パリ、テキサスのレビュー・感想・評価
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顔を合わせる
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
名作。みてよかった。
息子がいるにも関わらず4年間も行方をくらまし放浪していたトラヴィス。彼は過去の傷ゆえ容姿に無関心で無口である。彼の弟のウォルトは、兄が倒れたと連絡を受ける。するとわざわざ遠いテキサスまでいって、彼に献身的に尽くす。しかもウォルトの妻のアンは彼の息子ハンターを息子同然に育ててくれていたのだ。彼らのおかげで徐々に口を開くようになり、服装にもこだわり始める。4年ぶりに再会した息子とも関係性を深め、父と呼んでもらえるようになる。ここまではいい話だ。
だがトラヴィスは妻のジェーンに会うために、突然息子をかっさらうように連れ出し、ヒューストンに向かう。献身的に尽くしてくれたウォルトとアンを反故にする行為。この時のウォルトとアンの絶望感はつらい。
ジェーンとの再会もつらいものがある。ジェーンは息子に仕送りするために風俗店で働いている。彼は落ちぶれた彼女を目の当たりにする。またこの店では客がマジックミラー越しに女性と会話するシステムだ。だからトラヴィスとジェーンは目を合わすことができないまま、そしてトラヴィスは反射された自分自身に語りかけるように過去の傷を開示させるのである。
トラヴィスは彼女を愛しているがために彼女に執着し、自由を奪った。それは彼女をモノとして所有し、享受する行為であると言えるだろう。彼女の主体性は抹消され、彼の欲求のままに彼女を味わう行為。それに彼女は苦痛を覚え、夢へと逃避することも分かるだろう。だから彼女が住処に火を放ち、彼を殺そうとしたことや息子を手放し自由を取り戻そうとしたことはとても分かる。
彼も過去の過ちを自覚している。だが彼は過去の過ちをどのように償えばいいか、傷をどのように回復できるか分からないままである。だからハンターとジェーンと共に暮らすことを断念し一人逃避するのである。
彼はハンターに宛てたメッセージでこのように言う。
「僕は一緒に生きられない」
「過去の傷がぬぐえないままだから」
「どうしてもダメだ」
「空白が空白のまま」
「自分が発見するものがこわい」
「それに立ち向かわないことがもっと怖い」
空白とはジェーンへの欲望ではないだろうか。ジェーンを愛するがために、彼女を自分のモノにしようとする欲望。だが彼女はモノではないから絶えず彼の手から逃れてしまう。この欲望は決して充足されないものである。
彼は彼の内なる欲望を発見することが怖い。その欲望に立ち向かうことも怖い。だから火を放たれた時のように、「自分の形跡が完全に消えるまで」逃避するのである。
彼の逃避は欲望と同様決して満たされない行為である。4年前の彼はテキサスのパリスへ逃避していたが、そこの終着地は空地であった。今回の逃避で到達する場所も空白であるはずである。
そして彼の逃避への警告はすでにされている。高架での精神に異常をきたしていると思われる男の警告である。
彼は言う。
「安全な地帯などどこにもない」
「私が保証する 安全地帯は抹消されている」
「安楽の地と信じた所には安楽でないものが待っている」
ジェーンとハンターが共に生活するために、自分の形跡を完全に消そうとする逃避。だが彼の逃避はどこにもたどり着けない。身を休める安楽の地はそもそもない。むしろ彼には充足されない空白のみが待たれているのである。
ではどうしたらよかったのか。私は彼らがマジックミラー越しに会話した時、一瞬ジェーンの顔にトラヴィスの顔が重なったことに手掛かりがあると考える。つまり他者の顔に自らの欲望が重ねられていること。そして顔は決して自らと同一化できないこと。それに鏡のように眼差しを向けること。それが大切であると思うのである。
土地を買ったんだ。テキサス州、パリ。
オールナイト三本のうち、2本目。
この夜の興味はこの映画。なにかにつけ、監督の作品の中で名が挙がるのだから。
パリ、テキサス。フランスのパリとアメリカのテキサス州の話かと思ってたら違ってた。映画の中でもそのくだりがあるのだから、僕がそう勘違いしてたとしてもしょうがあるまい。
