ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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まともに生きようと思っても社会がそれを許さない
東海テレビ制作のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』を思い出させる作品だった。『ヤクザと憲法』は暴対法や暴力団排除条例の施行によって、銀行口座も作れない、携帯の契約もできなくなったヤクザがしのぎをどんどん失い、生きる権利を奪われていく過程を密着取材で捉えた作品だ。この作品は、その劇映画版と言ってもいいかもしれない。
一人の若いチンピラがヤクザとなり、刑務所に入り、出所してからの生活を3つの年代に渡って描くが、本作はまだヤクザ組織が元気だった頃から始まるので、法律の施行による凋落ぶりがとても強烈な印象を与える。主人公が刑務所から戻ってきたら、世の中が一変している。まともに生きようと思っても、生活がままならない。非合法なことでもしない限り生きていくこともできないような世の中になっている。ヤクザをなくすための法律・条例のせいでヤクザが足を洗うことができなくなっている。そんな強烈な矛盾に翻弄される人々の物語だった。
ヤクザと時代の変化を1999年から2019年までの期間で描いた秀作。藤井道人監督のふり幅の大きさに驚く。
本作は昨年の日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した「新聞記者」を手掛けた藤井道人監督と、尖った作品を送り出し続けるスターサンズという映画会社が再びタッグを組んだ作品です。
「新聞記者」についてはフィクションとは言え、賛否両論を巻き起こしたため最優秀作品賞に関しては物議を醸しましたが、本作は完全なオリジナル作品なので純粋に見られると思います。
まず、本作を見て一番驚いたのは、藤井道人監督のふり幅の大きさでした。
「藤井道人監督の大型の商業映画」は、それこそ「新聞記者」が最初でしたが、その次に「宇宙でいちばんあかるい屋根」というファンタジーで良質な作品を手掛けました。続いて、再び毛色が大きく変わった本作の登場です。
ヤクザ映画というのは、暴力シーン等かなり違った技術が要求されますが、それをベテラン監督の如く演出し、的確に描き切っていました。オリジナル脚本の完成度も含めて、この分野を主戦場にしてきた監督からしてみたら驚異的な存在に映ることでしょう。
さて、本作は時代の変化とともにヤクザという存在がどのようになっていったのかがよく分かる興味深い内容となっていました。特に終盤での展開は切ないほどリアルで、こういう俯瞰的な視点のヤクザ映画が作られるようになったのは時代の変化を感じます。
主人公の綾野剛が1999 年の少年期の序盤から、ヤクザとして最前線で生きた2005年を経て、2019年の現代までの約20年間を演じています。当初はさすがに20年間の変化は厳しいのかもしれないと思いました。ただ少年期とは言え成人前くらいだったので違和感なく見事に演じ切っていました。
本作は全体的に出来が良いので、大げさではなく役者陣全員が良かったです。中でも2019年から登場する磯村勇斗は存在感の強い役者に成長していて今後が楽しみな俳優になっていました。
タイトルの意味も含め、間違いなく深い秀作です。
☆☆☆★★★ 「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」 ちょっとだけ...
☆☆☆★★★
「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」
ちょっとだけの感想で。
前作の『新聞記者』が好評だった藤井監督の最新作は、時代に取り残されてしまった(昔気質な)ヤクザの苦悩を描く意欲作。
今やヤクザ組織も、以前ほどの羽振りを効かせては街中を歩けない時代。
マル暴の睨みを掻き分けながらのシノギが続く日々。
そんな中で、或るヤクザ組織に拾われるのが綾野剛演じる主人公。
自分の親を反面教師として、(元々は)なる気もなかったヤクザ組織で自分探しをするかの様に生きている。
いつしか時代は変わり【義理に熱く、人情にも厚い】古臭いヤクザには未来が見えず。寧ろアルバイト感覚だったり、遊びの延長で金稼ぎに走るチンピラが幅を利かす社会がやって来る。
