52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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2時間ちょっとに収めるには要素過多だが、啓発効果には期待
52ヘルツで鳴く有名な鯨がいるというのは初めて知ったが、Wikipediaにも項目があって興味深く読んだ。鯨の種類は同定されていないものの、奇形かシロナガスクジラの 雑種だと考えられているらしい。通常シロナガスクジラは10~39ヘルツ、ナガスクジラは20ヘルツで鳴くのだそう。本作は町田そのこの小説の映画化だが、過去にもこの鯨に着想を得た台湾の劇映画「52Hzのラヴソング」(2017)や、実際に鯨を探した米ドキュメンタリー映画「The Loneliest Whale: The Search for 52」(2021)などがあった。
俳優陣は真摯に演じていて誇張したようなところはないし(複数の監修者やコーディネーターらの貢献も大きいだろう)、編集のテンポもいい。暴力シーンはもう少しリアルに演出できたのではと思うが、DVを受けた人が観ることも想定しての配慮かもしれない。
原作小説は未読ながら、おそらく忠実に要素を抽出して実写化したのだろう。ただいかんせん本編135分には収めるには、DV、ネグレクト、ヤングケアラー、性別不合とトランスジェンダーなど、丁寧に扱うべき要素が多すぎる。たとえばNHKあたりが10話程度のドラマでじっくり描けば、個々の問題や課題、周囲がどう接するべきかなどについても、もう少し掘り下げられたのではないか。
それでも、それぞれの困難な状況や偏見・差別に苦しんでいる人たちがいて、声を上げてもなかなか伝わらないということを、本作をきっかけに知って自分で考える人がひとりでも増えるなら、聴こえにくい声が聴こえたことになるだろうか。
なお冒頭で触れた52ヘルツの鯨に関する情報だが、他の鯨たちの鳴き声よりも高い周波数だとは書かれているものの、鯨の可聴域を超えているとの記述はない。人間だって声として出せる周波数の帯域より聴きとれる帯域のほうがはるかに広いわけだし、52ヘルツの鯨の声だって他の鯨たちに聴こえている可能性はある。単にほかと違うから孤独だとは限らない。人間だってきっとそうだ。
タイトルも含め着眼点がしっかりとしていて、時系列を丁寧に構成し、演技と演出が光る名作。
まず、タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、52ヘルツという「高い周波数」で鳴くため、その声を他のクジラには聞き取れず、「世界で1頭だけの孤独なクジラ」を意味しています。
まさに、その境遇にある人間にフォーカスし、丁寧に人間模様を描き出していく作品です。
さすがは原作が2021年の本屋大賞を受賞しただけのことはあります。
主演は杉咲花。杉咲花主演といえば、似た作品に昨年にスマッシュヒットをした「市子」があります。
「市子」を見た時には、何か因果関係がぼんやりとしていて、正直なところ私は入り込めずにいましたが、本作では、様々な状況を丁寧に追っているため入り込みやすかったです。
いずれにしても、杉咲花は不幸な境遇の人物が不思議とよく似合っています。
また、志尊淳も本作の役柄は非常にマッチしていました。
「世界で1頭だけの孤独なクジラ」は、人間社会では少なからずいます。
そして、運よく「声なき声」を聞こえる人に奇跡的に出会えるかどうかで「世界で1頭だけの孤独なクジラ」の生涯が決まる面があるのです。
単なるハッピーエンドな物語ではない複雑な関係性を見事に描き出すことに成功しています。
強いて言うと、叩いたりするシーンがどれも「あれ? これはリハーサルの映像?」と思うほど迫力等に欠けていて、ちょっと冷めてしまう点はありました。
とは言え、そこは些細なことに思えるくらいに良く出来た作品でした。
