異人たちのレビュー・感想・評価
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オリジナルとは全く異なる解釈
大林監督の「異人達との夏」と、どうしても比べてしまい、期待もしてましたが、全く異なる世界とテーマになって居て、切り離して観る必要があります。
都会の寂れたマンション、ゲイの中年男性…例え様の無い孤独の中で、クリスマスに故郷に帰り幼い頃に死に別れた両親と出会い、主人公の心が解れていくという展開は、日本の蒸し暑い夏と旧盆、下町というモチーフの持つ意味とは、かけ離れたニュアンスでの設定となり、両親にカミングアウトして、心の重石を取り除く事がテーマとなる。
ミステリアスな邂逅から始まる展開や、心温まる癒しの様なものが無く、伏線も無い上、主人公が魅力的では無いので物語に入り込めず、全体が暗い作品となっている。
3人のオバケと1人の男の話
皆さんがおっしゃるほど、心を揺さぶられることはなかった。
親もただの1人の人間で、自分がそうなように100点満点なはずはなく、ましてや若い頃の親なんて更に未熟で。
でもそんな親でも、目の前にすると子供に戻って甘えたくなるもんなんだな。
これはSF?
それにしても、なにもハリーまで死ななくてもいいのにねぇ。
つくづく愛に縁がないアダムを気の毒に思いつつ歩いて帰った。
しこりを大きくしないで。
大林版は観てません。
アンドリュー・スコットとポール・メスカルの年齢差はちょうど20歳らしい。10くらいかと思ってた…
アダムと父母の交流を観ながら、何に触発されたのかわからない涙が止まらなかった。強く感情を揺さぶる描写でもないのに、涙が顎まで滴るのはなぜだろうと思って見ていた。
多分、アダムの孤独が自分に重なるからなんだと思う。親が早逝してもないし、クィアでもない。でも、人と関わって感じた孤独に耐えられず、そこから誰かと交流しようとしないわたしがアダムに重なった。
それと、親と人間として“ちゃんと”関われなかった後悔も、あるのだと思う。父はもう死んだし、母は生きているが、どれだけ言葉を選んでも、心を砕いても、正直にぶつかっても、“わたしの望む反応”が返ってこない(返せない)とわかっているから、これ以上向き合いたくない。
けど、数多の物語が描く、親との“ちゃんとした”関わりに遭遇するたびに、自分にはなしえなかった後悔を感じる。物語に生きる誰かの母が、わたしの母にも少しは宿っていないだろうかと。
母も父も、彼らなりの愛のようなものをくれたし、必死で働いた金でわたしたちを育てたことを理解している。でも…
本当は自分の親に掛けてもらいたかった言葉や振る舞いを、わたしは虚構から間接的に摂取して、なんとか完全に自暴自棄にならないようにしてるのだろうな。
親以外にも、恋人や友達やきょうだいや街ゆく人に、してほしかったことを、虚構から得て、なんとか生きてる。そんな気がした。
自分が誰かに生きる糧のようなものをあげられたかもわからない。自分だけが欲しがってる気もする。
忘れてしまうのでオチを雑にメモしておくと、
ハリー(ポール・メスカル)は、アダムの部屋を訪ねたあと直ぐに飲みすぎたか薬のオーバードーズかで死んでいた。前へ進むための動機が欲しくて作り出した父と母との邂逅を経て、拒絶してしまったハリーに会いに行くと、もう死んでた。
その後がわからんけど、ハリーの親兄弟に連絡してあげたりするのかな?そして、アダムは人と関わろうとし始めるのかな。胸にはまったしこりを大きくしないように。
とはいえね、めちゃ感動しといてなんやけど、突然自宅に訪ねてくる知らん人を部屋に招き入れないのは、身を守るためには極々一般的やと思うねん。あれでハリーを招き入れるのは無理やって!絶対無理!私なら居留守一択よ。名前すら教えません!!