脚本も監督自身の手によるが。やがて主人公自身と共に周りの関係者達も成長して行くに従い、生き方が下手な主人公と反比例するが如く。幼かった翼を対象的(お互いの父親との関係性と共に)な存在として描いては、のし上がって行く展開で。単純ではあるものの、「一体この先どうなるのだろう?」との想いを、観客側に想起させ。次第にスクリーンから目が離せなくなって行く。
それだけに、〝 徒花 〟となって生きる悲劇的な人物を、映画は慈しむ様に描いてはいるが。そこはソレ、やはり《ヤクザはヤクザ》でもある訳で…。
そんなヤクザな男を、ほんの少し美しく描き過ぎている感も無くは無い…かなと。
(まあ、そんな事を書いてしまっては。マキノ&高倉健の黄金コンビによる往年の任侠映画はどうなんだ?と言われてしまいかねないんですけどね💧)
出演者では、主人公役の綾野剛はなかなかの熱演。
他では、兄貴役の北村有起哉。下衆な刑事の岩松了。後半は翼役の磯村勇斗が印象に残り、ホステス時代の尾野真千子がメッチャ綺麗。
ありゃもう男だったら絶対に惚れるだろ(´-`)
前作は世評ほどは良作とは思わなかったのですが。
(生意気を承知で言うとm(._.)m)え
演出力を上げて来たなあ〜と。
2021年1月30日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン9
現代のヤクザ像
かっこいいヤクザはもう過去の話なのだろう。三つの時代を描く事で、世の中の移り変わり、ヤクザの世界の変わり方を描いた、今のヤクザの話。
義理や人情もあったと言われる昭和のヤクザは消えていったるが、実際にはヤクザよりも冷酷な現代の悪が別のモノで現れている。各俳優を良かった。
令和のヤクザ映画。
最近見る映画によく磯村君を見る。良い俳優だ。
真面目に働こう
と思いました。
どの世界でも大変だよな。
楽な仕事はない。
命にかかわることはしないほうがいい。
かかわらないのが一番っていうのを教えてくれた、
良いヤクザドキュメンタリー映画でした。
若い子にはオススメしたい。
こうなりますよと。
若い頃は安定とか普通とか真面目とか、なんかカッコ悪いと思ったけど、
案外、普通に仕事して、
普通に家族を養って、
普通の暮らしをするって、簡単なようだけど、
全員ができることじゃないかも。
今日も健康に平和に暮らせることに感謝。
仕事に感謝。
家族に感謝。
神様に感謝。
映画最高!
薄かった
この映画はヤクザを描く映画ではなく、「ヤクザ」という舞台装置の上で、家族を求める1人の男を描く映画だと思いながら鑑賞した。
理不尽な環境の中で、不器用に自らを犠牲にして生き抜き、そして10年以上の時を経て、次は社会の変化の犠牲にさせられて…どこまでも上手くいかない人生をもがきながら大切なものを守るために男は生き抜いた。
だが、言いたいこともラストシーンにあの二人が出てくる理由も分かるが、それまでの過程が薄いので感動とかは出来なかった。
まず前半の、綾野剛さん演じる山本がヤクザの世界に足を踏み入れてから、弟分の仇討ちをして逮捕されるまでの1時間。山本が舘ひろしさん演じる組長に惚れ入る理由がよく分からない。確かにめっちゃ渋くてカッコイイけど、それだけで父親の変わりと思えるのか?それ以外の兄貴分とかとの関係が分かるエピソードもあんまり出てこないので、この組への深い思い入れが観客側には伝わりづらい。
そして後半の、山本が出所してから、ヤクザは規模の縮小を余儀なくされた社会で、もがいていく1時間。
こちらはそこまで悪くは無いのだが、前の1時間が薄かったせいで、苦しい現実を突きつけられるだけの悲しいパートになってしまっている。
また何より、後半パートでアスペクト比と色味?が変わる演出。(確か撮影に使ったカメラの機種も変えたとかインタビューで言ってた気が…)確かにその方法論はアリだが、意図的にそういう演出にしたのか、それともアスペクト比や色味という表層的な部分を変えないと、16年の変化を演出できなかったからそうしたのか、それによってこの作品の評価は変わって来ると思う。
もし後者が理由であれば、それは脚本をもっと見直すべきだったと思う。16年の変化を描く方法に、観客からしか見えない表層的な部分だけ変えることにしたのは、もっと深い部分の変化を描くことが出来なかったからとしか感じられない。何より前半での人物造形が薄いのに、後半で人物の環境の変化とアスペクト比だけで16年の差を表現されてもピンと来ない。もっと他に見せ方がなかったのではと思ってしまう。
