ブレードランナー ファイナル・カットのレビュー・感想・評価
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もはや新作と見まごうクリアさ。
『ブレードランナー』に関しては、リドリー・スコットが劇場公開バージョンで不満だった箇所を片っ端から直した「最終版」で止まっていたので、「ファイナル・カット」はデジタルリマスターくらいに思っていた。が、オールドファンにすれば冒頭の2019年のロサンゼルスを俯瞰で捉えた特撮ショットからして、仰天モノではないだろうか。
まず驚いたのはタイレル社のピラミッドビルの窓がこんなにも多かったっけ?ということ。昔観たバージョンのフィルムの質感とはまったく別種の、あまりにも細密でクリアな映像。ミニチュアのピラミッドに針の穴のように空けられた窓から漏れる光のひとつひとつが、猛烈に粒立っているのである。
特に65㎜で撮られた特撮シーンは一事が万事この調子で、まるで『ブレードランナー』を最新の撮影機材で寸分たがわず再現したようにすら見える。物語や展開的には「最終版」とほぼ同じだが、スコットこだわりのディテールを味わうためには一番のバージョンであることは間違いなかろう。
オリジナル版との最も大きな違いは、この最終バージョンであるファイ...
オリジナル版との最も大きな違いは、この最終バージョンであるファイナルカット版は「デッカード(ハリソン・フォード)=レプリカント」という事を示唆している所と思う。
例えば、ガフ(折り紙を作る人)が最後にユニコーンの折り紙を残すシーンがある。デッカードしか知らないはずのユニコーンの夢をガフが知っている事を描写することで、デッカードの記憶が「移植」であることを示唆している。
また最後の戦闘で反逆レプリカントのリーダーであるバッティが、危機に陥ったデッカードを救出し自分の命を終えるシーンがある。寿命が尽きるのを悟り、突然、慈愛に目覚めたとの解釈が主流であろうが、短時間で人間性が変化するものだろうか。
彼は人間ではなくレプリカントなのでとの認識もあるにはあるが。
ここは「デッカードがレプリカントと分かったので命を奪わなかった」との解釈はどうだろうか。
何はともあれ、「デッカードとレイチェルは記憶を移植された次世代のレプリカントで寿命設定も変更されている」と考えると色々と辻褄が合うのではないだろうか。
映像クオリティが修正され、ストーリー/SF設定も含めて現在でも視聴に堪え得るSF映画であると思った。
映画だけでなくあらゆるSF作品の代表作の一つでしょう。
サイバーパンクにアジア的表現を用いることで日本の台頭を表現し、止まない雨を降らせて動物が本物かどうかにこだわる社会を見せることで、地球環境の破壊を説明無しで表現するなど、非常に優れた世界観でした。
寿命が決められたAI。感情どころか愛情まで持ち、人間とほとんど変わらない。その恐怖と怒りに本来は敵であるはずのレプリカントに感情移入してしまいます。そして最後の戦いでなぜロイがなぜその選択をしたのかを考えると、彼の生きた証を誰かに知って欲しいという叫びが深く胸を打ちます。
SF映画…いやあらゆるSF作品の代表作の1つといっていいでしょう。様々なAIもののSFを観賞する上で考察する視点を沢山与えてくれる優れた作品です。オリジナルの公開から40年以上経った今でもまったく色あせていません。
ルトガーハウアーがすごい
評価3.7
SFではかなり有名なディストピア作品。
何と言っても、この陰鬱とした世界観は本当に良い。
それと随所に見られる日本語は何とも嬉しいものでした。
ブレードランナーと呼ばれるアンドロイド専用の殺し屋が、レプリカントを追い詰めるというシンプルなストーリー。
