パリ、テキサスのレビュー・感想・評価
全19件を表示
顔を合わせる
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
名作。みてよかった。
息子がいるにも関わらず4年間も行方をくらまし放浪していたトラヴィス。彼は過去の傷ゆえ容姿に無関心で無口である。彼の弟のウォルトは、兄が倒れたと連絡を受ける。するとわざわざ遠いテキサスまでいって、彼に献身的に尽くす。しかもウォルトの妻のアンは彼の息子ハンターを息子同然に育ててくれていたのだ。彼らのおかげで徐々に口を開くようになり、服装にもこだわり始める。4年ぶりに再会した息子とも関係性を深め、父と呼んでもらえるようになる。ここまではいい話だ。
だがトラヴィスは妻のジェーンに会うために、突然息子をかっさらうように連れ出し、ヒューストンに向かう。献身的に尽くしてくれたウォルトとアンを反故にする行為。この時のウォルトとアンの絶望感はつらい。
ジェーンとの再会もつらいものがある。ジェーンは息子に仕送りするために風俗店で働いている。彼は落ちぶれた彼女を目の当たりにする。またこの店では客がマジックミラー越しに女性と会話するシステムだ。だからトラヴィスとジェーンは目を合わすことができないまま、そしてトラヴィスは反射された自分自身に語りかけるように過去の傷を開示させるのである。
トラヴィスは彼女を愛しているがために彼女に執着し、自由を奪った。それは彼女をモノとして所有し、享受する行為であると言えるだろう。彼女の主体性は抹消され、彼の欲求のままに彼女を味わう行為。それに彼女は苦痛を覚え、夢へと逃避することも分かるだろう。だから彼女が住処に火を放ち、彼を殺そうとしたことや息子を手放し自由を取り戻そうとしたことはとても分かる。
彼も過去の過ちを自覚している。だが彼は過去の過ちをどのように償えばいいか、傷をどのように回復できるか分からないままである。だからハンターとジェーンと共に暮らすことを断念し一人逃避するのである。
彼はハンターに宛てたメッセージでこのように言う。
「僕は一緒に生きられない」
「過去の傷がぬぐえないままだから」
「どうしてもダメだ」
「空白が空白のまま」
「自分が発見するものがこわい」
「それに立ち向かわないことがもっと怖い」
空白とはジェーンへの欲望ではないだろうか。ジェーンを愛するがために、彼女を自分のモノにしようとする欲望。だが彼女はモノではないから絶えず彼の手から逃れてしまう。この欲望は決して充足されないものである。
彼は彼の内なる欲望を発見することが怖い。その欲望に立ち向かうことも怖い。だから火を放たれた時のように、「自分の形跡が完全に消えるまで」逃避するのである。
彼の逃避は欲望と同様決して満たされない行為である。4年前の彼はテキサスのパリスへ逃避していたが、そこの終着地は空地であった。今回の逃避で到達する場所も空白であるはずである。
そして彼の逃避への警告はすでにされている。高架での精神に異常をきたしていると思われる男の警告である。
彼は言う。
「安全な地帯などどこにもない」
「私が保証する 安全地帯は抹消されている」
「安楽の地と信じた所には安楽でないものが待っている」
ジェーンとハンターが共に生活するために、自分の形跡を完全に消そうとする逃避。だが彼の逃避はどこにもたどり着けない。身を休める安楽の地はそもそもない。むしろ彼には充足されない空白のみが待たれているのである。
ではどうしたらよかったのか。私は彼らがマジックミラー越しに会話した時、一瞬ジェーンの顔にトラヴィスの顔が重なったことに手掛かりがあると考える。つまり他者の顔に自らの欲望が重ねられていること。そして顔は決して自らと同一化できないこと。それに鏡のように眼差しを向けること。それが大切であると思うのである。
