異人たちのレビュー・感想・評価
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切ない物語、映像美
ネタバレあります
話はとても切なく、アダムの切ない笑顔に胸が締め付けられました。寂しかった、怖かったという気持ちが私にも伝わってきました。
ゲイであることで感じる寂しさと孤独なことの寂しさは違うと言うセリフが刺さりました。寂しいことには違いないと思いますが。
性的マイノリティの話によくある、生きやすい世の中をといったことは全くなく人間的な寂しさの話で共感できました。
抱きしめてやれなくてすまないのシーン、アメリカンダイナーのシーンで号泣。自分の中に寂しい記憶がある人は特にしっかり伝わると思います。アダムの虚しさ。
そして、映像が美しい
色味が美しく、色彩ははっきり鮮やかめでいい映像体験でした。なんといってもピントの浅さ。この要素だけで映画が構成されて没入感につながるという不思議な体験でした。普通ならカットを割るところをピントを移すという方法は新鮮でした。背景がボケていることで見える世界は演出的に最高でした。
とても好きな映画です。あくまで『異人たち』を見ました。
思ったより上品
ゲイ作品ですが激しい性描写はなく、1人の人間のストーリーなので、女性1人でも安心して見れます
進行はゆったりですが、静かさがあり、内なる悲しさが秘めているのが伝わります。
実家に行くたびに自分がもらいたかった言葉をもらいに行く。子供に帰る。
会えた嬉しさとカミングアウトした後の絶望感の差
窓に映る顔やエレベーターなど所々にフランシス・ベーコンやクイーンのミュージックビデオっぽい映像
最後は絶望のような安心のような。
しかし相手がどうであれ、自分が愛され、自分が愛する人がいるので良かったのではと思います
かなりダウナー仕上げ
随分前に観たきりですで多少記憶は曖昧ですが、作品として好印象をもっている大林宣彦監督の『異人たちとの夏(88)』のリメイクであり、IMDbやRotten Tomatoesの評価もとても高くとても楽しみにしておりました本作品。ただ、公開1週目のサービスデイ(平日)午前の回、TOHO日本橋Screen1はガラガラとは言わないまでも空いていました。
で、感想ですが、ちょっと期待しすぎたかな。。けして悪い出来てはありませんが、かなりダウナー仕上げとなっており、人によっては塞ぎ気味の時などは避け、心して鑑賞した方が良いかもしれません。
本作における「キーとなるギミック」は概ねにおいて変わりなくリメイクされており、親子再会から少しずつ「当時」の関係性へ不自然さなく戻り、且つ、「現在」の自分より若い両親と対して解り合う様はやはり素晴らしいと思います。特に私、母役のクレア・フォイの豊かな表情と眼差しが好きなのですが、本作でも裏切りません。
ただ、前述したように本作非常に暗く、舞台設定や視覚効果など全体的にホラー味が強め。自分の人生と特性を背景に敢えて「孤独」でいることを選んでいるようなところのあるアダム(アンドリュー・スコット)ですが、とあるきっかけで会う3名との急接近から、自分の人生を顧み、また想いを吐露することができることで解放され、話が進むにつれ「抑えていた感情が溢れる様子」は観ていて辛いものがあります。
また少々残念な点としては、現実と幻想の区別がつかない状況に対し、発熱、酒に加えて「薬」によって酩酊し、朦朧とするというのはやや安易と言うか、ファンタジーな要素を弱めてしまっていて残念な印象です。
とは言え、最後の展開は嫌いではないし、作品としては悪いわけではありません。特にキャスティングは素晴らしくハマっていますし、エミリー・レビネイズ=ファルーシュの音楽が作品を惹きたてています。劇場でなくても構いませんが、精神状態の悪くないときにご覧になることをお勧めします。
