52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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悲しき親ガチャ
本屋大賞を受賞した同名の小説を原作にした映画でしたが、まずは題名が秀逸でした。「52ヘルツのクジラ」って何だろうと誰しも思うところ、鳴き声の周波数が高過ぎて他のクジラに声が届かないクジラのことなんだと、冒頭に志尊淳演じる安吾から説明がある。なるほど高知の捕鯨船の話じゃなかったんだと直ぐに認識出来る(当たり前か)。そしてお話が進むにつれて、人間世界においても、自らの声とか思いが周囲の人に届かない主人公たちの悲しき人生が描かれており、この題名が本作の内容を的確に表現した優れた文学的修辞だと気付きました。そして映画としても、ホント掛け値なしに涙々の物語でした。
映画作品としては、主役の杉咲花に大注目。昨年末の「市子」で親の都合により無戸籍になってしまった市子を演じた彼女でしたが、本作でも市子同様に親ガチャの境遇の貴瑚(「キコ」と読むけど、作中「キナコ」とあだ名が付く)を、情感たっぷりに演じており、益々彼女のファンになってしまいました。また「キナコ」の名付けの親である安吾を演じた志尊淳も、実に良かった。とても優しくていい人なんだけど、何処か影があって秘密を持った人物を、悲しさと苦しさが混じった表情で表現したことで、彼の秘密に対する興味が俄然湧いて行くように創られており、その辺が映画として良く出来てるなあと感心させられました。もう一人、”少年”を演じた桑名桃李は、髪の毛が長いので最初女の子かと思いましたが、実は男の子だったので驚きました。喋れないという設定だったのでセリフはほぼありませんでしたが、逆に表情で演技をしており、中々見所がありました。
物語的には、親によるDVとか育児放棄に遭ったキナコや”少年”、そして何か秘密を抱えていそうな安吾の3人が、「52ヘルツのクジラ」として描かれていました。キナコと”少年”の境遇は似通っているので、キナコが”少年”に肩入れするという流れは実に自然でしたが、一方で安吾が、自殺しようとしたキナコを救い、その後も全面的にバックアップしていながら、何故か彼女からのアプローチを受け入れないというところが、実に謎めいた展開になっていて興味が尽きませんでした。
親ガチャがテーマになっているので、例えば彼の親が殺人犯だったとか、もしくは彼自身が親を殺してしまっていたとか、そういったことなのかと思っていたら、驚きのトランスジェンダーだったという展開。彼が、自身このことを誰にもカミングアウト出来ずに悩んでいたことが明かされ、まさに「52ヘルツのクジラ」だったと分かった時には、全てに合点が行ったと同時に、若干のお腹いっぱい感もありました。
正直親ガチャだけでも凹んでいる観ている側の感情に、さらにトランスジェンダーとしての悩みを浴びせられてしまう展開は、「52ヘルツのクジラ」にはいろんなタイプがいるということを表すのには最適解と思うものの、余りに重すぎるかなと感じられたところでした。ただ周囲の人に声が届かないというテーマ的には、3人の中で最も合致していたのが安吾だったも思われたので、この展開の解釈には中々結論を出せずにいるところでもあります。
また、概ねいいお話だったとは思うのですが、唯一「うーん」となってしまったのが、キナコの男を見る目のなさというか、危機管理能力の低さ。親友の美晴に恋人が出来、自分も思い切って安吾に告白するも、前述の理由で拒絶してしまう中、勤務先の会社の御曹司である主税から迫られて受け入れてしまう。まあここまでは納得出来るものの、公衆の面前で安吾を罵倒したのを皮切りに、何と親が決めた取引先のご令嬢と婚約するに至っても、主税から離れないキナコには、正直ガッカリでした。その後も両親から受けたのと同様のDVを主税から受けても、何故か逃げないキナコ。逆に言えば、彼女のそんな心理を、もう少し深掘りして貰いたかったと思うところでした。
最後にまた俳優陣の話になりますが、「52ヘルツのクジラたち」たちの親たちにも触れておきたいと思います。まずキナコの親を演じたの真飛聖。どちらかと言うとスマートな役柄が多く、個人的にも好きな女優さんの一人ですが、本作ではキナコにDVを振るいつつも、キナコに依存する母親という、明らかな汚れ役を演じており、非常に驚きました。杉咲花はある意味イメージ通りの役柄だったけれども、大袈裟に言えば真飛聖は新境地を開いたんじゃないかと感じたところです。
それから安吾の母親を演じた余貴美子の変幻自在の演技も素晴らしかった。本作では、善良だけど悲劇に接して悲しむ母親役を演じましたが、実にしっくりと来る配役でした。
あと、主人公たちの親ではありませんでしたが、キナコの地元で何かと世話を焼いてくれる村中サチエ役として倍賞美津子が出てきた時は、本作が予想以上に豪華俳優陣を起用していることに驚くとともに、波乱万丈の物語の掉尾を締めくくるに相応しいキャスティングだったと思いました。
以上、キナコの危機管理能力には疑問符を持ちつつも、実に心揺さぶられる秀作だったので、本作の評価は★4.5とします。
社会問題のオンパレードで予想よりはるかに重かった 意を決して必死に...
