TAR ターのレビュー・感想・評価
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ケイト・ブランシェットの演技力に❗️❗️ 一台のカメラで、永遠続く...
ケイト・ブランシェットの演技力に❗️❗️
一台のカメラで、永遠続く講義シーンは、講義の内容も含めて息を呑んで引き込まれた。
好意を持って接してくる人は、扱い方を間違えると、とてつもない毒になる。気をつけなければ・・・。
SNS世代によって駆逐される 旧世代の断末魔
「弱い者は去れ」。それでいいではないか。
昭和の人間として、同世代の同志=TARを観る。
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東京藝大の指揮科は、入学定員は2名。
卒業しても安定した仕事場はまずない。
世界で活躍しているトップの指揮者など、ほんの片手の数だ。
厳し過ぎる前途だ。
TARは指揮者として、また教師としてどこかしら横暴なのだろうか?
僕はそうは思わない。
ついて行けない者はふるい落とされて脱落すれば良いことだ。
落後者たちは「自分にはこの教師に師事できるだけの素養も将来性もなかったのだ」と、黙して思い知れば良いだけのことだ。引けば良いのだ。
それでも熱い夢が続いているのなら、別の道を自身で探せば良いだけのことだ。
音楽院の学生でTARの助手を勤めるフランチェスカが、「冷たくされた」と思い込み、逆恨みをしてTARに対しての総攻撃を仕掛けたわけだが。フランチェスカは、自分が「甘ったれが許される幼稚園児」ででもあったつもりなのだろうか。
この映画作品は
【新世代と旧世代の断裂】、並びに
【旧い時代の終わる様相】をテーマとして、
「マエストラの失脚」というストーリーを題材に重ねて、時代の焦燥を厳しく抉っている。
「少子化」が、
世界中の経済と文化を蝕んでいるのだ。
「少子化」が、
人類の足跡、そして未来を破壊しているのだ。
=人手が足りない。
=労働者が集まらない。
だから採用基準は徐々にゆるくなり、クソを採用しなくてはならなくなっている。
宮仕えの正社員なんかになるよりも、彼らは即席YouTuberになって、脚光を浴びる丸儲けの人生を得たいと思っている。
彼らは市民として投票所に行くよりも仮想空間のメイドカフェでうつつを抜かしたいと願っている。
渋々就職はしてくれても、一週間で辞められてしまっては困るものだから、蝶よ花よと新人類は大切にされて、おだてられて、
そうして若者は大人の世界を舐めくさって、組織を(=オーケストラを) 掻き回してくれるのだ。
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【指揮者の日常を撮る貴重な映画】
劇中、
いくつかのクラシックの名曲が登場するが、メインは「グスタフ・マーラーの5番」だった。
冒頭の4音が「タタタター→、タタタター→、タタタター↗」と幽玄の彼方から聴こえてくるような、トランペットのファンファーレで始まる あれだ。
交響曲の作曲家たちは一つのジンクスを意識してきた、
それは第1に「ベートーヴェンの9番」についてのもの ―
《交響曲を9曲作った作曲家は死ぬという言い伝え》だ。
マーラーはそれを嫌い、8番と9番の間に「大地の歌」を挿入したのだが、結局彼も例外ではなく、9番を仕上げたところで彼は没した。
第2に、
ベートーヴェンの最高傑作「交響曲第5番=運命」を意識し、作曲家たちは取り分け自作の「5番」には自分の音楽家としての全てと、師ベートーヴェンへのリスペクト注ぎ込んできた。
ゆえに
マーラーが書いた「5番」のファンファーレは、ベートーヴェンの「5番・運命」の「タタタターン↘」の4音の音形をオマージュ引用している。
(※動画)
その「鬼門の5番」への挑戦。
