TAR ターのレビュー・感想・評価
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ターよ、めげるな!
リディアターの落城なのか?
クラシック界の女性指揮者は、男性社会や、妬み、そらみ、恨みとの世界。すごいね。ジュリアードでのシーン。隣のおばちゃん。リディアのトレーニング。
えっ!Jゴールドスミスの猿の惑星は、盗作?
ベトナムの川は、地獄の黙示録でワニがいるから、泳げない。笑いますね。ケイトブランシェットの演技は160分を長くさせない。
5回観た
「TAR」に魅入られ、5回も観てしまいました。
繰り返し観て、あっ、そういうことかと納得した箇所、何回観ても心を動かされるシーンをいくつか。
●赤のボールペン
副指揮者のセバスチャンを“急襲”したTAR。TARがデスクから素早くポケットに入れたのはセバスチャンがいつもカチャカチャやってTARをいらつかせていた赤のボールペン。自分のペースを乱す“リズム”を何よりも忌み嫌う彼女は、先んじてボールペンを奪うことにより、自身のペースでセバスチャンを退任に追い込むことにまんまと成功したのでした。
●クリスタの幽霊
冒頭から赤毛の後頭部が映っていたクリスタ。その後もストーカーのようにTARにまとわりついていましたが、TARの自宅にも居ましたよね!時系列的にはたぶん既に自死したあと。ということは…。
あの幾度も出てくる模様を、メトロノームに描いたりペトラの部屋の粘土で造ったりしたのもきっとクリスタなのでしょう。
夜中に「リディア!」と叫び、TARにしがみついて何かに怯えるペトラ。彼女にはクリスタが見えていた?
●指揮するTAR
自宅のピアノでマーラーを弾くシーンからいきなりリハの現場に突入。流暢なドイツ語や身振り手振りでオケに指示したり、コーヒーブレイクしたり、いろんな動きがとにかくカッコイイ。TARが指揮するところだけ何時間でも観ていたい。
●№5
アジアの某国に流れ着いたTAR。気持ちも新たに音楽に向き合います。「時差ボケがひどくて」
とホテルのフロント?に相談したところ、紹介されたのは風俗っぽいお店。“水槽”の中にまるでオーケストラのように配置され、俯いている女性たちの中から指名するよう促され戸惑うTARに、ひとり目を見開き射るような視線を向けた女性の胸には№5と書かれたプレートが。たまらず店を飛び出し、通りで嘔吐するTAR。
権力の座から引きずり降ろされ、ニューヨーク郊外の実家?に戻り、レニーのビデオを観ながら涙していたあたりから、TARの気持ちは変化し始めていたんだろうけど、№5(=道半ばで挫折した交響曲第5番)に眼差しを向けられ、自分が犯してきた数々の醜悪な罪に初めて気付いた瞬間でした。ここは何度観ても泣けます。
●再生
指揮台からオーケストラの子どもたちに、作曲者の意図について考えてみましょうと語りかけるTAR。きっと自分の姿を恩師レニーに重ねているはず。
そしてラストのコンサートシーン。これから旅に出発するぞ、覚悟はいいかといった意味のナレーションが流れ、モンハンの正装をした観客に見守られる中、TARは再生に向けて新たな一歩を踏み出しました。泣ける。
ゲーム弱者にとっては、まさに???
やはり、ケイト・ブランシェットは凄い。
彼女以外では本当に有り得ない。
またマーラーの5番というチョイスが、まさにグーの音も出ないというべき見事な設定。
意表を突く構成も面白い。
本来であれば、エンディングの後に流れるはずの長いクレジットが、なぜか?冒頭から延々と始まる。
そして、その意味が、観終わった後になって「な・る・ほ・ど〜」となる、あのラスト!
