ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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涙また涙でノスタルジックに感動、歌もダンスも素晴らしい!ただ前作の偉大さも再認識
スティーブン・スピルバーグ監督による2021年製作の米国ミュージカル映画。ロバート・ワイズ監督による1961年公開のウエストサイド物語のリメイク。
馴染みの有る音楽が聴こえて映画が動き出す。導入部、映像と同調する休止のリズムの懐かしに、思わず引き込まれる。何より変なアレンジを施さず原曲への敬意を、しっかりと払ってることが嬉しかった。そしてあの名曲の数々ををどこでどの様に使うか、期待が膨らむ。
まず、主役二人の出会いシーン、マリアがトニーの前で手を広げて動き出す『CHa-Cha』の流れるシーンに、映像の素敵さとマリア役レイチェル・ぜグラーの愛らしさ、ノスタルジックな想いが込み上げ、年甲斐もなく涙。
そして、ベルナルドとアニータの屋内での口争いから始まり街中での集団ダンスシーンに持ち込む『America』の大きな展開とキレキレの集団ダンスの素晴らしさに圧倒される。
更に、前回映画でアニータ役今回は薬局店主、時代を繋ぐリタ・モレノが語る様に唄う『Somewhere』で、曲の使われ方の意外性もありまた涙。そしてアニータの歌にマリアの訴えが重なる『A Boy Like That/I Have A Love』でとどめ的に涙腺への追い討ち。アニータ役アリアナ・デボーズ、及び前作と異なり吹き替え無しで歌ったというマリア役レイチェル・ゼグラーの歌唱力に大きな拍手。
どちらかと言うと前作では地味と思われた曲に、今回は強く心打たれた。原曲の良さを再発見させてくれたアレンジャーのデヴィッド・ニューマンや指揮者グスターボ・ドゥダメル等に感謝。
そして、『Maria』の”The most beautiful sound I ever heard.”等、全ての曲のソンドハイムによる美しい響きと社会を鋭く抉る歌詞が、今もなお心に響くことにも驚かされた。全ての曲のジャスティン・ベックによるダンス振り付けも素晴らしかった。勿論、現代の俳優たちのダンス・レベルの高さも有るが、前作を大きく上回っていた印象。
ということで、音楽もダンスもとてもとても良かったのだが、見終わった全体的な印象としては、スピルバーグによるリメイクへの期待の高さもあってか、少々の物足りなさ、そして記憶に残る前作の偉大さを改めて感じてしまった。何故なのだろうか?それを、ずっと考えている。
まだ、ぼんやりとしているのだが、前作にはミュージカルでありながら、その時のニューヨークに現存する人種差別や貧困、移民といった米国社会の影の部分に正面から向き合って、それを観客に突きつけた。そこから生まれる驚きと緊張感がとても強く心に刻まれた。
今回も、米国社会も世界も60年経ってもそれらを克服できていないという問題意識はうっすらと感じるものの、舞台を現代でなく1950年代に設定した為、ノスタルジックな郷愁感が強く全面に出てしまった気がした。自分も懐かしさが中心に心が動き、予想を大きく上回る驚きは無かった。もう少し言えば、期待した物語構成で冒険する気概の様なものが脚本のクシャナーやスピルバーグ監督等製作者に不足し安全運転に徹した?為、そこに物足りなさを感じた様な気がしている。過去ではなく今のニューヨークそのものを舞台にして欲しかったのだと。
製作はスティーブン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー、ケビン・マックコラム、製作総指揮はリタ・モレノ、ダニエル・ルピ アダム・ソムナー、トニー・クシュナー。原作はアーサー・ローレンツ、脚本はトニー・クシュナー(リンカーン等)、撮影はヤヌス・カミンスキー(ペンタゴン・ペーパーズ等)、美術はアダム・ストックハウゼン、編集はマイケル・カーン サラ・ブロシャー。オリジナル振付はジェローム・ロビンス、振付はジャスティン・ペック。指揮はグスターボ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督)。作詞はスティーブン・ソンドハイム、音楽はレナード・バーンスタイン、及びデヴィッド・ニューマン(編曲)、音楽総指揮はマット・サリバン(アラジン等)。
