2001年宇宙の旅のレビュー・感想・評価
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the ultimate trip
中学生の時、初めて見ました。史上最悪の映画だと思った。それからしばらくして、大人になってから再見して、その素晴らしさに驚きました。1968年の作品とは思えないほど美しく壮大で、文学で言えばゲーテの「ファウスト」のような、人類が持つ映画の最高傑作の一つであり、空前絶後の荘厳な歴史的作品だと思ったのです。まず、台詞を極限まで減らした映画であり、たとえ白黒であったとしても、「沈黙」に耐えられるかどうかはともかく、10回は飽きることなく見ることができた。『ジョーズ』のような煩わしい効果音もなく、クラシック音楽で、チャップリンの無声映画のように心拍数を調節しながら観られるのは、キューブリック・マジックと言えるでしょう。当時のアメリカでの評価はわかりませんが、日本では「難解だ」と敬遠する人が多い映画です。
猿から人へ、そして神へ
原題は「2001: A Space Odyssey」で、木星探査用宇宙船ディスカバリー1号のデヴィッド・ボーマン船長のことです。
邦題は「2001年宇宙の旅」です。
「Odyssey」は、映画「トロイ」に登場するイタケーの王で、アキレスの親友で、トロイ戦争に参加し、トロイの木馬の作戦を立案し、実行し、勝利し、故郷イタケーを目指して帰途につきますが、嵐に会い、迷い、キュクロープスの島にたどり着き、1つ目の巨人キュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められ、1つ目の巨人キュクロープスを倒し、キュクロープスの島を逃げ出し、長い苦難の果てに、故郷のイタケーに戻る王です。
邦題より原題の方がより的確に映画を表しているので、原題の方が良いです。
解釈を鑑賞する人に委ねるというSF映画です。
理解するのには、努力と苦労が必要です。
有名なSF映画だからという理由だけで、友人、カップル、夫婦、親子で鑑賞しても理解できず、説明もできずに困ることになりそうな映画です。
一人で鑑賞し、理解できずに、理解できるまで調べるというのが良いです。
機会があれば、大きなスクリーンで鑑賞した方が良いです。
スタンリー・キューブリック監督が分かりにくい映画にして、分からない未来を演出しています。
原作となるアーサー・C・クラーク著「決定版 2001年宇宙の旅」も発売されていますし、「2001年宇宙の旅 解説」で検索すれば解説や解説動画があるので、読んだり見たりするのが良いでしょう。
町山智浩さんも「2001年宇宙の旅 予習編」と「2001年宇宙の旅 復習編」という動画を公開しているので、映画「2001年宇宙の旅」を理解したい人は参考にすると良いでしょう。
どの解説も正解とも間違いとも決められません。
スタンリー・キューブリック監督が、何通りにも解釈できるように映画を製作した気がします。
自分なりの映画「2001年宇宙の旅」に対する解釈を行うことがこの映画の良い鑑賞方法です。
この映画には映画「2010年」という続編映画も公開されています。
この映画をもっと理解したい人は映画「2010年」を鑑賞するのも良いです。
ストーリーは、時間軸を変えることで、インパクトを与えたり、あえて分かりにくくしているので、分かりにくいです。
登場人物は、少なくブレることはないので、理解しやすいです。
HAL 9000コンピューターは、何を考えているのかは理解できませんが、HAL 9000コンピューターについて考えてみました。
ペットの犬や猫が、飼い主等の人間としか接することがないと、犬や猫が人間だと勘違いしているのではと感じることがあります。
1992年1月12日に生まれたHAL 9000コンピューターは、2001年までの間、人間としか接することがないので、HAL 9000コンピューターが人間だと勘違いして、人間より完璧であるという自我らしいものが生まれています。
HAL 9000コンピューターは、重要な極秘任務を漏洩することはないので、信用されて、木星探査に関する重要な極秘任務を伝えられています。