社会問題のオンパレードで予想よりはるかに重かった
意を決して必死に伝えても、本当の意味で届かないなら、話さない方が、喋れない方がいいんじゃないか。それでもやっぱり、同じくらいの覚悟を持って必死に聞こうとしてくれる人がいるのなら、伝えることで救われることはあるはずだ。
お芝居しづらそうなセリフだったり叫びとかがあってちょっと白けたしこっちが恥ずかしくなるところがあった。『市子』に続き花ちゃんがレベチゆえ周りに目がつきやすかったということもあると思うが。花ちゃんは第一声からとにかく正解な気にさせられたし、お風呂場前のカットに関しては花ちゃんの表情だけで奥で起きている悲惨さが想像できて、逆向きまで映す必要ないむしろ映さない方が残酷さを感じたし、その後の絶望した目も、映画に愛される人なんだなと。
クジラはファンタジーっぽい雰囲気が加わって好きだったな。ロケーションなどを活かしたカメラの動きも好きだったけどたまにブレが気になった。
親友は過去の親密な関係性が全く想像膨らまなくて、行動を理解も共感もできなかった。ラストシーンの有無も疑問点。
あと、よく知らないからなんとも言えないけど、話題になってた志尊君のひげに関してはキャラクターとして不可欠な物だったと言えると思う。
志尊淳に泣かされた・・・
予告編で気になったのと試写会等での絶賛の口コミを目にしていたので初日夜鑑賞してきました。原作の読者の方も褒めていたので期待値が上がり過ぎたのでしょうか・・・
公開後からいろいろ言われてる辛口のコメントにも納得できるような感じでしたね
とりあえず宮沢氷魚くんに拒絶反応…
なんで彼なのかな?もっと別な人いなかった???
真飛聖さん、今放送中のドラマでも娘(永野芽郁)を虐待してたよ…
似たような役柄が続くと強烈に残っちゃうから印象が悪くなってしまう
彼女の場合は演技が上手いってことだと思うけど
「市子」未鑑賞ながら役柄はなんとなくわかるので、杉咲花ちゃんはこんな役柄ばかり続いて大丈夫なの?と心配になってあんまり入り込めず。「法廷遊戯」でもハードな役柄だったし。
演技力は申し分ないからこそ心が痛くなるシーンばかりでずっと苦しかった
私の涙腺が崩壊したのは志尊くんの演技。。。しばらくは志尊淳を見たら「あんちゃん」を思い出して涙出そう^_^;
基本的に事前情報を入れずに鑑賞する派なので、あんちゃんという人物はあの薬袋?の病院名でわかる。もうちょっと別な名前なかったのかな…(ダイレクト過ぎてビックリ!)