出演は、トニー - アンセル・エルゴート、マリア - レイチェル・ゼグラー、アニータ - アリアナ・デボーズ、ベルナルド - デヴィッド・アルヴァレス、リフ - マイク・ファイスト、チノ - ジョシュ・アンドレス、シュランク警部補 - コリー・ストール、バレンティーナ - リタ・モレノ。
3日引きずった
音楽やダンスは最高でサウンドトラックは今でも聴いています。
ですが、ラストが鬱すぎて結構引きずりました。
レイプされそうになってしまうシーンは結構トラウマです。
もう、みんな変な意地張って🥹🥹ほっといてよ
隣人を愛せよ
ヴォネガットのチャンピオンたちの朝食に「なんでおれが『二都物語』なんか読みてえかよ?なんで?」という台詞がある。
それを言うのは教育のない黒人だった。
ニュアンスが伝わるか解らないが文学からかけ離れた生活環境の人間にとって文学は意味がない。
もちろん建前において文学は人心の糧(かて)となるものだ。が、じっさいどうだろう。DQNはシェイクスピアを読むだろうか。ちんぴらは往生要集を読むだろうか。労働者はディケンズを読むだろうか。
かれの生活環境と文学は天地ほどのへだたりがある。鑑賞するなら教養がひつようになる。けっきょくそんなものを読んでいるヒマがあるなら働けということになる。
人々から虐げられ、ひどい扱いをうけてきた黒人が「なんでおれが『二都物語』なんか読みてえかよ?なんで?」と言うのは、そんなかれにとって至極まっとうな了見ではなかろうか。
わたしは極東の田舎の百姓である。
だから、この映画を見るにあたって「なんでおれが『ウエスト・サイド・ストーリー』なんか見てえかよ?なんで?」と思いながら見た。
それが言いたかった。
むろんそれを言うならほとんどの映画が、じぶんの生活とはかけはなれた世界のものにちがいない。
だがミュージカル映画となると、なんとなく中産階級&知識階級の娯楽に感じられ、漠然とした気恥ずかしさを覚える。
その逆もある。
逆とは知性を否定するようなばかばかしさ。ボリウッドを見ていて「な、なんでおどる?」と感じたことはないだろうか・・・。
──こじんてきなミュージカル感はさておき、スピルバーグの新作がウエスト・サイド・ストーリーだと知ったときも「なんで?」と思った。
スピルバーグの新作がウエスト・サイド・ストーリーだと知ったとき「くるとおもった」と感じた人がいるだろうか?
どこかの評論家は「まさにいまだからこそ」ウエスト・サイド・ストーリーなのだとのたまっていたが、じぶんは2021になぜウエスト・サイド・ストーリーなのか、まったく解らなかった。(ついでに言うとその評論には、なぜいまなのかの説明が一切なかった。)
そんなわけで、懐疑心だらけで見はじめたウエスト・サイド・ストーリーだったが、きれいな下町で群舞がはじまると雰囲気にのまれる。なにしろスピルバーグである。話のすききらいはともかく、映画として難点が見あたらない。わかりやすい。
物語にはヘイトをやめて隣人を愛しなさい──という教訓がある。そして隣人を愛するために多様性を受けいれる寛容を持とう──とスピルバーグは言っている。
全編を通じて、つねに出てくるキャラクターがいる。Iris Menasという俳優が演じているが男装した「かれ」には役名も、物語上の役割もない。
あだ名は「Anybodys」だがそう呼ぶのはトニーしかいない。ジェッツでもシャークスでもなく、輪の中に入れず、すこし離れたところから、ワイワイやっている者たちをうらやましそうに眺めている。
仲間入りしようと果敢にアプローチするが、あざけられ、ののしられ、はぶられる。
だけどいつもトニーを助けるのはかれだ。
登場人物全員から疎外され続ける、かれAnybodysこそが、じつはウエスト・サイド・ストーリーのキーパーソンであり、エンジンであり、スピルバーグの分身であり、あるいはわたし/あなたなのだ。
映画は古典的なラブストーリーを踏襲しつつ、どこにも所属がなくて、非バイナリ(男女どっちでもない)であるAnybodysの哀しみを背負っている。
けっきょく民族や肌色やジェンダーで憎しみあうかぎり、多様性を認めず仲間はずれをつづけるかぎり、こんな悲劇的結末しかありませんよ──と映画は言っている。
せかいじゅうでヘイトが吹き荒れるいま、その主張はとてもタイムリーだ。まさにいまだからこそウエスト・サイド・ストーリーなのだ。とわたしは思った。
名作を超える名作
『巨匠スピールバーグがウェストサイドストーリーを!』と言うテンプレのような告知につられてまんまと鑑賞してしまいました...