「異人たち」のお話
あの世の人たちも、ゲイの人達も、私には「異人たち」でした。
ゲイの人達を許すとか許さないとか、認めるとか認めないとか、その昔同性愛は犯罪だったり、元々はキリスト教で禁じられていた名残ですかね。
たとえ親であっても他人が言うことじゃないと思う。人としての性質なんだから、神でもない同じ立場のヒトが許すも許さないもないでしょうに。
他人が言えるなら、自分が受容できるできない、共感持てるか持てないか好きか嫌いか、あくまでも自分の個人的な感覚としてどうなんだということだけだと思う。
どうしてもだめなら個人的にそっと距離を保てば良いでしょう。
積極的に危害を加える言動はもっての外ですが、個人として感覚的に受け付けない人に、受容や積極的に共感を持つこと、好きになることを強制するのも違うと思うので。
アダム自身がもしかするとすでにあちらの世界に片足突っ込んでいるのかもしれません。
あの世とこの世の間の踊り場にいる状況。
アダムが生きている人と会話など交流しているシーンがない。
あのマンション・ビルにハリーと二人しか住んでいないのも、現し世だと不自然だし。
自分の家庭の話を書いていて行き詰まったにしても、唐突に実家に行こうと思い立つ大きなきっかけがあっても良さそうだし(死にかけている状況に陥った)、亡くなった両親が実際に出てきてもさほど驚かないのも、なにか自分で悟るところがあるからじゃないでしょうか。
両親に会うたびにHPが削られるというのをもっとはっきり示したほうが良かったと思う。
息子を思うがゆえにもうこれきりにしよう、という両親の気持ちが伝わりにくいです。
アンドリュー・スコットは、私には「モリアーティ」なんですよ、シャーロック!の怪演で演技派なのは良く知っており、本作も好演でした。彼自身ゲイをカミングアウトしてますね。
ハリーが実は… というのは日本版とちがってるけど、こちらのほうが断然良いと思います。誰かに見つけて欲しかったんだよね、とうるっときました。
アダムの父のジェイミー・ベル、なんかもったいない使い方だと思いました。
おじさんふたりの赤裸々な行為は、あまり見たくなかった
「エゴイスト」が大丈夫だったのはふたりが若くて美しかったからでしょう
日本版と違って親子の情愛割とドライ、郷愁要素なし、で、ホラー映画としてそこそこおもしろかったです。
追記)
種々の現象の元をたどると、アダムの孤独がある気がします
私の勝手な解釈ですが、死にかけている状況になって、リアルではできなかった願望を叶える「幻想」を見たのかもしれないと思いました。
自分を理解してくれて心身ともに寄り添ってくれるパートナーができ、すでに亡くなっている両親にゲイをカミングアウトし、自身のわだかまりも話し合って解いて理解し合う、孤独な男の切なる願望だったのかも。
アンドリュースコット
初見ながら確かな演技力。写真より魅力的でプラス演技が確かなのでもっと作品見てみたいです。ポールメスカルとの見事な調和は、作品に深みを与えているが、山田太一さんの原作ぽくなかったし、本内容も未見。
日本版はいつもの様に会話がツボか。
両親との会話は印象的、かつ羨ましくもあり。
映画は両親が若いと言うだけで、映画の内容は推測可能、ただ結末がああなるとは思ってもいなかった。ポールとのラブシーンは映画を売る為どうしも必要と思うが、少し安易。
ポールメスカル需要が高い俳優、演技はお墨付き。彼の映画をもっともっと見たい。この映画ポール出てなければ行かなかったかな。
パンフレットの中にサントラ情報あり。
疑問
ポールメスカルが日本製のワインを勧める箇所のシーンは実際に生きていた設定なのか?またはもう既に?
