桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
全274件中、261~274件目を表示
桐島、10年後が見たいってよ。
校内一の話題保持者、桐島がとある金曜日にバレー部を辞めた。
…それがどうした?と思うのが現在の自分で、
それは事件だね~!?と取り合えず話題を振るのが当時の自分。
これは、そんな区分けをしながら観てしまう作品。
巧いと思うのは、過去も現在もそうは変わっていない狭い世界で
(一学校の一校内っていう)
さらには部活動という、帰宅部にとってなんの価値も見出せない、
誰が偉くて誰が下等という、謎の優劣がはびこる当時の世界観。
それが全てだった人ほど、今作にはグッとくるんじゃないだろうか。
あーいたいた!うん、あったあった!といちいち頷きたくなるほど
登場人物達の描き分けが巧い。
まったく姿を見せない桐島が相当デキる奴なのは言うまでもない、
でも行動そのものはまぁ褒められたもんじゃないなぁ、迷惑かけて。
ただ騒いでいる連中はいいとしても、仲間や友人にもあれでいいの?
本当に優れた奴は他人への配慮も忘れないもんだよ。
取り残された太賀を見てたら、可哀想で涙が出そうになったぞ。
(まぁ、結局は彼もあれで良かったんだけどね)
もちろんまだ学生だから、そう完璧人間に描かれないのもまた然り。
悩みに悩んで出した結論なのかもしれない。そんな葛藤が
描かれずして妄想できるところも、また演出方法の妙技である。
…結局のところ、彼らは桐島が部活を辞めようが続けようが、
自分の進路は自分で決めねばならないし、彼の抜けた穴は、自分達で
埋めるしかないわけだ。頑張れ!学生諸君!…なんて応援したりして。
青くて若くて初々しいとは(懐かしすぎて)こんなに躍動感に満ちている。
多くの不満も情熱も各々が抱える問題と照らし合わされ、其々の立場、
進むべき方向を示唆している。今それが当たり前のように見えてるのは、
下らない問題をすでに下らないと思える年代だからで、自分が懸命に
生きていた頃などは思いもしなかったことだ。今思えば…バカみたいな
問題に振り回され、バカみたいな相談に乗り、バカみたいに笑いこけて、
バカみたいに腹を立てていたあの頃が懐かしい。今の若い学生達にも
そんな感情が嬉々として残っているなら、それこそ素晴らしいことなのだ。
たかが一人の人気者に振り回されてしまう、
認識すらしていない連帯感が自分と周囲の距離を測る絶好のタイミング。
様々な分野の人間を見つめた菊池が、最後に気付くものは何だったか。
映画部の武ちゃん(武文)、現在と未来を見渡す説得力ある解説がいい。
自分の立場と実情を踏まえた見解は素晴らしかったけど、
あの彼とて社会に出ればまた揉まれ、更に辛酸を舐める時がやってくる。
前田(映画部)や高橋(野球部)のように叶わない夢を語るのもまた然り。
モノになるかどうかなんて問題じゃない彼らには、ロマンが満ち溢れてる。
チャラチャラと桐島にくっ付いている連中と、彼らから最も離れた連中の
危機迫るラストの食い荒らし方が、まるで意味を持たない鬩ぎ合いである
ことが最大の救いで、須く終焉を迎えるところも夕暮れと合わせて美しい。
自分にとってまったく興味のない分野にいる人間が放った一言に、
人生最大のショックを受けてしまった経験って、過去にないだろうか。
観終えて面白い(面白かった)と思えるのは、
今作で描かれていたように、学生時代に花形(古い?)だった人気者が、
社会に出て、何年もしてから偶然出逢った時、「へっ?マジ?」と思うくらい
パッとしなくなっているという「あのヒトは今」な実態と、
名前すら覚えていなかったような地味な同級生が、一躍有名人に躍り出て
いる仮想世界のような現実。人生、何があるかなんて未だに分からない。
桐島という象徴を自分から切り離して、あぁそんな奴もいたよね。と、
自分自身に没頭できる生き方もいいし、アイツがいたからオレも頑張れたと、
思いきり取り込んで妄想に浸れる人生もアリかもしれない。
あらゆる可能性と卑屈な精神性、伸びやかな思考に私利私欲を兼ね備え、
行ったり来たりの人生を苦しみ楽しみ生きて欲しい、十代に捧げる作品だ。
(しかしオンナって怖いでしょう?愛ちゃん寿々花ちゃん上手すぎるわねぇ)
一人一人はリアル。でもその社会はリアルではない。
まず、若い役者たちの演技が細やか。
もう、監督の操り人形にでもなったかのよう。自然な台詞回しや美しい間に引き込まれていく。
そして、カットがどのカットも美しい。映像だけでも充分もつ映画です。
特筆すべきは音楽。
放課後の校舎には吹奏楽部の楽器の音色が響くのはもの凄くマットウ。その音色がごく自然にクライマックスを盛り上げるのですから文句無しのアイデアです!
