映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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今の人達に自由ヶ丘や田園調布の田舎っぷりが理解されるだろうか
自分の記憶違いでしたが、コレ初めてのアニメ制作だったんですね、過去に何度か制作されたとばかり、それ程にあの当時売れた作品だったので。メディアミックスとしての映像化はドラマが2017年と近年になってからなのは少々驚きでした。
本作は比較的良好なストーリーで、時代背景も昭和初期の当時の日本の様子が凄く良く描写されています。
画質も動画も『シンエイ動画』なので少々心配なトコはあったとは言え、キャラデザが昭和の子供向けなテイストなので全く問題ナシ(最近は高木さんくらいしか鑑賞してないので)。
内容は、前中盤の子供の無邪気さが微笑ましくも危なっかしく、昔はあァだったな、今じゃ考えられないなと思いながら、自分はその時代の人間では無いのですがヤケに懐かしさを覚えました。年寄り臭い言い回しですが、古き良き時代とでも言うのでしょうか、太平洋戦争時代なので良いワケゃないのですが。。。
そう云う意味では、今の人達には寧ろ新鮮なのではないかとも思いますがどうでしょう? 風呂や便所など「何だか解らない」部分(北米の某国で本作の映像流したら多分捕まるw)も多々ありそうですが‥‥
後半に入るとやはり戦争ネタが綴られる訳ですが、結構駆け足展開でそんなに詳しく細かく描写されませんが、暗ーい時代の悲哀がそれなりに伝わってきます。
マイナス・ネガティブな感想は3つ、1つはキャラデザ。ベティちゃんを彷彿させるキャラは昭和の絵本みたいで悪くはないですが、今の時代に少々合わない気がしました。喜怒哀楽の表情が大袈裟なのは毎度のことで、本作はソレに加えてシワクチャになるのが結構気になります。
2つ目は物語の終わらせ方がマズイかと。アレでは御本人のテレビでのご活躍を知る人にはともかく、作品としてはバッドエンドに思えてしまいます。対照として『この片』が挙げられますが、アレは原爆からの終戦でドン底から這い上がる希望をシッカリ匂わせたラストシーンでした。本作は原作通りとしたら個人的にはあまり良いとは思いません。
加えて校長先生のラストシーンのラスボス感? 何故にアァ言う演出なの?w
そして3つ目はハイまた『中の人問題』が炸裂。今回は大目に見て「まぁイイや」と割り切っても良いレベルです。ただ言えるのは役所広司サンの演技は、舞台俳優だから?唯一良い線行ってたと思われます。
やはり舞台の演技は客席から認識しやすい様にデフォルメされるのでしょう、ロジックがアニメのソレと類似してるのかマズマズの中の人だと思えます。片やタレントさんの方は‥‥ 子役の方はノーコメントでw
と言う訳で、個人的には面白く鑑賞できたとは思えますが、良い所も悪い所も相変わらずだったという印象です。また、隣の席のバァちゃんがコチラの視界に度々入り込んできてウザかったですが、コレは自分のクジ運の悪さを恨むしかないデス‥‥
原作リスペクトが実を結んだ!
ずっと温かいものに包まれていられる114分間。
物語の色褪せない充実した味わい。
アニメーション表現としての覚悟とプライド、冒険心とストイックさ。
演技の素晴らしさ。声優はもちろん、画の演技。こんなに繊細な表情のアニメーションあったかな。
脚本・アニメーション・音楽、それぞれ心を尽くして原作をリスペクトするチームの一体感が美しい。
映画は往々にして技巧的になるけど
やはり伝えたいことを
描ききろうと全力で挑む作品には勝てない!!
ここにきて、まさかの年間ベスト!!
自由とは何か?