そしてついに「9曲 全曲録音完成」のコンプリートだ。
何かが起こるに十分な序章だ。
ベルリン・フィルでのライブ録音に、満を持して挑戦するTARに「トラップ」が襲い掛かる。
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【変質する情報社会】
今どきのゲーム世代や、SNSでの匿名中傷フリークたちが、親世代の大人の社会と、人類がここまで築いてきた荘厳な文化をあっという間に絶滅させてゆく時代。
人間の劣化。軽薄にして陰湿だ。
―その恐怖の有り様を、この「TAR」は見せてくれている。
孤高の教師TARに対して、
「死なばもろとも」と、報復の巻き添えを画策して自爆をした元弟子クリスタやフランチェスカ、
エルガーのチェロ協奏曲をやってのけた若者世代=フランチェスカ支持者のオルガ。
そしてパートナーのTARよりも風評を信じるシャロン。
そのどちらがより正しくて、より狂っていると思うのか・・
それは今現在のこの世界の趨勢が判断して、結論を出すことなんだろう。
爛熟した文明は、登りつめた栄華のあとに、いずれの地においても、戦争と倫理の乱れと疫病で没落していった。
頂点を極めたはずのあの都市たちは、どれもたがわず廃墟となり、滅亡した国家の遺跡と化している。
それは黄河、インダス、ギリシャ、そしてメソポタミア。
"あの没落” が、いまはとうとう全世界を巻き込む規模で、我々人類の歴史を爛熟から終焉へと導いて、自滅へ向かってスタートしているのだと、僕は思っている。
巷のニュースのすべてが物語るのは
山肌を1個の小石が転がり落ちるとき、僕らが見る現象=それは大きな山脈がいつかは崩れ去って跡形もなくなる未来の、それは紛れもない目撃であり、一コマなのだということ。
「そんな大袈裟な」と言われるかもしれないが、コロナよりもはるかに感染力が強く、人類をINTER-NETして伝播する新しいウイルスは
そこまでの破壊力を持っていると思う。
フェイクニュースが巷に流れる。
真贋の見分けがつかない動画も溢れる。
産業も 通信も 銀行も止まる。
それらは悪ふざけを競うハッカーたちばかりでなく
国家間での情報戦として、実弾と遜色ない威力で敵陣を惑わせ、民心を迷わせ たぶらかしている。
「何が本当のことなのか」
もう誰にも分からない世の中ではないか。
リアルよりバーチャル、
肉筆よりも 生成AI、
肉体労働よりも3Dプリンター、
面会よりもリモートだ。
熱弁を飛ばし、熱いタクトをふるい、
激しいジョギングで自分の雑念と闘い、
サンドバッグを殴って己の弱さを叩きのめそうとする指揮者のTARに、
僕は強く惹かれる。
が、そういう昔のおじんである僕は
小さなきっかけでTARと同じ「おやじ狩り」の標的となり生贄とされるんだろう。
顔面蒼白。白塗りのメイク。
時代遅れで、VHSテープを観ていて、若者文化に疎いTARは、スマホのチャットによって呆気なく葬られていくのだ。
これは明日の私たちの姿。
フィリピンの奥地に逃げて行ったって、そこには最早 着ぐるみの化け物しかいなかったというラストシーンに
鳥肌が立つ。
デジタルデトックスは、もうこの世では不可能なのか。
顔も声もない匿名のバーチャルワールドの隆興によって、早晩人類は滅ぼされてしまうのであろうが
「その前に、このわたしの断末魔も聞きやがれ」と
リディア・ターの目は語っているのだろうと思う。
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マーラーの5番のファンファーレは、
世の終焉を告げる葬礼のラッパ。
世界の終わりを嘆く、絶望的な閉塞感と扉の軋みのように聴こえてならなかった。
·
(※)
楽譜付きマーラーNo.5冒頭動画
Curtain up for Mahler!