ただ、パンフには「あなたの”記憶”を幸福にも残酷にも刺激する」とありますが、私はそういうのにはピンときませんでした。
なぜならこの登場人物には自発的にユーモアを放つ者がいないから。
そんな社会にはリアリティを感じられないのです。
この映画ぐらいの軋轢ならユーモアさえあれば解決できますし、最後にクロスオーバーしようとするキャラクターがいますが、本来ならそれはユーモアを持つ道化の役割です。あのキャラクターがかかんにクロスオーバーしようとしたところで結局はグループを移動するだけに終わるでしょう。
だから、鋭いボケをかませる者がいつもクラスの人気者である理由です。
物語を成立させる為にこの集団劇であえて道化役を用意していないならそれはご都合主義といわれても仕方ないです。
行き場を失った眼差しに映るもの
帰り道、もう遠い遠い自分の高校時代の、中でも特別だった日々の記憶が、当時の感覚のまま一気に噴き出してきて止まらなかった。そういう力を持った作品でした。
友への眼差し、憧れの眼差し。個人の眼差しが主役、という印象でした。同級生の目線で目撃した感じでした。
多くの眼差しを受け止めていたバレーボール部キャプテン桐島が部活をやめた、学校を休んで連絡もつかない。
行き場を失った眼差しは交差し、思いがけない所に焦点を結んだりして。映像表現ならではの部分がとても面白かったです。
キャストの皆さん好演でした。自分が弱小文化部長を経験したので、映画部長の前田くんに共感しやすかったですが、他の子達の心情も理解できました。
ただバドミントン部の実果さんはミステリアスで、内面がもう少しわかると良かったと思いました。
前田くんの相棒、武文くんを演じた前野朋哉がとても自然に演じていて良かったです。カメラの向こうでもお仕事している方のようですが、カメラのこっち側でも味のある役柄をこなしていって欲しいです。
-追記-
鑑賞から時間が経って、じわんと評価が上がってきたので4.0→4.5
なんか分かんないけど、分かんないってきっといいことなんだろう
おれの高校時代は単純だった。おれ一人単純だったのかもしれないが、それならそれでいい。この作品の高校生活が現実に近いなら、今どきの高校生も大変だ。複雑な人間関係がいやで背中を向けちゃうから単純に見えるのかもしれない。前田くんは自分の頭の中で吹奏楽部の演奏をBGMにすばらしいゾンビ映画を創った。それは吉田監督がゾンビ映画も撮れるぞというプロとしてのプライドか。野球部のキャプテンはどうみてもオッサンだが、くるわけもないドラフト指名を夢見て通常3年が引退する時期も現役を続ける。自分よりもいっぱい能力をもったヒロキに、妬みもなく「次の日曜、試合があるから来いよ」とさそう。野球部のキャプテンとしてはとてもぬるい感じがいい。作品に登場するメンツの中では好感度バツグン。それぞれの生徒の立場で観れば何度観てもおいしい作品だろう。
興行的に苦戦しているらしいのでネタバレなしの紹介。
感想と言うか、凄く面白かったけど興行的に苦戦しているらしいのでネタバレなしの紹介。
宇宙人も怪獣も巨大ロボも出てこないし、それほど凄い事件も起きない辺りは如何にも典型的な日本映画ですが、そういうのに期待するならば「アベンジャーズ」を観れば良いと思う。
桐嶋は構成とか演技とか色々良く出来てて、らっきょうが転がる程度の話を、視点を変えて見直すだけでこんなにも面白くなると言うらっきょう以下全員主人公の擬似3D映画。
今から“勝ち組”“負け組”に分けるには早すぎる
タイトルといい観る前の情報といい、何を語ろうとする映画なのか掴みどころがない。その得体の知れない不思議さゆえ、何か気になっていた。
話の発端はタイトル通りバレーボール部のキャプテンだったらしい桐島という男子生徒の突然の退部だ。
その金曜日の放課後を主要な登場人物の視点で繰り返し見ていくうちに、いろんな真実が見えてくるという手法を取る。
