千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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リンの正体は・・・?
劇場公開が2001年ということなので、19年ぶりにリバイバル上映で鑑賞しました。ストーリー、映像(2020年現在でも普通に綺麗)、音楽が全て最高で文句なしに★5つです。特に冒頭の温泉街へ迷い込むシーンは今観ても怖く、この映画の世界に入り込むことができました
久しぶりに観て素朴に疑問だったのが、「そういえば油屋でお世話してくれる『リン』って何者?」ということです。あそこには人間は千尋しかいないはずなので人間ではないはずですが。
ということで調べてみましたが・・・確かなところはわからないみたいですね。初期設定では「白虎」とのことですが、パンフレットには「人間」と書いてある・・・。周りは「ナメクジ」か「カエル」・・・。まっ、正体が何でも好きなキャラクターだからいいです笑
あとエンドロールで驚いたのが「坊」の声優が神木隆之介さんだったことです。当時いくつだったのかな・・・?
映画館では初。
色々記憶が蘇ってきた。
リアルタイムの時は確か中学生。
周りの友だちはこぞって何回も劇場に足を運んで感想を言い合っていた。
なぜかその時は、ジブリを観に行ったら負け。という思春期ならではのわけのわからない気持ちで意地でも行かず、のちにテレビ放送とレンタルで鑑賞した記憶のある作品笑
内容も、公開がもののけ姫の次だったということもあって「どこか気持ち悪いおどろおどろしい作品に違いない。」そんな風に思って見てたことも思い出した。
それは一部うじゅるうじゅるした物も出るし、多腕のグラサンやおっきい婆さん出るし、絶対そうだ!って思って見てたからなんだけど。そんなことは全くなく気づいた頃には心の中で号泣してた。
遅いかもしれないけど映画を見て感情が高まるのを教えてくれたのもこの作品😭😭
当時恥ずかしすぎて誰にも言えなかったことも一緒に思い出した笑
とにもかくにも初見から15年以上ぶりで、映画館では初見。
思い出補正がたくさんかかっているとは言え、大人になってから改めて見れて良かった。
ほぼ記憶が薄れてるとは言え、断片的には覚えてるし、大きい画面での迫力に押され全く同じシーンで感情の高ぶりをまた感じた笑
映画館を通じて擬似的にあの頃にタイムスリップした感覚が味わえて本当に良かった、面白かった。
あ、これは作品のレビューというよりただの思い出話だな笑
強いて言えば昔感じられなかった曲と最後の余韻は秀逸。キャラクターごとの感情の間をあの頃は感じられなかったけど今改めて感じられて良かったです!
一生に一度は映画館でジブリを
キャッチコピーにまんまとハマりました。
これだけ映画を観ていてもジブリを実はあまり観れていませんでした。映画ファンの中でジブリのテーマが出ても無言で頷いてみるくらいで正直ちんぷんかんぷんだったのが実情。
千と千尋は流石ジブリの金字塔。しかしテーマ性は思ったより薄く。あえて言うなら千尋の成長を描いたファンタジー。カオナシや湯婆ばなどキャラクターも跳ねてます。しかし両親があの程度で豚にされてしまい、それを救うために10歳の少女千尋が勇気を持って奮闘するって物語。どちらかと言うと子供向けのストーリーと思わせといて大人も満足させるのがジブリの真骨頂です。
個人的ですが凄い感動したわけではないが観てよかった一生に一度の映画でのジブリでした。
大人になって見たら……ド名作じゃないですか!
ナウシカ、トトロ、ぽんぽこと比べるとそこまで好きでもなかった作品。
なんであんなに人気なの?と思ってた。
大人になって見たら……ド名作じゃないですか!