でもそこにレプリカントの葛藤など、中々に深みがあります。
このレプリカントの中で、物凄い存在感を放っているのがルトガーハウアー。
終盤のターンに入ると、もうルトガーハウアーが全部持ってってましたね。
あの狂気に満ちた表情からしてすごい。
雨の中頭から血を流し半裸で手に釘刺して、反対の手には白鳩持って追っかける。強烈ですね。
物語の最後、デッカードが人間なのかどうか曖昧にしたままなのがまた憎い。
好みは分かれると思うのですが、今観ても面白いSF作品でした。
名前だけは知っているが今まできちんと見たことがなかった作品
アクション中心のSF作品と思い込んでいた。しかし観てみると、常に「お前はどう思うんだい?」と問い掛けてくる印象。だが、何らかの答えを押し付けてくることはない。
そして何より画作りのセンスが凄い。アクションシーン等の見せ場は勿論の事、それ以外の何気ないシーンまで一々美しく印象的だ。音楽もとても良い。
最後のシーン、普通ならば、白い鳩が鼻についてしまうと思うのだが、何故かとてもしっくり来た。
寿命が4年と言われてしまったら、AIだって怒りを覚えて製造者に反抗するか
初公開から25年を迎えた2007年に、リドリー・スコット監督自らが再編集とデジタル修正を施してよみがえらせたファイナルカット版 (元は、1982年製作/116分/アメリカ・香港合作)。2007年製作(117分、G)アメリカ映画。原題:Blade Runner: The Final Cut、配給:ワーナー・ブラザース映画、日本初公開:2007年11月17日。
有名映画では有るがシリーズ全体含めて初めての鑑賞で、原作も読んでいない。AIが実用化されてきている今見てみると、レプリカントと呼ばれてるロボットが意思を持ち、人間に反抗することにリアリティを感じる部分も有り、ドキッとさせられた。またこの映画が40年以上前の1982年に作られていることに、驚きも感じた。
レプリカントであるルトガー・ハウアーが4年の寿命を伸ばせないかと、製作者の天才科学者の元に訪れ何とかならないかと詰問する。そして、それが無理と言われて科学者を殺してしまうことに、一定のリアリティを感じてしまった。意識とか感情に関する科学は、現在でも殆どまだわかっていない現状の様なので、どこかの段階でAIがそれを有していて不思議はない訳で。
「強力わかもと」ネオンで微笑む芸者ガール、日本語の看板/ネオンサイン/壁面の落書きの氾濫(美術のシド・ミードの仕事らしい)、デッカードが屋台で日本語を話す店主にメニューを注文する等、米国が将来日本だらけになってしまうことを悲観的に想像してたことが、かいま見えて驚かされた。
若いハリソン・フォードが主人公を演じているが、共感もしにくくアンチヒーロー的。SF映画といいながら、結局本質は一匹狼のダークヒーロー的アクション映画かと思って見ていた。「エイリアン」と比べると斬新さでは、個人的には少し物足りないとも。
ただショーン・ヤング演ずる美しいレプリカント・レーチェルは、クラシック的な美貌と感情表現に乏しい表情が役柄にピタリとハマっていて、強く印象に残った。
監督リドリー・スコット、製作マイケル・ディーリー、製作総指揮ハンプトン・ファンチャー ブライアン・ケリー、原作フィリップ・K・ディック、脚本ハンプトン・ファン、チャー デビッド・ウェッブ・ピープルズ、撮影ジョーダン・クローネンウェス、美術シド・ミード、音楽バンゲリス、特撮ダグラス・トランブル
出演