一人の生徒が部活を辞めた。それは大したことではない。せいぜい部内の騒ぎで治まる。
ところが、どうやらその生徒は学校内の誰もが認める“スター”らしい。運動だけでなく勉強もできて、彼女は校内一の人気女子。つまり彼らにとっては大きな事件なのだ。
そして、その騒ぎは本人不在のなかで繰り広げられ、騒ぎだけがひとり歩きしていく。
騒ぎの中で無責任に言わなくてもいいことを口にしたばかりに友情関係にヒビが入るなど人間関係の脆さが露呈する。カッコイイ彼氏を持つこともカワイイ彼女を持つことも校内に於けるステータスでしかない。
結局、コトの真実を見極めるために桐島の家を訪ねる者は一人もいない。携帯でしかコンタクトを取ろうとしない希薄な人間関係が浮き彫りになる。
主人公の前田涼也は、映画部所属で目立たない生徒。誰からも相手にされず、校内階層でいえば桐島とは正反対の“下”に属する。部室も剣道部に間借りするような片隅でクラい。
彼らは“上”の喧騒をよそに新作の撮影に没頭する。彼らにとって桐島が部活を辞めようが何の意味も持たないのだ。
この価値観の違いがラストでぶつかり合う。おとなしかった“下”の人間が自分たちの世界を踏みにじられたとき、“上”に向かって牙を剥くその感情の具現化した姿がゾンビだ。
屋上で桐島に続くナンバー2的存在の菊池と前田が言葉を交わす。同じクラスでありながら、まともに話をするのはおそらくこれが初めてなのではないか。
彼らの人生はまだこれからだ。何があってもおかしくない。今から“勝ち組”だの“負け組”に分けるには早すぎる。
題名が短答直入でした…
映画に直接関係ないけれど…
いつのまに龍之介君はこんなに大きくなったのでしょう。可愛い子役だったのに良い役者に成長しましたね〜。
さて、映画。
千差万別の生徒が狭い学校という世界に共同で住んでいるんだから何か違う歯車が起こるとこんなふうに五月雨式にいろいろな生徒たちに感染して行くんでしょうね。
同じ時間の風景を違う視点からなんども見せる方法も僕には新鮮でした。
時間軸で進める映画は‘呪怨’しか鮮烈な記憶がないので面白かったです。
不思議な感覚の青春映画でした。
モヤモヤ感がいい(追記あり)
今公開中の『アナザー』が、いる生徒をいない人扱いするお話で、それとは真逆でいる生徒を最後まで登場させない話だったので驚いた。しかし、この映画は全ての登場人物が一面的でなく、桐島は実在しない可能性すら検討したくなる。
チャラけている連中も心に穴を抱えていたり、お互いがお互いを気にしていながら、それがずれている感覚が非常に上手に掬い取られていてとてもよかった。素晴らしい表現の見本市のようだった。
もっとじっくり映画秘宝を読んでくれてもいいのにと思った。橋本愛ちゃんは気まぐれに『鉄男』を見たわけではないと信じたい。この夏一番の青春映画なのは間違いないでしょう。
(追記)
初回で見た際は登場人物が多くていろいろな出来事や細かな描写を把握しきらなかったままレビューを描きました。二回目に見たら非常に細密に構成されていて、素晴らしい映画であることが改めて分かりより深く感動し80点から90点に変更しました。
神木くんがほぼオレであることを前提に話しますが、橋本愛ちゃんは女子グループや軽薄な連中との付き合いを大切にするあまり別に好きでもなんでもないチャラけた男子、しかもそいつは男子の中でもかなり下っ端男と付き合っていた。そんな橋本愛ちゃんが、適当に選んだ映画が『鉄男』であるわけがないんです。あんなハードコアな映画を適当に見るわけがないじゃないですか。オレ(神木)をイオンで見かけてつい、ストーキングをしてしまったんじゃないでしょうか。「こんな凄まじい映画が好きなんだ、やっぱり芯の通った男はかっこいい!」なんて思ったに違いないんです。映画の後のベンチ座る橋本愛ちゃんと、オレ(神木)が決してベンチに座らないその距離感!意気地のないオレ!!