先に逝った人たちへ
異人たちという題名
言いえて妙 この映画に登場する人達全員が、どこか儚げで愛おし過ぎて素晴らしい
自己主張せず、あるがままこの世やあの世の別なく、人が人を愛する姿は美しい
亡き山田太一さんもさぞ満足されておられますよう(合掌)
(5/3)
あれから考えて、疑問があったので、2回目鑑賞
最後の辺りで、ハリー(ポール・メスカル 好演)がこのしこりを大きくしないで(日本語訳まま)って何を指してるんだろうということを考えた時気づくべきだった
そこでこの主人公以外は、ラストから全て鬼籍の人であり彼が執拗に子どもの頃の執筆にこだわり、昔住んでいた家に通ったり、彼に関心を持つ男性に出会い触れ合うことって、もう既に彼が臨死にあり すべてはその準備じゃないのか?ってこと
山田さんの小説はよんだが、そういう記述もないし夏の話しになっているので、じとーとした日本の怪談風話しになっているのに比し、このヘイ監督作マイノリティー達の寒々としたリグレット(後悔)に彩られた人生譚になっている
すべてのマイノリティーの人へ、いろんな事があっても[人生すてたもんじゃない]って生きていこうというメッセージを感じました
中堅俳優4人の競演
急に亡くした肉親、逝った方も遺された方も、伝えきれなかった気持ち、後悔している行動、もう一度会えたなら…
12歳の時に自動車事故で両親を突然喪った主人公は、既に当時の親の年代になっている。しかし家庭を持たず、ロンドンの高層マンション27階の部屋で一人、シナリオライターをしている孤独な生活。ある夜マンションの警報が鳴り、誤報と思いながらも建物の外に出ると、6階の部屋にだけ人がいるのに気づく。
部屋に戻った後、その6階の青年が、日本のウイスキーを飲もうと押しかけてくるが警戒し、丁重に断る。
彼との会話から昔を思い出し、懐かしい写真を見返しているうち、両親と暮らした家に行ってみることにし、電車で郊外に向かう。家は昔のままの姿だったのを確認し、帰ろうとするとすると、昔の姿の両親が現れる。そんな筈はないと戸惑いつつも、今はライターをしているという息子を歓待してくれる。久しぶりの再会に温かい気持ちになり、母親には「2人のうちどちらかは家にいるからまたおいで」と言われる。電車でロンドンへ戻ると、6階の青年に再び出会う。前回とは違う印象の青年に気持ちを許し、受け入れる。
何度か電車で両親宅を訪ねるうち、青年に会ったことで、ゲイであることを両親に打ち明ける。当時、同性愛はエイズ=不治の病と結びつけられていたため、母親は息子の告白に、頭ごなしな否定や拒否はしなかったが心配はされた。父親とは、自分が女々しかったため昔からいじめられていた話をする。父親はいじめに気づいていたが、息子を救おうとはしなかった。それは、自分自身がいじめる側に近かったためで、主人公もそれを分かっていた。そして「あの時、部屋に入っていかなくてごめんな。」と息子に謝罪する。
そして、二度目の別れがやってくる。
子育て中の親は年齢的にも完璧な人間ではないし、間違えもする。
ロンドンから田舎への電車での移動が、この世とあの世の移動手段になっている。幽霊ビルのような都会のマンションといい、現実と向き合っているのかわからないような生き方の中年の主人公。それでも、自分と自分の過去に目を背けず前を向くことを、不思議な人たちとの交流の中で学ぶのだった。
泣けた。
どう捉えるかは観る人の人生次第
シャーロックに出演していたアンドリュー・スコットさんが出演とのことで観てみました。
予告では恋人も出来て両親とも会えてハッピーエンドかと思っていましたが、実際は両方とも失う(物理的に、恋人も恐らく刑務所に行くだろうし)結末で悲しいと思いましたが、両親とは分かり合って本当の家族になれて別れ、また恋人とも支え合っている様子だったので、気持ちの面ではハッピーエンドだったのかなぁと思いました。
私は親とは仲が良くなく子供の頃にされたことや、して貰えなかったことを未だに根に持って生きてしまっているので、アダムのように子供の頃の話を腹を割って話し謝り合っていたのは少し羨ましくもありました。
また、私がもしLGBTQだったらまた映画の見え方も変わってくるんだろうなーとも思ったり。
この映画は賛否両論あり、昔の邦画バージョンを観た人にとっては不満があるようですか、私は原作も知らずに観たので特に違和感は覚えませんでした。
強いて言えば、両親と会えていたことや恋人にも両親の姿が見えたこと、時々ジャンプする意識、ただ単に薬でなのかあまりの孤独感からの妄想なのかが気になりました。
初めは脚本家だから書いている作品の中の妄想の話かと思いましたが、あまり脚本家としての描写も出てこないので関係なさそうでしたし...。
最後に恋人の部屋に遺体があった理由やいきさつなども気になったままエンドロールだったのが心残りでした。
追記:他の方のレビューを見ると、どうやら最後の遺体はハリーのだったみたいですが、何故か私はハリーが浮気した相手orハリーの不仲な両親と勘違いしてました。みなさんは何でハリーだと分かったんですかね?