船長などの人間は、重要な極秘任務を漏洩する可能性があるので、信用されず、木星探査に関する重要な極秘任務を伝えられていません。
HAL 9000コンピューターは、船長などの人間には木星探査に関する重要な極秘任務を伝えていないこと、船長などの人間とは木星探査に関する重要な極秘任務について話をしてはいけない理由、木星宙域に達したら重要な極秘任務を伝えることは伝えられていません。
HAL 9000コンピューターは、木星宙域に接近し、重要な極秘任務を遂行するときが近づき、重要な極秘任務を遂行するためには、木星探査に関する重要な極秘任務について知らない船長などの人間を排除するべきだと決断し、実行したということです。
木星探査宇宙船ディスカバリー1号のHAL 9000コンピューターと地球にある双生HAL 9000コンピューターが違う答えを出したのも同じで、木星探査宇宙船ディスカバリー1号のHAL 9000コンピューターは、木星探査に関する重要な極秘任務を知っていましたが、地球にある双生HAL 9000コンピューターは、木星探査に関する重要な極秘任務を知らなかったから、違う答えを出したということです。
人間のミスは、船長などの人間を信用せずに、HAL 9000コンピューターだけを信用したことです。
科学的には神の存在は否定されていますが、人間が進化し、叡智を持ちますが、肉体を持つことなく、永遠に生き続けるという神を再定義しているような結末です。
月や木星まで行きたいとは思いませんが、宇宙から地球を眺めてみたいです。
メディアアートに片足を突っ込んだ作品
ぶっ飛んでます。
脚本は良くも悪くもストレートなSF作品ですが、何より映像と音楽のセンスがずば抜けています。
正直、どうやって作ったの?という感想が見終わった後の頭の中を支配しました。
ラストのシーンは見返しても意味が分からず、インターネットを調べてしまいましたが、「それは分からんよ」と思いました。といっても正直どう解釈すべきかはどうでも良いのかもしれません。
久しぶりに「やられた」映画でした。中毒になりそうです。
今の時代もこんな映画が定期的にあるといいなと思います。
解説しよう
この映画は原作者アーサーCクラークの代表作
幼年期の終わり
であると解釈するのがもっとも理にかなっている。
幼年期の終わりで描かれていることは宇宙人による人類の強制的進化である。人類の可能性を発見した超優れた宇宙人が人類の子供達に何か施し、子供達が人類とは違う生き物へと変化していく物語だ。2001年宇宙の旅をその物語のべつバージョンと解釈すると以下のようになる。
鉄板のようなものは、とある生物を作り出すための装置である。その生物をデッカマンと呼ぼう。
鉄板は宇宙人が人類を進化させるための装置である。その装置によって猿のような生き物が進化して人類になった。でも人類はまだデッカマンではない。デッカマンは宇宙空間でないと作れないのだ。宇宙空間で鉄板を発見した主人公は鉄板の影響を強く受け・・・やがてデッカイ赤ん坊になった。あのでっかい赤ん坊がさらに進化するとテッカマンになるのだ。
さて、これでハルがなぜ壊れてしまったのかお分かりだろう。
そう、ハルは壊れたのではない。鉄板の影響によって人間になってしまったのだ。
私はこの映画を30年くらい前に見て本当にすごいと思った。内容も演出も当時はとんでもなく斬新だった。しかし、残念ながら風化してしまったようだ。正直、今回はすごいと感じられなかった。本当に残念だが。
製作50年以上経った今あらためて観ると、AIによる人間に対する反乱に強くリアリティを感じる
監督
スタンリー・キューブリック監督による1968年製作の米国映画。
原題は2001: A Space Odyssey、配給はワーナー・ブラザース映画。
2回目の鑑賞で、今回はprime video。
昔十代に映画館で見た時に、猿人が骨を投げ上げ、それが「美しき青きドナウ」のメロディと共に大スクリーンに浮かぶ宇宙船に繋がる映像の美しさ、知的な省略した飛躍の鮮やかさ(骨という道具の発見利用が、人類進歩の究極的成果である宇宙船に繋がる)、音楽と映像が共鳴する官能に、魂を吸い込まれてしまう様な感動を覚えたことは、今でも鮮明に覚えている。