しかし、ゲーム弱者にとっては…
まさに???となってしまう…
さらに言うと、ストーリーの脇の甘さが気になる。
メールの削除が出来てない事を知りつつ、そのまま放置というのは、全く現実的でない。
あのシーンは、もっと強権的にアシスタントを追い詰め、確実に削除させないと。
まあ、そもそも、各オーケストラ団体に届いていた着信メールが明らかになれば、削除の意味もないのだが…
そういった意味でも、もっと自身の保身を盤石にさせる老獪な策は練らないと…
また、その一方、投資家であるエリオットが、裏から法曹界に働きかけ、強力な弁護士は使えないように指図していたとか…(そうなれば、より一層あの乱入シーンも際立つ)
そのくらいもないとねえ…
まあ、別に本作は権謀術数のサスペンス映画でも無いのだが…
リディア・ターなる人物が、実際本当にいるんでは?と思えるほど、非常に現実感の強い演出と芝居で引き込まれる展開だったので、やはりプロットの方もリアルに徹してくれないとねえ…
結果どうしても手抜きに見えてしまう。
監督自身も語っていたが、この映画のテーマの肝は決して表面的なキャンセル・カルチャーの歪みなどでなく、権力それ自体の腐敗にあるのだから。
権力を持ってしまった者の腐った足掻きは、もっとリアルに見せて欲しかった。
そこは、ちょっと物足りなかった。
あと、ドイツ語の台詞は全て字幕を入れないと!
元の英語版に英語の字幕が入っていないシーンは、そのまま殆どスルーしてしまったのだろうが、やはりヴィスコンティの件は入れるべき。
たぶん「ヴィスコンティの事は忘れるように」と言ってるのだろうが、まさにその『ヴェニスに死す』が、その後の彼女の行先を暗示してるのだから。
そして、そのマーラーの第5番のライブ録音がリディアにとって一世一代ともいえる大仕事であることは、劇中もっと繰り返し伝えた方が、いろんな意味で効果的であったと思うが…
しつこいのは野暮と思ったかねえ。
まあ、それにしてもケイト・ブランシェットの圧巻の演技!100年経っても語り継がれるのは間違いないと思う。
リスペクトの対象
なんだろ、コレは?
作中のクラシック同様に監督の意図を読み取れとでもいうのだろうか?まるで作中にあるクラシックの楽譜のような構成だった。
この作品の見方が分からない。
後半などはエラく駆け足だったようにも思う。
冒頭から語られるのは「ター」という指揮者の紹介だけだ。こんな事してこんな性癖があってこんな考え方で…なのだけど、彼女の素顔は見えてこないようにも思う。肩書を維持する為の立ち居振る舞いを延々と見せられてるような。
彼女には指揮者という権力があり、それに見合う実績もある。それ故に生殺与奪の権限までも有してるかのようだ。後半になりその一部が発覚し、彼女は落ちぶれていきのだけれど…その件の早いこと早いこと。
まるでブツギレのように事象だけが繋がれていく。
ほいで、崇高なクラシックとはかけ離れた、ゲームのイベントのような会場で幕は下りる。
は???
問題は、何も核心を描かないというか…観客達が共有するものが極端に少ないという事だ。
物語に色々と転機は訪れる。それなりの材料は提示もされる。でも、そこの詳細な感情などは描かれない。主人公にも脇役達にも。
だから、冒頭の書き出しになった。
「映画の詳細な物語をどうぞ皆様で構築してください。まるで指揮者が楽譜や楽団と対峙するかの如く」
…いや、知らんがな。
だから、この映画を何に分類していいかも分からない。
大筋は提示されるも解釈は無限に広がるのだ。
メッセージ的なのはいくつはあって。
スキャンダルによる才能の消失だとかはわかりやすい。
権威を振り翳す者の末路とか。彼女自身も虎の威を借る狐に見えなくもない。
彼女に優秀な才能があるのは確かなのだろう。でも真にリスペクトされるべきはバッハでありベートーヴェンのはずである。そのリスペクトの対象を本人も周囲も世界さえも間違えてるみたいな。
ターをそのまま映画に置き換えるのならば、監督も主演俳優も作品を構成するパーツでしかないのだから、踏ん反り帰って偉そうにする資格などなく…作品以外をリスペクトするような事は滑稽でしかないのだ。
現に彼女は落ちぶれていったけど、バッハやベートーヴェンが落ちぶれるような事はないのだ。
分からないけど、ハリウッドの現体制への警鐘も含んでるのかもしれない。
まぁ…拡大解釈ではあるけれど。
主演ケイト・ブランシェットは流石であった。
何ヶ国語を喋るんだとも思うし、学生に講義してたあの1カットは…エゲツない。
ほぼ1人で喋ってる。莫大な情報量の台詞だし、ピアノを弾けば歌まで歌う。
そこにいる他の役者陣は相当なプレッシャーだったんじゃなかろうか…。
謎、ではないが、余白に満ち満ちた作品だった。
クラシックの業界に明るかったり楽曲の知識があったりする人はまた違う観点もあるだと思われる。
毛糸・ブランケット
ケイト・ブランシェット目当て
低めの声が魅力的な、気品とエロスのフランス貴婦人
フランス女優陣は、変わらぬ美貌の持ち主多し
月刊ロードショーの、ソフィー・マルソー特大全裸ポスターは国宝レベルです
3冊買っとくんだったと今も後悔
昔、古本屋で見つけたけどポスターガビガビ…
昔 懐かし おぞましい記憶
前日にラストエンペラー4Kレストア版を劇場鑑賞したので、3時間ダラダラ映画にはバッチリ耐性が出来てました
この映画(ター)は終始、厳しい芸術世界のピリピリとした緊張感に包まれて引き込まれます
緊張感を生み出してるのはケイト1人
いつもと違う、つぶらな瞳
特殊メイクか、瞳だけノーメイク風なのか…?