特に帰りのトンネルで千尋が母親にしがみつく描写。
あれで映画の意味がグルっと変わる。すごい。
いつも成長した千尋を見て終わるから、見るたびに序盤の千尋で”こんなに幼かったっけか?”と驚きます。見事な書き分け方。
と同時にただの成長物語じゃないんだなぁと。
非日常を必死に生きる少女の物語。
複雑かつわかりやすく”人間のあり方”を説いているエンターテイメント。
いままでと違う環境に入って、弱音を吐く暇もなく必死になって。
経験したから芯から変わるとは限らない。
でもその時間は決して無駄にはならない。
大学生、社会人……自分の経験に当てはめても”あ、わかる”って部分がいっぱいある。
やー、すごい作品です。
ナウシカがチコの実で、もののけ姫がコダマがラストカットなのに対して、今作はトンネルから遠ざかってくだけのカットで終わる意味。
世界観と絵のパワーは神がかってますね。どのカットもそのまま名場面になって鳥肌。
特にカオナシはどう転んでも良い絵になる。色んな意味を持つ。
SNSがまったくない時代に、寂しがり屋で他人の言葉で誇示する”カオナシ”を描いてるのはすごいとしか言いようがないです。
各々のキャラがそれぞれの優しさを見せてるのも素敵。
ほんと良い映画。
本作が日本の歴代興行収入一位なのは誇らしいことです。
客(神々)の騒ぎっぷりや後半のネズミとハエドリのコメディタッチはディズニーみたいだなぁと。
一点だけ気になるとすれば千がオクサレ様の件から一気に成長しすぎてるとこかなぁ。ちょい違和感を感じました。
wikiを読んだら制作側もその点は議論されてて、その上で「○○○○の物語でもある。一本で二本分の映画」と書かれていて……ふむ、納得。
懐かしの世界にどっぷりと
当時、この作品を観たのは中学生か高校生の時だったと思いますが、覚えてない部分も多く、この機会にもう一度観てみようと映画館に行きました。
正直言って、とても良い作品でした。それと同時に、当時と同じく不思議な感覚になりました。映画は面白い、感動した、怖かったなど色んな感情があり、映画館を一歩外に出た瞬間に薄れていくのですが、この作品は心に残る感じなんです。さらに、とても言葉では表してにくいものとして残ります。
千尋が迷う世界については、説明は少なく、また起こる出来事についても多くの情報を得ることができません。それは皆さんでお考えくださいという丸投げのものではなく、ちゃんと説明できるものがありながら、千尋のためにわざわざ説明なんてしませんよ、自分で見つけに行きなさいという、ものなんです。だから、あのシーンはどういうことなのか、なんて後で考えてしまいます。
大人向けだとか、子ども向けだとか、そんな年齢で括れない、素敵な映画です。
ただ、電車に乗って銭婆に会いに行ったシーンは移動時間に比べて、銭婆との掛け合いが少なく、抱き合うほど仲良くなるには時間が足りないなと感じました。
昔に観に行った方も、一度も観たことがない方も、この機会に是非劇場で千尋が迷う世界にハマってみてください。
宮崎アニメに共通する普遍的な優しさを再確認!!
宮崎アニメに共通する価値観とは人間と自然との調和、その過程を色々な愛の形を絡めながら優しく見守る懐の大きさを常に感じるが、当然この作品もそんなご多聞に洩れず、何度も観ているがその都度新たな感動を与えてくれる。まさに日本アニメが世界に誇る普遍的な感動作である!!
みんなのトンネルの向こうは?
私は今年で20歳になる。
1歳の時に公開された千と千尋は幼い時から何回も何回も見た。それが今年スクリーンで見ることが出来たのは一生の思い出になると思う。
誰かに連れられて、恐る恐る入ったトンネル。
連れられた先でその誰かはいなくなってしまう。
不思議な世界に不思議な生き物。向けられる冷たい視線
何ひとつも 自分では決められない。
でも大切な仲間や応援してくれる人に支えられ、自分のやりたいこと、本当に大切なものに気づき自分の意思で動く千尋。
トンネルを出る千尋の顔は入る時の千尋とはまるで別人。
命の大切さだけじゃない、仲間の大切さ、思うことの大切さ、親の大切さ、信じることの大切さ、他にもたくさんの大切なものを教えてくれる。
大切な思い出は忘れることは無い。ただ、思い出せなくなっているだけで、心の中には必ずある。
みんなのトンネルの向こうには何があるだろう、辛いかな、楽しいかな、不安があるけどきっと素晴らしい。
思い切って飛びこんでみようと思える作品
ジブリアニメ最高傑作だと思います。
神の国に迷い込んだ少女が、両親と命の恩人である少年を助ける為に奮闘する物語。
宮崎駿の秀作で、ジブリでは、私の一番のお気に入りの作品です。
両親をブタにされた普通の少女。彼女の嘆き悲しみ、そして周囲の助けを受けながらも前向きに行動し成長する様子が、とても良く描かれていると感じます。
名シーンの連続です。
