コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第12回

2023年5月31日更新

二村ヒトシ 映画と恋とセックスと

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、フランスの名匠フランソワ・オゾンが、ドイツのライナー・ベルナー・ファスビンダー監督が1972年に手がけた「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」をアレンジした、美青年と映画監督の恋愛映画「苦い涙」を一足先に鑑賞した二村さんが、その世界観に圧倒され、これまで見る機会を持てなかったファスビンダー作品に触れたお話です。


ライナー・ベルナー・ファスビンダー「ぺトラ・フォン・カントの苦い涙」
ライナー・ベルナー・ファスビンダー「ぺトラ・フォン・カントの苦い涙」

第2次大戦後の西ドイツにライナー・ベルナー・ファスビンダーという監督がいました。1945年に生まれ、25歳くらいで本格的に映画を撮りはじめ、ヘルツォークとかヴィム・ヴェンダースといった人々とともに当時の新しいドイツ映画の旗手となり、世界で評価され、10年ちょっとのあいだに40本以上(!)の映画を撮って、舞台演劇の脚本も10本以上書き、テレビドラマやラジオドラマも何本も演出して、37歳で死んでしまったといいます。

僕はファスビンダーが遺した作品を一本も観たことがなかったのです。20年くらいまえから周囲の映画にくわしい人たちから「すごい」「ゲスで、めちゃめちゃで、なぜか泣ける」「ヨーロッパの映画は気どっていて小むずかしいというイメージを裏切る」「絶対に面白いから観たほうがいい」と言われまくってて、みんながそこまで言うなら観なきゃいかんと思って何年前だったか忘れましたが少なくとも15年以上むかしにDVDボックスの vol.1と2を買ってたのです。ところが買ったときに観ないで、そこらへんにずっと積んでありました。つい一昨日まで開封もしていなかったのでした。

観るのが恐ろしいような、めんどうくさいような、視界の端には入ってるんだけど無視しておいたほうが無難なような気持ちがしてたのかもしれません。DVDを買った同じころ評論家の柳下毅一郎さんの著書「愛は死より冷たい ~映画嫌いのための映画の本~」を読んで、ファスビンダー監督が創作のスタイルでも生きかたそのものでも周囲の仲間や恋人、スタッフ、出演俳優たちを傷つけつづけて死んだ男だったことを知っていたからです。

ファスビンダーは仕事中毒、創作中毒だっただけではなく現代の精神医療ではおそらく愛着に障害があると診断されてしまうのではないかと思われるような人格だったらしいです。人に依存することや人を依存させることの名人で、人を惹きよせて心をつかんでは自分の作品に奉仕させることの常習者。そういう男を好きな女や男(ファスビンダーはバイセクシャルでした)にとってひどく魅力的で、その部分が撮影現場のパワーの一部としても、異常な多作を支えるエネルギー源としても機能していた。現代では許されないタイプの創作者です。

DVDを開封しなかったのは、今でいう#metoo的な見地から「そんな奴の撮った映画は面白い映画だったとしても、やったことを知ってしまった以上胸糞が悪くて観る気がしない」と思ったからではありません。むしろ逆で、僕自身に人を傷つける愛着、愛してもらいたいし愛されることは上手いのにナルシシズムやエゴや攻撃性が強くて、愛してくれた人を踏んづける傾向があることを自覚していたから、ていうか今は自覚していますが(自覚してりゃいいってもんではないですが)当時は自覚的ではないのにもやもやした罪悪感だけがあったからだと思います。自分と同じような嫌なところを見せられてはかなわないという無意識の抵抗をしていたのでしょう。

フランソワ・オゾン監督
フランソワ・オゾン監督

現代のフランスにフランソワ・オゾンという映画監督がいます。ゲイであることをカミングアウトしています。ファスビンダーはぶ男でしたがオゾンはイケメンです。名匠だという評価が(1967年生まれで、まだ50代半ばなのに)すでに定まってる人ですが、日本で今年2月に公開された「すべてうまくいきますように」も、やはり近作で美少年と美少年の恋愛劇だという「Summer of 85」も含め、僕はオゾン監督の作品も一本も観たことがなかったのです。ほんと、映画をあんまり観てない人間が書いてる映画コラムですみません。

これはもう完全に先入観で、なんか、おしゃれなフランス映画を撮る人……、だと思いこんでいたのです。ただ知りあいの映画好きの女性から「女の嫌なところ悪いところも、しっかり撮ってくれる監督」という評価は聞いたので、あと「スイミング・プール」とか「17歳」とかエロそうだし「危険なプロット」とか「2重螺旋の恋人」とかあらすじ読むとヤバげなので、気になってないことはなかった。