子供の事とても流行っていて私も読んだ記憶がありますが内容は
全く記憶に無いのでほぼ初見です。
何等かの賞を取るべき一作かと思いますがセンシティブな内容も
あるのでそこが難しい…しかし時代を考えればそうであろう表現で
ありそういう嘘をつきたくはなかったんでしょう。
生き生きとしたトットちゃんの目線で語られる本当の自由とは何か?
御本人曰く「母にしても校長先生にしても、子どもを一人の人間として接してくれる大人に囲まれて育ったんです」
「体に障がいを持った子どもが何人もいましたけど、「助けてあげなさい」なんて先生は一回もおっしゃいませんでした。「一緒にやるんだよ。みんな一緒だよ」とそれだけ」
そして戦争という時代。
今問うべき内容かは分かりませんし私も残滓くらいしか分からない世代で
どのくらい伝わるのか疑問はありますがよく作られているんじゃないかと思いました。
アニメーションだからこそできた名作
トットちゃん視点からの想像(イマジネーション)の世界を、アニメーションだからこそ映像化できていました。
濃密な映像表現、ただ表面的に観ただけではスルーしそうな重厚な描写。
発売当時のベストセラー&ブームの折には、黒柳徹子さんの更なる人気のアップとともに、自由かつ一人ひとりの個性に合わせた学校教育の在り方に注目がいきました。
特に音楽のリズムによる心の育成(リトミック)や、廃車になった電車を利用した教室など、トモエ学園を理想の学校化するあたりが話題となったような。
この映画は、そんな教育も扱いつつも、芯は「命の尊さ」を見せていたのかなと。
ひよこや同級生の死、戦争に突き進む世の中。
命を慈しむ両親やトモエ学園の先生たち。
トットちゃんが、生きることを学び、成長していくことをしっかり描いてありました。
ただ、説明的なセリフを排除して、画として"命を軽んじる世の中"や、"子どもにまともに食事を与えられない国"を見せるにとどまったため、当時の世相に関する知識がないと何を見せられているかは理解しにくそう。
たとえば、トットちゃんのお父さんがいる楽団の指揮者は、ドイツを追放になったユダヤ系指揮者で、のちのNHK交響楽団を作ったローゼンシュトック。
戦争が激化していくうち、大井町線の駅員さんはおじさんから女性に代わったのは、おそらく徴兵されたのであろう。
そういうことも一切説明されていない。
映画としての「格」や「気品」を備えるには、観る側に知識、学力、経験、リテラシー、想像力、敏感なセンサー、感情の豊かさが基本的に必要。
観た人間の中身が満たされて、その引き出しの深さ、バリエーションの豊富さがないと、
感情が揺り動かされることがない。
字幕の文字色や大きさで「はい、ここ笑うところ」「ここ泣くところ」と誘導されるTVバラエティー番組やYoutubeなどに慣れた人々や、そもそもの経験値が少ない子供にとっては、後半について「なんだかよくわからない」と思ってしまうかもしれません。
理解できれば、(今の時代を含めた)子どもの貧困を放置し、飢えて泣く子どもを不謹慎と叱り、戦争を喜ぶような「大人の醜さ」と同時に、子どものひたむきさ、純粋さも見えてくるのですが。
『漁港の肉子ちゃん』『この世界の片隅に』『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』などの名作に近しい感触がありました。
小林先生
「その前に先生と少しお話をしないかい?」
ご存知、女性テレビ司会者の第一人者にしてテレビ草創期の生き証人、90歳を過ぎた現在も元気いっぱいの黒柳徹子さんの物語。
とてもよかった。同時に、とてもつらかった。
昭和15年(1940年)、お転婆が過ぎて尋常小学校から自由が丘のトモエ学園に転入することになった"トットちゃん"(声:大野りりあな)。両親は学校に馴染めるか心配だったが、校長である小林先生(声:役所広司)の独自の教育方針のもと、トットちゃんはすくすくと育っていく。やがて、トットちゃんは小児麻痺の同級生・ヤスアキちゃんと出会う。
