志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
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タイトルを言うと笑われるのは何故
吃音の女の子の話なんですけど、主演の人がすごく上手くて、喋りたいんだけど声が出てきてくれない感じをすごく表現してて、みている間ずっと、頑張れー!と心の中で応援してました。なので歌うシーンの、サビに向けて声が大きくでて自由にしてる所が感動でした。青春映画としてもとても良くて、高校生だった時代の、嵐のようだった思春期を思い出してしみじみとしてしまいました。全体的にとても良かった。オススメ。
余談なんですけど、なんの映画観てきたの?と聞かれて、志乃ちゃんは自分の名前が言えないですよ、と答えると、100%笑われたのが腑に落ちませんでした。すごく面白い映画なのに。
青春だな!
吃音だけど歌えるシノちゃんとギターは、弾けるけど音痴のカヨちゃん。2人は、シノカノってバンドを組んだ。路上ライブなんか、素晴らしい。
そこに、空気読めない男の子が加わりなんかずれちゃう。
思春期の揺れ動く10代の気持ちが伝わる。
吃音にイライラする僕がいた。
学生支援の仕事してるのにね。
そんな発見もあったな!
吃音障害の問題に正面から向き合っている点は分かるのですが...
吃音を抱える女子高生・志乃のクラスメートとの交流を描く。この作品を通じて、この障害のことが少し理解出来たように感じました。コミュニケーションが上手く取れない原因を上手く伝えられないがゆえに、益々周囲から孤立してしまうこの障害の難しさを、志乃役の南沙良が迫真の演技で見せてくれたように思います。ただストーリーについて少し不満を言えば、志乃と同じようにクラスで浮いていた菊池くんの扱いが少しぞんざいなように感じました。KYですが実は心根優しい彼も志乃と同じように周りの救いが必要だった筈。実話が下敷きですから致し方ないのかも知れませんが、志乃に拒絶されただけでお話が終わってしまったのはちょっと個人的には残念でした。
加代ちゃんは歌が上手に歌えない
原作既読だが詳細はうろ覚え状態で観たのだが…これは良い実写化。
以下印象を羅列。
実写になるとしんどい場面を飛ばすことはできないので、志乃が喋る/喋れない場面でのいたたまれなさが倍増する。
ブルハが刺さる世代なので『青空』にグッとくる。
そしてちょい役ながらいぶし銀の渡辺哲。
いかにもなお涙頂戴路線から少し外れているのがいい。ちょうどいい感じ。
顔をぐしゃぐしゃにして号泣する場面で、ふと『花とアリス』の鈴木杏と蒼井優を思い出す。
OASIS"(What's the story) Morning Glory?"しかわからんです。
確かに大なり小なり皆が
確かに大なり小なり皆が持つ、悩みコンプレックス。そのそれぞれの葛藤を音楽、背景を使い上手く描いていたね。二人で橋で演奏していたシーンも上手く光を使い輝き感を出したし、最後の歌や叫びもよかった‼️悩み病んでる人にも見せたいね😭
高校入学時に感じる大きな壁
主人公の志乃ちゃんが入学式後の新しいクラスで絶対あるであろう「自己紹介」をずっと練習しているところからはじまる 小学校、中学校また大学でもない高校の「初対面のクラス」の緊張感は、その後の高校生活を決めかねないだけに「友だちづくり」「一緒に弁当を食べるグループに入れるかどうか」、そんな思いに迫られたことを思い出しました グループに入る、入れないなど結構残酷なやりとりがあるものです 志乃ちゃんのそういった思いが手に取るように伝わってきて、観ていて辛くなりましたが、加代との時間を重ね、橋の上で歌っているときの表情がみるみる明るくなっていきます しかしちょっとしたことでそういった喜びが儚いものとなるのも、この時期の特徴なのかもしれません ちょっとKYのようにみえる男子も、実は同じような悩みがあって、というところも頷きました 高校の入学式後のクラスでの緊張感を今一度思い出しました(7月26日 シネリーブル梅田で鑑賞)
リアル青春!
