華麗なるギャツビーのレビュー・感想・評価
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華やかさあり 儚さあり 切なさあり
豪華なハデな演出ですね
さすがバズラーマンすね
見ていて全くあきなく見とれてしまっていました
この映画はトビーが主演?そんな気はしましたが レオですよね
また見ようかな
人の笑顔が美しくて、やさしくて、あたたかくて泣いたことはありますか...
人の笑顔が美しくて、やさしくて、あたたかくて泣いたことはありますか?Leonardo DiCaprioの完璧な笑顔に泣いちゃった。過去は変えられない。愛してる、友よ。
何を伝えたかったのか?焦点が定まっていない感が。
この時代を題材にした映画が好きなので期待して観てみたが、結局何を伝えたいのか、よくわからない映画だった。
「ギャッビーの純真」なんだと思うのだが、なんかごった煮でぼやけてしまったような気がする。
いっそ「ギャツビーを誰もみたことがない」という当初の状況をそのままひっぱり最後まで不明な状況にして、実はニックの空想だったり、ニックの裏の顔がギャッビーだったという二重人格ものに仕立て上げたりしてもらったほうが好みだったかも。
絢爛豪華、でも期待外れ…
絢爛豪華な演出はバズ・ラーマン監督のお家芸。煌びやかさは超一流だけど、肝心のストーリーが期待外れ。主人公にもう少し謎めいた雰囲気が欲しかった。女心がいかに移ろいやすく、男心がなんと儚く脆いものか…。
喧騒、喧騒、また喧騒
DVDレンタルで安く映画をみられる時代に、わざわざ劇場まで出かけて行って、より高いお金を払う意味とは?
……という問いへの答え方は人それぞれでしょう。いちはやく新作を見たいから、大きなスクリーン、いい音響で見たい、などなど。
21世紀版ギャツビー、そうした問いに強烈に答えてくれる映画であることは請け合いです!
何よりド派手な演出、映像、音楽の洪水に圧倒されました。
真っ暗な劇場に座り、巨大なスクリーン一杯に広がる色彩を眺めていると、飲み込まれるどころか押し流されてしまいそうです!
これが狂騒の20年代の映像的、またフィクション的表現なのでしょうか?
きな臭い国際情勢を尻目に、一次大戦がもたらした好景気に湧くアメリカ。豊かさのすぐ側には残酷な戦争の影が見え隠れしている、という時代を舞台にした映画です。
気を抜けば視界のはしに浮かんでくるような不安を、徹底的に蹴散らし、押さえつけるようなギャツビーの乱痴気騒ぎは、どこか時代の精神と繋がっている気もします。
完全無欠のビューティ、というタイプじゃなくて、スキのある可愛らしさのマリガンもデイジーに合っていたと思います!
シャツを見ていきなり涙がこぼれてしまうシーンがフェイバリット。
トムとのギャツビーの対決シーンは、原作を読んだときのイメージ的には、もっと暑くて息苦しい、茹だるような雰囲気でやってほしかったような気も?
DVDで見るときは、是非プロジェクターを持っている友達の家で笑
(3Dでやるって聞いて、あの原作のどこを3Dに?と思いましたが、観た後では納得です。観たのは2Dでしたが、3Dだったらあのシーンが飛び出してるんだろうなと、なんとなく考えられて楽しかったです笑)
好きです。
予告や上映時間からあまり気が進まないで鑑賞しました。
が、良い意味で期待を裏切られましたね。笑
確かに上映時間は長いですが、ムダなシーンはありません。
ギャツビーの性格、内に秘めているもの、周囲の人間、愛する人。
この映画ではギャツビーの生涯が描かれていて、全てのシーンでその生涯を知ることになります。
果たしてギャツビーの人生は良いものなのか…
ラストは本当に切ないです。
というか、全体を通してギャツビーはとても切なく悲しい人間ですね。
そんなギャツビーを完璧に演じたレオナルド,ディカプリオに改めて感心しました。
原作や、リメイク前の作品は観ていないのですが、観てみようと思います。
原作を損なわずにバズ・ラーマンらしさを演出
フィッツジェラルドの原作を数回読み返して気に入っていただけに、これがまた映画化されると聞いたときは正直なところ、不安になりました。特にバズ・ラーマン監督は以前に、「ロミオ+ジュリエット」という映画でシェークスピアの原作を現代の南米に舞台をすり替えて、独特な世界を世に送り出したことのある人だけに(映画の賛否は二極化したようです)、今回の作品では原作をどの程度書き換えてくるのか予想ができなかったからです。しかし、蓋を開けてみると原作の骨格はしっかり残して、その上で彼独自の音楽感を散りばめていたので最後まで見入ることができました。
