万引き家族のレビュー・感想・評価
全918件中、241~260件目を表示
皆が現実の社会を意識化するためにこの映画を直視しする必要がある
柴田治と祥太の関係が『The Glass Castle』(ガラスの城の子どもたち)を思い出させた。万引きを正当化して祥太にさせているが、その反面、祥太の気持ち、(妹への嫉妬、性の目覚めなど)の相談相手になってあげられる。子供の成長の過程である精神面を満足させてあげられる。この家族と言われる場は祥太にとって家族といえる場所なんだ。
『にげた』という事実でこの夫婦は本当の親ではないと思うかもしれないが、
いやあ、古今東西、『逃げる』という行動にでる親はいくらでもいると思いなおした。子供を殺す親もいるんだからね。
でも、治は最後のシーンで本当に逃げたんだよと祥太の質問に事実で答え、翔太に謝り(私だったら、祥太と顔を合わして謝るが、、)、『おじさんにもどる。』といった。このシーンで二人の信頼感が増したと思う。
駄菓子屋のおじさん(この人の存在は祥太にとっても社会にとっても必要だと思う。)の一言『妹にはさせるなよ。』で祥太は目覚めた。祥太もわざと捕まったんだよ(かわいい妹に自分と同じことをさせたくないから)と。架空と法律的には思われる家族として生活をしていた現実は終了したが、治は祥太の心の中では『お父さん』と呼べるものに変わっていった。
なにが祥太にとってよかったのか?生みの親に戻っていくのがいいのか?答えはないが、祥太が成長してわかるかも。
社会のシステムや倫理の崩壊、中小企業の操業死活問題、不倫の結末、略奪、貧困からくる教育格差、貧困(葬儀、火葬場の費用がだせないなど)年金の不正利用、DV、柴田のぶえを担当した警官の差別意識、海外留学という(現実を認め変えることに努力しない)見栄などなどの問題。これらは現実にいくらでもあるがここにを集約させている。監督は日本政府は財政をどう使うかに目を覚まして欲しいと訴えているのかもしれない。
登場人物たちが一つの屋根の下で生活をシェアしている。社会にうまく馴染めない人々のあつまりだったり、行き場がなかったりする人が試行錯誤しながら社会組織の抜け道を模索しながら生きている。そして、この状態が社会から死角になってしまっているのが恐ろしい。そして、結果的に事件として扱うマスコミや施設などにも問題がある。
それに、カンヌで賞を取ったのは結構だが、これは我々、一人一人がなにか変えていかなければならないと人々に訴えている映画かもしれない。それは思いやりだったり、声かけだったりする。こんなシンプルなことでも、人の悩んでいる心を変えることができるから。
未だ謎に包まれたままの状況です
映画「万引き家族」(是枝裕和監督)から。
最近、映画館の中ではメモを取らずに作品鑑賞をし、
その後、DVDになってから、何度も巻き戻しを繰り返し、
気になる台詞を書き出す作業をすることが増えた。
そうすることで、不思議なことに、映画館では気付かなかった
面白い会話や演技を発見することになる。
今回は、多くの方が鑑賞し絶賛しているので、
なかなか選ぶのが大変だったけれど、
どうして、日本でこういう家族が生まれたのか、気になった。
物語後半まで、ひっそりと暮らしていたこの家族が、
ある事件をきっかけに、世間に対して存在が知られてしまう。
そして、毎回繰り返されるように、マスコミ各社が押し寄せ、
家の前で、大スクープのように大騒ぎする。
それを象徴するかのように、TVレポーターの女性が、
こんな台詞をカメラに向かって叫んだ。
「家族になりすましていた人たちが、一体何を目的に
この家に集まっていたのかは、未だ謎に包まれたままの状況です」
たぶんこの話題は、翌日に違った事件、事故が起きれば、
もう過去のこととして、謎に包まれたまま消え去っていくから、
この事件の背景も、なぜ彼らがこのような行動したのかも、
われわれ国民は、想像の域を超えないまま、次の話題に移っていく。
そうした二次情報に振り回されている、慌ただしい日常生活こそ、
今回のような家族を生み出しているような気がしてならない。
確かに・・二度観ると、この作品の素晴らしさがよりわかってくる。
P.S. (台詞ではないけれど、お見事というべきシーン)
・海ではしゃぐ家族をじっと見守る、樹木希林さんの言葉なき演技。
泥棒にも三分の理
「泥棒にも三分の理」という諺がありますが、この映画はいわばその「三分の理」に焦点を当てた作品です。
主人公たちの行動は、法や行政の見地から見れば完全に悪だが、経緯を見ると人情としては理解できるという感じです。
そこから派生して、ではこれを悪とする法や行政等仕組みは真に人を幸福にしているのか、という問いに繋がりこの映画は終わります。