個人的には頂けない作品でした‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
個人的にはこの映画は2点の問題があって、正直頂けない作品だと思われました。
1点目の問題は、傷つけられた善意の人(主人公・三島貴瑚(杉咲花さん)、岡田安吾(志尊淳さん)、少年(愛)(桑名桃李さん))と、傷つける悪意の人( 三島由紀・貴瑚の母(真飛聖さん)、新名主税(宮沢氷魚さん)、品城琴美・少年(愛)の母(西野七瀬さん)など)が、明確にきっぱりと分かれている点です。
個人的にはこのように、善意の人と悪意の人がほぼ0or100できっぱりと分かれるだろうか?そのような人間理解の浅いステレオタイプの人間の描き方は決して映画表現でやってはいけないのではないかと強く思われました。
2点目の問題は、この映画は幼児虐待や家庭内介護や性同一性障害の人や問題を扱っていますが、それぞれが個々に持たされてしまった持っている傷は、当事者の人達は本当の深い意味では理解されないと思っているのではないか、そのことがきちんと描かれていないのではないかとの疑念でした。
当事者の傷はそれぞれ違っているので、安易に自身を理解したつもりになってもらっては困る/安易に相手を理解できると思ってはならない(それぞれの相手に丁寧な距離感で接する必要がある)、と感じていました。
そのような私のような人間理解の人が見ると、この映画の饒舌に語る登場人物たちに、個人的には最後には【うるさいよ】とすら感じる場面も少なくなかったです。
この、善悪をきっぱり分けて人間を描いてしまう問題と、善意の心があれば饒舌に相手の傷にも踏み込めるのだという(私的感じた)傲慢さは、個人的には人間理解の一面的な(一部)新人監督にありがちな日本映画の問題と感じてはいます。
しかし、良く調べもせずにこの映画を見て監督がベテランの成島出監督だということを後から知り、個人的には大きなショックを受けました。
成島監督はこんな浅はかな人間理解の映画をあなたは撮ってはいけない、と僭越ながら強く思われました。
もちろん主人公・三島貴瑚を演じた杉咲花さんをはじめとする俳優陣の演技力に疑問を差し挟む余地はないと思われます。
この俳優陣でこの題材でこのような作品に仕上がってしまったのは、個人的には残念に思われてなりません。
とても良かった
原作が本屋大賞をとっていたため原作を読んでからの視聴となった。結論から言うととても良かった。女優の演技はとても良かったし、原作を読んでいた者からしてもそこまでの違和感なく物語に集中できた。元が小説なのもあり、これは無理あるだろと感じるところもあったが、それを気にしてはほとんどの映画を楽しむことはできないと思う。物語の内容が少し重いため、同じような環境にいたことがある人には少しきついのかもしれない。作品として見るならとても面白いものだ。見たことない人は是非1度は見て欲しい。
手持ちカメラ撮影と寄せアップ長回しが多過ぎる
介護、ヤングケアラー、育児放棄、児童虐待、DV、性同一性障害・・・、現代社会が抱える社会問題をふんだんに盛り込んで突き付けてきて、ここまで深刻に提起されてくると、私は率直に言って顰蹙してしまいます。
人と人との間の葛藤や、それを癒す絆がストーリーの主軸ゆえに、専ら二人から数人での会話ややり取りによって物語が進行します。ただ特に二人のシーンは密室が多く、ほぼ全シーンが手持ちカメラによる微妙な揺らぎでの寄せアップの切り返しが多用され、また揺らぎながらのトラッキングの長回しが繰り返されますので、観ている方は船酔いするような感覚になって落ち着かず、非常に疲れます。
杉咲花扮する主人公の貴湖を含め、その素性や生い立ちは分からせないままに、彼女の周りの人物、特にキーとなる志尊淳扮するアンさんの不可思議さを漂わせるというサスペンス性を仄めかして、観客を惹き付けていきます。