土地を買ったんだ。テキサス州、パリ。
オールナイト三本のうち、2本目。
この夜の興味はこの映画。なにかにつけ、監督の作品の中で名が挙がるのだから。
パリ、テキサス。フランスのパリとアメリカのテキサス州の話かと思ってたら違ってた。映画の中でもそのくだりがあるのだから、僕がそう勘違いしてたとしてもしょうがあるまい。
ハリー・ディーン・スタントンは「LUCKY」しか知らず、ゆえに老いぼれの爺さんの印象しかなかったけど、なるほど若いころはこんな雰囲気なのかという感慨があった。その、トラヴィスが徐々に父親としての自覚が芽生えていく過程は微笑ましい。そしてたぶん、トラヴィスとジェーンの再会の場は、甘く切ない大人の恋が再燃する感動のシーンなのだろう。あのシチュエーションはちょっと萌える。だけど、ひとつ引っかかる。突然の再会だとしても、それが声だけのやり取りだとしても、何年か一緒に暮らした夫の声に気づかないものなのかということだ。どの男の声からもあなたの声が聞こえる、とまで言っておきながら、すぐにわからないの?と焦れてしまった。かつての会話とはトーンが違っていても、愛していた相手なら一言二言で気づくものではないか、愛が足りないのじゃないか、と。
ハンターを連れ出し、女に預けてしまったあとの、弟夫婦の気持ちはどうなるのか?というもやもや。ハンターとの旅は、ハンターの為を思ってことだとしても、ハンターを献身的に育て上げた弟夫婦に対する配慮としてはいただけない。堅苦しいといわれてもその思いが強い。つまり、監督と僕とでは、なにか感情の置き所が違っているのだろう。
いい映画だとは思うけれど全く合わなかった
高評価しているレビューアーの多くが、映像が、音楽が、ナスターシャ・キンスキーが、と書いてるが、これらはもう好みの問題だ。いい映画だとは思うけれど、少なくとも私には刺さらなかった。
映像の良さで作品を評価することはある。映画の一番は映像だと思っているので、どちらかといえば比重は大きい。しかしそれは、映像に意味がある場合と「おっ!いい画だ」と思えるインパクトが必要だ。後者はやはり好みの問題であるから合わないものは仕方ない。
例えば映画監督のウッディ・アレンは人気があって評価もされているが、あまり好きではない。やはり好みに合わないのだ。合う合わないは嫌でも存在してしまう。
あとは、内容がちょっと前時代的で受け入れがたく、苦い気持ちになったのもマイナスだ。ビタースイートなラストに感動!しないこともないけれど、ついアンのことに思いを馳せてしまう。
弟とその妻アンはハンターを育ててくれていた。ハンターはその二人をパパママと呼び実の両親のように慕っている。アンとハンターは本物の親子だったのだ。
血の繋がりに重きを置きたいのは分かるけれど、アンとハンターの親子関係を否定しているような感覚になるのはいただけない。
もう一つオマケに、タイトルにもなっている「パリ、テキサス」の意味するところは何となく分かったけれど、それが内容に効いてこないのは勿体ない。
せっかく、なんのこっちやなタイトルの意味があるのだから、それを活かせてインパクトを与えて欲しかった。
ロードムービーのお手本のような名作
これまた名作ですね。
ロードムービーのお手本のような作品。
冒頭から、我々の目の前に「どん!」と大きな謎が呈示される。
この男は、何者なのか? どこから来て、どこへ行こうとしているのか? なぜ黙ったままなのか?……。
やがて、荒野をさまようファーストシーンは、主人公の虚無感や絶望的なこころの内を表現したものだとわかる。
ライ・クーダーの音楽がぴったりすぎるほどぴったりとハマっていて、本作のトーンを決定づけています。
そして、ナスターシャ。美しすぎる!!