地元のギャングと移民で移り住んできたギャングが、自分たちの存在を認めさせるために抗争するというストーリーでまず興味津々だったのに、キャッチーな音楽、本当に不良なのか?と思わせるダンスに度肝抜かれました。
映画館で見なかったことを後悔してます。
想像の10倍面白かったです。是非
「現代に作られるべき映画」として入念にアップデートされた一作。
スピルバーグ監督としては初ミュージカル作品と言うことで、一定の水準以上を超えてくる映画だとは予想できるものの、一体どんな仕上がりになるのか未知数な部分もありました。いざ鑑賞してみると、これはまさにスピルバーク監督作品だし、誰もがその名は知っている『ウエスト・サイド物語』の要所要所を現代的にアップデートした、「今作られるべき映画」となっていました。
第94回アカデミー賞では、アニータ役を演じたアリアナ・デボースが見事助演女優賞を獲得しました。もちろん主人公二人(トニー役のアンセル・エルゴートとマリア役のレイチェル・ゼグラー)も素晴らしかったんだけど、本作が現代の映画として成立する上で、アニータの役割の変化は明らかに非常に重要だったんですが、デボースの演技は非常に説得力のあるものでした。この受賞は納得の一言です。
前作『ウエスト・サイド物語』(1961)よりも遥かに荒廃したニューヨーク・マンハッタンの風景は、まるで爆撃を受けたかのように寒々としていて、お互い米国主流社会から排除されているマイノリティの若者同士が繰り広げる争いの虚しさが一層強調されています。それでいながらダンスシーンは、まるで男女が挌闘しているかのような迫力で、この映像と見事な歌声を体験できるというだけでも、ああ、映画館で観て良かったー、と実感させられます。この絵作りはさすがスピルバーグです。
劇場で販売されているパンフレット、というかメイキング・ブックは、映画本編よりも高いのですが、これは購入する価値が十二分にある一冊です。本作を楽しんだ方なら読んでも決して後悔しないと思います。
神作ヤンキーミュージカル映画の金字塔、上書き保存で生き埋めに。
旧作は40数年前にロンドンの映画館、新作は水曜日に新宿の映画館で観ました。全体的に歌舞よりもセリフでの説明が多く。予算も多く取れていただろうに音楽先行で流して、後から編集しているからか、出演者のテンポと言うよりはオーケストラのテンポで流れるので体育館でのマンボの演奏でもオーケストラの音にトランペット奏者が当て振りをしたり、全体的に出演者の演技プランや自主性を軽んじる制限やそもそも白人の親が職を取られた事や有色人種でかたまらないとリンチに遭うなど旧作で見えた差別を歌舞で華麗に見せていたミュージカルの良さを損ねていた気がしました。
個人的には旧作でベオナルド演じるジョージ・チャキリスのコンバースのハイカットを今回はどちらかと言えばイケてないトニーが履いていたり、原案のシェークスピア「ロミオとジュリエット」の墓地で主役が落ち合うシーンがなぜか美術館なっていて 死が二人を分かつ暗喩になっていないし、親身になるドクの店の奥さん役リタ・モレノは正直嬉しかったが…あんたが歌うんかいソレ!!と言うツッコミ…。
前に観たミュージカル映画のCATSの映画化にしても そもそもモラルに問題のあるキャラや状況が社会の中で改善され許容され、お説教臭い言葉や矛盾する気持ちと現実の比喩表現として歌が存在しているのに、最初から差別も問題もない社会に設定したら 人間として考えて正す、伝えていく、と言う人間の向上心を低くみているエセポリコレ業界人が作品を改悪しているとしか見えなくなってしまう…。
