林檎とポラロイドのレビュー・感想・評価
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自分を作っているものは記憶の集積なのか?
ケイト・ブランシェットが惚れ込んだというギリシャ人監督のデビュー作。まるで疫病のように突然記憶喪失になる病が流行する世界。ひとりの男が保護され、身元不明の記憶喪失者として、自分の人生をやり直すプロジェクトに参加する。自転車に乗る、ハメを外して踊る、高いところから飛び降りる、などなど、次々と課せられるミッションは時に奇妙に映るが、人生なんて筋が通ったものではなく、果たして自分の人生はなにをもって定義されているんだろうかと、根源的な疑問が湧いてくる。しかし、次第にこの物語が描く本筋はそこではないと気付かされる語り口の鮮やかさ。思い返せばヒントはあちらこちらにあったのにと、気持ちよく作り手に転がされる。そして、それでもなお、自分に置き換えることのできる普遍的な悲しみを描いていたこの作品を、好きにならずにいられないのである。
ギリシアから届いた不思議な肌触りの物語
ギリシアから不思議な肌触りの映画が届いた。鑑賞中はどこか飄々としたトーンで物語が展開し、その語り口に思わず口元が緩んでしまう人も多いだろう。ただし、本作の描く状況は極めて特殊なものだ。舞台となるのは、記憶を失う奇病が蔓延する世界。日々多くの患者が身元不明となって保護され、記憶が戻らない人のために新たな生活をスタートさせるための訓練プログラムさえ用意されている。主人公のヒゲモジャな中年男性もまた突如として記憶喪失を発症し、このプログラムを受講することになるのだが・・・。序盤では、記憶を失った者たちが人との距離感や関係性の構築を学んでステップアップしていく姿に主軸が置かれているように思えるのだが、最後まで見通すと印象が大きく変わる。あまり説明的な描写がなく、サイレント映画のように動作だけで理解しうる場面が多いのも特徴的。これが長篇デビューとなるニク監督がいかにキャリアを築いていくのか楽しみだ。
物静かで地味なギリシャ映画
ケイト・ブランシェットが絶賛した映画ということで鑑賞。
ケイト・ブランシェットがヴェネチア国際映画祭の審査員長をしていた時にたまたま他の会場で観た本作に惚れ込んだようだ、クリストス・ニク監督はギリシャの女性監督でケイト・ブランシェットとも意気投合したようで彼女主演での映画作りにも乗り気の様ですと。
テーマは自分探しでしょうかね、コロナほどのパンデミックではないが突然記憶を失う奇病が蔓延、中年男性のアリスはアパートで独り暮らし、妻を亡くしたようだ。記憶を亡くして施設でリハビリに努めるが身よりはおらず手掛かりはつかめないまま、仕方なく医師団の指示通り自転車に乗ったりホラー映画を観たり仮装パーティに出席など繰り返す。タイトルのリンゴは主人公の大好物、いつも食べています、原題のMilaもギリシャ語でリンゴのこと、ポラロイドは体験学習の証拠として医師から撮るように言われただけ、あまりタイトルとしての意味はありませんね。
もし自分が彼の立場に陥ったらどうするだろうかの興味が無い訳ではないが延々、記憶探しの長旅に付き合わされるので退屈、こんな課題クリアで記憶は戻るのかと大いに疑問でしたが葬儀に参加したことで妻の墓参りの帰路に記憶喪失になったことを思い出したので効果はあったようです。まあ、物静かで地味なギリシャ映画でした。
思考に浸れる映画。
全てを通して見たあとに、あのシーンは何を考えていたのだろう、このシーンでは何を感じていたのだろうと思考に浸ることができる作品だった。
余計な説明がない。
観る人の人生によって、受け取り方も違う作品だと思う。
玉ボケが素敵な画がたくさんあった。
現実逃避
認知症から外を徘徊して行方不明になる老人のドキュメンタリーを何となく、今現在に都合の悪い人とかこんなの記憶喪失詐欺が横行してしまうのでワ?と思いながら観ていたらそんな方向性で、最後はプログラムという名のミッションに嫌気が差したか?
