アンダー・ユア・ベッド(2019)のレビュー・感想・評価
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怖かったよー。
怖かった。
登場人物たちの弱さは、自分のなかにある弱さと重なった。
満席になるほどたくさんの人が観ているという。
みな、弱さを抱えているのだろう。自分も抱えている。
ただの変態純情映画かと思っていた。
だけど、まったく違った。
世界との回路を持ちにくくなる出来事、あるある。
激情に任せて、惰性で大切な人に横暴に接する、ありえそうだ。
激しい暴力と強い不安にさらされて、気持ちが動かなくなる、そりゃそうだろう。
渇ききった心に吸い込まれるように趣味に没頭する、俺のことか?
すごい時代に生きている。
彼が「すべて終わりにする」と言った。間違ってはいないだろう。
ただ、生き方を変えるだけなんだ。
時間はかかる。
それを時間をかけてやれるかが生き残るすべなんだと思う。
彼に、彼女に幸あれ。
やっぱり、すごい時代に生きている。
面白かった。衝撃の映画体験だった。
西川加奈子、よい。ちょっと鼻につく学生時代、そして落ち着いたナレーションもとってもよかった。
今年の静かな名作の一本
センセーショナルな前情報だけに踊らされると非常に勿体ない作品。
本編はとても真面目に丁寧に作られていて、かなり論理的なように思えた。
何故なら彼の行動の動機の全ては"もう一度名前を呼ばれたい"という唯一点であることがブレないから。
名前とは相手の存在を其処に認め、その呼び名や呼び方によって相手をどのように捉え想っているのか、一瞬で透けて見えてしまう。
少なくとも私はそう思って生きてきた。だから名前を蔑ろにする人間を許せずに生きてきたし、名前のためにここまで行動する三井の行動や心理はごく当たり前に腑に落ちてしまった。
「人間にとって一番辛いことは忘れられることだ」というような台詞が挟まれていたけれど、
その逆に三井が千尋を思い出す時のそのあまりの記憶の鮮やかさに、彼女が我々の目の前にも匂い立つように存在を感じる、その哀しさ。
大きな目とサラサラの髪、花柄の服。
マンデリンの香りや百合の花を彷彿とさせる香水。
11年経ってそれを"再現"しようとしたマネキンや、サイフォンで淹れるコーヒーの様子が、まるで違って見えてしまう淋しさ。
"忘却"の象徴として登場する父との記憶や学生時代のエピソード。そして地中の虫たち。
10日に贈る花束に添える手紙を書くときは、決まってペンを走らせる音がキーキー鳴るその不快さ。(意図的な演出だと思う)
忘れ去られた人生を映すスクリーンはあまりに生気がなく、だからこそ写真を見て自慰をした時に放たれた白濁にすら生を感じる。
こうして"或る男の半生と恋"が静かに紡がれるのだけれど、十分すぎるくらい無駄がなく淡々としながら感情をきちんと感じさせる塩梅が素晴らしかった。
兎にも角にも、高良健吾さんの芝居に尽きる。ベッドの下での恍惚とした、それでもどこか虚無感を湛えた表情。
ラストにやっと本望を遂げた瞬間の、徐々に本心の滲み出る様子。圧巻。
これだけで観て良かったと思える作品。
距離感
3人の主人公たちの距離感、それは、実際、我々にも感じられる距離感だと思う。薄っぺらい変態の映画ではなく、社会派作品です。個人的に、高良健吾さんが行動を起こせなかった時の後悔するシーンと行動を起こしたシーンが好きです。
“Unreliable narrator”
「一人称の語り手は信頼できない語り手である」とは1961年の著書『フィクションの修辞学』の中での論だが、今作はまさにその信頼できない語り手である主人公のモノローグに依ってストーリーが進む。途中、ヒロインのモノローグも差し込まれるが、多分原作に近い表現を演出したかったのではないだろうか。なのでこれだけ確信犯的ミスリードの連発は或る意味斬新である。それが決して駄目だと糾弾しているのではなく、そのグラグラした不安定さは観終わってみると不思議な心地に誘われる体験を得た気分である。ネットで調べると、どうも原作とは少々ラストが違うようで(原作未読)、ラストの着地点における考えは違っているのだが、概ねそのベクトルは近いようである