リメイクではなく、インスパイア系で良いのでは
オリジナルは見ていないが、単体作品として感涙を期待して観に行きました。
残念ながら自分にはウルウルポイントはありませんでしたが、家族愛、クィア(ゲイ)の葛藤や、孤独感などが重なった時にグッとくるのでしょう。
主人公の寝落ちと海外作品に多いドラッグのキメシーンで、結局、現実ともただの妄想とも取れるファンタジー内容なので、信じるか信じないかはあなた次第パターン。主人公は物書きで、今は両親のことを題材に書いているというシーンから、より妄想処理に近い解釈だと思うのだが、どうなんだろう。
そもそも住んでいるマンションもあの大きさで廃墟でもないのに2部屋しか住んでないとか謎すぎるし、結局、仕事ほぼしていないし・・
絡みがリアルな感じがあるが、同性愛者にある程度の理解が無い人は偏見を持たずに観てほしい。
もう少し時間が経てばまた作品の見え方が変わる気がするので、いつか観返します。
映画「異人たち」のネタバレ考察・映画感想文
・物語
とある男がいる。名前はアダム。
彼に対してある日、別の男が部屋まで来て誘いをかける。名前はハリー。
ハリーは「一緒に君の部屋で過ごさないか」とアダムを誘うがアダムはそれを断る。
だがまた再会の機会があり、アダムとハリーはだんだんと近づき恋人同士になるのだった。
これはまた別の話だが、アダムはとある夫妻を訪ねる。アダムと同年齢ぐらいの夫婦だ。
アダムを見て夫妻は「あの子だ!」と言う。一体どういうことだろうか。
アダムとハリーの件があった後だけに、もしかしてこの夫妻の夫もしくは妻の方がアダムとロマンス的な関係を持つのではないかと思わせるのだが、そうなりそうな雰囲気だけを漂わせて、実際にはそうはならない。
話を聞くうちに段々とアダムはこの夫妻の子供であるということが明らかになる。見かけ的には夫妻はアダムと同じ年齢ぐらきに見えたのですぐには分からなかった。最初は昔近くに住んでいた近所の人かと思った。だが親と子だった。
アダムは自分が芸であることを母と父に打ち明ける。母はそれに戸惑いを隠せずに偏見の言葉を投げつける。父は最後にはアダムを受け入れて、子に対しての過去のおこないも懺悔する。
アダムは自分がゲイであることによってか、子供の頃から周りにいじめを受け、まだその激しい痛みがトラウマとして残っているのだった。それに対してアダムの父は見てみぬふりを決め込んでしまった。その昔からのわだかまりについて父子で話し合い、ある部分、融解する。
こうしてアダムと父母は久しぶりに再会した。なぜ離れ離れになってしまったかの真相は明らかでない。何らかの事情があったようだ。
そしてアダムはその日、父と母と同じベットで眠る。だが同時に悲しい夢を見る。いつの間にか隣には恋人のハリーがおり、だが逆側を振り向くと隣にいたはずの母はいない。そしてまた振り向くとハリーがいない。
唐突に大事なものが失われ、この世界でひとりぼっちになるような悪夢から目覚める。一体何が現実で何が夢なのだろう。アダムが訪ねた父母の記憶はどこまでが現実だったのだろうか。
アダムは現実の世界でハリーと一緒に父母の家を訪ねる。だがそこには誰もいない。ドアを激しく打ち付ける。だがそれもまたアダムの見た夢であり、アダムは何度も現実に目覚めて行く。
そしてアダムは気づく。彼の父母は彼が幼い頃に既に交通事故で亡くなっていることを。アダムは自分の幻覚の中で父母と再会し、打ち解けあったのだった。彼と彼の両親が同じぐらいの年齢に見えたのも納得が行く。彼は彼が幼い頃の、若い頃の両親と幻覚の中で再会していたのだ。
さらにだ。彼が恋人であるハリーの部屋を訪ねると、彼はおそらく薬物の過剰摂取で死んでいた。いたたまれない。打撃の後に打撃。なんて救われない物語だろうか。
実は彼はハリーと恋人にさえなっていない。ハリーが孤独感に耐えきれずアダムの部屋の前を訪れた後、ハリーは自ら命を絶ったのだった。それもアダムが彼の誘いを断ったがために。
唯一の救いの綱であるはずのハリーとの関係でさえ壊れた。というよりも本当は始まってさえいなかった。
彼ら二人はまた夢の中で抱き合い、そのまま光の中に吸い込まれ、夜空の星と同化するのだった。
・感想
このように非常に悲しい物語だった。