釜爺の床で眠りこける千尋。悲しみと疲れが、その丸まった背中からにじみ出ていて切なくなります。そして、それに寄りそう釜爺とススワタリ達の優しさに温かい気持ちになります。
腐れ神のシーンも秀逸です。腐臭に耐えながら必死にサービスをする千尋。千尋を助けるリン。そして普段千尋を嫌う従業員たちの歓声。
雨の後の海を眺めるシーン、「金を受け取れない」とはっきりと断るシーン、銭婆へ向かう電車のシーン、そして白と一緒に空を飛ぶシーン。何れも心に残る名シーンでした。
登場人物も魅力的です。特に、リン。異端で毛嫌いされる千尋を受け入れる心の大きさと温かさ。粗雑な言動の中に、そんな物が見え隠れして、思わず惚れそうになります。
最高の賛辞を伝えたい作品ですが、それでも、幾つか残念と思うところもあります。
神の国での滞在期間はもう少し長くて描いて欲しかった。そうすれば千尋の成長譚としてもより説得力が出て来たように思います。
また、ラスト。余韻をまったく残さない状態で終わってしまいました。魔女の宅急便のように、後日談をエンディングロールで描くとか出来なかったのでしょうか?例えば今の琥珀川を訪ねる千尋、新しい友人と遊ぶ千尋、髪留めを眺める千尋、等々。もう少し余韻を楽しませてもらえれば、もっと良かった思います。
最後に声優。脇を固めた役者さん達は素晴らしい演技を見せてくれました。特に個人的にお気に入りは、千尋の母親役を演じた沢口靖子。千尋を粗雑に扱う母親の口調がツボにはまりました。
でも、主役二人は力不足を感じました。二人とも子役からの抜擢。非難してはいけないのでしょうが、棒読みのシーンが散見されて残念に感じます。
残念なところを列挙してしまいましたが、それでも最高評価5は当然と思える、そんな映画でした。
銭婆
何回も見ているはずなのに、映画館で見ると新たな発見がある。
銭婆からもらった髪飾り最後まで付けてたんだね、とか。
銭婆に会いに行くシーンで泣いた。おばあちゃんの優しさ…
音楽も良いし登場人物も魅力的。話も面白いし絵がダイナミック。映画館で見て良かったです。
ユニバーサルなデザインの多彩な美しさに潜む少女の成長変化の時
「もののけ姫」で宮崎アニメのひとつの頂点を極めたと印象に持ったが、再びアニメ芸術のもう一つの頂に達したのではないかと感銘を受けた。それは、全編に於ける多彩なデザインの遊びを駆使して一人の少女千尋の成長譚を構築した大胆な造形が、コントロールされた統一感にあるためである。東南アジア風の建築を窺わせる塔のような湯屋、その主人湯婆婆の息子坊の部屋はバイエルン王国のヨーロッパ王室の様で、銭婆を尋ねて電車に乗るシーンは正しく水の都ベニスの景色を思わせる。そして銭婆の家は、イギリスの片田舎の質素な民家をモデルにしたという。これらが、極普通の日本の少女が迷い込んだ神々の世界を、ユニバーサルな視点で端的に表現している。そこにデザインの関係性は時代も含めてない。だが、現実の日本と対比する外の世界を絵的に楽しませる宮崎駿監督の力量が素晴らしい。また、アニメ表現で最も感銘を受けたのが、千とハクが手を繋ぎ庭の花壇の間を駆け抜けるカットだ。画面の右と左に流れ映る花々の美しさ。10歳の少女の為に創作したアニメらしいキャラクターもいい。特にカオナシの食欲・物欲の旺盛な化け物は、醜い大人社会を象徴して、千の薬で吐き出された中に川に捨てられた自転車がある表現には、環境意識を高めるメッセージになっている。
しかし、この表面上の面白さや両親を救うための千尋の試練の物語が感動的なだけではない。この作品は、女の子が一人の女性に変化する、成熟した証のその時のイメージを映像にしている怖さがある。宮崎駿というアニメ作家が、10歳の少女に対する愛情と理解があって初めて創作できる内容を含んでいると、その意味で圧倒されてしまった。トンネルを抜けると海。両親が見せる大人の姿に感じる違和感。成長してきたそれまでの価値観が崩れる新たな知識と覚悟。そして、生まれてきたことに改めて感謝する精神の自立。ハクが溺れた千尋を助けたエピソードから想像すれば、人が生まれてから健やかに成長し、ひとりの女性として目覚めた時の広い視野と世界観が、この映画の中にイメージとして存在する。ここに、男性作家が創作した驚嘆と感動がある。
意味不明な場面も、深読みすればするほど、面白さと感動が深まる!これぞ千尋(計り知れない水の深さという意味)
見るの何度目かな?実は公開当時「映像美エンタメは凄いけど、話はいまひとつ意味不明、ナウシカやラピュタの方が面白いし感動」と思ってた。カオナシに現代社会批判が多々こめられている事は理解できても、まだ読みが甘かった。しかし今回また映画館で隅々まで見て、過去のインタビュー記事やネット等の考察も読み、新たな気付きに感動の渦にまきこまれた。これまで見逃してた細かなとこもちょいメモ。
宮﨑監督は映画内で説明しないので、意味不明…と感じた人はヒントにしてみて?