ラストシーンの長回しは、この映画のハイライト。
悲しいけれど、けっきょく2人が直接向き合うことはなかった。
あの、風俗店の仕切りが、もう修復できない夫婦の関係を象徴しているのですね。
アメリカの匂いをプンプン感じる映画でもありました(アメリカに行ったことないけど)。
めでたしめでたし。大団円。
ライ・クーダーだ。懐かしい♥
家族の幸せそうな姿をバックにして流れる『ライ・クーダー』の哀愁のあるメロディが泣けてくる。
ライ・クーダーのこの曲を聞くのは何年ぶりだろう。大森か渋谷で見た。しかし、最後まで覚えていないと言う事は、初見はその良さが分からなかったと思う。今日最後まで通して見る事が出来た。
さて、
この映画に対する記憶は、後の『バグダッドカフェ』と重なり『バグダッドカフェ』が邪魔して、私の頭の中からこの映画は消えたようだ。『トラヴィス』と『ジャック・パランス』が似ている。考えてみれば、どちらも、西ドイツ映画だ。
このワルツのインストルメンタルな曲は『ミシュテカの歌』と言ってネイティブアメリカンの曲の様だ。ライ・クーダーのアルバムに無い訳だ。今回、それが分かったので、大変に良かった。
男目線な納得できない面もあって、古い時代の男の価値観で物を言っていると感じた。
また、こんな場所で、さらし者にされる妻に対する『怒り』や『哀れみ』を語る見方もあるだろうが、こんな場所に行かないと自我もコントロール出来ない『男の性の醜さ』を表したと解釈したい。だから、この映画を評価する。トラヴィスの妻はこの男には未練は全く無いはずだ。未練があっては駄目だ。そんな都合良くは行かない。もう、4年も経過しているのだから、いくら鈍感な男でも分かる。寧ろ、この男が弟の家を離れたのは、弟の妻が自分に好意を持ってしまった事が原因。トラヴィスはそこから逃れたい。自分の息子を、弟と弟の妻の3人で育てる事になると、血の繋がった弟は捨てられ、弟の妻は自分を選ぶ事になる。だから、本当の母に息子を返す必要がある。私はそう解釈した。弟夫婦に子供がいない事に何か意味があると見た。
めでたしめでたし。大団円。
ロードムービーの到達点
1984年カンヌパルムドール受賞作
ロードムービーの到達点と言えるべき作品
ヴィム・ヴェンダースは結末を考えずに撮り始めたらしいが、サムシェパードの脚本はそんな事を感じさせない
人格が壊れてしまった男が家族の再生を試みるが、自分はやはり破壌しているんだと再認識して去っていく結末が物哀しい
ロビー•ミュラーによるカメラワークが素晴らしく、モハーベ砂漠や田舎のバー、モーテル、ビルボードなどアメリカのロードサイドを美しく描きだしている
ヴェンダースやミュラーの様なヨーロッパ人でなければこれらを美の対象物として撮らなかったであろうと思う
ライ•クーダーのアコースティック•スライドギターも傑作で、ロビーミュラーの描く美しいシーンとマッチして素晴らしい雰囲気を醸し出している
自分も親になって見返してみると、昔は解らなかった主人公のトラヴィスの苦しみが解ったし、義兄の子供とはいえ、育てていたかわいい盛りのハンターと別れてしまったアンの心情を思うと悲しい
斉藤工と品川祐の映画紹介番組でも、このパリテキサスは別格の出来と称えていたが確かにそう思う
「そこにありながら、ないもの」が生み出す情景。
○作品全体
ロードムービーという前情報のみで見始めた本作。フランス・パリとアメリカ・テキサスを跨ぐスケールの大きな物語なのかなと思っていたけれど、実際には主人公・トラヴィスとそれを取り巻く登場人物の過去に向き合う朴訥なヒューマンドラマだった。
本作にはそこに存在はしているけれど、見えないもの、もしくは存在しなかったものが多い。中盤まではトラヴィスそのものがそうだろう。トラヴィスという登場人物が存在していながら、果たして本当にトラヴィス本人なのか、という疑念から始まり、それが払拭されても今度はトラヴィスの空白の4年間がなかなか見えてこない。