桐島も相当苦しんでいたはずです。実際バレーボールに真剣に取り組みながらも軽い連中に気をつかって「別に遊びだし~」みたいな態度を取っていた事でしょう。誰に対しても何に対してもきちんと向き合うとダサいと言われそう、なんてそりゃあ何もかも嫌になっても仕方がないでしょう。彼女はまるで飯島愛みたいな超威張っている偉そうな女で、あんなの別に好きでもなんでもなくゴリゴリに押されて人が好くて断れず嫌々付き合っているだけに違いない。本当は橋本愛ちゃんの方がずっと可愛くて好きだったかもしれない。実態なんか何もないのに、チャラけて余裕ぶっこいている態度そのものが有利な立場の要素になっているその虚しさに耐えられなかったとオレは想像します。実際にバレーボールという実質があるだけに、チャラい連中の薄っぺらぶりにムカついていたことでしょう。
そしてみんなには羨ましがられ、県選抜なんかになったらバレー部でも僻む連中もいることでしょう。「そんなにオレはいい思いなんかしてねえよ!彼女、飯島愛だぜ!」と思っていたんじゃないかな。そんな彼の気持ちに思いを馳せる人なんか一人もおらず、非常に孤独だったと思います。本当に気の毒だし、桐島は絶対にナイスガイですよ。
そんな劇中さっぱり登場しない中心人物にまでつい思いを馳せてしまうほど素晴らしい映画でした。
面白い!
この作品は構成が普通の映画と違うので、時間の使い方はあまり考えずに見ました。マグノリアっていう映画もこの映画と同じで色んな人の目線で一つのシーンを繰り返すって感じだったかな。でも全編105分という時間はちょうど良かった思います。
次に内容ですが、はじめは真の主人公が誰だか分からないような感じはしましたがしっかりとしたステップを踏んで進んだ前田(神木くん)ですね。前田のキャラと神木くんのイメージはバッチリあってたと思うんでキャスティングはOKだと思います。
このストーリー、桐島に振り回される人たち側と、桐島のことなんて全く関係ない人たち側に分かれてましたね。これが最後に皆一同集まってクライマックスを迎えるのです。
僕たち鑑賞してる側からしたらものすごく面白くないですか?この展開。
しかも言葉に発して謎を暴いてしまったのは関係ない側ですよ。それで最後まで桐島と無関係な前田たち。こういう展開って多少強引に持っていきがちな作品もあるように思いますが、この映画は違いました。違和感なしです。
あの皆が集結、話も終結っていう流れから後のくだりはヒロキのためにとって付けたような数分間で蛇足感ありました。歯切れよく終わるとかしてほしかったし、ヒロキという人間を描いてくれないから、最後お前がもっていくんかい!ってなりした。
あと個人的に吹奏楽の人と前田の屋上で言い合いするシーンは面白かったです。
前田は何も知らずに正論ぶっぱなして、彼女はごまかしながら言い返してと、彼女の気持ちがすごく分かる鑑賞してる側としてあれはめっちゃ笑えます。前田の言い回しもこういうやつおるわーって感じでツボでした。劇場で笑われてる方もいたんですが確かに笑いたくなります。前田の相方もなかなか面白いやつでした。
この映画、すべての状況を把握してる鑑賞側のことをよく考えてくれた作品だと思います。
funnyでもありinterestingでもある面白い映画でした。
片想いから、醒めるとき(塚本監督の「鉄男」が効いてます!)