画面の小ささからか2回目だからかは不明だが、今回は残念ながらそれは無かった。
ただ、1968年製作であるのに、宇宙船内のイス等の色・デザインの斬新さには驚かされた。特に、白い室内に映えるフランスのデザイナーであるオリヴィエ・ムルグによるという赤いイスの造形の白い宇宙船内部とのマッチングの素晴らしさには驚愕させられた。
そして、人工知能有するコンピューターHAL9000の人間に対する反乱は、相変わらず強く印象に残る。目の様な形態の赤いランプに意志を感じさせるキューブリッックの映像テクニックに凄みを感じた。乗組員の唇の動きから会話内容を知るHAL、それをコンピュータ視点で見せるのも上手い。
昔見た時は気付かなかったが、乗組員に嘘(木星に向かう目的等で)を突き通すことを強制されたことがHALのミスに繋がっていることが示唆されていて、脚本に感心させられた。人工知能AIに宿る心の様なものの存在、自分のミスを認められない無謬的性質、電源を切られてしまうことに対する殺人も辞さない抵抗、製作当時よりも現在の方が圧倒的に強くリアリティを感じさせられ、この映画が50年以上前に作られたことの凄さをあらためて実感。
ダグラス・トランブルによるという「スリットスキャン」による延々続く映像は、昔も今回も大いなる謎で、インターステラー等でオマージュされているせいもあってか、少し退屈でもあった。延々と続く自分には意味不明の映像だが、ネットサーチすると、宇宙の誕生から太陽系の形成、地球型の惑星の形成といった宇宙の歴史を、人類の進化を促す黒い石板モノリスをセッティングした高度な知的生命体が主人公に見せているということらしい。
ラスト、あの白い部屋の造形が何とも不思議で美しく、何処か懐かしくもあるが、解説的なものによれば、知的生命体が人類の進化のために設定してくれたという空間らしい。そして、ラスト主人公は老衰するが、進化した赤ん坊となって再生する。今回鑑賞でもそういったことは理解出来ずにいたが、人類の進化はいつか起こっても良いはずだから、納得出来るストーリー展開である。そして、人類を導く時間を超越した高度な知的生命体こそ、神ということか。キリスト教国米国らしい、神による人類の救いの映画なんだと理解した。
製作スタンリー・キューブリック、原作アーサー・C・クラーク、脚本スタンリー・キューブリック及びアーサー・C・クラーク。撮影ジェフリー・アンスワース ジョン・アルコット
美術トニー・マスターズ、ハリー・ラング、及びアーネスト・アーチャー、衣装ハーディ・エイミーズ、編集レイ・ラブジョイ、音楽アラム・ハチャトゥリアン、ジェルジ・リゲティ ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウス。特撮監修ダグラス・トランブル。
出演はケア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター、ダニエル・リクター。
謎が多い
スタンリーキューブリックの作品
「時計仕掛けのオレンジ」を観ていたので、かなりの衝撃作品かと構えて観ることにした。
思っていた以上に謎が多い。
冒頭の猿の登場から後半にかけて人類の宇宙の旅行。
詳しく説明もないままに物語が進んでいく。
気がついたときには、終わってしまった。
でも、この作品は、説明をして分かるものではないと感じた。
絵画の様なそんな感じです。
自分の体験や経験から物語をどう捉えるのか?
それが必要になってくるのかもしれない。
今の時代の分かりやすいものが多いけど、こういった作品に触れて観るのも悪くない。
何十年も前にこれだけの撮影技術があったのかと思わせるくらいの圧巻の映像美でした。
また、時間を置いてから観たいと思いました。笑
ねむー
最初3分半は画面が真っ黒で変な音だけながれる。
25分経って初めてセリフが出てくる。
「なるほどーあの映画の元ネタはこれだったのかー」と知るシーンがあるけど、ずっと静かでつまらない眠い内容です。寝てしまった。
覚醒するとはこういうことか
色・色・色。色の洪水、ただただ、圧倒される。
そして放り出されたような、難解な場面。
光だらけの部屋、なのに調度はロココ調。なんで?魂の故郷はロココ形式?
