エゴイストのレビュー・感想・評価
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お金を渡す主人公
今年(2023年)屈指の邦画だと思う。そこにあると感じられるリアリティが全編に渡って息づいていて、主題にとってそのリアルさは絶対に欠かせないものだった。そこに「この程度の描写でいいだろう」というような妥協がない。鈴木亮平がこれまでも素晴らしい芝居を披露してきたが、本作は今までのどの作品よりも素晴らしいパフォーマンスだった。驚くべき達成だ。
主人公は、対人関係の維持のためにお金を渡す。宮沢氷魚演じる龍太との関係を作る時も、龍太の母と関係を作る時も。人は金で買えるなどと思っているわけではないだろうが、お金を挟まないと人との関係を進めることができないとどこかで感じてるのかもしれない。そのアンビバレントな感情が僕にはとても共感できた。この映画は、性愛とお金をきれいごとで切り離していなかった。
性愛描写のリアルさもこれまで見てきた映画を超えていた。役者はだれもが素晴らしかった。感動した。
タイトルが何度も心を抉ってくる、画面酔いには注意
先に観ていた人の感想で流れていたから覚悟していたものの、まさか自分が画面酔いするとは…。それも1つの見せ方だけど、自分には観ていてしんどかった。
確かに、凄く作品のタイトルが何度も何度も頭を過ぎって、自問自答を繰り返す。単純な愛の物語かと思わせておいて、それを飄々と裏切った所に本質が落ちているという…。不自由だったからこそ、そこから脱皮するような成功を手に入れた浩輔と、未だ抜け出せない龍太。荒々しくも衝動的な濡れ場もありつつ、凄いものを魅せられている感覚。配慮出来るような有資格者も携わったと聞いたので安心感はあったが、それでもなかなか凄い。まだ知らなかったリアルが転がっていた。そこからの転調、より深い所に落とし込む作品の痛み。
ただ、どこか軽薄になってしまって見えるのは、集中力を削ぐカメラワーク。密着しているかのような雰囲気と疾走感。これは確かに、固定カメラでは成し得ない雰囲気と距離を生み出している。ただ、あの時ばかりは酔ってしまって…。受け止めるテーマがあまりに大きいこともあり、咀嚼をせき止められる形となった。
主演は鈴木亮平さんと宮沢氷魚さん。長身のスラッとした姿に宿るのは、真っ直ぐな愛とゲイであることへの悩み。そこに寄り添うことは出来なくとも、そのエゴに触れることで分かる痛みがある。そして、このタイトルの秀逸さに呑まれた。
今後語り継がれるであろう名作。邦画としても大きな1歩を感じる。だからこそ、この作品に相応の評価ができなかったことが悔やまれる。
好意を受け取る側が、それを「愛」と呼んでくれるのなら
ゲイ役の二人(鈴木亮平さん・宮沢氷魚さん)の演技が特に素晴らしく、そしてエロかった。流石。
他の方のレビュー見てても後半のストーリーは賛否両論なんだね。まぁ「エゴイスト」というタイトルを前提に描いた作品だけど、それはやり過ぎでは・・と確実に思う。
この主人公はそうではなかったが、自分でエゴだとわかってやっているのではなく、自分から無償の愛だとか言い押し付け出したら、もう違う。
愛に正解ってないな
「恋愛の相手は異性で当たり前」という考えが通じなくなりつつある今の時代、こうした映画に触れておくのって大事なことだと思うんです。性別なんて関係なく、誰かを好きでいるってすごく素敵です。主演の鈴木亮平と宮沢氷魚、そして周りの俳優陣たちも全員が見事に愛しさや儚さ、切なさ、いろんな愛の形を表現していました。愛の形、幸せの形に正解なんてないんだよって教えてくれています。
今年3月の日本アカデミー賞でも紹介されていましたが、独特なカメラワークが印象的です。単なる撮影ではなく、カメラが被写体を固定することなく動き、ドキュメンタリーを思わせるような演出でした。一風変わった演出ですが、普通の映画とはまた違った味があります。個人的な感覚としては、言葉にするのが少々難しいですが「映画の中のキャラクター」というよりかは「映画ではなく本当に存在している現実世界の人」というような感じです。これによって、主人公たちが紡いでいく愛の物語がよりリアルに映っていました。表情だけでなく見えにくい心の中まで繊細に描かれていて、切ないけどどこか温かさも感じました。たとえ分断されてしまっても、遠く離れてしまっても、2人は繋がり続けることができるという、愛の強さも巧みに表現されていて、悲しくても最後は笑顔になれるのが愛なのかなと思います。
BL作品って、情があるというか、奥深い感じがして僕は好きです。「窮鼠はチーズの夢を見る」もそうですが、切なくも心温まる雰囲気があって素敵だと思います。
鈴木亮平
WOWOWで鑑賞。
今まで鈴木亮平さんの作品を数々みてきたけれど、嫌いじゃないけど苦手だった。
遅ればせながらこの作品で鈴木亮平さんに目醒めてしまった。
凄い!
