TAR ターのレビュー・感想・評価
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良い意味で怪演
ケイト・ブランシェットの素晴らしい演技を見るためだけの映画と感じました。本当に彼女は素晴らしい!
ただ、登場人物の関係の説明がないままストーリーは進むので、最後までそれぞれの立場や考えが想像できず、一つひとつの所作や行動に対して理解できなかった。せめて私にオーケストラのしくみ、その世界での上下関係などの知識があれば、推測しながら鑑賞でき、楽しめたと思う。
オープニングなのにエンドクレジットのような演出、長く内容が理解できない冒頭のディスカッション場面のせいで、私の周りの多くの方が寝てしまっていた。絶対映画で寝ない私もこのあたりは必死に睡魔と戦うはめになった。疲れた。
饕餮(貪り喰らうモノ)
惜しかったなぁ。マックスへの教示に掛けたマウントは結構納得出来たし、自分自身がそこに呑み込まれていく様は見どころあったのだけれども、自殺しちゃった彼女の事をふわっとさせ過ぎたからか、後半の印象がボンヤリ。モンハンプレイヤーとしては最後のアレも作品としては理解出来るが、ちょっとイラッとしちゃったよね。
2回観なきゃ→2回観たので追記
6/24 2回目は常館の横浜ジャックアンドベティで
解らないまま進行していった1回目の鑑賞に対し
今回は余裕で詳細を確認しに行ったつもりが
知れば知るほどこの作品には一瞬のスキもないことに気付き全く気が抜けなくなった
まず前半の音楽に対する姿勢や考え方そして悦び
オーケストラと指揮者の関係性などが対談や授業風景やリハーサルでものすごく発信されているのでオケファンとしてはぐいぐい引き込まれる そして
後半は不穏な空気がいっぱいになり転がって行く
神経質でストイックな反面、感情に素直なターは
若い女性演奏家にすぐ惹かれる、それが問題を増やしているようだ
しかし偏見で逆差別かもだけどやっぱり女性の方が能力高い
あたしも能力の高い集中力のある女を見ると惚れ惚れする
レズビアンじゃないけど惚れる
ケイト・ブランシェットの演じることへの執念にも惚れる
ターのパートナーが女性コンサートマスター(コンサートミストレス)でもあるというシチュエーション
目配せが本当に女房然としていて素晴らしい演技
異性でも同性でも同じなんだな浮気される奥さんの気持ち、心配。。。
女房の助言通り行動していればこんな転落はしなかっただろう
歴史と芸術文化の積み重なったクラシック界と
SNSで育った若いアーティストとのギャップが面白いところで
バッハを性的理由で避けて音楽を学ぶ学生がいたり
SNSでハラスメントを訴えたり
ロシアの若いチェロ奏者がデュプレの演奏に影響を受けたそうだが
Youtubeで見たエルガーのチェロ協奏曲はデュプレといえばバレンボイムと
誰でも想像つくが若い奏者は「指揮者?誰か知らない!」と言い放ったところが一番あたし的にウケた
オカルト的な場面がちょくちょくあって混乱させられたけど
結果何の関係もなくそれはただのエンタメ要素であったし
よくよく見るとターに致命的な蛮行はなかった
本当に音楽とその作曲者を心から愛する人だったと二度目の感想
とにかくターを演じるケイト・ブランシェットがすごい!!