#trumpet#sheetmusic
ケイトを愛でる
ケイト・ブランシェットの独壇場の作品。
ひたすら彼女の演技を2時間半、堪能する。
ブルー・ジャスミンも良いが、こっちも負けじと良い演技。
最後の方の、副指揮者に殴りかかるとこなんて、笑ってしまうほど、迫真。
20231216 目黒シネマ
音楽は動く
そんなに主人公が悪いようには感じなかったのだが、パワハラに鈍いのかもしれないが、余程主人公の方のストレスが強いと思った。若いチェロ奏者はあー今時のイヤイヤ感だしてるーで、そんなのが好きになっちゃうの?才能に惚れた?他の人のレビューを見てどういう意味なのかを拝見したがそれでも意味が分からんかった。
これからは
やはり今の時代、いくら優秀であろうが、
セクハラ•パワハラ疑惑や、自殺の原因と取り沙汰されれば、その職務を全うさせてはもらえない世の中である。
またさらには、公然とした場に於いて、暴挙とととれる行動を白日の下に晒したとなれば、
再起は無理であろう。
なぜそこまで自信過剰なのか⁉️
頭脳明晰ならば、一歩立ち止まり自身の事を
見返し、不安要素を見つけ出し早めに対処すれば良かったのではないか⁉️
同性愛夫婦の夫だからか男言葉を使い、
カッコつけするが 変❗️
教える学生へも自分の言葉に酔い学生のプライベートにまで勝手に言葉にして公然と晒せば、恨みを買うのも当然。
可愛がっていた秘書を副指揮者に取り上げなかったことで、掌返したように秘密のメールを暴露されて窮地に陥りもした。
ある意味周りが見えていない裸の王様か。
世間一般自業自得と言うだろう。
優秀であっても時には冷静に自分を振り返り、
反省や自己変革も必要ということだろう。
しかし優秀でない者は、どうすればいいのだ⁉️
この作品何が目的で作ったのだろう⁉️
更なる高みへ
努力と才能に見合った地位を手にした所から始まる転落劇。正しい選択をしても過程を誤れば正しい結果を得ることはできないのは当然のことだ。
しかし、主人公は最高の演奏を求められる世界一のオーケストラの指揮者だ。民主的に正しい方法で音作りをしていては、途中で確実に空中分解してしまうだろう。
であるならば、楽団内部に軋轢を抱えることになろうとも、己の芸術性と名声を武器に独裁者になることも必要だろう。しかし、今の社会はそこから出てくる小さな軋みも聞き逃さない。
であるならば、権威の城からの転落は必然ということになる。何とか生き延びられたとしても、この時点の彼女では望む成果にはたどり着けないだろう。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。原点となった音楽への思いを取り戻したことで、新天地へと踏み出すことになる。
きっと、次こそは音楽への思いを忘れることなく、更なる高みを目指すのだろう。謙虚さや思いやり、用心深さと狡猾さも新たな武器にして。
…
バッハを否定する学生は、この作品の良き道標となってくれた。彼のシーンとラストシーンが、この作品の主たるテーマを表現していると思う。
…
演奏者のブラインド審査と、マッサージしてくれる女性を選ぶ水槽の対比は印象的だった。ただこの対比が何を表すのか、初見では理解できなかった。
彼女の絶頂と崩壊と
絵が上手に書ける人のほか、楽器ができる人は「人種が違う」と思うことにして自分自身を納得させ、自分のメンタルを守っている評論子ですけれども。
反面、楽器の演奏を聞くのは大好きなのてすが、そんな体たらくの故、クラシック音楽の指揮者・演奏家の世界にはまったく不案内なので、その限りでの(まったくの映画作品としての)評であることを、あらかじめお断りしておきたいと思います。
マエストロ(名門オーケストラの首席指揮者)の世界も、やっぱり「男社会」ということで、女性マエストロ(本来ならばマエストラ?)であるリディアには、何かと生き苦しい世界だったのでしょうか。
冒頭のインタビューシーンから、まずその彼女のその「立ち位置」か感得できるように思いました。