私の読解力が低いだけ?実際にハリーの顔って映りました??
お盆になると…
何故かTVで放送される印象がある「異人たちとの夏」山田太一脚本大林宣彦監督の日本版を時代と国を超えてアンドリュー・ヘイ監督が英国版として再生
男女の設定を男性同士に置き換えた今作
幼い時に事故で両親を亡くした脚本家のアダム
生まれ育った実家で亡き両親と再会を果たす
実家に向かう電車がまるでタイムマシーンの様でエモーショナルな映像美に心惹かれました
失った刻を埋める流れの中でどんなに哀しく辛い事があっても人生は進む…
その後の人生も自身が創り上げて前に向かうものだと喪失から再生をする為にはいつの時も
愛する人達との対話こそが1番大切な時間なのだと教えられた気がしました
昨年公開された黒澤明監督の「生きる」同様
実に説得力のある英国版でした
今後も日本作品の英国版リメイクが製作される期待と楽しみが増えましたね!
美しくて儚くて切ない
邦画の『異人たちの夏』は若い頃に観たように思うのですが、
鶴太郎さんが出ていたということしか覚えてなかったので、
違う作品として鑑賞できたと思います。
アダムをクィアにしたことで、
より一層、彼の孤独が表現されていたのではないでしょうか…
異人となった両親たちと過ごす子どもに戻った時、
ハリーとの出会いから関係が深まっていく時、
アダムの感情が、繊細な表情の演技で表現されていて、素晴らしかったです。
お父さんのジェイミー・ベル以外、
あまり、存じ上げない俳優の方たちだったことで、
へんな先入観もなく没入できたので、
洋画バージョンの方が好きかも知れません。
覚えていない時点で比べるものでもないですが...。
映像も音楽も、
アダムやハリーや両親の心も美しかった。
不思議な出来事ですが、
本当にありそうに思ってしまって、
有り得ないことは解っているのに、
どうにかして、みんな幸せになって…と祈りながら観てしまっていました。
特に、ハリーとの未来は、邦画版を覚えていなかったため、
余計に幸せになって!と思ってしまっていたので、
このラストは、美しく感動しつつも、やっぱり、ひどく切ないなぁ…。
それでも
アダムは幸せだったのだよね...。
弔い
日本版は見たことありません。主人公以外皆幽霊なのは日本もなんでしょうか。両親と対話することで成仏へ導き、やっと心を許せる恋人に出会えたと思ったら、その人もすでにこの世にはおらず…これって癒し系エクソシストなん?アダムはいつ救われるの?救われなくて泣けてきた。
原作を読みたくなる作品。
主人公の苦悩と救い、解放をスピリチュアルな文脈で心豊かに、かつストレートに描かれた作品。主人公、家族、恋人との関係性が徐々に明らかになる展開は心地よい。
ただ、現在進行形では語られない作品の悲哀さが胸に沁みる。
新しい作品として観る、かなり沁みる
あらすじ省略
最初はデカいビルに住んでるのが2人だけとか、なんのコッチャで始まる。
進むにつれアダムの心の隙間を埋めた幻の時間軸のズレが分かった時にうるうる止まらない。
ゲイ自体は本題ではないと思いたい。日本ですら性の問題はオープンになったが、カミングアウトできるのはごく一部(と思う)私なら絶対しない。これは母親の表現がまだまだ一般的と思う。
そのなか本人にしか分からない心の揺れがよく表現されていた。特にクラブでの吹っ切れた(うたかたの)幸せや最期のレストランシーンは悲しいが、泣くより頑張ってと思った。最後のハリーはちょっと悲しすぎる。
主役のアンドリュー・スコットは47歳みたいだが、役にピッタリ、可愛い?少年顔から疲れたオッサンまでうまく演じてました。
どうしても山田太一原作につながるのだが、インスピレーションを受けた全くの別物として観るのが正解と感じた、観る人で賛否分かれると思うがかなりオススメです。
「BL描写いい」
今年67本目。
大人のBL描写いい。
音楽がゆっくりで話しもゆっくりでこう言う映画あるんだ。アダムが昔から一緒に寝たりお世話して貰っていた女性とどうなるの、本筋とまた違った流れで好き。
追記
その女性は死別した両親だと記事読んで確認しました。自分の解釈と違う発見嬉しい。
監督は山田太一の原作読んで映画化決めて大林宣彦の『異人たちとの夏』...
