ミッドサマーのレビュー・感想・評価
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「肉体は無条件でいつか僕達を裏切る」
ラジオ番組“アフター6ジャンクション”内でアリ・アスター監督が答えていたパンチラインである。心気症でもあると告白されていた監督ならではの、精神と肉体の乖離、又は不一致性を端的に今作品に表現せしめた“金言”である。それを如実に印象づけている幾つかのシーンの重要なアイテム達を羅列してみると、幾度となく使用されるドラッグや媚薬は説明するまでもなく、肉体を制御不能にさせるモノ。そして、『Ättestupa』は日本『楢の山節考』のよりアグレッシブ版として、肉体の老いに対する一つの結論。そして主人公の女が恋愛、家族の不幸、そして奇っ怪な集団に駐屯している状況の中で、肉体が自然と同化していく幻想(手に草が生える、足も土に溶けていく感覚)。そんなシーンを散りばめる中で、強迫観念にも似た心身の不同一を丁寧に表現している手腕には狂気すら覚える程の作り込みである。更に、精神にも異常を故意に与えることで、正常性を排しそれを超えた別の社会性への帰依を図るカルト宗教的手法を表現することで、人間の脆さをも訴える構築となっている。マチズモの代表であるアメリカ人達が、次々と血祭りに上がる件、そして単なる“子種”としてしか必要とされていない対象、“メイクイーン”と呼ばれる、女性が長である社会性、心情を軽くスルーするやり方や、一方でオーバーリアクションを演劇やコンテンポラリーダンスを彷彿とさせる“型”に落とす動きで日常性の排除を催す動作に、精神さえも剥がれ落ちる若しくは脱皮するかのようにラストのクライマックスでの何とも言えない笑顔は、“狂気”という言葉さえ当てはまらない炎極がスクリーンに映し出される。これを34歳の若い監督が描いている事実に、驚愕という言葉でしか言い表せない己の陳腐さを嘆かざるを得ない。
ゴア表現ばかりが取り沙汰されるが、確かにジャンル映画としてのホラーでもあれだけの攻めた演出は、R指定を避けたいコマーシャリズムに果敢に挑戦していることをハッキリ見て取れるが、それ以上に注目なのは劇伴の細かいアレンジ調整の妙である。例えば、崖の上から投身するシーンでは掌の裂傷の前迄、音楽がメジャーコードなのにそこからマイナーコードへと転調することで不穏不吉さを劇的に演出たらしめている。音楽との親和性の高さ、そして裏切る演出も又サイコホラーとしてのジャンルの新機軸かも知れない。
今迄の家族をリセットし、新しい家族に取り込まれる。家族という共同体からは一切逃れられず、その十字架を次の世代へと背負わす。日本の昔の因習と同じ土着社会は実は世界共通であったことをありありと本作は突きつけてくる作品である。
本作は、他の数多くのレビュアーが仰るように、観る人を選ぶ特異な映像である。所謂『なんだ猫か・・・』的手法とは真逆の位置にある、決して陽が沈まない明るさの中での気が狂う殺戮のアイデアを提示している。身体は眠いのに、頭は冴える。そのアンナチュラルな季節を経験したことがない自分としては、バッドトリップの想いに耽るうってつけの、ジャストフィットな作品であった。多分、監督のバイブスに自分はかなりシンクロ率が高いのではと、勝手に判断してしまう悪い癖である。
【明るすぎる白夜の下の、唯一無二の”集団パラノイア”】
アリ・アスター監督は、つくづく”因習”、”継承”というワードがお好きだと見える。
そこに”A24"が絡むのだから、普通ではない作品になるよな、と思いながら独特過ぎる世界感にどっぷり嵌る・・。
物語は、序盤から、不穏な空気が立ち込める。
家族を事故?で失ったダニー(フローレンス・ピュー)は失意の中、彼氏のクリスチャン(ジャック・レイナー:久しぶり)の誘いで彼の友人達(含む、ウィル・ポーター 君がいるだけで、怖そうだぞ・・。)たちとスェーデンの”どこか”で行われる祝祭に参加する・・。
ほぼ一日中明るい土地で行われる、数々の因習を見ているうちに、こちらまで”何かを飲まされたかのように”脳内トリップ”していく。
”私、今を何見ているのかな?”
