ミリオンダラー・ベイビーのレビュー・感想・評価
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ボクシングは尊厳のスポーツ
貧しく孤独な女性と同じく孤独な老人がボクシングを通して絆を深めていく話。
前半、マギーとフランキーの師弟関係、マギーがどんどん強くなって、のし上がっていく姿にワクワク。
スポーツ青春物かと思いきや、
ある試合を境に一変する。
映画出だしのナレーションで、
「ボクシングは尊厳のスポーツ。人の尊厳を奪い、それを自分の物とする」という台詞がある。
前半ではボクシングの試合で、後半では人の一生で、その言葉の真髄を見せられた気がした。
どんどん強くなっていくところが面白い
マギーとフランキー(クリント・イーストウッド)の物語をエディ(モーガン・フリーマン)がフランキーの娘宛に書いているように語る映画。
『ボクサー欲望に溺れた二人』(2016年公開 現在HuluやAmazonプライムで配信中)を先に視聴した(本サイトでレビューしたくても見つけられないのは、多分エロティック過ぎるからかもしれない)。
女性ボクサーを愛した元男性ボクサーの物語という共通点がある。
今作の女性ボクサー(マギー)は真面目で、フランキーと親子のような素敵な関係になる。
フランキーの指導は、ボクシングに興味がある視聴者にも嬉しい情報が満載。
青い熊ビリーは怖い。
終盤、マギーまでエディのように何かを失いそうでヒヤヒヤする。
そして、とても興奮する展開。
夢、栄光、勝敗、生命維持装置、安楽死、ヤブ医者、家族、怠け者、生活保護、ルールなど考える材料が沢山ある。
観なきゃよかった
幼い頃から働いて、やっと見つけた居場所がボクシング
ひたすら一生懸命生きてきた彼女が、何でこんな仕打ちを受けなくちゃならないのか、創作の中と分かって居ても胸糞が悪くなる
こんな気持ちになるくらいなら観なきゃよかった
貧困家庭の哀しさ、ボクシングの危険さが描かれている
貧困家庭出身の女性マギーが、30歳を超えてボクシングジムに入り、懸命に努力して試合に連勝できるようになる姿が痛快な映画。父親を失った彼女にとって、トレーナーのフランキーが次第に実の父親のような存在となっていくのが心温まる。
マギーの母親は生活保護を不正受給しており、弟は刑務所にいたという、どうしようも無い人間しかいない家庭に彼女は育っている。マギーの危機に際しても、家族は彼女の所有する財産にしか目が無い。ここに底辺の人間の余裕の無さや、厚かましさ、浅ましさが描かれていてリアルに感じた。そのような劣悪な環境でマギーは育っているので、ボクシングにかける思いの強さは並々ならぬものであったはずだ。にもかかわらず、あのような事態になってしまった彼女の悔しさと絶望は察するに余りある。
一番最初の試合のシーンから、ボクシングのような顔や頭部を攻撃できる格闘技は特に危険だと思いながら観ていた。マギーが大怪我しないか、ヒヤヒヤしながら観ていたのだが、案の定目も当てられない状況になってしまった。作中にも、試合で片目を失明したモーガン・フリーマン演じるスクラップという男が出てくるが、彼がボクシングの危険性を物語っている。
VS クリント・イーストウッド監督‼️最終12ラウンドまで‼️
この作品はボクシングを通じて描かれる一人の女性ボクサーと老トレーナーの残酷で崇高な人生のドラマ‼️ロサンゼルスで寂れたボクシングジムを経営するフランキーは、ジムに入門したいマギーという女性ボクサーを一度は拒否するが、やがてコーチすることに。マギーはメキメキと頭角を現し、連戦連勝。遂に反則技で名高いチャンピオンの "青い熊" ビリーと戦うことに。優位に試合を運ぶマギーに、ビリーの反則パンチが命中、コーナーにあった椅子に首を打ちつけ、マギーは全身不随になってしまう・・・。全12ラウンド、2時間13分‼️我々は監督クリント・イーストウッドの多彩な攻撃によって、見事リングに沈められてしまいます‼️モーガン・フリーマンの語り、ナレーションによって展開し、イーストウッド自らが担当する素晴らしいジャズの響きが、この重厚な物語(試合)を一生忘れられない、そして一生残るであろう痛みとして我々の身体に刻んでくれるのです‼️フランキーはせっかく育てたボクサーに他のジムへ移られ、そんな時に入門してきたマギー。