テーマは割合ありきたりですが、描写が徹底して作り込まれていて役者の演技も自然なのでグングン引き込まれます。
この手の作品は主人公たちアウトローサイドを美化しがちですが、この映画では一切なく、とことんリアリティーが追求されています。
しかしそのせいか、ラストまであまりにも現実的になってしまい個人的には観なければよかったと思いました。
映画全体を通して暗く重い雰囲気ですので最後くらいは(実際には多少不自然でも)スッキリ明るくまとめて欲しかったです。
作品としての完成度はかなり高いと思います。しかし観終わったとき必ず陰鬱な気分になってしまうでしょう。
ある事件の裏側
是枝作品は、
自分の読解力不足からか好きなものと嫌いなものが
くっきり分かれて、毎度見るのが怖い。
今作は前者だった。
とても良かった。
是枝作品の子どもの演出はいつも自然で凄いけど、
その自然な演技に合わせる大人って実はスゴく大変
なんじゃないだろうか?と思う。
福山雅治とか、やはり不自然な存在に見えたけど、
今回は登場人物全てが、
本当にそこに暮らしているかのようなリアリティ。
匂いまで伝わって来そうな映像にゾクっとした。
あぁ、このまま疑似家族が幸せなままいてくれたら
良いのに、海街ダイアリーみたいに子どもの成長で
終わってくるたらと思うのだけど、
そうは行かず、
取り調べの下りは、もう何が正しいのかわからなく
なる池脇千鶴がすごく悪いヤツに見える不思議。
報道陣が集まる映像を観て、
僕らはテレビで伝えられる表面しか知らずに、
その裏側を全く知らずに判断してるんだなぁと
見終わったあと、ズンっと来た。
彼らは何一つ間違ってないように思う、
だけど世間的にはこのラストが正しい。
なんなんだろうこの世界は…
家族のあり方
なごやかな貧乏だけど楽しく過ごしている家族
一見昔ながらの家族に見えるが実際は色々な秘密を抱えていた。
万引きしか教えることがないって言ってたお父さん
最後の少年が小さくとうちゃんって呼んだのは感動した。
色々教わっていたんだなーと。
家族のあり方、父としての優しさとかね
まあ逃げちゃうのは悲しいよね
おばあちゃんのありがとうの言葉も良かった
普段からでてこないんだよね
最後埋められちゃったけどね
おばあちゃんもお金せびりにいったり、結構自己保身の強い人達の集まりでそれでも特殊な家庭が作られていた
安藤サクラっておばさんみたいだなあなんて最初の印象から一変、ラストのほうはすごくよかった。
虐待されてた子も、見せかけだけの母親の愛情よりあの家族にいたほうが幸せだったね
実の親の部屋はこぎれいだったけど子供より化粧、でもきっとあの家族と共に過ごせたことで変わるんだろうなも思う。
万引きはよくないけどね
知ってて見過ごしてた駄菓子屋のじいさんは良かった
刹那的で儚い家族の物語
格差社会の底で育まれた儚い家族の絆。側から見ると異常だが、確かに家族愛は存在していたのだと思う。ありきたりな感想だが、この子供達にとっての幸せとは何だったのだろうか?と考えさせられる。
本当にある世界です
家族に万引きを教えられ虐待を受け
家出をし水商売で働いた経験を持つ私からしたら
全てのシーンやセリフが刺さりました。
万引き家族は犯罪者の集まりです
映画の世界を体験してない、見た事ない人が観たら何も響かない映画かもしれません。
「犯罪家族」「虐待家族」「仮面家族」
毎日虐待を受け続けると判断能力も鈍ります
誰が悪いのかも分からなくなります
信代がりんに言った「叩かれるのはね、りんが悪いからじゃないんだよ。好きだから叩くんだよなんて言うのは嘘なの、好きだったらねこうやってするの 」とハグをした時は涙が止まりませんでした
仮面家族で育った亜紀は存在意義が見つけられず自分の居場所を探し続けています
体を求められているだけでも必要とされる事に喜びを感じ、おばあちゃんが自分の変化を察してくれる事に幸せを覚えるシーンが印象に残りました。
家族によって傷つけられた者同士が自然と集まり
生活しているだけなのに愛情が生まれている
やられた者だけが分かる痛み
冬に出会った6人家族、最初は歪だったのに
花火や海のシーンでは本物の家族のようでした。
犯罪をしていて長く捕まらないはずがありません
祥太は駄菓子屋のおじさんが教えてくれた事で自分が悪い事をしているんだと気付かされますが生活していく上でやらなければならない、妹にはさせちゃいけない葛藤の演技がとても素晴らしかったです。
池脇千鶴さんの演技も素晴らしく
どのセリフも腹が立ちました。笑
「本当の家族だったらそんな事しないでしょ」
「子供にはね、母親が必要なんですよ」
確かに犯罪は駄目です
全てを経験している私からしたらどの家族も最悪です
愛情があるからまだよく見えているだけで犯罪を教えるなんて本当の愛情ではありません