原作を読まれた方ならお気づきの方が多くいらっしゃるとは思いますが、フィッツジェラルドは意識的に色彩を使い分けています。例えば、デイジーに関する描写では「白」が多く使われていて、この「白」はデイジーの無垢さを表しているとされます。また、ギャツビーがデイジー邸の方をぼんやりと眺める際に登場する「緑」の灯はギャツビーの果てしない夢を表現しているとされ、作品上欠かせぬ重要な要素となっているようです(「緑」が何を具体的に意味するのかは諸説あって私にもよく分かりません。一説には合衆国紙幣の「緑」であるとか)。私の場合、このように下手に予備知識があったものでしたから、「もしあの場面であの色が出てこなかったら・・・」という余計な不安に陥ったのもご想像していただけるかと思います。
つまり、ギャツビーとデイジーの最初の登場シーンが最も気になるところだったのです。しかし、監督は私のような観客の期待を裏切りませんでした。ニックがギャツビーに初めて会う桟橋では、ギャツビーは対岸に霞む「緑」の灯を恋い焦がれるように見つめていますし、デイジーの登場シーンでは監督の凝った演出と同時に「白」のシーツに身を絡めて強烈な登場を果たします。その後の大まかな脚本は概ね原作に忠実で、私としては不満はほとんどありません。もし、言わせていただくなら、ニックがニューヨークに来るときの心情(原作では従軍経験によるトラウマでホームタウンの西部にいられなくなったという設定)と、同じく西部出身のギャツビーが東部に憧れるが、結局西部出身という軛から逃れられなかったという2点が映画では言及されていないことです。しかし、時間の制約がありますし、この2点を抜き去っても原作の良さは損なわれていないと思います。
バズ・ラーマン監督の独自色はギャツビー邸の豪快なパーティーの場面に凝縮されています。舞台は1920年代のアメリカですが、あのシーンは様々な時代の音楽が派手に組み合わされて観客の脳裏に焼き付かせ、映画を観終えた後にやりがたい虚しさを良い意味で助長しています。現代風のアレンジが違和感を覚えさせないところでふんだんに使われ、作品の古臭さを感じさせない作用が働いているように思います。
最後になりましたが、俳優陣の素晴らしさも作品に貢献しています。悲劇の主人公、ギャツビーを演じるディカプリオの良さは期待以上でしたし、ニック役のトビー・マグワイアもディカプリオに負けない役者っぷりでした。レンタルが開始されたら是非借りてきてまた観たいですね。
なぜいまこれなのか?作品を包むゴージャスな雰囲気は、今や過去の話となってしまったキライがあります。
第1次大戦後“ロスト・ジェネレーション”と呼ばれ、虚脱感の中に生きる戦後世代の代弁者とされた米国の作家、F・スコット・フィッツジェラルドの同名小説が原作。この原作はアメリカ文学の代表的な名作として読み継がれてきた本作の魅力は、主人公の破天荒でゴージャスな暮らしぶりなのだろうと思います。
しかし、作品を包むゴージャスな雰囲気は、今や過去の話となってしまったキライがあります。バブルとデフレを経験した現代の日本人にとって、。超リッチの華麗なる生活と恋愛模様。これが描かれても、それがどうしたとなりかねないし、現に予告編の段階から疑問に感じてきました。
絢爛豪華な乱痴気騒ぎを除けば、ストーリーの核となっているのは、至ってシンプルな三角関係を描いたメロドラマ大作なんですね。元恋人と現在の夫との間で揺らぐ女心が描かれる点で、『冬ソナ』とたいして変わりありません。むしろ『冬ソナ』のほうが、ハラハラさせる悲恋の行方に感情移入することでしょう。ヒロインのデイジーの心情というのがイマイチよく伝わってきませんでした。
けれども、ギャツビーを演じるディカプリオは、凄くいいキャラクターを作り出していて、演技力の巧みさに、さすがだなぁと舌を巻きました。派手な外見の内側を孤独感が吹き抜けるようなギャツビーの佇まい。まことに悲劇の主人公にふさわしいキャラでした。そのディカプリオとデイジー役のキャリー・マリガンが桟橋の突端に体を寄り添いながら絡むシーンは、何と絵になること。ディカプリオファンの方なら、必見のうっとりさせられる場面です。役者がいいとどんな本でも存在感とフェロモンだけで、観客を魅了させてしまうものなんですね。
本作は、スターを擁した本格的な米製恋愛映画と、3D映画の新局面が試される意味合いが強い企画だったと思います。しかし、最終の興行収入で、10億円突破が難しいようです。肝心の20、30代の女性が動いていないようなのです。それは、繰り返すけれどメロドラマとしては欠かせない愛情の葛藤やゆらぎといった女性目線が弱いからでしょう。本作の筋を、後日小説にしていくニックの回想にしてしまったため、ラストの衝撃的事件すら淡々と語られているような印象となってしまうところが損をしていると思います。 ドラマ重視の作品で、3D映像の魅力を打ち出す。これが、3D映画としては初めてと言えるほどの売りにしたかったようですが、実際に3D版を上映した劇場はかなり限定的でした。やはり観客側がドラマ重視の作品で3D映画にどれくらいニーズがあるのか配給側は再検討すべきでしょう。
独特の映像と音楽センスを持つラーマン監督の描写は凄くロマンチーテックで、海を隔てたふたりの豪邸を印象的に描きだしていました。
とにかく切ない!!
