川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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映画だから笑いながら観ていたが、隣人があんな人間だとかなり鬱陶しい...
映画だから笑いながら観ていたが、隣人があんな人間だとかなり鬱陶しい。
周囲の人たちもそれぞれ個性的ながら、悪い人間が誰もいないので安心して観ていられる。
特に社長は相当に良い人。
ラストの葬式シーンはかなりシュールで最後まで退屈しなかった。
荻上直子監督なりの死生観
監督と脚本は『バーバー吉野 』『恋は五・七・五!』『かもめ食堂』の 荻上直子
前科者の山田はほぼ無一文で富山に引っ越してきた
イカの塩辛を扱う沢田水産工業に就職した山田は社長の紹介で平屋建てのアパートが立ち並ぶハイツムコリッタに住み始める
ある日市役所から父が亡くなったことを知らされる
両親の離婚で4歳のときに生き別れた父はアパートで孤独死で夏の盛りで腐っていた
山田は渋々だが仕方がなく父の遺骨を受け取った
荻上直子監督らしいほのぼのとした視点で死を見つめている作品
豪華な顔ぶれ
満島ひかりと松山ケンイチとムロツヨシと吉岡秀隆の並びに邦画ファンなら観たくなるはず
いかにもウマ娘が好きそうなアニメ原理主義者を除いて
薬師丸ひろ子なんて声の出演だけだし田中美佐子に至ってはほんのワンシーンのちょこっとだけ
溝口親子がいい味出している
久々に墓が売れて溝口親子が豪勢にすき焼きを食べようとしてると島田山田南が次々上がり込んですき焼きパーティーになるシーン好き
堤下に説明を受け父が最期に住んでいたアパートの一室を土手の上で見つめる山田を演じた松山ケンイチの表情が好き
南が夫の遺骨を口に入れるのはまだいいんだけどそれ以外はちょっと・・・
南が山田を慰めるシーンにジーンときた
最後の坊主を先頭に粉砕した遺骨を撒く葬式パレードのシーン大好き
髪型を変えると人の印象は変わる
当初は黒田大輔と気づかなかったがよく観たら黒田大輔だった
役作りで丸めたんだろうな
荻上直子監督作品といえば小林聡美とかもたいまさこだけどそれはもう昔の話だね
配役
引っ越し沢田水産工業で働き始めたハイツムコリッタの住人の山田たけしに松山ケンイチ
ハイツムコリッタで山田の隣に住んでいる図々しいミニマリスト島田幸三にムロツヨシ
5年前に夫を癌で喪くし女手一つで娘を育てるためハイツムコリッタの大家として生計を立てている南詩織に満島ひかり
沢田水産工業で働くベテラン社員で余計なこと言わない中島に江口のりこ
山田の父の遺骨を手渡した担当の市役所社会福祉課職員の堤下靖男に柄本佑
丘の上の大きなお屋敷に住み犬を溺愛している大橋に田中美佐子
島田の幼馴染で坊主のガンちゃんに黒田大輔
命の電話相談員に薬師丸ひろ子
タクシーの運転手に笹野高史
イカの塩辛を製造している沢田水産工業社長沢田に緒形直人
幼い息子と2人で墓石の訪問販売をしている溝口健一に吉岡秀隆
まったりと流れる時間の中で…
ほんの短い間(ムコリッタ)の幸せでも、それを大切に噛みしめながら生きることが大事だよ…そんなメッセージの作品だったでしょうか。
こういう「時間の流れのまったりさ」というのは、荻上直子監督の作品に通底する雰囲気だったかも知れません。
「川っぺり」は、増水すれば、たちまち危殆に瀕してしまうような、ひとときの脆い(不安定な)安逸の意味だったのでしょうか。
とかく気忙しかったり、過去や将来に不安を抱えたままになりがちな昨今ですが、肩に力がはいってしまったり、奥歯の噛み締めがきつくなったりしたときには「本作のような幸せ・満足を思い出せ」という監督からのメッセージだったのかも知れません。
良い作品ではあったと思います。評論子は。
(追記)
遺骨をそのまま捨てると犯罪だが、粉々にすると違法ではなくなるというのは、「自然葬(散骨)」のことでしょうか。
