ある男のレビュー・感想・評価
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「本当の自分」に捉われずさまざまな「顔」を持つことを許容すべしという人生哲学
本作は地味ながら、次のような2つメッセージを含んでいる。
① 人間は多様な「顔」を見せながら生きているもので、そのどれもが自分であり、どれか一つだけが真実の自分ということはないという人間観。
② とするなら、自他ともに「一つの自分という顔」に捉われず、さまざまな「顔」を持つことを肯定したほうが、人生をよりよく生きられるという人生哲学。
①の人間観の基は、原作の平野啓一郎が提唱する“分人主義”で、対人関係ごとに分化した異なる人格を“分人”と呼び、それら複数の人格すべてを「本当の自分」として肯定的に捉える考え方だという。
この考え方自体は、決して新しいものではない。小生には例えば、次のような文句が思い浮かぶ。「人間の本質とは、個々の個人の内部に宿る抽象物なのではない。それは、その現実の在り方においては、社会的諸関係の総体なのである」(マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」)
そして、本作の新しさは、②の人生哲学にあるだろう。
例えば、本名不明のまま死んだ男は、少年時代に父親の殺害現場を目撃してしまい、以後ずっとそのトラウマに悩まされる。それは「自分はあの凶行を行った人間の子供である」というイメージであり、その重圧から逃れるために二度にわたり戸籍を入れ替える。
彼の正体を調べる弁護士は日本に帰化した元在日朝鮮人で、やはりことあるごとにそのレッテルに苦しめられている。彼が死んだ男の身元捜索に入れあげるのはこの共通点があるためで、それは「気がまぎれるんだよ、他人の人生をおいかけてると」という述懐に表れている。
つまり、二人とも「殺人者の子供だったり、在日朝鮮人である」という「本当の自分」に捉われ、苦しんでいるのである。
映画は弁護士の調査過程を通じて、死んだ男の妻や子が彼の経歴を知った後も愛し続ける姿、死んだ男と名前を交換した男の場合は、名前変更後もかつての恋人が自分を思い続けてくれるのに涙する姿、在日朝鮮人を侮蔑する懲役囚の卑劣な姿等を描いていく。それを通じて、「人間の本当の姿」などに捉われていることの愚かさが浮かび上がってくるのである。
事件の終了後、弁護士親子3人はレストランで昼食を摂る。そこで妻のスマホをたまたま見た弁護士の眼に飛び込んできたのは、妻と不倫をしている男のメールだった。しかし、彼は特に何も言わず、スマホを妻に返す。
ラストシーンでは、弁護士がバーで自分の経歴を平然と偽って語る。それはいたずらとは思えず、むしろ意識的に「自分の顔」から離れて生きる方が、人生の困難は乗り切りやすいと言っているように思える。人生哲学たる所以である。
なお、以上のように見てくると、ルネ・マグリット「複製禁止」の絵の解釈も自ずから定まってくる。それは「人間には『本当の顔』などない」という意味に違いない。
妻夫木聡が素晴らしい。
日本映画『ある男』を観た。
原作(平野啓一郎)は未読なので、小説との比較は当然できず、シンプルに1本の映画として観た。
「退屈な日常」が描かれているのかと勝手に予想していたが、その予想は大きく外れて(平野啓一郎がこんなに娯楽性の高いストーリーを紡いでいるとは知らなかった)、物語は(線香のシーンから)一気に不穏でミステリアスになる。
「どうなるねん、この先……?」
と、否応なしに惹き込まれていった。
脚本が自然で、役者陣が皆、達者だから、(非日常的なストーリーなのに)リアリティーは一貫して保たれている。抑制の効いた演出も秀逸。そして何より妻夫木聡の存在感と演技が素晴らしい。
ラストの(『衝撃の』的な)オチは正直どーでもいい。そこへ至る過程の中に、この映画の作り手の真意(差別主義者たちへの怒りと哀しみ)は十分に描かれていたし、きっと平野啓一郎が原作でこの何倍も深く、そこは書き込んでいるのだろう。
生き直したいと望む人の苦悩と希望、その切なる願いを阻まんとするこの社会の浅ましさが描かれた秀作。
誰だったか分かるだけ
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温泉旅館の次男だが家族と折り合いが悪く家を出た・・・
という窪田が宮崎の田舎で林業に就く。でサクラと結婚。
子供もできたが、仕事中に事故死してしまった。
ということでサクラは窪田の実家の旅館に連絡をとった。
で兄がやって来たが、写真を見て、これは別人だと言う。
ということで弁護士の妻夫木が調査を開始する。