ハリソン・フォードリック・デッカード、ルトガー・ハウアーロイ・バティー、ショーン・ヤングレーチェル、ダリル・ハンナプリス、エドワード・ジェームズ・オルモスガフ、ジョアンナ・キャシディゾーラ、ブライオン・ジェームズリオン・コワルスキー、M・エメット・ウォルシュブライアント、ウィリアム・サンダーソンJ・F・セバスチャン、ジョー・ターケルエルドン・タイレル、ジェームズ・ホンハンニバル・チュウ。
ようやく鑑賞。
最初のブレードランナー公開の1982年からずーっと気になっていたのに機会を逸しておりオリジナルは観ていませんが、どうせ引っ張ったのならリドリー・スコット監督が一番好きだと語るこのファイナル・カットをと思って鑑賞。
舞台である2019年は過ぎ去りましたが、40年も前にこの映画が作られていたことに驚きます。
当然ながら皆若く、ハリソン・フォードのカッコ良さやレイチェル役のショーン・ヤングの美しさはもちろんですが、10代のころに『ヒッチャー』で観て以来その個性に圧倒されたルトガー・ハウアーが、渋さがありつつもその若さも手伝って名刀のような鈍い光を放ちつつ醸し出す鋭い存在感にあらためて魅了されました。
古典とも言える作品ですが、それでいてその新しさにワクワク感が止まりませんでした。
AIが急成長している昨今、現実にレプリカントが現れたりしないことを祈りつつ、映画の中だけは本作のように想像力を掻き立ててくれて後世に影響を与えるような作品がドンドン出てくることを心から願います。
『エイリアン』とこの映画は我が青春のバイブルの様な映画。
近年(二、三年前)映画館で見た終わり方と違った。その映画館で見た映画は、『終わり方』はオリジナルと同じだった。この映画の終わり方の方が良い。
スチームパンクな世界で、酸性雨の降る『ロサンゼルス』たそうだが、LAがここまで退廃するだろうか?一部ては香港と言う方達もいるが、電線が張り巡らせば、東京だと思う。だから、この世界観にシックリくるのかなぁと思った。オリジナルでも語らせて貰ったが、ストーリーに付いては、余り緊張感が無かった。しかし、この世界観は後に好きになるアニメとかがリスペクトしているので、こう言った世界観の元祖と言えるのではと現時点で思っている。
原作も読んで見た。
『エイリアン』とこの映画は我が青春のバイブルの様な映画。内容は兎も角。
オリジナルに加点しないのは、終わり方がエレベーターで終わって貰いたかった。
2019年はとっくに過ぎたけど・・・
この作品には思い出が多すぎる‼️初見はVHSだったけど、当時からオリジナル版と完全版があり、小学生だった私はどちらを見ればいいのか大いに悩んだものです。その後ディレクターズカット最終版が出て、ワークプリントまで出て、そしてファイナルカットである‼️その全てを観て毎回唸らされてきました‼️VHSからLDへ、ワイドスクリーンの構図にビックリして、DVDとBlu-ray、4K UHDで観た時の映像の美しさに衝撃を受けました‼️やはりこの作品を語る上で欠かせないのは、その見事なSFXですよね‼️多分主役はハリソン・フォードよりも2019年のロサンゼルスの街並み‼️香港と東京をイメージしたというダウンタウンの街並み、絶えず降り続く酸性雨、モダンに建築されたピラミッドや建物、アジアやラテンの移民たちが揉み合う雑踏、ワカモトのスクリーンボード、巨大でけばけばしいネオンサイン、空を走る高度なコンピュータを装備したパトロールカー、デッカードが使用するブラスターまで、あまりにも印象が鮮烈すぎて忘れられません‼️ヴァンゲリスのシンセサイザー音楽も素晴らしい‼️そしてハードボイルドなハリソン・フォードのデッカードと、人間とは思えない美しさ(レプリカントだから当然か)のショーンヤングのレイチェル‼️2人のラブシーンも美しくて、続編「ブレードランナー2049」での展開を考えると切なすぎですね‼️でもやはり、ルトガーハウアーの名演に勝るものはありません‼️レプリカントの悲しい心情を体現する彼の強烈な存在感‼️タイレル社の社長に延命を要求する会話のシーンの凄み、そしてラスト、雨にうなだれながらデッカードにレプリカントの悲しき宿命を訴え寿命が尽きるシーンは、ビジュアル先行と思われがちなこの作品に深いテーマ性をもたらしています‼️ちなみに私はやはりオリジナル版が好きですね‼️私の「ブレードランナー」体験の基になっているのはオリジナル版ですから‼️それとデッカードが本当はレプリカントかどうかという議論はそろそろ終りにしましょう‼️
【”人間とレプリカント(AI)との違いは何か!”圧倒的な近未来世界のビジュアルと、故、ルトガー・ハウアーの存在感及びレイチェルを演じたショーン・ヤングの美しさにヤラレタ作品。】
ー 今作を初めて鑑賞したのは学生時代である。
フィリップ・K・ディック好きの級友と共にビデオで見た。圧倒的な近未来世界のビジュアルには引き込まれたが、余り印象には残らなかった。
だが、この作品が後世の映画に及ぼした影響は多大なるモノがある。
分かり易い所で言えば、史郎正宗の”攻殻機動隊”を原作にしたスカヨハが草薙素子を演じた「GHOST IN THE CHELL」や今作の後編と言っても良い「ブレードランナー2049」である。-
◆感想<Caution! 内容に触れています、>
ー これほどの作品なので、久方ぶりに鑑賞した感想をシンプルに記す。ー
・今作では、反乱を起こしたレプリカントを追うブレードランナーである、デッカード(ハリソン・フォード)は、常に陰鬱な表情をしている。これは、私の解釈だが彼は寿命4年の脱走した最新型レプリカント達を殺す事に嫌気がさしている。
・だが、彼は、着実に酸性雨が降りしきる一切、日が当たらない2019年のロサンゼルスで脱走したレプリカントを”解任”しいていく。
・だが、レプリカントを開発した、タイレル教授の秘書であるレイチェル(ショーン・ヤング)の美しさに惹かれつつ、瞳孔の動きを察したデッカードは彼女がレプリカントであると気づくが、レイチェルがその事実を知らず、タイレル教授が愛した姪の記憶が刷り込まれている事に気付く。
ー だが、彼はその事実をレイチェルには言わない・・。-
■一方、脱走した最新型レプリカント達のリーダー、バッティ(ルトガー・ハウアー)との一騎打ちで、バッティが、デッカードの指を殺されたレプリカント達への想いを口にしながら折って行くシーンからの、絶体絶命のデッカードを助けた後に、彼に語り掛ける人類の為に自分達が行ってきた事を誇らしげに語り息絶える姿は、名シーンであろう。
AIであるが、人の心を持っている事を、明確に表したシーンである。
<ラスト、デッカードがレイチェルが眠っているベッドに走り寄り、彼女が息をしているかを確かめるシーン。そして、”逃げよう”と言ってレイチェルの手を取るシーン。
この後の展開は「ブレードランナー2049」に引き継がれる。
今作は、”人間とレプリカント(AI)との違いは何か!”という現代でも十二分に通用するテーマを題材にした、リドリー・スコット監督が産み出した独特な近未来(といっても、舞台は2019年のロサンゼルスなのであるが。)の世界観に魅了される作品である。>
初!生演奏!色褪せない!最高ぅ!
2049は見たことがあって、いつか見なければと思っていたら、シネマコンサートが!!!というわけで、初見が生演奏というとても贅沢な体験ができました。古さを感じさせない映像・世界観で、生演奏なことも忘れるくらい没頭しました。本当にこの作品に出会えた人生でよかったなぁ。
2020年、レプリカントは人類に宣戦布告!
