ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
全95件中、1~20件目を表示
この愛は命そのもの
61年制作の映画『ウエストサイド物語』もミュージカルの舞台も観たことがあるが、今の時代にこの往年の名作を映画としてリメイクする意味を色々と考えさせられた。
ここで描かれているのは人種を越えた純粋な愛の形ではあるが、背景には貧困と移民問題がある。
昨年、同じプエルトリコ系の移民問題をテーマにした『インザハイツ』という優れたミュージカル映画が公開されたが、移民問題と格差社会はアメリカの永遠の課題である。
だからこの作品も十分現代に通じるテーマを持った作品なのだ。
さすがに歌やダンスにはやや古臭さを感じる部分はあるが、これはスピルバーグの見せ方の上手さなのだろう、画面から放出されるエネルギーの量に圧倒され、最後まで画面に引き込まれてしまった。
冒頭の富裕層が移り住むために撤去されようとしているスラム街の描写から、ダイナミックなカメラワークに魅了される。
このスラム街で縄張り争いをしているのは白人で組織されたジェッツとプエルトリコ系のシャークス。
ダンスナンバーから抗争シーンを通して、彼らが抱えている問題が明確に浮き彫りになっていく。
ベースになっているのはシェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』だが、ただそれを現代的にアレンジしたのみならず、より根が深い現実的なテーマを持った作品に昇華していると感じた。
モンタギュー家とキャピュレット家という貴族の名家が互いに憎み合い、その結果若い命が散ってしまう美しい悲劇が『ロミオとジュリエット』だが、両家が憎み合う理由はとても個人的なものであり、無益な憎しみ合いを続けたことにより最終的には両家は罰を受けることになる。これがこの作品から学びとれる教訓でもある。
しかしこの『ウエストサイドストーリー』では互いに憎み合う二つのグループには、現実的にシビアな理由が存在する。
シャークスは移民の集団であり、それだけで白人からは仕事と居場所を奪う存在として嫌われている。
彼らは決して自分の意志でアメリカに移り住んだわけではない。
一方ジェッツも白人のグループではあるが、彼らも貧しい移民の子孫であり、犯罪に走らざるを得ない劣悪な環境で育ってきた。そして同じ白人でも、都市開発を進める側の人間にとっては彼らも排除すべき対象なのだ。
彼らはどちらも邪魔者扱いされる弱い立場なのだが、生き残るためには互いを排除するしかないのだ。
怒りの矛先が、憎しみの対象が、同じ虐げられる者同士に向けられてしまうのはとても悲しい。
だからシャークスのリーダーであるベルナルドの妹マリアに、ジェッツの創立者でもあるトニーが近づいたことで、大がかりな決闘にまで発展してしまう流れは必然だったのだ。
これはただの敵対する者同士の悲しい悲恋ではないのだ。
しかし、それでもスピルバーグはこの作品で『ロミオとジュリエット』で描かれる純粋な愛の形を、ファンタジーとしてロマンチックに表現してもいる。
現実がシビアだからこそ、二人の純愛は胸に刺さる。
旧作の方は20年近く前に観たので、大分忘れてしまっている部分はあるが、ひょっとするとリメイク版の方がより純度が高く、切なく美しい物語に仕上がっているような気がした。
一度旧作も観直してみようとは思うが。
演者のダンス力は格段にこちらの方が上だと思った。
そしてダンスナンバーを映し出すカメラワークも素晴らしい。
スピルバーグは『激突!』や『ジョーズ』など初期の頃から見せ方のとても上手い監督だと思っていたが、彼の撮る画には映画の原始的な面白さがあるようにも感じる。
見せるべきアクションをしっかりと見せる。
気がつけば観客は時間を忘れて物語に没頭させられる。
『ロミオとジュリエット』ではラストにロミオもジュリエットも命を落とすが、この作品ではマリアは死なない。
しかしマリアはトニーとの愛は命そのものだと歌う。
だからトニーが死ぬことは愛が終わることであり、同時にマリアの命が終わることでもあるのだ。
だからこの映画の結末はとても絶望的で暗い。
アニタはマリアの言付けをトニーに伝えようとドクの店に走るが、彼女がそこでジェッツのメンバーに辱しめられなければ、マリアが死んだという嘘はつかなかったかもしれない。
どこまで行っても憎しみの連鎖は悲劇を生み出すばかりだ。