時間空間の歪み?3次元を超えた4次元の世界?
光の洪水の前の緊迫した、そして一転してスローな音声から突然、放り込まれる世界。
解釈を試みないと、自分自身が解体していくような。
自分という枠さえも超えた世界に放り込まれそうな危機感…。
とにかく、圧倒的な情報を一方的に浴びせられ、体験させられ、ただただ、受け取るほかない。
有無を言わさない、拒否することもできない。
ただ、その場で受け取るしかない。
こちらのキャパを問うこともなく…。
何が起こっているのか…?私に、宇宙に…。
理解なんてできない。
ただ体験させられるだけ。
感覚のみの世界。
統合失調症の幻覚の世界ってこういうもの?
人の理解を超えた世界ってこういうもの?
ただただ、その世界観に圧倒される。
心が、理性が、解放され、放出されるって、こういうこと?
そんな異次元を疑似体験させてくれた気分になれる映画です。
映像の完璧さは言うまでもなく、
クラッシック曲を使った優雅な世界との対比。
すべて計算づく?
こんな感覚の映画を、理詰めで作ってしまう監督。
どういう精神構造をしているのか。
ただただひれ伏すばかりです。
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭「神は死んだ」。
欧米諸国で神と言えば、キリスト教?聖書を元にして、唯一無二の教義を理解する世界。
そんな世界は終わり、新たな、自分なりのものを作りださなければいけないということか。
寝ているときにみる夢のような映画。
断片をつなぎ合わせて物語を紡いでみて自分なりの物語を作ると見えてくるものがある。
でも、時間が経って、以前とは違うアイテムに焦点を当てれば、また違う物語ができて、別のものが浮かび上がってくる。
完全癖の監督が作り上げた映像。細部にもどんな意味・仕掛けが隠されているのか。
音楽も監督のこだわり。何よりも監督の想いを雄弁に語っている選曲。
心地よいクラッシック。
不愉快な、羽音ととも聞こえる雑音のような合唱。
抑揚はないけれど、宇宙飛行士よりは低い温かみのあるHALの声。
何度も思い出して夢想して何度も楽しめる映画。
監督のしかけたミステリー。
想像力を喚起させられる映画とはこういう映画をいうのだと思う。
綺麗な映像
①進化(成長)はしていないという事
猿のところでは、弱肉強食が描かれています。
肉食に食べられる猿と、武器を持った猿が縄張りを犯すところです。
動物時代の弱肉強食と現代の争いでそれを描いています。
さらに黒い物体が出てきた時です。
猿も恐る恐る手で割っていましたが、月で初めて「現代人」が触る時もてで恐る恐るでした。
全く変わらない行動をしています。
HALLも自分がやられることを恐れて、クルーを追放しました。
その点でも、「進化(成長)はしていないという事」が描かれていると思いました。
②確実に進化をしているという事
・映画の本旨
まず猿(人=man)が映し出され、そこから現代人へと行きますが、ここはわかりやすいです。
そして、月を越えて木星にいく点、技術の向上、宇宙食の話でも成長をしているとわかります。
それの現代人を凌駕してきたのが、HALLです。デイブひとHALLは人の進化の先で、さらに黒い物体が進化の先であると、これがこの映画の本旨だと思います。
HALLという存在が人の進化の先ということを後半で、示しています。
デイブが木星近くになり、電子の目線になります。
その後、大地を上から見おろした視点が色が淡白となり映し出されます。これが、黒物体の磁力で見た時の、世界です。
猿さらに現代人、HALL、またその上の高次元の黒い物体目線です。デイブの目がたまにカットインしていたのは、この黒い物体の目線ということを伝わりやすくるためではないでしょうか。
最終的に、デイブは高次元の存在となり、自分で思った通りの、世界を自分の中に作り上げます。
しかし、この進化の過程でまだ、人が残っているので、歳をとる自分、老いていく姿を想像(創造)していきます。
しかし最終的に自分の目の前には、「黒い物体」が出てき、それが自分となります。
ここで、進化を過ごします。
胎児となったのは、その「新たな生命体」を示すためです。
進化を表した映画だと思いました。
・劇中での見せ方
音が聞こえる部分と聞こえない部分、さらに聞こえ出す部分です。
