TAR ターのレビュー・感想・評価
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有罪
インタビューに答える主人公 ウィットに富んだその話。プロフェッショナルな哲学。指揮者とは。吸い込まれるようなケイトの語り。聴者の頭が気になる。何のことか。
紳士な別の指揮者との語り合い。アファーマティブアクションはキリをつけてよいと地位を得た女性が語る。フェアな男に若干のいけてなさも感じるが、それは若干。
バッハと向き合わない男子とのやりとり。言っていることは正論。しかし学生相手にマウントをとって侮蔑するのは邪道。若人はいつか気付く日がくる。道は示せばそれで良い。
子供の父親を自称し喧嘩に介入して、相手の子供を恫喝する。閾値は超えている。イケているようでイカれている。
若さに惹かれ機会を与えることに快楽を覚える。自分の広さを見せて若さを手繰り寄せる器用さ見せようとするが若さは自分の手にはおさまらない。
人を飛ばすことをローテートと言い、排除しているのに機会を与えているように言う。組織にとって良い判断に見えて、相手には死刑宣告。
組織を考えて彼女の判断をたてる近しい人々。支持は得ていない。しかし本人は気づいていない。
エグイまでにラストまで描き続ける。女性であるとかLGBTだからといって優遇せぬ冷徹さ。しかし、こんな男は大勢いる。自戒と自省。
主役を女性にしたのは意図的に感じる
主役を男性指揮者から女性に転換した事でハラスメントの実態がより明瞭になったように思う。
男性→女性の力関係が取り払われ、狭い世界の中で絶対的な権力をもったレズビアンである事でマイノリティ=弱者の色眼鏡が外されハラスメントが必ずしも性別や人種で関係が決まるものではなくて、あくまでも当事者間の関係、環境、立場に起因してそれに個人の先入観や差別意識が乗っかってくるって状況が分かりやすかった。
更に白人権威主義的なクラシック界を舞台にすることで、芸術やエンターテイメントを囲む環境と観客の目の時代的変化を痛感させられる。
もう前半でのターの言動が後半になってブーメランになってガンガン刺さってくるのがすごい。前半を見ている時はもっともらしく聞こえていたけど、後半になるにつれ時代の価値観に擦り合わさって見え方が180度変わってしまう。
それは映画を囲むフィールドが前半のクラシック界の中から後半はもっと広い世間へとスライドしたからだと思うんだけど、大事にする基準が違う眼線へ移動したとたんに前半のター眼線の自分の事以外は他人事から、後半はターの事なんて他人事に見えてくるのも空恐ろしい。
他にもクリエイティブ論みたいな事が色々と入ってきてそれも面白かったです。
作品の所有者と解釈はあくまで鑑賞した個人にあって、作ること自体は指揮者や監督には出来ない。以前は作品のパッケージの顔は総括する人にあったけれど、もうクオリティの質は作るスタッフやスタジオの力が先に立って、作り手の作品の解釈をありがたがる時代は終わって個人の様々な見方を許容できる事の方が重要になったって意味にとれました。
ちょっとしたワードがけっこう刺さってくるのが面白かったのとオチには笑いました。
家で見るには集中力が必要な映画だったのと音が良いのとで映画館で見てよかった!
一回だけの鑑賞ではよくわからない?