確かに、墓地への埋葬でなくても、節度をもって行う上では、法律違反にはならないというのが、厚労省筋の見解であったと思います。評論子も。
難しい、簡単じゃない。
タイトルから単純に軽めの作品かと思って観たら、
「生」といろいろな「死」との関係も
描かれていて、とても難しい作品でした。
でも観て良かった作品です。
中でも印象に残っているシーンが
松山ケンイチさんが電話ボックスで嗚咽するシーン。
とてもショックで、凄いシーンでした。
平凡 日常を臨んで何が悪い
普通に過ごして何が悪い。田舎に暮らしてご飯を炊いてお風呂に入って牛乳飲んで炊けた米見て幸せ感じる。こんな平凡で何もないそんな生活でも幸せじゃーないですか(*˘︶˘*).。.:*♡そこに愛が無かろうと飯が不味くなること無いし幸せが逃げることだってない。普通に仕事して普通に家に帰る。隣の島田さんが上がり込んでお風呂入って炊飯器開けてご飯よそって一緒に食べるこれもまた幸せな事一緒にご飯を食べることがどれだけ幸せか。改めて考え直されそしてほんわかする映画それが川っペリムコリッタ人は死ねばその後の金がいくらやらそんなん考えるだけで腹が減る。
葬式・火葬に墓石に・・・金がかかりゃー飯が不味くなる。人には人の人生が自分には自分の気持ちが、
そんなポカポカな気持ちになりました。
そんでムコリッタってなんだろな🤔笑
なんだろう。ほんわかな気持ちになる。
隣人との温かな触れ合いに、前科者で孤独だった山田とともに、私の心がほぐれていくのだ。
ムロツヨシ演じる島田が良い味を出している!毎日、風呂を借りに来て、勝手に冷蔵庫のビールを飲み、ごはんを食べる。ズケズケと遠慮のない彼に最初こそ、疎ましく思う山田だったが、次第に心を開いていく。
山田の表情もいい!松ケンは、やはり演技が上手いなぁと思う。節目がちな目とギュッと結んだ口に、どこか人に心を許さず、殻に閉じこもっている孤独な雰囲気が醸し出す。そんな彼が島田や南さんにクスリと笑い、心を開いていく様子が素晴らしい!
そして、ご飯を貪り食うシーンには「生」を感じる!給料日に稼いだ金で買った米。炊き立てのごはんの良い香りが、ここまで感じられる!
「僕はお金がありませーん」と皆ですき焼きを食べるシーンも好き!家族でなくとも、みんな団欒で食べる食事は、一際美味しい!
生活の中に、小さな幸せが転がっていることを気づかせられる、素敵なムービーに出会えました!
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆、江口のりこ、北村光...
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆、江口のりこ、北村光授、松島羽那、柄本佑、田中美佐子、薬師丸ひろ子、笹野高史、緒形直人
キャストを見て、視聴したいと思った。号泣できると思って、準備した。
で、松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかりは主役級
吉岡はそれを支えて
江口はひよっとして?柄本はさっきの?田中美佐子は記憶にない。笹野は発見!薬師丸?
大号泣というよりは、ほっこりできる優しい映画でした。
死と向き合う映画
塩辛工場で働くことになった訳ありそうな山田が、ハイツムコリッタに入居するところから始まる静かな映画。
ほとんど知らない父の死を知り、そこからアパートの住人の死生観を通じて父の死に向き合っていく。アパートの隣人、島田が本当にそのままムロツヨシじゃないかと思うぐらいムロツヨシっぽい。
微量のファンタジーが独特の世界観を作っているが、それが自分には合わなかった。もっとファンタジーに振って強いオチを作るか、リアリティを出して絶望させてほしかった。
この世界観が好きな人なら。
すさまじいまでのクサさ
けなしていますのでスキップしてください。
──
出演者が並んで立っているプロモーションスナップ/イメージってやたら使われてねえか?