★カオナシ、河の神などが「吐く」行為が何度もあるのは「デトックス、浄化」を表す。醜いが重要。
また、千尋がハクに「この世界の物を食べないと消えてしまう」と食べさせられる小さな丸薬、非常に食べづらそうな様子だが、これは後に、傷ついたハク竜に千尋が苦団子を食べさせ、呪いのハンコを吐き出す場面と対になる。ハクがおにぎり(母の味、人間世界での懐かしい食)をあげて「大粒の涙がこぼれる」のも「苦しみ、悲しみなどの本音を吐き出す」ことであり、浄化。
★油屋は昔の風俗店の象徴という説は有名だが、これは宮﨑監督本人ではなく鈴木氏の言葉。宮﨑監督本人は「油屋=当時の鈴木氏が金儲け主義に傾倒していたジブリ、千尋=スタッフの娘千晶、油婆=鈴木氏(自分も少しミックス)、銭婆=高畑勲監督、窯爺=自分、ハクも一部自分の分身」として描いているそうで。油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏や若手)を溺愛し、血だらけのハク竜(駿氏)を「さっさと片付けな、もうその子(老いぼれ)は使い物にならないよ」と捨てる場面…。
銭婆のヒトガタ(白い紙の、人型の鳥)はあんな恐ろしいのに、実はただの紙。絵コンテを書くのに苦しめられているのね…そして顔も見えない世間の人々の声にも。
それではジブリのイメージを下げると心配した鈴木氏が「風俗店のような日本社会への批判」と評論家うけのよい説をでっち上げマスコミに伝えたそう。その説だけ信じて「何故ソープランドが舞台?」と揶揄する人もいるけど、そもそも「川で溺れたカムパネルラ」「環境汚染の川」を描きたいと先に考えたら、水が重要なテーマになり、神々が遊びに来る場所は湯屋が自然な流れ。千尋の名も深い水を表す語で、ハクが千尋にかけた呪文は「そなたの内なる風と水の名において解き放て」。竜も水神。ただ店名は「油屋」で「水と油」対比なのが意味深。
★「油婆は相手の名を奪って支配する。いつもは千でいて、本当の名は大事に隠しておくんだよ」
「千」は名でなく数字、番号。人格や個性を無視した囚人番号のような。
実は油屋の従業員達は 適当な偽名で契約し、実は意外と自由に(ホワイト企業的に)働いているのだが、ハクは正直に本名で契約してしまい苦しんでいるという説をどこかで読んだ。
宮崎駿氏の愛読書『ゲド戦記』では「真の名」が重要なテーマに描かれ、宮﨑作品は「名」にこだわりをもつ。シータとムスカの本当の名、ポルコも偽名、ハウルの複数の名、そして千ちひ。
(もっとも、ゲドより遥かに昔、古代の古事記やギリシャ神話でも、お化けに名を知られると命を奪われると云う。ちなみに、「この世界の物を食べないと消える」や最後の「トンネルを出るまではけっして振り向いてはいけない」も古事記由来)
若かりし頃宮﨑氏はペンネームを複数使ったそう。ジブリ設立後は「大字武里」(おおあざたけさと。音読みで大ジブリ)というペンネームにしたかったが、すでに宮崎駿の名が有名になり始め、スポンサーが許可せず、以降ずっと本名のまま。仕事で本名を出してしまいプライベートも無く、ハクのように苦しんでいるのかもしれない。
★リンの「雨がふりゃ海くらいできるさ」という言葉、印象的。神から見た下界ってこんな感じかな、海に沈んだ町で人は右往左往しているかな。ダムに沈んだ村…?とか想像したけど、あれは海。電車内の広告に「海老、海の幸」など書いてあった。もしかしたら温暖化の氷解で近い将来海に沈む町や、異常気象の大雨災害を暗喩しているかも。
切手には「のりきり 滋養 絶佳」と書かれ、絶佳とは風景がすぐれて美しい風光明媚。
★窯爺の切符「40年前の使い残し」40年前に何があったのか調べてみた。映画公開2001年なら1961年(昭和36年)に何が?色々な事件のうち関連ありそうな事は不明だが、1941年生まれの宮崎駿監督が20歳の時。色々あったろう。かつて監督と加藤登紀子さんが『紅の豚』対談で「僕らの世代にとっての『あの頃』とは1960年代」と言っていた。安保闘争、学生運動の時代。監督は東映動画入社後は労働組合リーダーとして闘争したそう。『千ちひ』の静かな電車の場面はもしかすると、『紅の豚』の飛行機の空の墓場の雲の場面と関連しているのかも?仲間が命を失ったり、孤独に飛び続けるような心情があったのかも。
★電車に「行先 中道」と書いてある。仏教用語で、二つの対立するもの、有と無、生と死の狭間を表す言葉。また、快楽も苦痛も感じない悟った状態。行先(終点)は悟り(成仏)の状態?監督によるとこれは環状線なので、生死の狭間をずっとめぐり続ける輪廻の輪なのだろう。