1回目のレビュー
ほとんど説明なく進行し
じわじわと傲慢なターの裏側から崩れて行く様
この大きな流れを
緊張感のある2時間半の作品全体をあれこれ考えず味わう
すべてはケイト・ブランシェットの演技に釘付け………
名曲大曲であれば同じ曲でも指揮者でぜんぜん出来上がりが違うし、この指揮者のはイライラする、とかグッと来るとか、自分の好みではあるけど
あたしはそれくらいの並のクラシックファンです、1年に数回はオケを聴きに行くくらいの
なのでターの曲に向かう姿勢やこだわり
奏者と観客への指揮の見せ方
それを全てカッコよくケイトブランシェットは表現してくれてるので痺れる
あとはターのプライベートに関して
よくわからなった部分をもう一度観たら完璧
空耳アワー
世界最高峰オーケストラ、ベルリン交響楽団の女性初常任指揮者、リディア・ター。もちろん架空の人物だけど、数年したら現実になったりして。ターは楽団内のバイオリン奏者と同性カップルで、養子を養育し、指揮者としても評価され、順調な日々を過ごしている。が…ちと問題が…。
楽譜の読み込み、作曲、講義、練習と、めっちゃ忙しいターは、ささいな音が気になる。ドアベル、ノック、メトロノーム。そしてどこか遠くから聞こえる悲鳴。これ、完全に病んでるよなぁ。
すごく濃密な作品で、クラシック音楽も素晴らしいのだけど、ちとつらかった。ケイト・ブランシェットの力量ハンパない。
音楽は無限であり人生も無限
細かく伏線が貼られているようなのだが。一度見ただけではよくわからない。
ケイトブランシェットの存在感が全てを飲み込み全てを吐き出す。
冒頭のSNSの会話、、もう一度見ないと今となってはわからない。
床にばら撒いたレコード(LP)盤。カラヤンとかなんとか皆男性マエストロのもので無造作に足で選んでいるま他は選びもしない素ぶり。
努力を重ね手に入れた不動の地位、男社会にあり男以上のステータス、だからなんでもできる。寄り添わない。寄り添うのは同性婚の中で育てている子どもだけ。ターはお父さん。
子どもは暴漢に襲われたターに、世界で1番美しい人なのに、、と慰める。
逃亡したアシスタント、名前だけ頻繁に出てくるもう1人のアシスタントの子、いかにもハニートラップなチェロ奏者の子、妻であるコンマス、赤いバッグを持つ子、と多くの女性を虜にするターはわかりやすい世界でいえばかっこよくて誰もが無防備になってしまうようなイケオジと言った存在。彼女から技術や名声を奪い取ろうとする周りのおっさんたちはそれがまた歯痒く悔しいことだろう。
謎のアパート隣室の親子(自らの家族を顧みないターを現す?)そのほかにもクリーピーなものが時々出てくる。
ターは雑音が嫌。最初は雑音とイライラ嫌っていた音、だんだん規則性と企みを感じさせる音としてターの心を蝕む、メランコリアの謎の音を聞く女のようだ。
チャレンジという本の贈り物、メトロノームの音、冷蔵庫の音、公園で聞いた助けを求める女の叫び声、隣の悲惨な暮らしの親子(家族に見捨てられた)がノックする音、さまざまな雑音が雑音ではなく忌々しく自分を追い詰め、自分が蒔いた種から起こる様々な出来事にもひるまず、力あるものとして、女性だが男性同様に男性社会で生き抜いてきたマジョリティとして、またアメリカ人という覇権を表す存在として怯まず立ち向かう。
満席の映画館で、孤独を見せず孤独に闘うターをみていたら、なんだか広い荒野に1人だけ椅子に座って、座らされているような孤独感というか身体感覚さえ味わった。
なんかそんな凄みがある。
男性社会でのしあがり、また、彼女を踏み台にのし上がろウト追いかける男性を牽制しこれは私のスコアだと、ライブ録音の現場で男の指揮者をボコボコにする。ただしい暴力であろうと個人的には思う。
実際、最後フィリピンで、マッサージ店を教えてと頼んだつもりが売春宿?飾り窓?まがいの水槽に並ぶと女の子たちの店とわかり、水槽の雛壇に居並ぶ女の子たちがオーケストラのようなポジションでまちかまえており、くだんのチェロ奏者の若い女と同じ位置にいる女の子が目を向いてターを見据えていて、路上で吐いてしまうのだ。これまでの自分の加害者性を見せつけられた、、
図書館でスコアを探したが見つからず、というと、いまとどいたばかりでスト、スコアを渡され、アジアで若い楽団とやるのはクラシックではないとわかり、クライマックスはモンスターハンターのコスプレライブだった。これがまた最後までモンスターばりに頑張るターなのだ。
アメリカスタテン島、小さな、裕福ではない実家はそれまでのターが自力実力と、妻との関係(コネ、アドバイス)で築き上げてきた優雅な生活とは違う、自分の歴史から抹消したいよう存在。兄弟か誰か帰ってくるが、リディアではなく、リンダと呼び、今はリディアだったなと呼びなおす。暖かい交流も出迎えもない。リンダはあまりにもアメリカ的な感じでクラシカルではないからなのか、??なぜ名前を変えたのかわからないけど名前を変え、貧しい家族との訣別を選びとっていたのだろう。実家の自室のクローゼットには撮り溜めた題名のない音楽界のようなアメリカのクラシック番組、バーンスタインが司会をして音楽を啓蒙、音楽は無限の力みたいなことを言っていて、それが彼女の原点であり彼女はそこに時計を巻き戻して再スタートをするのだ(冒頭の雑誌かテレビのインタビューで、指揮について語る時、私が時間そのもの、私が時間を支配すると語っていた)ハラスメント訴訟、ブーイングを受けても落ち込んでも立ち上がるのだ。
男女の力学、女同士の力学、大人と子どもの力学(力の差まるで無視)アメリカとヨーロッパとアジアの力学。様々に見どころと見逃したところがあるがとにかくケイトが圧倒的であり、そして私は孤独の風をひたひたと感じた。
それでも、Music movesバーンスタインが語るとおり。Music moves そして人生はrolling stone
「どこに連れて行かれるかわからないスリル」 一言で言うと、鼻持ちな...