誰でもいちどは夜に目が覚めて、本当に愛すべきものを失ってしまったような、そんな孤独でたまらない気持ちを味わったことがあるんじゃないだろうか。これはそんな感覚を描いた映画だと思う。
「ボーはおそれている」のようにせん妄が起き続け、どこまでが夢で現実が分からない。
エンドクレジットを観ると原作が日本の小説で驚いた。しかも調べたところかなり古そうな小説だ。これはぜひ読んでみたい。
・久しぶりの映画館
しばらく毎日のように映画館に通っていたが、ここ1週間ほどは行けていなかった。1週間ぶりでも自分にとっては久しぶりだ。
こうして久々に映画館に来るとやっぱり良い。毎日通い詰めだと良さが見えなくなりがちだけれど、映画館というものの良さを再確認した。
映画そのものの内容も大事だけれど、それ以上に「映画館で過ごす」という体験自体が好きだ。仕事が終わってただ家に帰るのではなく、映画館に寄れば、もうひとつ人生を生きることができる。
アマプラとか配信で映画を観るのも決して悪くはないのだが、あの映画館の大きなスクリーンが恋しくなる。あとは部屋で完全に一人でいるのは孤独だ。それよりも公共の場所であるシアターの方が良い。「文化的な営みをしている」という感じがする。
たぶん映画鑑賞によって情緒だって育まれる気がする。映画鑑賞をしないと情緒が育まれない。つまり僕から映画館を取り去ったらもう非人間である。
人間性よ。
残念としか言いようがない気がします
山田太一さん原作のリメイクと言うだけで期待倍増でした。
と言って原作を読んでもいないし、映画も見ていません。
原作の有る物を映像化した作品に対して様々な皆さんの意見を見ますが、僕は何も原作に忠実に作る必要は無いと思っています。
原作は原作であれば良いだけで、映像はそれを元にして創っているだけなのですから。同じじゃないのは当然です。
で、その上で思ったのは山田太一さんはこの作品をどう感じるのだろうと。
作品に対しての思いは人それぞれ、称賛もあれば批判も有り、それで良いのですが、今作は僕には合ってなかったようです。
日本人の書いた本を外国人の方が映画にするのだから、時代も違えば解釈も違うだろうけど何を表現したかったのだろう。
親子の絆?同性愛?孤独?
ただ一つ親の子に対する愛は理解出来ましたが、それ以外の描写の方が多かったかな。
この作品は僕には残念だったけど、オリジナルの「異人たちとの夏」を俄然見たくなりました
ヒネる必要はない…
日本版のオリジナルを見たのはもう40年近く前で、よく憶えていない。
風間杜夫が主人公というのは憶えていたが、監督は大林だったというのは調べてみて思い出した――。
本作は、設定を現代のイギリス、そして主人公の恋愛対象を同性(男)に設定しているのが違うが、子供の時に死別した両親が「異人」となって再会するという設定はそのまま踏襲している。
監督のアンドリュー・ヘイ自身がゲイであることから、主人公もそれに設定されている。
性描写も結構多く、イチモツが露出しそうでハラハラしたか、R15指定なのでそれはナシ(笑)。
主人公は、子供の時の記憶しかない事故死した両親の元を何度も訪れ、自身の近況を語るうちゲイである、ということも告白。異人である両親もそれを受け容れてくれる――。
親というものは、子のすべてを肯定する生きものなのだ。
そのあたりは、すごくジーンときて、見ていて涙が出た。
だがしかし、最終盤でちょっとミステリアスな味付けをしているため、「親子の情」という部分を台無しにしている。
ぼくには、かつて極めて親しい友人(故人)に同性愛者がおり、彼らのことはまったく否定するつもりはないが、やはり彼らの趣味・嗜好については自分は遠慮申し上げたい。その気分からすると、評価はあまりできない作品である。
主人公と深い関係になった彼氏に対して、もうちょっとわかりやすい形でまとめてくれれば、自分の感じ方も変わったかもしれない。ちょっと残念な作品
東京都心のシネコン、平日昼間の客入りは2割に満たない印象。山田太一の小説が原作だということで見に来ていたような熟年夫婦は「こんな話だったのか…」とその世界に入っていけなかったような感想を漏らしていたのが聞こえた。
失われたものに耽溺することは罪?それとも救い?