★「6番目の駅」は「六道」を表すのだろう。仏教用語で、全ての生き物が、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、6つの世界のどこかに再度生まれ変わるそう。1復楽時計台駅(仮称)、2油屋駅(仮称)、3南泉駅、4沼原駅、5北沼駅、6沼の底駅。千尋たちは油屋駅で乗った。他の乗客(カオナシと同じく透けた黒い影)は沼原駅で降り、その先は千尋達だけ。その後の北沼駅周辺では派手なネオンがたくさん光っていたのが気になる。そして沼の底駅で降りた。
当時、宮﨑監督は「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を描きたかった、誰かの犠牲の上に命が生かされていることを描かなきゃいけないと思った。」と言ったそうで。銀河鉄道を思わせる描写が幾つもある。
『銀河鉄道の夜』では、
1どこかを発車して、2銀河ステーション、3白鳥の停車場、4鷲の停車場、5小さな停車場、6サウザンクロス南十字、7石炭袋の停車場(終着駅)。
ジョバンニとカムパネルラは銀河ステーションから乗り、様々な人々と出会うが、みな6番目の南十字星で降り、車内は2人きりになる。終着駅が見えるといつの間にかカムパネルラの姿は消え(降り)、ジョバンニは1人きりになり、(降りられず)気付くと元の世界に帰っていた。
鉄道内で出会った人々との会話では「ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですか」「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない」等まるでカオナシを想起するような話をしていた。また、「そんな神さま うその神さまだ、ほんとうの神さまはたった一人ひとりだ」と1神教(キリスト教)らしき話をし、『千ちひ』は日本の八百万の神様の話で対照的。
情景描写では、銀河鉄道は「高い高い崖の上を走っていて、その谷の底には川がやっぱり幅ひろく明るく流れていたのです。(中略)この傾斜があるもんですから汽車は決して向こうからこっちへは来ないんです。」「汽車が小さな小屋の前を通って、その前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ている」などの描写、雰囲気が似ている。
さらに、1人きり残され泣いているジョバンニにブルカニロ博士は「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」と語る(初稿)。切符とは人生を生きる上での切符、名前だとすれば、最後の銭婆やハクの言葉と重なる。
★長年ずっと疑問だった数々の点が、誰かの考察「ハクは千尋の兄だった」の視点で、突然つながった。
川に落ちた千尋は裸。なら、あの手は服を着てるから靴を拾おうとする千尋ではない。父かな?と思っていたが、実は絵コンテに「子供の手」と書かれているそう。
川に落ちた(一度は死にかけた)千尋を救ったのはハク。川の神が人の姿に実体化して?
それもあり得るが、万能の神が助けたのでは、銀河鉄道のカムパネルラとつながらない。
しかし「ハクは千尋の兄。千尋の命と引き換えに死に、その後、川の守り神になった」とすれば、まさにカムパネルラで、数々の疑問が腑に落ちる。
なぜ母が千尋に冷たいのか?長男を死なせるきっかけを作った千尋。映画で母が最も異常に冷たいのは、川を渡る時だ。息子を思い出すから。千尋が兄に懐いていなかったはずはない、きっとショックで記憶にふたをしてしまったのだ。それでも千尋には「川に落ちたことがある」とだけ話し、詳細を語らないのは母の優しさ、千尋への愛。無神経で能天気に見える父は妻子を笑わせようとがんばっている。現代社会批判にしか見えなかった家族の姿が、急に切なく、不器用な愛にみちて見えてくる。友達と離され転校させられる寂しさでいっぱいの千尋だけでなく、ずっと胸奥に息子の死をかかえ心ここにあらずで生きる両親だから、「今を生きていない」状態の3人はまるごと神隠しにあった。
命を救われたから千尋は、銭婆に契約印を返しに「戻りの電車は無い」二度と帰れないかもしれない黄泉の国へ行く。窯爺の「愛だ、愛」は兄弟愛。
音楽の「あの夏」「あの日の川」、あの日っていつ?大人になった千尋が、この夏の不思議な冒険を懐かしんでる?そんなはずない、旅を終えた千尋は「今」を生きる子供なのだから、テーマに合わない。「いのちの名前」も同様に過去を懐かしむ歌詞で「消えない夏の日、なつかしいいとおしいひとつの命、いつか名前を思い出す」…ん?映画内では油屋で必死に冒険し、のんびり懐かしむ時間などなかったはず、最後には自分達の名前を取り戻したから映画と歌詞が合わない…?