「どこに連れて行かれるかわからないスリル」
一言で言うと、鼻持ちならない人物の転落の軌跡と再生を描いている訳ですが ディティールの完璧さ 崩壊を食い止めようと足掻く様 全てを失ったその後まで描ききり
「物事や人生の頂点は無い」「まだまだ道半ば」と思い知らされた
この作品で思い出したのはマイケル・キートンの「バードマン」とクリステン・スチュワートの「パーソナル・ショッパー」でした。
好きなシーン ①学生への講義 ②暴走ドライブ(スピンしてるかのような恐怖!)③アコーディオン
狂気と歪さの虜になった
厳格なクラシックの世界でカリスマとなった女性指揮者、
その完璧さをしつこいほどに描き切ってみせたかと思ったら
不意に狂気が侵食し、全てが崩壊していく。
絶望の物語なのか再起の物語なのか。
冒頭からラストまで明確なものは提示されない。
観客の想像に委ねる映画。
或いは我々は試されているのかもしれない。
異常なほど奥深い世界だった。
ケイトブランシェットの圧倒的な演技が凄い。
不気味で歪な傑作。
ラスト30分だけ観れば良い?
前半から中盤全く話が動かず何を見せられているのだろって感じ。意図的に分かりにくく作っているのはわかるがあまりにも度が行き過ぎていて、分かりにくい。
単純な話で頂点の指揮者がおごりで転落していく、再起を図りベトナムで頑張るって話を小難しく描いているだけ。
クラシック音楽界を舞台とした正統的なピカレスクロマンやサイコスリラーを予期していたら、冒頭から度肝を抜かれる一作
誰もがまず驚かされるのは、冒頭のある仕掛け。驚きつつも、これは通常の作りの作品ではないということを直感的に理解させてくれます。
ケイト・ブランシェット演じるリディア・ターは、その切れの鋭い身体動作があまりにも独特で、ブランシェットは実在のターの動きを緻密に再現したのかと思ってしまいますが、ターは全く架空の人物。それなのにこれだけの存在感を与えるのだから、ブランシェットの演技は恐るべき、としか言いようがありません。
一つひとつの楽曲にも物語的な意味を持たせており、その意図を読み取ることも楽しければ、ただ素晴らしい音楽に身を任せても良いという、映画館で鑑賞した甲斐を実感できる作品です。
予告編から観た本作は、天才だけど冷酷非情なオーケストラ指揮者、ターが権謀術数を巡らせつつそれにはまり込んでいくピカレスクロマン、あるいはターが精神的に追い詰められていくサイコスリラーではないかと予想させるものだったけど、実際の本編は確かにそれらの要素を絶妙に配合しつつも、思ってもみないような展開に観客を誘導する内容となっていました。
本作は一見明確な筋立てのようで実は非常に入り組んだ物語構造をしていて、その仕組みを感じられないと、結末が異様に凡庸に見えたり、意図が掴みづらく呆然となってしまうという類の映画です。そのため、おそらく複数回鑑賞したくなる人も多いのでは、と思います。いわゆる「考察のしがいのある」映画と言って良いと思います。
しかも予告編にあったある場面の顛末など、大真面目にやっているのかふざけているのか分からないような展開もいくつか含まれており、何度か吹き出しそうになるという隙のなさ。
特に超有名なある作品のファンならぜひ最後まで鑑賞してもらいたい一作です。
リンダの末路
特にクラシックファンでもない私には、前半が長く感じられました。
異例の経歴を持つある女性指揮者の栄光と転落がシビアに描かれています。
子どものイジメ相手を恫喝する場面など、こういう手口でのし上がってきたのかな、と思わせる。
シャロンとも欲得ずくでパートナーになったのでは。
後半、音楽業界でなくても、なんで自分じゃなくてアンタがそこにいるのって殴りかかっていく主人公の気持ちは分かるけど、何ていうか痛々しすぎて、スッキリしない。
驚愕のラスト、ターの実家を見たあとでは、リンダは再びここから這い上がっていくのでは、とも感じました。