青春! そして吃音の人の苦労が少しわかる映画。
吃音の苦労は、うっすらと感じていたが、この映画の価値は、吃音のように誰もがある程度、その苦労がわかる特徴だけでなく、音痴、出しゃばり過ぎて浮いてしまう性格など、本人が気にしていることは様々で、もちろん比べるものではないが、他人からはどんなに小さく見えることであっても、気にしている当事者本人にとっては死活問題なんだ、ということを描いた点かな。
自分には、二人が初めて路上ライブに行った日に、(音痴の)加代が言ったセリフ「絶対にやる。初めて部屋から外に出られたんだから」が響いた。
性格は志乃と正反対と思っていたが、実は志乃と同じく、自分が気にしている点にとても苦しんでいたんだ、とわかった。
誰にも気にしている点があり、それはその人の個性とも言えて、ずっと一緒に暮らしていくもの。大切なのは、それとつきあう自分のあり方なんだなあとしんみりした。
しかしこの映画の魅力は、映画の中盤、二人がバンドを組み、弾き方も歌い方もだんだんスムーズになっていく夏の様子。それはとても爽やかで、こんなにキレイに青春の、友情の輝きを描ける腕は凄い!観ていて、ほんっとに気持ちいいよ。
秋の文化祭で二人が見事なデュオを見せて同級生たちがびっくり、というエンディングなら、爽快映画だなと思って観ていましたが、その結末は…そこはみなさん自分で観た方がいいです。
飛び抜けて美人というほどではない二人が、数々の瞬間、本当にキレイに見える。映画の醍醐味であり、監督の腕ってヤツなんだろうな。関係ないけれど、主人公がよく鼻水たらす映画でした。
いずれにしろ、素敵な映画だった。おすすめです。
場所は沼津と下田だったんだ。静岡県東部出身の自分が「なんだか見たことあるような景色だな」と感じるわけだ。
後日談
この映画は、その後も何度か「もう一度観てもいいな」と思った映画でした。「きみの膵臓を食べたい」「ハローグッバイ」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(女優見たさかな?)
おまけ
なるほど、脚本は「百円の恋」の人か。納得。
感情を揺さぶられる作品だった
途中の歌のカット割りと、文化祭のシーンに関しては、あんまり良くなかったけれど、その他は素晴らしかった。
それほど上手いとは思わなかった光の表現も、作品の雰囲気と非常に合っていたし、女の子2人の演技も上手いとかそういうものを超えたナチュラル感だったし、何よりも人の感情を揺さぶるような映像表現や演出に非常に感銘を受けた。
原作は読んでないけれど、読みたくなったし、どんな思い出であれもう一度あの日に帰りたいと思ってしまった。
出だしからタイトルバックが結構肝だったような気がする。個人的には、初っ端のそれで完全に心を掴まれてしまったような感じだった。
キラキラしていたあの日、確かに素晴らしかったけど、やっぱなんだか切ないよね。いい作品だったなー・・・
あの素晴らしい愛をもう一度
この歌はよかった。てか半分青いの影響がだいぶ大きいけど(笑)途中の歌変えずにずっとこれだけ歌ってて欲しかった(笑).
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話は自分的にはうーんだったかな。菊地との和解は?自分だってかよの歌笑った時謝って許してもらったじゃん、なら自分だって許せよ。
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最後も一応かよに頼り切りだったのが成長したってことなのかもしれないけど、ジュース渡してくれた子と結局同じことになると思うんだよね?