カメラの目線は終始、貴湖の一人称で進むので、観客には彼女以外の周囲の人物は常に謎めいて見えます。謎を深めるために時制を行き来して描き、現在に至る主人公の謎を明かしていくのですが、少しずつ明らかになるその生き様、そして彼女が幸運にもつながった人々の優しさと、一方で各々が抱える苦悩、人が生きていくということの重さ、辛さ、厳しさが強く印象に残ります。
映画をリードしていく杉咲花の演技力は今作でも秀逸で、全くの他人事ながらつい感情移入してしましました。
現代人の、実は孤独な心象。そこでは他人には聞こえない心の内の声の叫びが繰り返されながら、その声を聞き取り、自分事として受け留めてくれる人に巡り合えるかどうか、確率の低い偶然でしょうが、それが人にとって何よりの幸福であり、人は一人では決して生きていけないのであって、将に人たる所以である、と作者は言いたいのかと思えます。
但し、登場人物たちが抱える諸々の現代的な問題は、幸か不幸か私にとっては実感は持てず、私は、本作は、災厄と悲哀に襲われ続ける不幸な女の生き様を描き、最後に己と似た境遇の少年を救うことにより、人生の脱皮を図り新たな歩みに進もうという希望の道すじを示した作品かと思えます。
ただ残念ながら、前述のように私にとっては映像に癖があり過ぎること、そして何より映画は観終えた後に何らかの満足感、充実感、幸福感を得られるものであって欲しいのですが、本作はあまりに深刻で重々しくて、個人的にあまり高評価は出来ません。
よかった
小説を読んでから観たので、ストーリーは知っていたけれど、原作にいい意味で忠実な作品でした。
単純なハッピーエンドではないけど、未来に希望が持て、2人ともこの先いろんなことが待ち受けていても、きっと強く生きていってくれるに違いないと信じられるような、そんな作品でした。
でも、アンタの声 私には聴こえたよ
以前から原作は氣になってたがタイミング合わないまんまで、事前情報無しで映画。
なんとなくタイトルから思い描いてた内容をかなり超えてた。
現在での苦難や過去でのトラブル、いろんな問題が散りばめられてて、詰め込み過ぎやん!と感じながらも夢中でのめり込んで追いかけてた。
序盤の違和感等も、キチンと納得で回収してて、かなり周到な出来栄えに圧巻。
年配(失礼…)の女優陣も豪華で、落涙必須!アレはずるいわ…。
ちょっとミハルが良い人過ぎてたかな?、こんなに親切って有るかな?って……。
久々にジックリ余韻が残る作品だった。
ロングランなのも納得。
現在上映中のロングランに比べて、ネームバリュー的に劣るかもしれないが、中身は負けてない。
中身の濃さを考えると、かなりお得な1本。
クジラたちに秘めた想い
たくさんの社会的問題を描いた本屋大賞作品の映像化
例のごとく?原作未読で鑑賞したが、内容が想定外に進みハラハラが止まらなかった
市子とは違う役柄をしっかり向き合った杉咲花さん
人に言えない秘密を持ちながら他人のために力を尽くす役柄の志尊淳さん
持ち前の明るさ全面の小野花梨さん
ボンボン専務の弱さを見事に演じた宮澤さん
性格の極悪の元アイドルを演じた西野さん
素晴らしかったです
監督と若林さんのトークショー付きでかなりお得だった
特に志尊さんの役柄の気持ちを分かりやすく解説をしていただきありがたかった
忘れられない作品となるだろう
アンくん
最初から最後まで私にとってはアンくんのお話でした。つらくて悲しかった。でもキナコに会えてよかった。志尊淳が素晴らしかった。私がよく知っている人と佇まいも雰囲気も柔らかさもとても似ている、聡明で。彼の演技を杉咲花が引き出して相乗効果が生まれた
最後に歌詞つきの主題歌なんていらない
おまけ
だんだん頭がクールになってきました。人が死んだ様(特に自分でそれを決断した場合)を映像に出す必要ないです。説明しないと観客は分からないと思っているのか、でなければ何でも大袈裟にしたいのでしょうか?私たちには豊かな想像力があります
それから、映画という作品の中で麦茶やビールのCMと思われてしまうようなこと、しないで欲しいです。一気に気持ちが冷めます。観客を子ども扱いしないで欲しい
タイトルにそんな意味が
前々から気になってた映画でやっと観に行けました!
傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う
かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことが出来ず、一緒に暮らし始める
やがて、夢も未来もなかった少年に、たった一つの“願い”が芽生える
その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる
というのがあらすじ!
とてもいい映画でした!
いろいろ考えさせられましたね…
そしてクジラの鳴き声で52ヘルツって仲間には聞こえなくて孤独なのははじめて知りました…
環境や境遇で生きづらい人の感情がリアルに表現されててとてもよかったです
でも安吾が自殺してたシーンは見てて辛かった😔
あとこの映画の雰囲気とキャストがとてもよかったです!
この映画をみて思ったことが相手の声を聴き逃すことが無いようになりたいですね…
いい映画をありがとうございました😊
「酷い」「つらい」「悲しい」魂が揺さぶれすぎて吐き気がした
2024年映画館鑑賞23作品目
4月6日(土)ユナイテッドシネマ フォルテ宮城大河原
入会割引1800円
原作未読
監督は『八日目の蝉』『草原の椅子』『ソロモンの偽証』前編後編『グッドバイ 嘘からはじまる人生喜劇』『いのちの停車場』『ファミリア』『銀河鉄道の父』の成島出
脚本は『小さき勇者たち ガメラ』『ストロベリーナイト』『四月は君の嘘』『ロストケア』の龍居由佳里
ホエールウォッチングの映画ではない
粗筋
三島貴湖は幼少の頃から虐待を受けていた
貴湖は高校卒業後三年間寝たきりになった継父の介護を1人っきりでしていた
介護疲れで大型ダンプカーに轢かれそうになっていたところを塾講師の岡田安吾に助けられた
安吾が働く塾の同僚で高校時代の親友牧岡美晴と再会
貴湖は安吾と美晴の協力で継父を施設に預け就職し新居を見つけ母親から独立した
しばらくして貴湖は社内食堂のトラブルに巻き込まれて怪我で入院する羽目に
それをきっかけに職場の同士で本社から出向していた専務の新名主税と親しくなりやがて男女の仲になる
プロポーズを受け結婚を意識はしていた貴湖だったが主税は親が決めた結婚相手と婚約することになった
主税と別れた方が良いと忠告された貴湖は反発し安吾を突き放す
やっと幸せを掴んだと確信した貴湖だったが主税との愛人関係が主税の両親と婚約者とその家族にバレてしまい縁談は破談し専務は降格されるだけでなく会社をクビになった
腹癒せに暴力を受ける貴湖
じつは安吾はトランスジェンダーで戸籍上は女性だった
男として貴湖を幸せにする自信はなく母にも性転換したことがバレてしまい安吾は自殺した
美晴にさえ連絡もせず祖母がかつて住んでいた九州の海辺の一軒家に引っ越した貴湖
母親から虐待を受けていた長髪の少年を匿うことにした貴湖と彼女を探しにやってきた美晴
貴湖と美晴は少年を連れて少年の親戚の家を訪ねるが優しい叔母はすでに癌で他界していた
少年の名前は「ムシ」でも「52」でもなく「愛(いとし)」だった
愛の母は愛を置き去りにして男と一緒に別の土地に引っ越した
貴湖は施設に預けることはなく親代わりになって愛を育てていくこと決意した
とにかく杉咲花が素晴らしい
こんな凄い俳優になるとは
安吾と美晴と共に大衆居酒屋で飲み食いしてる最中に嗚咽するシーンが特に好き
トランスジェンダーの女性(男性)役の志尊淳も良かった
とても難しい役柄だと思う
母にトランスジェンダーを暴露され奇声をあげるシーンが特に良い
西野七瀬が演じた無責任で自己中で幼い息子をしょっちゅう虐待する母親も宮沢氷魚が演じた専務を解任された途端に豹変し暴力を振るうようになった愛人にも特に「ひどすぎる!」と怒りを感じることはなかった