じわじわと
自分の楽団では独裁者のように振る舞うカリスマ的な指揮者が主人公の映画です。前半はオーケストラの舞台裏などが細かく描写され、クラシック音楽に詳しくないと楽しめない映画かなと思いましたが、さにあらず。後の展開を暗示する要素が随所にちりばめられています。中盤以降はじわじわと不穏な空気が強まっていき、見ているこちらも不安にさせられました。終盤の展開には賛否両論ありそうですが、わたしはこういう映画、大好きです。説明が少なく、見ているうちにちょっとずつわかってくる作りで、情報量の多さに理解が追いつかずもう一度見たいと思わせるのも計算のうえでしょうね。
自分の感性の無さが悲しいです
世間では高評価の本作。ケイトブランシェットの演技は素晴らしかったですが、はっきり言って内容がまったく頭に入ってきませんでした。
他の方のレビュー拝見すると何度もおかわりしている方もいらっしゃったりして、自分のセンスの無さに呆れます。
今年ベスト級。
この映画は言葉についての映画である。
そして現代の時代における言葉の難しさ、危うさを描いた映画でもある。
本作を観賞し始めて驚いたのが圧倒的なセリフの量だ。
それもワンショット、長回しという超絶テクニックをさらりと行なっている。あの量のセリフを頭の中に叩き込んでいるなんて役者はやはりすごい。
今の時代、言葉というものはとても難しい。
SNSで発せられる言葉がその人の全てを表すかのように扱われ、簡単に人は晒され、炎上し、転落してしまう。
本作は物語終盤で音楽とはその音符一つ一つが言葉であり、人の話す"言葉"以上に豊かに感情を表現することが出来るとの引用がある。人の感情とは言葉のみでは表現しきることはできない。それほどに複雑であるということだ。
本作の主人公リディア・ターは複雑な人間だ。彼女と周りの人間との間に実際に何があったのか、どんな感情があったのか、本当のところはわからない。
音楽を"言葉"として考えると、この映画は彼女が言葉を奪われていく話になっている。
そのきっかけとなったのが、SNS世代と言われる若い世代だ。
冒頭のとあるトークショーでは饒舌に語り観客を沸かせる姿が描かれるが、アメリカの名門校ジュリアード音楽院で教鞭を振るう際には、リディアの言葉は生徒らSNS世代には全く通用しない。
だが、彼女はその立場や自分の知識を総動員し生徒を論破し、追い出してしまう。(このシーンはカット割なしのワンショットで撮っておりさらりとすごいことをやっている。)
物語中盤までは、巨匠と言われる彼女のある意味強権的な言葉により思い通りに進むが、SNS世代の逆襲に合っていく後半はホラー映画のような演出になっている。リディアは彼女の知らない言葉、そして"彼ら"の言葉である"SNS"によって追い詰められ、転落していくのだ。
決定的なのがチェリスト オルガとの出会いだ。
明らかにSNS世代である彼女とも会話が噛み合わないし、巨匠を前にしても全く動じない態度を取る彼女の気を惹きたいリディアはオケの反発の中、強権を発動し彼女をソリストに抜擢させる。そして個人レッスン後の彼女を車で送るシーン。彼女が消えていく場所は廃墟のような場所で、明らかに人が住むような場所ではない。リディアが彼女を追っても彼女はおらず、転んで怪我を負ってしまう。これは彼女"SNS世代が住む世界"はリディアが住めるような場所ではないということのメタファーに思える。
ここからリディアの転落が始まっていく。
リディアはベルリンフィルで副指揮に立場を奪われる際も、これは私のスコアだ!と"言葉"を奪われることへ必死に抵抗する。
ベトナムで隠遁生活を始めた際も、マッサージ店を聞いたつもりが風俗店へ連れて行かれ、ここで言葉の通じなさのストレスか嘔吐をする。
そしてラストはまるで若い世代、SNS世代を喜ばせる下僕と化すかのようなオーケストラシーンで幕を閉じる。
何という皮肉のこもったラスト!