監督は山田太一の原作読んで映画化決めて大林宣彦の『異人たちとの夏』は後になって観たということなので比較してもしょうがないかもしれないが、アメリカンダイナーをコンセプトにしたファミレスみたいな店では今半のすき焼きには勝てないと思うが、大林版にあったホラーバトルは踏襲しなかったのでそれは良かったと思う。
『リトル・ダンサー』の男の子が鶴ちゃんと同じ役をやってるというのに月日の流れを感じさせられた。
幻想的なケアの時間
主人公に訪れる死者との再会と癒し、そして別れを描いた作品。原作既読で鑑賞。
1980年代に書かれた原作から舞台は現代のイギリスに移り、主人公の年代やセクシュアリティも変化させてある。この主人公のパーソナリティの変更や、映像に漂う幻想的なテイストは監督の作風によるところが大きそうである。
ここまで変更が大きいのなら原作と比べるのは野暮な気がしたが、自分は脚色に40年を隔てた時代や社会の変化を感じた。
原作の主人公・英雄はアラフィフの男性で、自身の心の傷を自覚しながらも「傷など誰にでもあるもの」となおざりにしている。自分の心の傷とそれがもたらす孤独を理解し、傷の手当てに踏み切れず、人生へ諦観すら抱いている本作の主人公・アダムとは出発点が異なる。
英雄は戦前や戦中世代の祖父母や父母の下で育っており、彼が育った時代の社会の関心は、個人の傷よりも社会が負った傷、そしてそこからの成長と価値観の激動による痛みに集中していた。現代では、メンタルケアの考え方は当時よりもずっと個人の経験に踏み込んだものになっており、その重要性も認識されている。それがアダムと英雄の出発点の違いや、アダムが両親との再会で向き合う問題のシリアスさに繋がっているのだろう。
とはいえ原作・本作共に、一つの空間で共に過ごす家族の団欒が心を解す点や、心を開くことに必要な勇気、伝えられなかった思いを言葉にし心が通った時のカタルシスを丁寧に描いていることは変わらない。さらに、打ち解けて関係が深まった後の時間が長く続かない哀しさも同じだ。
アダムと両親の再会、ハリーとの出会いはより彼のケアにフォーカスした出来事になっており、別れなおす過程は彼にとって一種のグリーフケアにもなったのではないだろうか。
原作から大幅に脚色が成されているため、鑑賞直後には「原作が必要だったのか?」という疑問が過ったが、原作の主人公の心の変遷を思い返しながら本作を振り返ると、本作が原作の癒しの機微を踏襲した上で現代によりマッチさせるべく練り込まれていることがわかった。
原作からの変更点は大きいが、原作への愛やリスペクト、そして監督の作家性もしっかり感じられる作品だった。また、少々幻想的・感傷的な色が強い気はするが、強さを是とする作品がひしめく中で、本作の様に弱さに寄り添い無償の癒しが降り注ぐ作品に出会えたのも良かった。
ノスタルジーのポイントが、原作では下町で過ごす真夏の午後の団欒、本作ではクリスマスの団欒になっているのはお国柄の違いなのだろう。現代の日本でも、扇風機で昼間の熱気をかき回し、甲子園中継をBGMにする郷愁はどの世代まで通じるのだろうか。
アンドリュー・ヘイ監督の世界観ですかね
うーん、ちょっと難解であったか。(特に最後)
しかし、原作主人公の浅草の両親。英国だとあんな感じで表現されるのか。興味深かったです。
また、同性愛に関する偏見、一世代前は、国を問わず同じだったのだなと感じました。
アンドリュー・ヘイ監督の山田太一に対するリスペクトが感じられ、同時に彼の世界観を楽しめました。
私にはリアル
親から否定・拒否されるのは、子にとって何よりも辛いことで、父親との和解シーンは堪らんかったです。声が出そうになるのを我慢して泣きました。
私自身も中年独身ゲイですから、主人公の感じる孤独はよく分かりますが、ストレートの方でも孤独死しているので、なにもクイアだけの問題ではないですよね。未婚化が進む日本では、これから大きな課題になるのではないでしょうか。