厳しい世界の頂点に長年君臨する女性って、眼力が凄いハズなのに、瞳だけは少し穏やかな印象
こういう人が1番ヤヴァイ
喋って動けば圧が凄い
緊張感ハンパない
本当に怖い人だった…
芸術界のピラミッドの頂点に立つ者は、1度でもつまずくと、地上まで転げ堕ちるのか…?
身から出たサビ…?
他のレビューにも書いたけど、昔 勤めてた会社に、鬼の様に綺麗で、鬼の様な性格の鬼女上司が居ました
鬼美人なら全てが許されるのだと、この時学びました
リディア・ターの振る舞いは、この鬼に少し似てました
鬼はビアンではなかったが…
思い出すと、今でも少しだけ過呼吸になります
歳のせい? 涙
この監督のリトル・チルドレンは大好き
物凄いエロスと物凄い大号泣だった
ポルシェ タイカンと、(たぶん)マイバッハ?が効果的だった
終盤は人生を物語る様に、5の型落ちタクシーへ…
(5も好きですが)
特にタイカンはプロモ映像みたいだった
タイカンを体感的な…
スポンサーなのか?
昔の日産みたいなエグい契約じゃなきゃいいけど…
映画冒頭でスタッフテロップ数分…少し嫌な予感
そしてレコードジャケットを素足で踏みつけるシーン
僕も踏まれたい
嫌な予感を払拭する、序盤から圧巻の台詞劇スタート
ワンカット?
ケイト劇場開幕ナリ
本物より本物に見えるインタビューシーン
指揮シーンの、字幕なしの流暢なドイツ語
インディジョーンズ4の、ゴリゴリのドイツ語も良かった
あれはハリソンを食ってた…
張りのないハリソンをゲシュタポ?ケイトが捕食
軍服もイイネ!
ハキュン
でも、コスプレならソーのヘラが1番
たしか、あの映画もケイトが全部持ってった記憶が…
そして走る姿が美しい
熟女系ターミネーター
なぶり殺されたい
銃殺は嫌
伏線が多いけど、結局は観客の集中力を持続させる為の、効果的なダミーだった
高級アパートに不釣り合いな、介護に苦労してる怪しい隣人
ダミーキャラなり
含みを持たせた人物ばかりだが、ほぼ全員美人なので見入っちゃう
ハニートラップ
ハニーフラッシュ
ハニーアントワネット
網にかかってマイっちんぐ劇場
珍しく毛の生えたマーク・ストロングマシン
バーコード・ストロングマシンに進化
退化?
芸術家的キモさは男の憧れ
人の事 言えない…
結局、損な役回り
ラストで見事に芸術的にボコられる…涙
このシーンが、かなり持ってく♪
貧乏ゆすりが止まらない人間バイブな黒人生徒
医者に行け…涙
中盤から現れる実力派美人チェロ奏者
童貞殺しのセーター(ワンピース?)に芸術を感じる
感汁?爆
こういう無自覚に主張の強い芸術家は本当に居そう
高嶋ちさ子?
サイコパス
チサコはパス
ケイトの演技に引き込まれるけど、あまり話が進展しない…
演技力に魅了されるけど、内容は薄味の芸能界あるある
徐々にホラー要素が増していく…ジョーカーみたいな展開だが、真相は明かされず
あまり長くは感じなかったが、3時間弱の割には、しれっと地味なラスト
でも現実味があって、これはこれで良かった
ラストのジャングルブックな観客は何者?