治と信代が働いておばあちゃんの年金でも十分に生活出来るはずなのにしない理由は犯罪者は楽な方に逃げるからだと思います
きちんと働いて稼ぐよりも盗む方が簡単
誠実に生きるよりも邪魔者を殺す方が簡単
ひとつの嘘を隠そうとまた嘘をつくのと同じでどんどん悪い状況に自ら堕ちていく
おばあちゃんを床下に埋めた時に治が祥太に「おばあちゃんは最初からいなかった」と言った顔が怖かったです
一部の情報だけ報道され真実が隠されたまま
りんちゃんは本当の家族に返されまた同じ悲劇を続けるラストがリアルでした
親権がある人間がどんな人であるかを見る前に法的に「親だから」という理由だけで誰も守ってくれないのが今の日本の制度です、というメッセージ性を強く感じました。
この映画で何も響かなかった方はとても幸運です
親は選べませんから普通は
大好きな樹木希林さんの作品で
古傷が少し癒えました、観てよかったです
誘拐までは出来ませんが私も困っている子供がいたらすぐに助けてあげようと思います。
意見が分かれるテーマ! 大事なのは『家族』の部分です。
この映画は、テーマが難しく意見が分かれる映画だと
思われます。
映画の尺がもっとながかったら違ったかと思いますが
それぞれの、家族一人ひとりの背景が描き切れていません。
そのため、回収できずに終わってしまうものがあります。
一番描きたかったものは、
『家族のかたち』だと思います。
万引き家族とありますが、ものを単純に盗む万引きでなく
困っていた子供を守る意味で、子供の万引きがあります。
その行為自体や、他の家族が揃ったいきさつは、
畠から観たら、犯罪行為、そして悪い行為ですが、結果としては
それがあったからこそ、幸せになっています。
時折、父親、母親として、承認を求めたい人の思いも描かれており
単純に血がつながっているから家族であり、一緒にいないといけない、
いることが幸せでなく、相手を助け合い家族としての役割が生まれ
幸せに生きることが、幸せなのではと感じました。
監督自身もこのテーマを扱いたいからこそ、描いたものではと感じます。
ここの部分の視点で鑑賞すれば、見え方がかわるのではないでしょうか。
逆に、万引きという行為も貧しさや生き抜くための手法として描かれていますが
そこにタイトルから注目してしまうと、最後まで何を描きたかったのか、不明のまま
終わってしまうと思われます。
法律の観点で言えば悪いことだらけで、理解されずらいことばかりだからです。
投資家して、この映画のスポンサーにと持ち掛けられたら
どういった点を大事にするのか知りたいところです。
陰翳礼讃
「鴨川で野犬が群れている・・」きっと飼い主に捨てられたのだろう。いたいけない子供への虐待、絶え無い「いじめ」、名のある企業の不正隠蔽、強欲な経営者・・・。日々、心痛めるニュースばかりに接しているので映画にまでして観る気になれなくてスルーしてきた。特に不幸な子を見るのは耐え難い。
本作の2年前にカンヌで同様のパルムドールを受賞した「わたしは、ダニエル・ブレイク」も貧困、社会的弱者を扱ったものだったが清貧を貫き、狡猾な社会制度への反骨のメッセージだった。是枝監督は同様な貧困、弱者でありながら、あえて汚すことで清らかさを際立たせる対極の演出で本質に迫っている。
前半の絡まった描写と後半の解しの構成、予想通り辛い前半だが細野さんの音楽で救われる気がした。役者からスタッフまで一級を集めている。
「家族とは、人の絆とは、生きることの矜持とは・・」持ち帰るものは人それぞれだろうが是枝監督のメッセージは間違いなく伝わっていくのではないだろうか。古い黒澤作品で「素晴らしき日曜日」という映画がある、戦後の焼け跡の中の貧しい恋人たちを追った名作だが時代は変わっても人間を見つめる温かく厳しいまなざしは日本映画の中に受け継がれていると実感させられた。
ありがとう
ひとつひとつのシーンの細やかな演出の施しようは枚挙にいとまない。吹き溜まりのように集まった家族であるが、構成する各人それぞれの距離感の違いが微妙に異なり、それが立体的な照らされる。構図の中心にいる、リリー・安藤の擬似夫婦と2人の擬似子供たち。それに対して微妙なバランスで配される樹木・松岡。特に半分居候然としている松岡茉優のキャラクターをここに放り込んだのは、驚異の一手で、絶妙な緊張感を全体に与えていたようにも思える。一過的な家族、しかし所詮は個人の集まり。永続的ではないからこそ貴重でもあり、人生を通り過ぎ、心に住まわせ、人は次へと向かう。
持たざる者はどう生きればいいのか
生まれてくる親は選べない。家庭は選べない。
まともに子育てしてくれてお金もそれなりにある親の元に生まれたらラッキー。でもそうじゃなかったら?
