愛がなんだのレビュー・感想・評価
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貴方の中の「マモル」と決別するために観てほしい。
テルコもマモルも極端な性格だが、かなりリアルなキャラクターたちだ。
テルコほど日常生活に支障を来さずとも、何をしていてもその人のことが頭から離れないような恋。
マモルほど冷徹ではなくても、追いかけてくる相手を都合よく利用してしまう歪んだ心。
私の中にも、ほんの少しずつだがテルコとマモルが存在すると気が付かされる。
きっと他の人も少なからずそうなのだろう。
私の場合この2人には、ハタチ前後の頃の過去の恋愛を彷彿とさせられる。
テルコに対して多少のイライラがあるのは、青い頃の自分を見ているような情けなさもあるからか。
マモルのような男に盲目の恋をしている哀れな女性たちに心から言いたいこと。
「それは愛じゃない」
その男は貴方に愛など与えてくれない。
貴方が心から助けを必要とした時に、その男は貴方を「無条件」に救ってくれなどしない。
これは絶対と言ってもいい。
愛とは、相手のために無条件に自分が犠牲になれること。
しかしそれは決して一方通行なものではない。
両者がともに等しく相手を思いやることが出来なければ。
お互い様でなければ、そこに男女の愛など存在しないのだ。
過去の甘く苦い恋があってこそ、愛とはなんなのか気が付くことができるのだろう。
しかしテルコのような恋に苦しむ女性が今いるのだとしたら。
この映画を観て終わりのない恋に向かって自分を奮い立たせるのではなく、貴方の中のマモルと綺麗さっぱり決別するために観てほしいと心から感じる。
その男は貴方の足枷でしかない。
貴方に愛とはなんなのか教えてはくれない。
そしてなにより、貴方の深い愛を受けるに値する素敵な男性が、きっとこの世界のどこかにいるはずだから。
そのために。
ちょっとだけ今より幸せになるために、一度自分を客観視することのできる、丁度良い映画だと思う。
皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい。
例えば「恋」とか「愛」とか「幸せ」とかに、“統一的なルール”とか“普遍的な勝ち負け”の基準があるとしたら、主人公のテルコはえらく“負け”や“損”を強いられているように見える人である。
それでも全然懲りなくて負けや損を重ねるテルコに、最初は「イタい女のトホホな恋愛」に笑いながらも、次第にイライラしてきて、
「お前、ちょっとそこに正座して聞け。いいか、愛っていうのはだな・・・」
と説教のひとつもしたくなる観客の人もいるかもしれない。
でもね、
そういう“正しさらしきもの”を掲げる人に対して、「好きとか愛とか、なんだってんだ。うるせぇ、バーカ」って言っちゃってもいいんだよ、という映画。
だと僕には思えて面白かった。
「シンドイ恋愛あるある」的なエピソードをひとつひとつ、これはアリ・それはナシってワイワイ仕分けするのも楽しいかもしれない。あなたの隣の人が、この映画を観てどう感じたか、それをもって何かの発見があったりするかもしれない。
テルコ、マモル、スミレ、葉子、仲原。恋愛においての姿勢や志向はばらばらにバラエティに富んでいて、見ていて楽しいけれど、「皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい」ということに気がついて受け入れていくという意味では、気持ちがいいくらいベクトルが揃ってる。
一歩先を行ってるのは江口のりこ演じるスミレ。安藤サクラに似てることを絡めて何かボケようかと思ったけどやめておく(笑)。
自分の求める愛し方、愛され方に自覚がある感じの人。こういう人の周りには「自由な風」が吹いていて、一緒にいると楽しくて気持ちが良さそうなイメージがある。でも例えば別荘BBQに集合かけてみれば「案外人望がない」ところがちゃんと描かれているのはフェアでエライと思う。
スミレの自由さは、おそらく天然モノの自由さではない。「尽くしてくる男は、イザ付き合ってから“自分系”になる」っていうような、勝ち負け損得の認識をちゃんと持ってる。その上でそういうものを意識的に遠ざけることで獲得した自由さが彼女の選択であり魅力なんだけど、それゆえの寂しさとか虚しさみたいなものもちゃんと引き受けてる人だと思う。
成田凌演じるマモルをクズ野郎と思う人は多いのかな。スミレに雑に扱われる後半のワンコっぷりを見て、ザマァ!って思う人も多いのかな。
仲原の説を借りれば、「王様を残酷にしたのは、それに仕える家来なのだ」ということで、マモルをクズにしてるのはテルコであったり、反面スミレや葉子が女王様になってしまうのは、マモルや仲原の逆説的なエゴであるとも言えるのかもしれない。