特に気にならなかったが…
後で調べたらモンハンのコスプレだった
モンハン知らない
ひたすらずーっと走ってるイメージ
ミラ様の映画は観たけど、相変わらずの夫婦イチャイチャ映画だった
たしか、まぁまぁ面白かった記憶が(爆)
ゲームはネオジオで止まってる…
龍虎の拳2がネオジオ ミニに入ってないのが残念である
そしてオーケストラと無関係な、サスペンスチックでややB級なED曲
劇中のコンコン ノック音は、隣の劇場からのこもれ音だと思ってたら、違った!
まさにダミーノイズ
集中力が少し削れた
意外とわずらわしい…
(ジャロに連絡)
映画鑑賞後に色々調べたら、殆ど全てが意味深い演出だったみたい
知らんけど
ケイトの独走演技に、終始ずっと包まれる
まるで高級ブランケットの様…では無いけれど
毛糸の様な?…絶対違う
圧巻の、ザ・ケイト劇場でした
芸術作品と人格、キャンセルカルチャー
芸術作品と人格のギャップを極端なまでにカリカチュアしたのは映画アマデウスであった。神に召されたかのような至上の音楽と、下品な若者モーツァルトのふるまいとの対比は、多くの人に芸術の理不尽で、気紛れな一面を鮮やかに知らしめた。リディアの芸術は、未だそこまで至高でもないし、振る舞いも概ね至って常識的。チェリストのオーディションはブラインドで満場一致の結果だし、副指揮者選定への一連の動きも至極真っ当に感じた。芸術家のステイタスは受賞歴やプライベートジェット、住処等で記号的に表現されていて、そこからの転落がサイコスリラーぽく曰く有りげにサブリミナルも交えて描かれているのだけど、そこはいまいち小粒でコントラストに欠けるきらいがあった。
権力とステイタスを手中にした者への厳しい姿勢は、SNSとスマホの発達によりますます苛烈になり、盗撮や意図的な編集により、何かあれば一瞬で引きずり下ろされて血祭りにされる。「でる杭は打たれる」のは小澤征爾のN響事件のように昔もあった。でもその後、作品まで封印されかねないのが現代の習いになりつつある。恐ろしい世の中だと思う。キャンセルカルチャーと言うらしい。殺人を犯したカラヴァッジョの絵は見てはいけないのか? 出演者に1人犯罪者が出ただけで映画やドラマが見れなくなるのはそれで良いのだろうか?
バッハが子沢山であったことから女性虐待と断罪して彼の作品は聴かないという男子学生のエピソードは、シナリオ上の極端な設定と言うだけでは済まなくなってきている。ジュリアードの学生がバッハのロ短調ミサやグールドのことを知らない訳もなく、あれは政治的な虚勢かもしれないが、リディアは真面目なのでガチで学生をやりこめてその一連のやりとりが盗撮アップされてパワハラとして晒されてしまう。実に立場逆転なのだ。
リディアがロボットと呼んで忌み嫌うSNSとスマホによる小さな正義を行使する人々は、一方で身近な神を生み、一方で振幅の小さな平準化されて清潔な世界を生み出していく。
一連のクラシックをめぐる蘊蓄の羅列やアナグラム(TAR→RAT→ART等)は、わからなくても余り問題は無い。むしろそれらを十ぱ一絡げに葬り去らんとする意図すら透かし見える。教養はマウンティングのためにあるのではなく「遊びの材料」ってのはタモリの名言。ドイツ語の字幕が無いのも敢えてだ。ヴィスコンティよさようならって。クラシック界も大きな変革の波の中にあり、レコードやCD等のパッケージメディアの終焉というかニッチ化に伴って、名門DGドイッチェグラモフォンも青息吐息だからこそ実名でのタイアップに応じたのだし、専制君主のような指揮者も、積り重なった玉石混淆の教条主義的な蘊蓄も最早既にオールドファッションだ。
だからこそラストのアジアの若々しい新興国での再生が意味を持ってくる。コンクールの覇者が近年殆どアジア勢であることが示すように新しいクラシックの可能性は確実にアジアにある。それは今までと異なる風変わりな、見慣れない外見を纏っているかもしれないが、音楽の本質は意外に変わらない。リディアが真摯なスコアリーディングから作曲家の意図を探っていく姿勢は、マーラーだろうがモンハンだろうが全く同じだった。この姿勢がある限り、明るい未来が確信できるラストが呆気ないけど良かった。
