの映画を思い返すことでしょう。
とにかく美しいBL映画
主演二人の並びが眼福至極。ロケ地もストーリーも映像も音楽もイイ。
BBAには刺激が強い場面もちょいちょいあったりするのだが、全くイヤらしく見えないw。彼らに限っては全然OKw。美しいギリシア彫刻二体だからかなw。
主演のシャラメ君の演技力が素晴らしく高い。特にエンディングのシャラメ君の泣き顔。とてつもなくこちらも切なくなって困った。
私のBL映画ランキングでは2020年現在、「アナザーカントリー」と同率一位の作品。
美しき儚い恋愛話
主人公の少年が夏休みに出会った年上の男性とひと夏の経験、恋に落ちる話。17歳と25歳の歳の差に、違和感がずーっと拭えなくて、あまりストーリーに入っていけなかった。。。え、相手は17歳なのにこれ良いの??というシーンや、酒もタバコもバンバンやってて、スペインではOKなんですね。
事前期待が高すぎたので評価低し。
感動した
御両親の息子達を否定しない考え方にとても感動した。どんな初恋も祝福されるべきだという考え方が素敵だなと思った。もしも自分に息子ができたとして、その息子が男の人を好きだと知った時、果たして自分はその事を受け入れることができるだろうか…この物語の両親のような考え方ができるだろうか…
Call Me By Your Name
エリオ オリヴァー エリオ オリヴァー
83年の夏の別れ。
父との会話、共感。
83年の冬。
オリヴァーからの電話、婚約したと。
暖炉の火を見つめ涙、涙。
母から呼ばれ振り向くも、涙、涙。
【ラブストーリーは男女じゃなくてもいい】
同性愛を描く映画は何本か観たことがあって、どこかで「これは同性愛の映画なんだ」という先入観をもって鑑賞していたけれど、この作品は一切それを感じなかった。人を好きになることって舞い上がるほど楽しくて嬉しくて、そしてとても苦しいこと。夏の北イタリアの風景と、主演の2人の演技が素晴らしく、この作品の繊細さをよりいっそう感じさせる。初恋の切なさ、儚さを思い出させてくれる、夏になると観たくなる瑞々しくてお気に入りの一作。
切ない
前半では、2人が惹かれ合う過程がいまひとつ伝わってこなかったのですが、気持ちを確かめ合ってからの後半、ぐんぐん引き込まれました。
横柄だったオリヴァーが見せる切ない表情。2人きりで旅行へ行くときの、誰の目も気にしなくていい開放感と好きな人と2人きりでいられる喜び。男同士といっても男女の恋愛と何も変わりません。
1980年代というと、それほど昔には思えませんが、まだまだ偏見が多くて、同性愛をオープンにすることはタブーだったのですね。それだけに、惹かれ合う相手と出会えたのは奇跡に近く、異性愛より何倍も貴重なことに思えます。そんな中、世間体や社会の圧力に抗えず、結婚を決めたオリヴァー。ラストのつらい現実をじっと受け止めようとしているエリオの表情に胸が締め付けられ、目が離せませんでした。
性別は関係ないかな…
音楽、風景、ストーリー、キャスティング、
全てが美しいハーモーニーを奏で、
まるで絵画を観ているよな気さえしました。
昨今、ヨーロッパ映画で描かれる
内容の作品ですが、観る度に
この世に男と女しかいないのではなく、
恋愛って、人と人の思いが繋がる事では
ないかなと思います。
性別には関係ない、大切な
感情ではないかと思います。
人を思う気持ちは、皆同じだと
教えてもらいます。
最後のお父さんの言葉には、
涙が溢れました。
きっとお父さんは、息子の心を感じとり、
彼と出会わせてくれたのかもしれません。
私の子供達が、大きくなって
同性の恋人ができたならば、
快く迎えたいと思いました。
そんな風に思わせてくれて、
心を豊かにしてもらえる
素晴らしい作品だと思います。
父の言葉に感動
レンタルして視聴
エリオが編曲してることもあって音楽に自然と注目しながら鑑賞していた。まだ音楽もさることながら映像の醸し出す映画の雰囲気もすごく良かった。
ラストの方の父がエリオに言葉をかけるシーンがとても印象に残っている。また、エンドロールが流れるところのエリオが火を見ながら泣いているシーンも演技がすごい。
唯一無二の作品
タイトルでもある、自分の名前で相手を呼ぶことで2人がひとつになれるという愛し方の美しさが、映像と音楽と役者さんといった映画全ての美しさに引き立てられているように感じました。
愛する人が同性でないとできない愛し方なんじゃないかなぁ。
2人の微細な心の動きと駆け引きが夢の恋愛物語じゃなくてとてもリアルなのに、綺麗で汚さなんてなくて、でもやっぱりリアルだからすごく感情移入してしまいました。
最後のエリオのお父さんのセリフで自分もそうだなぁと感じ、少しでもエリオの恋のように、心から愛する人と一生を共にしたいなと思いつつ、現実ではやっぱりいつの間にか自分を抑えてエリオのお父さんや、ラストのオリヴァーのように大人になってしまうんだろうなぁっていう予感がして、間違ってはいないことだと思うし、むしろ自然なことなんだけど切ない気持ちになりました。
今は起承転結ということを知ってそうでもないが、小さい頃は映画は必ず怖いところがあるからあまり好きじゃなかったけれど、この映画は全く嫌な気持ちになるところがないし、全てが美しく見えるのでなんとなく他にない、素敵で不思議な映画でした。
純愛もの
2020年2月11日
#君の名前で僕を呼んで 鑑賞
Call Me By Your Name
1980年代、大学教授の父と美しい母をもつ知的な男子高校生が、夏のバカンスに訪れた北イタリアで陽気なアメリカ人の大学生の青年と恋に落ちる、いわゆるボーイズラブもの。
女性が好きな映画なんだろうなと思いました。
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