映画館の予告編で何回も見た事とケイト・ブランシェットさんが好きな事と尚且つクラッシック音楽自体も興味あり鑑賞しましたが登場人物も多くストーリーが中々、頭に入らなったが、落ちぶれていく終盤は何となく理解できるレベルでした。
内容もドラマ(会話)が、中心で期待していた演奏シーンは少なく残念でした。後日配信等がスタートしたら、改めて鑑賞したい。
カオスを経て原点にもどる
真面目なオーケストラ作品かと思いきや、途中からなかなかのカオスっぷり。
ステレオタイプと、多様性をおしつけるステレオタイプ、どこにでもある原理主義、パワハラ、セクシャリティ、炎上と、現代の問題を詰め込んだ作品になっている。
ただのドラマにせず、もはや何が正しいのかわからない。そんな現代をありのままに現していた。
前半は非常に抽象的な会話が続くが、この作品の軸であり、カオスの中心となるターを表現するために必要なプロセスである。
登場人物が多く、説明が少ないので、理解するまではひたすら知らない人の噂話を聞かせられるのはちょっと厳しい。
そして、なんといってもラストシーン。だれもが拍子抜けに感じる(劇場でもそんな雰囲気を感じた)なのだが、振り返ると終わり方も含めこの作品の真髄なのだと感じる。エンディングもクラシックではなく、ロック。
名声とか、炎上とか、ジャンルとか、そんなものから無縁の、純粋に楽しむこと。表現できない感情こそが大事という原点。
bunkamuraとか、大阪の作曲家(カプコンのことね)が出てきて嬉しかった笑
2023年劇場鑑賞72本目
わざわざ難しく描く意味がわからず謎
ベルリンフィルを舞台にする必要はないし、舞台にするなら活かすべきだ。世界最高峰のオーケストラにしては描き方も雑でベルリンフィルのイメージが崩れる。ようはハリウッド映画にでてくる「芸者だらけの日本」みたいに安易なのだ。ストーリーだってわざわざ難しく婉曲的に描くほど、主人公ターの数々の愚行が奥深い訳でもない。だから観る側の想像と混乱を掻き立てる意味がわからない。そもそもエンドロールを冒頭に持ってくるのはどうゆう意図があるんだろう。冒頭の長いインタビューシーンか一番良かった。
面白かった。
ター周辺の「ノイズ」が変化していく。
おじさん達とは上手く話しながら食事出来るけど、若い子とは…。
あんなに普段走り込んでいるのに階段でつまずいてコケる。
夜の物音シーンはホラーすぎて普通に怖い。
ケイト・ブランシェットが素敵。
ケイト・ブランシュエットの圧倒的パワー
ここまで俳優の表情を食い入るように観た映画はないかもしれない。
1つ1つの演技がズシンとくる。緊張感が押し寄せる。
もともと好きな女優だったが、さらに好きに。
ただ、内容の説明が難しく、
何が良かったのかこれ以上はうまく表現できません。
宣伝の仕方が悪い
2023年劇場鑑賞115本目。
女性指揮者の音楽にかける狂気・・・みたいなあおりをポスターでされると、やはりこちらとしては「セッション」の鬼教師を思い浮かべてしまうわけですよ。
それを想像して観ているとなんか普通の人というか、音楽に対してではなく、自分に対しての守りを大事にしている気がして、なんかもっとめちゃくちゃなのを期待していたので肩透かしでした。
最後もえっ!というところで急にはしごをはずされた感覚でした。
後は今の状況を、場面を見せてこちらで頭の中で組み立てることを要求してくるので、人の区別をつけるのが苦手な自分には誰が誰やらさっぱりだったのもあります。
権威の脆弱性とキャンセルカルチャーの虚無性をバランス良く描いた秀逸サスペンスドラマ。
冒頭からいきなり延々とスタッフロールが流れ意表をつかれるが、その後は静かに著名な指揮者リディア・ターの日常が淡々と丁寧に描かれる。彼女の日常が徐々に壊れていく中盤辺りからは、カフカの様な不条理な世界観も忍ばせつつ、後半の決定的事件からは一気に凋落へと流転していく。ドライな感覚が終始あってサスペンスドラマとして構成が非常に秀逸。
昨今あらゆる業界で跋扈するキャンセルカルチャーを、ポップスやジャズなどと違い、個性の違いが事程左様に分かり難い特異なクラシック界で描いて見せたのが巧い。映画と違いまだまだ女性指揮者というマイノリティなキャラクター設定も、このテーマを描くにあたって上手く作用しているように思う。
印象操作で容易に真実を歪曲出来てしまう現代において、リディア自身の人間性に多少の問題があったとしても、彼女の様なクラシック界にとって財産とも言える情熱的な才人が埋没してしまう悲劇は、非常に考えさせられる。それでも表現する事を辞めなかったリディアのたどり着くラストは、決してバットエンディングではないなと個人的には受け取った。
自信満々のキャリアの謳歌から、強迫観念に駆られ次第に憔悴していくリディアを、ケイト・ブランシェットは仔細に説得力たっぷりにさすがの成りきり演技で見せ、この作品の軸となっている。見終わった後も悶々と考えさせらる逸品。
マエストロ
2023年5月25日