叫び
吃音を抱えた少女と音楽好きな音痴な少女の物語。
自己紹介さえ地獄の苦しみ、本当は喋りたいけど喋りたくない、病気じゃないし普通でいたい。
コンプレックスをデリカシーのない残酷な周りは笑うけれど…。
誰しも少なからず持っているコンプレックスに向き合い挫折しというストーリーで、甘やかしたり同情したり何でも上手く行くだけの話じゃなくて、厳しさと温かさがとても良かった。
日本の青春映画としては出色の出来栄え
自尊感情が低い人は世の中に多いと思う。どうしてそうなってしまったのかは、たぶん本人にもわからない。自尊感情を持つようにすすめる人はいる。そういう人は、一度きりの自分だけの人生なんだから大切にしないといけない、同じ意味で自分自身も大切にしないといけないという意味のことを言う。
しかし世の中を見渡せば、幼くして殺されたり餓死したりする子供はたくさんいるし、人間以外の生物の多くは、生命そのものを蹂躙されている。自分の人生や自分自身を大切にしなければならない理由はどこにもない。それよりもこんな世の中に自分を生み出した親を恨む。
このあたりまでは、たくさんの人が辿る道である。そこから先は人によって進む道が違ってくる。中には生まれてきたことを恨む気持ちが世の中全体に向かって、誰でもいいから殺したい、自分も死にたいと、自爆的なテロ行為に走る人もいる。しかしそれは本当にごく少数で、たいていの人は、日常生活の中に自分なりの小さな幸せを見つけて、つつましく生きていく。そのために必要なのは、低い自尊感情と現実に存在している自分との折り合いをつけることだ。実存的な問題である。
本作品では、自尊感情の持てない3人が、互いの関係性の中で生きる喜びを見出そうとしていく。まさに青春模様で、覚束ないギターを弾き、テクニックなしの歌を歌う。吃りの人でも歌うときは吃らないのは昔から知られているが、志乃の歌は特にまっすぐな歌い方で、亡くなった加藤和彦を思い出してしまった。彼も心に闇を抱えたまま生きていた人で、遺書には「消えてしまいたい」と書かれていた。同じような思いを持つ志乃に彼の歌を歌わせる演出が心憎い。演じた南沙良は鼻水を垂らしながら泣く熱演で、役によく入り込んでいた。
蒔田彩珠はテレビドラマで見かけた不機嫌な少女から一歩脱して、期待と不安に揺れる思春期の乙女を見事に演じる。この人の落ち着いた演技がなければ志乃の役が成立しなかったと思う。
世の中の価値観に迎合せずに人間の真実に迫ろうとする意欲的な作品で、日本の青春映画としては出色の出来栄えである。
青春。いい。
女子高生特有の感じがいい。小説でいうと三浦しをん的な、この年齢独特の感じがいい。橋で歌ってるときの感じと、ラストのあっというまに心移りしてる感は最高にいい。
また、音痴の演出もいい。一人で歌うところは本当にいいね。
ただ、男子の演技が行きすぎなのと、吃音はちょっと協調しすぎでだるい感じもあった。
ドラマティックになりすぎない
かよちゃんが優しいんだよね。志乃に声を掛けたり、菊地を仲間に入れてあげたり。志乃はかよちゃんの優しさに救われて苦しめられちゃうの。
高校入って、新しい人間関係を作らなきゃってときの、緊張感が良く描けてて、自分が高校入ったときのことも思い出すね。
「ここだ」ってシーンで、そんなに盛り上げていかないんだよね。かよちゃんがメモとペンを志乃に渡すときに『面白いこと書いたらあげる』って言って、「うわ、ここで志乃の高校生活が決まるわ」って「なに書くんだろ?」って観てくんだけど、「それかよ」って回答だしね。
バス停で別れるシーンもすごい。感情ぶつけあって喧嘩すんのかと思ったら、やらないで、淡々と「じゃあね」で別れてく。
それで志乃が感情を爆発させるシーンをかよちゃんのライブの後にもってくるんだけど、ここ、あれだったね。「そういえば脚本は足立紳だった」と思ったもん。貧乏くさい。
それで、その後も、みんなの関係性はそんなに変わらないの。高校の頃って、一瞬なんか仲良いんだけど、少し立つとすれ違っても何も言わないような関係になることあるなあと思った。
世界の終わり
私にとって本作の魅力は『世界の終わり』につきます。
本作の舞台は90年代末期ごろでは、と思います。この作品は時代考証が非常に雑で、90年代の空気はほぼ伝わってきません。女子高生のファッションも髪型も、何もかも90年代の匂いがしません。
しかし、この『世界の終わり』だけは伝わってきました。なぜならば、Thee Michelle Gun Elephant は、90年代末期に勃興した、日本のロック文化の黎明期を象徴するバンドだからです。この偉大なる日本のロックバンドのデビューシングルを選んだおかげで、「本作は98年ごろの物語なのだ」と感じることができました。