絶望に駆られたトニーは、ベルナルドの仇を討つために銃を手にしたチノの前に姿をさらしてしまう。
トニーが死の直前にマリアと再会出来たことは、彼にとって唯一の救いだったろう。
マリア役のレイチェル・ゼグラーは旧作のナタリー・ウッドに匹敵するほどの存在感で、とてもチャーミングだった。
アニタ役のアリアナ・デボーズのダンスもずば抜けて印象に残った。
旧作でアニタを演じたリタ・モレノがバレンティーナを演じているのも感動的だ。
現代版のロミオとジュリエット
愛したもの相手が抗争する敵の側にいる。
お互いの愛は、変わらないままにどんどんと抗争が激化していく事になった。
音楽とダンスを見ているだけでもかなり見応えのある作品だと思います。
かなりの映像美と音楽が魅力的な作品でした
ミュージカル
映画には馴染みがなくどうしても食わず嫌いしてしまうが、観てしまえば段々と違和感なくなり楽しめた。
ミュージカル特有の突っ込み所はあるが、それよりもダンスの完成度が凄い。
俳優さん達は撮影で相当痩せたのではと心配になる程。
ストーリーはベタな禁断の恋を織り混ぜた、ギャング同士の抗争だが、古き良き時代の雰囲気がしてなんか良かった。
ラストで対立していたギャング同士がトニーを運ぶ場面が良かった。
やはり仲良くが一番。
ああトニー、どうしてあなたはトニーなの? 踊る阿呆に歌う阿呆、阿呆は死ななきゃ治らない。
1950年代、都市の再開発が進むニューヨークのウエストサイドを舞台に、対立する2つのギャングの抗争と、その争いに翻弄される若き男女の恋愛を描いたミュージカル・ラブストーリー。
監督/製作は『インディ・ジョーンズ』シリーズや『ジュラシック・パーク』シリーズの、巨匠スティーヴン・スピルバーグ。
主人公である元ギャングの青年、トニーを演じるのは『きっと、星のせいじゃない。』『ベイビー・ドライバー』のアンセル・エルゴート。
👑受賞歴👑
第94回 アカデミー賞…助演女優賞(アリアナ・デボーズ)!
第79回 ゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)…作品賞/主演女優賞(レイチェル・ゼグラー)/助演女優賞!✨✨
第27回 放送映画批評家協会賞…助演女優賞!
第75回 英国アカデミー賞…助演女優賞!
原作はシェイクスピアの有名な恋愛悲劇「ロミオとジュリエット」(1597)から着想を得て制作されたブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド物語』(1957年初演)。
1961年にも映画化されており、本作の製作総指揮も務めているバレンティーナ役のリタ・モレノ(御年91!)はこの1961年版ではアニータを演じている。またこの時の演技により、彼女はプエルトリコ系として初のアカデミー賞助演女優賞を獲得した人物となった。
スピルバーグは10歳の頃に初めて『ウエスト・サイド物語』のLPを聴き、その楽曲に魅了されたという。
少年時代の思い出の作品であり、それを映画化したいという思いをずっと抱き続けていたスピルバーグだが、75歳にしてついにその宿願を果たしたのである。おめでとう🎉
2021年に死去したオリジナルクリエイターの1人である作詞家・スティーヴン・ソンドハイムもこの映画の完成に立ち会えたというし、リタ・モレノも再び『ウエスト・サイド』に出演する事が出来た訳だし、再映画化における最良のタイミングにギリギリ間に合ったという感じですね〜✨
あらゆるジャンルの映画を制作してきたスピルバーグだが、意外にもミュージカルは初。
初めてでこのレベルのものが作れるってどんだけ天才なんだよおい…。改めてスピルバーグの恐るべき才能と能力を見せつけられた。
音楽、ダンス、歌、役者、映像、セット、ロケーション、カット割…。何から何まで世界最高レベル。公開から2年しか経っていないが、すでにクラシックと呼んでも差し支えがないほどに堂々とした映画である。
奇を衒らった演出やストーリーに頼らず、がっぷり四つの横綱相撲のようなシンプルな強さで一気に押し切る。
いやぁ見事。こんな芸当が出来るのは今やスピルバーグだけなんじゃないでしょうか。
とまぁ凄い映画だとは思うんです。ただ、個人的に好きかどうかはまた別問題な訳で。
そもそも私、ミュージカル自体そんなに得意じゃない。「歌と踊りはわかったから早く物語の続きみせてーな」とか思っちゃうタイプ。