なんだろう、なんでか中盤から泣けて泣けてしょうがなかった。
気持ちが入り込んでしまった。
宮沢氷魚さんとのシーン
阿川佐和子さんとのシーン
柄本明さんとのシーン
どのシーンも細かく丁寧に、そして余計なものが無く貴重なシーンばかりだった。
カメレオン俳優
鈴木亮平ってやはり凄いなあ。今作、ゲイ(?)仲間が集まって飲んでいる場面、話し方仕草、目線指先の動きまで、全てなりきっている。仕事中でも。狐狼の血での殺人鬼からこんなに色っぽい役までなんでも出来てしまう。まさにカメレオン俳優。次はどんな彼が観れるか楽しみ。
龍太は何故死んでしまったのか?病気なのか、自殺?ではないだろうけど。
龍太の母親が凄い。息子に打ち明けられて、受け入れて応援出来るなんて。自分ならどうだろう?好きなものはどうしようもない、だから認めるだろうが、しばらく動揺しちゃうだろうな。龍太亡き後、自分の母親のように面倒をみる浩輔の優しさも凄い。
原作者の実話ベースらしいが、こんなにキレイに描かれていたら嬉しいでしょうね。
とても大きな愛
この作品は、龍太亡き後、恋人博輔と龍太の母親妙子の交流が素晴らしい。
後半部だけ見ても、そのクオリティの高さに熱いものを感じる。
ひとえに、博輔役の鈴木亮と妙子役の阿川佐和子のコラボが凄い。
特に龍太亡き後の哀しみを乗りこえて、妙子に寄り添う博輔がとても印象的だ。
14歳で母親を亡くした博輔は、妙子に亡き母親像を重ね合わせる。妙子が末期がんになった後は、その献身的な愛が、観る者の心を震わす。
鈴木亮平の、さりげなさの中に時折滲み出る愛の熱量に心が打たれた。そして宮沢氷魚は、既に「his」でゲイの役は経験済だが、さらに輝きを増したように思えた。
夫婦愛、家族愛ととかく愛というものは限定されがちだが、とても大きな愛に包みこまれたような感じがした。世武裕子のエンディングテーマも余韻が残る。
距離感の難しさ
好きな人を助けたいが故の援助、その気持ちに誠実に応えたいが故に起きた悲劇。根底にあるのは「貧困」。気持ちが通じ合っても、それぞれが抱える人生の負荷は、たやすくは分かち合えない。見終わってから、透明感溢れる宮沢氷魚のどこか痛々しい笑顔が頭から離れなかった。
今後
日本の映画界を背負っていく鈴木亮平の覚悟なのか、意思を感じた映画。後半の思いもしない展開に鈴木の凄さを感じた。
個人的には好きな俳優ではないけれど、見事演じきった姿は拍手。他キャスト阿川さん含め上手でした。
ただね、どうしても日本の役所は嘘くさい、映画館で見る価値なしと個人的感想。
観終わった後、暖かい気持ちになっていった…
巻頭からハードなシーンが続いて、観る映画を間違えたかと思って後悔したが、観る価値があった。いろいろな映画の賞で、主演と助演の男優賞を獲っていたので、どんな映画なんだろうという興味があった。最初は、画面から目を背けたくなるシーンも多かった。途中までは想像がついた展開で、まぁそうなるよなと思っていたけど、そこから思いもよらぬ展開に変わり、映画の印象が大きく変わっていった。タイトルの意味もわからなかったが、最後まで観て納得した。龍太はそれまでの生活を続けていった方がよかったのか、それともその後の生活の方が幸せだったのか、私には答えが出てこない。また、浩輔の行為は、自己満足でしかないのか私にはわからない。鈴木亮平は体格が良くて、演じる役はみんなを引っ張るような人が多かったので、こんな繊細な役も演じられるのかと見直した。目つきや指使いまで気を配った意外な役だった。宮沢氷魚は、テレビドラマ「偽装不倫」の頃は佇まいはピュアな感じですてきだけど、演技の方は、セリフは棒読みだし、大根だと思っていた。いろいろ経験を積んで、いい役者になってきたね。たぶん、そういう話題にならなければ、観なかった作品だと思うので、二人の名演のおかげで感動的な作品に出会えて幸せだった。