それらの疑問もつながった気がする。千尋は記憶を取り戻した瞬間、昔 川で命を失い(三途の川、一度は死んだ)自分を救い、ひきかえに死んだハクの存在を知り、その命を思い、その夏の日を思い出しているんだ。自分が死に、救われ、そのひきかえに命を失った人がいるその場面が、この映画で最も重要な場面だから、映画のラストシーンなんだ。(靴が川に流されるラフ画)
千尋は今10歳、ハクは12歳、普通なら自然界の川の神ならもっと高齢のはず。だが元人間で死して守り神になったとすれば合点がいく。12歳で死んで時が止まっているとしても、もっと年下だったが少し年をとり今12歳だとしても、兄妹になり得る年齢差。(時間の流れる速さはたぶん異なる。昼夜逆転で、四季すべての花が一度に咲いている不思議な世界)
人は二度死ぬと云う。一度目は肉体の死、二度目は忘れ去られる時。ハクは守るべき川も埋め立てられ居場所を失い、3度目の死かもしれない。このまま消え去る寸前だったのかも。
饒速水小白主、神様みたいな名と千尋は言ったが、仏様に与える名のようにも感じる。
「いのちの名前」の歌詞では、「見えない川」埋め立てられた川の前で誰かを思い出そうとしている。
「あなたの肩に揺れてた木もれ日」、竜でなく人の姿。
映画の後日だろう。この冒険を忘れた千尋がかすかな記憶でハクの名を思い出そうとしている、とすれば、「秘密も嘘も」は?ハクの「きっとまた会える」が嘘?
別の読みでは、「ハク」とも「饒速水小白主」とも違う名を知ってるような気がして、人の子としての名を思い出そうとしてる…でも千尋は兄だと知らない、ハクも両親も優しさから秘密と嘘を守っているから、ともとれる。
考察しても真相は不明、宮﨑監督の中にしか答えは無いが「何でもかんでも説明したくない」そうなので、どちらともとれるふくみを残したまま、映画の切ない余韻にひたる。どちらもあり得るから、より話が広がり深みを感じられる。例えるなら、俳句や詩にかけ言葉で2重3重の意味がこめられていることに気づくように。
そしてまた、何も理解できなくても、なんだか妙に印象に残る不思議な作品…
そんな、まさに「計り知れない水の深さ=千尋」がこの作品の魅力。
実はみんないい人ばかり。
素直な心の尊さ、自然への敬意、助けてくれた人への恩返し、そういう人として純粋な想いがいっぱい詰まった作品だと、大人になって鑑賞して気付かされた。
ジブリはただおもしろいだけじゃなくて、凛としたメッセージが説教じみていなくて、素晴らしい!
それにしても、そんな作品に登場した人間はたった3人ってのも、風刺なんだろうな。。
やはりよい。 金曜ロードショーでいつもあるけど、改めてフルで見ると...
やはりよい。
金曜ロードショーでいつもあるけど、改めてフルで見るとカットされている部分がわかる
千に対する対応の違いがわかる。
はじめは、りんに指導され、挨拶等ができていなかったが、しっかりお礼が言えるようになり、
りんにもどんくさいを撤回させるまで行った。
どんなときでも芯を持つ強い子だと思った。
湯ばあばは、単に意地悪ではなく、働かざる者食うべからず。しっかりと筋に則って行動している。
働かざる者食うべからず。連休明けても頑張ろう。
映像美と音楽が素晴らしい
2001 年公開のスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画で、監督は宮崎駿、興行収入は 308 億円で、日本歴代興行収入第1位の作品である。この記録は現在も破られていない。第 52 回ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞した。宮崎の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開され、第 75 回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。2016 年のイギリス BBC 主催の投票では、世界の 177 人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した。
公開直後にすぐさま爆発的なヒットになり、週末映画ランキングでは公開以来 26 週連続トップ 10 にランクインした。さらに、公開 32 週目には前週の 18 位から一気に4位に浮上した。11月11日までの4か月間で、興行収入262億円、観客動員数2023万人を記録。1年以上のロングラン興行になり、最終的には 308 億円の興行収入を叩き出した。実にのべ 2350 万人もの日本人の足を劇場に運ぶに至ったのである。この300 億円という金額は、1年間の邦画の総売上に匹敵するものである。
