神々の山嶺(いただき)のレビュー・感想・評価
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ひとことReview!
人間はなぜ危険な登山に挑むのか。それは人間が実現困難な事に挑むから。それが浪漫なのだ。過去に公開された邦画実写版は心理描写が薄かったのだが、今作では上手く描かれていた。ツッコミたい所が色々あるのだが、まぁいいだろう。
それにしても、ここ最近、日本原作の外国映画がポツリポツリと出てきているなぁ。自国のネタが尽きているのではないのか、それが心配だ。
極限を知る人間の強さと優しさ
登山家とはなんてシンプルで研ぎ澄まされた人生なんだろう。
生死をかける人間の極限を知っている者ならではの強さと優しさが伝わってくる。
自分は登山とは無縁だけど、とても感じるものがあった。
人は俗世間の中で自分の人生を難しくしすぎているのかもしれない。
理由はないんだな、これが。
そこに答えがあるじゃなし。決着がつくでもなし。壁にはりつけば命の保証は無い。それでも登ることに、理由はない。
フランスの芸術文化勲章「シュバリエ」を受章している谷口ジローさんの代表作の一つ。谷口ジローさんが大好きなフランス人により劇場アニメ化されたことには感慨を覚えます。
さてさて。ジョージ・ハバート・リー・マロリーの「そこに山があるから」と言う言葉は、日本では過度に哲学的な解釈で伝えられている事は有名。記者とのやり取りの実際は以下の通り。
"Why did you want to climb Mount Everest?"
"Because it's there."
記者の質問は、「エベレストを目指す理由」。マロリーの答えは、エベレストを指しています。未登頂のエベレストが、そこにあるから。「山」と言う一般化された概念は、そのやり取りの中には見出せません。
登山家は未登頂の山を目指す。登頂されれば無酸素、単独、より困難なルート。ハードルを上げて、命の危険の度合いを上げて、「初」を目指す。
金や名声のためではなく、ましてやスノッブでもなく。誰も見たことの無い世界、誰も経験していない事、誰も出来なかった事。登山家が、山を目指す理由はそこにある。いや、理由では無く、一度山を経験したものは、本能的に、それを求める様になる。
ちょっと調べてみたら、マロリーの遺体は1999年にコンラッド・アンカーによって発見されましたが、ヴェスト・ポケット・コダックは未だに見つかっていないとの事。初登頂を成しえたか否かは、状況証拠からの推測の域を脱しません。
孤高のクライマーである羽生にとって、それはどうでも良い事。彼にとってみれば、エベレストはすでに登頂されている山。初登頂が誰であるかは、彼の目的から見れば意味をなさない。南西壁単独無酸素の初登頂の証明の有無もまた、彼の目的から見れば意味をなさない。
夢枕獏さんが「全てを出し切った」と言う「神々の山嶺」。
世代でしょうか。なんか、やっぱり、この世界観はツボります。
良かった。
とっても。
山の迫力
実写版である「エヴェレスト 神々の山嶺」を観た時のレビューは下記だ。
----- ここから、レビュー -----
変な話だった。
これが「山をやる」人達が感じていることだと言われれば、そうなのかというに尽きる。夢枕獏らしく、虚実入り乱れて、どこまで本当でどこがフィクションやら。凄いんだけれど、出てくる誰にも感情移入できないので、擬似体験しているのではなく傍観している感じがつきまとう。
こういう思考というか感性が俺にはないのだろうな。
皆の評価、読んで来ました。迫力には評価、脚本は「やむなしかもしれないがはしょりすぎ、はしょり方が下手」というものでした。原作を読んでみよう。
----- ここまで、レビュー -----
阿部さん(寛)、岡田さん(准一)、小野さん(真千子)という豪華布陣だった割には、今ひとつ、俺にはハマらなかったようだ。
今回フランス製のこのアニメ版を観て、ストーリーはよくわかったように感じた。そして実写版同様に、山の描写の迫力はとても感じた。最初は「アニメ版だけど、風景は実写入れてるんだな」と誤解したくらい。登山者の姿が現れて初めてアニメだったことを確認できた。フランス人の頑張りを感じた。