ハリー・ディーン・スタントンは「LUCKY」しか知らず、ゆえに老いぼれの爺さんの印象しかなかったけど、なるほど若いころはこんな雰囲気なのかという感慨があった。その、トラヴィスが徐々に父親としての自覚が芽生えていく過程は微笑ましい。そしてたぶん、トラヴィスとジェーンの再会の場は、甘く切ない大人の恋が再燃する感動のシーンなのだろう。あのシチュエーションはちょっと萌える。だけど、ひとつ引っかかる。突然の再会だとしても、それが声だけのやり取りだとしても、何年か一緒に暮らした夫の声に気づかないものなのかということだ。どの男の声からもあなたの声が聞こえる、とまで言っておきながら、すぐにわからないの?と焦れてしまった。かつての会話とはトーンが違っていても、愛していた相手なら一言二言で気づくものではないか、愛が足りないのじゃないか、と。
ハンターを連れ出し、女に預けてしまったあとの、弟夫婦の気持ちはどうなるのか?というもやもや。ハンターとの旅は、ハンターの為を思ってことだとしても、ハンターを献身的に育て上げた弟夫婦に対する配慮としてはいただけない。堅苦しいといわれてもその思いが強い。つまり、監督と僕とでは、なにか感情の置き所が違っているのだろう。
全部かっこいい
映像もストーリーも音楽も、演技・演出・役者も、ロケーションやモチーフも、とにかく画面に広がるありとあらゆるものが格好良くて、静かにじっくりと映画時間を堪能できるのではないでしょうか。小難しいことなど一切ありません。展開される事柄を素直に感じるがままに捉えていけば最高の2時間半になるはずです。
いい映画だとは思うけれど全く合わなかった
高評価しているレビューアーの多くが、映像が、音楽が、ナスターシャ・キンスキーが、と書いてるが、これらはもう好みの問題だ。いい映画だとは思うけれど、少なくとも私には刺さらなかった。
映像の良さで作品を評価することはある。映画の一番は映像だと思っているので、どちらかといえば比重は大きい。しかしそれは、映像に意味がある場合と「おっ!いい画だ」と思えるインパクトが必要だ。後者はやはり好みの問題であるから合わないものは仕方ない。
例えば映画監督のウッディ・アレンは人気があって評価もされているが、あまり好きではない。やはり好みに合わないのだ。合う合わないは嫌でも存在してしまう。
あとは、内容がちょっと前時代的で受け入れがたく、苦い気持ちになったのもマイナスだ。ビタースイートなラストに感動!しないこともないけれど、ついアンのことに思いを馳せてしまう。
弟とその妻アンはハンターを育ててくれていた。ハンターはその二人をパパママと呼び実の両親のように慕っている。アンとハンターは本物の親子だったのだ。
血の繋がりに重きを置きたいのは分かるけれど、アンとハンターの親子関係を否定しているような感覚になるのはいただけない。
もう一つオマケに、タイトルにもなっている「パリ、テキサス」の意味するところは何となく分かったけれど、それが内容に効いてこないのは勿体ない。
せっかく、なんのこっちやなタイトルの意味があるのだから、それを活かせてインパクトを与えて欲しかった。
なんとなくずっと鑑賞するタイミングがなかったけど 観てよかった。 ...
なんとなくずっと鑑賞するタイミングがなかったけど
観てよかった。
すごく言い映画だけど言葉で説明するのが難しい。
トラヴィスがほとんど話してくれないので。
でも言葉で語ることが全てではないとゆうことを映画で示してくれてる作品で、多くの人に愛されているのに納得。
スタイリングが神がかってる。
配信で鑑賞
答えなんてない...
学生だった30数年前、ヴェンダースの作品は一通り目を通したはずなんだけど、今この映画を観返してみるとほとんど記憶にない。若くて人生経験に乏しかったあの頃。きっとただただ長くて退屈なこの映画のレンタルビデオを舟をこぎながらから回しさせていたんだと思う。
時を経て、社会に出て、家族をもって、それなりの人生の厳しさや喜びを味わってきた今、この作品のあらゆるシーンで色々と考えさせられてしまう。随所で流れるギターの音色が心にしみる。家族の在り方って何なの...その答えはやっぱりわからないまま。そう、答えなんてないんですよね...
ロードムービーのお手本のような名作
これまた名作ですね。
ロードムービーのお手本のような作品。
冒頭から、我々の目の前に「どん!」と大きな謎が呈示される。
この男は、何者なのか? どこから来て、どこへ行こうとしているのか? なぜ黙ったままなのか?……。
やがて、荒野をさまようファーストシーンは、主人公の虚無感や絶望的なこころの内を表現したものだとわかる。
ライ・クーダーの音楽がぴったりすぎるほどぴったりとハマっていて、本作のトーンを決定づけています。
そして、ナスターシャ。美しすぎる!!
