キクとイサム

劇場公開日:

解説

大東映画の第一回作品。会津磐梯山を背景に、黒人ハーフの姉弟を叙情的に描き、この問題を社会に訴えようとするもの。主役の二人には何人かの候補者の中から東京荒川の小学六年生と横須賀の小学四年生が選ばれ、今井監督のもとで俳優としての訓練をうけた。水木洋子のオリジナル・シナリオを、「夜の鼓」以来ひさびさの今井正が監督した。撮影も「夜の鼓」のコンビ・中尾駿一郎。

1959年製作/117分/日本
原題:Kiku and Isamu
配給:松竹
劇場公開日:1959年3月29日

ストーリー

キクは小学六年生だ。からだは人一倍大きい。村一番のおテンバである。ガキ大将の少年もかなわない。弟のイサムは四年生だ。これも相当なワンパクなのだ。しげばあさんは孫の姉弟を乳呑児の時から育ててきた。もう二人はばあさんの手におえない。初秋のある日ばあさんはキクに野菜籠を背負わせて町へ連れて行った。病院で診察を受けるためだ。キクが野菜を売り歩くと、人々の好奇の目が集った。病院でも--キクは一向気にしなかった。ばあさんから貰った十円で行商の雑貨屋から赤いくしを買うと楽しそうに先に帰った。ばあさんは診療を終えた院長に二人のハーフのことを問わず語りに話した。院長はアメリカの家庭へ養子縁組の世話をするところへ頼んであげるといった。--カメラを下げた見知らぬ男が村へ現れ、仲間と遊んでいたイサムの写真をとった。キクの方は舌を出して逃げた。が、その夜キクは気になって、その男のことをばあさんにたずねた。姉弟のどちらかを養子縁組するのだという。キクはいやだった。しみじみさびしかった。--イサムは学校で友達から「クロンボ」とののしられた。「おら、クロンボでねえど」友達の頭をガンとなぐった。--秋祭だ。となりの清二郎夫妻に連れられて鎮守の森へ行った。見物の衆がみんなキクとイサムにたかった。見世物の連中は商売にならぬと怒った。イサムはまた友達とケンカし、ムキになって見世物の棒の足場へ登り、大騒ぎになった。外務省から知らせがきていた。イサムがアメリカの農園主に引きとられるという。イサムは疲れて眠っていた。出発の時、写真の男に連れられて、黒白のハーフたちの汽車に乗りこんだあとで、イサムは急に不安になった。「おら、いくのやンだ」写真の男がイサムをおさえた。「姉ちゃーん、ばあちゃーん……」イサムは必死に泣きわめいた。キクもわあわあなきながら、汽車を追って夢中で走った。--キクが子守していた赤ン坊が行方不明になる事件が起きた。友達に「売れ残り!」などとはやされ、夢中で組み打ちをしていた間にである。村中大騒ぎになった。キクが出発する芝居一座のオート三輪の上に置いたので、そのまま走って行ったことがわかった。子の母はタチの悪いいたずらと見た。ばあさんは思いあまって、村人たちの前で、キクをなぐった。「お前は、やっぱり尼寺サ行け……」考えあぐねた末のことばをしんみり言って聞かせた。キクはしょげた。--夜明け。キクがいなかった。納屋の前に赤いくしが落ちてい、中にキクがポカンと立っていた。梁から縄をつるしたが、重くて切れたのだ。「キク……バカタレ……」ばあさんはキクにしがみついてたたいた。そして、キクはその時、大人になっていた--。ばあさんは赤のご飯をキクのベントウにつめた。「お前をどこにもやんねえ。ばあさんと一緒にいてエつうなら一人前の百姓になれ」ばあさんはキクを上の小豆畑に連れて行った。登校する子供たちがからかっても、「年頃だからナおら。かまってやらねえじエもう……」キクはそっくりかえって歩いていった。

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映画レビュー

5.0あっぱれ、今井正監督!