映画 #TAR/#ター (2022年)鑑賞
女性初のベルリンフィルの首席指揮者に就任したリディア・ターは、新曲の作曲、自伝の出版、録音、若手式指揮者の自殺のパワハラ疑惑等多くの重圧を抱えながら⋯
クラシック詳しかったらな
#ケイト・ブランシェット の圧倒的演技力を堪能する映画でした
性別関係ない世界
ターの圧倒的な実力と魅力は本人の努力の賜物だけど、圧倒的な権力を持つと人はその力を行使したくなるんだろうな。
若者をフックアップしてるつもりでも、体裁を保つ為にあっさり切り捨てる。
ターはレズビアンだから、とかではなく、人間にはジェンダーの境目なんてなくてコミュニティ内のパワーバランスで成り立っている、んだな。
もちろん、個体差があるけど女性=協調型ってわけじゃないよ、と。
てか、そもそもジェンダー論を唱えてる時点でアレだな。
映画館が暑くて大学で教えてるシーン、ちょっと眠くなっちゃった。最後あのシーンが効いてくるから必要だったんだけど、淡々とターの日常を描いているから最初はちと退屈。
でも、退屈で安定した頂点の生活が愛欲によって少しずつ崩壊していき、フックアップしてるつもりで踏み台にされちゃってるラストとか、もう老害ってこういうことなんだな…と美しいケイトブランシェットを見て思う矛盾よ。
これは傑作だった、そして好きだった、
ケイト・ブランシェットがベルリンのオーケストラで女性初の首席指揮者となったリディア・ターを演じた。
『ブラック・スワン』のようなエキセントリックな内容を想像してたが違っていた。静かに積もっていく何か。その噴出はむしろ『ジャンヌ・ディエルマン』の感触に近いか。
オーケストラのリハーサルも、私生活のエピソードも、すべてを失った後のささやかな再生も、そのすべてが好きだった。
出ずっぱりのケイトと過ごす時間が愛おしかった。
彼女のベストと言いきれる作品だがオスカーを逃したのは不運だったなぁ。エブエブの勢いに負けた。
「幅を広げる哲学」
今年69本目。
規格外の指揮者であるケイト・ブランシェットに奇妙な事が起こって行くお話し。昨年3月の「ナイトメア・アリー」が突出して良かったケイト・ブランシェット、冒頭の男性との対談が内容は難しいが映画に引き込まれる仕掛け。若い学生さんとの会話が自分は受け入れがたくても、とりあえず一回触れてみる、自分の幅を広げる哲学が凄い好き。
権力の魔性
週刊文春の映画欄で辛口評者5人中4人が5つ星を付けていたので、気になって観に行ったが、まさかここまで難解な映画だとは思わなかった。ネットのネタバレサイトなどを読み込みようやく理解ができるようになるまで多くの時間を要した。なにしろ不親切な映画なのである。送り付けられてきた本の表紙をターはなぜ破いて捨ててしまったか、ターは足を踏み外して転んだだけで顔にあんな大ケガをするのか、ラストシーンの観客はなぜみんなコスプレをしていたのか、なんの説明もない。また、自殺したクリスタという物語のキーとなる人物はどこに出演していたのか、わからない。観賞後は疑問点ばかりだったが、それを1つ1つ解釈できてくると、実に多層的で奥深い映画ということがわかり、もう一度観てみたいという気持ちになった。
ターはクラシック界では数少ない女性指揮者であり、レズビアンを公表していてパートナーとともに養子縁組の子供を育てている。いわばマイノリティの側に位置している人間であるが、ベルリンフィルの首席指揮者という世界的な権威としてマジョリティの側で権力を行使する立場になっている。結局、マイノリティだろうと、権力の側に立ってしまえば権力に支配されるということがわかる。権力者というのは自分では高尚で倫理的な振る舞いができている人格者だと思い込んでいるが、罪に意識がなく相手を傷つけていることがある。権力の存在に気付かないのは権力者本人なのだ。
こういう権力者の横暴の物語を観ると、同じエンタメの世界で同じ同性愛者ということもあって、日本のジャニーズ事務所性加害問題が想起せずにはいられない。権力の絶頂期にはなにをやっても許されてしまっても、満つれば欠けるのが世の習いであるならば、必ずどこかで(死後であっても)しっぺ返しをくらい、人々に与えた不利益の重い代償を払わなければいけない。しかし、一度でも成功を収めた者は転んでもただでは起きず、後で再生してくることがあるのも世の習いである。
どう観たら良かったのだろう?
完全に観かたを間違えました。
予告編を未見のまま、ポスターに書いてある「狂気」というワードを見て観賞したのですが、言うほど「狂気」さを感じられなくて面白くなかったです。
オーケストラ界の優秀な女性指揮者の転落を描いた話で、最初は「オーケストラの指揮者」はどういう存在か、どのように考えながら指揮を取るか等が興味深いし、その説明を講演会という形で説明していく自然さが良かったと思います。
演じたケイト・ブランシェットも素晴らしかったです。ほぼ一人劇場で長回しで演技していきながらも自然に表現されてました。特に終盤の場面は圧巻です!