フランソワ・オゾン「苦い涙」
フランソワ・オゾン「苦い涙」

そしたらそのオゾンが、ファスビンダーの映画をリメイクしたというじゃありませんか。

タイトルがリメイク新作はオリジナル旧作から微妙に変えてあってややこしいので整理しますと、1972年にファスビンダーが監督したのが「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」。それをオゾンが2022年に「ぺータ・フォン・カント」という原題でリメイクしてこの6月から日本でも公開、その邦題が「苦い涙」です。整理してもややこしいな。邦題「シン・苦い涙」でよかったんじゃないの(だめです)。

ファスビンダー作品を一本も観てない僕はもちろん「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」も観ておらず、ファスビンダーがひどい奴だったらしいという以外の予備知識なしで今度の「苦い涙」を、はじめてのオゾン作品として観たわけです。そしたらまあ、傑作でした。

僕の先入観は裏切られ「なんだ、オゾンってこんなにエグくて濃い映画を撮る人だったんだ。これはオゾンの他の作品も観なきゃいかんな」と思いました。それでちょっと調べましたら、どうやらオゾンは若いころからファスビンダーの映画をよく観てて大好きだったらしく、またファスビンダーが19歳のとき(1964年)に書いた演劇の台本「焼け石に水」もオゾンは2000年に映画化してました。

フランソワ・オゾン「苦い涙」
フランソワ・オゾン「苦い涙」

ペトラは女性の名前ですよね。「苦い涙」の原題のぺータ(ピーター)は男性の名で、こちらは男性3人の愛憎の物語でした。オリジナル「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」では3人の女性の愛憎が描かれているらしい。性別と職業を変えただけで脚本はほぼまんまだそうです。いい年をしてペータは若い男に、ペトラは若い女に恋をします。

ペトラは有名ファッション・デザイナーという設定とのことですが、今回のぺータは著名な映画監督です。そしてぺータを演じるドゥニ・メノーシェは、どこからどうみても晩年のファスビンダーの写真そっくりに役作りしてます。

こうなるとオゾンの狙いというかリメイクの意図は明らかです。これはオゾンから大好きなファスビンダー先輩への、手紙なんだと思いました。それも「僕は先輩の映画が大好きなんで現代の人たちにもたくさん観てもらえるようにリメイクしました! 僕ほど先輩の映画をわかってる男いないでしょ!?」みたいなありがちなラブレターじゃありません。ラブレターはラブレターなのかもしれませんが、もっと複雑なラブレターです。

先輩は「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」を女の物語として作りましたけど、これはほんとうは先輩自身の物語だったんじゃないですか?

フランソワ・オゾン「苦い涙」
フランソワ・オゾン「苦い涙」

ペータは恋をすることと映画を撮ることは得意ですが、人を愛することができない男です。オゾン監督は、そんなペータを映画の中で裁いたり告発したりはしませんが、かといって「いい映画を作る人なんだからダメ人間でも仕方ない」みたいなダサいこと言って擁護もしませんし「これは彼の心の病なんだ」なんて同情も誘いません。彼がそういう人間になった原因などもさぐりません。ただ「彼は人を愛することができない人間だった」ということ、そのさみしさだけを、そのまま描きました。そのへんもファスビンダーのオリジナルに忠実にやったんでしょう。

おかしなことを言うようですがオゾンの「苦い涙」を観てのたうちまわった僕は、ほかのオゾン作品も観たくなっただけではなく、ファスビンダー作品もやっと観たくなってきたのです。オゾン監督ありがとう。それでDVDを開封して、まず1969年の「愛は死より冷酷」を観ました。

このオフビートな空気感、たぶん北野武監督は影響受けてるよな……、たけしも若いころ映画館でファスビンダー観て「そうか、新しいヤクザ映画って、こう撮ればいいんだ」って思ったんじゃないだろうか。初期の「3-4×10月」や「ソナチネ」みたいな、ふしぎな肌ざわりの暴力と死。24歳のファスビンダー自身がビートたけしと同じく監督をしながら主人公を演じています。それで北野武は自分の希死念慮を描いたけれど、ファスビンダーは「人を愛せないということ」だけを、やっぱりここでも描いていました。僕はこれも傑作だと思いました。

ファスビンダー映画を観られるよう(な状態)に(僕が)なってよかった……。でも2023年5月現在「愛は死より冷酷」は、どのサブスクでも配信されてないんですよ。もったいないことです。

「愛は死より冷酷」でヒロインを演じたハンナ・シグラは、その後もファスビンダーの重要な映画に出演しつづけ、この3年後に「ぺトラ・フォン・カントの苦い涙」でペトラから恋される若い美女を演じたそうです。そして53年後にはオゾン版「苦い涙」で、ペータの母親を演じています。

フランソワ・オゾン「苦い涙」
フランソワ・オゾン「苦い涙」
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筆者紹介

二村ヒトシのコラム

二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。

Twitter:@nimurahitoshi

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