近未来の日本、酸性雨が降り注ぎ資源が枯渇する地球で生活を続ける為、人工生命体のレプリカントを使役し宇宙での過酷な労働を強いてきた。
屈強な体躯に人類最高峰と同等の頭脳を持つ第6世代のレプリカントは感情を持ち、人間への謀反を企てる。
ロイを筆頭に四年の寿命を克服すべく地球へ密航してきた4人のレプリカントと、記憶を植え込まれ自分を人間と信じてきた1人のレプリカントのレイチェル、それらを追うブレードランナーのデッカード。
ブレードランナーの仕事は単純で、危険因子をはらむレプリカントを抹殺すること。
しかし記憶と感情、愛情までも持ち合わせるレプリカントたち。
レイチェルに惹かれながら、ロイたちを追う矛盾を抱えながら対峙するも、返り討ちにあう。
ロイは徹底的にデッカードを追い詰めた後、彼の命を救い寿命を全うした。
レイチェルを奪われまいと逃走を決意するデッカードは自宅の前に、まるで自身の夢で見たようなユニコーンを模したような折り紙を見つける。
レプリカントと人間の違いはなんなのか。
機械的な対処を続ける警察などの人間組織に対し、叛逆するレプリカントはなんとも人間的なやり方で意思を表明した。
複雑な感情を垣間見せ、膂力も並に感じられるデッカードにもレプリカントの可能性が匂わされる。
人が擬似的な人間を創造したとしたら、それは生命といえるのだろうか。
過大評価じゃないかな.....
ストーリーが面白くない!!!!!
自分達の寿命を伸ばそうっていうストーリーだと思うんだけど...
確かにサイバーシティは美しく、会社の建築デザインも美しかったが、ストーリーが面白くない。
どこがSF映画の金字塔なのかほんとにわからない、SFアクションに分類されているのにも関わらず、アクションシーンは少なくステゴロ相手に拳銃でころしてるし、僕がわるいんだと思うんですけど、最後の一人は、自分の拳に釘刺したり、雨の中裸になって主人公追いかけるしで、自分のなぜこんなに高評価されてるのかわかりません、当時の技術ではすごかったのかもしれないが、僕が見たいのは、現在から見たレビューなんですよね、人造人間が人間になれる云々はエキスマキナがありますし、僕の視点からだほんとになざ高評価なのかがわからない。。。。
レプリカント側の視点で自分達の寿命を延ばすために奮闘する感じなら心理も理解できて面白かったと思うのですが、いまいちSF映画の金字塔と言われてることに納得できない...納得できないので、原作小説読んでみますかね。。。
伝説となったカルトムービーの圧倒的な映像美!
午前十時の映画祭12にて。
何十年ぶりに観ただろうか…
「ディレクターズカット(完全版)」というバージョンがあったが、さらにその後にリドリー・ズコットが再編集したという「ファイナルカット」版。
どこが変わっているかはよく分からないが、ラストは完全版と同じだったと思う。
この映画が初公開されたのは1982年。物語の舞台は2019年で、既に過去となった。コンピュータのモニターがブラウン管なのと、ところ構わずオフィスでタバコを吸うあたりは制作された時代を感じる。
PAN AMが倒産してるなど予想だにしなかっただろう。
原作小説が出版されたのは1968年で、車は宙を飛ぶのに電話ボックス(公衆電話)を使っていた。フィリップ・K・ディックも携帯電話からスマホへの発展は想像できなかったのだ。
さて、ルトガー・ハウアーが『シャイニング』のジャック・ニコルソンばりに不気味だったことばかりが記憶に残っていたが、アンドロイド(レプリカント)たちが抱える寿命への恐怖心が強く表現されていると改めて感じた。
むしろ、デッカードがレプリカント3人までを仕留めるシーン(1人はレイチェルによってだが)が、結構残酷だったりする。
デッカードがレイチェルを連れて「愛の逃避行」に踏み出すエンディングには、可哀想な女にのめり込んでいく男の性というものが現れている。相手が人ではないと分かっていても、だ。彼女が美しければなおのこと。
Nexus6
午前10映画祭にて
原作ファン
原作よりメランコリックな話でした
大枚はたいて主人公が買った山羊、電気羊もサクってあるという清々しさ
コッテコテの近未来都市がアジアみたい
生物が貴重な世の中 逃亡した新型レプリカントを追うのは同じなのですが、デッカードが始末するのは実際…まぁレプリカントの悲哀を描いているのは映画の方かなという印象なのでこれはこれで良いかな