で人と人の名前や生い立ちを入れ替える闇の男・柄本に行きつく。
刑務所で面会して話を聞くと、やはり関わってた。
窪田は3人殺した殺人鬼の息子で、プロボクサーだった。
自分の体に父親がいるのを嫌悪し、強烈な自己嫌悪があった。
ボクシングをしてるのも、自分が殴られるためだった。
ボクシングの才能はあったが、ある日自殺未遂し、姿を消す。
その後に温泉旅館の次男と入れ替わり、宮崎へ来たのだった。
こうして一連の調査が終了した時、妻夫木の嫁の不倫が発覚。
妻夫木は何と今度は自分が窪田と入れ替わって別人として生きる。
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劇場で見た。
配偶者が死んでみたら、誰これ?ってなった・・・・
予告編の段階から、こりゃおもしろそうと思ってた。
でも実際見てみると、つまらなくはないのだが、今一つかな。
この男誰?→こんな男でした、って分かるだけやからなあ。
特に伏線回収とか意外なつながりとかもあるわけじゃない。
あるとしたら、妻夫木が窪田に度を過ぎて肩入れしてる件かな。
何でやろ?と思ってたら、結局自分も今の人生に満足してなくて、
何者かと入れ替わって第二の人生を歩みたかったんやな。
自己実現
小説読んだことがあってずっと見たいなって思ってたやつ
分厚い本なだけに要所のシーンだけを集めました!感はあったけど、映像を生かした演出もあって良かった
面会室の手の跡のシーンとかね
血筋に囚われた男達が名前を変え、別の人生を歩む話
子は親を選ぶことは出来ないし、「血筋は争えない」などといった偏見を払拭することも難しい。
「知って思ったけど、過去なんて調べなくてもいいのかもしれませんね」
過去を知っても好きなものは好きだと言い続けられる人間になりたいと思った。
在日を取り扱うテレビの映像が雑すぎて気になった
後、息子が事故現場を見て何も言わないのはどうなんだろう?多少なりともショックはあったはずだが…
幸せのかたち
まず、自分だけのイメージかもしれませんが、安藤サクラさんというと悪役か、個性の強い役が多く「万引き家族」にしても泥臭い感じで、ノーマルな役を見た事がなかったので、普通の主婦の役が新鮮でしたし、さすがの演技力だと思いました。
そこに、いつ出てきても悪人なのか、善人なのか分からない窪田正孝さんのマリアージュは最高でした。
そして大変失礼ながら、見た目はかっこよくても「おもしろい」という作品を見たことがなかった妻夫木聡さんのこれ以上ないと思うほど、はまり役な弁護士。 美しく上品な妻に真木よう子さん。すべてのキャスティングがドンピシャだと思いました。
極悪非道な死刑囚の息子に生まれ、他人の戸籍を手に入れて人生を生き治す窪田正孝さんは、最後に家族に真実を知られてしまうけれど「優しいお父さんで、大好きだった。」と言ってもらえる。
反対に妻や子供に囲まれ裕福に暮らす妻夫木さんは、ある日妻の不貞を知る事となる。
自身の根底には「日系三世」というコンプレックスが根強く存在し続け、だからこそ、妻の不貞にも見て見ぬ振りを貫き通し、今の幸せを手放すまいと固持している。 どちらが幸せなのか? 最後に深く考えさせられた作品でした。
子役の子供の立場になって考えてみる
23.11.30
U-NEXTにて鑑賞
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自分の人生を自由に生きるため、
所謂黒歴史的な過去を塗り替えるため、
人は名前を変えることで、
新たな人生を手に入れられるのではという物語と、
私は解釈した。
不思議な感覚になる挿入音や、シーンの切り替え方が印象的だった。
ストーリー性があり、トントン拍子に物語が進むため、
観ていても飽きがこなかった。
たまにモゴモゴしてて聞き取れないところもあったものの、キャストの演技が自然過ぎて見入ってしまった。
ただ疑問に思うところとしては、3点。
母親がなぜ再婚相手のことをあそこまで知らないのか。
再婚する際になぜ相手の身元調査をしなかったのか。
なぜ何も知らないのに再婚したのか。
真面目に捉えると上記のような疑問が湧いてくるが、
一つの作品として成り立っていることを考えると、
その辺は目を伏せるべきなのかとは思う。
しかし、子役の子供の立場になって考えてみると、
正直、何も知らない相手と再婚する母親大丈夫か?と、
ならざるを得ない気がしてならない。
また、囚人である小見浦の発言で、
小見浦本人かどうかなぜわかるんだとあったが、
面会時点で小見浦の名前を伝えているのだから、
小見浦本人に案内するはず。
(実は小見浦も名前を変えて小見浦になりすましていた、
という解釈をしたほうがいいのか?)