とても難解で読解力の求められる映画だが、この巨匠を演じられるのはケイト・ブランシェットしかいないし、長回し、長セリフ、ワンショットなどの超絶テクニックがさらりと出てくるすごい映画。2回、3回と観ることで新たな発見があるでしょう。
リディアが励むベルリンフィルでのマーラー交響曲第5番、引用されるベートーヴェンの交響曲第5番(運命)、そしてベトナムの不思議な世界観の風俗店で指名を待つ女の子の番号は5。そしてラストのモンスターハンターのナンバリングは?
ゾクゾクする伏線、引用のオンパレード。
エンドロールで始まる映画なんて観たことない。
今年ベスト級!!
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クラッシックの映画ではない
マーラー、バーンスタイン、カラヤンとクラッシックベースの言葉が出てきますが、本質は権力、差別、ハラスメントの主題
マエストロの迫力の演技が見せ所か
イジメの相手の子供を、反撃されない弱者を、脅すところなど、とても気持ち悪かった
クラシックの知識なんかなくても…
冒頭にケイト・ブランシェットが登場した時から、もう彼女が指揮者にしか見えないの!
この憑依した演技が、TARの造形と重なって、こちらまで苦しくなるような映画でした。パフォーマンスを極める人の、張り詰めた感じが、怖いくらいに伝わってきます。
昨今のテクノロジーの進化や、SNSの手軽さは、何年もの苦しい努力なんか、やすやすと乗り越えて、誰もが一瞬の称賛を受けることができる世の中。
でも、と私は思うのですよ。指揮者であれ、役者であれ、バレリーナ、オリンピックを戦うアスリートであれ、何千人もの前で、一流のパフォーマンスを極めた人が、努力の末に高みに登って見る景色は、私たちが見る景色とは違う。長く苦しく、やっと到達した後も、さらなる努力を要求され、妬まれ、悪意によって歪曲され、拡散され、それでもエゴを貫き、いつしか、狂気へとかりたてられていく、重々しいテーマを、静謐な映像で見せる映画でした。
映画序盤は、指揮者の日常を不安な情景の中で、ゆるゆると描写していきます。自分たちの世界でしか通用しない、陳腐な言葉の羅列に酔う会話が延々と続きます。
何が背景にあるのか容易に分からず、ちょっとウトウトしかけましたが、ベルリンの街の情景や、TARのユニセックスなファッションや、オーセンティックな家具なんかが眼福でした。
終盤になって一気に物語が動き出すのですが、ストーリーや事の善悪よりも、TARの背負っているもの(職業の重さや、またトランスジェンダーとして)と、人格のバランスが崩れていく、その過程がヒリヒリと、なんというか、肌感覚ののように伝わってきました。
ギリギリのところで身を削って、パフォーマンスする人が、枠からはみ出してしまった時に、ゴシップや、コンプライアンスやらを振りかざして攻撃していたら、そのうち世の中は、本物の芸術を失ってしまうのではないか。
そんなことを常々思っていたところの、考えさせられる映画でした。
付け足しですが、
マーラーの5番を演奏するところで、『ベニスに死す』は忘れて、とのセリフがあるけど、いやいや、ずいぶんとオマージュ捧げているじゃないですか。
ダーク・ボガート演じたオッフェンバッハと、ケイト・ブランシェットのTAR、どちらもトランスジェンダーで、2人が堕ちていく共通項は、傲慢さ、ってことかも。
シュールなホラー映画
事情通ぶって真面目にストーリーなど追ってはいけない。これは主人公にまとわりつく様々な音が隠しテーマのシチュエーションホラーとして見ると、居眠り防止になる。ヒントはケイトのアップシーン。玄関チャイム、メトロノーム、アダージェットの消えゆくフィナーレ、暴漢の足音、公園の泣き声、ピアノの半音、動画内のチェロ、滝の轟音。他に貴方はいくつ見つけられるか。ケイトはその狂言回しだ。
イケメンおばさんの栄枯盛衰
ケイト・ブランシェットが本当、イケメンだった!始めの音楽論的な場面が理屈っぽくて何度船を漕ぐとこだったか。なんとか着こなしファッションチェックをしてしのいでいたけれど。それが後程新入チェロの子にクソ例えと陰口を叩かれる。はたまた、暴漢に襲わせたり?パワハラ場面を拡散したりスコアをこっそり盗んだ黒幕はこの子なん?と思わせ振り。
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