娘とも絶縁していたフランキーはマギーに娘の姿を重ね合わせたのでしょう、熱血指導が実を結び、マギーが次々と対戦相手を打ち破っていく‼️試合のシーンのカタルシスや、フランキーとマギーの交流が印象深い前半は、まるであの「ロッキー」を彷彿とさせる素晴らしさで、イーストウッド監督は的確なジャブを観客に打ち込んで来ます‼️マギーが疎遠だった母と妹に家をプレゼントするも、「生活保護が打ち切られる」と、逆に文句を言われるシーンのマギーの表情‼️切ないです‼️そしていよいよチャンピオンへの挑戦‼️チャンピオンは反則技で有名な "青い熊" ビリー‼️このビリーに扮するルシア・ライカは実際のプロボクサーで、見るからに憎たらしい顔つき‼️そのビリーがラウンド終了直後に放った反則パンチでマギーが首を骨折、全身麻痺になってしまう‼️この強烈なストレートパンチでイーストウッド監督は観客を絶望のどん底へと叩き落としてくれます‼️完治の見込みがないマギーは家族からも見放される‼️ボディーブロー効いてます‼️安楽死の手助けをフランキーに断られたマギーは舌を噛み切って自殺を図る‼️かなりボディーブロー効いてます‼️フランキーが友人エディに泣きながら心中を語るシーン‼️イーストウッド情感むき出しの名演技‼️ボディーブロー効きすぎてフラフラ‼️そして夜中に病院のマギーの元へ行くフランキー‼️「いいね?」と問うフランキー。涙を流して頷くマギー。フランキーがマギーへ贈ったガウンに綴られた言葉「モ・クシュラ」の意味。「愛する人よ。お前は私の血」‼️そしてマギーにキス、呼吸装置をOFFにし、アドレナリンを注射するフランキー‼️トドメのカウンターパンチで完全にKOされる観客たち‼️ラスト、姿を消して戻ってこないフランキー‼️ひょっとしたらマギーの後を追い、天国で二人でレモンパイを食べてるのかもしれない‼️そんな想像を抱かせる、美しすぎる試合の幕切れ‼️勝者はクリント・イーストウッド監督‼️
慟哭
映画館で観ていてラスト、嗚咽が込み上げて
どうしようもなかった。
それほど悲しいラスト。
3回目の今も、ラストを知りながらも改めて観る。
マギー(ヒラリー・スワンク)が不幸な女性で不幸な人生を送った
・・・そう思えなくなりました。
マギーはフランキー(クリント・イーストウッド)のおかげで
幸せな瞬間を
たくさん味わい、最愛の人にその人生を終わらせてもらった
幸せな女性だったのではないか?
そう思うようになりました。
31歳ではじめたボクシングで、世界王者の一歩手前まで昇り詰め、
父のように慕うフランキーと二人三脚で世界中を試合して周り、
栄光を少しは手にした人生。
望んでいた何者かになる夢が少しは叶った人生。
ボクシングジムのオーナーのフランキーは、女の子(ベイビー)の
マギーを一人前のボクサーに育てて、しかも娘のように愛する。
マギーの尊厳死の場面が残酷すぎると、アメリカでは論争が起きたとか。
敬虔なカトリック信者のフランキーにとっては、何より辛い決断だった
と思います。
それにしててもマギーの実の母親と兄弟姉妹。あまりにも愚かで・・・
そして最後の試合で終わりのゴングがなったのに殴りつけて
首をへし折った対戦相手を許すことは出来ない。
この悪役の憎々しさに胸が苦しくなるほどでした。
それにしても名作。
忘れられないです。
家族の絆。愛するという事に闘いを重ねた物語
内容は、アメリカ🇺🇸にある赤字続きの下町ボクシングジム🥊に、二人の老トレーナーがいた。そこに遅咲きの女性がボクサー志望で入所する事から物語が始まる。彼女・ダンと老人トレーナー・フランキーのボクシングサクセスロードに心温まり悲しみに包まれる作品。印象的な言葉は『でも生かす事は殺す事だ。どうすればいい?』ダンが脊椎損傷の怪我をし自身の頑固さから闘い続ける結果視野狭窄に陥る時に、主人公フランキーが牧師に葛藤を相談する台詞を愛するという事の一端を見た様な気持ちを抱きました。惜しみなく無条件に与える事の限界を伝えたいとの気持ちが伝わりました。印象的な状況は、隻眼老トレーナー・スクラップの存在感とオフ台詞の語りの重さが凄く耳に残りました。ボクシングの魔力🥊限界を超えた苦痛に耐え続け闘い続ける。自分だけが見る夢に全てを捧げる力を存在から感じさせられた役作りは圧巻です。印象的な場面は、やはり"アイラのロードサイド食堂"での一場面。カウンターでレモンパイを前に二人の心が通い合うシーンは美しくカタルシスの解放を感じました。最後の病室のキスシーンと同じ様な嬉しくも切ない気持ちにさせられました。時折流れるクラッシックギターのBGMも非常によく全体を纏めていた様に感じます。最後に全体を包括的に表してある台詞も良かった。『ボクサーは頑固者だトレーナーに服従しない。間違った事を信じ込んでいて、それが自滅を招く事も分かっていながら最後まで信じ続けるのが真のボクサーだ』。結果ダンの娘との確執は不明なままで消化不良ですが、疑似家族としての心の絆を求め合う物語は"モ・クシュラ"の言葉に集約されて諦観と開放感と静寂に包まれて気分良く楽しめました。