観終わってもなお、(予想通り)謎は残る。ホラーではないので、桐島は出てこない。桐島とは、一体どんな人物?ということをさておいても。
バドミントン部のエースは、なぜチャラけた帰宅部と付き合っているのか。野球部に籍を置きつつ帰宅部とつるむ彼は、なぜ性格悪のケバい彼女と付き合っているのか。…いや、実は彼らは付き合っていないのかもしれない。交際はチャラ男とケバ子の思い込みに過ぎず、エースは「面倒だから」、(野球部)は踏み出せないから、だらだらと相手に合わせているだけ、なのかもしれない。
そこまで考え、はたと気づいた。彼らは皆、片想い=思い込みの壮大なループの中にいる。自分の望みはおおむね満たされている、特段の不満はない、…はず。そんな一見整った世界が、桐島の不在で歪み、崩れ始めた。
「自分は所詮、この程度」「私は、アイツらとは違う」「自分には、やるべきことがある」…。「〜にきまっている」「〜しなければならない」は、日々の迷いを減らしてくれるが、思考停止に繋がり、自分の行動範囲を狭めてしまう。(毎日着るものに悩まなくていい制服が、気楽ながら煩わしいのと似ている。)当たり前と思っていたあれこれは、本当にその通りなのか? 見たいものだけを見ていないか? 幻想が崩れ、傷を負うのを恐れず、今に疑問を持ち、見ないふりをやめることが、「一歩踏み出す」ことにつながる。…とはいえ、繰り返される日常の中でそこに辿り着くのは、なかなか容易ではない。
塚本晋也監督の「鉄男」の使い方が効いている。映画部の彼は、モール内のシネコンで思いがけない出会いをする。二人が観ていたのが「鉄男」、というだけでもニヤリだが、敢えてあのシーンを切り取るとは! そんな彼が傾倒するゾンビ映画が、白人社会のマイノリティー差別(迫害)を暗喩していたことは、いまや自明のこと。ゾンビや近未来SFの自主映画制作が、作り手の想いを映し出す点は、「虹の女神」を思い起こさせる。にしても、本作中映画のハイライトは凄みがある。ここに辿り着いてよかった、という気にさせてくれた。一方、前半で延々と繰り返される「金曜日」のリフレーミングは、少々くどい。群像劇を盛り上げるため必要とわかっていても、焦らすのを通り越し、物語が必要以上にもたつく気がした。切り取り方を工夫すれば、一、二回は減らせたのではないか、と今でも思う。
殺伐とした物語に、前に踏み出し続ける野球部部長の佇まいと、踏み出しかけた映画部の遠慮がちな笑顔が、一筋の風を吹き込んでくれる。カッコ悪いことは、かっこいい。文字にすると、とたんに野暮になるけれど。
持たざる者、己を知れ
「クヒオ大佐」などの作品で知られる吉田大八監督が、「妖怪大戦争」でキュートな魅力をばら撒いた神木隆之介を主演に迎えて描く、青春群像劇。
ここ最近になって、高い注目を集め始めている異色の現代芸術家に、韓国人のス・ドホなる人物がいる。自身がルーツとして掲げる「家」をモチーフにした作品を数多く残しているが、彼にはもう一つの軸となるテーマが存在する。
それが、「一人の、持てるものに握られた名もなき「持たざるもの」への視点」である。「私は、私」と声高に叫んでみても、個々の人間は知らないうちに「持てるもの」の手の内に丸め込まれ、小さな歯車として動く。作り手は決してその現実は批判はしていない。ただ、「背けず、目を向けろ」と、観客を挑発する。私たちの目が覚めるのを、待っている。
バレー部のエースで、超万能型のスター、「桐島」が部活を辞める。一見、何でもない小さな波紋が巻き起こす違和感が、いかに人間を惑わせるか。この一点への好奇心が物語を構成している本作。何故、一人の高校生の行動に学校全体が振り回されるのか。その真相を、様々な立場にある数人の同級生の視点を繋ぎ合わせる事で解き明かしていく。