意識高い系のアート映画によくあって、たとえば「愛の小さな歴史」と「お盆の弟」ではどちらも光石研が直立し面と向かっている。
おそらくしっかり探したら(出演者が並んで直立している)同タイプの映画プロモーション用イメージがさらに見つかるだろう。
日本映画が外国映画に劣るかどうかはともかく、日本の商業/工業デザインが外国に劣るのは間違いない。
じぶんのような素人でもそれは明言できる。
たとえばYouTubeやTiktokを見ていても日本の動画よりも外国の動画のほうがセンスがいい。漠然としたことだが、このての肌感は絶対的だ。
マックスモンアムール(1986)という映画がある。監督は大島渚だがフランス映画。
人間の女とチンパンジーの恋愛を描いている──にもかかわらずゲテモノにもコメディにも陳腐化しなかったのはイメージ形成に才知があったからだ。もし日本映画だったら獣姦映画に零落していたことだろう。
概してヨーロッパの映画ポスターはアーティステックで、時として映画本体よりも完成されている。
YouTubeにTHE FIRST TAKEというゆうめいな生歌サイトがある。
個人的にそのサムネを見るたび、日本の商業/工業デザインに形骸性を感じる。
すべてが無地背景にヴィヴィッドな色帯をあしらった(わかったふうな)ミニマルデザイン。その安っぽい意匠にまとわりつく謎の自負。ぜんぜん聴く気にならない。
おうおうにして日本のデザインはおしゃれでしょ──という権威やスノビズムに置き換わってしまう。
さて「川っぺりムコリッタ」のプロモーション用イメージ/サムネも出演者が並んで直立して面と向かっている画で、見る前から腹八分目だった。
並んで立っている画がよく使われているにもかかわらず使ってくることでマーケティング担当者の発想が貧困なのは明白だろう。
この腹八分目を憶えておき、出演者が直立してこっち向いている画──から想定できるような映画だったのか、そうでなかったのかを見た後で比べてみたが、まさに、出演者が直立してこっち向いている画──のような映画だった。
いや、予想をはるかに上回る「かわいそうの舒懐」映画だった。
──
どこの自治体だったか新型コロナウィルスでうちひしがれた人々の心をすこしでも元気づけてあげたいという目的で花火を打ち上げた──というニュースを見たことがある。
エモーショナルな行為だ。なんの意味もない──と(わたしは)思った。
わたしにとって川っぺりムコリッタはそれ──新型コロナウィルス禍下であがった花火のような謎の情熱だった。orウクライナに送られた千羽鶴のような手前味噌な善意だった。orなぜか走る24時間番組のオートマチック感動演出だった。
こうやって所出根拠もなく世界が厚情に彩られているという話にはヘドが出るし、よしんばそれを許容したとしても、猛烈な青さを匂わせるペーソスは消化しようがない。いまだかつて見たことがないほど強烈な「泣いた赤鬼」風感傷に文字どおり鳥肌が立った。
なんなんだこの吐き気をもよおす善人どもは???だいじょうぶですか???
──
罪を犯して荒んだ気分の青年が、回りの人たちの良心に浴して、しだいに心を恢復していく──というよくある設定の話。
主人公ヤマダ(松山ケンイチ)にからむ隣人/大家/社長ら全員が無償の愛を提供し、サステイナブルな小さな幸せを実践している。かつ、それぞれが「映え」のある傷を持っている。
社長(緒形直人)はどこまでも純粋で、過介入してくる隣人の島田(ムロツヨシ)は子を失っていて、大家(満島ひかり)も旦那を失っていて、溝口(吉岡秀隆)は墓石がぜんぜん売れない。
そんな、みんないい人──の環境でヤマダはじぶんを見つめ直し、亡くなった父やじぶんを赦すという流れ。その構成じたいに疑問はない。が、なんなんだよこの鼻くそみたいなペーソスの表現方法は。
たとえば島田は虫をころせない。なぜなら幼いころ蜘蛛の糸の話を親にきいたことがあるから。で、そのエピソードをたんたんと話したりする。
また、たとえば雷がダメな島田は嵐の晩に部屋の片隅で悲鳴をあげている。大の大人が。で、ヤマダが九九の七の段を逆さまに唱えると恐怖がきえるとか言う。
あるいはタクシーの運転手(笹野高史)が亡くなった妻の遺骨を花火に仕込んであげたというエピソード話したり、スキヤキに群がったり、死んだ金魚埋めたり、夫の遺骨で自慰してみたり、河原で骨砕いていたり、しまいには遺骨まきながら野辺送りしたり。・・・。
これらがエモーショナルなシークエンスとして提供されてしまうという稚拙さの絶対値。
まがりなりにもこの原作者兼監督は日本をだいひょうする女流映画監督とされている人なんだが、なんども言ってすまないがなんなんだこのうんこみたいなセンスは。すさまじいまでの臭さと衝撃度は佐藤二朗のはるヲうるひとを上回った。
──
海外では女性監督が活躍し新しい人材もつぎつぎに出てくる。
じぶんはセリーヌシアマやナディーンラバキやグレタガーウィグやクロエジャオやエメラルドフェネルやソフィアコッポラやカンピオンやビグロー(などなど)の映画を見たとき、それが日本の監督とおなじ土俵上なのか──ということをしばしば考える。
もちろん答えはいいえだ。日本の映画監督は映画監督の土俵に立脚していないし、そもそも現代社会を見ていない。なにしろ“巨匠”による本作は“21世紀の女の子”ふくだももこのおいしい家族よりもさらに酷かった。
監督はこれを海外のたとえばサンダンスなどに出品する勇気はあるだろうか?それこそ本当の勇気(というか鈍さ)だが、ちゅうちょなく輸出できますか?