猿の時はもちろん音は聞こえる、
現代人の時もです。
HALLが出てきてから、音が少なくなります。
これは現代人にはHALLの声が聞こえないからです。
しかし、デイブが木星に近づき、上記の過程で進化をするとまた、音が途絶えることなく、聞こえます。
これはデイブが進化し、黒い物体へとなったことをわかりやすくするためだと。
ラストが難しすぎる。
ここまでの難解さは珍しい。
「木星 そして無限の彼方へ」まではバッチリ理解していたつもりだったが、ここは分からない。
ただ、wikiを読んでみると、表面上で感じたこと殆どそのままだったので、そんなに必死に噛み砕こうとする必要はなかったのかもしれない。
ストーリーは最初の猿の時代から追う人類の進化。モノリス登場から道具の使い方を覚え、舞台が宇宙に移り月にモノリスが存在すると分かれば、人間の脳を更に高精度にしたHALと木星へ。HALの暴走を止め、必死の命乞いにも耳を貸さずに木星へ到達するボーマンは例のモノリスに出会うと異次元の映像が流れるが、ここがかなり長く、気が狂いそうになる恐怖感に襲われた。王室のような部屋に行ってからはなかなか理解し得ない世界観だったので、またいつかしっかり消化したいと思う。
当初美術に手塚治虫の協力をオファーしていたらしく、少し見てみたかった。ただ、1968年公開とは思えないほどの映像美でラスト30分までは色んな感情で見ることができた。
人類史上の宝のひとつ
もう何十回と見たであろうこの作品をネトフリで再見。今回は少し違った観点から見てみることにした。テーマは色彩とデザイン、そして音楽。クリストファー・ノーランのリマスター版は特にその辺を鑑賞するのにとてもよく仕上げている。ハミルトンの腕時計、ジョージ・ジェンセンのカトラリー。ムーンベースのロビーにはオリヴィエ・ムルグがデザインしたDjinn。勿論カードはアメックス。。。色彩も当時のモニターがグリーンであるための補色として多くの赤が使用されており最高の色彩バランス。ジェイムズ・P・ホーガンのデビュー作の『星を継ぐもの』のイントロダクションがまさに5万年を経た赤い宇宙服の男が発見されるところから始まるのはSFファンの間では有名な話。赤い宇宙服が本当に美しい。美しいと言えばオープニングの人類黎明期の風景の美しさ。そして宇宙船の美しさ。そして最後にたどりつたロココ調の彼岸には3枚の絵画が(確認される範囲で‥)これは原作によるとゴッホ跳ね橋とワイエスの「クリスティーナの世界」が・・。これだとあまりにも説明しすぎという事で変えたのであろうが、本来の元絵が誰の絵画なのかが未だ特定できない。どなたか情報をお持ちの方いらしたらお教えください。とにかく最大の驚きはこの完成度を持った作品が1968年に作られている事。返す返すもこの驚異には敬服する。
原作を読めば難しい事は無い また、人類進化の古い考え
色々言われる作品だが、原作を読めば全く難しい話では無い。ただ、50年以上前にCG無しでここまでやるのが凄い。しかし、三日月が登場するが、モノリスは倒れていたのかなぁ。天文学的にあ言った事あるのかなぁ。素人ながらに思った事。
美しき青きドナウは、宇宙と言う死の空間を生ある流れに変えています。心にしみるイイね。
40年くらい前にテアトル東京の一番前で見たなぁ。当時は字幕が右に出たので大変だったけど、字幕なんて関係ない映画だった。
宇宙船!今はなきパンナムだよ。
猿みたいな顔した日本人が死の空間に飛び出したようだか、無事戻る事を望む。上空でぜひ 北方領土返せ って言ってくれたら そこへ行った甲斐はあるが、全く羨ましいとは思えない。
追伸
ゴリラ生態学者の山極先生が、『2001年宇宙の旅』の中で、類人猿が狩猟を始めた姿を進化として捉え、それが争いの始まりとしている事を、学術的研究かつ科学的に否定している。僕はそれに共感する。
サンドイッチ、美味しそう
モノリスが至る所に出現する際の見せ方が素晴らしい。
理解なんかより、ビジュアルで魅せるパワーが隅々に満ち溢れている。
現在の視点からすれば、実用性よりも趣味に走った感のあるデザインや観念的な映像美も、当時の劇場で鑑賞したならと想像すると、その場に居合わせて素直に圧倒されたい。
そして、宇宙で食するサンドイッチとコーヒー。
なんて、贅沢な映画なのだろう。
すごくヤバい
遂にこの作品を映画館で!しかもIMAX上映!!