人は本質的に孤独なのだけど、ただ子ども時代だけはその事実と向き合わずに済んでいたということを思い出してしまう。微笑みかけ、はげまし、心配してくれる両親との時間、その時間と大事に守られただ無邪気でいられた時の記憶は人のベースになるものだろうし、その失われ方が苛烈であればあるほど、引きずってしまうことになるのだろう。だからアダムはどこか呆然として生きているように見える。愛することが怖いのは失うことが怖いのと同義。アダムの選択は、途方もなく孤独に見えるけれど、優しくて思いやりのある大人に育っているからこそなのかもしれない。
アダムと両親との時間は愛に満ちていて、切なすぎた。
そして、これからのアダムも。
アンドリュー・スコットは素晴らしかったと思う。彼の孤独と、それを癒やす奇跡に飲み込まれそうになる作品だった。
よく分かりませんでした
本作は奇抜な設定にしたことが活かせていないと言うか、むしろ裏目に出てしまっていると思います。
本来なら家族や恋人との愛を伝える感動的な作品にしたかったのだと思いますが、奇抜な設定にしたことにより私的には何かオチや意図を期待してしまいました。ところが、そのようなものは何もないので、観終わった時に感じたのは感動ではなく「奇抜な設定は何だったの?」でした。なので、何をしたいのかよく分からなかったというのが正直な感想です。奇抜な設定にするならするで、終盤まで死んでいることが分からないようなストーリーにして最後に観客の意表をつくなどのオチがあった方が良かったと思います。
それと、主人公の設定をゲイに変更した意図も分かりませんでした。もし、ポリコレを意識したものだとしたら、もういい加減やり過ぎだと思います。私は映画を観ながら作品とは関係ないことに気を取られたくありません。
立ち直れない喪失感
原作「異人たちとの夏」および、大林宣彦監督による映画化作品がめちゃくちゃ気になった。日本だと雰囲気も展開も全く異なるだろうし、イギリスに舞台を移し、更には同性愛者同士の物語に変更されているため、原作からかなり改変されているんじゃないかな。情緒あるイギリスの映像はすごく良かったけど、日本人なら日本じゃないとノスタルジーを感じられないし、断然その方が好きになれるだろうな笑
死んだはずの両親と奇跡の再会を果たした主人公・アダム。そんな奇妙な出来事から自身の心に残っていた〈しこり〉に気付き、離れていくことの恐怖を抱きつつ立ち直る勇気を振り絞る彼の様は、ファンタジーな設定ながらも再起の物語としてはかなりよく出来ており、後半は特に胸が打たれた。
ただ、中盤があまりにも退屈すぎる。
先日の「パスト ライブズ」もそうだったんだけど、物静かさが最大限生かされていないというか、多くを語らず、超スローペースで物語を展開していくこと自体を映画の美と捉えている作り方が、見ている側としてはものすごい眠気に襲われてしまう。冷たく、張り詰めた空気感を全編通して貫くのは非常にいいとは思うけど、やはり中盤でひとつ、大きな1歩を踏み出して欲しいもの。ゲイであることを公表している監督・主演俳優であるため、BL描写はかなり優れていた。それもあり、作りの甘さと演出の弱さは気になってしまった。予告からちょっと期待しすぎたかな笑
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので めちゃくちゃ楽しみにして...
アンドリュー・ヘイの過去作全て好きなので
めちゃくちゃ楽しみにしていたのですが、
冒頭からハマらず、うーんと思いながら鑑賞。
話が飲み込みずらいし、テンポも遅い
(アンドリュー・ヘイの過去作どれも分かりずらい箇所があったり、スローペースなのだけれど今回は肌に合わない感じだった)
映画の色味とかカメラコントロールが過去作とも違うのがまずちょっと嫌。おそらくノスタルジー感を出す為だろうけど、過去作のちょっと引いた温度の低いカメラワークが好きだったので…。
大林版を未見なので、比較もできないけど
けっこうあんまりいい映画とは思えず、残念。
なんだろう、アンドリュー・ヘイの語らず見せる話運びが好きだったから、両親との会話で教科書的にクィアの問題を語りすぎてるのが嫌だったのかも。
原作とは別物かな?