そして終盤の曽根崎からの注意勧告メッセージだが、
最終的にミスズと谷口本人が出逢えていることに違和感があった。
何のための曽根崎からの注意勧告メッセージだったのか?
話をまとめようと雑にしただけなのか…?
疑問がいくつか残る一作となったため、☆-3.0。
ただ、とても見応えのある映画だった。
窪田正孝の存在感
窪田正孝が主演の映画は初めての鑑賞だったので、静かな佇まいから醸し出されるオーラに感服しました。
天才女優・安藤サクラさんと並んでも引けを取らない素晴らしい演技でした。
それにしても、安藤サクラさんはシングルマザー役が似合うなぁ…。
「X」こと原誠は、自分をロンダリングしたからこそ新しく幸せな人生を生き直せた。
最後の妻夫木くんのバーでの語りは、原誠のような生き方を羨ましく思うからこそだったんだろうなぁ。
妻夫木家のチグハグした空気感を醸し出すのに、真木よう子の棒演技が貢献していました(笑)
今ひとつ共感できなかった気がする
この映画はミステリーというよりは、ヒューマンドラマだ。前半の展開は、どうなっていくのか読めなくて,引き込まれた。
ただ,正直,そここまで自分の出自を隠したい、そこから脱して違う人生を生きたいという強い思いにあまり共感できなかった。そして,そんな立場で結婚して子供を作るのもどうなんだろう。あんなに早く亡くなるとは当然思っていないので、そのまま隠していけると思ってたのか。
彼にとっては,生まれ変わって幸せな数年だったろうけれど、残された妻と子供はどうなんだろうと思ってしまった。
深く、重い
なんとも重い映画。複雑な戸籍の入れ替え。それぞれの人生が複雑に絡み合う。
谷口大祐は子持ちの里枝と結婚して子供も産まれて幸せに暮らしていたが仕事中の事故で死亡。(彼は人生の中で里枝達家族と暮らしたこの数年は幸せだったんだろう。)1年後に疎遠だった兄が来て、別人格とわかる。妻や子供からしたらショックだ。そこから調査を依頼して徐々に明らかになる真実。大祐は父親が殺人鬼で死刑囚。施設に預けられ、母方の姓に名を変えてもやはり周りには知られて差別を受け続けてきた。子供には罪もなく、つらい思いをしてきたのに世間は容赦ない。さぞつらい人生だっただろう。そりゃ名前も人生も変えたくなるよね。でも誠は顔まで父親にソックリで、鏡に映った自分を見るのもつらい。大祐ととなって里枝と一緒にいる時でもふとガラスに映った自分に怯える。まことの場合、整形した方が解決したかも。
まず誠は曽根崎という男になり変わったが、この曽根崎の人物像が判らず、本物の曽根崎はどうなったのか、殺人犯の息子の戸籍を手に入れたのか?死んでいるのか?そこも描かれているとよかった。本物の谷口大祐が自分の戸籍を変えてまでいやだったのは実家との確執だけだったのか?本物の大祐の心情ももう少し知りたかった。欲を言えば柄本明演ずる戸籍の仲介役とのやり取りもあると良かったのに。でもそこまで描いたら映画の枠では収まらないか、、、。
大祐たちの物語でも重いけど、この映画の面白いところはやはり主人公の城戸が在日3世であることの差別や妻との関係に悩みつつ、徐々に誠を理解し、同化していく様子。
ラスト、初めて会った男性に自分が谷口大祐であるような会話。恐ろしくもあり、悲しくもあり。顔の映らない男の後ろ姿の絵画を見つめる城戸の背中で終わる。それが冒頭の場面でもあるところが、とてもお上手な演出。
コレは原作を読んでみないとなあ。
本当のことを明かさない
もし、原誠が山で命を落とさなければ、今も