英語吹替版はピクサー社で「トイ・ストーリー」や「カーズ」等を手掛けたジョン・ラセターがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当した。ディズニーが北米での配給権を取得し、英題は Spirited Away に決まった。吹替版は原作に忠実に制作され、日本公開から1年以上遅れた 2002 年の9月20日、北米 10 都市で公開された。以後約1年間に渡って小規模ながら全米で興行が続き、次々とアメリカの映画賞を受賞した。
日本の神々を翻訳するのには非常に苦労したらしく、大根の姿をした「春日さま」は “the radish spirit”、ハクの本名である「ニギハヤミコハクヌシ」は “the spirit of the Kohaku River” という説明の方が訳語として充てられている。さらに、「えんがちょ」には “Hurry, before it rubs off on you! Put your thumbs and fingers together.” と、この動作を行なう理由ばかりか具体的なしぐさまで補われている。
「千と千尋」は、海外市場全体で 900 万人を動員(丁国 200 万人、フランスとアメリカ各 150 万人)、日本公開から約 2 年の間におよそ 50 カ国で公開された。ただし、アメリカの 150 万人は、日本の 2,333 万人の 7.5 % に過ぎず、アニメーション大国のアメリカとしては、驚くほど少ないとも言える。この作品には、アメリカの一般大衆に伝わりきらない足かせがあったことも否定できない。この作品にアカデミー賞を与えたアカデミー会員は慧眼であったと言えるだろう。
私は日本公開時に子供たちを連れて映画館で数回観に行って、翌年アメリカに家族で移動したら、映画が追いかけて来た形になった。アメリカ公開のニュースを聞いたときは、僅か 10 都市でのみという話だったので、私のいた田舎の映画館まではまず来ないだろうと思っていたが、じわじわと評判になって公開都市が増え、遂に私の住んでいた市の映画館にもやって来たので、また子どもたちを連れて観に行った。化け物と化したカオナシが、泥を吐きながら千を追いかけるシーンで、一瞬観客席の方を振り返り、“Excuse me.” という日本語版にないシーンが追加されていたのには欧米人への心遣いが感じられた。
音楽の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。映画のサントラ CD は一般に寿命が短く、すぐに廃盤になってしまうものだが、この映画のは現在も発売されている。特に千尋が、銭婆に会いに行くために、釜爺からもらった電車のチケットを利用して、電車に乗るシーンの音楽は、とんでもない名曲である。帰りの電車がないというのは、時間の流れを意味していると思われるのだが、夕景の暖かな光の中で繰り広げられる台詞のないシーンは、この映画の白眉である。
2020 年、47 ウィルスのせいで映画の封切りが激減したため、ジブリ作品がいくつか映画館で上映されており、先日娘と観に行った。アメリカで観て以来 18 年ぶりであった。何故最後の問題の結末がああだったのかとか、ハクはあの後どうなったのかなど、18 年前にはできなかった会話をしたが、娘によると、ハクはあの後湯婆婆に約束通り八つ裂きにされたに違いないということであった。マジだろうか?:-D
不思議な国のニッポン
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「千と千尋の神隠し」。宮崎駿監督のセンス・オブ・ワンダー炸裂ゥゥっといった感じでした。毎回毎回ああいう不思議なキャラクター達を思い付くってスゴいなぁっと単純に感心します。
「千と千尋の神隠し」って言わずと知れた日本での映画の興行収益第一位の作品なんですよね。映画好きのハシクレとして、やっと日本で1番売れた映画を映画館で観る事が叶いました。因みに世界興行収益第一位の「アベンジャーズ エンド・ゲーム」は日本だと100位にも入らないという・・・多分、海外から見れば不思議な国のニッポンですね。
本作ってアカデミー賞の長編アニメ部門を受賞しているんですよね。日本の八百万の神様なんて概念は一神教の方々には解りにくいであろうによく受賞できたなぁと思っちゃうんですけど、よくよく考えたら英語の題名は「Spirited away」。神様は1人だけじゃないとダメなのに、精霊(Spirit)は沢山いても良いという解釈なのでしょうか?この不思議な感じにアカデミー賞会員の人も魅力されたんでしょうね。
言うなれば今回のストーリーって宮崎駿版「不思議の国のアリス」ですよね。もしくは「オズの魔法使い」とか。海外で昔っからある物語の日本版といった印象を受けます。でも海外の物語だと不思議の国に迷い込んでも元の世界に戻る為に冒険するとかですけど、本作だとちゃんと労働しなくちゃ豚にされるので勤勉な日本が反映されているみたいですよね。でも真のテーマは「銀河鉄道の夜」らしいです。