原作では彼らが両親かどうかや、そもそも彼らが何者なのかについて主人公はかなり逡巡するけど、映画ではあっさり母親から両親であることを告げられ、それを疑問もなく受け入れてしまうことにちょっと違和感が。
主人公がゲイという設定や、それ故に同じビルに済む恋人が男性なのはいいとして、日に日にやつれていくという原作ではキモになる設定がすっとばされていたのは「マジか?」という感じだった。
そしてラスト、恋人の正体が判った後がハートウォーミングな展開にビックリ。
原作通りホラーな展開で最後にあっと言わされるとばかり思っていたので、、、やっぱ原作とは別物かな。
限られた時間の疎外
All of Us Strangers
単なるクィアの映画ではない。事故が無ければもっと時間も取れて、家族同志分かり合い、その後で(理想的には)周囲にも理解を拡げていけたはずだ。アダムがマイノリティと辛さは別と言うように、本来は互いに分かち合いたいものが他にもたくさんあったはずだが、一つ目のハードルが高いので、それを解くことに大半の人生を費やしてしまう。それだけで終わってしまう。ロンドンから電車で向かう場所はいつも生家で、登場人物は両親を含めて概ね4名と少ない。それなのに和解を遂げた後で、彼らは直ぐに去らなければならなくなる。
解り合える人は遠くに存在する。時間は足りず、時間軸もずれていたようだが。ハリーとは実際のところ実体として出逢えていたのか。わからないが、星の視点からすればそれさえも小さなことで、少しだけ閃光を照らし、消えていく
“ほんとにあった怖い話し“ 映画版て感じ
古い!そしてパーソナル感パなく、オリジナルのエッセンスもまるで拾われておらず別方向へのベクトルw
“異人たちとの夏”と聞いてなければ、別物のソフトホラーとしてならまあまあかな😑
You are always on my mind
「異人たちの夏」の外国映画化。R15+
原作と監督の自信の経験を合わせたまったく新しい「異人たち」。
シナリオライターの主人公アダム。
ある日同じマンションに住むハリーの誘いを断ってしまう。
仕事の着想に実家の家を訪ねたアダムは両親と再会する。
12歳のクリスマスに交通事故で2人は亡くなったのに。
そこから亡くなった両親過ごす日々とハリーとの恋仲の日々をアダムは過ごしていく。
アダムは幸せな日々が続いていくと思っていたが、、、。
原作は山田太一の「異人たちの夏」
1988年には日本で映画化された。
今作は監督の自信の経験を織り交ぜて
日本版とは別のストーリーを展開していく。
大きく変更されたのはアダムのセクシュアリティをゲイとしたこと。
また幼少期から内向的でゲイとカミングアウト出来ずに暮らしてきたこと。
その要素がこの映画の質と完成度をグッと上げている。
ハリーの誘いを一度は断ってしまったアダムは
再度アダムからハリーを誘います。
おそらく今まで恋愛経験が少なかったアダムの決意でしょう。
そこからアダムは硬い殻を破っていきます。
性描写もゆっくり。でもそこに優しさがあり見入ってしまう。
後半からアダムの苦悩と過去のフラッシュバックの映像描写が
とても辛く、不穏でもある。
映像トリックもドキッとさせられて観客飽きさせない。
クライマックスは
1度目はただだた受け入れるので涙は出なかった。
観終わってアダムやハリーのことを思い出すと涙が出てきた。
ハリーを一瞬でも話すと彼きっと消えてしまう。
だから離さないようにずっと抱きしめていた。
心から愛した人、両親に紹介したいくらいに愛している人。
両親も認めてくれたし。幸せを願っていた。
それなのに。
ハリーが消えてしまうとアダムはまた