仕様上0にできないのを本気で苦々しく思いました。0点。
(余談だが日本映画では左にご飯茶碗、右に味噌汁、それらの上に主菜という定型食卓配置の食事風景が必ず出てくるがそんなことをやっている家庭はめったにない。にもかかわらずそれが定番シーンと化しているのは映画監督というものが世の中を知らないからに他ならない。つくづく悲しくも痛くもない人が悲しさや痛みを描いちゃいけないし、1950年の成瀬巳喜男映画──だというならいざしらず、2021年に、ごはんを炊いてしみじみ食べる描写を小さな幸せだと主張したいなら、映画である必要はまったくない。なんつうかさあ、とりわけ過酷な経験もなくて比較的安定した生活しているひとが、中島みゆきのファイト歌っちゃいけないと思うんだよね。)
(U-Nextで1,500円払って見たので1,500円分の毒を吐かせてもらった次第です。興味深い映画ですので、ぜひみなさんもご覧下さい。)
小さな幸せ…
地元では上映されなかった?
配信にてようやく…
素晴らしい俳優陣。見事な脚本と演出。緩そうで緩くない、かなりの秀作です! 類似テーマの「アイ・アムまきもと」と比較して観ると面白いかも。
40年くらい前の貧乏生活の自分がフラッシュバック。この作品の背景には現実味があり、「日本はこんな国のままでいいのか」と、少し悲しい気持ちになりました。
エンドロールに薬師丸ひろ子さん、どこに? 再度見直して納得…さすがです。
フグ刺し食べたことあるのかな?
取り止めもなく。
松山を最初に知ったのはデスノート。
何と、満島ひかりもデスノート出てたんだ。
キラの妹さんだった。
ミサミサは、戸田恵梨香だったね。
戸田と、ムロさんは、大恋愛で凄くお似合いだった。
ナメクジは、ミギーそっくり。
しかし、かなり豪華な俳優陣だよ。
少し泣いちゃった。
空に帰るのは、金魚でもあり、イカでもある。
とても素晴らしく、心に感じるものが多い映画でした。 松山ケンイチさ...
とても素晴らしく、心に感じるものが多い映画でした。
松山ケンイチさん演じる主人公の山田は、北陸の田舎の塩辛工場で働き始め、その会社が提供する寮に引っ越して住み始める中、突然隣人が遠慮なしに風呂を借りに押しかけようとしてきて。
癖のある人たちが住むハイツムコリッタ荘の人たちの交流から、現在社会の抱えるシリアスな問題をとても丁寧に描いていて、人の生き方や死について考えさせられる内容でした。
山田の慎ましくもとても美味しそうにご飯を食べるシーンはとてもよかったです。
じんわりといい映画
最愛の夫を亡くした後、色々と葛藤があったからこそ説得力を持つ、幸せを感じていいんだよという言葉。
ただ一緒にいるだけで幸せな気持ちにしてくれる人、小さな幸せをみつけるのが上手い人、でもそれはそうしないと生きていけないからこそ彼が身につけたものかもしれないけれど。
そんな切ない理由でも、彼に身についたキャラクターによってまわりの人を幸せな気持ちにさせるなんて、すごく希望のあるお話だなあと思った。
もっとシンプルに生きてもいいかもと思わせてくれた。
日常では、ついあれもこれもしなきゃと思うけれど、ただ働き、ごはんをつくり、風呂に入り、人と食べ、時々土いじりや、周りの人と関わる。そんな暮らし。
仕事のことや、あれこれ悩めるのは余力がある証拠かもしれない。でも、なにが一番大切か見極めて時間や心の使い方を考えたいなあと思った。
長く続けた人にしかわからないものがある、というセリフにドキッとした。つい、自分の仕事に意味なんてあるのか、と考えて無な気持ちになることがあるけれど、それでも続けた人にしかわからない心境があるのかもしれないと思った。
そして、悩んで頭ばっかり使わず、手を動かしなさいというセリフもグッときた。
どういう人と巡り合うかってすごく大切だなあと改めて思った。
何とかなる
田舎での生活をコメディタッチで送る映画、
と思いきや、登場人物たちは皆、それぞれ心に辛い過去を抱えていて。
過去に失敗したことや、辛いことがあっても
人生に絶望するようなことがあっても、
何とかなると、伝えてくれた映画。
日々の生活を大切にして、小さな幸せを
実感すること。大事ですね。
観終わった後に、白米と味噌汁と
きゅうりが食べたくなった笑
誰もが過去と葛藤しながら生きてる。
出演者それぞれに色んな過去を抱え、その葛藤と戦いながらも懸命に生きている。
ひとりでは生きていけない、誰かの世話になり、誰かの世話をし持ちつ持たれつ生きていく。
ムロツヨシと松山ケンイチとのやり取りは面白い。
結局、人との関わりがあるからこそ楽しく生きていけるという映画。
一方では孤独死の多いこの時代について考えさせられる。
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