白を基調にした、貫頭衣のような衣装が印象的な人々の姿。(刺繍された花柄及び幾何学文様が素敵。一着欲しい・・。)
妖しいが、美しい。美しいが、妖しい・・・。
<見事に夏至祭の”サクリファイス”になっていく”外からの訪問者達の姿”も印象的な、アリ・アスターワールドを堪能した。>
ー 今作、地元のシネコンでまさかの上映。
いそいそと足を運んだが、当地では良い感じの客の入り(3割位かな。)で少し、ホッとして(何故?)劇場を後にした。ー
気持ち悪くなる映画
まず、気持ち悪くなった。
始めのほうの車が走っている時に上下が逆さまになるシーンや、会場に向かう人たちを上から見下ろしながらカメラがぐるぐる回るシーンなど
「この映画は気持ち悪くなりますよ」というサインだったのかもしれない。
なぜこんなにも嫌悪感を覚えるのか。
それは我々がいつもの生活で無意識に触れないようにしていることを、この映画は普通に見せるからだと思う。
死、性、近親相姦、ドラッグ
どこかタブー的なところがあるものたちがいとも容易く行われる。
崖を登る時に「飛び降りるかも」と誰しも思ったはず。
でも、「まぁ違うだろうな」とそうなって欲しくないと思う。
でも普通に落ちる。
始めのほうに、陰毛を食べさせたりして最後は結ばれる的な絵があった。
誰しもが「この通りになるんだろうな」と思い、「でもそうならないで欲しい」とも思う。
でも普通に性交をする。
胸糞悪いという表現は合わない、なんとも言えない嫌悪感にやられてしまった。
わかりやすい人生の参考書
凄く現実的な作品でした。小さな世界で人生の縮図を見せられている気分になりました。人の命は有限であり、群れる生き物だからこそルールがあり、学び悟り次世代へ引き継いでいく。とてもわかりやすく表現していました。
ただ…見知らぬ村の戒律を見せつけられている観光客を、お金を払って私が見てるっていう滑稽さ。たまりませんね。ドMではありませんが。
あれだけグロいシーンを目の当たりにしながらも、最後はダニーが笑顔になれて良かった、ペレは良い家族になれるだろうな、とハッピーな気持ちになれたのが不思議でした。
祝祭のクライマックスの炎には女王の笑みがよく似合う
どうやら『ハウス・ジャック・ビルト』を観ていたおかげで免疫ができていたようで、比較的冷静に鑑賞できました(ホッ)。
そうでなかったら、なんでこういう映画を作るんだろう、と悩んで終わってしまうところでした。
ネットで調べてみたら、実際のスウェーデンの夏至祭から、木材のポールとかハーブの香りといった類の祭りの道具立てのようなものをうまく取り入れているようですが、このお話のテーマらしきものとスウェーデンの伝承とか習慣が関係あるのかどうかは、残念ながらサッパリ分かりませんでした。
で、まったくの思いつき、こじつけ的な読解を試みました。
祝祭と死。
現代に生きる我々にはなかなか結びつけて考えるのが難しいと思いますが、病気や老いからくる衰えや死への恐怖から逃れる医療手段のない時代の人たちにとっては、ムラ全体が高揚感と熱狂に包まれるタイミングに命を断つこと、しかもそれが次の命に生まれ変わると信じられるのであれば、あのシーンも決して荒唐無稽なことではないと思います。
命は繋ぐものであって、いちいち悲しむものではない。
現代といえども、自給自足の中で得られる限られた栄養源しか摂取できない食生活と科学的な医療を施すことができず、ネットもテレビもなく、外の世界と遮断された環境で暮らしていれば、病気や老いの苦しみは昔とさほど変わらないはずです(村人たちがみんな健康そうだったので、そうは見えませんが😅)
しかもあのコミュニティの中では、全員が家族なので、直接的な身内への特段の悲しみ、という概念は薄くなります。
ついにあのムラの人たちと同期したダニー……悲しみや嘆きの咆哮を合唱のように周りの人たちが奏でることで頭よりも先に身体的同化が進んだのだと思います。
ムラの女王がムラの祝祭のクライマックスの炎を眺めながら、恍惚感漂う笑みで応えるのは、当然のことなのでしょう。
Happy midsommar. 超カルト!