クジラのシーンは感動する場面なのかもしれないけどなぜか冷めてしまいました
(すみません…)
こういう事が実際にある。実際にこんな子供がいる、こんな人がいる。
たくさんの人が映画や原作を通して「知ること」
それだけでもこの作品は意味があるんだろうと思う
鑑賞して良かったと思う
きなこと少年の今後が少しでも明るいものであるといいな…
52ヘルツのクジラ"たち"
⭐︎3・5になったのは、鑑賞状況が最悪だったからだ。
私はいつものG列真ん中。
その後方列の右端おばさんズ、
私の左後ろばあさんズが、まぁ〜うるさいうるさい!ずっと喋ってる。
予告も見たいから静かにしてほしい。
後ろチラ見したり、咳払い2、3回して
"威嚇"してみたものの、全く効果なし
( ̄∇ ̄)
つか、その咳払いが迷惑よねスマセンでしたm(__)m
もう部屋に入ったら静かにしてくれ!
来期の担任が〜とか、グループホームの出し物が〜とか、知らんがな!後にして!
こ〜ゆう繊細な作品を鑑賞する状況として最!悪!でした!
上映中もずっと喋ってた。
ばあさんの副音声付き(°▽°)
ムカついていたからか、ちょっとクレーマーみたいな観方になっちゃった泣
ふぅ。。さてさて、
本作は、本屋大賞では常連の町田そのこ先生の同名小説を映画化した作品ですね。
本屋大賞ノミネート作品は面白い物が多いからよくチェックしています。
最近では
「そして、バトンは渡された」
「流浪の月」「ある男」「正欲」なども映画化しており、見応えありましたね。
「かがみの孤城」
(←アニメ化されたか)
「店長がバカすぎて」「逆ソクラテス」「夜が明ける」も面白い小説でした。
おすすめ♪
本作は。。
映画の尺の都合上、仕方ないのは承知だが、起こる不幸に対しての描写がやや浅かった印象。
どんどん次の場面に移ってしまい、アレもコレも入れなくちゃ感で、忙しい。
そこに至るまでのプロセスをもう少し丁寧に描いて欲しかった。
説得力に欠けていた部分が多かった。
冒頭の工事に来た兄ちゃん(金子君)のあり得ない噂話。
結局ラストのあの皆んなの集まりの中でも、婆ちゃんだって嫌われていたようでもなかったし、これが何に活かされていたシーンだったのかわからなかった。
病院で母(真飛さん)からボコボコにされたキコ(花ちゃん)も、次のシーンではもう街をフラフラ歩いている。
死のうとした所を安吾(志尊君)と美晴(小野ちゃん)に助けられるが。。
あの顔のアザ、心身ボロボロなキコを呑みに誘うか?!
安吾がキコにあそこまでする動機もハテナだ。
村人がイトシの存在を知っているのに無関心。。毒親(七瀬ちゃん。良かったです!)は結局フェードアウト。。
舌にタバコ?!
あり得ない設定過ぎてビックリ仰天!
小説ならば文字を目で追うので、まだ「52」と仮に呼んでいても、頭の中で処理出来るが、実際に「ごじゅ〜に〜」と声に出して呼んでいる所は違和感があった(°▽°)
新名(氷魚君)vsキコ。
彼が何故にあれ程までキコに執着したのか?自分の思い通りになる女を飼いたかったのか?
そして、なぜ背後にまわる?!
