ひき逃げ

劇場公開日:

解説

「六條ゆきやま紬」の松山善三のオリジナル・シナリオを、「女の中にいる他人」の成瀬巳喜男が監督した社会ドラマ。撮影は「エレキの若大将」の西垣六郎。

1966年製作/94分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1966年4月16日

ストーリー

戦争直後、売春婦をしていた伴内国子は、心ある男に救われ結婚したが、今では夫を亡くし五歳になる一人息子武をたよりに、横浜の中華料理店で女中奉公に励んでいた。ところが、ある日武は、山野モーターズ重役柿沼久七郎の妻絹子が運転する自動車にひき殺された。絹子は彼女の若い愛人との情事の帰りであった。おりしも山野モーターズでは、会社の命運をかける新車売り出しの直前であった。当然、今、久七郎の妻絹子が自分の会社の車で事故を起したとなれば、新車売り出しの障害になるばかりか、久七郎自身の地位も危くなる。久七郎は妻のひき逃げをひたかくしにかくす一方、自分のおかかえ運転手菅井をまるめこみ、自首させた。事件は一応国子の弟弘二のはからいで示談にもちこまれ、落着した。むろん、こんなことで国子の心は晴れるはずもなかったが……。そんなある日、国子は、事故の現場で知りあった掃除婦の久子と再会し、その時事故を目撃していたという彼女から、ひき逃げした車の運転手が、女であったことを聞きだした。さっそく国子は久子を連れて再び警察をおとずれた。が、一度カタのついた事件を警察は再びとりあげようとはしなかった。こうして国子の悲しみは怒りに変っていった。意を決した国子は家政婦として柿沼家へのりこんだ。目的は、絹子がひき逃げした確証をつかみ、絹子の子供健一を事故死させ、自分が味わった悲しみを絹子にも味わせることだ。だが、確証はにぎったものの、国子の母性は、今ではすっかり、彼女になついた健一を殺すことはできなくなっていた。とはいうものの絹子を許すことはできない、ある夜、国子は、殺意を胸に絹子の部屋に忍びこんだ。が、意外にも、すでに絹子は、健一と共に紅に染まって死んでいた。罪悪感に悩まされたあげくの自殺であった。しかし、警察では、国子の行動に不審を持ち、拘留した。やがて、絹子の遺書が発見され、国子は釈放された。いきどころのない怒りと悲しみに、今は半狂乱となった国子は、地獄絵図を思わせる交通ラッシュの中に、むかえに出た弘二に抱きかかえられるようにして出ていくのだった。

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映画レビュー

4.0復讐の狂騒曲、戦後からの時間

2023年2月19日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1966年。成瀬巳喜男監督。戦後の闇市で娼婦だった女は、今は旦那に死なれて5歳の子どもと暮らしている。やんちゃな子どもとなんとか生活していたが、ある日、子供が車にひかれて死んでしまう。運転していた男が自首して裁判も終わったが、ショックから立ち直れない女は、実は運転していたのは別の女だいう目撃者と会い、真相を探るうちに復讐を決意する、、、という話。
運転していた女がバイク会社の専務夫人であり、かつその車には女の浮気相手が同乗していた。真実を遠ざける社会的な力が二重に働いているわけで、それらの力が人々を縛ってさらなる悲劇を招く。
交通戦争が言われて久しい当時、事故で人生を狂わせる人々を描いた社会派映画と言える。復讐はズレながら成就してしまうのだから、単に一度抱いた信念が目的を果たすのではなく、狂わせられているのだ。白が飛んだ光のなかで復讐を夢想するシーンがいくつかあるが、その後に行われるそれぞれの実行シーンもちょっとずつズレている。必然的に、激しく車が行きかう道路で横断する人々を助けようと懸命な主人公の姿で終わるラストシーンは狂気そのものだ。そもそも、生きる目的を定め、その目的を更新しながらしつこく追求していく主人公(子ども→真犯人探索→復讐(次々に浮かぶ復讐の手口とその実行)→交通事故防止)の姿が狂気なのかもしれない。
バイク会社の専務が社内闘争をやっていたり、主人公の女や自首した運転手の過去が戦後から描かれ(口にされ)て戦後を意識化していたりと、さすが成瀬監督というほかない。

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