言ってみれば、そういう「ガラス細工」の上にリディアの権威は成り立っていただけに、いったん崩れ始めると、その崩壊の速さは、あっという間だったのだろうとも思います。評論子は。
彼女が、男子学生と意見が合わないことに苛立って、パワハラとも受け取れるようなに辛辣な態度をとったり、プライベートの性的な面(同性愛)では意外と乱雑気味(?)であったりすることが窺われることは、斯界で女性の地位が高くは評価されていないことのストレスの、いわば「はけ口」になもなっていたことでしょう。
そういうストレスのから、いわば内部崩壊を起こしてしまい、楽団を去ることにすらなってしまう―。
「強面」のような外面とは裏腹に、彼女の苦しかった?心情には、同情を禁じ得ないようにも思います。
解説的なセリフも少なく、会話主体の本作は、本物の鑑賞能力(洞察力?共感力?)が要求されますが、佳作の評価には値する一本だったとは思います。評価子は。
<映画のことば>
指揮者は作曲家に奉仕するの。自我もアイデンティティーも昇華させ、聴衆と神の前に立って、自分を消し去る。
(追記)
本作でのケイト・ブランシェットの演技が圧巻だったことは、まったく異論がありません。評論子にも。
(追々記)
評論子が参加している映画サークルの「映画を語る会」でお題作品として取り上げられていた一本でしたけれども。 今は地方暮らしをしている評論子には観る機会がなく、当時は「聴講生」として悔しさを抑えながら、話し合いを聞いていたものでした。
DVD化になり、ようやく観ることのできた作品でした。
鄙(ひな)に住んでいると、映画一本観るのにも苦労がありますけれども。
これも「艱難、汝を玉にす」の試練だと思い、乗り越えることができればと考えています。
『ブルー・ジャスミン』のケイトが帰ってきた
ケイト・ブランシェットは、『ブルー・ジャスミン』でセレブから真っ逆さまに堕ちていく女性を演じた。本作との女性指揮者リディア・ター役との大きな違いは、ターには自分を偽る嘘がないということだ。
嘘がない。自分にも他人にも極めて厳しい。思い込みとこだわりの究極の完璧主義者。だから頂点に立った。究極の真を追求しすぎた。いつしか自己肯定は他者否定につながり、パワハラ、スキャンダルに発展していく。
嘘があってもよかったのだ。虚栄心に溺れてもよかったはずだ。彼女の鬼気迫る演技は、そう思わせるほどの人としての意地が炸裂していた。音と映像が見事にマッチした空間で、彼女の孤高は際立っていた。
同性愛者のリディアの唯一の癒しは、妻シャロンとその娘との静かな生活。シャロンの控えめな存在感が光る。シャロンを演じたアンナ・ホスはドイツ映画の至宝。「東ベルリンから来た女」、「あの日のように抱きしめて」など秀作の主演に抜擢されている。あのケイト、ルーニーの同性愛を描いた「キャロル」とはまた違った視点で、ふたりのコラボの妙味を味わうことができる。
リディアの字幕のテロップが、すべて男性の口調で出てくるところも効果的だ。
リディアが失意のどん底の中、実家の部屋でバースタインのビデオに涙を流すシーン。
原点に帰る、初心に帰るっていいなあ。素顔のリディアがとても可愛かった。
張り巡らせてある伏線に疲弊。。。
冒頭のインタビューシーンは、なかなか印象的だ。
インタビュワーがター(ケイト・ブランシェット)の経歴を延々と話すのだが、ターはリラックスした様子で終わるのを待つ。
すべてについて自信たっぷりだ。
ジュリアード音楽院での講義では、バッハを嫌う一人の学生を完膚なきまで論破する。学生の″止まらない貧乏ゆすり″が、ストレスの大きさを表している。
とにかく、すべてのシーンに「伏線と思わせられる映像や音」がびっしりと張り巡らせてあり、見るのに大変な集中が必要になる。
気になったのは、
玄関チャイムの単調な繰り返し
ジョギング中に聞こえた女性の悲鳴
など。
観る側にも高いテンションがかかる作品だ。
終わった後、どっと疲れが残った。。。
サスペンス映画いやホラーに近い恐怖
始まりから、主人公のターが盗撮されている?
