わが母の記のレビュー・感想・評価
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認知症に罹患してからも息子を想う母の気持ちに涙溢れる。故、樹木希林さんの代表作の一作。
幼き頃、母との別れを母に捨てられたという屈託を抱えながら、社会的地位を築いた男が主人公。
彼が当時の真実を知り、母が認知症に蝕まれながらも息子に対して贖罪の気持ちを持ち続け、ある行動を続ける姿を見る中で自らの母に対する心の解放と慈しむ気持ちを取り戻す姿に涙が溢れる。
初見以来10年近く経つが、扱うテーマの重さは変わらない。
今、当時のパンフレットを読み返すと、今や日本の邦画を支える俳優陣のラインアップにも驚かされる作品。
家族とは何かという永遠のテーマに対して、ある答えを提示した作品でもある。秀作。
<2012年4月30日 劇場にて鑑賞>
こりゃ泣くわ…
これはずるい! ましてや 数年前に母を亡くしたこの身には…
ただ 井上靖の原作の方が多分いいような…役所広司が朗読する文章を聞いて思いました。 読んではないのですが…(;´д`)
音楽もバッハ… 老婆に樹木希林…そこに少し安易さも感しました。
宮崎あおいは良かった。 亡くなる父は三國連太郎なのでしょうか? 凄い演技でした。こんな芝居をする老人どこから連れてきたのか?なんて観ながら思いました。だとしたら、メイクも素晴らしい仕事ですね
でも 老母が詩の紙切れを出すシーンには
やられました。
原作を読みたいと思います。
4回観た
一度目は映画館で祖母と。
二度目はもう一度確かめるために家でDVD。
三度目は妻に見せるために家でDVD。
四度目は妻に請われて家でDVD。
☆良かったところ☆
映画は幻滅の装置だ、ああ作ってはいけない、もう観てはいけないなあ、と思うことが、映画鑑賞後、まあよくあるが、本作は映画が幻滅の装置であることがじゅうにぶんによく機能している。(これは名作映画の条件ではないか。)
ここで私のやたら言う「幻滅」とは、スクリーン上で夢想を描かれた挙句、それが高が幻想にすぎない嘘っぱちだよ、としらじらしく暴かれることによって、夢を抱いてしまったこちらはガッカリすることだ、として、「幻滅」させられること、一見あまりにネガティブな言葉だが、何もマイナスに働くに限ったことではないくらい、映画が好きならその好きな作品を観終わった後、家路につくその瞬間の気持ちが「幻滅」なのだから、大いにプラスに作用することもある、と理解している。
本作の「幻滅」の素晴らしき構造を説明したい。させて下さい。
まず、たかが映画である、と言う時点で、もう「幻滅」だ。これはどの作品にも共通で、その前提があるからこそ、芸術たりうる。批評されるに足る作品たりうる。
次に、役所広司演じる主人公、伊上の「幻滅」だ。伊上はこの作品の中で、何度も幻滅する。家族に期待しては集中砲火で責められ幻滅、父の死に目に会うては邪険にされ幻滅、母への怨念でもって母に執着しても肩透かしを喰らって幻滅。
幻滅、幻滅、幻滅の、とくに出だしから中盤にかけて、かっこいい頼りがいのありそうな一家のあるじは、雷に必死になって怯えるほどか弱く、周囲から気を遣われ見透かされる。
そしてここでうまいのが、彼は小説家であるという、その役割自体のもつ構造だ。
小説家として自伝的小説・私小説を、彼は自分を客観視し見下し透徹した視点で書き込んで行く。そんな理知的な姿には、我々、映画作品内でもっとも理知的な参加者=鑑賞者は、この男をまだ「幻滅」しないで済むのだ。この気持ちは伊上に寄り添う、宮崎あおい演じる三女にじつに、近い。彼女が観客の目となり、理性となって、伊上に立ち向かい、挑み、最終的には抱擁する。
さて、とにかく、
それら「幻滅」が続けば、人は成長するものだ。この作品は、家族の年月の経過を切り取ったものであるが、伊上は年月を経て、一言で、老化、というほどやわでない。見た目にも変化が生じて、それに伴い、性質のカドが取れ、円熟味を帯びて行く、その過程が、端的に、明確に、かつ控えめに描かれていく。「幻滅」への耐性がつくられていく、尊敬に値する人物が、できていく。我々は彼の家族とともにほっと胸なでおろすとともに、時折頼りがいのある父、大好きなその一面を見る気分だ。
にも関わらず、なのだ。老成してなお、伊上には、譲れない幻想があるのだ。
それは彼の固執する、実母への恨み。幾度とない肩透かしを経ても、なお、その思いは煮えたぎる、母に挑むその目はまるで、それこそまだ小さな子供のように、愛に飢え、愛を熱望した眼差しだ。最も理知的な我々は、我々の次に理知的な伊上をほぼ信頼しているので、この彼の思いには並々ならぬものがあるのだな、と思いやる。