愛の形と承認欲求を知る
2023年劇場鑑賞14本目 優秀作 72点
昨今邦画でトレンドでもある同性愛がテーマでありつつ差別化も測れている作品
今作は考察し甲斐があって、まずわかりやすいのだと”色”についてで、物語中盤まで随所で青色が使われていて、これは人生のマジックアワーであり、遅咲きの青春の暗示だと思われる。他にも赤色の車と赤のストライプのシャツのコーディネートは青の対照的な色でもあり、生命の赤、青春の終わり、転換期の暗示だと感じた。
物語中盤から終盤に特に全体的に黄色の入った服が多くなった印象で、これは黄色は太陽の色で、自己の放出を意味していて、また解放的や独立したいなども意味する。要は鈴木亮平の役柄を示していて職場やゲイ友達の前で己を解放的で、独りも長く自己管理ができ独立しているという意味だと捉えました
また、タイトルがエゴイストということで、認められたい、承認欲求が付き纏うのですが、これは何個か名シーンがあって、一つは葬式後母が息子に大事な人と聞いた事を言うシーンで、亮平も氷魚も同じように”ごめん”を繰り返すだけで、お互い実母に孫を見せてあげるこ様な親孝行の仕方ができなく、不甲斐なくどうしようもない気持ちを描いていたり。
月20万(10万という諸説もあり)で雇い始め、定職に就いた氷魚が母にやっと言える様な仕事に就いたよと言えたことが、安心させたい、認められたい、愛情を受けたいにつながる
幼くして父無しで母と二人三脚で生きてきたので十分な愛を受けて育っていない、”母の為に”の善意で動く氷魚のエゴだが動機の中心は承認欲求だなと。
亮平の父が過去に実母に出て行かれた事があると告白、氷魚父とは違い家事等する様になるが先立つ、亮平の父も更生したもののやるせない日々が続き亮平と手分けして家事をする様になる、母なしで自立した息子が結婚し孫を残す事で亡き母に対して親孝行を計る、こんな息子を手掛けた父が亡き母に”認められたい”につながると考察。
主演の鈴木亮平についても考察してみると、一見器用で会話上手そうですが、本当は不器用で、自我を押し潰している役柄。
”聞く会話”と”話す会話”それぞれアプローチの仕方や段取りの踏み方は上手。思春期から学生、20代半ばくらいまで心をすり減らしながら苦労して生きてきたのがわかる。
これについて一番象徴的であり印象的なシーンが物語終盤の病院の鏡越しに眉毛を描くのが表している。やっぱり僕はこっち側なんだ、与えたものに対して自分が欲しい対価は得られないことを痛感。最後のシーンで氷魚母から”まだ行かないで”と止められ”母”を感じるのと同時に与えていた側から必要とされる側になり”一縷の光”が差し込んだこの上なく妥当な終わり方であった。
総評としては、
・当作品は”与えたい”や”認められたい”が蠢く作品
・物語で重要視されていないが、氷魚の死因は過労死か自殺
・過労死の場合はお金も工面してもらったり、自立している亮平にコンプレックスを抱き、自身の人生を通してやるせなさからきたか
・どちらの死因でも直前のシーンで退勤直後エプロンを取り、頭を下げて何かを抱えて進んでいるシーンが入っているから心に決めている気もする
・鈴木亮平は分かり易くこれからも仕事に生きる人間で、その都度独りを感じながらも近い将来父のために生きる様になると考察
・宮沢氷魚はもう少し自分を生きるべき。苦労して育ったにしろせめて学生が終わったら親からの愛で生きるのは苦しい
・氷魚母は旦那に不倫の愚痴を亮平に垂れ込んでいたが、被害者ズラが目立つ。結婚相手を見定める目を持っていなかった自分にも落ち度があるし、不倫される様な間柄や夫婦の充実感、随所に人間としての甘さや弱さが目立つ