でもマモルは王様のように愛されたかったわけでもないし、ワンコのように愛したかったわけでもない。恋愛の勝ち負け損得は別として、自分の求める愛し方愛され方という意味では結局いちばん人に振り回されていた登場人物だ。33歳になるまではガンバレ。自信のなさを克服できたら好転していくよ。
仲原と葉子の関係性は、テルコとマモルの関係性とのいい対比になってる。仲原はテルコに対して「似た犬同士」な意識を持っているけど、テルコは仲原に対して「真逆」だとすら思ってる。
仲原はとってもイイ奴だし、テルコに話した「王様と家来」の考え方もよくわかる。「幸せに、なりたいっすねぇ〜」っていうつぶやきは、叫びだってこともよくわかる。
本当に葉子のこと好きだったよね、心から葉子のためを考えたよね、むっちゃ頑張って諦めることを決めたよね。わかるぜ、今度飲みに行こう。何も悪くないし何も間違ってないよ、テルコに「うるせぇバーカ」なんて言われる筋合いもないよな。
でもさ、正しい答えが正解になるとは限らないのが恋愛っていうクイズだから。落ち込むことないよ、そのうち幸せになれるって。
じゃあ僕が女だったら仲原と付き合うか?っていったら付き合わないけどな(笑)。そういうもんさ。
観る前は、自意識的な何かを突きつけられて苦い気分や苦しい気持ちになるのかな?なんて思っていたけど、観てみたらむしろ痛快というか気持ちの良い映画だった。
今泉力哉という監督の作品は初めてで「こういう作家性の人なんだな」とか思うところがなかった分、物語に没頭できたような気がする。
「えー、カレシいないの?もったいなーい」とか「いいかげんそろそろ結婚したら?」とか「なんでウシダさん家庭があるのにいつまでもモテたがってるんですか?」とか「やっぱウシダさんってめんどくさいですね!」とか言われがちな人にオススメの映画(笑)。
☆☆☆★★★ サイコロを振り、出た目の表と裏を足すと必ず《7》にな...
☆☆☆★★★
サイコロを振り、出た目の表と裏を足すと必ず《7》になる。
原作読了済み。ちょっとだけの感想。
登場する男女の人物像は、それぞれ表裏一体として描かれて行く。
そんな原作は女性目線から描くダメンズ男女の生態。
ほとんど原作通りに進んで行くのだが。(過去の自分との対話等、映画オリジナルな場面も少し在る)映画自体は、監督が男性…と言うのも有ってか?時々男性目線から(当社比)見た、今どき男女の恋愛模様を活写している様にも見えた。
好きな人には好きな異性が存在し…とゆうのは、この監督の前作『パンとバスと2度目のハッコイ』でも描かれていて、その辺りでも興味深い作品と言える。
この監督の作品全てを観た訳では無いので。まだこの時点ではっきりとは断定出来ませんが…。
2019年5月12日 TOHOシネマズ府中/スクリーン4
よかった
岸井ゆきも成田凌もすごく魅力的なので、ドラマが展開していくにしたがって二人とも自己評価が低いことに驚いた。おそらく原作では不細工な男女なのではないだろうか。成田凌が年増の女性に好かれたくて小物っぽくなっているところが切なかった。別荘への旅行も切ないのは、僕もそんな経験があるし、僕が人を誘ったら同様の結果を招くので、パーティなどには極力行かないし、行ってもどうせつまらないに決まっているので顔を出してすぐ帰る。しかし、実際にスクリーンに映る彼らは美男美女で世間が放っておかないレベルだ。本当の不細工で魂をえぐるような表現で見てみたい。
映画館の音量が低くて、空調に成田凌のぼそぼそしたセリフがかき消されてよく聞き取れないところがいくつかあった。
愛がなんだってんだという叫び
片思いが重い愛であろうと、相手にウザがられていようとその場で全力投球できるテルコがとても愛おしい。
好きな人の好きな人ではなくて、好きな人は他の誰かを見ていて、それでもなお一緒にいたいと思えるような人と出会えることがそもそも幸せなことなのかもしれない。
岸井ゆきの、もともとすごく好きだったけど、今作でさらに好きになった。
好きな人のためにごはんを作りに行ったら帰りの電車賃がなくて歩いて帰るっていうのが、アラサーの重すぎる女としてものすごくリアルな情景だった。
自分に理由をつけて諦めようとしたナカハラも無駄にならずに済んでよかった。
ナカハラが求めてたのは多分、あの検索したら…っていうその行動だけでよかった。
今まで通りずっとそばにいたら、得られなかった結果。
原作と監督の意図が同じでこんなにもみずみずしい感性で描かれた映画は滅多に出会えることがない。
退屈せずに最後まで見られた映画だった。