アイリッシュアメリカン
フランキーがマギーに授けるガウンは、アイルランドを象徴する色である緑であり、そこに記された「モ・クシュラ」という言葉は“愛する人よ、おまえは私の血”という意味のゲール語である。これは、フランキー、マギーともにアイリッシュアメリカンであることを示唆している。
アイリッシュアメリカンとは、アイルランドに出自を持つアメリカ人のことで、約3,600万人のアメリカ人がアイルランド系であると自認している。初期の移民は警察官、消防士、軍人などの職業についていることが多いが、これは移民としては後発だったために命がけの危険な仕事にしかありつけなかったという歴史的事情に起因している。血気盛んなアイルランド気質ともマッチしていたらしい。
ボクサーとトレーナーという職業もその系譜に連なるかもしれない。中西部の田舎町からやって来たマギーはうらぶれたロスアンジェルスのボクシングジムを経営するフランキーにトレーナーになってくれと願い出るが、女性ボクサーを育てる気はないと断られ続ける。しかし、ジムを一緒に切り盛りする親友のエディは彼女にボクシングの才能を見出し、またフランキーも彼女の真摯な態度に心を動かされたため、弟子入りを了承する。マギーの才能は徐々に開花していき、プロボクサーとしてデビューを飾るまで至った。連戦連勝で勝ち進むマギーにある日100万ドルの賞金が掛けられたタイトルマッチが用意された。しかし、対戦相手は卑怯な手を使うことで知られるボクサー。彼女は試合で全身不随という大怪我を負うことになってしまった。
マギーの家庭環境はあまりにも悲しい。大怪我を負う前にはファイトマネーで家族のために一軒家を購入したが、母親から生活保護が打ち切られると文句をいわれ、全身不随になってリハビリ施設に移ってからも家や財産を横取りされそうになる。愛情や思いやりは微塵もない家族にマギーは深く傷つき絶縁を突きつける。
「モ・クシュラ」の意味を人生の最後に知るマギーの笑顔が忘れられない。この言葉は実の親子以上に固い絆が芽生えたマギーとフランキーの間にのみ成立した。ラストに呆然自失した。
この映画を評価している
人はとっても多いのですね。
映画としてとてもよい作品なのでしょう。だからこその高い評価だと思います。
ただ、この映画の根本に流れる考え方を、こんなにも多くの人が支持していると考えると、私はとてもこわくなりました。私が彼女の立場だった時、あるいは彼女の恋人の立場であった時、あるいは彼女の親の立場だった時にも、多くの人は「主人公の行動は正しい」と考えるのだと思うこわさです。
いろいろな考え方を自由に表現できるのが映画のよいところです。ですから、この映画そのものを否定しているわけでも、この考え方に賛同する人を否定しているわけでもありません。
このレビューを読まれていやな気持ちになられた方。申し訳ありません。
作品の内容について何の前知識もなく観た。途中まで女性ボクサーのサク...
作品の内容について何の前知識もなく観た。途中まで女性ボクサーのサクセスストーリーかと思って観ていたが、後半予想もしない展開に。こんなに重いテーマの作品とは思っておらず、観終わった後は頭が重く、心が苦しく、暫く放心状態で立ち上がることが出来なかった。
自分がマギーだったらどうしただろう、あるいは自分がフランキーの立場だったら、どういう選択を取っただろうか、、、と色々と考えさせられた。
日本人には語れない
ボクサー映画でもなければ、尊厳死の映画でもない。
血のつながりと愛の映画でもない。
映画を見た後、少しだけ歴史の勉強してみた。
新大陸を求め、アメリカに渡った最初の民族はイギリス(イングランド人)だ。
その後、フランス。そしてオランダ、ドイツなど。
イギリス人やフランス人は先住民であるインディアンを排除しアメリカを建国した。
その後、アイルランド人移民が入ってくる。
先に入った英仏はその後に来たアイルランド人やイタリア人を差別し
迫害する。
※アジア人(中華系)や黒人(アフリカ系)が入ってくるのは、さらにその後。
故郷アイルランドではイングランドやスコットランドからの植民地化が進み、
新天地アメリカでは迫害を受ける。そんな因縁を持つ民族。
それがこの映画のバックボーン。
憎きイギリス(青のイメージ)青い熊ビリーは汚くズルく、
そして強い「完全な悪」として描かれる。
一方、主人公マギー=アイルランド(緑のイメージ)は、
我慢強く努力を惜しまない「モ・クシュラ」として描かれる。
その二人がアメリカという地で激突する。
しかし、突然悲劇が訪れる。