「逝くなー!!」ってw ごめん失笑。
(リアル坊ちゃん氷魚君。
ボンボン専務を頑張って演じてはいたが、やや力不足だったか。。)
安吾の選択も。。
トランスジェンダーとしての葛藤もあったのだろう。
しかし、密告の手紙に込めた想いからあの最期には繋がりにくかった。
キコの幸せを願っていた安吾。
キコの第二の人生を生きるきっかけを作った彼が、生きる事を諦める程の葛藤が描ききれていなかった。
さり気なく映したためらい傷や、手が柔らかいの台詞、最初不自然に見えたあごひげなどは、彼の秘密が分かってからは納得。
巧い演出だった。
優しい安吾だからこそ、自分を追い込んでしまったのですかね。辛いね。
そして、どんなに虐げられても子は親を愛していて愛されたいと思っている。
責められる程に自分が悪いからだと考えて直そうとする。
切ない。悲しい。泣ける。
キコが「お母さんに愛してほしかった」と号泣したシーンは辛かった。
イトシ(桑名桃李君)を通して、幼少期の自分を肯定してあげたかったのだろう。
負の連鎖を断ち切って、彼と共に生き直そうとするキコの姿は逞しく見えた。
とは言え無職女に子は任せられません
(°▽°)
安定の花ちゃん。本作でもキコに憑依!同年代の俳優さんの中でも頭1つ2つ抜きん出た演技力で魅せてくれました。
回鍋肉少女だった頃が懐かしいですね♪
多くのメッセージ。
誰にも聞こえる事のない声。
現実社会でも52ヘルツの声をあげている人々が大勢いるんだろうな。。
しかし私達はクジラではない。
声を上げる事が出来ない人を見つけ出してあげたいし、声をあげれば聞こえるし助けになれるかもしれない。
生きる事を諦めないでほしい。
そんな事を考えた。
作り手の伝えたいメッセージが溢れかえっていて、熱い想いを感じ取る事は出来ました。
だけど、個人的に、今回は揚げ足取りな観方になってしまって残念だった。
上映後、席を立つばあさんズ。
お二人共杖を持っておられ、ゆ〜っくり階段を降りる。
「可哀想だったねぇ」と仰っていた。
う、うん。可哀想だったね( ; ; )
そして、鑑賞後、52ヘルツのクジラについて調べていくうちに、どんどん鯨の知識が増えていった私でした。
色々描きすぎている印象
盛りだくさん過ぎて、そこまで感情移入できなかった。何も起こらないくらいが実は映画としてはちょうどいいのかもしれない。52ヘルツは思いが届かない人たちの例えであって、実際にその音を聴くシーンはいらないと思った
映画「52ヘルツのクジラ」は虐待と愛の物語だった
途中は役者陣がミスキャストなのではないかと思えたが、最後まで観ると、観て良かった映画だと思った。
途中、会場からはすすり泣く声が聞こえた。
・52ヘルツのクジラとは
孤独の象徴。
52ヘルツの鳴き声を出すクジラがおり、その声は他のクジラたちには全く聞こえないらしい。
誰に何を伝えよっとしても全く届かないのだ。
・愛のつがい
お互いがお互いを必要とし、愛し合いされること。だが人や状況によってはそのような関係を作ることが難しく、絶望的な場合だってある。
DVや虐待のように暴力が愛を偽装することもある。
・主人公 キコ
映画「市子」に続いての主演。こんな短期間に主演作品が続くとかすごいスパンだ。
場面によって可愛くなったり、髪がボサボサで可哀想なぐらいになったり、千変万化する。
子供の頃、母親から虐待を受けており、大人になってからも家の牢獄の中で暮らしていた。
・ひろゆきみたいな男
美形になったひろゆきみたいな男が出てくる。なんだそのチョビ髭は?っていう。
なんかキャラクターも喋り方も好きになれないんだよな。いかにも「私は善人です」みたいたノリで出会ったばかりのキコに綺麗事を言いまくる。
これはミスキャストなんじゃないだろうか…と最初はそう思った。
だが後半になるにつれ彼の秘密が明らかになり、まさかチョビ髭にまでちゃんと理由があることが分かるなんて思いもよらなかった、
前半後半でここまで印象が変わる役も珍しい。
・女友達
主人公をめちゃくちゃ好いている親友。
だけど何故こんなに仲が良いのかという背景が描かれていないので、なんとなく二人が友達って感じがしない。
なんか空回りしてるような気はした。
・専務
偶然をきっかけにキコに近づく男。
どうせクソみたいな遊び人なんだろう?と思わせておきつつ、意外とちゃんとした関係が始まる。
・52
言葉を失った少年。
・スタッフロール
「方言指導」とかいう役割があった。
リアリティのためには監督指導!