しかし出演者の熱演は非常に見応えがあった。特に16年後の木村翼を演じた磯村勇斗さん。彼の存在感は凄かった。(山本と初邂逅するシーンで「めっちゃ成長してるやん!」と少し笑ってしまったが)1つひとつの挙動や声の出し方に凄みや余裕があり、それでいて若い子どもらしさも残す彼が、最後に山本に守られて罪を犯さずに、山本の娘と対話を果たすのは、良い展開だと思った。ただ彼も、山本への憧れや尊敬が簡単なセリフでしか表現されていないので、
もっと描かれるべきシーンがあったのではないかと思ってしまう。
他、全ての出演者が圧倒的な存在感だった。登場人物が多い映画だと、誰かが印象薄くなりがちだが、この映画は印象的な人物ばかりで記憶に残った。一方でこの人物たちの深堀がもっとできていれば、社会問題と家族愛や友情を密接に繋げて昇華できたのではないかと思ってしまう。
出ずっぱりの親父。親父の親父。出てこない親父
どこかで読んだか聞いたかした話によると暴力団員になるのは居場所がないからだという。受け入れてくれるところがそこしかないというわけだ。
自分を愛してくれる人、愛してくれる場所がそこにしかない。つまり家や家族を求める行動といえる。だから親父や兄貴と呼び合うのだろう。
映画的に言うなら疑似家族ものの側面がある。
親と兄弟のいる柴咲組にあって舘ひろし演じる柴咲はいい人を作れという。子が親元を離れ新しい家族を形成する巣立ちを促している。
疑似家族だけではなく血の繋がった家族へと物語は繋がっていく。
従来の家族、新しい価値観の家族、と広がりがあるところがいい。
暴力団対策法という節目をまたぐ意味合いもあるが年代を三つに分けることで山本にいくつもの家族の形を体験させる物語構成は素晴らしい。
時代は流れ、居場所を求める者たちはもがく。
絶対の居場所であった組にいられなくなったからだ。
もう何も掴めなくなったときに残そうとする爪痕は破滅的で切ない。
疑似家族から時を経て最後は親と子の物語に着地するラストシークエンスは非常に泣ける。
年代が飛ぶことで余白が自然と生まれ、これまで積み上げできたものが膨大になる。それが繋がり爆発するのだ。泣けるに決まってる。
とにかく面白かった。内容も良かったのだけれど、キャストが特にいい。
舘ひろしさんが貫禄不足みたいに書いてる方もいるけど、貫禄不足でいいんだな。腹黒そうじゃないところが重要なんだ。つまり優しそうに見えるのが大事。柴咲とはそういう男でなければ物語が成立しない。
そして主演の綾野剛は、相変わらずうまい。
物語のほとんどを山本の視点で追うわけで、要は出ずっぱりなのだが見事に娯楽性を牽引したと思う。
あとはエンディングを締めた市原隼人と磯村勇斗は見応えあったね。
畳み掛けるような出来事の中で魅せた演技の応酬は嫌でもしびれる。
特に磯村勇斗の最後の間は、なんていうかこの作品の全部があの間に乗っかってるような、凝縮した瞬間で、驚きに似た衝撃がある。そう、最初から最後まで「親父」の話しかしてなかったと気付いてしまったのだ。タイトルに書いた3人の「親父」
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな...
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな感想を言わせる力がある作品なのはわかる。
前半は舘ひろし力、後半はとにかくイケてる磯村勇斗の魅力で持ってた。自分の身に引き寄せられる様なテーマがほぼ無かったけどラストシーンは文句なしによい。
「シケたツラしてんじゃねえよ」みたいに今時そんな事言わすか?的な陳腐すぎる台詞と行動が多いのにはワーオってなったんだけどこの監督はあまり言葉に興味がないのかな?あとは出来事とそれに対するリアクションが類型的過ぎるというか書き割だなーというのはさすがいつも通り。
どの出来事もどこかで見た事ある様な類型的なものの連続でオリジナリティがないけど作品として成立してて逆にすごい(褒めてない)。ヤクザが記号的に描かれてそうな予感がしてたけどそこまでではなくて安心した。シノギがないけどカタギにも戻れないヤクザはどうなるかの思考実験(というかコント?)