うーん、何とも言えず気持ち悪かった作品でした。高い評価も理解できる。反面、低い評価も理解できる。そんな感じの希有な作品です。
まぁ、カルトって怖いな~っと思ったのが正直な感想ですね。カルト信者の方には申し訳ないですが、個人的にカルトって苦手です。閉ざされたコミューンで独自の文化が生まれたという設定でも、あの文化にはちょっとついて行けませんでした。ペレさんが友人を祭に呼んだ時点で生け贄要員確定ですし。「悪魔は優しい笑顔でやってくる」を体現しているペレさん。うーん、ろくでもねぇ。後、直接的な描写はなかったのですが、カニバリズムもありますよね?それとあれだけ薬に長けているのならわざわざ飛び降りしなくっても良いような?
あの中にハマってしまえば最後のダニーのように幸せになれるのかも知れませんが・・・だってカルト宗教にハマっちゃう人っていっぱいいますし、自分1人より周りと共感して流されてしまったがよっぽど楽ですしね。でも、あの風習を一番最初に考えた人は頭おかしいと思います。
フローレンス・ピューはスゴく良かったですね!もう本当にパニック障害になってるように見えました。何と言っても最後の笑顔!メイクイーンの話が出た時点でダニーがなるんだろうなぁってのは想像できたのですが、クイーンがよく似合ってたと思います。最後の歩く姿は「花ゴジラ」といった様相でした。
日本人にせよ、アメリカ人にせよ、大半の人は何処だよスウェーデンって?っという感じではないかなと思います。ヨーロッパでも北欧の、特にノルウェー、スウェーデン、フィンランド辺りの順番って馴染みが薄い分わかりにくいですよね。でも、本作観たらスウェーデンには行かなくっていいかなっと思う人が確実に増えるのではないでしょうか?そんな気分になる作品でした。
孤独 憎悪 共感 解放
「ヘレディタリー/継承」でオカルトともスプラッターとも言えぬ
独自のホラー感を醸し出したアリ・アスター監督の最新作。
前作も彼自身の体験を映像化したとし、
今作も家族を失った彼自身が当時付き合っていた
彼女に支えてもらえなかったという体験から
本作を生み出したと言う。
付き合って数年のダニーとクリスチャン。
二人は倦怠期であり、ダニーが家族を失ったことの
精神苦痛を支えるに至らずにクリスチャンは
別れを切り出せずにいた。
二人は知人のペレの誘いで彼の故郷の
スウェーデンの夏至祭に参加する事になるが…
ところどころ現れる絵画やキーワード。
北欧のバイキングが残した文化。生命のサイクル。
すべて本当に過去に存在していた文化であるという。
ダニーの視点で物語を鑑賞すると…
孤独になったダニーは精神的な支えが必要な状態で
彼はいるがいつか私を置いて立ち去りそうだ。
そんな中で出会った異文化の人間たちは
私の存在を認めクイーンとしてくれる。
そして彼に裏切られた感情を同様に理解して
共感し同じく嗚咽してくれる。
新たな共感者たちは彼という不安要素や
呪縛から解放してくれ、まさに生気を得ることが出来た。
前半はダニの心情を表現するように夜の闇の
情景が多いのに対し、夏至祭に訪れる辺りから
ずっと日中になり明るい風景が終わりまで続く。
ヘレディタリーは息子が悪魔の器として
捧げられ、家族たちが生贄になった映画だったが
本作は母国の知人たちが生贄になったことにより
ダニーが呪縛から解放され、異国の地で
女王として降り立った物語だったのだろう…。
必ずしも、今いる環境が自分に適してる訳ではない。
遠くの異文化にこそ自分を理解してくれる人達が
いるのかもしれないという、目前にある
当たり前の文化へのアンチテーゼにも感じた。
郷に入っては…
郷に入っては郷に従えと言うが、本作のような状況になってもこの言葉は説得力を持つだろうか。
多様性を大事にと言うが、この祝祭を多様性として尊重できるだろうか。
完全にイカれているが、この祝祭は彼らにとっては当たり前の文化なのだ。