よくわかったし、観て損はないなあと思うけれど、心の底からハマったとは言えなかった。羽生の「なぜ、登る? お前もわかっただろう。山は、やったら取り憑かれるんだ」というセリフを、90分かけて語ってくれた映画だと思うが、俺は残念ながらヤマ屋ではないのだろうなあ。
原作を読んでみようという気持ちは変わらないが、谷口ジローさんのマンガも読もうという気持ちを追加しておいた。
誰かがレビューで語っていたが、深町と長谷は、俺にも見分けつかなかったです(笑)。
マロリー
カメラが見つかって、最初にエベレストに登頂したかどうかは、わからなかったと思うが、アニメとしては良いストーリーかと。絵がフランス人から見たら日本人は、このような感じで見られているのかなと思う次第です。
臨場感あふれる登山シーンの迫力を体感
登山の際によく言われる「なぜ山に登るのか?そこに山があるからだ。」とは本作にも登場するジョージ・マロリーの有名な言葉である。本作を観終わった感想も正にこれに尽きるかもしれない。
正直な所、私のような登山に何の興味もない人間からすれば、どうしてそこまでして危険な山に登りたがるのか理解できない。しかし、羽生もマロリーも、そして羽生のライバル長谷も、山の魅力に取りつかれた彼等からすれば、それこそが”生きがい”であり”人生”なのだろう。だから、「どうして山に登りたがるのか?」と問われれば「そこに山があるからだ。」としか答えようがないのだと思う。「あなたはどうして生きるのか?」と聞かれるのと一緒なのかもしれない。
物語は二つのミステリーで構成されている。一つは行方不明になった羽生の足取りを探るミステリー。もう一つはマロリーのカメラに残された写真を巡るミステリーである。
本作でメインとなるのは前者の方で、深町が羽生の足跡を追いながら、彼の登山にかけるストイックな思いが解き明かされていく。そこには壮絶な過去があり、羽生がどうしてエベレスト登頂に挑むのか?その理由も分かってくる。
後者に関しては、深町と羽生の登山に対する見解の相違を表しており、そこについては終盤でなるほどと思える回答が示されていた。
ただ、最後は今一つ釈然としない終わり方で、個人的には随分とあっさりとした印象を持ってしまった。深町は羽生の登山に対する考え方を一生理解できないものだとばかり思っていたので、このラストは少し意外であった。
アニメーションとしてのクオリティは中々のものである。
中でも見所となるのは、やはりスリリングでリアルな登山描写である。おそらく実写ではここまでの臨場感溢れるシーンは表現できなかったのではないだろうか。天候が急変する雪山の怖さも、アニメーションならではの大胆な演出で表現されていて非常にエキサイティングだった。
また、ダイナミックな雪山風景は、スクリーンでこそ味わいたい迫力に満ちている。
聞けば、製作期間7年ということだから、堂々たる大作と言えよう。これだけの時間と手間暇をかけて作られた作品というのも中々にないように思う。そういう意味でも、作り手たちの執念と創意には感服するしかない。
山岳カメラマンの深町誠(VC 堀内賢雄)、彼は日本のエベレスト登山...
山岳カメラマンの深町誠(VC 堀内賢雄)、彼は日本のエベレスト登山隊を取材するためネパールに来ていた。
途中で登攀断念をしたチームとともにネパールの食堂で酒を飲んでいた深町は、怪しい現地人から「英国登山家マロリーの遺品のカメラ」を買わないかと話を持ち掛けられる。
マロリーはエベレスト登山の途中で消息を絶ったかつての山岳家で、もし登攀していれば、マロリーが初登頂者となるのだが・・・
胡散臭い話に乗らなかった深町だが、先ほどの怪しい男の後を付けると、男に絡む中年日本人男性に出くわした。
日本人男性は、現地人男性の持っていたカメラを奪ったが、その日本人男性の顔に深町は覚えがあった。
何年も消息を絶っていた孤高の天才クライマー、羽生丈二(VC 大塚明夫)。
深町は、マロリーのカメラとともに、羽生の過去を深掘りすることにした・・・
といったところからはじまる物語で、謳い文句は「究極の冒険ミステリーが始まる」なので、マロリーのカメラの謎がミステリーのネタなのだろうと思いながらの鑑賞。
なのだが、映画の着地点は、そこにはなかった。
と先にネタバレで申し訳ない。
なぜ羽生が山に登り続けるのか。
それがミステリーのネタといえばネタ。
しかしながら、それさえもタネは明らかにされない。