こんな感じだろうか
珍しく長文で考察してきたが、だから言って個人的評価が比例してすごく高いかと言われたらそうでないから、映画って芸術って面白い
是非
本当の自分を見せられる相手と、共に過ごせる時間は奇跡
本当に美しい良い映画でした。
鈴木亮平の演技も素晴らしかったですが、なんと言っても特筆すべきは宮沢氷魚。
間違いなく日本アカデミー賞の助演男優賞の一人にノミネートされると思います(少なくとも私は投票します)。
さもすると男性同士のセックスシーンに注目が集まってしまうかもしれませんが、そういうシーンでさえふたりの純愛を感じられる感動的なシーンでした。
母親の前の二人の笑顔がたまらなく幸せそうだったのが印象的で、思い出しても胸が苦しくなります。
二人が出会ったあと、ゲイ仲間の新宿2〜3丁目で素の自分で酔っ払って楽しんでいる鈴木亮平の演技がとても印象的(よく行くお店が使われていてそれも嬉しかったり)。
本当の自分で生きることって難しいことだけど、本当の自分を見せられる相手と時間を過ごすことは奇跡であるということを噛み締めました。
ちなみにファッション雑誌の編集者は、実家が太くなければ、あんなにリッチな生活はできません…笑
複雑
BLのドラマ、映画の中では演技力は抜群
個人的には内野聖陽さんが最高なんですが
コースケがどんどんリューヘイに心を奪われていくところ
大人が仕事の合間を縫ってたどり着くとこ
なんかイイ
リューヘイも彼に応えたくて仕事を辞めちゃうようなところ
若い!若いなぁ
でも純粋だ
それが裏目に出ちゃうんだけど
彼の母親と関係性を築けるなんて
難しいこともさらりとやってのける
しかし、なんと切ない結末
一生、後悔してしまうわ
私の中のBLランキングは4位かな
「僕が買ってあげる。」
もう何回観たかなと。
観る度に込み上げてくる感情があって、それを確かめたいがために何度も、何度でも観たいと思う。
昔、個人的に好きなアーティストが楽曲の中でこんな主張をしていた。
「行き着く所は 学ぶべき事とは
見返りを求めずに与える事だ
つまり受け取ってもらったこっちの方が
感謝するという心の状態」
この映画を観て覚える感覚にこれに近いものがある。気がする。
これを学びたい。観たい。触れたい。
そう思って映画館に何度も足を運んで、結果何度も涙した。
普通映画ってセリフとか言い回しで感動したりってことが多いって思ってたけど、この映画で涙するシーンは主人公のセリフのない無言の激情シーンだったりする。
凄い演技と表現だと本当に思う。
やっぱりいい映画を観る度に、映画が好きでよかったと心から思う。
そして自分自身もこうでありたいというある種の憧れのようなものをスクリーンの中に確かめることができる。
表情やセリフの言葉使い、リアルな雰囲気、ピシャリとしたような無音の中に放たれる感覚や伝わってくるメッセージ。
被写体との距離が近いこの映画は時にドキュメンタリーそのもの。
誤解を恐れずに言うなら純粋にLGBTQ +をどうのと言っている映画ではもはやないと思う。
映画を通して「エゴイスト」の言葉の持つ意味が変わるのが分かる。
浩輔の人生のエゴに祝福をしたい。
お金で支配する関係は愛では無い
ヒューマンドラマとあったが、蓋を開けてみるとゲイの身勝手映画だった。
いい部分が一つもない邦画を初めて観た。
ものすごい鬱映画だった。二度と見たくない。多分この監督の内面が作品全篇を覆ってるのだろう。暗すぎる。
リュウタが宮沢和史に似てると思ってたら、やはり彼の息子だった。キメ顔がなんだか女性みたいでどうも受け付けない。常に他人の目を意識している。
彼がピュア?……ほど遠い。
鈴木亮平も途中から役を作りすぎて不自然。
売春シーン、必要か?