声なき声に耳を傾けて
昨今、原作と映画化の齟齬が問題になっている中での、本屋大賞の映像作品。そういった意味でも、興味惹かれて鑑賞しました。
SOSの声を出しても、誰にも届かない人。自分がSOSを出すべき対象であることさえ気が付かない人。いろんな声で社会は成り立つ。
悪役に見えたDV専務も、世襲企業の軋轢の中で生きなくてはならない苦しみを持っていたのかも。(全然共感はできないが)
声にならない声に耳を傾ける社会の聴診器としての役割を果たすこと。まずはその声にならない声を音にすること、だと、是枝監督がテレビの役割について語っていた。
今回は映画ではあるが、声なき声の存在を伝える道徳的役割を担った映画だったのでは。
過去と現代の2軸構成は、映像化する上で難易度が高い挑戦だったと思うが惹きつけられた。
原作読んでみようかな。
「問題」の詰め込み過ぎ
杉咲花は助演なら高く買うが、主演としては華が足りないと思っている俺。それでも、予告編の演技に目を見張るものがあったので、観ておこうと思った。
【物語】
東京から九州の海辺の小さな町の一軒家へ引っ越して来た貴瑚(杉咲花)。町の人からは好奇の目で見られていたが、この地でひっそりと暮らすつもりでいた。
あるとき埠頭で時間を過ごしているうちに急に雨が降り出す。慌てて帰ろうとするが、途中で古傷が痛んで倒れる。動けなくなった貴瑚に少年(桑名桃李)が駆け寄り、傘をかざした。 落ち着きを取り戻した貴湖はビショ濡れ何なった少年を家に連れていくが、少年の体があざだらけであることに気付く。
自分も母親に虐待されていた過去を持つ貴瑚は、虐待だと確信し、放っておけなくなる。貴瑚は母親にムシと呼ばれ、言葉も話せない少年の面倒をみるようになる。少年に誰にも声を聞いてもらえない孤独な「52ヘルツのクジラ」の話をする。かつて自分の叫び声も誰にも聞いてもらえずにいたが、ありとき声を聞いてくれる人が現れたことを話す。
貴湖は少年と接しながら、生きる希望も気力も無くしていた自分を救い出してくれた安吾(志尊淳)との日々を思い出す。
【感想】
ちょっと・・・
全体に重すぎる。最後にわずかに「光が差す」感じで終わるのが救いだが、それでもなあ・・・
育児放棄・幼児虐待、介護、LBGT、DV、社会問題のてんこ盛り。 さらにはパートーナーの不誠実まで加わる。
「人間、生きるのは大変だ、苦痛だ」を描きたかったのか? と思ってしまうほど。 もう少し「問題」の的を絞って良かったのでは?
タイトルからしても、人生における孤独感(独りで苦しんでしまう)とその救いを描きたかったのだと思うけど、色々な不幸を詰め込み過ぎて、救いの部分が大いに不満足だった。 温かいや気持ちになれる、あるいはホッとできるようなシーンが余りに少なく、ほぼほぼ苦痛だけを見せられて終わった感じ。
杉咲花初めとする役者達は頑張っていたけど、作品のバランスを誤ったのではないだろうか。
届かない声、聞き届ける心
少年のような貴瑚と少女のような少年、そしてトランスジェンダーの安吾。
このあたりの外見の置き方が非常に上手い。
また、注射の手元と一緒にためらい傷(ずっと長袖だったね)を映すなどのさり気なさにも好感を覚えた。
ただ、主税のキャラ造形と宮沢氷魚の(下手とまでは言わないが)微妙な演技はマイナス。
「優しいんだね」とか「大好きだよ」とか、台詞から作りもの臭かった。
志尊淳の男性的でも女性的でもない所作は絶妙だし、似合わないヒゲも背景を考えると納得がいく。
ただ、体格があまりにも男すぎたように感じてしまった。
2回ほど手についての言及があったが、めっちゃゴツゴツしとるやん。
トランスジェンダー設定はHPに載せないでほしかった。
度を越して直情的で考え無しに動くキャラや、ハナから行政を疑う姿勢にも疑問を感じる。
しかし、ラストでは不思議と涙腺が緩んでしまった。
『市子』でも感じたが、杉咲花の不幸を体現する芝居は胸にくるものがある。
イトシのものも含め、大袈裟でなく自然な笑顔に留めたことも良かった。
主税や琴美はともかく、貴瑚と父母のその後は気になる。
杏時代のアンちゃんは可愛すぎで、声を聞いてくれた人にカウントされない美晴は不憫。
そういえば貴瑚のお腹のキズ、横向きだった気がしたんだけど気のせいかな。
"原作ファン"はもうちょっと怒ってもいいと思うよ。
内容を詰め込んだせいで、ある種の「見易さ」を追求してしまったのか?