ああいう大人になってしまう背景は幼少の頃のトラウマであろうことが安易だが想像できる
なにかといえば「生きづらさ」と昨今言われるがそれこそそれが人生だ
みんな違って当たり前だし時には場合によってはぶつかり合うこともあるだろう
それが生きづらさであって当然だ
リアルな人生は削除できないしブロックもできないしテレビゲームみたいにリセットできない
生きづらいのは当たり前だと受け入れてなんとか一日一日乗り切る他ない
星5だがそれでは足りない
なにかといえば魂が揺さぶられたとかほざく映画評論家は世の中にいくらでもいるわけでそれを自分はかねがね大袈裟だと感じていたがこの作品はそれに当たらない
自分のような共感能力がかなり低めな者でも鑑賞はしんどかった
だから無理に観なくても良いけどそうじゃないなら是非観てほしい
配役
東京から九州にある海辺の一軒家に引っ越してきた「きな子」こと三島貴瑚に杉咲花
トランスジェンダーの塾講師の「あんさん」こと貴瑚の職場の岡田安吾に志尊淳
貴瑚の職場の専務で同棲生活を始める新名主税に宮沢氷魚
貴瑚の高校時代からの親友の牧岡美晴に小野花梨
母から「ムシ」と呼ばれ貴瑚からは「52」と呼ぶことを求める長髪の少年の品城愛(いとし)に桑名桃李
美晴の彼氏の鈴木匠に井上想良
貴湖が住んでいる海辺の家を修理した大工の村中真帆に金子大地
愛(いとし)の母の品城琴美に西野七瀬
要介護が必要な貴瑚の継父に奥瀬繁
貴瑚の母の三島由紀に真飛聖
愛の親戚の近所に住む藤江に池谷のぶえ
安吾の母の岡田典子に余貴美子
真帆の祖母に村中サチエに倍賞美津子
みんな生きてて欲しい
上映終了前にどうしても観ておきたくて駆け込みで鑑賞。役者さんたちの演技素晴らしいのだけど、あの原作を135分にまとめるのはどうしても詰め込んだ感は抱いてしまう。原作を読んでいるか、読んでいないかで映画の印象がガラッと変わるかも。演出の過剰な所が少し気にはなりつつ、良くも悪くも物語の展開は早くて無駄な所はないが、ここがこういう描き方になるか…と言う点が多々あって少しモヤモヤはあった。
この作品、確かにどうしたって泣けるんだけど、泣ける映画っていう括りになっちゃうのには違和感がある。少なくとも感想として「泣けたね。良い映画だったね。」で終わりにして良い物語ではないだろう。
登場人物の中でも美晴の描かれ方すごく好きだった。とにかく辛く重い場面が次から次に展開するなかで、美晴と貴瑚のシーンの友情に思った以上に泣いてしまった。美晴の明るさと強さが貴瑚にとってもこの物語にとっても救いというか大きな支えとなっているのではないかと思う。
52演じる子役の子も、セリフのない中での目や表情での演技にもすごく引きこまれて素晴らしい。
貴瑚とアンさんそれぞれの境遇で抱えてきたものを考えるとあまりにも苦しすぎて。原作読んでて分かっていてもアンさんの気持ちを考えると本当に叫びたくなって当然で、肯定してしまうのはきっと違うけれどアンさんはああならざるを得ないほどもう心はぐちゃぐちゃだったのだと、映像だからこそ苦しいほど体感した。どうしても観てる側としてはどうかこんな結末にならないで欲しかったと思ってしまう。
個人的な勝手な思いとしては、声が届かなくて孤独で限界で苦しい思いをしてる人たちにどうか生きていてほしいと心から思った。綺麗事だけど生きているだけで本当にいいのかもしれないって思わずにはいられない。でもその生きているだけということさえ辛くてたまらないという状況もあるんだよな、と思ったり、、
孤独の中で生きる人達がなんとか生き延びて、いつか生きていて良かったと思える世界であって欲しいし、誰かの声なき声を掬い上げることができる自分でありたい。
こんな良い友達いる?