しかし、見えてこないからこそ新たに生み出す情景がある。トラヴィスとハンターの関係性がそれだ。
8ミリフィルムの中では仲良く過ごす親子だが、今そこにいる二人は記憶の断絶という壁を隔てた、単純に「親子」とはいえない状況にある。しかしハンターの中にはトラヴィスとの記憶があって、一緒に帰ろうとしなかった関係性から道路を隔て、そして並んで歩いて帰るところまでやってきた。この過程は記憶があったままでは見られなかった情景だ。そしてこの出来事があったからこそ、2人が、そこにはもういないけれど「話し、動いていると感じることができる(ハンターのセリフ)」という母親の実像を探しという同じ道を進むことになったのだろうと感じた。
終盤ののぞき部屋のシーンは、二人がそこにいながらミラー越しというシチュエーションの演出が素晴らしかった。
最初ののぞき部屋のシーンはトラヴィスの「ついにジェーンを見つけられた」という感情にフォーカスを寄せて、ロードムービーとしての到着を提示し、次ののぞき部屋のシーンではそれぞれがそこにいながら背を向けて「空白の4年間」を話す。そこに二人がいながらも、相手がいなかった4年間について触れる場面。相手へ言葉を向けながら、ただ一人だけで経験したことを独白のように伝える。二人の感情も含めた距離感の演出として、これ以上の構図はないと感じた。
ダイアログが続いたのぞき部屋のシーンから場面転換してハンターのいるホテルのシーンへ。
ジェーンがハンターと抱き合うシーンは無言が続く。前のシーンとのコントラストも素晴らしく、そしてそのコントラストによって二人の感無量な感情が際立つ。
ラストは夕景の中、一人車を走らせるトラヴィス。家族の輪に入らなかったのは、愛の理想に執着してしまった過去があったからだと感じた。そこにジェーンはいるのに、存在しない愛の形に執着をした過去、とも言い換えられるだろうか。それは酔っ払ってハンターに話した、トラヴィスの父の話とも重なる。そして、砂しかないテキサスのパリの土地に未だ想いを馳せるトラヴィスは、その甘美的な情景を拭い去れていないと自覚しているのかもしれない。
なにもない砂漠から始まり、現代的な高速道路とヒューストンの街並みで幕を閉じる本作。居場所や心情は異なれど、その時々にトラヴィスは理想の世界を抱えており、そして失ったものが存在している。その情景はどれも鮮やかでもあり、切ないものでもあった。
○カメラワークとか
・赤や緑、青が印象的な画面が多い。ウォルトの家から見る夜景と赤色の照明、手術室の緑、のぞき部屋の青。どれもビビッドな色だから印象に残る。
・ホームビデオの臨場感が好きだ。ピントの合ってない感じ、ズームが雑な感じ。一つ一つの仕草や表情が身内だけの表情だなと思わせるのも上手い。
とても良い映画
『ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも』にて鑑賞。
大学時代、これを観た友人がみんな口を揃えて、「良かった」だの「ナスターシャ・キンスキーは最高だった」だのと宣(のたま)っていらっしゃったので、今の今までスルーして来ました(笑)
で、今回良い機会だったので、やっと観ました…笑(DVDではなく劇場で観たかったのです)
たぶん、みなさん、主人公トラヴィスとナスターシャ・キンスキー演じるジェーンがマジック・ミラー越しに会話するあの"名場面"に感動したんでしょうなぁ、と容易に想像出来ました(笑)…本日、僕の周りでも数人が鼻をすすってはりましたわ…笑
で…
ん〜、そんなに共感出来るシーンでしたかねぇ(笑)
マジック・ミラー越しでもあれだけ喋り倒したら、「話している相手が誰なのか?」にいい加減気付くだろう…という考えが頭の中で気になり出して、正直素直には感動出来ませんでしたわ(笑)