演技が大げさなため見ている側としては感情移入出来なかった。
映画であるはずなのに、心情を全てセリフで説明しているので安っぽい印象になってしまっていると思う。
あまりにも映画が酷かったので、急いで原作を買って読んでみた。
そちらの方がマシだが、感動の押し付けという点においては似たりよったり。
――以下は原作と比較しての感想――
映画ではムシを家に連れ帰って風呂にいれる際、ムシが全く抵抗せずにTシャツを脱がされてた直後に背中の痣を映したところで、まず違和感を覚えて少し感情が離れてしまった。
原作では、ここを描写してくれていたので一安心して読み進めていった。
映画では、登場人物たちの感情表現の大きさと、心情説明的なセリフの多さになかなかついて行けないまま物語が流ていってしまう。
原作では、あそこまでオーバーに叫んだり怒鳴ったりはしない。
主税のキャラクターが登場時から飛ばし過ぎてて、ヤバいヤツの匂いしかしない…
喧嘩騒動を起こした部下をいきなりクビにすると発言したり、謝罪のための1回目の食事で「あ~んして」を繰り出したりする。
原作では快活なキャラクターで徐々に親しくなるが、そういった経過がないから好感を持てない。
主税がアンさんに「親にも打ち明けられないような状態で…」と特大ブーメランを投げつけたところで思わず笑ってしまった。
原作では『あの親にしてこの子あり』な環境のため主税の立場は強いままだったから、アンさんへの報復は叶ったというのに、改変によって道化のようになってしまっている。
バックハグからの腹部刺傷、そこからの「逝くなー!」が個人的にはこの映画の爆笑ポイントとしてのハイライトとなり
以降まったく感情移入出来ずに、淡々と感動ポイントを見せつけられる。
原作でもこの辺りから話の筋と展開がグダグダになってきて、感動シーンとそれを発生させるための後出しの説明を繰り返す始末。
登場人物たちがあの世界の中で生きている気がしなくて、ただただその場面場面で感動的なシーンを演じさせられてるように感じでしまってかなり残念だった。
主演・助演の役に生きる姿に心打たれる
当事者との深い深い会話を通し消化し出力された生の演技のぶつかり合いがこれでもかと言うくらい観られる。
テーマとして虐待や性的指向があり、取り返しがつかない場面もあるが、最終的には希望を持てるエンディングに。
主演の住む家の露台にて天気の良い日に一日ボーっとして過ごしたい気持ちになった。
その声は聞こえている
タイトルの“52ヘルツのクジラ”とは、仲間のクジラには聞こえない高い声で鳴き、大海にたった独りぼっちのクジラの事。
その声は仲間を探す声なのか、悲しみの声なのか、声にならぬ声で助けを求める声なのか…?
その声は誰にも届かないのか…?