ラストシーンの長回しは、この映画のハイライト。
悲しいけれど、けっきょく2人が直接向き合うことはなかった。
あの、風俗店の仕切りが、もう修復できない夫婦の関係を象徴しているのですね。
アメリカの匂いをプンプン感じる映画でもありました(アメリカに行ったことないけど)。
ギターの音色が奏でる!! 真紅に染まる♥空白の時間を埋めるロード・ムービー
4年間、行方不明だった兄のトラヴィスが
病に倒れ、弟のウォルトに会った!
不運に見えたトラヴィスでしたが、
実の息子、ハンターに初めて会うことができるチャンスを与えてくれたように思いました。
心に傷を負った男性が、自分を探す放浪の旅に出るストーリーでした。
久しぶりに会って、兄と弟が空白を埋めるようにアルバムの写真を見たり、8ミリビデオの
映像を見たりして、家族の想い出を振り返る
場面は、兄弟2人の物語でした。
育ての母親、アンヌはハンターを自分の子供のように愛していました。
ハンターは、トラヴィスが実の父親であると
知って戸惑う様子を見せていたけれど
夕景と道路を走らせる車のライトの灯
抜けるような青空、高層ビルの下
トランシーバーで会話するトラヴィスと
ハンター。
テキサスのパリスに向かうトラヴィスは
救いの地を求めていたように思いました。
パリスで再会した元妻、ジェーンと
トラヴィス。
マジックミラー越しに語られる感情の
ぶつかり合い!『愛』
受話器を通して聴こえてきた声の主
に気が付いたとき!
ジェーンの切ない感情が溢れ出してきました。
ホテルで初めて会うことができた
ハンターとジェーンが抱きしめ合う瞬間。
ジェーンの濡れた瞳、ハンターの横顔
美しい親子の愛がありました。
2人から去っていく選択をしたトラヴィス。
自己より、家族の愛情を深く感じた
ストーリーでした。
不朽の名作
何度観ても発見があります。
3度目なのですが、毎回感想が違います。
20年前に初めて観た時。
まるっきり理解できなかった。
映画の基礎知識と映画体験があまりに欠けていたのでしょうね。
2回目。3年前。
これは凄い切ないラブストーリーなのだ。
トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が思い詰めてる愛に
涙が止まらなかった。
究極の愛の物語。
そう思いました。
そして今回。
息子への愛と責任。
そう感じました。
ファースト・シーン。
広大な赤茶けた砂漠のような土地。
乾ききった男が水を求めている。
生き倒れた男。
一言も話さない。
記憶がないらしい。
一枚の紙切れの電話番号。
電話を受けた弟はロサンゼルスから駆けつける。
優しい弟。
徐々にその男・トラヴィスが家を捨てた理由が見えてくる。
彼には若い妻と生まれたての男の子がいた。
育児と男の束縛を嫌った妻・ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)は、
トレーラーを燃やして出て行ってしまった。
それから男は可笑しくなった。
発見されるまでの4年間は、何をして生きてきたのか、
分からない。
弟のロサンゼルスの家に憩い、息子の7歳に成長したハンターと
どう向き合えば良いのかも分からない。
そして義妹のアンから、ジェーンがらの送金が月に一度
ヒューストンの銀行から振り込まれると聞かされる。
ハンター(ハンター・カーソン)を連れてピックアップトラックで
ヒューストンに向かう。
銀行の前で張り込む。
見つけたのはハンター。
赤い小型車を尾行する。
行き着いた場所はゲームセンターのような、バーのようなビルの
風俗店。
ジェーンが美しい。
トビッキリに美しい。
(ナスターシャ・キンスキーの美しさは、事件です)
カーテンで仕切られたブースに幾つもの小部屋がある。
女の個室のような部屋にはマジックミラーが付いている。
客からは女が見えるが女から客の姿は見えない。
客は受話器越しに女と話すのだ。
2回目に会ったとき。トラヴィスは長い話をする。
どうして、こうなってしまったのか。
男が女を愛しすぎて縛り付けてしまったから・・・。
息の詰まった女は息をするために、子供と3人の生活を壊した。
若く美しすぎる女。
トラヴィスには似合わない。
「息子(ハンター)に会いたくないか?」
「ダウンタウンのホテルにいる。1520号室だ」
ジェーンとハンターが抱き合うシーンは、なんとも言えない。
安堵、放浪の果ての帰航。
トラヴィスとジェーンとハンター。
このトライアングルは、上手くいかない。
けれどジェーンは母親ならちゃんと出来るはず。