事件が始まる予感がありましたね。
オーケストラの指揮者のターが頂点にいる。
テレビのインタビューで、堂々としたたずまいで終盤私は愛を,選ぶと返事しています。
いや、そんな人間じゃないよねー🫵
もう、ケイトの演技が最高ですね。
ターはレズビアンを、公表していてお気に入りの可愛がりが、まぁ酷い。
ターに尽くす人間には、まぁ冷たい😱
そして、完璧主義、潔癖症であるターにとって事件をきっかけに、落ちて行く様子がまさにホラー映画さながらでしたね。
最終は、バカにしていたアジアに足を運び、潔癖症のターが自然に触れ、何かを感じ取ったかのようにも思わされました。
ラストにモンスターハンターの楽曲の演奏の指揮者の後ろ姿には、カッケーと思いましたね。
素晴らしい映画ですね👀
ハラスメントとか不適切な言動とかする人の観察だと思う
この映画はハラスメントとか不適切な言動とかする人の観察だと思う。それが美しい描写とか迫力のある音楽とか迫真の演技とかがてんこ盛りで、ドキドキさせる演出もあるし、「なんか嫌だなー」とか「うわー」とか思いながら楽しむことができる。見てるとター自身はそんなに悪い人ではなくて、ただ色々間違ったことをしたんだなというのがわかる。それも突飛な理由とか背景がある訳ではなくて、誰でもターみたいな間違いを冒すかもと思わされる。
社会的な部分は社会のことをよくわかってないのであまりよくわからないけど、これが男の異性愛者の指揮者の話だったら、どんな職種・業界・職位でもよくある話で何も面白くないと思う。女でも、同性愛者でも、権力構造の上位に位置するときに間違い冒すし、権力者だからこそ厳しい目で見られたり悪意の的になったりする。男の異性愛者の指揮者という設定よりこの部分が際立つし、男の異性愛者にパワハラ、セクハラされたことのある人達が実際に多いことを考えると、女の同性愛者の指揮者の話の方がより多くの人にとって見やすいように思う。でも女や同性愛者は現実では男や異性愛者より冷遇を受けやすいと思うので、そういうのがあまり描かれてなかったのは違和感がある。それとも男性指揮者がキャンセルされても異国でゲーム音楽の指揮の仕事を受けなきゃいけない窮地には陥らないのかな(笑)。
あと見てて思ったのは、ターは自分の本名を捨てて指揮者としてキャリアアップして、ショボいアメリカの実家からは想像できないようなお洒落なヨーロッパ風の生き方をしていて、権力ではなくて「いい暮らし」とか社会的に高い評価を受けるとか、そういうことと自分のルーツとの折り合いを付けるのは難しいのだなと思った。ターほどの金も地位も無いけども、実家と自分個人との生き方や経済状況の違いは、なかなかスッキリとした説明がつかないし、家族だからって資産を統一するわけじゃないし、人間て決定的に寂しいなと思わされる映画だった。
希有な女優ケイト・ブランシェットに酔え!
わたしはクラシック音楽は門外漢ですから、頂点を極めた女性指揮者がとあることから落ちぶれていき、そこから再生していく兆しを見せたところで終わるドラマとして鑑賞しました。
ドラマの表現としてはさほど激しくはないもののケイト・ブランシェットの立ち居振る舞いに魅せられて2間40分ほどが短く感じてしまいました。
あらためて彼女の力量に感心しきりでございました。
DVDで観るものではなかった
映画館で観ていれば集中してもっと楽しめたかもしれんがこれは家では観てはいけなかった…。
つまらなくて集中が途切れてついスマホをいじり出し内容が頭に全く入らなかった。。
真剣に観れば面白いのかもしれんが
音楽の専門用語や人物の名前がやたらたくさん出てきてついていけないのとセリフが多く、やたらずーーと単調でありこれは眠くなる。
急に主人公が殺人犯になり出したりしてサスペンスミステリー的な流れになり出したら面白かったが、、
戦闘ものばかり観てるとこういう映画がついつまらないと感じてしまう。
ストーリー的にもこれは本当に楽しいのか??