ルトガー・ハウアーの怪演が光る
タブレットにネクサスって機種あったのでこれってもしやこれからname after? マーヴェルにも誰かお好きな方がいらっしゃるのか、ワンダヴィジョン、ロキにもnexusちらっと出てきます
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の2049ってパトカーのヴィジュアルとかラストからの流れとかちゃんとこの内容踏襲してるんだと今頃評価
レプリカントが銃を持てば敵わないように感じた
午前十時の映画祭12にて。
酸性雨で荒廃したロサンゼルスに、人造人間・レプリカントたちが植民地惑星から逃亡してきた。レプリカント専門の捜査官・ブレードランナーのデッカードが追跡を始め、レプリカントを倒していく話。
1982年公開作品を2007年に再編されたファイナルカット版で2019年が舞台との事。あんな空飛ぶパトカーはまだ登場してないが、大きなドローンも有り、作ることは技術的には可能かもしれないが、法整備が追いつかないのだろう。
レーチェル役ショーン・ヤングとプリス役のダレン・ハリスが化粧が濃くてどっちがどっちかわからなくなる事が有った。両方とも美しかったが。
レプリカント退治に1人で向かってくのは無謀に思えたし、レプリカントは銃を持たず、デッカードと戦ってたが、銃を持ってたら負けただろうと思った。
名作なんだろうけど、個人的にはイマイチ。当時観てたら違った感想だったかもしれないが。
ラストシーンで始まるための映画
折り鶴を手に取りエレベーターに乗り込むシーンで幕切れするのが印象的であった。ここを引き立たせるために
仕事へのためらい、不快感を思わせる都会のシーンによって腐敗した人間の社会が延々と描写されているのではないかと思うくらい。
それによって、見ているこちらも、鬱々とする時間を過ごし、腐ったものを見せられている気分であった。敵であるはずのレプリカントに触発され、ここから抜け出そうとする意志を1人の人間が獲得したというところで終わる。直接的な訓示がない分、映像表現を通じて、社会への批判的な姿勢がどのように生じるか感覚的に伝える上質な映画だと思った。
ただ日本人として、やはりアメリカ的な日本の描写が生理的に無理でもあった。
「我思う故に我あり」 レプリカントの心情にハッとさせられた映画だ
午前十時の映画祭で、初めて観賞しました。ハリソン・フォード主演。
スペースシップの人間を殺害し、地球に潜り込んできたレプリカント(人造人間)を主人公が始末に動く物語です。
タイトルの「我思う故に我あり」が、この映画のキーワードです。この言葉は、劇中のセリフに出てきます。
レプリカントは、本来ロボットのように労働のために作られたのですが、後半に人間と同じような感情を持っていることが発覚するのです。これが後半顕著になっていき、切なさとやるせなさを感じました。勿論、レプリカントの暴力や殺人は悪なのですが。
この映画の中に、フクロウやレプリカントの眼が、カッチカッチ動くシーンが時々はいります。このシーンがなかなか芸術的です。
結論として、この映画は心を動かされる名作です。CGやVFXだけのアメリカ映画と違って、アイディアで勝負している所が素晴らしいです。
エアフォース・ワンのほうが良かった。。
時折見るリバイバル上映のを見たんですが。。
想像以上に疾走感もやっつける爽快感も無く、
指を折られるだのあれこれ痛そうな描写とかのほうが目立っていてなんとも。。
確かにアクションものは主人公だって怪我したりするんですけど、なんか違う。。不快感や嫌悪感のほうが強く演出されてて残念でした。
人造人間達が反乱を起こしたので対処しなきゃいけないって設定はよく分かったし、
まぁ謎の未来都市?に妖しさを演出するためなんでそこまで日本風?の音楽やらわかもと?やらの日本的広告を使うのかはもう不問にするんですが、
ハリソン・フォードが一人っきりで頑張るぞーー!!ってことならエアフォース・ワンをリバイバル上映してほしかったなーと思いました。
アクションものなのに、ハリソン・フォード主演なのに珍しく合わない映画でした。。残念!
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