ただ、前述した通り「狂気」さを求め過ぎたためかその要素をあまり感じられずに淡々と物語が進んでいくにつれて、次第に退屈に感じていきました。
あと考察が必要な場面も多いですが、いかんせん退屈に感じたためにそこまで引き込まれませんでした。
さすがのケイト・ブランシェット
正直長く感じた。前半部分なにが起きてるのか、もしくはこれから起きるのか全然分からなくて退屈に思えた。
が、後半部分は何とも不気味なある種ホラーのような気味の悪さと追い詰められて狂っていく主人公ターを演じるケイト・ブランシェットの素晴らしさ。
後半は良かったけどちょっと自分には難しかった。
ケイト・ブランシェットは凄まじい存在感があって流石でした。
心が震えた
自宅でのピアノからの…
オーケストラのマラ5!!
心がいろんな感情を持った。
次観たらまた違う感情なのだろう。
もっともっと、もっと
音楽も聴きたくなった。
舞台袖のラッパも気持ちいい。
アコーディオンはもう狂気。
創作活動の苦しみと哀しみ
指揮者というのは音楽の感動を身振り手振りで大げさに表現するだけの人達で、別に指揮者がいなくとも演奏は成り立つのではないか・・・・等の不埒な誤解を中学生のころは思っていましたが、後で大きな誤りであることがわかり、深く頭を垂れた記憶があります。
自分の持つ音のイメージとの小さな違いを見過ごさず、それを自分のイメージに近づけるために取るコミュニケーション手段は、デジタルでシュミレーションされた合成音などではなく、指揮者の口から発せられる音のイメージを表す形容詞と発声の緩急、そして全身の動き。作曲者のイメージから惹起された指揮者のイメージ。そしてそれがが楽団員のイメージと一致した瞬間に、一つの音が創造され、それが全体の大河となって響きだす。その創作の過程はまさに神がかり的で、その神がかり的な創作の瞬間を、同時に神がかり的なケイトブランシェットが演じきっていて、鳥肌が立ちました。
妥協は許されない世界。でも、それ故にその人格には不可避的に、不要なものは切って棄てる、暴君的な攻撃性を帯びることとなります。そしてその攻撃性はやがて、自分の生きる支えとなっているものとの矛盾を抱えるようになり、そしてそれが・・・・という物語。その矛盾が彼女の人格を徐々にむしばんでゆく光景は、一部タスコフスキーやヒッチコックの作品を連想させる演出で息をのみました。
カラヤンにインスパイヤされた脚本のようですが、カラヤンにはこの映画のような結末はなかったようなので、創作でしょう。でもプライベートジェットを利用するところとか愛車(多分ポルシェ)を乗り回すところなど共通点は多いようで、創作活動のもつ一種破壊的な側面の真実と哀しみがよく抽出されているように思いました。
マーラー、エルガーなどの作品の練習風景、バッハを題材とした講義風景は圧巻で、音も素晴らしく、その音楽と物語が渾然一体となって、身体の芯を射貫かれたような印象で、いくつかのシーンでは涙が出てきました。クラシック音楽好きでなくとも楽しめると思いますが、クラシック音楽好きは多分外せない作品と思いました。そしてできることなら是非劇場で。
エンターテイメントとしてブラッシュアップの余地あり
内容やストーリーがダメかというと、そんなことはないのだけれど、2時間40分の長尺にした挙げ句、明快なエンターテイメントにしなかったのは頂けない。かといって、心の深部に入り込んだ芸術作品でもない。アカデミー賞の脚本賞と編集賞の候補になったにしては、構成がお粗末すぎて、「面白くなりそうなんだけど、この部分はカットして、この内容を足して」と演出家などに沢山直されそうな脚本がそのまま映画になってしまっている。
ターと誰か(評論家、仲間の指揮者、師である先輩指揮者)とのツーショットの会話が長すぎ、あの部分をもっと簡潔にして、ターによる過去のパワハラ兼セクハラをもう少し分かりやすくし、転落後の彼女の話を厚くした方が、エンターテイメントとしてもっと楽しめた。
主人公が男性で、権力で女性音楽家を食い物にしてたというありがちな話を、時代に合わせて、主人公が女性で同性愛者に変えただけのストーリーになってしまった。
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