クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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たそがれ色の優しい作品
許されざる者 以後のイーストウッド監督出演作は、ほぼ主題に「老人の哀愁」「人生を振り返って」というテーマが含まれている。それでも切れ味鋭く、また長い人生の経験と懐の深さ、人間臭さ、のようなものを感じさせる主人公、そしてハードボイルドのエッセンス漂う年寄りなのにタフ、だった。今回の作品は、ちょっと軽薄度が高かったような。センチメンタル、と言うべきか。ハードボイルドさは無く優しさが目立つ仕上がりだった。元々ロマンチストの裏返しなんでしょうね、それもまた良し、です。
ちゃんとした映画だったけれど…
イーストウッド監督、1930年生まれ。現在91歳。
それで監督ばかりか、主演まで務める体力には頭が下がる。これまでの幾つもの素晴らしい映画にも。
本作もちゃんとした映画だった。ただ、一つ一つのエピソードが単純というか、小さいというか、当たり前というか…
なので、厚みがある映画とは、とても思えなかった。年齢が進むと人は小さなことにも感動できるようになりがちだから、今の監督にしては十分感動的なのかもしれない。そんなことを考えてしまい、「さようなら、イーストウッド監督。今まで、本当にありがとう」と、一人で、少し寂しい気持ちで劇場を後にしました。
繰り返しだけれど、今までありがとう、イーストウッド監督!!
クリントイーストウッドらしい映画
クリントイーストウッドは好きな俳優で、彼の監督作品に
あまりハズレは無いと思っています。流石に高齢で、
そろそろ映画も打ち止め、、、かもしれないと、
映画館で観られるうちに観ておこうと思いました。
年を重ねることで得られる達観感の様なものと、
若者との距離の取り方が絶妙にブレンドされて
気を衒わない静かなテンポでストーリーは進みます。
メキシコ、あんなに自由に他人の車運転できちゃうの?
と思うところもありましたが、クリントイーストウッド
監督ならでは人間関係模様をお楽しみあれ。
爺さん、遊んでんじゃね〜よ(褒めてます)
90過ぎて現役の映画監督であり主演俳優である
クリント・イーストウッドの奇跡のような作品。
ロデオで一世を風靡した老いた元カーボーイが
昔世話になった牧場主の頼みで、
その牧場主の別れた妻の元にいる13歳の息子を
メキシコまで探しに行くお話。
その息子は、母親の新しい男に虐待されて
すっかり大人不審になっていた。
クリント爺さんはそんな少年を何とかなだめて
父親の待つアメリカのテキサスに連れて行くロードムービー。
劇的なシーンは無いんだけど、
映画を観に来た自分と同じような爺さん達に向かって
爺さんになったら若い時の事に拘らず、
出来ることは黙って淡々とこなし、出しゃばらず、偉ぶらず、
若者や子供達には誠実に接し、ちょっと色気も無くさず、
淡々と最後の時間を楽しもうぜ!
そんなクリント爺さんの声が聞こえて来そうな映画。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
爺さん、遊んでんじゃね〜よ!と
笑いながら突っ込みを入れたいような映画。
映画の中で、クリントは昔の作品の
「マディソン群の橋」の再現の様に通りすがりの町の
食堂の中年女性に惚れられて、良い仲になったりしてね。
少年に生き方を示唆するのは「グラン・トリノ」だし
車で荒涼たる景色の中を走るのは「運び屋」だし
馬を乗りこなすのは「荒野の用心棒」的だし
今までのキャリアを軽くなぞる様な作品。
正直なとこ、「リチャード・ジュエル」のような
見た目の印象に振り回されるレッテル貼りの危険さや、
「ハドソン川の奇跡」のようなヒーローではない
誠実な仕事人が誠実に仕事を果たした結果の奇跡
と言うようなジーンとする映画ではないから
クリント爺さん、遊んでんじゃねーよ!(笑)
と突っ込みたくなる程の、肩の力、向け向けの映画だけど
ここまで肩の力を抜いてそれなりに鑑賞に耐える映画を
今だに撮れるイーストウッド監督にただただ
リスペクト!!
何歳になっても…
何歳になっても、
漢は、
中二的なロマンを持ち、
スケベ心があり、
粋がっていたい…
90歳になって、
その思いをすべて叩きつけた、
ロマン映画。
歳をとっても、
こんな映画を撮れるような、
爺さまになりたい…
そろそろ自分の旅の終焉を考えなくては、と。
イーストウッド監督デビュー50周年作と聞けば観ない手はありません。監督作は「リチャード・ジュエル」があったけど主演も務めたのは「運び屋」以来ですね。
実はイーストウッドは老いてからの作品の方が好みなんです。
飄々としたおじいちゃんだけどなぜか女性にモテる!という役を自分で演じてるのもなんか可愛いし、動きこそ機敏では無くなっているけどユーモラスな振る舞いや台詞、穏やかな微笑みに心が温まります。
馬への優しい語りかけにもジーンときて白い馬の顔がアップになったとき、思わず目頭が熱くなりました。
全てがゆったりしているのかというと決してそうではなく、絵の力はとても強くて頼もしい。たしかな構図、光とのバランスなど、監督としての丁寧な仕事ぶりはさすがです。カントリーミュージックの使い方も上手いですよね。
敵(?)が緩すぎて上手くいきすぎるのもご愛嬌。自分の最期の地を見つけたあのラストダンス、素敵でした。
派手さも大きな畝りも無いけれど、歳を重ねてくるとこういう作品が沁みるのよねぇ。
91歳のモテ男の武器は・・・・
クリント・イーストウッド、91歳!