ちょっと個人的には微妙すぎると思った。
ケイトの演技が上手いのは分かるが、内容をもっと面白くしてくれ。
最後も訳がわからなかった。
唯一良かったシーンはブラウン管のテレビを観ている時の出演者の人の音楽に対するすごくいいセリフ。
ここはノートにメモしました。
ヨーロッパの巨匠監督の映画を見る脳ミソで鑑賞
個人評価:3.5
ミヒャエル・ハネケの作品を見ているかのような、不思議な旋律なストーリーだったが、最初から最後まで出ずっぱりなケイト・ブランシェットを、余すことなく堪能できる。
あまり情報をいれず鑑賞した為、掴みどころのないストーリーに戸惑ったが、最初からヨーロッパの巨匠監督の映画を見る脳ミソで鑑賞すれば、すっと入ってくる作品だったと感じる。
リディア・ター交狂曲
鬼才トッド・フィールドの16年ぶりの新作で、ケイト・ブランシェットが天才指揮者を演じる。その栄光、苦悩、狂気、没落…。
フィールドの作家性とケイトの完璧な名演。2時間半超えの長尺。数々の賞も受賞。察しのいい方ならすぐ分かる。
批評家や玄人向きの芸術作品。分かる人や通な人には今年ベスト級の傑作だろうが、分からない人や単純エンタメが好きな人には退屈で2時間半の耐久レース。
天才や芸術ってそんなもん。例えばピカソの画を見てあなたはどう感じる…? 理解出来る人には理解出来るし、理解出来ない人には理解出来ない。
だからと言ってどっちがいい悪いなんてない。理解出来たから見る目があり、理解出来ないのなら見る目がないなんて事は断じてない。それは劇中の主人公同様の慢心だ。受け止め方、感性、好みは人それぞれだ。
ちなみに私は、作品で描かれた事や展開はざっくばらんに分かった気がするが、もっともっと深くは理解出来ていないだろう。私もどちらかと言うと“分からない/エンタメ好き”側なので。
つまり何が言いたいかと言うと、本作は高尚で敷居が高い作品かもしれないが、臆する事なく自分の見方で見て欲しいという事。
私はこう見た。少し前だったら、難解な芸術作品。でも今見たら、連日ワイドショーを賑わしている渦中の問題とタイムリー。
リディア・ター。
世界随一のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーで女性として初めて主席指揮者に。
エンタメ業界でも“EGOT”(エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞)を制覇。
インタビューや講義にも引っ張りだこ、近々自伝も出版。
栄えある地位や名声に君臨。絶対的な存在。
しかしその華々しい功績の一方…
冒頭約10分に及ぶインタビューシーンからも分かる。
わざわざ難しい言葉や言い回しをし、天才だが、何処か嫌みで偉そうで鼻に付く。プライドの高さ、高慢、傲慢…これら該当する言葉が幾つでも思い付く。
展開していくとそれはどんどん。
ある講義。一人の学生と意見が対立。相手に反論を許さぬほど論破。
楽団に於いても。依怙贔屓。他の楽団員からの反発も何処吹く風。
物申してきた副指揮者やある命令に背いたアシスタントをクビに。
自分の“楽譜”通りに1mmのズレも許さない完璧な“演奏”を続ける。
映画の世界でも黒澤やキューブリックなど一切妥協しない天才がいた。しかし、それとは違う。彼らは自分にも厳しい完全主義者だが、リディアの場合は自分に思い上がる慢心者で独裁者。陰湿さや恐ろしさすら感じる。
リディアには家族がいる。妻と娘。
同性愛者。しかしその立ち位置は、女性同士が愛し合っていると言うより、家父長制的。娘をいじめた同級生に「私がパパよ」と威圧。
周囲からも“マエストロ”と呼ばれ、スカートは一度も履かず、パンツ姿。中性的な雰囲気漂う。それを感じさせるケイトの演技もスゲェ…。
“大黒柱”として家族を愛している。が、家族一筋ではなく…。