また、今回初めて『ウエスト・サイド物語』に触れたので、ブロードウェイ版や1961年版に対する思い入れも一切無し。
ストーリーも碌に知らない状態で鑑賞した今作。素直な意見を言わせてもらえば「信じられん馬鹿共だヨ!!」、その一点である。
ストーリーに重きを置いた映画ではないということは重々承知しているし、これが人種間対立とそれに起因する暴力、多重化する差別構造、そして若者たちのやり場のない苛立ちを表したアレゴリーであることは理解している。
しかしですね。舞台演劇なら良いのかも知れないけど、より具体的でリアルな”映画”という媒体では、この物語はあまりにも陳腐に見える。
だってこれたった2日の間に起きた出来事なんですよ!!いやいや、短期間の内に燃え上がりすぎだろぉ…。
目と目が合った瞬間ストンと恋に落ちるというのも「そんな訳ねぇだろ」と思っちゃうし、兄貴を殺したっつーのによくおめおめと妹の前に顔出せるなトニーよ、そしてそんな男とよくセックス出来るなマリアよ、とか、そういうあり得ない事が目につきすぎて全然物語に入って行けなかった。
恋人が殺された直後のアニータに対して「でも私はあの人が好きなのよぉ〜〜🎵」って…。おいマリアよ、お前なぁ…。
ロマンチックな恋愛悲劇であることは認めるが、トニーの行動が短絡的過ぎて、彼が死んだ時も「うん、まぁ自業自得だな」くらいにしか思わず。
トニーとマリアの、絵に描いたような情熱的な恋愛を飲み込めるか否かでこの映画の評価は分かれる気がする。私は全然ダメでした🙅🏼
あとこの世界線のニューヨークの警官の無能さに呆れる。「ウエスト・サイドを全面封鎖だっ!」とか言っておいてガバガバじゃねぇかおいっ!!
まずバレンティーナのお店に警官を向かわせろよっ…。ホシの職場を張るのは基本でしょうに。全然人手が足りてないっぽいけど、4人くらいしか警官いねぇんじゃねえのこのNY…?
こういう点も、多分舞台劇だと気にならないんだろうが、映画だとすっごく気になっちゃう。
ジェッツとシャークスの奴らも、お互いに本当にバカでもうどうしようもない。勿論、多感な若者のやり場のない感情と活力が暴走していく危険性を示す事がこの物語のキモなんだけど、どいつもこいつも全然好感が持てなくて、終始「別にこいつらがどうなってもどうでも良いよ…」という感じで観ていた。
これもまたちょっと気になっちゃうところなんだけど、このNYには半グレじゃない本物のギャングはいないんだろうか。デ・ニーロとかパチーノとかジョー・ペシみたいな、マジにヤバい奴らの存在が全く描かれていないことにも違和感が…。って、今更『ウエスト・サイド物語』のストーリーにとやかく言ってもしょうがないんだけどね。
確かにミュージカルシーンは素晴らしい!
体育館でのマンボや、プエルトリカンの怒りや苦悩を陽気に歌い上げる「アメリカ」、トニーとリフの決別シーンである「クール」など、そこだけを何度も見返したくなるシーンは沢山ある。
楽曲の良さは認めるが、ただやっぱり150分オーバーは流石に長い。歌の良さ、踊りの良さではカバーし切れない冗長さがあった。
それと、まぁこれは比べるもんじゃあないのは重々承知で述べるが、本作の後に公開されたインド映画『RRR』(2022)、これも人種間の対立をダンスバトルで表現していたが、どっちが凄いかと言われると確実に『RRR』の方が凄い。『RRR』の方を先に観ていたことで、本作のミュージカルシーンのインパクトが薄れてしまったというのは間違いない。
という訳で、個人的にはイマイチ乗り切れず。
ただ、有名な『ウエスト・サイド物語』がどういう作品なのかを学ぶ事が出来たという点で、本作を観た価値は大いにあった。
スピルバーグがミュージカル初というのは先に述べたが、実は本作でマリアを演じたレイチェル・ゼグラーはこの作品が映画初出演。彼女、ミュージカルが初めてとか初出演とかじゃなくて、映画出演自体が初めてなんです。初めてでこの演技って、凄いとかそういう次元じゃない。演技力は抜群だし歌唱力も凄い、おまけに見た目もキュート。すごい逸材が出てきたもんやで…。
彼女は2025年公開予定の実写版『白雪姫』で、白雪姫を演じる事が決定している。南米にルーツがある彼女が白雪姫を演じるということで、また無益な論争が起こるであろうことは想像に難く無いが、馬鹿馬鹿しいゴタゴタに神経を擦り減らす事なく、女優として大きく成長していってほしい。
良作のミュージカル映画
ネタバレあり
昔の未鑑賞
予備知識はロミジュリかな?って程度。
アニータが強い女で好きや!
