わが母の記のレビュー・感想・評価
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これが当たらないと日本映画界が心配。
まだ三月ですが今年の邦画暫定首位。多くの方にご覧いただきたい本当に良い日本映画で、最近では「大鹿村騒動記」以来です。三世代それぞれの鑑賞に十分応えられる国民作ではないでしょうか。原作・脚本も良いのでしょうけれど、役所さんを筆頭に演技とキャスティングにも突っ込みどころが見当たらず、特に樹木さんの老婆役は一つの到達点を観たようです。美しい日本の原風景映像、ロケ地、美術も素晴らしい。家族の会話ですから多めになる台詞にも無駄が無い。涙を禁じ得ない方も多いでしょう。僕は個人的な家族事情から終始じんわりと涙腺が緩んでいました。僕の父母は幸い健在ですが、生涯愛することはないと思っています。これは、たいへん辛いことです。おっと映画の話でした。ファミリーなんてカタカナに置き換えず、家族とは、家庭とは、現代日本が失いつつある、否、既に失ったその姿が、ここにあります。菊池亜希子さん惚れ直しました。
母の優しさが切々と胸に、生きている事、家族に恵まれる事に感謝したくなった!
先ず一番にこの映画で素敵だなって思えた事は、非常に情景カットを初めとして、映像的に美しかった事。と書いたら、えぇそれが何、どうした?本編とどう繋がるのと反論が返ってきそうだが、つまり、今から50年前の日本の匂いが溢れ出ているって思えたのです。
今ヒット中の「3丁目の夕日64」は本当の昭和30年代では無く、みんなの心の中の昭和のイメージの再現と言われているように、古臭い小道具があっても、セットばかりで、何か嘘っぽい感じがしていたのに比べると本作は、四季折々の自然の美しい景色を存分に映している事で、高度成長期を迎える頃の日本の香りがして、それと共に人々の息使いも今より、ゆっくりと流れていた時間の様子がとても心地良く、安心して映画の世界に溶け込む事が出来た。
昭和のあの時代は、一家の主人たる者は、雷親父と相場が決まっていたし、その親父の機嫌を損ねると卓袱台をひっくり返すさんばかりに振る舞う理不尽な世界が普通の時代。だから気難しい作家の家庭で、そして八重が沼津から来ると3世帯の大家族になり、てんてこ舞いになる。その様がとてもリアルで、きめ細かく描かれていた。
長男である伊上洪作はずっと母の八重に自分一人が捨てられたと思い悩んで生きて来たけれど、その母が徐々に認知症を患ってゆく中で、その息子を誰よりも大切に思い続けて生きて来た事を知る。
洪作と母、そして洪作と娘たち、そして八重と孫娘たち、同じ家族の中でもそれぞれの立場で、その距離の取り方の違いや性格の違いが出てくる。八重に対する想いも皆違うし、そんな身近で大切な家族同志であるからこそ、可愛さ余って、時に憎しみが倍増してしまうと言う悲しさも切々と伝わってくるのだ。
そして少しずつ壊れてゆく八重を軸に、洪作の気持ちも徐々に変化し始めると、その変化の輪は、その他の家族同志への理解へとどんどん広がりを見せ、お互いの家族の気持ちの理解の輪が、どんどん広がって、年月と共に人間として成長していく様子が手に取る様にあぶり出されてゆく。
徘徊する高齢の母を抱える家族の苦悩を時に、笑いを誘うように描いているけれども、それだけに、決して笑う事が出来ない、当事者家族の苦悩がより深く伝わってくる。
その一方で、お互いが苦悩する中から、解り合う気持ちが芽生える事で安らぎを憶えてゆく、大家族ならではの貴重なプロセスがとても、観ている私に安らぎを運んでくれた。
老いとは、どんなに嫌っても、いずれは誰でも避ける事は出来ずに、体験していかなければならない問題だけれども、必ずしも憎むべき事でも、悲しむべき事でも無く、人として生きていくプロセスの一コマであり、家族にとってもとても理解を深め合うためには必要不可欠なプロセスの一つであることが伝わってくる。
役所広司、樹木希林両人の芝居が素晴らしいのをはじめ、みな、それぞれ役者陣がとっても個性的な芸達者なキャストばかりが出演して、配役もとても自然で映画を存分に楽しむ事が出来た。家族を描く日本映画は素朴でも、素晴らしい感動を提供してくれるのだ!!