劇中で"老人を施設に入れる方が彼らにとってショッキングかもしれない"というセリフがあった。その通りかもしれない。自分は、自分たちは当たり前と思っていることもヨソからみたら異常かもしれない。そんなことを思わされた。
しかしこの映画、まぁブッとんでる。監督の前作ヘレディタリーよろしく胃がキリキリするような不穏な緊張感が続き、ゴア描写にも事欠かない。そしてそれが異様なハイテンションで展開されるため怖いのか楽しいのかわからなくなってくる。これは新感覚だった。カットもいちいち美しく、自分は今どんな映画を観てるんだ?という気になる場面すらあった。ジャンル分けがとにかく難しい作品で、これはスリラーなのだろうか?間違いなくホラーではないと思うが…。
集団幻覚
集団幻覚を見せられたようで、映画終わった瞬間自分がわからなくなるくらい…
とりあえず、記憶も飛んでしまいもっかい見るべきなのか…
というか、ちょっとお酒入れてたのもあって…
村に着くまでふわふわしてて…村に入った瞬間はっきり景色が見えたんだけど…本当にエンディング始まった途端、記憶が飛んだ…
あれ、なんでここにいるんだ?
そういえば…映画見にきたんだった…って
そのトリップ具合に冷静になって怖くなってる…
🌿🌱🥩🌞🌿🌱🌞🌿🥩🌱
よかった
らりってる感じは楽しいのだけど、だんだん気持ち悪くなる。特に、セックスの場面で、周りで全裸のおばちゃんたちが体をゆすって監視しているのは、絶対無理。楽園のような地獄だった。主人公の女の子は、言葉尻をとらえてつっかかりがちで距離を置きたくなるタイプ。
うーん
カップルで観に行くと別れるって評判をみてどんなものかと観てみた。
まあ面白かったけど、これ観て別れるくらいならまともな付き合いじゃないな。
もっとドロドロした内面が描かれるのかと勝手に思っていたが、サッパリしたものだった。
映像も綺麗でウネウネしたり自然と同化しちゃう感じはキノコ類とかいろいろ想起するドラッギーな描写がナイス!
過激な描写はそこまでエグくない。
ろくな相手と付き合えなかった事のトラウマ克服映画なんだと思うけど、相手がそこまで酷い奴とも思えないから、なんかスッキリはしない。
誘ったあいつが1番悪いし落とし前つけろって感じするけど、そこはこの作品には関係ないんだな。
俗世間と離れた場所で行われる習わしは凄く興味が湧くけど、それもまあ特別変わってるとも思わなかった。
何度も家族の幻影を見たりもするが、恋人も含めて心のいらないものを全て焼き払ってハッピーエンドって事なんかね。笑えるシーンも結構ありました。
主人公の視点に
先行上映会にて鑑賞。
日本の予告だとホラー作品のような雰囲気を漂わせていたが、鑑賞していてそのような感じはしなかった。
上映後、監督のインタビューがあり監督もホラーのつもりでは作っていないと語られていた。
監督の口からはブラックコメディ、失恋映画といったワードが出ていたがまぁ分類は人それぞれといったところか。
個人的にはブラックコメディというのがしっくりきた。
この作品は正直1度目だとあまり良さを理解することはできなかった。
主人公のダニーの視点やダニーの気持ちにいかになりきるかで楽しみ方が変わるような気がした。
作品全体として、村の人々のこと。ダニーの友人達。儀式の事。その他色々気になる点はあるのだがその辺りを追い過ぎると確固たる描写でなにか最後には答えが描かれてるわけではないのでモヤモヤした気持ちで終わってしまった。
監督のインタビューからもおそらくそこらの描写に深い意味を描かれてるようには思わなかった。
綺麗な自然と対して人間の勝手さ醜さというのが対比して描かれてるのは分かりやすくみられる。
自分はわりかしポピュラーな作品を観ることが多く、友人などに勧めることも多いが、この作品は良し悪し含め非常に伝える事が難しい作品であるように感じた。
余談になるが監督の話によると舞台はスウェーデンではなくハンガリーだそうだ。とても綺麗な国だ。
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