それに、お互いの"我が儘"な事情というか痴話喧嘩?で別れた2人が、後悔の後に再会したからといって…だからどうした?(笑)
今は育ての親の元で幸せに暮らしていたハンター君が、そんな生みの親の事情で振り回されて、なんだか不憫だなぁと思いました。
…まあ、感性や感覚、受け取り方の違いなのかも知れません…人それぞれですから(笑)
*むしろ、ウルッと来たのは、トラヴィス家族3人がまだ幸せだった頃の様子を収めた8mmフィルムを、弟夫婦と一緒に久しぶりに見る場面でした。今やもう取り戻せない"人生最良の時"が永遠にパッケージされている映像は、なんだか懐かしい以上にただ虚しく、それこそ過去に対する後悔の念が湧き起こって来て、その取り返しのつかなさの大きさを想像すると、まるで自分のことかのように悲しくなってしまいました。この場面はなかなか秀逸だなと思いました…そして、この時ばかりは、ライ・クーダーのギターもなかなか良かったです(笑)
子役が可愛すぎる
多分、私のレビューで子供が可愛いとタイトルに書いたのは初めてかもしれない。「ホームアローン」とか子供が主役あるいは準主役の映画なら不思議では無いかもしれないが、この映画で子供の可愛さをタイトルにするのは私ぐらいだろう。ただ、この映画を見ればこのことに納得していただけると思う。そのことがわかると、この映画の2人の行動が理解できないのである。つまりこの映画自体を理解できないのである。
最後、なぜ主人公は妻と子供と一緒にならなかったのか甚だ疑問である。それに、ホテルの部屋で妻が子供と会えて感動的な抱擁シーンで終わるが、考えてみれば、妻のほうは子供が弟夫婦に育てられているのを知っているし、住所も知っているので会おうと思えばいつでも会えるはずだったのではないか。それとも風俗店での鏡越しでの夫との会話で、自分の過ちに気づいたということだったのだろうか?
あと、そもそも主人公と妻があんな可愛い子供を置き去りにして出て行った理由がわからない。8ミリビデオでは幸福の絶頂のように仲が良かったではないか。
ナスターシャ・キンスキーの美しさだけが非常に印象に残る映画であった。ただ、それだけでも見る価値はある。あと、あの子供も。
<その他>
あの子役はハンター・カーソンと言って、カレン・ブラックの息子だということがネットで分かった
覗き部屋の巧みとパリ、テキサス
傑作。前半は主人公と弟との長いドライブ、後半は息子とのドライ
ブ、その道中のやりとりや日本ではいられない荒れ地を通る高速道
路も見ごたえがあるが、固唾をのむのは何といっても、深く愛しあ
い傷付け、4年間音信不通で別れていた男女の再会の場面を覗き
部屋に設定したアイディアの迫力だ。
女は相手の男のすがたが見えず、自分の姿しか映らないマジック
ミラーの「鏡」を見続ける。男には女が見えるが相手には自分が見
えていないことを知っていて通話機を通じてしか話せない。もちろ
んたがいに触れあうことは全くできない。男女関係についての実に
巧みな設定だ。覗き部屋の場面で女が一人で画面いっぱいに延々と
映し出される。これはナスターシャ・キンスキーの「濃い顔」じゃ
ないともたないだろう。
ヴェンダースは、この場面をはじめ、八ミリに映し出された団
欒のシーン、息子を学校に迎えに来た真っ新なスーツ姿のトラヴィ
スと息子が道路を挟んで下校するシーンなど巧みな映像で我々の
目を魅了する。だが、ただ写真とトラヴィスの思い出話にしか出て
こないパリ、テキサスがなぜ題名なのか?それは自分を失ったトラ
ヴィスが自分を取りもどすためのかけがえのない唯一の場所だから。
彼はその場所で誕生し、その場所での再生を目指す。
ナスターシャ・キンスキー見たさに
雑誌で映画特集が組まれるたび必ずといっていいほど紹介される『パリ、テキサス。』 コロナウィルスで自粛期間中に鑑賞しました。