情景、心情、親子愛…丁寧に紡がれた作品
役所広司さん演じる伊上洪作(≒故・井上靖)と
樹木希林さん演じる洪作の母・八重が織りなす母子愛の
お話ということで、もう「涙」は決定です。
タオルハンカチ持参で行きました(笑)
本編は、いきなり初っ端…回想シーンから始まるのですが、
【設定からしては幾分、若いかな?】と思える、
ある女優さんが樹木希林さん演じる「八重」の往年役として登場します。
そのわずかな回想シーンが、
この映画全編の屋台骨を支えていると言えなくもない気がするんですが、
セリフもない短いシーンながら、とても良い演技でストーリーを印象付けていました。
その重要な役どころは八重と同じ「眼」をもつ、
樹木希林さんの愛娘・内田也哉子さんでした!
私は最初気づかず、後の回想シーンで気づきました。
その位、短いコマですが怪物女優樹木希林の演技を大切に繋ぐべく丁寧かつ【強い女性】を演じられています。
なんかそういった意味では三浦友和・百恵さん夫妻の次男で友和さんと同じ「眼」をもつ、
三浦 貴大さんが出演されていたり(こちらも良い役者さん♪)
色んな所で「親と子」を感じさせる映画で。。
そんなところまで狙ってないかもですけど。。
で、作品の感想としては、話の縦横がとても上手に、
そして丁寧に織りなされた作品だと思いました。
例えば八重にとっては孫となる洪作の三女、
宮崎あおいサン演じる「琴子」が八重に
「子どもの頃のお父さんはどんなだったか?」と尋ねた際の
八重に似つかわない、「八重らしからぬ答え」が後の重要な伏線となっていて、
その伏線の意味が氷解した時に「ああ、もう一度丁寧に観返したい」って心から思ったり。
井上靖さんの「しろばんば」などでも有名な通り、
役所さん演じる「洪作」は母と引き離された少年時代を過ごしていて、
そのことが母へわだかまりを残しています。
それ故、痴呆が進んでいく中での母への態度は
ちょっと意地悪だったり、卑屈だったり、恨みがましかったり…非常に人間的です。
多感な時代を母と分かれて暮らしたことを、その選択をした母親を作家として大成した後も恨み続ける洪作。
自分の娘たちに過干渉するのも、それ故じゃないかと思えるほど何度も何度も執拗に「母は自分を捨てた」と言い続けます。
でも、「信じることも愛なのだ」という事が分かった後の、娘にかける言葉「捨てる訳じゃないからな!」という台詞は秀逸、非常に台本や構成の丁寧さを感じました。
それにしても樹木希林さんは凄い!
「痴呆がさせること」という設定とはいえ、すんごい嫌なババァをぬけぬけと演じ、ある時はコミカルにある時は憎々しく、そして落とす所では、サラリと…それでいて本当に重く落とす。。
凄い女優さんだなぁと改めて思いました。
正直、前半は結構眠たい緩くタルイ流れです。
ただ全編を通して映像がすんばらしく美しかったので
最初は、「叙情的なだけの作品」かと思って「それでもいいかな…」と思った感じで。。
でも後半から必ずグっときますので、前半は情景メインで楽しんでください。
映像美はこの映画の重要な横糸になっている気もします。
GWを実家で過ごす方は公開日にこれを見に行って親への思いを強めてから行くと接し方が変わって来るかもしれません。
最後になりますが、そしてどうでもいいことですが三國連太郎さん。。。。年を取りましたね。。
それでも、とても強い存在感を示していらしました。
拝啓 両先輩、いい映画でした
原作 井上 靖 × 監督 原田 眞人(敬称略)
お二方は、俺にとって特別
母校 沼津東高校(旧沼津中学)の先輩になるのだ
そんな縁で、井上 靖の自伝小説には馴染みがあった
「敦煌」「額田女王」「天平の甍」「蒼き狼」などの歴史物もいいが
氏の作品は、自伝小説の方が活き活きして個人的には面白い
その一つ「しろばんば」では、曾祖父のお妾で洪作育ての親
戸籍上の祖母、おぬいばあさん
つまり、本作の土蔵のばあちゃんとの描写もある
監督は俳優として「ラストサムライ」で見初め
「クライマーズ・ハイ」の人間描写に魅せられ
その後、母校の先輩と知って誇らしく思った