ストーリーそのものは幾度もドラマでは語り尽くされているストーカーの話である。なので展開そのものは斬新性はない。主人公である男の過去の暮らしや生い立ち、生活等は或る意味、ステレオタイプ的に映し出されるし、何ならかなり誇張されてさえいる。これも含めて主人公の記憶が正確性を欠き、多分に自己卑下と自己嫌悪が産みだした、物語としての偽りで都合の良い歴史なのかとも穿った見方として感じる。幾ら存在感が少なくても、あれでは“苛め”以外の何ものでもなく、その意味では周りから逆ベクトルで認識されているのだろうから。とにかくその部分からも推し量るに、主人公の常軌を逸脱したストーキング行為のエスカレートさは、主役である俳優の容姿端麗さも相俟ってそれ程ホラー感を感じさせない。それよりも問題は、その被害者であるヒロインとその夫の関係性及び、DVの描写のエグさである。余程此方の方がリアリティに訴えかけてくる演技だ。とにかく正視出来ない程の数々の恐怖の行為は、演出も相俟って、今まで観たDVシーンの中でもトップ級の迫真なのである。特に女の背中を噛み、金切り声を上げ逃げるシーンは、その細い体のあちこちに青あざの特殊メイクも手伝って、圧倒的な苛まれ感をぶつけてくる。この類い希なるおぞましいシーンの連続に於いて、完全に主人公の行為はその犯罪性の天秤に掛けられその悪質性が中和され、ともすると歪んでいるかも知れないが立派な愛情表現とさえ書き換えられてしまうマジックに掛かってしまう。確かにベッドの下で行為を凝視するというホラー演出は、古くは“人間椅子“が代表であろう。そのフェティシズム性はビザールとしてマニア心を揺り動かし、それ以外は気持ち悪さのみが強調されるのだが、一番の悪行は”暴力“以外ない。その一点だけでストーリーのブーストが一気に掛かる仕組みなのである。
ただ、今作は上記で述べたように、あくまで傍白は丸っきり信用できない。主人公とヒロインの接点は、学生時代のマンデリンコーヒーを一緒に吞んだ、その一点なのである。その後、グッピーをプレゼントする件やその後の前の彼氏の暴力に対抗しての感電攻撃の件も、あれだけのシーンを観客に見せつけての主人公の妄想だったというオチが、グラグラとその“信頼”という床を瓦解させ、地の底に堕とされる気分を暴力的に味あわされてしまう。一体どこまで主人公の言ってる事は本当の話で、何を観せられているのか、混乱の嵐が吹き荒れる。一旦は夫からのヒロインの救出を諦めた男が、しかし次の扉を開けてしまう勇気又は蛮行を、若い頃の自分に似た若者の犯罪に触発され、そのボーダーを乗り越えてしまうスイッチ装置は、かなり難解な演出だったが、鑑賞後にしみじみと感じることができる玄人好みの展開である。
その後のクライマックスからのラストの慟哭の流れは、勿論バンドエンドの中での救いを落とし込む構成であり、その救いに安堵の溜飲が下がる仕組みはエモーショナルを強くそして長く感じさせる。余韻がこれほど溢れる作品はかなり少なく、これこそ邦画の一つの完成形であろうと、大いに感慨に耽った良作であった。ネオングッピーの飼育の件の残酷さ等、随所に昔の邦画にあった土着性の強いホラー要素をねじ込む組立ても関心させられる緻密さも素晴らしいと思った作品である。
異常性に共感できるか
好きな映画。
このテーマは異常性に共感できるかどうかで面白さが決まる。
ストーカーまたはストーカーされる側でも。
確かにいい男すぎるし、コミュニケーション力もあるところが今ひとつ「路傍の石」キャラとしては、キャスティング的にもストーリー的にもスクリプト的にもリアリティが高まらず。その意味では共感がたりなかった。惜しい。
そしてベッドの下をこんなに綺麗にしていることで妙にリアリティを削がれてしまった。
それでも人間椅子的な好きな人に対する執着の発露は鬼気迫り惹きつけられました。
石の下の虫
世間から忘れさられて生きてきた19歳の主人公にとって「三井くん」と自分の名前を呼ぶ女性の声がどれだけ甘美なものか。一緒に飲んだマンデリンの味とともに忘れられるはずがない。
11年後、30歳となった主人公は彼女を探し、再会し、暴走した。彼の行為は異常かつ違法かも知れないが100%腑に落ちた。
そして感動的なラストシーン!全てが報われた。彼にとっては十分過ぎるご褒美だろう。
「幸せ」が何たるかを知らず一人で生きている人たち、一人で生きていた記憶がある人たちにとっては共感/感動必至の秀作。大切な作品になるかも。
主演の高良健吾と西川可奈子が素晴らしかった。
上手く説明できない見ないとわからないこの感覚。
いろんな感情にのみ込まれて見終わった後は頭がぼーっとしました。
存在を認めてもらえないことの危うさと存在を認識してもらえることの尊さ。
R指定に対して抱いていたネガティブなイメージを払拭してくれた作品となりました。
三井くん、どうか幸せに
