劇場公開日 2013年6月14日

  • 予告編を見る

「原作を損なわずにバズ・ラーマンらしさを演出」華麗なるギャツビー アリアス元大統領さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0原作を損なわずにバズ・ラーマンらしさを演出

2013年7月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

 フィッツジェラルドの原作を数回読み返して気に入っていただけに、これがまた映画化されると聞いたときは正直なところ、不安になりました。特にバズ・ラーマン監督は以前に、「ロミオ+ジュリエット」という映画でシェークスピアの原作を現代の南米に舞台をすり替えて、独特な世界を世に送り出したことのある人だけに(映画の賛否は二極化したようです)、今回の作品では原作をどの程度書き換えてくるのか予想ができなかったからです。しかし、蓋を開けてみると原作の骨格はしっかり残して、その上で彼独自の音楽感を散りばめていたので最後まで見入ることができました。

 原作を読まれた方ならお気づきの方が多くいらっしゃるとは思いますが、フィッツジェラルドは意識的に色彩を使い分けています。例えば、デイジーに関する描写では「白」が多く使われていて、この「白」はデイジーの無垢さを表しているとされます。また、ギャツビーがデイジー邸の方をぼんやりと眺める際に登場する「緑」の灯はギャツビーの果てしない夢を表現しているとされ、作品上欠かせぬ重要な要素となっているようです(「緑」が何を具体的に意味するのかは諸説あって私にもよく分かりません。一説には合衆国紙幣の「緑」であるとか)。私の場合、このように下手に予備知識があったものでしたから、「もしあの場面であの色が出てこなかったら・・・」という余計な不安に陥ったのもご想像していただけるかと思います。

 つまり、ギャツビーとデイジーの最初の登場シーンが最も気になるところだったのです。しかし、監督は私のような観客の期待を裏切りませんでした。ニックがギャツビーに初めて会う桟橋では、ギャツビーは対岸に霞む「緑」の灯を恋い焦がれるように見つめていますし、デイジーの登場シーンでは監督の凝った演出と同時に「白」のシーツに身を絡めて強烈な登場を果たします。その後の大まかな脚本は概ね原作に忠実で、私としては不満はほとんどありません。もし、言わせていただくなら、ニックがニューヨークに来るときの心情(原作では従軍経験によるトラウマでホームタウンの西部にいられなくなったという設定)と、同じく西部出身のギャツビーが東部に憧れるが、結局西部出身という軛から逃れられなかったという2点が映画では言及されていないことです。しかし、時間の制約がありますし、この2点を抜き去っても原作の良さは損なわれていないと思います。

 バズ・ラーマン監督の独自色はギャツビー邸の豪快なパーティーの場面に凝縮されています。舞台は1920年代のアメリカですが、あのシーンは様々な時代の音楽が派手に組み合わされて観客の脳裏に焼き付かせ、映画を観終えた後にやりがたい虚しさを良い意味で助長しています。現代風のアレンジが違和感を覚えさせないところでふんだんに使われ、作品の古臭さを感じさせない作用が働いているように思います。

 最後になりましたが、俳優陣の素晴らしさも作品に貢献しています。悲劇の主人公、ギャツビーを演じるディカプリオの良さは期待以上でしたし、ニック役のトビー・マグワイアもディカプリオに負けない役者っぷりでした。レンタルが開始されたら是非借りてきてまた観たいですね。

アリアス元大統領