お金でしか繋がれない二人。
鈴木亮平がもし貧乏な男でもリュウタは好きになったか?計算が全くないといえるか?
また、鈴木もお金を渡していたから自分の元は去らないと思っていたんじゃないか?
どちらかがどちらかをお金で支配する関係は無償どころか、もはや“愛”ではないと思う。
専属の売春でしかない。
一番の黒幕(まああえてエゴイストと云わせてもらおう)はあの母親だと思う。
息子のお金や存在を当てにせず、働けないならば福祉に頼るべき。少なくとも親のせいで子供が過労死するだとか、今の世の中ではあり得ない。これが50年前の話しならばまだ理解出来るが…。
母親は鈴木に『あなたは悪くない』。その通り。悪いのはお母さん、あなただよ。
お金がないなら息子と一緒に住んで節約するとか出来ないのか?また、あの年齢だとリュウタを何歳で産んだのだろう?母親というより、リュウタの祖母。
またはリュウタと鈴木亮平が一緒に住めばいいのでは。
鈴木亮平もリュウタが好きというよりただ寂しいだけじゃないか。
お金を堂々と渡すのも、そして受け取るのもすごく下品に見える。
果たして、この映画から“お金”を取ると何も残らない(!)。
『一緒に住みませんか?』
母親も母親で、
『あたしの白髪染めしてくれる?』
血の繋がった親子の台詞ならアリ。
この二人の歪(イビツ)な関係だと違和感しかない。
リュウタが何故亡くなったのか。
誰一人話題にしない。
リュウタの母親や鈴木亮平が本気で悲しみ涙を流すシーンが観たかった。
リアルさがなく、フワフワしてる人しか出てこない。
1ミリも、誰にも共感出来ない作品だった。
(辛口失礼しました。)
鈴木亮平スゴイ!!!
最近の映画は急にフッと終わるのが流行っているのか?
そしてタイトルがさりげなく映し出され、、、
その演出が好きじゃないので★-0.5にしました。
しかし鈴木亮平さんの演技スゴイ!!!
細かい所作まで行き渡っていて圧倒されました。
じつは役者としての阿川佐和子さんを初めて観たのですが
自然な演技でとてもよかったです。
宮沢 氷魚さんもキレイで儚くて素敵でした。
終始ドキュメンタリーを観ているような感覚で
世界に入り込んでしまいました。
「田端のChupki(チュプキ) TABATAで」
今年120本目。
2月10日公開の映画。この時期に見れて嬉しい。田端で。7月6日は迷ったので自宅から自転車で40分でしたが今日は27分。2月公開だから映画の描写でベランダに出て「寒っ」とか印象的でした。結構大人のBLできわどい演出もあったがそこも好き。2人迫真では言葉が足りない位凄い演技でした。作品が進むとエゴイストが誰なのか、またエゴイストでも時に人間として素晴らしいエゴイストもいる、そこを観客に訴える映画だと思います。
社会的に強いゲイの目線から見ることでぼやけてしまう切実さ
ゲイである自分からすると、製作陣側が用意周到に批判される芽を潰していった感動ポルノというのが率直な感想です。
ゲイの中でも社会的な立場がかなり強い人を物語の主軸に置いたことで、役者のファンやこういった関係性が好きなヘテロ側の人達がこの切実な問題を孕んだ物語をただの「悲しい物語」として消費しやすくしてしまっていると感じました。もちろん、当事者を演じた役者さんが役作りを徹底しているのは理解しています。しかし、当事者の自伝が原作ということを免罪符にこれ以上ヘテロ側の社会システムに対してなんの批評性も生み出さず、ただただ社会的な立場が弱いゲイが死ぬ物語やほっこり日常系BLドラマを生み出し続ける意味とはなんなのでしょうか。
今、沢山存在している中流かそれ以下の生活を送っている中年以上のセクシャルマイノリティの人は今どんな状況に立たされているのか、どんな不安を抱えながら毎日生きているのか、現状の社会システムそのものになにか批評的なスタンスを示さない作品ならばせめてまず龍太みたいな立場の人にフォーカスを当てた物語を作ってほしかった。
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