家族みんなで仲良く幸せに生活していただろう。原誠はもちろん、妻の里枝、息子の祐一、花、欠けていたものが埋められて充足した日々を送っていただろうに、な、と思う。
正真正銘凶悪犯の父親とは、似ても似つかぬ、
誠実で心優しい息子であるが故に、死刑囚の息子という事実を受け入れ難く、精神面のひ弱さも相まって心身共に弱まり、生活の場から姿を消し、非合法的に名前を変えて新生活を切り拓こうとした。
原誠が所属するボクシングジムの会長や同僚は、好意的に接し、出自を聞いても、親とは別人だと言ってくれる。
にもかかわらず、自殺行為をした末に飛び出して行く。
ジムの会長と養子縁組をして戸籍上も正式に苗字を変え、顔か気になるなら、整形しても良かった。
道は色々考えられたのである。
田所祐一の動機には納得いかない。
実兄が嫌なら、縁を切り、家を出て別に暮らせばいいのにと思うが、名前を変える相手として必要であったかと思うが、原に比べて理由が弱い。
本作タイトル『ある男』には、城戸弁護士も含まれる、と思った。
在日朝鮮人3世であり、裕福な家の女性を妻にしている。
詐欺で服役中の小見浦に、見抜かれ動揺する様や、TVで、在日朝鮮人へのヘイトスピーチの集会を観て苦虫を噛み潰したような様子には、
日本人であって日本人でないというわだかまりがしつこく付きまとい悩ませていることが窺える。
妻の不倫相手の存在を知っても知らないふりをして、今の生活を壊さない。
在日3世から帰化した身であることを知りながら、日本人の婿として受け入れてくれているからだ。だから、手放したくないのだ。
城戸の親や親族が全く描かれないのも、帰化と共に絶縁したのかと考えられる。
バーで会った初対面の男に言っている内容は、
原誠が、田口祐一に名を変え宮崎に来て里枝と知り合い、祐一の下に花ができ家族四人幸せに生きている様を自分のことのように話しているのだ。
<疑問に思うこと>
①離婚調停をしてもらったからと言って、横浜から宮崎まで呼ぶかなぁ。引き受ける方も。
②迎えに来た里枝の車中での会話、偽田所祐一について依頼する際、里枝との関係を話す筈。なのに話していなかった。
⓷②の車中、ハンドルを握っていた里枝の左手薬指の結婚指輪が長く映されていた。なぜか?
④城戸の義両親、皮肉に満ちながら、結婚を許した。城戸の妻に結婚前に何か瑕疵があり、城戸が結婚してくれて安堵しているのでは?
例えば、結婚できない男性の子を懐妊していたとか。
⑤自由奔放な城戸の妻、城戸が子供は可愛がるか、妻を相手にしないので夜遊び、不倫してまた懐妊。2人とも実子ではない。
ラストが素晴らしい
ラストの主人公のセリフ「僕は」
で映画が終わり画面が真っ暗になるのが非常に素晴らしいです
あのラストにこの映画の全てが詰まっています。
原作を先に読んでいたのですが、あの長い小説をよくここまで綺麗にまとめて一本の映画に仕上げたのに感激しました。
映画のラストでは小説にはない「ある絵」が画面いっぱいに登場しますが、それもまた素晴らしい…
あなたは、あなた自身は、自分を名乗れますか…?
“別人ミステリー”は映画の題材でよくあるっちゃあある。
本作も話の入りとしては奇妙ながら実に興味惹かれる。
死んだ夫は別人だった。調査する内に明らかになっていく事実…。
謎が散りばめられ、少しずつ少しずつ事実に迫っていくミステリー仕立ての語りは最後まで目を離せない。
だが本作は、単なるミステリーだけに収まらない。
そこにいる人は本当にその人ですか? あなたは何者ですか? あなた自身は何者ですか?