ストーカーも相手の状況と演者と映し方と見方によっては純愛の男になりえる。
ベッドの下から始まり、そこに至るまでの経緯や千尋への執着のきっかけを回想して現在と行き来させる見せ方が好き。
三井の主観がゴリゴリに入っていて、あの頃の彼女のミューズ感が強く伝わってきた。
便利で怖い興信所の活躍、千尋の近くに越して本当に独立しちゃう行動力よ。
ラッキースケベのシャッターチャンスでめちゃくちゃ連写する音に笑ってしまった。
何その真顔、シュールか。
どんどんエスカレートする行動に見合わない、ひたむきで一生懸命な三井。
やっていることは完全アウトで、もし自分がこんな事されていたらと思うと背筋が凍る思いだけど、三井側の目線で見ているのでどうも彼を応援してしまう。
「千尋さん、どうか幸せに」と綴る彼に同じ言葉をかけたくなる。
シュールなストーカー劇の行方はどうなるだろうと見守っていたけど、モノローグの語り手が交代すると一気に感情が昂ぶってドキドキしてくる。
悲惨な状況で生活する千尋だから持てる感覚。
どちらも歪だけど、二人の思惑や感情が掠る程度に触れ合っているのが伝わってきて、もどかしくも嬉しく思う。
最後はあまりのことに震えて泣けて仕方なかった。
三井の役を高良健吾が演じていることに、私の中では賛否両論巻き起こっていた。
明らかに美青年すぎて、こんなかっこいい人が周囲の記憶に残らないわけないでしょ!と思わずにいられない。
地味でもクラスの女子に「実はイケメンだよね〜」と噂されるのは必至の顔の良さ。
三井にはもっと生々しさが欲しいなとは思いつつ、観ているうちに実はこの顔面とちょうど良かったのかも、と考え直してきた。
この映画はただ彼の気持ち悪いストーカー行為をそのまま写しだす作品ではなく、とある人の一つの愛の形を描いた作品であって。
それを上手く伝えてくれるモデルとして、この映画の空気を保つには彼はすごく良いバランスだったと思う。
気持ち悪いだけと言い切れず、美しいとも言い切れない絶妙さ。
千尋の身体に刻まれた無数の傷跡、夫からの暴力描写がキツくてゾッとした。
その生々しさと三井のギャップも良かった。
千尋の立場がこうでなければ成り立たなかった物語。
報われない三井、報われることを望むのすらやめてしまった三井に、何となく石神哲哉を思い出した。
愛の形は人それぞれ。正しいか正しくないかは別の話だけど、相手を傷つける暴走だけは控えめに。千尋の夫は失敗例。
同族嫌悪の対象、若い男性客の存在がいいスパイスだった。アロワナをくれ。
こういう愛もあり得るかも
主人公の心の中の動きを追う映画。ありえない話だが、主人公が次の瞬間何をするのか予想できた。デジャヴな要素が多いが、テンポの良い展開が心地よく、気がつけばすっかり映画の中に引き込まれていた。
人間椅子
を思い出させるような冒頭のシーン。
最後の最後までエンディングが分からない面白さ。
暗転がこれほどまでに効果があるのかと正直驚きました。
ストーリーはこれからご覧になる方の為に、書かないでおきます。
気持ちは「彼女がその名を知らない鳥たち」の展開の時と同じかな〜。。。
なんだか良い意味で感情を裏切られる良い映画だった。 怖いと思ったら...
なんだか良い意味で感情を裏切られる良い映画だった。
怖いと思ったら、最後不思議にハッピーになる、
そんなスーパーレモンみたいな作品だった。
だとしてもCREEPY
卒業アルバムの集合写真に写っていなくても誰にも気付かれなかった様な30歳の主人公が19歳の頃に声をかけてくれた元同級生のストーキングをする話。
ベッドの下に潜んでいるところから始まり、知り合った当時とベッドの下に潜むに至った4ヵ月前からの話を行き来しつつ物語が展開して行く。
興信所で行方をつきとめ所在地を訪れ近くに移り住むという近付き方からエスカレートして行く様子は怖過ぎるけれど哀しさがあって、冷静になってしまうとコメディにも感じてしまうけど、そういう作品ではないし、彼女もそういう癖ではなくシリアスらしい。DQN大集合だけどね。
店を訪れた彼女に違和感を憶えつつどう落とすのかと思っていたら、1時間程して語り手が変わり期待値上昇。しかしながら真実が明かされて期待値ダウン。
結果悪くは無い終わり方で締めてくれたけど、もっとドロドロを期待してしまったが為に物足りなかった。
しかしホントいつまでスタンガンの間違った情報を前提に話をつくるんだろう。
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