ミッシェルの登場までは、日本のロックシーンはかなり洋楽とかけ離れた存在でした。Boowyベースのビートロック〜V系バンドのリスナーはあまり洋楽を聴かなかったし、その逆もしかり。
しかし、ミッシェルの登場によってその壁が破られました。ミッシェルはそれまでのロックバンドが持っていた歌謡曲っぽさを完全に払拭し、洋楽と日本のロックのハイブリッド化に成功したのです。
97年にはフジロックがスタートし、ミッシェルは98年のフジロックに登場。
「俺たちが日本のThee Michelle Gun Elephant だ!」
というチバの有名なMCは、新しい日本のロック文化を体現したものだと思います。翌99年にはハイスタのMaking The Roadがリリースされ、椎名林檎がブレイクします。
この時代、フェス文化が生まれ、洋楽〜邦楽の壁を越えたロックミュージシャンたちが台頭し、日本のロック文化は確実に新しい段階に進んで行きました。この流れはおそらく現在にもつながっていると思います。まさか、こんなに各地でロックフェスが行われる国になるなんて想像もできなかった。現在のロック文化の生成には、確実にミッシェルが大きな影響を与えています。
加代は90年代末期のロック少女です。オアシス、グリーンデイ、ブランキーあたりが並ぶCDラックからは、ロックを覚えたての瑞々しい熱気が伝わります。ボブ・ディランはやや異質ですが、アコギを選んでいることから、彼女の神なのかもしれません。きっと彼女は、フジロックの誕生やミッシェルのオールスタンディングツアーを目の当たりにして、ひとり胸を熱くしていたのでは、と想像します。やがて彼女は椎名林檎の登場に仰天したり、Radiohead を聴き始めたりしてロックの深みを体験したりするんだろうなぁ、と思うとなんか涙が出てしまう。
覚えたてでアルペジオすらできない加代のヘタな生ギターと、装飾が一切ない志乃の唄で奏でられる『世界の終わり』は、彼女たちと同じ時代に生きていた私の胸には深々と突き刺さりました。この曲を聴けただけで、本作を観た甲斐がありました。
個人的には、本作の魅力はしのかよを結成し、橋の上で『世界の終わり』を歌う中盤までで終わっており、それ以降は蛇足でした。物語があまり丁寧に紡がれていないため、後半の展開はぎこちなく、無理にエモくさせられているようで乗れなかったです。
そのままの自分自身を受け入れるということ。
鑑賞前に原作コミックを買った。二人の揺れ動く心に、胸が軋んで仕方がなかった。志乃ちゃんの戸惑い紅潮する表情や、加代の素っ気ないながらも気遣う表情も、すんなりと伝わってきた。
これを、映画は十分すぎるほどに表現してくれた。舞台を海沿いの町に変えたのも解放的な雰囲気がでてよかった。そして太陽光の照り返しが幾度となく二人を照らすのだが、それは海辺だからこその光だと思うし、そのてらてらと揺れる光が二人の心情とシンクロしていて引き込まれた。
あらためて。「うまく喋れない」吃音症の志乃、「うまく歌えない」音痴の加代、そしてそこに「うまく空気が読めない」おそらく軽いアスペの菊池。うまくいかないから逃げていたり、他人を拒否していたり、過剰におどけてみたり。多感な高校一年生の彼らが、うまくいかない自分に、自分自身が苛立ち、嫌いになり、どうしていいかわからなくなる。やっとこの子とならうまくいけそうだ、自分の殻を破れそうだと思っても、ちょっとしたことでまたつまずいてしまう。結局、思うようにはいかないものだ。「頑張れ」って言われても、それに応えようとすると自分を追い詰めてしまうだけだし。そんなもどかしさを言葉にせず、観ているこちらに伝えてくる演出の見事さ。そして二人の若い女優のすばらしさ。
※ここからはまさにネタバレですので注意。
最後、結局、志乃ちゃんは吃音を克服できていない。でも、それはこれまでと同じように逃げているのではなく、自分自身を受け入れたってことなのだ。どもってしまう自分を恥ずかしがらずに、これが自分なのだと肯定したのだ。直前のシーンで、加代がステージ上で、叫ぶ志乃を見ながらほほ笑むのも、志乃が自分を受け入れたことに気付いて嬉しかったからだと思う。
志乃ちゃんは自転車に乗らない
一見無神経で馬鹿にしているかの様に見える菊地君より、担任の先生の方が遥かに無神経で残酷な行いをしている。
母親から病気扱いされた志乃ちゃんの行動が、痛いほど良く分かる者にとって、この映画は傑作などと言う言葉では、到底言い表せない。
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