それが幾度か、差し込まれながら、彼の、想像だにしなかったかたちでの愛の結実は、まさしく母の死の直前に訪れる。全体のストーリー的には、事件が解決する大きなポイント、というほどダイナミックなことは言えない、もっとそっけなくて、いわば、一つ伏線が回収された、かのように、だが、リアリティをもったひとつのエピソードが、終盤発生する。
理知の王たる我々鑑賞者は、あんなに冷静だった伊上の、しかも老成した彼の、しかしその子供じみたリアクションには、本作カメラマン芦澤さんのとらえる、作中最接近、緊迫した距離感にて、手を叩き隣人と抱擁し涙に噎せて嗚咽するほど感情を揺さぶられるのであった。
(この感動の種類は、ニューシネマパラダイスのラストに似ているかもしれない。)
大まかな「幻滅」構造については以上だが、
原田監督の凄いのは、各シーンの隅に「幻滅」の毒がはびこる、観客はスキあらば粗探しし、冗長してしまう、その前に、新鮮な情報の提供が、カットバック、カット、セリフ、それらを融合した技が、じつにリズミカルになされる面である。
これは監督一流の編集・脚本の手腕であり、惚れ惚れしています。ほか作品に際しても、私は原田監督だけは、信頼してやまない。(海外でいうと、「バベル」「バードマン」のイニャリトゥ監督が似ているか)
★悪かったところ★
なし。
親子というもの
親子の在り方のようなものを考えさせられた作品。
親にとって子は何歳になろうが子で、子にとっても親は何歳になろうが親で、普遍的でしっかりとした親子という関係が描かれていると思った。
また、時間が流れていく様子も上手く描かれていたと感じたし、季節が移ろいゆく様子も映り込む自然から感じることができた。
最後に一言言うとすれば、色々な人に一度は観て欲しいと感じた作品でもある。
おばあちゃんに会いたくなります。
おばあちゃんを中心に家族、親戚が一つになって支え合いながら生きる姿が素敵でした。
親戚関係って普段は只々鬱陶しく思うものですが、誰かが亡くなったり、結婚した時に集まると何故だかホッとするものです。
おばあちゃんの周りを親族が嫌味や小言を言いながらも、笑いながら世話をする姿が良かったです。
また、最後に父が語る、「人生色々あるけれど、行き着くゴールは同じ」という言葉に感動しました。
苦しみの過去が、最終的に幸せという一つの形になれたら素敵ですね。
宮崎あおいさんの自然体な演技と、樹木希林さんの天才的な演技に感動しました!
いいお父さん
お父さんの視点から描かれる家族の愛をテーマにした作品だと思います。
父であり息子、母であり祖母であり、娘であり女であり
色々な人の感情がいる人の分だけぶつかり合うのが家族なのかなと
思いました。
ぐっとくるいい映画でした(T-T) 久しぶりに邦画みたなーって感じ...
ぐっとくるいい映画でした(T-T)
久しぶりに邦画みたなーって感じです!
樹木希林の演技がすさまじかったです!
エンドロール最後まで余韻が残る作品です!
伊豆
美しい映像でした!
そして樹木希林の独壇場
他のすべての役者がかすむ…
以外やキーマンは奥さんでしたね
傷や苦悩を癒すことをせず”物書き”の原動力として温存する
でも真実を理解しているからこそ支え続けられた伴侶♡ですわね~
きききりん
たぶん万人受けもしないし絶賛もされにくいだろう作品。
しかし私は人生最後に観たい作品のひとつ
我が母の記
記憶なのだろうが記録なのかも、もしかしたら生の軌跡なのかなんて勝手に考えていた。
私は役者の名前をこの人しか知らない。
この作品で知った
母の愛
息子と母という関係は、捨てようがなんだろうが絶対に切れないものだと実感できる作品だった。
樹木希林の演技がそれを彷彿させるきっかけになった。
また役所広司の渋く深い演技力があることで観る者を惹きよせる映画に仕上がっていた。
この作品はベスト3には入るだろうか。
『わが母の記』
もの書きを題材するハンデは親近感が得られないとこなのよ。
一般家庭や一般社会からちょっとズレてる、観てて感情移入し難い。
これを逆手に取ったのか、そこが巧かったねこの監督は。
長く見せないでスッと切り替える、対面の使い方なんかも絶妙でした。
オープニングの小津安二郎へのオマージュのシーンに内田也哉子が出演してる、これが本当にバッチリでね良かったです。
浮草の匂いをさせながらもちゃんと紀子が出てくるしね。
樹木希林の十八番芸が炸裂、神の領域の演技はもう溜め息モノ。
言わずもがなこれと渡り合えるのが役所広司なわけですよ。
脇役陣も赤間麻里子、キムラ緑子、南果歩、遺作となった三國連太郎と実力派、技巧派が文句なしの演技を魅せる。
食堂での橋本じゅん、大久保佳代子の二人も良かったですよ。
こういうシーンなんか小津映画の匂いはしない。
この映画は原田映画ですよ。
良かった。
意外と面白かった