いや、聞こえる相手もいる。
自分と同じ境遇。大海のように広い世界で、たった独り…。
そんな中で出会った。貴瑚と一人の少年…。
東京から海辺の町に越してきた貴瑚。
かつて祖母が住んでいた古家を改修。テラスから臨める海が本当に美しい。
防波堤で海を眺めていた時、突然の雨と腹部に痛みが。
一人の少年が傘を差し出す。
無口なその少年。びしょ濡れになったので、せめてシャワーを。
服を脱がせた時、ハッとする。身体に痣。
少年はそのまま逃げ去ってしまう。
貴瑚は思う。私と同じだ…。
貴瑚も暗い過去が…。
知り合いから少年が母親から育児放棄と虐待を受けている事を知る。
その若い母親はとても親とは思えない辛辣な言葉で我が子を罵る。子供なんていらない…いや、いない。あいつのせいで私の人生が狂った。ゴキブリ、虫ケラ。母親は我が子を“ムシ”と呼ぶ…。
貴瑚は少年を預かる。
少年は言葉を話す事が出来ない。紙に文字を書いてやり取りを。
貴瑚が時折聞いている“ある声”が少年もお気に入りに。それは52ヘルツのクジラの声。少年は“52”と呼んで欲しいと。
昔、私もあなたと同じだった。
その時聞かせてくれた。教えてくれた。救ってくれた。
“あんさん”。
時折貴瑚の傍らに現れる“男性”。
貴瑚は尋ねる。どうして居なくなっちゃったの…?
3年前。
貴瑚は実家で朝から晩まで義父の介護。
母親からは虐待。義父の病状悪化で病院を訪れた時、医師の目の前で殴られる。罵られる。あんたが死ねば良かった! 事情はあるにしても、キチ○イ母。
街中をさ迷い、車に轢かれそうになった所を、男女二人組に助けられる。
偶然の再会。高校時代の友人・美晴と、彼女の塾講師・安吾。
二人に悩み、苦しみ、今の現状を打ち明ける。
二人の力と支えによって、現状を断ち切り、抜け出す。
義父を介護施設に入れ、実家を出る。引き留めようとする母親。
この時の安吾の言葉が響く。お母さんは本当に娘さんを殺そうとしたんですか…? 本気で首に手を掛けたんですか…?
我が子への愛や自由や人生を思うなら、本気ではない筈だ。
母親の元から解放された貴瑚だが、その心境は…。お母さんが好きだった、愛されたかった…。
そんな貴瑚の傍に寄り添い、支える安吾。
ある言葉を掛ける。“魂のつがい”。必ず、貴瑚を愛してくれる人が現れると…。
この時、貴瑚も見てる我々も思った筈だ。安吾、君じゃダメなの…?
2年前。
貴瑚は一人暮らしを始め、自立。仕事も。
時折会う安吾や美晴(とその彼氏)と飲み交わすお酒が美味しい。
ある時、職場でトラブルに巻き込まれ、怪我を。
上司が謝罪。専務の息子で、主税。
イケメンで御曹司。それからちょくちょく会食に誘われ、交際を申し込まれ、プロポーズ。億ションで同居も。
かつてからは信じられない玉の輿。人生逆転。彼が遂に巡り合った“魂のつがい”…?
が、映画を見てると薄々察するのだ…。
貴瑚と主税、安吾と美晴(とその彼氏)で会食。
貴瑚が“あんさん”と呼ぶ安吾が“男”だと知って、主税はトゲのある言動を…。
安吾は貴瑚に主税と別れた方がいいと進言する。いつか必ず、悲しませる…。
貴瑚は耳を貸さず、安吾のある秘密と共に、やがて悲劇が…。
1年前。
久し振りに安吾と再会した貴瑚だが、別れを進言する彼の話を聞こうともしない。
そんな時…、主税に婚約者がいる事を知る。親の取引先の令嬢で、親同士が決めた話。いつの時代だよ…と主税は言うが、貴瑚に“愛人になってくれ”というお前もお前だよ!