ミステリアスで意味深で暗示めいたものを問い掛けていく。
加えて、差別や偏見、逃れたくても逃れられない自身の出生、何故別人として生きざるを得なかったのか、戸籍を巡る社会の闇、家族や夫婦の関係、幸せと不和…様々なテーマに斬り込んでいく。
エンタメ性と社会的メッセージ性と芸術性の見事な調和。
石川慶監督の一つ一つの緻密で深い演出、向井康介の巧みな脚本、キャストたちの名アンサンブル熱演。
昨年を代表する邦画の一本に偽りナシ。
ズバリ本作は、戸籍交換を題材にした作品。
ネットでちょっと検索しただけでも、戸籍交換に関する様々な項目が出てくるほど。
実際にそれがあり、実際にそれを請け負う仲介人もいる。
衝撃的でもあるが、私も戸籍で驚いた事がある。と言っても自分自身の事ではないが、
劇中で柄本明演じるかつて戸籍売買の仲介をしていた不穏な老人の台詞。“300年生きた人がいる”。
これを聞いた時、ピンときた。もう何年も前のニュースで、死亡届が出されず戸籍上生きている人がいるという。それも一人二人じゃない。把握出来ないくらい。
戸籍なんて言うと絶対的な自分の証明…と一見思う。が、実際は、どうとでも偽れる。
戸籍さえ名乗れば(偽っても)、相手はそう自分を見てくれる。
これ以上ない隠れ蓑。犯罪者にとっては。
戸籍を偽るのが全て犯罪者とは限らない。どうしても戸籍を偽らなければならない、そういった事情や人生に置かれた人も…。本当の自分を捨ててまで…。
窪田正孝演じる男がそれだ。
劇中と同じく、“X”と呼称しよう。
“X”は“谷口大祐”と名乗り、安藤サクラ演じる宮崎の片田舎町で文房具屋を営む里枝と出会い、やがて結婚。幸せな日々は4年と続かず、“X”は仕事中不慮の事故で死亡。“谷口大祐”の兄が一年後の法要に訪れるのだが、その時初めて全くの別人である事が発覚。死んだ夫は誰…? 里枝は離婚調停で世話になった弁護士・城戸に依頼。戸籍仲介人やある絵画展からようやく本物の“X”と彼の歩んできた人生に辿り着く…。
“X”の本名は“小林誠”。誠はどうしてもこの名前を捨てたかった。誠の父親は、凄惨な殺人事件を犯した犯罪者。犯罪者の息子。誠がどんなに偏見の目に晒されてきたか。
母親の旧姓で“原誠”へ。この頃誠はボクサーとなっていた。才能を開花させ、新人王も期待されていたが、何処の誰かが誠の出生を知る。逃げても逃げても、過去から逃れられない。
逃れられないのなら、別人になるしかない。そうして仲介人を通じて別人の戸籍を手に入れる。
最初は“曽根崎義彦”。そして“谷口大祐”。
“谷口大祐”としてようやく人並みの幸せを手に入れた矢先…。
“X”こと誠の人生は悲痛だ。何も自分自身に罪がある訳ではないのに、出生と名前のせいで…。
彼が車の窓ガラスに映った自分の顔を見た時、彼がボクシングを始めた理由、ロードワーク中の苦悶、“うっかり落ちた”はその苦しみ悲しみの表れ。
本作での戸籍交換は違法であろう。そもそも戸籍を交換する事自体、良し悪しは難しい所。
が、誠は戸籍を変えた事によって少なからず救われたと言えよう。ボクシングジムや林業の人たちにも好かれ、何より里枝と出会った事。里枝は前の夫との間に息子・悠人がおり、悠人も誠に懐いている。新たに娘も産まれた。
事実を全て知って、里枝たちは誠に嫌悪を抱いたか…? 否。
父親としての大祐が優しかったのは、自分が父親にそうして貰いたかったからなのか。そうであり、純粋に悠人の事が息子として好きだったから。
終盤での里枝の台詞。本当の戸籍など知る必要なかった。この町で彼と出会って、好きになって、4年にも満たないが幸せな家庭を築いた。それが全て。