お金もない、知恵もない、家も暖かいご飯も愛情もない。常識もない。なし崩しで生まれた子どもをネグレクトする。感情にまかせて虐待する。その子どもが大きくなって、また同じような連鎖を生む。
もし自分がそんな環境で育たなくてよかったらラッキー。でも、見えないだけで、運悪くそんな親の元に生まれてしまった子どもやそのまま大人にならざるを得なかった元子どもはとてもたくさん存在している。
持たざる者はどうやって生きればいいんだろう。幸せという文字が吹いて飛んで行ってしまうその日暮らし。運よく大人になれたらいいよね。でも子どもにとっては今ある環境がすべて。大人にとってさえ、一度道を踏み外したら、セーフティネットからあぶれてしまったら今のこの日本の中でどうやって生きればいいの?
ないものは奪うしかない。弱かったら死ぬしかない。
寄せ集めの疑似家族の中で、みんなが欲しかったのは誰かと繋がっているという感覚。そして生きるためのお金。みんな本当の家族の中でそれは得られなかった。映画の中で流れる一つ一つのエピソードが印象的に全体像を描き出し、最後へと向かっていく。
見ていてしんどいのはそれが日々現実世界で起きるニュースの事件の一コマごとの、中身を辿っていったらきっと、そのうちのいくつかはこういう背景があるのではないかなと容易に想像できるから。
各役者さんたちの演技があまりに素晴らしすぎてあまりにリアルで心をもっていかれてしまいました。1週間ぐらい引きずりそうです。
あれもう終わり?
終わり方が中途半端でモヤモヤが多くあまり感動は出来ませんでした。
ストーリー自体は面白く最初から惹き込まれました。
序盤中盤あまり人間関係についての描写がなく、予想しながら見るのもまたこの映画の楽しみ方だと思いました。
最後の方で明かされるおばあちゃんと亜紀の関係性。そして発覚するおばあちゃんの本当の狙いにとても胸が苦しくなりました。結局亜紀は客の男とはどうなったのか、帰る居場所はあるのか。どういう形であれ、亜紀にはつらい思いをした分幸せになってほしいと思いました。
リテラシーの判定に
この映画に冷評をつける人のレビューでもっとも多いのが、親が子どもに万引きさせるのは、いかんじゃないか、という倫理への非難です。
しかし、それは言うまでもないことかと思います。
滔滔と倫理を説かれ、ひょっとしたら映画レビューを通じて、自らの正義感を披露しているのでは?と思えるのものもありました。映画レビュー枠を利用して「私は万引きを許さないモラリストです」と主張するのは、いささか効率の悪い自己主張ではないでしょうか。
また、それを言うなら、根本的に、深作やタランティーノの映画を好きなら、暴力を肯定することになってしまう、かもしれません。
もちろん、映画をどう見ようと個人の自由です。
個人の自由ですので、言ってしまうと、万引き家族に倫理観を持ち出すのは、映画を見慣れていない人の意見だと思います。
もちろん、映画を見慣れている人は、映画を見慣れていない人に比べて、優れているわけでも偉いわけでもありません。ぜんぜん、どっちでもよいことです。
ただ、さまざまなレビューを読んだり、身の回りの意見を聞いて、この映画をDegradeする人は、どちらかといえば映画を見慣れていない人に多い、と思ったのです。
NewsWeekでこの映画の海外の高評価を説明するコラムを読んで、納得したことがあります。
それには、(海外においては)文芸映画を見る人種/層だけがこの映画を見たから(高評価だらけになった)、とありました。反して日本では、話題も手伝って、様々な層の人々、普段映画を見ない人も見たから、過度な酷評もあらわれた──という説明でした。
なるほどと思いました。
個人の自由ついでに言うなら、映画をレビューするばあい、映画を見慣れていることは、あるていど必要だと思います。見慣れている人が見れば、この映画への倫理批判は、お門違いですから。
つまり、これに倫理うんぬんする人は、カーレースの客席から、レーサーたちのスピード違反に腹を立てているようなもの、です。
万引きがメインではない
レビューに感想が思い浮かばないって方がいたけど、私もその一人。私も含め、そういう人は
幸せな日常を送ってきたのだと思う。
血が繋がっていなくても、
努力次第で、絆はできると描かれていたけど、その絆はものすごく脆く
すぐに壊れてしまうものなんだと感じた。
全918件中、241~260件目を表示