体育館でのダンスがすごいよかったな〜〜。
アメリカもよかったな〜〜。
男性陣のダンスうますぎて驚き。
指パッチンがなんかダサいけど悪っぽくてよかったよ。
がっっっつりロミジュリでラスト悲しくなったからちょっと下がるけど、
踊りがよかったからまた見たい。
22.3.30 映画館
元祖と違って眠くならず
1961版は午前10時の映画祭かなんかで映画館で観た、1981年生まれ。
音楽は趣味のフィギュアスケート鑑賞とか、部活の演奏会で演奏したとか、ドラマgleeで聴いたとかで、大体知ってる。マンボとアメリカが好きよね。
1961年版は途中眠くなったのを覚えてて、多分ベルナルドとリフが死ぬあたりがだいぶあやふや。あと、警官がもっともっと感じ悪かったイメージ。ベルナルド役の人がロシュフォールの恋人たちに出てたので、お久しぶりって気分になった位?あんまり覚えてない。
で、2021年版は、音楽以外の記憶が薄かったものあり、新鮮に見られた。そして、ロミジュリもそうやけど、出会って終わるまでのべ2日なのにびっくりした。
ダンスパーティで出会った翌日の夜にトニーは死ぬんだもんね…
トランスジェンダーと思しき、ジェッツに入れてもらえへん子が最初から最後までうろちょろしてたけど、あの子に当たる子が1961年版にいたか、全然記憶にない…
ともかく面白かったし、よかったよ。
再開発に揺れるスラム街。対立するグループの抗争に砕け散った恋人たち。
言わずと知れた1961年作の『ウエストサイド物語』のリメイク映画です。
若者グループの抗争と、たった2日間で終わってしまった恋を
歌と踊りで綴ります。
街を縦横無尽に占領して踊る狂う
スラムの不良グループ《ジェッツ=ポーランド系移民》に
対抗する《シャークス=プエルトリコ系移民》
2つのグループの覇権争いと、ジェッツに属するトニーと、
シャークスのマリア。
一目で恋に落ちた2人はグループの掟と兄ベルナルドに強く
反対される。
「ロミオとジュリエット」をモチーフにしたストーリーです。
プエルトリコ移民もポーランド系移民もスラムを取り壊されて、
将来に大きな不安を抱えている。
警察は彼らを追い出そうと圧力をかけまくります。
冒頭から映されるのは瓦礫の山の工事現場なのです。
若者たちのエネルギー。
踊らずにはいられず、
喧嘩せずにはいられない。
マリアもトニーも恋しちゃイケナイと分かっているのに、
止める事が出来ない。
ともかくエネルギーが渦巻いている。
スティーヴン・スピルバーグ監督初めてのミュージカル映画です。
それも当時アカデミー賞10冠に輝いた名作。
音楽は20世紀を代表する指揮者で作曲家でピアニストの
レナード・バーンスタイン。
作曲はバーンスタインだし、作詞はスティーヴン・ソンドハイム。
流れも殆どそのままですし、ストーリーも
ガッツリ決まっているし、有名な楽曲を殆ど入れるのだから、
スピルバーグ監督はやりにくかったと思います。
自由に采配する余地が殆どありません。
挿入歌は、
“ジェッツが一番だ“とストリートで躍動して歌い踊る、
「ジェット・ソング=JetSong」
トニーが、“今晩たしかに何かが来るかも知れない“と歌う
「何かが起こりそう=Some thing'sComing」
夜10時の「体育館のダンス」
華やかに広がる女性たちのドレスがマンボのリズに乗せてダンス合戦。
マリアにチノが「さあマリア」と声をかけて、トニーは彼女の名を知る。
そしてトニーが歌う、
「マリア=Maria」
は、恋の始まりの怖れと喜びに震える心を現す。
そして何よりのハイライトは、
トニーとマリアは夜の街の再会を待ち侘びて、
アパートのベランダで歌う。
「トゥナイト=Tonight」は圧巻。
(60年経ても色褪せない名曲バラード)
そしてアメリカに住む自分達のアメリカへの愛と
嫌悪の入り混じった、
「アメリカ=America」
翌日。お昼の12時。
シャークスを待つジェッツが“落ち着いて振る舞え“と歌う、
「クール=Cool」
そして他にも、
「ワンハンド、ワンハート=OneHand、OneHeart(ひとつの心)」
「アイ・フィール・プリティ=I Feel Pretty」
「サムウェア=Somewhere(恋は永遠に)」
そのいずれかを聴いたことのない人はいないでしょう。
それほどの名曲揃いです。
それにしても情熱的なマリア。
一目惚れしたマリアは飛びつくようにトニーにキスをします。
そしてあまりにも愚かなトニー。
何故、あの時ナイフを拾ったの?
