6月0日 アイヒマンが処刑された日

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6月0日 アイヒマンが処刑された日

解説

ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの処刑の舞台裏を描いたヒューマンドラマ。

ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンは、終戦後ブエノスアイレスに潜伏していたところをイスラエル諜報特務庁に捕らえられ、1961年12月に有罪判決を受ける。処刑はイスラエルの「死刑を行使する唯一の時間」の定めに基づき、62年5月31日から6月1日の真夜中に執行されることとなった。宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、アイヒマンの遺体を焼却するため秘密裏に焼却炉の建設が進められた。その焼却炉を作る工場の人々や、そこで働く13歳の少年、アイヒマンを担当した刑務官、ホロコーストの生存者である警察官らの姿を通し、アイヒマン最期の舞台裏を描き出す。

グウィネス・パルトロウの弟で「マッド・ガンズ」「デ・パルマ」などを手がけてきたジェイク・パルトロウが監督・脚本を手がけた。

2022年製作/105分/G/イスラエル・アメリカ合作
原題:June Zero
配給:東京テアトル
劇場公開日:2023年9月8日

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(C)THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

映画レビュー

3.5市井の人々の目で歴史的出来事を描く

2023年9月26日
PCから投稿

ナチスドイツの最重要戦犯アイヒマンは、近年だと「アイヒマンを追え」や「ハンナ・アーレント」などの映画でも描かれてきたが、彼そのものを描くのではなく、あくまでアイヒマンと対峙した主人公が何を感じたのかというアプローチになるケースが多かった。その意味では本作も変わらず。処刑に関わった人たちの人間模様や心の移ろいに焦点を当てた作品となっている。ただし、前2作に比べると、より”名もなき市井の人々”に焦点が当てられているわけだが。とりわけ監督自身が興味を抱いてリサーチしたという焼却炉にまつわる逸話は興味深く、少年と工場経営者との、疑似父子のようでありながら、決定的にそれとは違う関係性は本作の肝といえる。クライマックスでこの経営者の心にはどんな感情が迸ったのか。決して全ての答えが欲しいとは言わないが、もう少しだけ作り手の思いが率直に伝わる部分があると、観客(特に日本の)にとってわかりやすいのだけれど。

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牛津厚信

3.5アイヒマンの最期

2023年12月22日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
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雨雲模様

4.0まさに今に繋がる…

2023年11月8日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

イスラエルの連日のガザ砲撃のニュースに触れるなか、まさに今、観ておくべき映画だと思う。イスラエルとパレスチナの関係と歴史、イスラエルに住む人々のさまざまな出自、宗教と民族の複雑さ…etc.。全ては現在につながっており、平和ボケの日本で、自分の無知と思考の浅さを痛感させられる。

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父ゆずり

3.0大人と子どもの立ち位置の違い

2023年11月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

〈映画のことば〉
お前は家に帰って、学校に行け。
そして、職業に就くんだ。

頭のキレや、小回りの効く小さな体、手先の器用さから、焼却炉の製作にあたり、ダヴィッド少年を重宝に使い回してしまったたことを、ゼブコ社長は、いつからか心のどこかに「重荷」として抱えていたのではないかと思いました。評論子は。
それが、冒頭の「映画のことば」になったことは、疑いありません。

そして、ゼブコ社長には、もう一つの思いもあったのだろうと思います。
それは、血で血を洗うようなアラブ人同士の内戦を戦い抜いて来たゼブコ社長には、熾烈な戦いの経験を踏まえ、戦争…というよりも、民族間の争いの無情さ・無意味さは、骨身に滲みていたのではないかと思います。
ユダヤ民族が不倶戴天の敵(かたき)とするアイヒマンの処刑にあたり、焼却炉の製作に与らせるということで、いわば「片棒」は担がせてしまったものの、生まれてから10年経つか経たないかの、それ自身も建国から間もない「若い国家」のこれからを担うダヴィッド少年には、不毛な民族間の憎しみに、これ以上は加担させたくなかった…というか、加担して欲しくはなかったのでしょう。

今(その当時に)、イスラエルという国を担っている大人たちがなすべきことと、これからの国の将来を担う少年がなすべきこととは違わなければならないことを、ゼブコ社長は感じ取っていたのだと、評論子は思います。

佳作であったことは、間違いがないと思います。

(追記)
ゼブコ社長の工場の従業員たちは、自分たちが作ろうとしている焼却炉の設計図面を引いたドイツの会社が、ナチスによるホロスコートに使われた焼却炉の設計を担当した会社であることから、自分たちが作ろうとしている焼却炉の使用目的に気づきます。
結局、ユダヤ人虐殺を指揮した男が、そのための炉を設計した会社が設計した炉で葬られる結果となりました。
別にドイツの会社を敢えて選んだわけではなく、火葬の習慣がないというイスラエルには、適切な炉を設計できる会社が国内にはなかったからなのでしょうけれども。
炉が売れさえすれば、その使用目的には頓着しないかのような商人(あきんど)としての件の会社の強(したた)かさに思いが至ると同時に、「運命の皮肉」というよりは、「自業自得」「ざまぁ見ろ」と考えてしまった評論子は、底意地が悪い、素直でないと思われてしまうでしょうか。

(追々記)
邦題の冒頭は、もちろん、アイヒマンに対して死刑を執行する(執行された)日を意味するわけですけれども。
一説には、執行日を秘密にするため「0日」としたという指摘もあるようです。
しかし、火葬の習慣がないというイスラエルで行われた死刑執行後の火葬を伏せるため、執行日として架空の「0日」を冠したというのは、穿ちすぎというものでしょうか。
評論子には、そう思えてなりません。

(追々々記)
本作は、映画.comレビュアーであるりかさんに示唆してもらって観た一本になります。
末尾になりましたが、ハンドルネームを記して、りかさんへのお礼としたいと思います。

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talkie