この言葉に、誠の人生は報われたと言えよう。
里枝自身も離婚や亡くしたもう一人の息子の悲しみから救われたと言えよう。
あなたの目の前にいるその人は、愛した人自身なのだから。
この非常に難しい役所を、窪田正孝が素晴らしく演じ切った。
安藤サクラもいつもながらの名演、好助演。
本作は平野啓一郎によるベストセラー小説が原作。原作では微かな希望や幸せを感じさせる終わりだとか。
が、映画は違う。映画は何とも人の心の闇や意味深な含みを持たせた終わり方。
それを表すのが、妻夫木聡演じる弁護士の城戸。
城戸は人権派の弁護士で有能。
横浜の高級マンションで、美しい妻、幼い息子と満ち足りた上流暮らし。
全てが完璧のように思えるが、彼にも“陰”が時折覆う。
ズバリ、城戸は在日朝鮮人の三世。
義父母との会食でもそれを。別に差別的な意味合いはないだろうが、三世だからもうすっかり日本人…それは裏返せば差別そのものだ。
戸籍仲介人からは直球で“在日”と呼ばれる。侮辱される。三世でどんなに血が薄くとも、在日は在日。それを隠しおおせるものかとでも突き付けるかのように。(柄本明、さすがの怪演!)
調査の過程であるスナックでマスターの北朝鮮による日本人拉致陰謀論。
TVのニュースで報じられるヘイトスピーチ。
それらが少しずつ少しずつ、城戸の心を蝕んでいく。思えばこの件に携わってから、自身のアイデンティティーに直面する。
戸籍を偽って別人になるは、在日である事に触れさせず日本人で居続ける事に何か通じるとでも言うのか…?
“谷口大祐”の兄。ちょいちょい相手を侮蔑する事を言う。“本物の谷口大祐”が嫌になって縁を切りたかったのも分かるような…。
里枝と谷口兄を呼んで調査報告の場。“X”が犯罪者の息子と知るや否や、谷口兄は「犯罪者の息子は犯罪者の息子」と侮蔑。それに対し城戸は冷静にしつつも調査ファイルを机に叩き付ける。
城戸にはこう聞こえたのかもしれない。“在日の息子は在日の息子”。
生涯、在日として差別偏見に晒されなければならないのか。それも直球ではなく、うっすら陰ながら。時にそれは面と向かって差別されるより突き刺さる。
殊に日本人は差別や偏見に対して愚かで鈍感だ。性差別、人種差別、ジェンダー差別…それらへの見方があまりにも薄く、問題になる事もしばしば。
城戸が差別偏見に対して向き合い、己や周囲との関係が変わっていく…のならまだいいのだが、城戸は違う。
表面に出さない。が、怒りや憎しみを穏やかな顔の下に煮えたぎらせている。周囲だけじゃなく、それは在日である自分に対しても。
本作では戸籍仲介人や谷口兄など差別的な人物が登場するが、城戸が時折見せる“闇”はそのどれよりも深刻だ。いや、誰よりもヒヤリとさせるほど。
抑えながらも複雑な内面を含んだ役所を、妻夫木聡も見事に演じている。
ラスト、調査も終わり、城戸もまた家族との穏やかな生活に戻ったかに思えた。
ある時城戸は知ってしまう。たまたま操作した妻のLINEから妻が浮気している事を…。
妻を問い詰める事無く、何も見てないと平静を装う。また無理矢理自分を抑え込んで、偽りの顔を浮かべて。
ラストシーンが印象的。あるバーで、一人の男と話しているのは、城戸だ。
城戸は自分の事を話す。しかしそれは本来の自分の人生ではなく、“谷口大祐”としての“X”の人生を。それを自分の人生として。
差別偏見に晒され、妻にも裏切られ、城戸は自分と同じようでありながら最後は幸せな人生を歩んだ“X”の人生を欲したのだろうか…?