心が壊れるほど、1人の美しい女性を
愛しすぎた男
身を滅ぼす愛
究極の愛の映画だった。
めでたしめでたし。大団円。
ライ・クーダーだ。懐かしい♥
家族の幸せそうな姿をバックにして流れる『ライ・クーダー』の哀愁のあるメロディが泣けてくる。
ライ・クーダーのこの曲を聞くのは何年ぶりだろう。大森か渋谷で見た。しかし、最後まで覚えていないと言う事は、初見はその良さが分からなかったと思う。今日最後まで通して見る事が出来た。
さて、
この映画に対する記憶は、後の『バグダッドカフェ』と重なり『バグダッドカフェ』が邪魔して、私の頭の中からこの映画は消えたようだ。『トラヴィス』と『ジャック・パランス』が似ている。考えてみれば、どちらも、西ドイツ映画だ。
このワルツのインストルメンタルな曲は『ミシュテカの歌』と言ってネイティブアメリカンの曲の様だ。ライ・クーダーのアルバムに無い訳だ。今回、それが分かったので、大変に良かった。
男目線な納得できない面もあって、古い時代の男の価値観で物を言っていると感じた。
また、こんな場所で、さらし者にされる妻に対する『怒り』や『哀れみ』を語る見方もあるだろうが、こんな場所に行かないと自我もコントロール出来ない『男の性の醜さ』を表したと解釈したい。だから、この映画を評価する。トラヴィスの妻はこの男には未練は全く無いはずだ。未練があっては駄目だ。そんな都合良くは行かない。もう、4年も経過しているのだから、いくら鈍感な男でも分かる。寧ろ、この男が弟の家を離れたのは、弟の妻が自分に好意を持ってしまった事が原因。トラヴィスはそこから逃れたい。自分の息子を、弟と弟の妻の3人で育てる事になると、血の繋がった弟は捨てられ、弟の妻は自分を選ぶ事になる。だから、本当の母に息子を返す必要がある。私はそう解釈した。弟夫婦に子供がいない事に何か意味があると見た。
めでたしめでたし。大団円。
赤いドレスのナスターシャ・キンスキー‼️
主人公とその息子が、自分たちを置いて行方が知れなくなった妻を探す旅に出る・・・ヴィム・ヴェンダース監督は「都会のアリス」「まわり道」「さすらい」といった作品でロードムービー作家として知られていたのですが、それらの作品がどちらかというとドキュメンタリーぽい作風であったのに対し、この「パリ、テキサス」は夫婦愛と親子愛をからめたメロドラマ的な展開で、そこが我々日本人好みになってるんじゃないでしょうか‼️その無常観漂う佇まいが印象的な主人公ハリー・ディーン・スタントンが、テキサスの荒野をさまよう冒頭の風景の荒涼さが象徴する映像‼️切なさを高めるライ・クーダーのギター音楽も、その映像にぴったりとハマってます‼️そして圧巻は、クライマックスの覗き部屋でのガラス越しの夫婦の再会シーン‼️「東京画」というドキュメンタリーを製作するくらい小津安二郎監督を敬愛するヴェンダース監督‼️その小津安二郎監督へのオマージュなのか、カメラをロー・アングルの長回しで撮影、妻への贖罪を祈るような神秘的な名場面となっています‼️そしてこのシーンで、待ちに待ったという形で登場する赤いドレスのナスターシャ・キンスキーの美しさは、この世のものとは思えません‼️女優として新しい領域を開拓した彼女の代表作ですよね‼️そして妻と息子を合わせた主人公がまた1人で去っていくラストシーンも、男ならジーンとくるでしょう‼️
子役のハンター•カーソンの演技が秀逸
彼の凛とした演技に心を掴まれました。
8歳。現実の世界にも、環境などによって、年齢以上に精神的に強くならざるを得ない子どもがいると思います。
子どもを育てる上で様々な事件や問題が多い、現在に通じるメッセージが込められているように感じました。
ナスターシャ・キンスキーがとても綺麗でした。
最後にこの映画を教えてくれた友人に、心より感謝します✩
ロードムービーの到達点
1984年カンヌパルムドール受賞作
ロードムービーの到達点と言えるべき作品
ヴィム・ヴェンダースは結末を考えずに撮り始めたらしいが、サムシェパードの脚本はそんな事を感じさせない
人格が壊れてしまった男が家族の再生を試みるが、自分はやはり破壌しているんだと再認識して去っていく結末が物哀しい
ロビー•ミュラーによるカメラワークが素晴らしく、モハーベ砂漠や田舎のバー、モーテル、ビルボードなどアメリカのロードサイドを美しく描きだしている
ヴェンダースやミュラーの様なヨーロッパ人でなければこれらを美の対象物として撮らなかったであろうと思う