この「千と千尋の神隠し」ってホント不思議で、見終わって面白かったなぁっと思っても具体的に何がどう面白かったか説明しにくいというか。胸が締め付けられるような感動を覚える訳でもなく、頭を悩ますような問題提議がある訳でもなく、ただ純粋に面白かったっという感じでした。
そういえば観た後に色々と検索してて好きだった話がこの映画の後日談。嘘か真か宮崎駿監督がアニメーターの女の子にだけ話したらしいのですが、この映画の後で千尋に妹が産まれるそうです。で、本作で成長した千尋と妹は、「トトロ」でいう所のサツキとメイみたいな姉妹になって、ちょっと冷たかったお母さんとももう一度家族の絆が深まる。といった映画では描かれなかったストーリーが宮崎監督の頭の中でのみあったみたいです。
一度は不思議の国でバラバラになりかけた家族が、それからちゃんと幸せに暮らしましたっていう現代のお伽噺にふさわしいおわり方だと思いました。
日本の神様
1100円なので見に行った。昔高校生の時に映画館に見に行ったのを覚えています。命の不思議、命の記憶、人は過去を思い出せるのか、大好きな人と再びまた巡り合える日がくるのか、そしてアナタも私もそれを覚えているのかそんな人間の営みといのちの悲しさも身に染みましたそしてそれが痛いぐらいに千尋とハクを通じて私にテレパシー的にわかりました。
その時の記憶が蘇りました。本当に素晴らしい体験でした。
不思議な映画ですね。やはりこれは。何がどうの、ってわけじゃなんだけども、見終わった後に「ウ~~~ン」と頷いてしまう、私にとってはそんな映画です。
ハッキリしたメッセージ性とか、そんなの別にいいと思うんです。映画が何を伝えたいのか?とか何が言いたいのか?とか考えるのも好きですが、そんなこと本当はどうでもいいのかもしれません。見た物感じた物が全てです。それが人間の基本だと思っています。あなたが経験し見聞きして感じた事全てがあなたの全てなのだと、私はそう思っています。意味不明でごめんなさい。
とにかく、千と千尋もとい宮崎駿監督作品はそんな感じが多いなと思います。見て感じて受け取った思いそのまま、それでいいのです。その時に見て何を思ったのか何を感じたのかが大切でそれを大事にしてほしいどんな映画もどんな出来事も人間生きる上できっとそれが本当は一番大切だと思いますみんな、「あれはあの時ああだった」とか深く深く考え追求してしまうクセがありますがそれをやればやるほどドツボにハマります。だからきっと本当はその時その時に思ったこと感じたことが全てなのだと思います。だから千と千尋も感じたままでいいのだと思います。
それは日本の神様にしても同じなのだと思います。
湯ばあばが言っていましたが「八百万の神様が疲れを取りにくる湯だ」と。日本の神様も、目には見えないけれどきっとみんなのまわりに存在していてあちらこちらにいて、私たちを見ています。そんな目に見えない存在、感じる、見れる者は見れる、素晴らしいことだなと思います。神様に悪い事していないかな、負担をかけていないかな、そんなことを思った映画だった。特に大量のヘドロと共に神様がやって来た時、大量の(あれは)おそらく人間が捨てた家電製品とか自転車とか粗大ゴミだと思いますが)ゾッとしました。神様、怒っているのだろうな、と思いました。人間の欲望と人間の罪が感じられました。またそれをアニメで見ました。宮崎駿監督に感謝感謝でした。そんな光景を見せてくれて感謝でした。学ぶ事が出来ました。神様も日々の疲れがあるからこうやって温泉に来ているのだなと思うと神様も本当に毎日ご苦労様です、と言いたくなりました。感謝感謝。千尋と共に観客も臨死体験をする、そんな不思議な映画だと思いました。
いつか千尋とハクがまたどこかで出会えることがあるのならば、私はきっとその時に人間の悲しみや苦しみも一緒に受け入れて喜ぶ事が初めて出来るのだと思います。宗教的な映画でもありました。人生は、私は長い長い旅路だと思います。そしてそれはみんな、自分自身を癒して慰める為に気の遠くなるような長い長い、航海のような旅路なんです。みんな、多分それを無意識の内にやっています。私も、アナタもなんです。千尋とハクも、きっとそうなんだと思います。
千尋の傷ついたあの心と、ハクの傷つけられたあの身体と心をお互いが癒し、そしてまたそれはもっともっと遠い未来なのかもわかりませんが、二人はきっとまたどこかで会えるのです。きっと、きっと、本当にどこかでまた二人は巡り会えるんです。それが人生なんです。私はそれを信じたい、それを千尋とハクに教えてあげたい。だってそれは神様が見てくれているからなんです。
神様に感謝なんです。神様に感謝しながら生きたいです。
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