として楽しめたけど悪事働いてたヤクザが悲哀出してもやっぱどーでもよーとしか思えないよね。前述の中身のペラさから「そうならざるを得なかった」感は残念ながらは出せてないし。家族を希求する主人公の動機が不明だし、家族を無条件に良いこととして描いてるのもサムい。別にいいけど。
共感の余地なし
village公開記念?で特別興行上映にて鑑賞
【良かった点】
親子盃を交わすシーンからのタイトルバック
→破滅の始まり。鑑賞者側に賢治のバッドエンド確約を悟らせた場面。鳥肌モノ
【悪かった点】
よほどヤクザ=悪の方程式が植え付けられているのか、
一貫して主人公に感情移入出来なかった。結末も自業自得でしかなく
どちらかというと由香に感情移入してしまう。
本作の評判の高さと自身の評価とのギャップが大きく苦しんだ。映画.comのレビューもよなよな拝読したが、、、
プラスに働くことはなかった。
Millennium paradeのFAMILIAは好きです。MVも。
計算し尽くされた美しさ
やっと観ました・・・
誰かの人生が壊れていく様、人が壊れていく様を、こんなに美しく描くことができるから、私は映画というメディアを愛しているのだと再認識させられました。
私たちが心震えるのは、その人の肩書きや仕事の向こうにあるものを見ているからだと改めて感じるし、それでも現実は残酷で社会は他人行儀、勃興があれば振り子のように没落があること、映画は美しいけれど現実は美しくないことを思い知らされます。
どの映画もそうなので当たり前なんですが、光の量や角度、尺の長さ(間の取り方)やアングル、があまりにも計算されているのがわかり、役者の演技に自ずと意識が向いてしまいます。久しぶりに、シミやしわ、肌の質感で演技をする役者陣を見て、どれだけの努力と時間、どれだけのスタッフがこの映画を作ったのだろうと思い、しっかりエンドロールまで噛み締めました。
私はヤクザ映画が好きですが、この作品は同ジャンルの中でも特に新しく、より大衆に受け入れられる、繊細でまとまりの良い映画だなと思います。
賞を取る理由がわかります。
少々叙情的過ぎるが印象的な作品
ヤクザ同士の絆と、ヤクザに対する社会の変容を描いた作品。ついついこの作品に出てくるヤクザに同情してしまう、悲しみのある作品である。一方で、なぜ社会がヤクザを排除しようとしているのかという部分があまり描写されておらず、「一方的にヤクザが排除されてしまった」というような同情を誘う演出に依っているところが気にはなった。
ヤクザ映画であってヤクザ映画でない
ヤクザ映画はあまり得意ではないのだか、本作は序盤から一気に惹き込まれた。
薬に手を出してしまった中村、復讐を決意した翼のアップ、終盤の賢治の独白。どのシーンも胸が苦しくなるほど。
ラストでやっと救われたような気がした。
今までのヤクザ映画にない
これはリアリティあるのだろうか、、
それはわからないが、今までのヤクザ映画にないストーリーだった、、
威勢の良いヤクザ映画しか見てきたことはないので、最後こんなカタチで終わるのは少し寂しかった。。
綾野剛の演技は迫力があったが、演じている役柄に覇気があまりなくイラっとしてしまった
ご都合主義だらけ
この映画がなぜこんなに評価が高いのか、
正直、不思議。
使い古されたベタなキャラクター設定の配役オンパレード。
映像で状況説明し過ぎ。
あからさまな前振りが多く、先が読める。
次々に、ご都合主義なベタな展開が続くが、
逆に最後はあり得ない結末。
全編通してリアリティ欠如で、
かといってエンタテインメントに振る訳でもない、
以上、愚痴だらけの感想でした。
悲しすぎるラスト
ヤクザ映画はドラマチックで成立しやすいが、これはヤクザそのものを描いたヒューマンドラマだ。 骨太で、かつ、繊細。 綾野剛は顔がヤクザ顔だから損してるかもしれない。舘ひろしは温かみのあるオヤジがこれも〇。 市原隼人もいい味出してる。 自業自得でしょ、と思いながらエンディングにかけては余りにも悲しすぎる展開だった。最後弟分に刺殺されるシーンは印象的。久々にエンドロールまで観切った。
平成令和のヤクザ映画
新しいヤクザ映画な感じに見えて、確かにその予想は合っていました。
期待を超える部分、ありがちなシーン、予想出来なかった展開、たくさんあり見応えもある作品でした。
特に照明は冷たさや重く暗い感じを表現していて印象深かったです。
印象的だったシーンは、主人公がヒロインをデートに誘うシーンです。
昭和のヤクザ全盛期を知る世代と、平成令和のそうじゃない世代で一緒に観て欲しいです。