厚くて硬い殻に閉じこもってしまうかもしれない。
「吸血鬼から守ってあげる」アダムの愛の力で。
あまりに切ないラストシーンは映画史に残ってもおかしくない。
旅の重さ
ロンドンからどれだけ離れているのか分からなかったが、列車で向かう実家に現れた両親の変わらぬ姿、それとロンドンで出会った男との逢瀬。確かに同じようなストーリーなのだが、大林版とは大きく異なる印象。個人的に大林版が好きだったので本作への印象は余計に渋く見てしまう面はある。そこを引き算しても、心が動かされる程ではなかった。映像は美しい。ゲイの要素がかなり強め。
異人たち…、って。
なるほどなー、と思ったけど異人なのかどうか…。全てはアダムの妄想でもあるわけだし。自己を肯定するための妄想録でもあるよな、と思っちゃう。時代背景もからめながら考えさせられる話ではあったけど。やっぱり家族って大切。
子の心、親知らず
『片岡鶴太郎』はべらんめぇな父親役が、
『秋吉久美子』はきっぷの良い母親役がそれぞれ似合っていた。
そんな両親が、十二歳の頃に死に別れたままの姿で
懐かしい浅草の地で暮らしている。
今朝分かれたばかりのような気軽さで「よう!」と声を掛けられてから
主人公は足げく二人のもとに通うことに。
まるで失われた少年時代を取り戻すかのように。
そこでは離婚した妻子のことも忘れ、
昔に戻ったように素直になれた。
しかし日が経つうちに、彼のカラダは衰弱しだし、
母親は「やっぱりねぇ。もう死んだ人間と一緒に居るのは不自然なんだよ」と言い、
別れの日が訪れる。
両親は自分たちが既にして死者であり、未練でこの世に戻されたことを認識。
再び得た楽しい日々ではあるものの、我が子可愛さにそれを手放すことを決断。
三人で囲む「今半」での「すき焼き」の湯気を前にして、両親の姿は消えて行く。
「行かないで!!」と泣きながら訴える姿は哀切極まりなく、
ここで落涙しない人間はおらぬだろう。
『大林宣彦』らしい叙情的なシーン。
主人公にとっては、自身の寿命を引き換えにしても、全うしたい懐かしい想いなのだ。
にもかかわらず、彼の衰弱は進む一方。なぜならば・・・・と、
曰く付きのラストのシークエンスへ突入。
これをもっと巧く創っていれば、どんなに素晴らしい作品になっていたことか。
元々の企画であった{ホラー}の残滓ともされているが、
監督の長編デビュー作(制作も兼ねる)は〔HOUSE ハウス(1977年)〕だったことを忘れてはならぬ。
これが〔異人たちとの夏(1988年)〕。
では同じ『山田太一』の原作を
イギリスを舞台に移し撮られた本作はどうか?
〔生きる LIVING(2022年)〕と同様のケースで、先作は事前の不安をよそに、
世評の高さは周知の通り。個人的にも高めの評点。
ただ今回、監督の『アンドリュー・ヘイ』は主人公をゲイにするとの
大きな改変を加えている。
これにより、都会に一人住む男の
孤独や寂寥が際立ち伝わるように。
それ以外のプロットはほぼほぼ前作通りも、
やはり両親との別れのシーンでは日本的情緒を加味した表現に軍配。
もっともこれは、自分が日本人だからかもしれないが。
その後の展開もやや{ファンタジー}によったもの。
人を愛することを知らずに育った男が、
通過儀礼を経て愛することを覚えた、との。
が、その相手が、実態を持たぬ存在なのは
それで良いのか?と、疑問に感じるところ。
日本に比べると、
キスをする、抱き合う等のフィジカルな愛情表現が濃密な西洋との認識。
なのに、本作よりも、「大林版」で描かれた両親の方に、
愛情の深みを感じてしまうのは
一つ同郷なだけが理由ではない気がする。
全120件中、61~80件目を表示