またしても自分の見識の甘さを痛感。面白くないだろうな、でも「良い作品」としての評価を眼にしてたから見ようかな…という気持ちで見始めたが、冒頭2~3分で「本当に失礼しましたっ!」という気持ちに切り替わった。 家族の物語なんだ。確かに「良い映画」だった。ちゃんとリアルで役者達も皆うまくて、「金銭に余裕のあるご家庭の暮らしぶり」も興味深かったし、小津安二郎の作品を踏襲しているような感じも惹き付けられたし。いやぁ、賞を取った作品はとりあえずそんなにはずさないって事だけは肝に銘じます
母と息子
樹木希林の名演技に尽きる。右往左往する家族達は実力者ぞろい。
だけど、おもしろくない。
地位や資産に恵まれた老人はほんの一握り。大半の家庭は、老人と取り巻く家族が精神的にも経済的にも苦悩する。原作とはいえ、そんな厳しい場面を覆ってしまっているようで、現実感がない映画の世界になってしまう。
主人公の少年期の苦労があったしそれが解凍されていく場面もあり、もっと感激しても良いはずなのに。父親を亡くした自身の経験とかみ合わず感情移入できず、そこに冷めた自分がいた。
見事な演技で魅せる
総合70点 ( ストーリー:65点|キャスト:85点|演出:80点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
井上靖の自伝的小説の映画化だそうで、彼の家庭人としての人柄に加えて、複雑な家庭環境の少年期の出来事とそこからくる彼の屈折した感情が垣間見れて興味深かった。
特別大きな物語ではない。昔のことならこのような親子関係なんてどこにでもあっただろうし、井上靖が小説家だったからこそこのくらいの話でも物語として成立したのだろう。だがこの作品の見所は登場人物の演技だった。樹木希林・役所広司・宮崎あおいの親子三代の、単純に家族愛の溢れているとは言えない一筋縄でいかない関係と感情を見事に演じていた。子供を手放したという悔い・家族に捨てられたという思いと互いに頑固な父娘が地道にぶつかりあう。小説家として大成した後でも、少年時代の心の傷が消えずにいる。時の経過とともに母への想いが変化していく過程が、一つ間違えば退屈なだけの話も役者の力によって上手に表現されている。派手さを避け物語を淡々と進行させ音楽の使用も最小限に抑えた演出も、地味だけどこの作品には合っていると思う。
和解
命が消える前に握った手は、暖かかったのか。
東京へ戻る際、寝たきりの父親が枕元で挨拶する井上に手を伸ばしてきて、その手を握った井上。大作家になった井上を褒める為に手を伸ばしたのか、それとも何か違う言いたいことがあったのか。その東京に帰った日に父は死に、もう判明することのない謎です。
父の死の知らせを聞いて、何となくの喪失感と共に吹き消した明かり。明かりを覆い息を吹く。かざした手に感じた仄かな暖かさは、人肌を思い浮かべることができるほど似通っていた。非常に文学的です。良いシーンだと思います。
『自分が捨てられた』と根強く持っていた母とのわだかまりも、母が過去を忘れていくことで何となく解消される。年月の経過で、母への態度も軟化していきます。それだけではなく、過去を忘れて耄碌していく母は自分の記憶のガードを緩めていき、はっきりした意識では決して言わなかっただろう事を口に出す。長年のわだかまりや不満も一気に氷解し、涙する。理想的な和解。こんなことが現実にあるなら……苦労しません!!ですが、現実にあったことなんでしょうね……
惚けが良い方に向かった例です。悪い方へ向かった例が沢山ある中で燦然とかがやく一例。
かつての家長を支える家族という像が劇中ずっと続きます。玄関まで妻が帰りを迎える、着替えを手伝う、などのシーンは今にないことです。時代が進むにつれて、そんなシーンも無くなっていくのが時代の変遷を感じさせます。最後のシーンでは一人で着物を着ていましたし。そういうところが映画として上手い。
井上は結構気難しい男のようです。しかし、子供のことも気にかけて「大きな声出してないだろ!」→「大きな声出してすまなかった」と謝るシーンは理不尽ではない父親像を描き出していていいですね。
次女がハワイに洋行、というシーン。いやあ、さすがに金あるなあ、と下衆い感想を抱きました。そりゃあ、ベストセラー作家ですもんね。あの時代にハワイに留学する娘(!)の為、一家でついて行き(!)、船の出港時刻に遅れそうな者には飛行機で来ればいい(!)なんて、セレブです。
シーン上ちょっと粗いと思ったのは三女琴子が運転手に告白するシーン。小説にこのシーンがあるのなら、やっぱりそのことをしった井上が後ほど想像で書いたシーンだからか少し唐突。映画だけのシーンなら、それまでのエピソードが小説準拠だったため、粗が目立つのか。
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