記憶喪失が奇病として蔓延した世界の混乱を中心に描いた物語ではないと思うので主人公に興味が持てないと淡々と進む感じに飽きてしまうような、馬鹿正直に観たら途中で記憶が戻ったのか?もしれないし辛い現実から逃れる為の不正かもしれないし、そこは隠さなくて良いから順調だった過去も描きながら物語があれば。。。
巧い。だがツマラン。
巧い省略話法に飽きる、という稀有な映画体験。
話法は優れているかもだが、そもそもの物語が地味で凡庸で面白くないのだ。
その地味さを無理に愛でる気にはならぬ。
巧い監督なら物語選びをこそ巧く。
尤もらしいが非支持。
「林檎」も「ポラロイド」も記憶の保持だ
記憶をなくしてしまうことと記憶をなくしてしまいたいと願うことは当然ながら全く違う。
愛する人を失い喪失感を拭うための方法として忘れようとする、もしくは、忘れてしまった状態を体験することは何のためにもならないだろう。
なぜなら忘れることなどできないのだから。
必死に過去と今の自分を失おうと足掻く主人公は実に滑稽に映る。
大好きな林檎を、記憶保持に効果があると言われ買うのをやめるシーンなどは実に面白い。
それと対を成すように、エンディングでは、主人公が林檎を食べるシーンで終わる。忘れることをやめたのだと明白に分かるし、彼は失っただけでも、一歩前進したのだとポジティブな感動もある。
メインテーマの忘れたいほどの喪失感とは別に、プログラムについてちょっと思うところがある。
主人公が受けていたプログラムの指令は、なかなかに面倒だったり、嫌なことだったりする。
プログラムの真の目的とは、主人公のように記憶を失ったフリをしているものをあぶり出すために行っているのではないかと想像する。
音を上げて記憶喪失のフリをやめさせようとしていると。
「指令通りスズキを釣っているな」というセリフが出るが、本当に記憶を失っているならばスズキを認識できないはずだ。
例えば自転車を知っていたりするので、どこまで覚えていられるのか判断できないことや、スズキはどの魚か誰かに聞いた可能性もあるので、主人公がスズキを釣れるわけないとは言えないけれど、指示する側のこのセリフの不穏さや、指令の難題さ、不可解さは、先に書いたように「あぶり出し」の可能性のほうがしっくりくる。
もっと深読みするならば、記憶を失ってしまう現象そのものが実は存在していないのではないかと思うのだ。
つまり、主人公のように記憶を失ってしまいたいと願う人が大量に発生して、それを実践しているだけなのだ。
過去をもったまま生きることの辛さに溢れた世界なのかもしれない。ギリシャだからね。その可能性はある。
続出する記憶喪失者に新たな人生を作るプログラム。 おもしろいテーマ...
続出する記憶喪失者に新たな人生を作るプログラム。
おもしろいテーマだが、ちょっと盛り上がりに欠けた。
記憶喪失者だと仕事をしないで社会保護を受けられるなんて、いい世の中だな、と思った。
最後、主人公は記憶を取り戻したのだろうか。
悲しみを受け入れるまでの物語
作品は、主人公が自分の頭を壁にごつごつとぶつける音で始まり、何があったのか分からないまま話は進んでいく。
舞台はどこか分からないが、スマホやパソコン等はなく、カセットテープやポラロイドカメラ、郵便等、アナログ主体の世界。記憶をなくす人が大量発生し、主人公も記憶喪失の身元不明者として入院する。しかし治療の成果はなく、記憶を取り戻すことを諦め、新たな人生を生きるためのプログラムを受ける。
まず気がつくのは、通常より横幅が狭い画面。中心に主体を置き、そこに向かって一点透視図法の線が入る印象深い構図。そして深い紺色を基調にした色調。この色調は、主人公の心境の変化に従って、赤みを帯び、最後は光を帯びた白になる。まるで朝へと変化する空の色。
主人公の考えていることは言葉にされることはなく、表情も乏しい。しかし、終盤に余命幾ばくのない老人と話し、彼の奥さんが記憶喪失になっていると聴いた主人公がいった言葉、「奥さんは、これ以上あなたを忘れることがなく幸せだ」。この言葉で、その後のシーンと、冒頭のシーンが全て腑に落ちた。
観終わった後の余韻がとても良い作品だった。
林檎のちょっと酸っぱい感覚が伝わるその確かな存在感
人は、これ以上ないと思える悲しみに襲われた時、すべてを忘れてしいたいと、思うのかもしれない。その心を、少し屈折した形で表現すると、こんな映画になるのでしょうか。
非現実的な世界観に、安部公房の小説やカフカの『変身』を思い浮かべていました。彼が陥れられた現実は、不条理そのものなのでしょう。そういえば、固有の人名は誰一人として出てこなかったように思います。
ただ、重い雰囲気はなく、ちょっとシュールなユーモアは、楽しめる人には楽しめるのでしょう。それに、もの静かで端正なたたずまいの空気感、美しく統一感のある色調の映像。何とも魅力的です。
切れそうになる現実との接点を、林檎がかろうじてつないでくれる。時間をかけて、アンナを喪失した現実を受け入れる。そして、深い悲しみや諦念とともに、傷んだ林檎をひとりほおばる。