「わが母の記」は井上 靖の自伝的な話で
舞台となるは、監督や私の故郷でもある沼津や伊豆
ここまで見る前に思い入れを感じる作品は、初めてだ
本作では、小説家と生みの親である八重との関係を描く
小説家 洪作のモデルは靖自身である
洪作は、実母八重に捨てられて育てられたとの想いを抱え
そのわだかまりの中、痴呆の兆しを見せる母と向き合う
彼の家族も交え、彼は母に何を思うのか
単純ゆえに難しく普遍的な家族の在り方を見せる話だ
そのスクリーンには、なつかしき風景や風俗が広がる
天城のわさび田、沼津御用邸前の浜、川奈ホテルとゴルフ場
旧家の古めかしさ、「~だら」という方言、バンカラな学生
特に、洪作は我がオヤジそっくりで懐かしすぎた
オレは家族を養うために稼いでいる、黙って言うことに従え
身の回りのこと、着替えの用意から母の世話まで女の役目だ
理不尽とか身勝手とか、そんなことは言える雰囲気にない
役所 広司は、そんな昭和のオヤジを連れてきた
おかげでで、幼き日がよみがえった
また、母を演じる樹木 希林には祖母を見た
同じ言動を繰り返し、お節介を焼きながらよく動く
それでいて、誰からも愛された祖母だった
その目配せから動きから、演じているとまるで感じさせない
また、宮崎あおいの生意気さと優しさ
南 果歩の奔放な妹、キムラ緑子の感情溢れる様
どの俳優も、不自然さを感じさせなかった
ある時はテンポよい会話、たとえば冒頭の洪作兄弟の会話で
またある時は沈黙と間が、饒舌にその感情を描写する
判り易く言葉で言わせる野暮はなく、BGMも最小限だ
その「行間を読ませる」描写にどんどん引き込まれていく
彼らが作った昭和の家族は
活き活きとした、生命力溢れる作家井上靖の小説と同じ匂いだった
あんたは世の中をわかっていない
その母の言葉に呆れる洪作
俺を捨てたあなたに言われたくない
母に対する想いが溢れ、変化していく洪作の様は染みた
それでも 母は母 家族は家族
表現は全く違うが「ザ・ファイター」とも似たテーマ
そんな「簡単で複雑」なことが込められていた
終盤の御用邸海岸でのシーンには胸が熱くなった
ただ、この想いは30代以上くらい
昭和の古めかしさを知り、年齢を重ねないと伝わりにくいと思う
洪作が、家族に母を任せきりで自分では何もしないのが気になる
若え衆は、そんな今風な感想を持つかもしれない
しかし、当時はごく普通の文化であり、そういうもんなのだ
不器用ながら家族を守った父、それを支えた母
ようやく彼らを客観的に見られるようなった最近のオレには、効いた
両先輩が下さった物語は、自省のきっかけにもなるだろう
あるのが当たり前であることに慣れきった単純で複雑な家族愛、ってやつを
真野恵里菜さんが素晴らしい
アイドルとかあんまり詳しくないのだが、この映画に出ていた真野恵里菜という女の子が大変素晴らしかった。山に暮らして、真っ黒で、手鼻で鼻水を飛ばすような奔放な役を活き活きと演じていて、その演技は宮崎あおいと比べても全く引けをとっていなかった。彼女の今後の女優としての活躍を大いに期待したい。
映画はミステリーのような構成になっているのだが、そんな謎解きなどなくても成立するのが親子や家族ではないかと思い少々複雑であった。
さりげなく、愛情を、絆を
この作品をスクリーンで観ながら、私は、原作者の井上靖の実際の顔を思い浮かべていた。それは、作者本人を演じた役所広司は、あまりに優しすぎる顔をしているからだ。井上靖本人は、目付きが厳しく、顔に人生の苦労を背負ってきたシワを刻んだ、とても気難しい顔だちをしていた。その顔を頭に浮かべていたせいか、「自分は捨てられた」というわだかまりや恩讐を母に持ち続けた作者の気持ちが、リアルに私に迫ってきた。
物語が進む中、私はひとつの疑問を作者・井上靖に投げかけていた(映画の中では、伊上と名乗っているが)。
「あなたは、母にどうしてほしいのか。抱きしめて、申し訳ないと言ってほしいのか。それとも、自分の目を見て涙の一滴でも流してほしいのか」