冒頭から、カンカン照りの真昼間のテキサスを汗もかかずにスタスタ歩く主人公、4年近く声を発していないわりには、しゃがれ声にもならずに突然ペラペラ話し出す、一銭も持たずに水だけで旅を続ける・・・いったいどうなってるの?と突っ込みたくなるのはさておき、80年代の映画の色褪せたようなカラー映像の美しさには納得です。
テキサスのハイウェイ沿いの荒涼とした風景、ガソリンスタンドや安モーテル、はては怪しげな覗き部屋など、本来なら殺風景といってよいものが、一枚の絵や写真のように美しく切り取られていました。
BGMはほとんどなく、たまにギターを掻き鳴らす音が聞こえてくるだけ、尺は2時間以上あって、眠気との闘いになったところもあります。
終盤にようやく登場するナスターシャ・キンスキーがとにかくかわいい。ブロンドのボブヘア、赤くてぽってりとした唇、赤や黒のふわふわしたニット、除き部屋の青いカーテンや赤い電話機などど相まってポストカードにしたくなるような画でした。
主人公が4年もの放浪の旅に出た理由は、彼女を愛しすぎていたからということになるでしょうが、彼女を愛するあまり、あらぬ嫉妬や妄想をするようになり、彼女を責め立て、結局は失ってしまう・・・というくだりは、彼女のように美しくはない私ですが、経験したことがあり、思い出してぞっとしたのでした。もしこの映画のように若くして妊娠していたら、自由を奪われた、束縛から逃れたいと私も思ったかもしれません。
彼女と子どもを引き合わせて自分は去る、というラストですが、これもちょっと理解しかねます。男のロマンなのでしょうか。子どもを育てるのにはお金が必要なのですが・・・、経済的支援も資金繰りもしないまま、また旅立ってしまいました。
余韻がいつにも増して不思議な感覚
物凄く完成度の高い脚本ではないかもしれないし、設定も大まかかもしれない。でもこの監督の作品が愛おしく、いつもは作品の纏う空気感を愉しむために見ている感じだった。けど、この作品中に一つ心に残る(突き刺さる)セリフ「虚しさを埋める代償にしたくなかった」
このセリフを言わせるための作品のように思った。
出てきたファミリー全員、本来愛情に満ち溢れてるのに溢れすぎて別離の道を歩んでしまう。
思ってたより余韻が残る作品。
作家性が強すぎて落胆
テキサスの荒涼とした礫地を行く放浪者、サスペンスを思わせるほどの小出しの状況説明、最後まできて一家離散の心の闇がやっと語られる。ナスターシャ・キンスキーを使ったことからロリコン親父の被害妄想の説得性や放浪という自虐的な現実逃避も分からないではないが身勝手な感傷主義に思えてならない。
脚本途中で製作に入り結末をどうするかは脚本のサムシェパードと監督のビム・ベンダースは電話で話して纏めたがサムは不本意だったらしい、後に組んだ「アメリカ、家族のいる風景」で補ったと言われている。特殊な家族を描くことで平凡な家族の見落としがちな何かを伝えたいという手法は是枝監督も使う手だがベンダースは本作の主人公のように多くを語らない、ドイツ表現主義では万人受けなど端から眼中にないのだろう。
こういうテンションの張り方はタルコフスキーなども用いるが芸術性が高いとも思えない。
作家性が強い映画で製作動機が理解できないがカンヌの批評家には高評価だったようだ。
なんとも切ない
切ない映画でした。いや〜、なんとも切ない。
主人公トラヴィス。未熟な男です。しかしこれは非難の意味合いではない。彼はどうしても成長できない、成熟できない悲しさを抱えているように感じられます。愛を切望しても壊してしまう、そんな自分に絶望しているのでしょう。
そして、タイトルにもなった、彼の故郷パリ、テキサスに戻ろうとする姿から、原家族との関係の傷つきが、彼の成長を止めていることが推察されます。父と同じような妄想に取り付かれていると感じるトラヴィスは、息子ハンターにも、自分が体験した傷を負わせてしまうという恐怖を感じていたと思います。ハンターに自分の両親のことを語る姿は、なんか切ない。彼はクライベイビーですよ。