そりゃそうだ。
ヤマ屋にとっての山は生きていることの証であり、なぜ生きているのかと問われているのと同じだからだ。
たしかに同伴登攀した若い登山家が命を落とすエピソードが描かれるが、その贖罪のようなものというような安易な感動には寄せていかない。
その厳しさが、この映画のいいところです。
日本描写も念入りで、現在において、70年代の日本を再現するはかなり困難が伴う作業だったろうと想像できます。
一部、カタカナ縦書きの看板の長音記号「ー」が縦棒でなく、横棒だったのは残念でしたが。
気になったので、主人公・羽生丈二のモデルとなった人がいるのかしらん、と調べてみたところ、森田勝という登山家がモデルだそう。
羽生に先んじて三大北壁冬季単独登攀をする若い登山家・長谷常雄も登場しますが、こちらは名前からして長谷川恒男。
そういえば、長谷川恒男のグランドジョラス登攀を記録した『北壁に舞う』(1979年)を初公開時に鑑賞しており、「グランドジョラス」の名を聞いて思い出しました。
最近もそうなのですが、一時期、山岳ドキュメンタリー映画がいくつか作られていましたね。
何故山に登るのかを問うことは何故生きるのかを問うに等しい。
山岳ものをアニメでなんて楽しめないのでは、と舐ーめてーたら、何とも重厚な人間ドラマに圧倒された。
普段あまり見ることのないフランスアニメのクオリティーに驚愕。日本や日本人の描写も日本で作られる以上にリアル。そして山岳シーンの迫力、背景の美しさ。もはやアニメーションを見ていることを忘れさせてくれるほど。
日本アニメも見習ってほしい。最近の日本アニメはすべてが少女アニメみたいな絵柄で、正直見るに堪えない。
絵柄だけでなく内容も実に深い。何故山に登るのか、その問いは何故人は生きるのかと同じ問いに思える。
雪に覆われた山々はまるで人の立ち入りを拒んでるかのようなまさに神の領域。いつ雪崩に飲み込まれるか、滑落するかもわからない常に死と隣り合わせ。それでも登るのをやめられない。人がこの世に生を受けて生きることをやめられないように。
エゴと生きざまと人類の歩みと
いきなりだが、話が逸れる。
一部人間のDNAには、冒険を促すそれがあると聞いた。
〝向こうにある何かをみたい〟など、これはスケールはプチだが、知らない街や近所の通ったことのない通りを行ってみたいなど、それらもその一つかも知れない。
これが人類の進化を生み出し、今我々がいるのかと、遠い過去を想像してみる。
同時にそれらに関わる性が男が圧倒的で、これまた逸れるが哲学者やモノ造りやそれに執着する〝オタク〟、これも圧倒的男である。
この現在社会の概念の創出や進化や革命、何故片方の性が圧倒的なのか 、このような視点の学術がないのも不思議である。
さて本題だが、自分は〝いい映画〟でももう一度観たいとかは余りないが、これは何度か観れるな〰️と思う、アツい人間ドラマともなっている。
PS,街の看板にインターネットの電光掲示板があったが、間違いではないのかー?
いつの時代の想定なの➰
精緻な描写が圧巻
当方、登山を少し囓ったことがあるので興味があり鑑賞。といっても、「山屋」というほどではなく、ハイカーに毛が生えた程度だったのだが・・・
そんなことは抜きにしても登山に関心のない人でも引き込まれるくらいの秀作だと思う。
何よりアニメーションの出来の良さは特筆モノ。特に峰々はまるで写真で撮ったかのようだし、登山する場面の描写も細かくリアリティーがあり、なかなかスリリングだった。ビバークした際の孤独感や不安感もよく伝わってきた。
また、単なる山岳アクションに終始せず、泥臭いヒューマンドラマとして展開したのも物語に厚みを与えていて良かった。
上映館が少な目なのは残念だが、夏休みに子供連れで見るのもアリな良作。
限りなく形而上に近い山嶺
原作では羽生(ついでに深町も)の人間的な掘り下げとなる各種ドラマをバッサリ切り捨てることで、神の世界に手を掛けようとする恐ろしいまでにストイックな羽生が屹立しました。
涼子の改変には賛否ありそうですが。
答えを描写しない「美」という方向でまとめた、フランスチームに拍手を。
……同日に観た心底下らないBAD MANのアホなフランスチームにもついでに拍手を。
これ、本国の人にもできれば大塚ボイス+吹き替えで観て欲しいなぁ。
ぶんたろー!!
命を懸けて登りたくなる危険な山。 記録は更新されより難易度が望まれる。
それでも命懸けで登りたくなる気持ちが少しはわかった気がしました。
スリルのある登山シーンは本当に観ていて肩に力が入ります。
自分が登山している訳でもないのに踏ん張ってしまう。
ロープで宙ぶらりんになる恐ろしさもアニメとは思えないリアリティを感じました。
気圧の変化に耐えうるか、体調、訓練の度合いもあるが、天気の変化により運もあるんだろうなあ。
タンクを背負っての登頂はどんなに重いのだろう、しかし背負わなければ無酸素でどれだけ苦しいのだろう。
ダイビングで浮力があるなか背負うタンクとは重さが違うし。
1984年、折りたためるワープロはあったけど、こんなカラー画面じゃなかったよなあ。パソコンだと四角いでっかい箱形だったよなあとか。武富士の看板があるなあとか。
色んな余計なことも考えながら観ていました。
山に登るのに理由なんてないんだな。その魅力、いやむしろ魔力に取り憑かれたら登らずには居られないんだな。
音楽も良かったし、とにかく想像よりずっと素晴らしかった。
何故、フランスでアニメ化?
という第一印象だったけど、フランスでアニメ化されてよかった。下手に日本でアニメ化するよりは。7年もかけて丁寧に作ってくれてありがとう!
ジャッキーチェンの出ていたクライマーズよりはずっと良かったなあ。
何でフランス製作なの?
あの谷口ジローの漫画のアニメ化ということで、楽しみにしていましたが、2つ気になる点がありました。
まずは、あの分厚い原作本を、全編映像化するのは時間的に無理なので、カットカットになるのでは?
次は、そもそも何でフランス製作なの?という点です。
ところが、映画が始まるとそんな2つの心配は消え、どっぷり作品に見入りました。
映像の方は、外国のアニメだね・・と言うような作画ですが、羽生の山にかける執念と昭和の泥臭さが、逆に作画にマッチしている気がしました。
それに羽生の声を、大塚明夫さんが担当していたとは!
(最近ゆるキャン△のナレーションを担当していたので、ゆるい方だと勝手に勘違いしており、不意打ちを食らってしまいました)
しかし何でフランス製作なんでしょうね。
個人的にジョージ・マロニーの登頂より謎です。
堀内賢雄×大塚明夫のコンビといえば『メタルギアシリーズ』でスネー...
堀内賢雄×大塚明夫のコンビといえば『メタルギアシリーズ』でスネークと雷電の掛け合いを思い出すが、この映画もカメラマンとしての信念を燃やす深町と一匹狼の登山家羽生がどうしても雷電とスネークと重なってしまった。
登山カメラマン深町はネパールで伝説の登山家マロリーが持っていたカメラを200ドルで売るといってきた男から物語が始まる。その夜、その男から強引にカメラを奪った男を深町は目撃した。その男は左手に薬指と小指がない屈強な男で、深町は登山家羽生であると確信した。なぜ羽生がカメラを奪ったかに興味を持ち、そこから深町は羽生の過去と行方を追跡することにした。
アニメーションでしかできない迫力と臨場感はすごかった。アイスクライミング中に真上から落ちてくる雪の描写や文次郎がロープで宙づりになったシーンはこの上ない絶望感を感じた。
残念だったのがマロリ―のカメラに関しては影が薄い印象を持ちました。登山の歴史が変わるような大発見だったのに、羽生と深町の友情で幕が終わったので、少しもったいないと感じました。
同時期公開のアルピニストと比較
アニメーションは圧倒的。
実写かとみまごうばかりの雪渓が美しい。
ストーリーは実写のドキュメンタリーのアルピニストにも通ずるもので「何故危険を侵してまで高い山に登攀を目指すのか」というもの。
ラスト近くで羽生がその答えのようなものを言っていて、少なからず共感。
山登りたくなります!!
重厚感のある男たちのドラマ
山登りは全く好きになれないのに、登山もののマンガは妙に好きだった。村上ともかの「岳人列伝」、石塚真一の「岳」、塀内夏子の「おれたちの頂」とか。ザイルで繋がれた仲間との絆、命の危険にさらされながらも未登頂の山に魅せられてしまう男たちの物語に震えてしまうのだ。
本作の原作漫画は未読(登山ものが好きなくせに)。マロリーの所有していたカメラの行方とエベレスト初登頂の謎を追う山岳ミステリー。と思っていたが、ミステリーより、男はなぜ命をかけて未登頂の山に挑んでしまうのかを描く物語だった。ミステリーとしてスッキリする結末は待っていない。それでもあまり残念な気持ちにはならなかった。山岳シーンの映像がとにかくキレイだし、声優(日本語吹き替え版)の演技も素晴らしくて、重厚感のある人間ドラマだったから。でも、個人的にこの重厚感は大塚明夫さんの声の効果が大きいと思う。
そして、山に魅せられた男たちのドラマが好きだから、基本的なベース点数が高めなことも影響している。それは仕方ない。
標高8850m。そこは生と死が共存する神々の御許。いざ、狂気と慈悲に満ちた90分のクライミングへ!🗻
伝説の登山家ジョージ・マロリーが遺したというカメラをめぐり、山岳カメラマン・深町と登山家・羽生、2人の運命が交わり合う山岳ミステリー。
夢枕獏が1994〜1997年にかけて連載していた小説を原作に描かれた、谷口ジローによる漫画(2000〜2003)を、フランスがアニメ映画化。
ちなみに、2016年には岡田准一&阿部寛のW主演による実写映画化もされている。
夢枕獏の原作小説は未読、谷口ジローによる漫画版は既読。
実写版は未見であります。
谷口ジローって誰やねん?