多くの若い女性と関係を持つ。それも惹かれ合い合意の上ではなく、自分の権力を行使して。パワハラ、セクハラ紛い。これって…。
依怙贔屓も単に奏者の才能だけではなく、私的な感情も入り交じって。
言うまでもなく家族にバレる。“妻”シャロンはヴァイオリン奏者でもあり、公私共にリディアを支えていたが…。
今リディアが頭を悩ましているのは、マーラー交響曲5番の演奏と録音。なかなか思い通り行かず、天才でもプレッシャーや苛立ち露にする。
そこに家族や周囲との不和、自身の好き勝手、さらにある事が事件となって…。
かつて教えていた若い女性指揮者が自殺。無論彼女とも関係を…。
自殺の原因はリディアとの憶測。彼女ら受けたセクハラや権力威圧…。
もみ消そうとするが、すでに噂は広まり…。
SNSでは先の学生とのいざこざやこれまでの蛮行がアップロードされ…。
転倒怪我により幻聴、難聴も…。
告発され、遂には演奏の指揮を下ろされる。
終盤、別指揮者の演奏に殴り込んだリディアの姿は、もはや天才ではなく、狂気の極み。
ラストもどう捉えていいか。第一線から転落した成れの果てか、どんな地どんな音楽でも異常な情熱で再起を目指そうとしているのか。
自分の身の程を知っている者が堕ちた時は人によっては諦めも付くが、自分の身の程を知らぬ者が堕ちた時はこれほどまでに醜く愚かなのか。
偉大で尊敬を集めていた人の闇、本当の顔…。
自分の絶対的権力を使ってパワハラ、セクハラ、依怙贔屓…。
もうズバリ、ワイドショーで渦中の“アレ”ではないか。
聖人君子なんていない。人誰しも必ず影や闇はある。
多くの人はそれに気付く。過ちや間違いを起こさない前に踏み留まる。
が、リディアは自分が絶対的な存在であると思い上がり、周囲も制止出来ない。彼女が恐ろしいからだ。
“アレ”も同様。
無論全員がそうではない。高潔な人物も多くいる。古今東西尊敬され続ける。
天才が天才で在るが故に背負った宿命。凡人には計り知れない。
羨望であると同時に同情。
天才ともてはやされ、神格化される危うさに戦慄した。
本作の二人の“天才”には称賛でしかない。
難解で重厚な人間ドラマでありつつ、次第に心理スリラーへ。これが監督3本目、16年ぶりのブランクを全く感じさせないトッド・フィールドの圧巻の演出。
輝かしい側面だけではなく寧ろ、醜悪な内面こそ露見。代表名演の一つ、『ブルージャスミン』にも通じる。英語やドイツ語を交差させ、指揮も自ら執り、求めた完璧な演奏を終えた時の酔いしれた表情には美しさも魅せる。また一つ、この稀代の名優=ケイト・ブランシェットに神がかりな名演と代表作が。
やはり、天才はいるのだ。
観た後に読んでください。
冒頭、スマホのメッセージで悪口を言われてるTAR。女性指揮者として、恐らく数々の困難を乗り越えて頂点に立つ彼女。スーツはオーダーメイド、飛行機はファーストクラス。指揮者の他、大学でも教えたり、とにかく日々多忙な中、少しづつまずいことが起こり、転落していく。正直な彼女は大学での講義で、考えたことを後先考えずそのまま伝えてしまう。それが学生を追い詰めてしまい、その学生は教室から出て行ってしまう。
さらに推薦してあげなかった若い女性指揮者の自殺、その才能に夢中になってしまったオルガの登場から、周囲の人々がTARから離れてしまう。オルガもスマホでTARの悪口を書いている。
指揮者の仕事も奪われて、実家に帰って、昔録画して貯めていた、沢山の好きな指揮者のビデオの一つを見て泣くTAR。本当に昔から指揮者になりたかったのがよくわかる。
アジアに渡り、アニメイベント?のオーケストラ指揮者をするTAR。残念だけどよかったねと思った。また復活する日が来るかもしれない。
皆さんが言うように、もう一度観たい映画ですね。
全350件中、41~60件目を表示