元妻のジェーンとトラヴィス、一見年の差カップルですが、精神的には近い2人だったんでしょうね。ジェーンもおじさんをパートナーに選ぶくらいだから、安心感を必要としていた人なのかな、と思います。しかしパートナーは体はおじさん、心はベイビーだったため、上手くいかなくなるのも宜なるかな、です。
しかし、一番切ないのは弟夫婦、とくに妻のアンだと思います。ハンターを実の子として、本当に愛して育てたことが伝わってくるが故に、辛すぎますね。
ハンターの布団がスターウォーズなんですよね。アンは宇宙好きの彼の嗜好をちゃんとキャッチして選んだのでしょう。きっとあの布団が家にやってきた日にハンターは超喜んだと思うんですよ。そういう、すごく大事な積み重ねが伝わってきたが故に、本当に胸が苦しい。
ハンターが母と別れたのが3歳。愛着対象は確かに母親でしょう。トラヴィスも問題あるけど優しい男だから子どもは見抜いて懐きますしね。
とはいえ、弟夫婦の話は残酷だと感じています。
名作と誉れ高い本作ですが、確かに素晴らしい映画でした。マジックミラー越しのトラヴィスとジェーンのやりとりなどは、すごい説得力で迫ってきました。
しかし、トラヴィスの物語にはがっつり共感できず、むしろ弟夫婦に感情移入していたため、ハマるまでには至りませんでした。
のぞき部屋のスタッフとして、伊達男ジョン・ルーリーがちょこっと顔を出しており、ジャームッシュ初期3部作好きとしては思わすニヤリとしました。
カントリーな風景と独特の恋愛観
詩を見ているような感覚を受ける映画。
感情や風景の描写はセンスが溢れているが、
世界観自体が独特なので好みが分かれそう。
「愛しすぎて別れた」とか「失意から何年も世界を放浪し続けた」
とか、そういう世界観。
個人的には一人息子の扱いが気になった。
母にも父にもポイポイ捨てられては拾われる、ということを繰り返されて、
それでも最後の最後まで無条件で親を受け入れる子ども。
そして、一目見るなり、お互いに抱き合い涙する親子…。
子どもはそんなに都合のよいものではないと思う。
育児放棄は子どもを傷つけるという自覚が足りないというか、
親のエゴに目をつぶって、綺麗にまとめようとしたところが共感できなかった。
自分探し
記憶を失ったトラヴィスが、自分を再発見し、家族の再生を試みる話。
テキサスの平原や青空の映像が美しい。DVDで観ていても息を呑むほどに。
淡々と、起伏なく物語は進んでいくが、
最後のトラヴィスと妻がミラー越しに話すシーンや、トラヴィスが息子に対したテープレコーダーの声や、妻と息子が再会するシーンはとても感情的で、感動的。
最後まで3人揃うことがなかった家族だけれど、
それぞれの、それぞれに対する愛情は確かで、
愛ゆえに、一緒にはいられないと決断した悲しさは、とても美しいと感じた。
静かに自分を見つめ、
勇気を出して前へ進む決断をしたトラヴィスに、
勇気付けられた。
全カットがポストカードのよう。
とても良かった。古い映画だし観るのきついだろうなと思ってたら、絵力というのか、惹きつけられて目が離せなかった。アクション大作の派手なシーンよりも、父親と子どもが出会うシーン、母親を見つけるシーン、父と母がマジックミラー越しに話すシーン、母と子が再会するシーンの方が見せ方次第で迫力があるのだなと感じた。どのシーンもポストカードのような美しさだったけど、特にジェーンと話す部屋のカットが目に焼き付いている。
観て良かった。
しびれる
学生時代にリアルタイムで観劇したのが最初。不気味な話、と引きました。
主人公登場のシーンや、喚き散らす人、などが痛々しくリアル過ぎと感じたから。
後に『ベルリン・天使の詩』などを観て、すっかりベンダース監督にハマり、評価が逆転。
ハリー・ディーン・スタントンや、ライ・クーダーも大好きになりました。
終わりのシーンは本当に格好いいです。
全19件を表示