多くの読者を虜にした、数々の小説を残した井上靖なのだから、劇的な展開を望んでいたのではないのか。と、思いながら見ていたのだが、映画は、次第に認知症を深めていく母の姿とともに、淡々と進んでいった。私を含めて、スクリーンを観る観客の大多数は、母と井上靖との関係よりも、井上の家族が中心に描かれていたのに少し意外に感じていたと思う。
しかし、この映画の面白いところは、作者の井上とその家族との交流の中に、母と作者との絆そのものが隠されているところだ。それは、気むずかしい井上を父に持つ家族たちと、父とを繋いでいたのは、井上の母の存在があったからだ。原田監督は、セリフが多い中で、井上と母とが絡まない部分に、母と井上との絆の強さを家族たちが感じるシーンを巧みに入れて、認知症であっても母の重要さを観客に語りかけている。
そして、母と井上が理解しあう瞬間は、とてもさりげなく訪れる。それは、時おり井上と家族たちとが触れ合う一時と同じく、心地良い風から画面から流れてきたかのような爽やかさだ。肉親が、恩讐を越えて理解しあう、愛情や優しさ、絆というものは、抱きしめあったり涙を流しあったりするものでなく、本当はさりげないものであることに観客は胸をしめつけられる。疑問を持ちながら見ていた私も、そのさりげなさに目を潤ませてしまった。
私も、ある時から父と話さなくなり、互いに遠ざける関係がしばらく続いた。その間も、私は子どもの頃から父の影響を受けていただけに、父と気持ちを通じ合いたいと思ってはいた。しかし、その思いが叶う前に父はこの世から去って行った。だから、この映画の井上の気持ちは、私には痛いほど理解できる。両親とあまり会話をしていない人が、この作品を観ると、人生観が大きく変わるかもしれない。
愛情と奉仕による家族の在り方
「家族の在り方」を描く作品は多い。本作の家族は、有名作家である主人公と認知症の母の“記憶の行き違い”を軸に、愛情と奉仕によって強く結ばれた家族の物語だ。井上靖の自伝的小説が原作なだけに、昭和時代のセレブな暮らし向きが興味深い。家族たちは静岡の実家、東京の本宅、長野の別荘などでその折々を過ごし、一流ホテルで母の誕生パーティーを催したりと、豊かで満ち足りているように見える(夜食に食べるシュークリームの美味しそうなこと!)。しかし、母の認知症は年々ひどくなり、娘の顔も判らず、夜中に徘徊を繰り返す。介護を一手に引き受けた孫娘は、認知症の祖母と本気でケンカをするなど、同情や義務からではない、愛情からなる真の奉仕を見せる。
では、この幸福そうな家族の中で、母はいったい夜な夜な何を探しているのだろう?息子の顔も判別できないが、彼女の中で息子の“記憶”は鮮明だ。しかし母の持つ“記憶”は、息子の“記憶”とは大きく異なる。幼い頃、祖父の愛人に預けられた息子は、「母親に捨てられた」と思い、実母に対して素直な愛情を抱けないでいた。しかし母が息子を手放したのには、ちゃんとした理由があったのだ。今、母は離れて暮らさなければならなくなった息子を、夜も昼も探し求めている。息子がその事実を知った時には、母の認知症はだいぶ進んでいたが、母には息子の気持はちゃんと伝わったと思う。息子に負ぶわれた母の見せる、人生の苦しみを全てぬぐい去った無垢の微笑み。母を演じた樹木希林の、子供のような、菩薩のような、穏やかで愛らしいその表情に胸が熱くなる。
一歩間違えば重くなりがちなテーマを、終始笑いを交えることで、上品で上質なホームドラマに仕上がっている。ただ1つ残念なのは、恍惚の域に達した母の死のシークエンスをラストに持ってきたこと。年老いた母の死は、当然予想できるものなので、せめて物語の中では、穏やかに庭の紅葉を見る縁側の母の姿で終わってほしかった。この母にとって、死とはドラマティックなものではなく、今の安住の延長に過ぎないのだから。
ここに描かれる前向きで愛情深い家族の姿は、デスコミュニケーションな現代の家族には無いものかもしれないが、相手を思いやり信頼するという気持ちは忘れないでいたい。
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