アイフィールプリティーでは旧作は洗濯と寸法直しの仕事をして、マリアとアニタの義理姉妹の可愛いシーンが新作では高級ブランド店での大レビューになっているし、男達の決闘シーンの塩倉庫がモロにマイケル・ジャクソンのBeat It…いちいち小ネタがダサく 心が冷える。
振付師には言いたい「その振り付けで歌ってみろ」指揮者には言いたい。「それは本当にティーンの歌うテンポなのか?旧作を観てからつくってるのか?」と。役者が反芻して自分の意志で心身を動かせない環境にするなら CGの方がよほど言うことを聞くし、ハリウッドの最近の原作読解力心配になるレベルだ。
ゼレンスキー大統領は欧米向けのスピーチで言った「リメンバー(映画版)パールハーバーを!!」と日本軍が学校や公共施設まで攻撃したあの映画だが、映画になってしまえば歴史は事実上改悪されたまま、今回の新作でも旧作は数年塩漬けになり、新作だけを観た若い観客にはこれがオリジナルとして認識されてしまう。
もう脚本家や作曲家は数百年生き続けるか 権利関係を専門法律事務所に内容についての細かい権利書を書いて貰うしか方法はないのか?
「1961年ウエスト・サイド物語」
今年40本目。
子供の時に1961年のウエスト・サイド物語をテレビで見た時の衝撃の面白さ。今でもあのダンスの感動が甦ります。今作もダンスはここ数年でNO.1かと。ポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系「シャークス」の対立。
公開から2か月経って見たかったのは、アカデミー賞助演女優賞のアリアナ・デボーズのダンス。中盤でプエルトリコの男女の群舞「アメリカ」が一番の見所。このダンス見ると助演女優賞も納得。
一番印象に残った言葉が歌の愛は生きているそのもの。生きているそのものを見つけられた人は強いですね。
映像の撮り方が素晴らしい!
映画館で観たかったけど、Disney+でもう配信されていたので観ました。
まず、最近サブスクの配信が早すぎてマジで凄すぎ。特にDisney+はディズニーと20世紀FOX作品がすぐに配信されるので、映画館で見たかった作品がすぐ見れるのでありがたい。
初めて見たけど、トニーがジェッツとシャークスのリーダーを殺したらへんから、思ってた展開と違うなぁって思ってたけど、最後はチノがトニーを殺して、マリアがチノを殺してっていう風になって、衝撃的だった。こんな感じで終わっちゃうんや…。
愛だろ、愛!
結論から先に。
最高でした!
オリジナルの1961年版は、もちろんテレビで何度も放映されて来たと思うが、
ちゃんと見たのはCS放送で1回のみ。確かトニーは死んじゃうんだっけ?
ストーリー的な認識はその程度の薄いものだった。
レナード・バーンスタインの音楽(サントラ)は今まで幾度となく聞いて来て
いて、「マリア」「トゥナイト」「アメリカ」などの珠玉の名曲は、もちろん
知っていた。上映が開始されると、「20世紀FOX」のファンファーレ!
本当に久しぶりに劇場で見た、聞いた!そのままスターウォーズ始まるかと思
った。(笑)
俳優陣の演技とダンスは本当に素晴らしかった!
あんなふうに楽しく踊れたらいいナ!