同じ監督の映画「ウィークエンド」もそうでしたが、ゲイらしい仕草がリアルで相手の体への触れ方など「こんなだよな」とドキドキしました。
アメリカ人と一年半ほどお付き合いしたことがあるのですが、映画の中でセックスの前に相手の意志をくどいくらい確かめるところなどは、本当にあんな感じで、そのお付き合いした人も「キスしていい?〇〇していい?」とその都度確認してくる(初めての時だけじゃなく、二回以降も)。日本でも性的同意が話題になってますが、この映画も参考にされたら良いのではと思います。
夏の要素は大切だったかも
「異人たちとの夏」の設定を借りた別の話だと思いました。
私はLGBTQの映画もよく見ますし、偏見はありませんが、今作に限っては家族・親子の話にフォーカスした方が良かったのでは?という気がしました。
また、主人公アダムが、異人たちと関わることでどのように変化したのか、最後にもう少し明るい兆しを描いて欲しかったです。
なんとなく悲しく寂しい印象が残る作品でした。
キャストでは、友人役ポール・メスカルの、優しく繊細な表情が良かったです。
『アフター・サン』は2023年のフェイバリットの一本ですが、あの映画のように、夏の終わりの郷愁が漂っていれば、もっと評価を上げたと思います。
季節って大切です。
ファミリー・スペシャルよりすき焼きだなぁ‼️
やはりどうしても大林宣彦監督作品と比べてしまう‼️この「異人たち」自体はいい映画だと思うんですけれども‼️「異人たちとの夏」には我々日本人の琴線というか、郷愁に触れるモノがあったと思う‼️ここでは深く触れませんが、果たしてこの「異人たち」を観てイギリスの方は同じような想いを抱くのだろうか⁉️ひと夏の不思議な体験、忘れられない出逢いを描いた映画として優れた映画です‼️主人公や両親、恋人に至るまで役者陣もオリジナルには遠く及ばない‼️そしていくら多様性の世の中とはいえ、主人公をゲイに設定する必要があったのか⁉️ゲイの性描写も含め、主人公たちの愛の情念があまり感じられない‼️そしてこの作品には残酷さというか、非情さを感じる‼️両親もいなくなり、いずれ恋人もいなくなる‼️オリジナルにおける永島敏行さんのような役回りが欲しい‼️ある批評で、孤独と誰かを必要とする気持ちが、この作品のテーマのように言われていましたが、結局、主人公は一人ぼっちになることを示唆した結末だったのでチョット切ないですよね‼️両親もいなくなり、恋人もいなくなったけど、かけがえのない親友ができた、というオリジナルの結末の方が好きです‼️ところで、イギリスにユーレイという概念はあるのでしょうか⁉️やっぱり、ゴースト⁉️
大林宣彦監督「異人たちとの夏」と同じ山田太一原作 なれど、亡くなった両親に果たせなかったカミングアウトで心を救われたかった男の話 という全く別物になってしまった。しかもドラッグを使って!
私の大好きな大林宣彦監督作品で、公開後、確かLDを買って観て大泣きした「異人たちとの夏」と同じ、山田太一原作の海外での再映画化と聞いて、長らく期待していた作品がようやく公開!
予告編で、主人公カップルが同性愛と知り、全く偏見はないが、頭をかすめた嫌な予感が、見事的中!
亡くなった両親に果たせなかった「カミングアウト」が心残りだった主人公が、両親と再会し、その心の内をわかってもらうという、全く別物になってしまった!!
しかも、ドラッグを使って!(←ここも許せない)
既存の名作を、自分の想いを表現し伝えることに「利用した」ことにすぎない。
大林宣彦監督作「異人たちとの夏」は、下町情緒を背景に、大人になった今、両親の無条件の愛の温かさに包まれて、改めて生きていくことを受け入れる話でした。
パンフレットで、片岡鶴太郎X秋吉久美子対談(同じ歳だったんだ)は必読です!
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