この映画のように、生活が変えられるチャンスがある人は極々1部で、明るみに出ることないまま、苦しみが当たり前で生きてる人、たくさんいるんだろうな…
悲しかった。
それにしても、本気で心配して寄り添ってサポートしてくれる、美春ちゃんめっちゃいい友達じゃん❗️身内でもない、恋愛感情もない美春ちゃん。この映画で一番注目したの美春ちゃんでした。
見せたいもの。見えないもの。
志尊淳オソルベシ。何も入れずに観に行くのがオススメですが、原作を知っていても楽しめるのかな。楽しむ、というのは少し違うかも知れない作品だけれども、其々の演者さん達がみな憑依レベルでの演技合戦だったので、その点でもすこぶる楽しめると思います。思う事、言いたい事も沢山生まれたけども、文字だとどうしても違和感が出そうなので割愛。「生き苦しい人達の物語」として「夜明けのすべて」と表裏一体で鑑賞されるのも宜しいかと存じます。ちょっと重たいか苦笑
可もなく不可もなく…
まず主演の杉咲花と志尊淳の演技力は素晴らしかった。役者達の力は申し分ないほど素晴らしいし、題材の原作も良いのに前々から思っていた邦画特有のネームバリューのあるキャスト(主に主演)にシーンが偏りがちなの本当に良くないと思う。
原作のある脚本だと重要人物なのに印象が薄くなる。特にこの映画は現在の大分の出来事の登場人物の印象が薄くなったの本当に勿体ない。キコとアンさんの絆はすごく伝わるのに52(愛)がキコに心を開いていく過程などの心の触れ合いが伝わりづらい。改変があったので
仕方ないが、琴美の背景や村中との関わり合いが端折られていて過去編はしっかり描かれていたのに時間の都合なのか現在の大分のシーンがあまり描かれていないのは残念だった。
杉咲花は日本映画での活躍で終わるのは勿体ないので、韓国映画などに起用して彼女の演技力を存分に活かせる環境にいて欲しい。
原作も題材は良いのにちょっと勿体ない。韓国映画にすればもう少し役者と原作の良さを活かせたのかもしれない。
家族という呪い、恋という希望
本作で描かれた「壊れた家族」だけが、「呪い」なのではない。
すべての家族は呪いであり、呪われていない家族などないのだ。
そして、恋は希望だが、それは、すぐに愛という名の呪いに転ずる。
室町時代、観阿弥、世阿弥、元雅らが大成した猿楽能では「愛」は必ず「愛執」という名の煩悩だと説かれ、親子の愛ですら、闇の世界の迷妄へと誘う種だとされる。
本作が、アン(志尊淳)の口を借りて、序盤に「家族は呪い(にもなり得る)」というテーゼを明示したのは良かった。
本作の中核に据えられるべきテーマと言える。
そして、やはり杉咲花の圧倒的な力だ。
もはや演技力とか、憑依型の演技とかの言葉では形容が足りない。
あらゆるモノを飲み込むブラックホールのような、逆に、途轍もないエネルギーを発出する超新星のような、圧倒的な存在の力が杉咲花にはある。
だから、彼女だけ、作品のなかで、常に一人次元が違って見えてしまう。
監督は、あまりにも杉咲一人に本作のすべてを負わせ過ぎているのではないかと、疑わざるを得なくなる。
しかし、それは作品の構想段階から意図したものだったのか、はたまた、何ら意図せずして杉咲その人の力によって、そのようになってしまったのか、おそらく監督本人にも定かではなくなっているのではないか。
本作の柱をなす登場人物は、3人ないし4人の「家族によって呪われた」子どもたち=52ヘルツのクジラたちだ。
登場順にあげておこう。
(1)三島貴瑚 ‥‥‥. 杉咲花
(2)少年52=愛 ‥‥ 桑名桃李
(3)岡田安吾 ‥‥‥‥ 志尊淳
(4)新名主税 ‥‥‥‥ 宮沢氷魚