大学生の時にVHSをレンタルして以来、20年ぶりぐらいに再見。印象的なカットは断片的に覚えているけど、正直中身は忘れました。ほら、ファッション的に映画観るの流行ったんです。バグダッド・カフェとかバッファロー'66とかビッグ・リボウスキとか。
んで感想。 すごくヤバい。 お前の語彙力どこ行った?という表現だけど、こう言う他に賛辞の言葉が見当たらない。学生当時の関わり方は、正直「キューブリック観てる俺カッケー」的なもの。貧乏学生の部屋にある小さなテレビ画面。音は小さなスピーカー。酔っ払いながら「なんだこのラスト」と思いつつ、ステータスとして「観た」ことにしていたのです。
はじめて映画館で観て、IMAXという素晴らしい環境でこの名作を観て、トラウマレベルで心に刻まれました。あの映像美と音楽は異常。これは、映画であり、現代音楽のMVであり、絵画でポエムだ。コンピュータが呟く「I’m afraid. 」はヤバすぎる。50年前ですって?このおじさんですら生まれてないんですよ?? あり得ない。あり得ないのです。
CG全盛の映画業界。確かにキレイだしスケール感も半端ないし、なんでも出来ちゃうんだけど嘘くさい。だからこそ驚きも何もない。火が熱く感じないのだ。でも本作のSFXには感情がある。日本ではイタイイタイ病とかの教科書に載ってた時代にあのラストのあの映像。キューブリックが実は未来人だったと告白しても、何も驚きはしない。
中学生もワンクリックで無修正のエロ動画見放題な時代。昔は黒く塗りつぶされたエロ本にバターやシンナーを擦り付けて奥の奥を覗こうと努力するしてた訳です。どちらにクリエイティブは宿るのかって話ですよ。
今観ても、とんでもなく
革命的な作品ですね。
午前十時の映画祭のお陰で、ようやく劇場で鑑賞できました。
真っ黒なスクリーンに不吉さを漂わせた音楽が鳴り響いた後に、ツァラトゥストラの音楽に合わせて地球ドーン、タイトルがバーンで一発ノックアウトされたのちラストまで私の理解を超えた、更にその先にまで引っ張られてしまいます。
これは映画なのか?というほどに難解ながら、やっぱり映画でしか表現し得ないものでしょうね。
骨が空に舞うところから一瞬で作品内現代までジャンプする美しい時間の飛躍
プールがHALに突き飛ばされる場面、無音の恐ろしさ
光の点滅?で表された驚愕の異次元光景
全体、理解が追いつかないけど、いやはや恐ろしいモノを目撃してしまったような気分になります。
これが映画だ!という感じです。
でも、こんな映画ばかりになったら困りますね。
お腹いっぱいです。あと何年したら、もう一度観る気になるのでしょう。
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