みたいみたいみたいからみたらまだまだみたい
青春恋愛物は大好きだから
映画館に足運んだら98パーセント女性だった
これには吃驚したが
観てる間なかなか心地よい空気をたのしめました。
何度もみたくなる作品一つ。
【女の一念、岩をも通すか? 成年男女の心の機微を絶妙に描き出した作品。】
ー今作品は、”恋”という言葉を使うのも憚れる、一人の男を想う気持ちを貫く女性テルコの姿を普通の日常を描く中で、見事に表現している。ー
・テルコと田中マモル(彼女から一途に想われる男性)と関わる男女達が交わす会話の秀逸さ。
◆数々の場面設定の見事さ。
・テルコの親友の葉子を想う中原と葉子の母親(筒井真理子さん、先週主演作を観たばかりだったので嬉しい)とテルコの3人で過ごす大晦日の風景と3人の会話(葉子はいない)、そして母親が就寝した後、除夜の鐘が鳴る中のテルコと中原の会話。
・すみれ(マモルが恋するパンキッシュな女性)とテルコと中原とマモルという不思議な組み合わせの4人が湖畔の別荘で過ごす姿や交わす会話。
・中原が、別荘でのやりとりがきっかけで決断した事柄を激しく糾弾するテルコの姿とその後の放心した表情。
・マモルが30歳過ぎてからなりたいと言っていた職業について、淡々と仕事をするテルコの姿・・・。(このシーン、特に良い)
■4月公開でずっと気にはなっていたのだが、何となく見過ごしていた(良くある恋愛ものかなと・・)
が、地元のシネコンでセカンド(サード?)上映してくれたので、鑑賞。
予想を遥かに上回る秀作であった。
<勝手な先入観で作品を選んではいけないなあと反省しつつ、ぎりぎり劇場で観れたぞという満足感に浸りながら帰路についた。>
<2019年8月2日 会社から至近距離のミニシアターにて鑑賞>
平日の昼間にもかかわらずカナリの観客 しかも若い女性が多かった 大...
平日の昼間にもかかわらずカナリの観客
しかも若い女性が多かった
大きな事件が起こるわけでも最後に大どんでん返しがある訳でもないのだけど…
誰にも身に覚えのある恋愛の痛々しい部分がこれでもかと胸をえぐってくる
ああ、なんかヒリヒリするw
うどん
角田光代の原作ではマモちゃんは、あまりイケメンではないらしい。成田凌カッコ良すぎだろー。最初はマモちゃんを愛している自分が好きなのかとも思ったがそうでもないかもしれない。料理が効果的に使われていた。具合悪い時の味噌煮込みうどんは、自分的にもどうかな。でも、良作。
お見事!3D恋愛感情
あー、不器用、不器用、不器用!!!!!!!
人は恋愛となるとどうしてこうも不器用になってしまうのだろうか?生活の全てが好きな人に振り回され、その人のためになら無理もするし、見栄も張る。たとえ相手が自分のことを好いていなくても、そんな恋をしている自分が好きな時さえある。
そんな経験をしたことがある人にとっては、本作の一言一句、一挙手一投足がボディブローのようにジワリと効いてくる。あー、自分はなんて痛いことをしてるのだろうと…(苦笑)。本作がかなりのロングランヒットとなっているところを見ると、そういう人が実は多いのでは?と勘ぐってしまう。
しかし、共感度が高いだけで本作のヒットが成り立っているわけではないだろう。まっすぐ行くのかと思えば、蛇行し、立ち止まり、時にUターンをするような物語構成は先を読ませない面白さもあるし、大袈裟にならない会話の数々はリアリティがあるものの、実にウィットに富んでいる。
だが、私が本作を高く評価する最大の理由は、恋愛という形ないものを描きつつ、その実態が何なのかを観客に投げかけているところだ。誰かのために自分を犠牲にすることも、報われなくとも努力することも、或いはその逆も含めて、愛とは何だ?何なんだ?と問うてくる。果てには好きという感情は誰のためなのかまでも問うてくる。
誰もが持つであろう“好き”という感情を多角的に描き、物語の奥に潜む感情の立体的構造は繰り返し観たくなる面白さがある。これは、お見事!自分の価値観も含めて久々に見終わった感想を多くの人と語りたくなってしまう、令和初の結構お気に入りな一作である。
運命論者と現実論者の対比
彼女 好き?好き?大好き?
彼 うん 好き 好き 大好き
彼女 なによりもかによりも?
彼 うん なによりもかによりも
彼女 世界全体よりもっと?
彼 うん 世界全体よりもっと
彼女 わたしが好き?
彼 うん きみが好きだ
彼女 わたしのそばにいるの 好き?
彼 うん きみのそばにいるの 好きだ
彼女 わたしを見つめるの 好き?
彼 うん きみを見つめるの 好きだ
彼女 わたしのこと おばかさんだと思う?
彼 いや きみのこと
おばかさんだなんて思わないよ
彼女 わたしのこと 魅力あると思う?