最後に一点、どんな音楽も根本には歌があり、同じ空間で空気の震えを共有するという原初体験は、異議噴出の冒頭エンドクレジットで流れる民俗音楽の歌で強制的に実現されていたし、リディアとオルガ(名前ヤバっ)の音楽による邂逅(作曲中の曲をピアノで試し弾き&チェロコン練習)は、息の合った合奏が高次の愉悦をもたらし、何よりもセクシーである音楽の秘密を示していた。てんこ盛りの映画だが、音楽の喜び、音楽への真摯な姿勢といった根本はきちんと表現されていたと思う。
映画にする必要はなかった。
ひとり芝居で充分だった。
ケイト・ブランシェットは良かった。
シャロン、フランチェスカ、
ペトラ、そしてオルガ。
脇が全く機能していない。
それぞれ芝居は上手で、
なんとなくリディアの事を、
それぞれ考えているのであろうことは伝わってくるが、
リディアの崩壊に(または、
それを食い止める役含め)、
どう機能させるかを、演出できていないのは致命的。
素晴らしいキャストが集まっているのにもったいない。
シナリオというより、
演出というか、
リディアに頼りすぎ。
もともと、シナリオには、
オーケストラのシーンが、
多かったのかもしれない。
それぞれとの関係を、
コンタクトを振るターで、
魅せることはできたかもしれない。
コロナ禍での大人数での、
撮影の大変さは身に沁みて共感できる。
シナリオの流れを考えると、
ラストの意味を多様に解釈することは困難。
クライマックスは超長回しで渾身の指揮!
と思ったら
クビになってわざわざ正装して、
晴れ姿を捉えるカメラアングルで
後任の指揮者にここはワタシの居場所よー、
と浴びせ倒すんかい!
最初の自己紹介、そして学生を追い詰める
この長回しには恐れ入りました。
それだけに上の描写には参った。
全体の演出としては、
更迭されたところもハッキリ説明してないし
わざと曖昧にしているが
ケイトブランシェットの熱演なら
明確に状況を表してもよかったんでは
ないでしょうかね。
70点
4
イオンシネマ草津 20230531
鏡
オープニングの演出に驚いた。一気に、ケイトが演じる役の世界観に引き込まれた!。鏡の演出、カメラワーク、音、全てを失った主人公が再び決意を固めたシーンなど、とても魅力的な女性で、この作品が10年後、15年後に再評価されると確信している。
てっきりジョーカーの監督だと
いつもの映画館②で
平日になかなか時間が合わず日曜日の昼の回に
ちょっと難解な文芸作品を想像していたら
想像以上にそんな感じだった
前半は睡魔に苦戦気味 ここまで長い必要はあるか
長台詞の応酬みたいなのを観るのが超苦行
最後の方は結構展開がポンポンポンと楽しめた
ラストはオラはユーモアと受け取ったのだが
どうなんだろう そもそも実話なんだっけか
何かモヤモヤシーンが多かったがそれはそれでまぁいいかと
・スマホのチャットのやりとりは誰と誰だ
・自殺したひとって画面に出てきたっけ
・隣人が新聞がどうとか聞いてくる
・公園の悲鳴
・冷蔵庫の音
・廃墟で誰に追われた
他の人のレビューが読みたくてしょうがない
こう思えるのはよかったということなのだ
自分の解釈は合っているのか…
同じようにとらえた人がいて嬉しかったり
別の解釈を知ってあぁと感心したりする
通常エンドロールで流れる情報がオープニングで出る
なのでエンドロールは短かめだった
ちょっとひねくれた監督なのか 実験的というか
巨匠的なひとなのか まぁそうなんだろうな
てっきりジョーカーの監督だと思って
観たいリストに入れていた
それはトッド・フィリップス 予約してから知った
ジェンダーというより「人間の業」をエグる作品
今年のアカデミー賞作品ノミネートで気になっていた作品。権力・クリエイターって何?と考えさせられるテーマ。
ベルリン・フィルの主席指揮者で女性のリディア・ターが主人公。マーラーの全交響曲をベルリンで振ってCDにするぐらいの第一人者。そのリディアが欲しいままにした権力と、指揮者としての才能が徐々に崩壊していく様を描くヒューマンドラマ。