2人が選んだ結末を否定する意見も多いが、
アイルランド人のほとんどがカトリック信者で
あることが深く関係している。
敬虔なカトリック信者ではない日本人には
理解しがたい。理解しようとしてはいけない。
と、思う。
そうした背景があってこそ、
アカデミー主要4部門受賞に意味がある。
アメリカのアメリカたる権威「アカデミー賞」受賞に
意味がある。のだ。
とかいう、私の浅い知識を差し置いても
キャラクター設定、物語のテンポ、人間関係の描写など
さすがイーストウッド監督と言わざるを得ない傑作で
あることは間違いがない。のだ。
壮絶なストーリー、メッセージ性にも感動
お互いに父娘の関係が切れた、トレーナーと女性ボクサーというのが、お互いに娘と父の影を追っているんだろうと思うと、それだけでもジーンとくる話だ。私も思春期の娘がいるので、なおさらジーンだ。
助演のモーガンフリーマンは、名作「ショーシャンクの空に」と同様に、主人公に寄り添う優しさが、またまた感動ものだ。
それぞれのアカデミー賞の受賞は、納得がいく。
寄り添える優しさ
ボクシングである程度の結果を残し
タイトル戦で怪我して
脊髄を損傷
寝たきり状態に…
自力で呼吸することもできない
出来るのは話をすることぐらい
家族に愛されず…愛する母親からも
寄り添ってもらえない
本人としてみたら希望も持てず
未来もなく生きる望みも
…持てない
いままで努力して得た栄光を留めて
最期を迎えたいと願う
…彼女にとって
果たしてこのまま生きて
いくことが幸せなのか
…または苦痛なのか
クリントイーストウッドは
私たちに問いかけている
こんな風に終わらないで欲しい、と思ったのに終わってしまった。それで余計に頭から離れない。ずるい映画だ。
①てっきり女子ボクシングの世界を舞台にしたスポ根ものだと思っていたのに(だから観るのを躊躇していた)、こんな映画だったとは。見終わった後、しばらく思考停止だったとも言えるし、思うことが多すぎたとも言える…②
モ・クシュラ
ボクシング物はだいたい好きなんだよねーと気軽に観始めてしまって終盤でやられた。傑作すぎる。前半のサクセスストーリーと、クライマックスの悲しすぎる選択、構成が天才すぎて辛すぎる。全体を通して表情がギリギリわかるくらいの暗さと緑色のトーン。モ・クシュラ。
!けいを逆のとこいたりや。だんいなゃじ屈理はグンシクボ
この映画を観た直後に印象に残ったキーワードを書き出してみると、「110回目のプロポーズ」という言葉が残ってしまいました。「自分自身を守れ」とか「タフ・エイント・イナフ」よりもずっと強烈に・・・そして、アカデミー賞の結果は嘘じゃなかったと座骨神経にフックを食らってしまった気分です。ラスト30分に自然と涙が流れるというコピーも嘘じゃありませんでした。観る前にはボクシングを題材にした普通のスポコンドラマだと信じきっていましたから、衝撃は強かった。しかし、終わってみると、重いテーマだけど、どことなく心が洗われるような感覚にもなりました。
最も印象に残ったのはヒラリー・スワンクの演技でしょう。映画の中で、彼女は13歳からダイナーのウェートレスで稼ぐのですが、彼女本人が幼い頃はトレーラーハウスで暮らすほど貧しかったらしく、客の食べ残しを隠すシーンなどはリアルに演じてました。もちろん鼻が折れる等の痛いシーンもすごかったです。
クリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンもおじいさんコンビとしていい味を出していました。過去の贖罪と娘との確執を背負い、必ず送り返される手紙と毎日通う教会。静かな演技であってもボクサーを守るという信念。どれをとってもイーストウッドらしい演技でした。彼が贖罪を感ずる本人であるモーガン・フリーマンの語りも渋く、23年間ずっと一緒に働いてボスに罪の意識を感じさせないよう生きている姿も、何発もジョブを食らうかのようにじわりと感動を与えてくれました。脇役ではあるけど、デンジャーやウィリーもインパクトあったし、世界チャンピオンの青い熊もボクサーだけあって睨みつける目は強烈でした。
伏線である「モ・クシュレ」というゲール語の言葉。真の意味を知ってからは、アイルランド人の観衆が歓喜した理由もわかり、カウンターパンチを食らってしまいました。それよりも、ラスト30分の意外な展開そのものが、ビリー・ザ・ブルーベアの放つ反則技くらいインパクトがあるもののだったかも・・・「父親が犬にやったこと」と言葉を発したときには、もう涙が・・・
【2005年5月映画館にて】
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