大学で専攻していたF・スコット・フィッツジェラルドの代表作だったので、ドキドキしながら観に行きました。
感想は、とにかく切ない・・・
煌びやかさと空虚感、富と愛、過去と現在
過去の愛に執着しすぎてしまったがゆえの悲劇。
でもその執着こそが、何にも穢されることのないまっすぐな想いであり、ギャツビーの華麗さであるような気がします。
原作にかなり忠実に作られていたし、パーティーシーンはちょっとやりすぎ!?と思いましたが、それ以外は、原作を読んだときに頭の中で描いたシーンとぴったりくるものが多くて個人的には満足しました。
特に、ギャツビーが初めてデイジーを自宅に招いた際、美しい色のシャツを次々に投げるシーンがとても好き。
素敵なシーンでした。
目にも鮮やかな1920年代を象徴するファッションや、ダンス、ちょっとやりすぎかもと思うパーティーシーンもこれぞエンターテイメント!!という思いで楽しみました。
しかし音楽がちょっと違和感、、もっとジャズっぽくてもよかった気がします。音楽自体はかっこいいし、敢えてのはずし?かもしれませんけど。
デイジー役のキャリー・マリガンも原作のイメージ通りのビジュアルだったし、ニックを演じたトビー・マグワイアいい仕事してました~!!
レオ様は・・・もうとにかく見てください!凄まじくはまっておりました。かなり素敵です。
できれば原作を読んでから、見てください!
華麗なる一途な愛と豪華な映像で◎です。
◇私は、タイタニックの時から…レオナルドディカプリオが好きなので観に行きました。
今回の映画は、久しぶりに素敵なレオ様を見れた感じです。
そして、ギャツビーの愛する人を想う一途な愛情に感動して涙しました。
年月を経ても、変わらず愛する人を想い続けるギャツビーは、本当に素敵でした。
時代背景の映像も綺麗で、豪華なパーティーに癒されました。
後半の物語は、切なくて悲しかったけど…華麗なる映像と音楽で、良かったと思います。***
ギャッビーの悲しいまでの純愛
最初デカプリオの顔が誰かに似ていると思ったらロバート・レッドフォードだったのですね。前回の華麗なるギャッビーはレットフォードが主役でとても物悲しいけれど流れるような奥ゆかしい映画だったような気がします。今回はトビー・マグワイヤーが語り部のような役割でギャッビーを一番理解していた人物だと思います。ムーラン・リュージュの映画を作った監督の華麗な映像や音楽はインパクトがあります。上流階級まで登りつめたギャッビーは失った愛にきずかずに純愛をひとり貫く姿は悲しい。でも彼女からの連絡を信じていたのは救いだったかもしれない。
原作は読んでおくべし!!3D
フィッツジェラルド著、華麗なるギャッツビーの本を読み終わったあとは、思わず最後の言葉に胸を打たれ、人間が抱く永遠の憧れ、過去の輝きの切なさ、力強さを語りかけられました。
ただ、偉大な名作の描写を全て映画で再現するのには限界があるようでしたね。
映画のギャッツビーは、悲しいほどの執着が強調され、普通の恋する青年で地道な努力の上にあったという人間味が少し薄れていました。少し怖い人になってしまっていた感じ。同様に、デイジーも単なる悪女のように見えましたが…原作ではそんなに薄っぺらい女ではないのです。
ギャッツビーの父親を登場させたり、生い立ちシーンをもっと丁寧にしたら良かったのかも?
映画は監督お得意の、ムーランルージュっぽく、軽快なタッチで描かれていると思いました。
その為か、映画のギャッツビーはとっても惨めであり、最後のあの有名なセリフも悲しい響きしか持ちませんでした。原作を読まない人たちには、ただの悲しい映画になってしまう可能性があるなと思いました。
しかしながら、ギャッツビーは美しい恋の希望を現実にしようとした、人間の過去に挑戦した、まさに「華麗なる」人物なのです。単なる悲しい物語ではないのです。
本を読むと映画にもっともっと厚みがでて、感動も大きくなると思うのでオススメですよ。
ちなみに、カットがいちいち短いので3Dはやや疲れます。綺麗ですが。2Dでも十分だとおもいますよ!
PS ニックとジョーダンさんのシーン、もっと欲しかった〜笑
映像の綺麗さを楽しむもの!
宣伝に踊らされて、ディカプリオを見たくて、見に行ったけど、ストーリー自体はそこまで面白くなくて、早く終わらないかなーっていう気持ちも芽生えたり、、、(笑)でも本当に映像はすごく綺麗で最後の切なさに対比してたなーなんて思ってました。バズ・ラーマン監督のはほんとに舞台が壮大で桁外れだなって改めて思いました。
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