映画的には、まずは音でしょうね〜。クラシックをテーマにしているので、当然に演奏シーンの迫力があるのですが、リディアがだんだんと堕ちていき、精神が蝕まれていくのを、色々な「雑音」で表現している。隣人の呼び鈴、人の叫び声、メトロノーム、冷蔵庫の音(お〜、ハチクロじゃん!)、様々な雑音が彼女を追い込んでいく。もうドラマではなく、ホラーですわ。
で、主演のケイト・ブランシェットは凄いの一言です。ピアノでバッハを弾くは、マーラーを振るは、ドイツ語とアメリカ英語(確か彼女はオーストラリア人)はペラペラだわ。何よりも、この主席指揮者様の不遜で堂々とした態度を強烈に示しています。
物語的な妙も素晴らしいですね。これ、高名な指揮者がセクハラとパワハラしまくる話で、実際のカラヤンやバーンスタインの逸話が元ネタ。でも、それに1つ決定的な嘘を入れるだけで、そんなゲスな話が深い話になる。それは「高名な指揮者」を女性にしたこと、です。
ただその1つの嘘で価値観がひっくり返るんです。指揮者とコンマスが付き合って、エコ贔屓でソリストを決めるなんて、男性の指揮者を主役にしたら、いまのポリコレ世界では作品になりませんよね?でも女性なら、立派なジェンダーもの、になる。これも痛烈な皮肉ですよね〜。
やりたい事を成し遂げるためには、名前すら偽り(リンダ→リディア)、あるべき姿を演じて嘘を重ねる。そうして築きあげた権力の前には男も女もない。何かを得るためには、何か失わねばならない。で、全てを失っても、フィリピンでモンハンのゲーム音楽の指揮をしてでも、クリエイターはやめられない。
決して面白い作品でも分かりやすい作品でもないので、おすすめはしませんね。
ただ、恐ろしい人間の業を描いた傑作なのは間違えないです。
えー!面白かった???
「エブ・エブ」とアカデミー賞を争った「ター」。
「エブ・エブ」が(私にとって)面白くなかっただけに、こりゃ「ター」は絶対見なきゃ、
いくらなんでもこっちは面白かろうと、いそいそ見に行きましたが・・・。
えー!
面白かった??
えー!
なになに、あのメトロノームのイジワルとか、誰の仕業だったの?
えー。
えー……。
あんまり面白くない映画でした……。
演出・脚本で評価される作品
この作品は、その内容が面白いというよりは、演出・脚本へのこだわりに対する評価が高いものと思われる。そのため、一度ではなく(演出を理解した上で)二度見た方が(よりその細部を掴み取ることができて)面白いということなのだろう。
そのため、パッと見で面白いものではなく、ある程度の玄人向け作品である。
現実と幻想のハザマの妙
トッド・フィールドがケイト・ブランシェットありきで作った脚本ということがよく分かります。彼女以外にリディアは演じられないだろうし想像もできない、ケイトとリディアの区別や境界が不明になる時、作中の現実と夢の世界の区別というか現実に引っ張られる夢、夢から現実に戻る時、狂気と冷静、論理の関係などノンフィクション(フィクションなんですが)とファンタジーの間を感じた時、自分は浮遊感にとらわれたような不思議な感覚になっていました。何より、これはノンフィクションだったっけ?という分かっているのに騙されるような、そして、それを楽しむような作品の作りに脱帽です。
面白かった点
・あらゆる社会問題の無理ない詰め込み。それを拾っていく作業がなかなかに面白いし、それが大小問わずに鍵となっていること。
・何よりケイト・ブランシェットの演技は称賛されるほどに素晴らしいのだが、他の役者も現実じゃないかと錯覚させるほどの出来。
・そして最も素晴らしいのは「音」。オーケストラパートは当然だけれども、会話や生活音だったり「ノイズ」だったりの聞こえ方、活かし方が絶妙で物語の重要なパーツであることに気付くはずです。
残念な点
・編集にはひと工夫欲しかった。場面場面のつなぎ合わせが雑なのかなんのか断絶を感じ、一瞬、話の流れについていけなくなる。
・物語の導入。音が聞こえにくいし、エンドロールを最初に持ってきているのだが字が小さすぎて分からないw
2023年のアカデミー賞はこちらの作品こそ相応しいんじゃない?というのが結論です。