守るべき恋人が出来たその時、男の子は大人に成長して
もっともっと臆病になるべきなんだよ。
(ヒーローになんか、もうならなくていいの!)
1961年の映画はブロードウェイ・ミュージカルの舞台を
元にしていますので、
途中、舞台的な装置が多々あります。
2022年の本作はストリートの広さを遺憾なく利用して、
ストリートを縦横無尽に踊る青年の群舞がアクロバチックで
見応えあります。
オリジナルのジョージ・チャキリスのように空まで高く足を
上げないけれど、その分、スピンがかかってダイナミックですね。
トニーとマリアの燃え上がる恋。
トニー役のアンセル・エルゴート。
甘い声の歌唱とスラリと背が高く美しい、
けれど今一歩圧倒的な魅力には欠ける。
マリア役のレイチェル・ゼグラー。
素晴らしくキュートです。
そして有名なシーン。
3階のベランダにいるマリア。
下からスルスルと鉄の階段を登っていくトニー。
そして歌うデュエット「トゥナイト」のシーンです。
もっともエモーショナルなシーン。
この映画。
もちろんベースは悲恋「ロミオとジュリエット」だけれど、
主役は街。
「ウエスト・サイド・ストリート」という題名はどうですか?
どうせなら、スラム街をぶっ壊すダンプカーやショベルカー、
ビルの爆破や解体の映像で終わるのなんかが、
新しく生まれ変わるニューヨークを予感させて、
良かった気がします。
涙また涙でノスタルジックに感動、歌もダンスも素晴らしい!ただ前作の偉大さも再認識
スティーブン・スピルバーグ監督による2021年製作の米国ミュージカル映画。ロバート・ワイズ監督による1961年公開のウエストサイド物語のリメイク。
馴染みの有る音楽が聴こえて映画が動き出す。導入部、映像と同調する休止のリズムの懐かしに、思わず引き込まれる。何より変なアレンジを施さず原曲への敬意を、しっかりと払ってることが嬉しかった。そしてあの名曲の数々ををどこでどの様に使うか、期待が膨らむ。
まず、主役二人の出会いシーン、マリアがトニーの前で手を広げて動き出す『CHa-Cha』の流れるシーンに、映像の素敵さとマリア役レイチェル・ぜグラーの愛らしさ、ノスタルジックな想いが込み上げ、年甲斐もなく涙。
そして、ベルナルドとアニータの屋内での口争いから始まり街中での集団ダンスシーンに持ち込む『America』の大きな展開とキレキレの集団ダンスの素晴らしさに圧倒される。
更に、前回映画でアニータ役今回は薬局店主、時代を繋ぐリタ・モレノが語る様に唄う『Somewhere』で、曲の使われ方の意外性もありまた涙。そしてアニータの歌にマリアの訴えが重なる『A Boy Like That/I Have A Love』でとどめ的に涙腺への追い討ち。アニータ役アリアナ・デボーズ、及び前作と異なり吹き替え無しで歌ったというマリア役レイチェル・ゼグラーの歌唱力に大きな拍手。
どちらかと言うと前作では地味と思われた曲に、今回は強く心打たれた。原曲の良さを再発見させてくれたアレンジャーのデヴィッド・ニューマンや指揮者グスターボ・ドゥダメル等に感謝。
そして、『Maria』の”The most beautiful sound I ever heard.”等、全ての曲のソンドハイムによる美しい響きと社会を鋭く抉る歌詞が、今もなお心に響くことにも驚かされた。全ての曲のジャスティン・ベックによるダンス振り付けも素晴らしかった。勿論、現代の俳優たちのダンス・レベルの高さも有るが、前作を大きく上回っていた印象。
ということで、音楽もダンスもとてもとても良かったのだが、見終わった全体的な印象としては、スピルバーグによるリメイクへの期待の高さもあってか、少々の物足りなさ、そして記憶に残る前作の偉大さを改めて感じてしまった。何故なのだろうか?それを、ずっと考えている。
まだ、ぼんやりとしているのだが、前作にはミュージカルでありながら、その時のニューヨークに現存する人種差別や貧困、移民といった米国社会の影の部分に正面から向き合って、それを観客に突きつけた。そこから生まれる驚きと緊張感がとても強く心に刻まれた。
今回も、米国社会も世界も60年経ってもそれらを克服できていないという問題意識はうっすらと感じるものの、舞台を現代でなく1950年代に設定した為、ノスタルジックな郷愁感が強く全面に出てしまった気がした。自分も懐かしさが中心に心が動き、予想を大きく上回る驚きは無かった。もう少し言えば、期待した物語構成で冒険する気概の様なものが脚本のクシャナーやスピルバーグ監督等製作者に不足し安全運転に徹した?為、そこに物足りなさを感じた様な気がしている。過去ではなく今のニューヨークそのものを舞台にして欲しかったのだと。