このなかでも、杉咲のキコ=キナコに次いで重要な役割を果たすのが、志尊演ずるアンだ。
表情豊かというより、上述したように無表情でも圧倒的な存在のオーラを放つ杉咲に対して、志尊の演技は、最後の最後で爆発するまで、感情を表に出さないことに徹している。
アンが、トランスジェンダーであることは、序盤過ぎたあたりで観衆には早くも示される。
が、そのあとも何故、彼がその事実を周囲の誰にも、キナコと呼ぶキコにも、伝えないかは謎として残る。
終盤、アンは新名の復讐としての母親(余貴美子)へのアウティングによって、それまで被っていた仮面を剥がされ絶叫する。
そのあとの彼の自死は、このアウティングのショックによるものか、一度は逃れた呪われた母親の呪縛に再び囚われたことへの絶望ゆえか、と観衆に思い込ませる。
ところが、彼の残した遺書によって、それはキナコへの愛が決して成就できないことを自覚したから、自分では愛するキナコを幸せにはできないと悟った、その絶望が選ばせた道だということが明らかにされる。
序盤では、謎に過ぎなかったアンの幻影が、ラストでは、キナコが「魂のつがい」だと真の愛を打ち明ける対象へと姿を変えていた。
中盤までは、杉咲=キナコの圧倒的な強さに対して、志尊=アンの存在感の弱さが気になって仕方がなかった。
が、このラストシーンによって、本作が、キナコによるアンへの鎮魂の物語だったことに気づかされ感動するのであった。
ただ、本作は、どうしてもバランスを欠き、ストーリーも少し欲張り過ぎ、詰め込み過ぎによる消化不良な点も目立つと言わなければならない。
発話障がい(直近でレビューした『ピアノ・レッスン』の主人公もそうだった)のDV被害の少年のエピソードは、プロローグで示されたあと、エピローグで回収される。
キナコが自分を投影せざるを得ない「呪われた家族」の被害者たる少年を救ったのは、
亡きアンが自分を救ってくれたことへの恩返しと、
親友ミハル(小野花梨)とのシスターフッドと、
それを踏まえてのオールドシスター村中サチエ(倍賞千恵子)の助力とであった。
ただ、俳優の演技に着目すると、この少年はキナコやアンに比べて、いかにも添え物的である。
同様の年代の少年を扱っても、是枝裕和なら最新作『怪物』においても、そして大出世作『誰も知らない』においても、少年俳優たちは大人顔負けの存在感と演技の力を発揮していた。
本作において、少年を発話障がいとしたのは、作劇の必然というより、監督の逃げの一手だったと疑われても仕方がなかろう。
そして、ちょっと酷かったのが、宮沢氷魚まわりの諸々である。
宮沢氷魚は、2020年の『his』で藤原季節とゲイカップルを演じ、その誠実で清新な演技に感心したものである。
ところが、本作で、宮沢にあてられたセリフはあまりにも杜撰だ。
DVの深層に「呪われた家族」または「家族の呪い」を見ようとする本作にあって、宮沢の役は、あまりにも類型に堕したクズ男、胸糞男子に過ぎなかったではないか。
かように、本作は、欠点も決して小さくはない、歪つな出来の不良品の側面がある。
しかし、その果たそうとした、目指そうとしたところは、『正欲』の大失敗を見事に克服し、『市子』で杉咲が示せなかった主人公の「その先」の希望を描くことに、いくがしか成功してもいる。
私も含め、シアターでは、終盤、すすり泣きの声が止むことはなかった。
大いなる意欲作だと評価したい。
またも杉咲によって、私たちは人間性の深淵を覗き見ることができたのだから。
本作に出会えたことを、まずは素直に喜びたい。
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