2021年10月16日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

『アメリカの家庭へ養子縁組』 当時はこういう形で、養子縁組をしたんだと思った。現在、日米の里親制度はないと思う。例外はどこにでもあるのでご承知を。 中国からはかなりの子供、特に女子が米国へこういう形で入っている。終戦後、日本人が女性で米国軍人の子を身篭った場合がどのケースよりも多いと思う。白人、黒人、など、生まれた子供がアジア系に見えない場合、このような養子縁組が行われたのかもしれない。日本で、いじめにあったり、生きにくいという不当な理由ばかりでなく、経済的に子供を養っていけないという理由も含めて。歴史を紐解く必要がある。

キクとイサムはたまたま、黒人と日本人のダブルで生まれてきたわけだが、一歩、部落を抜け出て、他の部落に行ったり、町に行ったりすると、好奇心の目が二人に注がれる。 現在でも、このような共通点はあるし、『日本語が話せる』と人々は驚いたりする。それに、祖母と医者に行った時、キクは屋台のクシをじっと見つめたり、初めて見るものへの好奇心が強く、立ち止まって、じっと見ている。 キクを見ている人々はキクを凝視して動かない。この対比に興味があった。人々の中には差別意識がなくても、初めて見るキクに対して、目をそらさない。現在で言えば、マイクロアグレッションである。
第2次大戦後の進駐軍は『戦争の花嫁』といって日本人女性を米国に連れて行ったケースも多いが、このようにキクとイサムの母親のようなケースもあるだろう。

その後の展開で、好きなシーンはこの二人の子供をどうするか、アメリカの里親からの手紙を読んで、家族や近所の仲良しと討論するところである。もちろん、このように多面的な話し合いになって当然だが、せいじろうさん(清村耕次)の新聞を読んで、米国社会情勢(英語?)も把握しているところが素晴らしかった。当時、米国では公民権運動すらも通っていなかった。 マッドバウンド 哀しき友情(2017年製作の映画)の映画を見れば米国の状況も推測がつく。 軍隊はすでに、1948年にトルーマン大統領の命令で黒人白人はいっしょに働くことになっていた。だから、日本進駐軍はひとまず、人種を超えて交わっているように見える。しかし、現実のアメリカはジムクロウ法の真っ只中で、日本人がアメリカ人と結婚して、米国に行くことは差別の中を突き進むことで、抱いている夢は程遠かったと思う。白人は有色人種と結婚が出来なった州も多くあった。せいじろうさんがどのあたりまで知っているかは別として、彼の危惧も理解できる。それに、今井監督のこのシーンの配慮は素晴らしいと思う。ただのお涙上第映画にしていないところが好きだ。

もう一つ、この映画は公開が1959年なので、明らかにそれ以前の社会情勢をもとにしている。家族の食生活は貧しく、コメと大根とお茶のように見受けられる。 太平洋戦争敗戦後の一般市民の生活は大変だったんだな。戦争は恐ろしいね。 私は個人的にチェゲバラの『モーターサイクルダイヤリーズ』を読んでいるがこれは1952年の話でモーターサイクルでブエノスアイレスからカラカスまで旅をする話で社会情勢を描いている。途中、アルゼンチン、チリ、の家庭に招かれるチェと親友アルベルトの食事は特別だとはいえ、肉、野菜、果物、穀物、ワイン、チーズが豊富で、驚いた。改めて戦争の悲惨さを感じる。

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Socialjustice

4.0日本人の母と米兵の間に生まれたキクとイサム姉弟。終戦後の混血児を題...

2021年2月13日
スマートフォンから投稿
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collectible

4.0ゴリラ姉ちゃん

2019年7月12日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 ゴリラ姉ちゃんと言われるほど南方系の顔をしたキク。少年たちのバイクを取ってしまうほど暴れん坊(お転婆)かと思ったら、おばあちゃん思いの優しい子。混血ということは話してなく、日焼けがひどいと信じこまされていた。

 「くろんぼ」と言われ、いじめられそうになっても理解できない二人。当時48歳の北林ばあちゃんの演技がすごいため、暖かく見守る姿に和んでしまう。

 イサムがアメリカにもらわれていってから、「お富さん」を歌いながらタップダンスを踊るキクは大人達からは拍手喝采をあびるが、子供の間では「売れ残り」と罵られる。引き取り手もなく、子守りもうまくいかず、尼寺に行けとばあちゃんに言われる。そして自殺未遂まで・・・

 圧倒されるほどの谷林さんの演技。聞き取りにくい台詞も多いが、娘や孫たちへの想いがずしりと伝わってくる。戦後の米兵に犯されたのか、恋仲になったのかはわからないけど、混血児の悲劇。それでもたくましく育つキクにエールを送りたくなってしまいました。

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kossy
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