昔、職場の先輩、上司たちが、地元のお祭りかクリスマスにあんなふうにカッ
コよくダンスパーティしてたのを思い出す。
先ず、ミュージカルの肝である音楽、バーンスタインの音楽無しではこの映画
は成立し得ない。客席で、思わずリズムをとっている自分、隣のお客さんも同
様だ。
この映画のメッセージは何だろう?
若さ。
その素晴らしさ。
一瞬で恋に落ち、心の中に激しく燃え盛る炎は決して消すことは出来ない。
人を好きになる事の素晴らしさを躍動感のあるダンスシーンとバーンスタイン
の音楽を見事に融合させて観客を魅了する。
自分にも、あんな若い頃があったな。。
振り返って今のじぶんはどうだ?
日常と常識の海にどっぷりと首まで浸かって思考停止状態とまでは言わない
けれど、それに近い惰性の日々送っていたな。
そう気づかせてくれた作品だった。
ありがとうスピルバーグ!あなたは私にとっていつまでも最高の映画監督です!
目が足りない!
旧作鑑賞後に鑑賞。
やだ、スピルバーグって映画、超上手くない?!
ってことを初めて実感(遅
色と光に彩られた華やかな画面と、歌いながら演技する役者陣と、スピルバーグの旧作愛に、見る場所が多すぎて目が足りないよ!
アニタはずっと最高なんだけど、
カルテットの「アニタは今日はやる気よ」のとこが至高。
あとはリフ。(BGM:cool)リフよ…はぁ( ´-`)=3
変なストーリーはどうにかならなったのか…
半世紀以上前の「ウエスト・サイド物語」のリメイクでストーリーや歌などもほぼ同じなのにどこか現代っぽさもあり、全く古臭さを感じさせない作品にして蘇らせたのはさすがスピルバーグ。と思う反面、これは「ウエスト・サイド物語」の時から思っていたのだが、逮捕され保釈中で更生した。という設定のトニーが愛する女性の兄をそんな簡単に殺すのか?そしてそんな兄を殺したトニーをマリアがあっさり許して「愛」という言葉で全て万事解決!みたいなストーリーには閉口した。愛情と歌で押し切って何とかなっちゃうストーリーなんですよね…原作も本作もミュージカルシーンは歌を除けば(歌がイマイチ…)よかったし、映像もよかっただけにもうちょっとストーリーの方はどうにかならなかったのか…?どうせリメイクするなら、ここらへんのおかしいストーリーもリメイクで大胆に変えてほしかった
こんな話だったのか!
もちろん名前は知ってたけど、
こう言う話だとは思ってなかった。
ロミオとジュリエットが下敷きになってたのも
今作で知ったくらいの無学。
昔のウエストサイドを知らないものだから、
ディカプリオ版ロミジュリと比べて観てたのだけど、
主人公が魅力的でなかったのが残念。
リフの方がよっぽど魅力的で見ててワクワク出来た。
ストーリーももっと複雑な事かと思ったら、
不良同士の構想だけでこんな単純だったのかと
単純なストーリーをミュージカルで時間費やしてる気
がして怠いなぁと思ってしまった。
ただミュージカル部分のダンスは圧巻で、
カメラワークやビジュアルの色彩も迫力満点で
観ててとても楽しかった。
いやあ無理!
自分の兄貴を殺された直後にその殺した相手といくら愛してるからって
セックス出来る?全然理解できん。
その愛する人が目の前で撃たれて歌える?いやあ無理だわ。
ミュージカルってこれが基本になってるから自分には無理なんだとはっきりしました。
もう配信⁉︎
ウェスアンダーソン見たさにワンマンス契約したディズニーチャンネルで視聴
劇場で多くの中高年が並んでいたので
そんな懐古的なミュージカル
あたしは絶対観ない!と確信していたが
最近見た「ベイビー・ドライバー」の主演アンセル・エルゴートになにか引っかかるものがあったので見てみた
でもやはりこの顔はトニーじゃないな〜
それだけ…
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