そもそも何でフランス🇫🇷で映画化してんねん?
という疑問をお持ちの方のために、少々説明を。
我が故郷、鳥取県は地域振興の一環として「まんが王国とっとり」という活動を県主導で進めています。
「まんが王国」なんて大袈裟ね〜、なんて思われるかもしれませんが、確かに鳥取県は漫画というカルチャーが盛んだったりします。
漫画家や作品の名前を冠した博物館は全国に20ヶ所程度。
そんな中、人口最少県にも拘らず鳥取県には2つも漫画家の博物館が存在しているのであります。
それすなわち「水木しげる記念館」と「青山剛昌ふるさと館」。
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげると、『名探偵コナン』の青山剛昌。
博物館が作られるのも納得の国内トップ・アーティストの2人。
当然「まんが王国とっとり」もこの方々を主軸に進められています。
県内には鬼太郎やコナンのラッピング電車が走っているので、ファンの方は是非一度お越しください😄
…が、実はもう一人、鳥取県がプッシュしている漫画家が存在しているのです。
それが本作の原作者、谷口ジロー先生!🎉
谷口ジロー先生といえば、よく知られているのはドラマ化もされている『孤独のグルメ』でしょうか。
他にも『遥かな町へ』や『「坊ちゃん」の時代』など、知る人ぞ知る数々の名作を遺した天才漫画家です。
谷口ジロー先生、実は国内での評価よりもむしろ国外、特にフランス語圏内での人気が高い。
2011年にはフランス政府から芸術文化勲章を授与されているし、カルティエやルイ・ヴィトンなど、フランスの有名ファッションブランドの広告イラストなども手掛けている。
「アングレーム国際漫画祭」というヨーロッパ最大の漫画祭でも幾度も受賞。
『神々の山嶺』も2005年に最優秀美術賞を受賞しています(ちなみに、アングレームで最優秀作品賞を受賞した日本人は水木しげる先生のみ。う〜ん、凄い👏)
また、代表作『遥かな町へ』は欧州合作で実写映画化している。
ことほど左様に、国内と国外の評価が完全に逆転しているのが谷口ジロー先生。
このようなフランスでの谷口ジロー人気をふまえれば、何故この漫画が日本ではなくフランスでアニメ映画化したのかがお分かりになるかと思います。
話が大きくズレてしまった💦
映画に話を戻しますが、とにかく本作は漫画のエピソードの取捨選択が上手いっ!
原作は全5巻。長い漫画ではないが、それでも1本の映画にするためにはかなりの分量を削らなければならない。
本作は原作にあった恋愛要素やマロリーのカメラをめぐるいざこざをほとんどカット。
その代わりに、羽生という男の狂気と執着を描くことに専念している。
これは非常に英断。
正直、原作でも恋愛要素邪魔だなぁと思っていたし😅
羽生と深町、2人の人間にのみフォーカスを当てることで、物語の全景が非常に明確なものとなっている。
複雑な人間の心理が描かれている作品であるが、物語がとてもシンプルなので無理なく飲み込むことが出来る。
わずか90分に原作漫画のエッセンスを凝縮し、それを無理のない形で観客に提示する。
このスマートさに痺れます!