ライ•クーダーのアコースティック•スライドギターも傑作で、ロビーミュラーの描く美しいシーンとマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出している
自分も親になって見返してみると、昔は解らなかった主人公のトラヴィスの苦しみが解ったし、義兄の子供とはいえ、育てていたかわいい盛りのハンターと別れてしまったアンの心情を思うと悲しい
斉藤工と品川祐の映画紹介番組でも、このパリテキサスは別格の出来と称えていたが確かにそう思う
「そこにありながら、ないもの」が生み出す情景。
○作品全体
ロードムービーという前情報のみで見始めた本作。フランス・パリとアメリカ・テキサスを跨ぐスケールの大きな物語なのかなと思っていたけれど、実際には主人公・トラヴィスとそれを取り巻く登場人物の過去に向き合う朴訥なヒューマンドラマだった。
本作にはそこに存在はしているけれど、見えないもの、もしくは存在しなかったものが多い。中盤まではトラヴィスそのものがそうだろう。トラヴィスという登場人物が存在していながら、果たして本当にトラヴィス本人なのか、という疑念から始まり、それが払拭されても今度はトラヴィスの空白の4年間がなかなか見えてこない。
しかし、見えてこないからこそ新たに生み出す情景がある。トラヴィスとハンターの関係性がそれだ。
8ミリフィルムの中では仲良く過ごす親子だが、今そこにいる二人は記憶の断絶という壁を隔てた、単純に「親子」とはいえない状況にある。しかしハンターの中にはトラヴィスとの記憶があって、一緒に帰ろうとしなかった関係性から道路を隔て、そして並んで歩いて帰るところまでやってきた。この過程は記憶があったままでは見られなかった情景だ。そしてこの出来事があったからこそ、2人が、そこにはもういないけれど「話し、動いていると感じることができる(ハンターのセリフ)」という母親の実像を探しという同じ道を進むことになったのだろうと感じた。
終盤ののぞき部屋のシーンは、二人がそこにいながらミラー越しというシチュエーションの演出が素晴らしかった。
最初ののぞき部屋のシーンはトラヴィスの「ついにジェーンを見つけられた」という感情にフォーカスを寄せて、ロードムービーとしての到着を提示し、次ののぞき部屋のシーンではそれぞれがそこにいながら背を向けて「空白の4年間」を話す。そこに二人がいながらも、相手がいなかった4年間について触れる場面。相手へ言葉を向けながら、ただ一人だけで経験したことを独白のように伝える。二人の感情も含めた距離感の演出として、これ以上の構図はないと感じた。
ダイアログが続いたのぞき部屋のシーンから場面転換してハンターのいるホテルのシーンへ。
ジェーンがハンターと抱き合うシーンは無言が続く。前のシーンとのコントラストも素晴らしく、そしてそのコントラストによって二人の感無量な感情が際立つ。
ラストは夕景の中、一人車を走らせるトラヴィス。家族の輪に入らなかったのは、愛の理想に執着してしまった過去があったからだと感じた。そこにジェーンはいるのに、存在しない愛の形に執着をした過去、とも言い換えられるだろうか。それは酔っ払ってハンターに話した、トラヴィスの父の話とも重なる。そして、砂しかないテキサスのパリの土地に未だ想いを馳せるトラヴィスは、その甘美的な情景を拭い去れていないと自覚しているのかもしれない。
なにもない砂漠から始まり、現代的な高速道路とヒューストンの街並みで幕を閉じる本作。居場所や心情は異なれど、その時々にトラヴィスは理想の世界を抱えており、そして失ったものが存在している。その情景はどれも鮮やかでもあり、切ないものでもあった。
○カメラワークとか
・赤や緑、青が印象的な画面が多い。ウォルトの家から見る夜景と赤色の照明、手術室の緑、のぞき部屋の青。どれもビビッドな色だから印象に残る。
・ホームビデオの臨場感が好きだ。ピントの合ってない感じ、ズームが雑な感じ。一つ一つの仕草や表情が身内だけの表情だなと思わせるのも上手い。
ストーリーなんてどうでもいい。映像美を堪能する。音楽も映像にあっている。
繰り返し視聴することに耐えうる映像美。
ストーリーなんてどうでもいい。
ナスターシャキンスキーも、どうでもいい。
いなくてもいいぐらい。
ただただ、LAやヒューストンや、そういうアメリカの風景が美しい。
自然だけじゃない、人工物も美しい。
ドライブスルーの銀行、ハイウェイ、映像のすべてが美しい。
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