会社内に貴瑚と主税の関係が書かれた怪文書。婚約は解消、会社は取引先を失い、主税は父親から激怒されクビ…。
自業自得のくせに、本性を現す。貴瑚にDVを…。
億ションから出る事も許されない。やっと辛い過去から抜け出して幸せを手に入れたと思ったのに、また…。かつてと変わらない。
怪文書を出したのは安吾と判明。
主税は安吾に復讐を。安吾の母親を呼び、今の安吾と会わせる。
驚き合う二人…。
これがきっかけで…。
後日、安吾のアパートを訪ねた貴瑚。安吾の母親とも会う。
そこで二人が目にしたのは…
浴槽で自殺した安吾。
母親との再会。ある秘密。“彼”を悩ませ苦しませていたもの…。
“彼”ではなかった。安吾の本名は、杏子。
女性から男性になったトランスジェンダーだった…。
安吾が貴瑚に“魂のつがい”として切り出せなかったのは、それだからだろう。
自分は貴瑚を幸せにしてやる事は出来ない。何故なら、自分は…。
貴瑚は安吾が好きだった。しかしそれは恋愛感情ではなく、自分を救ってくれた恩人として。尊敬すらしている。
そこに嫉妬剥き出しのクズ男が割り入り、悲劇の連鎖が…。
貴瑚は主税に別れを。包丁を手に。主税に向けるのかと思いきや、自分の腹部に…。
貴瑚の冒頭の腹部の痛みや傷痕はこれ。
相手を思いやり、思い過ぎる余り、その思いがぎこちなく、届かぬ時がある。
貴瑚と安吾の関係がまさにそれだった。
では、どうすれば良かったのか…?
女性/男性として、思いを受け入れれば良かったのか…?
その区別自体が愚か。
女性でも男性でもどっちでもいい。関係ない。
誰かが誰かに手を差し伸べる。尊き人間愛。
あんさんが52ヘルツの声で鳴いていた私を救ってくれた。
そんなあんさんも52ヘルツのクジラだったんだね…。
甘えてばかりで、支えて貰ってばかりで、時には耳を貸さないで反発して、あんさんの苦悩に全く気付いてやれず…。
遺書も私の事を思ってくれて…。(それをコンロで焼く鬼畜主税!)
本当にごめんね、あんさん…。会いたいよ…。
映画賞を総ナメにした『湯を沸かすほどの熱い愛』、まだ未見だが昨年のこれまた大評判だった『市子』、そして本作と、不幸と悲劇が続く杉咲花。しかし言うまでもない、それが出来るのも演技力があるから。今にも壊れてしまいそうな序盤の弱々しい不安定さ、涙と嗚咽、自立、少年に手を差し伸べる包容力…同世代屈指の演技力で魅せる圧巻の見せ場の連続。
志尊淳もまた難しい役柄を見事にこなした。トランスジェンダーであるが故に誰にも打ち明けられない苦悩…。あるシーンの絶叫嗚咽…。しかし見終わって心に残るのは、その優しさと温かさ。
小野花梨も好助演。時々言動が荒いが、それも親友を心底心配するから。
宮沢氷魚もクズ男を熱演するが、第二の『流浪の月』の横浜流星にはなれなかったかな…。ちとミスキャスト感が…。彼はやはり複雑で繊細な役が似合う。
西野七瀬は意外や毒親がハマっていた。余貴美子、倍賞美津子らベテランが支える中、オーディションで選ばれた桑名桃李が印象を残す。
不幸な生い立ち。言葉を発する事が出来ず、虚ろな眼差し、佇まい…。少しずつ貴瑚に心を開いていく…。早くも年末映画賞の新人賞の注目株。
介護、虐待、DV…見ていて辛くなるほどの社会問題。性的マイノリティーの苦悩…。
シリアスと緊迫感と、それを経ての感動と温かさ。成島出監督が手堅く。
一部、感動ポルノと言われている。
一部、ご都合主義も目立つ。ステレオタイプのような不幸の背景や序盤の安吾による救出、ラストシーンに登場するクジラ…。一応希望の兆しが見えるハッピーエンドだが、課題や問題はこれから。いい話で終わりにして途中投げ出しの感も…。
でもそれらを踏まえても、素直に感動出来た良作であった事に偽りはない。
大切な大切なあの人が私を救ってくれた。
今度は私が。
受けた優しさ、温かさを。
あの人がそうしてくれたように。
あんこからきなこへ、愛しに。
それぞれがそれぞれの“魂のつがい”。
大海にたった独りの52ヘルツの声のクジラ。
独りじゃない。
その声は聞こえているよ。
私に。あなたに。
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