もしも〇〇が女性だったら〜、のワンアイデア物
これ、有名指揮者でも、有名監督でも、有名経営者でもなんでもいい。
ストーリーが凡庸。主人公が男だったらよくある話で、それが女性になったからといって面白いとは思わない。いろんな伏線回収の描き方については長すぎてどうでも良くなった。期待したラストも「そうなんだ〜」位。
見どころは主演女優の圧倒的な長回しワンカット。
不気味でやるせなくて切実なのに元気をもらえる映画
ホラー的な描写も駆使しながら、描いているものはとても複雑で切実で普遍的な絶望とそれを生き抜く力強さのようにも思えた。昨年のアピチャッポンの『MEMORIA メモリア』を思い出し、ターがアコーディオンを弾く姿はフランシス・F・コッポラの『カンバセーション 盗聴』を想起させる。
作者の人格と作品自体の価値
指揮者である主人公の生活を淡々と捉えるような映像ですが、栄光を手に入れ自信に満ち溢れた日常の中に緊迫感や不穏感が立ち込めてゆく様子が良かったです。
ある理由で段々と立場を失ってゆく展開は、自業自得という部分もあると思いますが、何だか男性の権力者のお話にありそうな自業自得ぶりと感じました。
見る前のイメージでは、女性がトップに登り詰めるための女性としての苦労などが描かれているのかと思っていましたが、権威ある立場を利用しよろしくない振舞いをして転落するという、権威を持つ者に男も女も関係ないとは言え、不思議な印象でした。
音楽に対する真摯な態度については好感が持てますし、作者の人格と作品自体の価値について講釈するところは成程とは感じましたが、生徒に対する攻撃的な論破はやはり不適切だと思います。
あの場面の嫌な空気感、居心地の悪さは半端なかったです。
ラストはバッドエンドともハッピーエンドともどちらとも取れる、という話は聞いていたのでどうなるかと思っていましたが、ビジュアルとして…え?と。
小さいながらもクラシックのコンサートで再起すると思ったらコスプレイベントかーい!と、カメラワークもそういう困惑をさせる見せ方で、インパクトがありました。
確かに、世界最高峰のオーケストラからこれとなると、正直落ちぶれたやるせなさを感じます。
しかし、転落した後の、幼少期の音楽に対する純粋な気持ちを確認したらしき場面を踏まえると、権威や場所などは関係なく人を感動させる音楽を信じ真摯に向き合っている様は尊さも感じます。
冒頭のエンドクレジットの民族音楽らしき歌は、民族音楽を研究していたという主人公が栄光や権威を手に入れる前、音楽に対する純粋な気持ちを象徴するものだろうかと。
ラストはそんな栄光や権威を手に入れる前に戻ったということかとも思いました。
ラストシーンの後のクレジットの音楽は、現代的な機械音楽のようでしたが、最初の民族音楽からクラシックな管弦楽を経て機械音楽へと時代が変化している、権威あるクラシックも音楽の一時代に過ぎないということなのかとも思いました。
音楽の力を信じて音楽に身を捧げる指揮者として主人公は尊敬できるものの、権威に溺れて人を蔑ろにするのは共感できないところなど、作者の人格と作品自体の価値を論じる部分と重なりますし、ラストも含め価値の捉え方を考えさせられます。
具体的な説明がなく示唆するようなよく分からない部分も色々ありますので、考察や批評なども見てみたいと思います。
後から、ラストのコスプレイベントはゲームのモンスターハンターのコンサートらしいと知りました。
周りを見ずに突き進む人の顛末
周りと乖離してる主人公との関係性を、主人公ターの視点のみで描く。
他の視点がないことでよりターの行動心理を顕著かし、観てるものの倫理観に問いかける。
そして表情を持たせない為に使われるスマホ画面のやり取りが他者とターとの距離感を浮き彫りにする辺り、ホラーではないがゾクゾクする感覚を覚えた。
彼女の共感力のなさと裏腹に自尊心の塊となってる自身の倫理観の欠如の積み重ねによる崩壊、その決壊の演出がとても際立ってた作品でした。
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