舞台は90年代の日本。
海外映画で描かれる日本はスシ・ゲイシャ・フジヤマ的なトンデモないものが多いが、本作は非常にリアリティがある。
湿度の高いジメジメとした日本の空気感、閉塞した東京の街並み、雑然とした居酒屋の内装など、どこをとっても違和感なく受け入れられる。
所々長音符の向きがおかしかったりするけど、そこはご愛嬌ということで…。
下手な国内アニメより、何倍も真に迫った日本描写だったと思います。
谷口ジロー先生の漫画が原作ではあるが、絵柄は全く似ていない。
谷口先生特有の、むせ返るようなダンディズムとハードボイルド感は消え失せ、代わりにフランス語圏の漫画(バンド・デシネ)を思わせるシンプルで平面的、そしてビビッドなカラーリングの、オシャレさを感じさせるデザインとなっている。
こうなったひとつの理由として、やはり谷口先生の濃い絵柄はアニメーションには不向きだということが挙げられると思う。
出来る限りシンプルな絵柄の方が作画が楽だし、丁寧な動きを表現することが出来るのだろう。
またもうひとつの理由としては、単純に谷口先生の絵柄をトレース出来るほどの絵描きがいないということも挙げられると思う。
谷口先生の画力は凄まじい。精緻なデッサン力もさることながら、作品全体に流れる一抹の寂寥感が素晴らしい。
下手に谷口先生の作風を真似しても上手くいかないと踏んで、完全にオリジナルなデザインに踏み切ったのだろう。
谷口先生の絵柄で観たかったという思いもあるものの、個人的には本作のアートデザインはかなり好き。
シンプルなデザインにしたおかげで、アクションシーンのアニメーションも素晴らしかった。
現在、このレベルの作画を見せてくれる国内アニメはほんの一握りでしょうねぇ。
また、谷口先生がバンド・デシネから強い影響を受けているというのはファンの間では常識。
「谷口ジロー」というペンネームも、バンド・デシネ界のレジェンドであるメビウスの本名、ジャン・ジローから拝借したのだと考えられる。
本作の絵柄やカラーリングがいかにもバンド・デシネ的だったのは、むしろ谷口先生へのリスペクトを表した結果だったのかも。
「何故エベレストに登るんですか?」
「だってそこにエベレストがあるんだもん。」
ジョージ・マロリーは生涯で3度のエベレスト登頂に挑戦。3度目のチャレンジ中に命を失った。
上に記したのは、何故命を懸けてまでエベレストに挑戦するのかを質問された時の返答である。
これが日本では「何故登るのか?そこに山があるからだ。」という格言となって伝播していきました。
まぁ実際にマロリーがこの発言をしたのかどうかは不明らしいのですが、命を賭して山に登り続ける「山屋」たちの生き様を端的に表した良い言葉だと思います。
本作中でも、何故羽生が命を賭けた挑戦を続けたのかは謎のまま。
というか、多分羽生本人もわかっていないのだと思う。
羽生の行動原理も、マロリーのカメラの中身も謎のまま。
しかし、本作のエンディングは非常に腑に落ちるものだった。
羽生という男が何をどう思っていたのかは推測するしかないが、どう考えても彼は死に場所を探し求めていた。
本作はひとりの男が自殺するまでの物語、という捉え方も出来るだろう。
しかし、作品には陰鬱さは無く、むしろ一人の男が命を燃やす、熱い物語として成立していた。
「死」を意識する事で、強烈な「生」を実感する。
羽生の生き方は極端ではあるが、この感覚自体は誰もが持っているものだろうし、だからこそ、彼のチャレンジに共感し、胸が熱くなるのだろう。
人生を山に例える、というのもチープだと思うのだが、この作品におけるエベレストは、紛れもなく人の一生のメタファー。
山頂に近づくにつれ、体は重く、精神は疲弊し、孤独さは増してゆく。
そして山頂まで登っても、結局待ち受けるのは争う術もない完璧な「死」のみ。
さらに人生の残酷なところは、深町のように途中で下山出来ないところ。
一度登り始めたら、どんなに状況が悪くても登り続けるしかない。
人間は皆、とてつもなくハードな山を登る「山屋」である。
「何故、あなたは山に登るのですか?」
という問いに対し、明確な答えを提示することができる人間が存在するのか?
明確な回答を持たない人間は、やはりこう答えるしかない。ある意味では逃避として、またある意味では心からの本心として。
「そこに山があるからだ。」
山岳の描写が美しい
登山するので、原作も読んでいたので、この映画は「マスト」の映画。
美しい描写。観ていて冷気や吹きすさぶ風、痛み、過酷さまでが感じられた。
映画館には(同類っぽいおじさん達)、10人ほど入っていましたが、息を呑みながら、皆さんと(きっと)同化して鑑賞できました。
しかし、こんな一般受けしない、ある意味『間口の狭い』作品を創って大丈夫?と思ったけれど、フランスが7年越しで創ってくれたんですね。あとから知りました。
ありがとうございます。
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