彼 うん きみのこと 魅力あると思うよ
彼女 わたしといると退屈になる?
彼 いや きみといると退屈にならないよ
(中略)
彼女 誓ってくれる?
けっしてわたしを置きざりにしないって
彼 いつまでだってけっしてきみを置きざりに
しないって誓うよ、胸のうえに十字を切るよ
そして嘘をつくくらいなら死ねたらと思うよ
(無言)
彼女 ほんとうに 好き? 好き? 大好き?
【R・D・レイン著 好き?好き?大好き?】より
愛は無償に与えるもの…
恋は虚像の崇拝…
わかってる
そんなことわかってる
でも彼を常に気に掛けていたい
だってそれがわたしなのだから…
本作『愛がなんだ』の提示されていた恋愛観…
いや、【恋愛哲学】を
つらい恋を経験した方なら、誰しも
多かれ少なかれ感じ入ることでしょうし
逆にお話を飲み込みづらい。
なんだったらまったく共感出来ない!って方も
当然いるでしょう…
岸井ゆきの さん演じるテルちゃんが
けなげに見えるか、恋愛サイコパスに見えるかで
作品の印象が変わるのと思いますし、
またそんな絶妙なバランスで見事に演じていたと
思いました。
いきなりラップ調でわめき散らしたり、
その後「そういう所、苦手」と
客観的にマモちゃんの視点に投影し急に冷めたり、
幼い頃の自分と自問自答したりと、
ドッキリさせられた表現演出は楽しめました!
作中に何度も登場した【象】とは
〈どんなほどこしも分け隔てなく受け止めるもの〉
の象徴… そんなイメージだと思いましたが
調べてみたら献身、忍耐、信頼、安定、
そして真理を象徴しているそうです。
そんなことも照らし合わせてみたら
より深く、本作を味わえるかもしれません!
成田 凌さんの煮え切らないダメ男感!
貧弱で猫背を気にしてる所が愛おしかったり!
中原っち役の若葉竜也さんは重要な役を
豊かに演じていて好感を持てました!
すみれさん役の江口のりこさんの存在感!
そこにシビれる憧れる女性像!
…今思えばわたしも若い頃は多分、
多少粘着質な恋愛体質だったかな…
「恋は盲目」なんていうけど
ヒトって醒めない夢をいつまでも
見ていたいんだよね…
夢や恋を追いかけている間は楽しいけど
袋小路にハマるときが、
いつか現実に向き合うときが
きっときてしまう…
その折り合いを付けて
わたしたちは生きている。
いつだってあるよ
夢よりも大事な物が…
悲しいけどそれが現実…
でもそんな自分も嫌いじゃない
それで十分生きていける
あいがなんだ
岸井ゆきのと言うと、まんぷくのイメージがつよく、おじーちゃん死んじゃたの時には殆ど覚えていませんが
上手い演技をする人だなーとおもいます。映画の内容にしても、腹一杯なのに、男から電話があるとひもじいという表現をして出かけていきます。女の人は随分と努力しているのだなぁと感動します。最後に自惚れないでよと思い切った発言をします。面白い映画だと思います。
夢中になる事、それ自体の清々しさ
愛がなんだ。好きですらない?
この執着は一体なんだろう?
何かに一心身を捧げている人物を観るのは清々しい。
テルコは劇中マモちゃんになりたい。という常人を超越した発言をかましてくる。
愛おしさのあまり自分の存在そのものを消滅させ、身を捧げる対象と一体化したいという願望は人が手の届かぬ程の夢を追い、憧れる対象を愛おしむ姿勢に似ている気がする。
ナカハラが催した写真展の、タイトルでも夢、というキーワードが示唆されている。
テルコとナカハラは似た者同士、夢を見ているキャラクターだけども、テルコはより一層純度が高く、決して折れずに弱音を吐かない。そして、メンヘラ的な自傷行為にも走らない。
あれだけの仕打ちを受けているテルコを観ていて、嫌なら別れればいい。と感情的に切り捨てられないのはテルコがどこまでも清々しく夢中になるパワーに突き動かされているからだと思う。
マモルの影響で職場を辞めた後の公園で、同僚からあなた自身はどうなの?それでいいの?と一瞬問いかけられる。
会話のすれ違いでテルコの答えは聞けないが、彼女の返事をどう想像するかで、夢を追い続けることへの考えを問われるのだと思う。
一切の損得を超え、理想を追求し執着し続けることは、なんともだらしなく理解に苦しむ。しかしその一方でなんとも清々しく充足に満ちている。
イライラ
古い人間からするとイライラする。鈍感さと臆病あるいは繊細さ?、見ている人によって感情移入するポイントが変わってくるのかもしれない。時間があったから見たけど、なければ見なくても良かったかな。
出演者の演技は皆よかったです。特に岸井さん、深川さんの若いけどとても良かったです。
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