無音のエンドロールの時間も心にしみてくるようで、監督の繊細な心遣いが感じられました。
記憶喪失が蔓延する世界で…
記憶喪失が蔓延する世界、リンゴが好きなこと以外の記憶をなくした男が[記憶回復プログラム]で次々と与えられるミッションを行っていくのだが……という記憶喪失もの。
しかし、観終わってもスッキリはしない…(^^;
確かに、ホラー映画を観るミッションで知り合った同じ境遇の女性との恋愛ものにも見えるが、その愛をはっきり女性に伝わったか…というと微妙。
奇妙な映画を観ながら、「これは何か凄い結末が待っているのか?」などと期待しすぎたかも知れない。
一回ぐらい観ても良いかも知れないが、オススメできる映画には見えなかった。
【”消えゆく記憶の中で如何に人間としての尊厳を守れるのか”。クリストス・ニク監督がオリジナル脚本で撮影したデビュー作。独創的な世界観の元、展開されるストーリー描写は秀逸である。】
■バスの中で目覚めた男は、記憶を失っていた。
覚えているのはリンゴが好きなことだけ。
男は治療のため、回復プログラム“新しい自分”に参加することに。
毎日リンゴを食べ、さまざまなミッション
・自転車に乗る
・仮装パーティで友達を作る
・ホラー映画を観る
・バーで酒を飲み女を誘う
彼は、人間の尊厳を失う事無くこなし、新たな経験をポラロイドに記録していく…。
◆感想
・フライヤーによると今作品のクリストフ・ニク監督は、リチャード・リンクレーターの「6歳のボクが、大人になるまで。」や鬼才ヨルゴス・ランティモス監督の「女王陛下のお気に入り」の助監督を務めた方だという。
作品を観ると、リチャード・リンクレーターの人間性肯定の姿勢が、しっかりと貫かれ、ヨルゴス・ランティモスの独自な世界観の如き、架空の世界が見事に描き出されている。
・男は、ホラー映画を観た際に知り合った女性と、バーに飲みに行くが、SEXはしない。(したことにするが、ポラロイドカメラには収めない。)
彼は、回復プログラムを指示する人たちに、従うが人間性を越えた行為には自制心を持って、及ばない。
<今作は、哀愁とユーモアを漂わせつつ”どうすれば記憶を失っても人間としての尊厳を守れるか”という切実な問いかけを鑑賞側に投げつけてくる。
クリストフ・ニク監督の次作は、この作品に惚れ込んだケイト・ブランシェットがプロデュースし、キャリー・マリガンが主演でハリウッドで製作が決定したそうである。
実に楽しみである。>
喪失と再生の物語
映像が美しく、無駄なものが省かれた服装や室内の装備などがとても素敵。
光の加減や生活音の心地よさに浸ってゆく。
奇病のため記憶を失い、それにより居場所を失った人々に施される奇妙な行動療法の滑稽さに時々笑ったり、目頭が熱くなったり静かに感情が揺らいでいた。
冒頭からそうではないかという予感がしていて、多分それは当たっている。
ラストシーンまでの流れがとても自然なことと、主人公の中年男性の無表情がミスリードを上手く誘っていて、お見事。
ヒントは至るところに散りばめられているけど、仕掛けに目隠しされてわかりにくいかも。
観たあとにそれらを思い返してみると、とても切なくて辛くて、でも優しい気持ちになる。
機会があったら映画館でも観たい。
忘れてしまう、忘れたい、忘れたくない
個人的にものすごく刺さり、エンディングのあとしばらく自分でも驚くほど涙が溢れて止まりませんでした。
静かで奇妙でシュールで寂しくて、優しい映画です。
人間はどうしても(忘れたくないことも忘れていいことも)忘れてしまうし、逆に忘れたいことを忘れられない。忘れてしまうということは辛く苦しく、「忘れていってしまう」苦しみの只中にいるくらいならいっそ全てをすっぱり忘れられれば良いのに人間の記憶はそう都合良くはない。そうした苦しみの中で、しかし忘れたくないと想うことの美しさ・ひたむきさを描いた映画だと受け取りました。
全体的に肝心な言葉が少なく、観ている側はこれってどういうことなんだろう?これってもしかして……?と探り探り理解を深めていく作品です。だからこそ、色々と繋がった時に濁流のように主人公の苦しみ、悲しみ、愛が押し寄せ、心がぐちゃぐちゃになりました。
そしてこうした人間の記憶のままならなさ、みたいな話を、写真などの外部デバイスによる記憶の保存は本当の意味では記憶の保存たりえないのでは?ということに繋げているのは見事な構成だと思います。シュールな治療を通じて、体験そのものより写真を撮影してその体験を記録しようとすることが大事になってしまうばかばかしさがあらわになる問題提示の仕方、好きです。
パンフレットに載っていたCINEUROPAの評で、チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズなどの世界観を彷彿とさせるとありましたが、チャーリー・カウフマンとスパイク・ジョーンズの大ファンである自分に刺さったのも道理かもしれません。しかもクリストス・ニク監督は自分が大大大好きなヨルゴス・ランティモスの助監督をやられていたということで……。映画館でなんとなく見かけてなんの前情報もなく観たのですが、ある種刺さるべくして刺さった映画でした。