製作はスティーブン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー、ケビン・マックコラム、製作総指揮はリタ・モレノ、ダニエル・ルピ アダム・ソムナー、トニー・クシュナー。原作はアーサー・ローレンツ、脚本はトニー・クシュナー(リンカーン等)、撮影はヤヌス・カミンスキー(ペンタゴン・ペーパーズ等)、美術はアダム・ストックハウゼン、編集はマイケル・カーン サラ・ブロシャー。オリジナル振付はジェローム・ロビンス、振付はジャスティン・ペック。指揮はグスターボ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督)。作詞はスティーブン・ソンドハイム、音楽はレナード・バーンスタイン、及びデヴィッド・ニューマン(編曲)、音楽総指揮はマット・サリバン(アラジン等)。
出演は、トニー - アンセル・エルゴート、マリア - レイチェル・ゼグラー、アニータ - アリアナ・デボーズ、ベルナルド - デヴィッド・アルヴァレス、リフ - マイク・ファイスト、チノ - ジョシュ・アンドレス、シュランク警部補 - コリー・ストール、バレンティーナ - リタ・モレノ。
3日引きずった
音楽やダンスは最高でサウンドトラックは今でも聴いています。
ですが、ラストが鬱すぎて結構引きずりました。
レイプされそうになってしまうシーンは結構トラウマです。
もう、みんな変な意地張って🥹🥹ほっといてよ
神作ヤンキーミュージカル映画の金字塔、上書き保存で生き埋めに。
旧作は40数年前にロンドンの映画館、新作は水曜日に新宿の映画館で観ました。全体的に歌舞よりもセリフでの説明が多く。予算も多く取れていただろうに音楽先行で流して、後から編集しているからか、出演者のテンポと言うよりはオーケストラのテンポで流れるので体育館でのマンボの演奏でもオーケストラの音にトランペット奏者が当て振りをしたり、全体的に出演者の演技プランや自主性を軽んじる制限やそもそも白人の親が職を取られた事や有色人種でかたまらないとリンチに遭うなど旧作で見えた差別を歌舞で華麗に見せていたミュージカルの良さを損ねていた気がしました。
個人的には旧作でベオナルド演じるジョージ・チャキリスのコンバースのハイカットを今回はどちらかと言えばイケてないトニーが履いていたり、原案のシェークスピア「ロミオとジュリエット」の墓地で主役が落ち合うシーンがなぜか美術館なっていて 死が二人を分かつ暗喩になっていないし、親身になるドクの店の奥さん役リタ・モレノは正直嬉しかったが…あんたが歌うんかいソレ!!と言うツッコミ…。
前に観たミュージカル映画のCATSの映画化にしても そもそもモラルに問題のあるキャラや状況が社会の中で改善され許容され、お説教臭い言葉や矛盾する気持ちと現実の比喩表現として歌が存在しているのに、最初から差別も問題もない社会に設定したら 人間として考えて正す、伝えていく、と言う人間の向上心を低くみているエセポリコレ業界人が作品を改悪しているとしか見えなくなってしまう…。
アイフィールプリティーでは旧作は洗濯と寸法直しの仕事をして、マリアとアニタの義理姉妹の可愛いシーンが新作では高級ブランド店での大レビューになっているし、男達の決闘シーンの塩倉庫がモロにマイケル・ジャクソンのBeat It…いちいち小ネタがダサく 心が冷える。
振付師には言いたい「その振り付けで歌ってみろ」指揮者には言いたい。「それは本当にティーンの歌うテンポなのか?旧作を観てからつくってるのか?」と。役者が反芻して自分の意志で心身を動かせない環境にするなら CGの方がよほど言うことを聞くし、ハリウッドの最近の原作読解力心配になるレベルだ。
ゼレンスキー大統領は欧米向けのスピーチで言った「リメンバー(映画版)パールハーバーを!!」と日本軍が学校や公共施設まで攻撃したあの映画だが、映画になってしまえば歴史は事実上改悪されたまま、今回の新作でも旧作は数年塩漬けになり、新作だけを観た若い観客にはこれがオリジナルとして認識されてしまう。
もう脚本家や作曲家は数百年生き続けるか 権利関係を専門法律事務所に内容についての細かい権利書を書いて貰うしか方法はないのか?