気弱な映画部員、不思議な魅力を放つ美貌のバトミントン部女子、学校一の美女。境遇も、毎日への取り組み方も違う多彩な登場人物を放り込んで物語は展開されていくが、その全ての人間には共通点がある。
「見えない何かに、首根っこを掴まれているのに気づいていない。あるいは、掴まれるのを楽しんでいる」
「桐島」という男がどんな人間か、物語の登場人物も、観客も実は知らない。ただ、その男が自分たちの平穏な毎日を支配していて、保っている事は知っている。それだけで、良い。それで、安心する。あくまでも本作のテーマは「桐島」という人間そのものではなく、「桐島」という名前をもった「持てるもの」への憧れと、恐怖、諦めだ。だからこそ、別にその男は出てこなくても良い。出てこられては、困るのだ。
「桐島」というスターを具体化しないこと。それが、本作が普遍的に観客を挑発する力強さを生んでいる。「持たざる者よ、己を知れ」青春という名前を掲げた生半可な物語のようでいて、個性の限界と本性を鋭く指摘するユーモアにとんだ作品として完成した一本。ぜひ、学校という「個をかき消す世界」から少し離れた「夏休み」という時間にある学生にこそ、立ち向かってほしい映画だ。
と、難しい事を語らずとも、神木のイケメンぶりは黒縁メガネで隠してもやっぱり輝いているし、新進気鋭、橋本愛の美しさはやっぱり素敵。娯楽として観ても魅力は尽きない。味わい豊かな作品である。
学生時代の空気感?
出演者それぞれの視点で、とある出来事の展開を追っていくような感じなのですが、テンポ良く場面が切り替わり、最後まであっという間でした。
遠い昔の学校生活ってこんな感じだったっけなぁ、と暫く余韻に浸れました。
で原作もこんな感じなのかな・・・
もう一度、青春したいな。
原作の方は学生時代に読んだ方がイイと感じたけど、映画は学生ではない時に観た方が良いと感じた。
映画の始め部分は、物語の進み方に対応する事で観ていて疲れたけど、中盤あたりから慣れた。
みんなの“振り回される”姿に凄く共感する部分があって懐かしく感じた。
登場人物が多いけど混乱する事なく観れた。
最後の神木くん可愛いかった。
菊池宏樹役の子も可愛いかった。
だけど、原作の方がキラキラ感は多いと感じた。
自分の中にもある
経験に無くても見覚えのある気持ち、景色、人間関係。
かなりリアル。青春の羨ましい部分と味わいたくない部分。
いざこざが起こっても一人の女子以外は全員いいやつで愛すべきキャラクター。全員自分なんですよ。
片想いのエピソードとバレー部のエピソードは切なかったな、特に。
全シーン全キャラクターがラストにどうつながったかあんまりよくわかんなかったけど。
神木くんの芝居で片想いの相手の橋本愛さんがすごく好きになりました。
舞台挨拶では「(自分)、(何々)やめるってよ」にかけた願掛けが役者の半数が願掛けとして意味をなしてない。
深夜アニメを生で見るのをやめるとか泣き虫をやめるとか、ヒット祈願になってない。だれか大人が教えてあげるべきだったと思う。
サッカー選手がなぜか出てきた舞台挨拶。サッカー選手の面白さがすごかった。司会の伊藤さとりさん含め誰も役者に突っ込まない舞台でサッカー選手が出てきたことでなんとかなった感がある。
あと生で見る神木くんはかっこよかったけど、スクリーン内の神木くんは
髪がサラサラで今でも若干かわいかったです。
全274件中、261~274件目を表示