シュールなジョークを後から振り返るとそれが効いてくる、みたいな仕掛けが好きな人間には刺さる。
※元々ネタバレ注意にはしていますが、以下は映画の核心部分に触れるので改めて注意です。初見は絶対にネタバレのない状態で観てほしい映画なので……。
自分は薄々大切な人を亡くしたのかな……?と思いながら観つつ、お墓のシーンで愛する人の死を確信して以降もうすでに号泣していたのですが、最後林檎を食べるシーンで……タイトルや話やら、全てが押し寄せて滂沱の涙……。
薄々気づいてはいたが改めて突きつけられるとびっくりするほど泣いてしまった、というのだと(完全に個人的な感想でしかないんですが)シックス・センスを初めて観た時のことを思い出しました。個人的には一番観た後の感覚が近いのはシックス・センスです。
林檎は記憶力保持に良い、ということを元に、忘れたい、忘れたくないという苦しみをここまで素晴らしいシーンとして仕立てたのは見事としか言いようがありません。
とにかく林檎を買うのを急いでやめてオレンジを買うシーンからのラスト林檎を齧るシーンの流れがたまらない、大好きです。
また、主人公はどの段階から記憶が戻っていたのか?または最初からそもそも記憶を失っていなかったのでは?ということについては、監督はあえてそこを色々な解釈ができる形で描いているのかな?と自分は思いました。これはもう何周か観たら変わるかもしれない意見ですが……。
今の自分は最初から記憶を失ってはいなかったが、苦しみによる抑圧(ないし防衛本能)で記憶や自我を失っていると言って良い状態ではあったまま揺れ動いていた、という感じかなと思っています。自分を制御できていないような印象を受けるシーンがままあったので。
なんであれ忘れたまま(本当は忘れていないにせよ)でも、これは嫌だったんだな、とか後から振り返ると全てのシーンが立ち上がってくる構成は本当に素晴らしいです。
追記:
DVDにて二度目の鑑賞(2022/11/26)
二度目で分かった状態で観てみると、やはり初めから全く記憶を失っていなかった、という解釈で良いのではという気がしました。
愛しいヒゲモジャと林檎
表情の少ないヒゲモジャが可愛く見えてくる不思議!
林檎めっちゃ食べたくなるし、
プールのシーンも好き。
レトロなインテリア、車、小物たちも好き。
SONYのラジカセ?みたいのありました。
記憶テストの時の医師たちもかわいい。
この不思議な世界観、好みでした。
今の気分にもちょうどよかった。
ちゃんと最後までよかった。
これがデビュー作とは。
ケイト・ウィンスレッドが惚れ込んだと言うことですが、今後の作品も楽しみです。
これ見てから、林檎を買いがちです。
ホントは、どうだったのか?
彼はプログラムを利用したのか?
それとも、しだいに思い出したのか?
観るものの想像力をかきたてる作品。
一夜限りのアヴァンチュールを彼は受け入れたのか?そうであってほしくないような、そうだったら辛い過去から距離を置けるのか?
謎だらけだけど、心の機微が描かれているようにも思える。
どういう内容なのかが気になって観たのですが…。私の理解が及ばない作品でした。観る人を選ぶ作品なのかもしれません。
ポスターや予告映像を観て
気になったので鑑賞したのですが…
困りました。
普通、観た作品に対して涌いてくる
何らかの感情。 たとえば
楽しい とか
哀しい とか
面白い とか
怖いよ とか
そういったものが、何も頭に
浮かんでこないのです。 う~ん …。
前衛的な作品の場合、鑑賞者の
感性に合うか合わないか、があると思うのですが
この作品に関しては何とも。。
ときおり
この作品を思い出しつつ、2週間経過。
本当に何もなかったか、記憶に残らなかったのか
と、さらに自己探求。
う~ん。 … うん?
ひげ男 ?
あぁ。
主人公のカオ ですか。
う~ん確かに。
やたらとアップの場面が多くて
目立ってました。
主人公だけでなく
登場人物(男)にやたら 「あごひげ」 のキャラが
多かった気もします。
というわけでこの作品は、
「ひげ男を満喫する作品」 だったと言うことで。
(…では無いと思いマス)
…
ともあれ
何とも言いようの無い作品でした。
これから他の方のレビューを見て回ろうと思っています。
何か重要なコトを見落としていたりするのかも。。
最後に
もう一つ思い出しました。
主人公のひげ男さん。
病人の口元にスープのスプーンを持っていくスピード
「速すぎ」
あれでは、飲み込む時間が…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
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