映画のすべての至らなさを俳優の〝力み“でカバー
ヤクザの時代は終わった、と説明台詞が何度も出てくる。くどい。それ以上の思想や鮮烈なアイディアはとくに感じられなかった。
またベタな模倣が目につく。黒い罠やブギーナイツへの憧憬か長回しのOPはこすられまくっているし、トゥモローワールドのような車の襲撃の長回しも、本家の背筋の凍るような、テクニカルにもどうやって撮ってるかわからない破格の域ではもちろんなく、なんとなく真似して薄まった感がいなめない。長回せばいいというものでもない。クライマックスのマグノリアのようなモンタージュも当然マグノリア以上にはならない。憧れがあったので真似た、薄まっただけの結果になった、という印象が目立つ。新たな発明はしないのか。過度に雰囲気の作られたスワロウテイルのような中華料理店も不自然、カッコつけているだけにしか思えず、セリフや作劇で描かれているのは極めて庶民的な下町の雰囲気、なぜムード満点なのか。頻出する逆光の「キラキラしたきれいな」画は節操なく、セリフはどこかできいたようなベタ中のベタ。それらすべてを俳優の〝力み“に委ねたような映画だった。
磯村勇斗だけは素晴らしかった。
年代を経て変わっていくヤクザの世界
タイトルから任侠ものを想像してしまうが、「反社会的勢力として年代を追うごとに行き詰っていくヤクザ」と「元ヤクザ、一般人含めての家族愛」を描いた藤井道人監督作。
綾野剛も一本筋が通った男として「ただのチンピラ」から柴咲組の組長(舘ひろし)を救ったことから「ヤクザ」の世界に入っていく男を好演していたが、本作でとりわけ目を見張ったのは(ほぼ紅一点の)尾野真千子である。バーのホステスをしていたところを綾野剛に惚れられるが、彼がヤクザだからと言って臆することなく(押し倒してきた彼を)引っぱたくわ、思ったことを言うわ…の存在感(笑)
序盤、尾野真千子が出てくるシーンが楽しい。
〇綾野剛の部屋に呼び出された尾野真千子が、彼の部屋に入ると綾野剛が彼女を押し倒す。
⇒「何すんのよ!」と怒る彼女に、綾野剛は「ココに来たら、ヤルこと込みだろ…」(笑)
〇綾野剛が「なんでウチの店で働いているんだ?」と聞くと、彼女は「学費が払えないから」⇒「お前、学生か。老けてんなぁ~」(笑)
1999年には羽振りの良かったヤクザだが、数年先には世代交代の影が表れて、綾野剛が殺人罪で刑務所に入っていた14年後(2019年)には暴力団排除の時代になっていて「反社との付き合いも厳しい世の中」。
綾野剛は14年の「オツトメ」していたので、出所後に元仲間から「今は反社、反社と言われて、暴力団を止めても、最初の5年は雇用面でも難しかった」と言われる状態。
綾野剛が14年ぶりに再会した尾野真千子も役所勤務していたものの、やはり時代の流れ。ネットでの誹謗中傷問題も含めて、藤井道人監督は社会問題を描くのが上手い。
藤井監督の『新聞記者』ほどは世間に訴える姿勢は前に出てきてはいないが、社会問題と家族愛を描いた佳作であった。
[MEMO]本作は、2021年公開日本映画で、キネマ旬報読者ベストテン第11位
<映倫No.122270>
カッコよく描かないヤクザ映画
ヤクザ映画というと、ヤクザの怖さを描きながらもどこかカッコいい、というか、間違った憧れを持ちかねないモノが多いように思うが、この映画は全くそれがないのでは?組の仲間同士では家族のような繋がりを持ちながらも、世間からは徹底的に除外され、一旦関わると大変なことになるよ、自分も友達も愛した人も。幸せなんて程遠いよと、伝えているようだ。そこがとても個人的に面白く感じた。
ヤクザのケンジに恐ることなく自分の言いたいことを言うユカがカッコよく、ケンジが置いていった300万円にも手をつけず、子供を育てたユカはすごい。なのにあの結末はなんとも気の毒。でも現実なんだろうなあ。ケンジのラスト、意外な結末でした。同僚に裏切られ、妻子に見捨てられた彼(市原隼人)も気の毒。
舘ひろしの親分、似合ってた。そして駿河太郎と豊原功補、2人とも最近ヤクザの役多いなあ。これからヤクザ映画を牽引していくのか、それにしても駿河太郎の死に方はちょっと恥ずいぞ!
今時ヤクザなんて
そんな時代になってきたけど、
やり方は正しいことだけじゃないが、真っ当なヤクザは任侠と情に溢れてたのかもしれない。
ヤクザとその関係者は生きずらい世の中。
ある意味差別になってしまうのかもしれない。
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