いや、別人になりたかったのは自分だったのだ。
開幕とこのラストシーンに登場する一枚の絵画。ルネ・マグリットの有名な絵画だという。
この絵画、何とも奇妙だ。一人の男が鏡で自分を見ているのだが、その鏡に写っているのは自分の後ろ姿。普通に考えれば変だ。
この絵画は『複製禁止』と言い、別人となり別の人生を複写した本作を表しているという。
それに自分を重ねる城戸。
別の人生、別の自分。
名を訊ねられ、答える寸前で映画は幕を閉じる。
城戸は“誰”と答えたのか…?
同時にそれは、我々に問い掛ける。
あなたは偽りなく、“自分”を名乗れますか…?
名前と自分と
名前を変えた夫と結婚する時、家族同士の顔合わせとか本籍の住民票とかいろいろどしたの???と突っ込みたいところはあったものの、その辺もうまーいことやれる人が本当にいるんだろうな。
自分の知人がほんとうにその人なのかは、私には永遠にわからないのだ。
前半は安藤サクラ、中盤は窪田正孝、後半は妻夫木聡の主人公が変わっていくタイプの流れ。
イケメン弁護士で逆玉に乗った妻夫木だって美人妻に浮気されて最後は谷口を名乗ってバーで自分じゃない人生を演じる。誰だって自分以外になりたい時があるよね。
自分が誰であるかなんて超フワフワだってことは、結婚して苗字を変えるタイミングで痛感した。
私が私であることは私だけが知っていることで、私の嘘も私の秘密も、私しか知らない。
社会性とエンタメミステリーの見事な両立
最初の絵のワンショットから、最後の終わり方まで見事な出来だった。
平野啓一郎を知っていたら、わかりやすいテーマであるし、物語と見事にマッチしている。
また、直接的に表現するわけでもなく、比喩なども、うまく使いながらの、バランスもいい。
感動を呼ぶ展開みたいな売り方をしていたが、その部分は正直盛り過ぎだとは思った。それを引いても面白いのだが。
絵に関しては、最初は、在日韓国人→帰化した2人分。最後には戸籍を変えて3人目。これをパンフレットの表紙にして絵画調にしているのもセンスいい。
それにしても、ラスト前の浮気シーン、平和な食事シーンなのに、このままでは終わらないという空気感にハラハラドキドキして、とても怖かったのが印象的だった。作品全体が作ってきた流れが凝縮されているとも感じる。
2023年劇場鑑賞70本目
全てが「ちょうどいい」作品
サスペンスがほどよく混ざっている物語、
俳優の演技もよく各伏線の収束もよかった。
ただテーマはいかにもシンプルなモノ:
アイデンティティー
物語自体はあまりにも典型的というか
どの映画でも扱いそうで扱ってないかもしれないパターンが多い。
・正体不明の身内
・自身にも問題だらけの事件の追手
・それなり問題になる社会背景
に加えて、
・観客の視線を支えてきた追手の変異
→ゾクっとして終わり
全て完璧なのに
観終わって、、、大したモノ観てない気がする。
型にはまったという少々嫌な後味。
その全てが丸く収まったとう有り難さに★★★★
心が震えた
自分に流れている血を抱きながら、
成りたい自分を生きる。
妹が大きくなったら、どんな言葉で伝えるのだろう。
寂しいね、と涙するお兄ちゃんは、とても複雑な生い立ちを背負ってしまったが、
優しいこの子はお母さんの支えとなり、いい青年に成長するだろう、、して欲しい。
演者も素晴らしいし、テーマソングが無いのも良い。
逃れられない血を抱えて生きる。
ずんと心に重しが残った作品でした。
柄本明の大阪弁の闇
映画のストーリーは淡々と真実に迫っていく
抑制の効いた俳優たちの演技もそれと相まってこの映画のトーンをつくっている
ラストの展開も観客の期待を裏切らない
でもそれだけならある意味平凡な映画だ
この映画に深みを与えているのは柄本明の大阪弁であると感じた
関西の人には違和感を与えるエセ大阪弁を操って、(レクター教授ほどではないが)闇への入口を体現している
彼の視点からは、自分の人生や彼の手により他人の人生を生きようとする人々はどう見えているのだろう?
それは人間の存在としてありうべきものなのだろうか?
そこで感じる幸福は本当の幸福と言えるのだろうか?
そこにこの映画の本当の問いがあるように感じました
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あとは小籔さんの存在がなんか深いわー
彼にも賞をあげてほしい笑
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