脂が抜けたしわしわの瞼や痩けた頬を見ると、亡くなる前のオヤジの顔をつい思い出してしまった。ちょうど、90歳だった。
往年のロデオチャンピオンが腐れ縁の興行師(ヤクザ)からメキシコシティにいる13歳の息子を母親の虐待から救い出して来てくれと頼まれる。6歳のときの写真を一枚渡される。落ちぶれ、世話になっているので、断れないみたい。
メキシコ人の母親は大きなグランドキャバレーのような一軒家の店を経営し、豪奢な部屋で毎晩男をとっかえひっかえの暮らし。息子の父親は意気地無しだとはなから馬鹿にしている。少年は家出していて、手のつけられない不良だから、あんたにゃ見つけ出すのさえ無理よと言われる。それより、一杯やっていきなさいよ。今晩はここに泊まっていきなさいよ・・・みたいな。13歳の息子は闘鶏で稼いでいるストリートチルドレンだった。悪そうには全然みえない。虐待は母親のネグレクトと言うよりも破廉恥な母親を避けて、ストリート生活をしている感じ。すぐに見つけられたし。
母親の囲っているふたりのチンピラが妨害しようと追ってくる。連邦警察の職質を避けながらのふたりのロードムービー。少年は自分の相棒の雄鶏(ルースター)をマッチョと名付けていた。少年のあこがれは強い男。
メキシコの水が合わず、下痢ピーで、道端から離れていたときに車をチンピラに奪われて、歩いてたどり着いた小さな街で簡素な店の親切な年増女に保安官から匿ってもらったことをきっかけに身の上話。女には孫娘が四人。娘の形見だった。教会で夜を明かすふたりにそっと朝食を持ってきてくれる。しばらく一緒に生活することになった。少年にテキサスに行っても馬を乗りこなせられないと馬鹿にされるぞと半分脅しながら、売れない暴れ馬に困っているディーラーに調教してみせると持ちかける。これが案外すんなりとうまくいって、調教代を稼ぐ。91歳のロデオヒーローのもうひとつの武器は動物のお医者さんだった。
志村動物園か?
ムツゴロウさんか?
街ですっかり人気者になり、信頼を得て、保安官もふたりに手出ししにくくなる。
父親が少年を手元に置きたい理由は実はメキシコの不動産の権利が絡んでいたのだった。
少年を国境で待っている父親に引き渡すと91歳のモテ男は街の年増女のところに戻っていった。過去の栄光をすっかり捨てて。
少年が幸せになれたような気持ちにはまったくなれなかった。息子は年増女の一番上の孫娘に恋していたような気がする。クリント・イーストウッドが幸せになったことに疑いの余地はないのだが。
(終)
チキンラン
90代のクリント・イーストウッド以外には、名のある俳優は出ていないという攻めた企画。老人が主人公と言えば、「ハリーとトント」出演時のアート・カーニーよりはるかに高齢だ。猫のトントに対してこちらはニワトリだが、おそらく彼がこの映画で一番若い。
イーストウッドは58歳の時に同じ役でオファーを受けて、私では若すぎると断ったらしい。原作の設定は何歳なんだろうか。車で国境を越えるミッションを90歳の老人に依頼するのは無謀すぎる。日本では高齢者の運転免許証の返還が推奨されているのに、国土の広いアメリカでは論外なんだろうな。
イーストウッドの監督作は新作が来るたびに必ず映画館に足を運んできたが、今回は肩透かし感が否めない。悪役の位置づけが中途半端だし、路程で出会う人々とのふれあいも微温的で、物足りない(テーマとしては「ゴーン・ベイビー・ゴーン」と共通する点もある)。
シェーンは去っていったのに、マイクは戻ってくる。かつてのイーストウッド映画なら、去っていって終わっただろう。孤老の身の上にはやはり安穏が必要なのかもしれない。
ロードムービー要素が強い
オープニングの映像と音楽からして渋すぎるぜ…同じクリント・イーストウッド監督、主演の「運び屋」と似た雰囲気がある作品。「運び屋」は麻薬の運び屋、本作は人間の運び屋。運び屋は主人公が麻薬の運び屋であるロードムービーだと思っているのだが、本作も人を送り届ける。というストーリーよりもロードムービー要素が強い気がする。個人的にクリント・イーストウッド監督の作品やヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」みたいなロードムービーも好きだから楽しめたが、どちらにも興味がない…って人には面白みに欠ける映画かもしれない。ただイーストウッドが高齢なので派手な動きが出来ない。というのが明らかに映画にも影響していて、ストーリーも平凡な展開になっていた部分があったのは否めない。監督業や主演以外の出演なら別として、もう高齢なので主演は無理なのではないだろうか…?