映像の撮り方が素晴らしい!
映画館で観たかったけど、Disney+でもう配信されていたので観ました。
まず、最近サブスクの配信が早すぎてマジで凄すぎ。特にDisney+はディズニーと20世紀FOX作品がすぐに配信されるので、映画館で見たかった作品がすぐ見れるのでありがたい。
初めて見たけど、トニーがジェッツとシャークスのリーダーを殺したらへんから、思ってた展開と違うなぁって思ってたけど、最後はチノがトニーを殺して、マリアがチノを殺してっていう風になって、衝撃的だった。こんな感じで終わっちゃうんや…。
目が足りない!
旧作鑑賞後に鑑賞。
やだ、スピルバーグって映画、超上手くない?!
ってことを初めて実感(遅
色と光に彩られた華やかな画面と、歌いながら演技する役者陣と、スピルバーグの旧作愛に、見る場所が多すぎて目が足りないよ!
アニタはずっと最高なんだけど、
カルテットの「アニタは今日はやる気よ」のとこが至高。
あとはリフ。(BGM:cool)リフよ…はぁ( ´-`)=3
変なストーリーはどうにかならなったのか…
半世紀以上前の「ウエスト・サイド物語」のリメイクでストーリーや歌などもほぼ同じなのにどこか現代っぽさもあり、全く古臭さを感じさせない作品にして蘇らせたのはさすがスピルバーグ。と思う反面、これは「ウエスト・サイド物語」の時から思っていたのだが、逮捕され保釈中で更生した。という設定のトニーが愛する女性の兄をそんな簡単に殺すのか?そしてそんな兄を殺したトニーをマリアがあっさり許して「愛」という言葉で全て万事解決!みたいなストーリーには閉口した。愛情と歌で押し切って何とかなっちゃうストーリーなんですよね…原作も本作もミュージカルシーンは歌を除けば(歌がイマイチ…)よかったし、映像もよかっただけにもうちょっとストーリーの方はどうにかならなかったのか…?どうせリメイクするなら、ここらへんのおかしいストーリーもリメイクで大胆に変えてほしかった
いやあ無理!
自分の兄貴を殺された直後にその殺した相手といくら愛してるからって
セックス出来る?全然理解できん。
その愛する人が目の前で撃たれて歌える?いやあ無理だわ。
ミュージカルってこれが基本になってるから自分には無理なんだとはっきりしました。
If you were white American. あかん
映画を見る前にたまたまネットで主演のアンセル・エルゴートが未成年に性的暴行して「合意の上だった」なんて言ってるという記事を見てしまい、最初からマイナスなイメージで観に行ったのですが・・・これは自分には全く合わない作品でした。ってか途中でアニータが言ってたトニーの評価が思いっきり本人のマトを得ていましたね。
んで、あのマリアも一昨日会った男に兄を殺されて、それでもトニーが好きーってぶっちゃげ頭おかしいんちゃう?っと思ってしまって終始イライラ。正直ベルナルドが可哀想です。
昔の「ウエストサイド・ストーリー」は観た事がないのですが、こんな話だったんですね。確かにダンスや歌は良かったにせよ、個人的には受け入れられない作品でした。
主人公の二人だけ浮いている
ニューヨークのウエスト・サイドには、世界中から多くの人々が集まっていた。しかし、差別や偏見による社会への不満を 抱えた若者たちは、やがて仲間と集団を作り激しく敵対し合っていく。ある日、“ジェッツ”と呼ばれるチームの元リーダーのトニーは、対立する“シャークス”のリーダーの妹マリアと出会い、瞬く間に恋に落ちる…というストーリー。
名作のリメイクということど鑑賞。
ダンスシーンは迫力と音楽が両立していてぐっと引き込まれる。クオリティが高いのでギャング団のダンスも違和感なく入ってくる。
また、脇役が特にいい。リフもベルナルドもギラギラしていてかっこいい。
特にアニータ役のアリアナ・デボーズはダンスから演技から輝いていた。
ただ、いかんせんトニーとマリアが頭お花畑過ぎて水を差す。
更生したはずのトニーはベルナルドをボコボコにして挙句の果てにカッとなって殺してしまう。兄を殺しておいて妹に「弾みだ」と説明したり、その後情事に及んだりなど理解できない行動が続く。
マリアも兄殺しを受け入れ、たった今恋人が殺されたアニータに愛を歌って伝言を頼んだりなどこちらも人の心がない。
周りのキャラクターがいきいきしてるだけに、この二人だけが異次元にいて後半は尻すぼみになっていくのが非常に残念だった。
様々な場面で考察できる何度も繰り返し観たい映画
ようやく劇場で観てこれた!
ストーリー自体はロミジュリみたいな印象だった。
(実際、シェイクスピアの戯曲が下敷きらしい)
そこにアメリカの地で貧困や差別による社会への不満を抱えた若者たちという共通点があるのに、
ヨーロッパ系かプエルトリコ系かの違いで生じる対立が加えられることで
アメリカ版ロミジュリとして完成されていた。
個人的に面白く感じられたのは、
・S&W M10の使われ方
・色の比喩
・マリアとトニーの恋は神に許されていないことの暗示
らへんかな。
【S&W M10】
トニーの友人、リフが手にし、トニーの死因となる銃
まずは、ジェットたちの幼さを表現するアイコンになっていたなと。
コルトの口径すら知らず、M10を手に入れたあとも、
装弾数(6発)を無視したおふざけでの撃ち合いもあり、
彼らは悪党ではなく、ただの非行少年に過ぎない、社会の中でそうならざるを得なかった不良たちの側面が強調されたように感じられた。
トニーは彼らから銃を奪おうとするけど、結局、止めることができず、
ジェットたちから「バンッ」と撃つマネをされる場面は、
決闘ではM10は使われないこと、トニーがその後に撃たれることを意味していたのではないだろうか。
あんなに装弾数を無視して、ふざけていたのに、この場面だけジェット5人のうち、
あえて1人が「バン、バンッ」と2回撃つことでM10に入っている弾6発を使い切ってしまっている。つまり、銃には弾が入っていない状態で決闘の場に行ってることになるんだよね(口で撃つマネをしているだけなので、実際は6発入ってんだけどね)。
1人だけ2回撃ったのが、最終的にトニーがチノに撃たれた回数とも一致しているから、ここで既にトニーが2度撃たれた死ぬことを暗示していたのかな。
【色の比喩】
ジェットたちは寒色系、シャークたちは暖色系の色をまとっているのは一目瞭然。
トニーとマリアの服装の色の変化に注目すると面白かった。
二人が初めて会うダンスパーティー会場では、トニーもマリアも白が基調の服装。
互いの所属カラーには染まっていない、どちらにも属さない無垢な存在として出会っている。ジェットもシャークも関係ない二人だけの世界での出会いが表現されている。
それにも関わらず、初デートで愛を誓いあう場面では、マリアは暖色系、トニーは寒色系の服を着ている。所属に囚われない出会いだった彼らが恋の成就に伴い、
所属に囚われてはじめていることの示唆だと思う。
その後、マリアは最後の場面まで寒色系、ジェットのカラーを身にまとっている。
これはジェットとシャークの対立のなかでトニーと一つになろうとする彼女の望みの現れのようだった。
【神に許されない恋】
トニーはベルナルドを殺したあと、マリアのもとに行き、自首前に一目彼女に会いたかったことを告げ、別れようとする。しかし、彼女はそれを拒否して、二人はベッドをともにする。事後の彼らが映されるシーン、最初に焦点が当てられるのが、十字架にかけられたキリスト。それまでマリアの部屋に十字架があることすらしっかり映されていなかったのに、ここで焦点を当てるということは、どんな理由があるにせよ、人を殺したトニーとそれを許してしまったマリアの恋を神は祝福していないことを明らかにしているように感じられた。
この3つの点を考えるのがすごく楽しかったし、
ここからマリアとトニーの恋が悲劇で終わるのは既定路線だったと考察。
(そもそもロミジュリを下敷きにしているなら、悲劇は確定なんだろうけど)
様々な媒体でなんども取り上げられているこの作品をスピルバーグが
今あえて作り直し、世に送り出したかったのは、結局、現代も「1つになれていない世界」が広がっているからだろうか。
物語の最後にジェットとシャークが歩み寄ったように、アメリカが今抱えている分断の問題にも歩み寄りが必要だと監督なりのメッセージが込められているのかな。
全95件中、1~20件目を表示