クリント・イーストウッドだから、
クリント・イーストウッドだから許されるところがある。
面白いかと言われればそうでも無いし、盛り上がりもない。しかし、クリント・イーストウッドならではの匂いがして悪くない。
イーストウッドが好きじゃない人は見ない方がいいかも。
古き良き映画を感じさせる
夜明けのコケコッコー🐓
カーボーイハットがこれ程似合うお方はいらっしゃるまい!
そのハットの下から覗く眼光が時に強靭で時に優しく穏やかさ溢れる眼差…
これまた粋過ぎっ!
長く深い人生を歩んできた主人公を演じるのはやはり長く深い俳優人生を経て来たイーストウッド以外に想像がつかない…
人生の、やり直しや続きは若くとも老いでも可能だ!
そんな教科書みたいに清々しい作品に出会えた事を幸せに思いました⭐️
…本作の陰の功労者は鶏のマッチョ👏
目が離せなかったあんだけの名演技に助演男鶏賞を!!
枯れた男もまた男であった、と。
美食家の息子には美食のトラブル、探偵には殺人事件、そして、かつてのロデオ・スターには暴れ馬が待っている、という訳でしょうか。いや、こういう世界観であればこそ、自然な成り行きですね。「俺はドリトル先生か」ってセリフには笑いました。
自分はそれほどクリントイーストウッドさんの映画は観ていないような気がします。彼の映画でも、そして全ての映画の中でも自分のベストにあるのは、彼が主演の「夕陽のガンマン」、その当時と比べて、ああ、歳を取ったな、枯れたなぁ、と一見して感じてしまいましたが、なかなかどうして、まだまだ男前じゃないですか。
そんな年老いたロデオ・スターが昔取った杵柄で、旅先で出逢った家畜やペットのトラブルを解決していく、そんな小気味の良いイベントが展開されます。言葉の通じないメキシコの人々との出逢いと別れ、荒涼とした牧場の風景、かつて「ガンマン」を演じた年老いた彼らしい、素晴らしい老後の映画だったと思います。荒事の少ない、派手さはまったく無いけれど、無難にお薦めできる作品です。
ニワトリのマッチョが良い味を出している素晴らしいマスコットぶりです。あと、印象に残ったのが聾唖の少女の、相手の一挙一動を見逃さない丸い瞳、いずれも名演だったと思います。
(追記)
後日、あのエンディングについて熟々と考えるに付け、あれは素晴らしい行く末だったんじゃないかと思い立ち、少し書き加えることにしました。主人公は元の生活に戻ること無く(いったん戻ったのかも知れませんが)旅先でゲットした(笑)新しい彼女と共に生きること選んだことです。齢90歳を越えて、尚も新しい、しかも言葉の通じない国に飛び込み、そして新しい恋をして、新しい仕事をして、本当の自分が選ぶべきであった、新しい人生を求めて生きていく。これほどに人生は自由に生きていくことが出来るんだよ、と示しているかのような。あるいは、「めでたし、めでたし」で締めくくられる、お伽話のようでもありますが。他に例えるなら、グラン・ブルーのラストで、大好きなイルカと共に深海に消えていくエンディング、と云うのはちょっと言い過ぎですが。ああ、それから、不思議の国のアリスでも、不思議の国から戻ってこないというエンディングにしても良かったなぁ、なんてことを考えてしまった。アリスが戻ってこなくて探し回るお姉さんが小脇に抱えた本の中に、「そこでアリスは何時までも楽しく幸せに――」と書かれていたりなんかして。
さすがクリント・イーストウッド、エンディングまで綺麗に描ききった、素晴らしい映画だったと、改めて噛みしめた次第です。
イーストウッドは
大好きでいつも楽しみに観てきました
しかし、この作品は。
最初から最後まで、納得がいかず。
でも、イーストウッドについて、悪く言いたくない気持ち。
周りのスタッフは、止められないのか。そこのところに悲哀を感じて、涙してしまった
クリント・イーストウッド91歳
クリント・イーストウッドももう91歳ですか。この映画を撮り始めたのはもう少し前だろうけど、少なくとも90歳前後の人が作るような映画じゃないですね。逆にストーリーが出来すぎていて、映画の教科書に載りそうな出来栄え。
ただあまりにキレイすぎると逆に物足りなさを感じてしまったり…91歳、恐るべし。
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