なんてったって小林先生がいい。その教育方針は現代から見ても信じられないもので、これを今から80年前に実践していたというのだから驚きだ。この小林先生との出会いがなければ、トットちゃんはただの問題児として片付けられてしまい、ひいてはその後のテレビの歴史も大きく後退していたかもしれない。
だが一方で、これは「小林先生だからこそできたこと」だった。実際にはこの裏に何十人、何百人のトットちゃんがいたが、残念ながら一個人にできることは限られていた。現在だってそうだ。だから僕は安易に「小林先生を見習え、トモエ学園を見習え」なんて口が裂けても言えない。更に言えば、黒柳家の両親も含め、トットちゃんの周りの人々は当時としてはかなりの富裕層であり、そして理解のある大人達だった。実際、劇中でヤスアキちゃんのお姉さんは英国に留学しており、そこで世界を平和にするかもしれない「ある発明」のことをヤスアキちゃんに伝え、それをトットちゃんがヤスアキちゃんから聞く描写がある。だからトットちゃんはトットちゃんでいることを許されたのであり、そもそもそういう機会すらほとんどのトットちゃんには与えられなかった。このことを思うとき、心が温まると同時に絶望感をおぼえた。
元々の画がみやすく、また登場人物も実際の声を担当された方に寄せた外見であったため抵抗なく観られた。途中、想像の世界では画のタッチが変化し、ここはかなり攻めていて大人しいながらにかなりの意欲作であることが窺える。
本当は話したくなかった。観終わった後、ずっと自分の中にしまい込んでおきたかった。自分の中でのいい思い出が他人の野次に汚されるのは嫌だったし、これだけの作品を自分の野暮な表現で染めてしまうのも気が引けた。だがそれ以上にこの作品がただのOne of Themとして埋もれてしまうことの方が僕は我慢ならなかった。だから恥を忍んで書く。
改めて、黒柳徹子さんと声の皆様をはじめ、製作に携わった全ての方々、とても素晴らしい作品を観せてもらいました。ありがとうございました。
トモエ学園、いい学校。入ってみても、いい学校。
時代
良い面も悪い面もありますね。細かいことにこだわらないおおらか面は現代とは違い羨ましい面もですが、やはり物資が少なかったり、戦争と直面したりと大変な面がありますからね。トイレや冷蔵庫、切符…、色々な物が懐かしい部分もありました。トットちゃんの自由奔放さは生まれつき+育った環境だと言う事が良くわかりました。
懐かしみ、感心し、泣いた。
普段はアニメ映画はほとんど観ませんが、タイトルに惹かれて鑑賞しました。
映像が詳細で美しいので、ついつい画面の隅から隅まで見回してしまいました。見覚えありそうな街並みや、家の中のさり気ない小物の数々。昭和世代には何もかもが懐かしいやら嬉しいやら。(真鍮のネジ式の窓の鍵など涙もの)
机や窓枠の木目には細かい傷や凹みまでが描かれているし、トットちゃんの指先の膨らみには、確実に体温が感じられました。キャラクターの自然で繊細な動きも一挙手一投足見逃せず、あれもこれも感心しきり。瞬きを忘れて見入ることもしばしばでした。(最近のアニメはここまでやるんですね)
肝心の脚本はと言えば、原作が単発エピソードの羅列に近いのに、シーンを上手に繋げて上手いこと1本の映画にまとめていた印象で、2時間があっという間に過ぎてしまいました。(原作ファンの期待を裏切る要素は、およそ思い当たりません)
そして、遥か昔に原作を読んだ時とおそらく同じ箇所で、やはり涙が溢れるのを抑え切れませんでした。( むしろ、あの頃よりも派手に泣いたかもしれません)
あいみょんさんの主題歌を聴きながら、泰明ちゃんの顔が夭折した自分の同級生の顔に重なって、エンドクレジットを読むのを阻まれました。
懐かしい本の映画で、普遍的な何かを体験できました。
名前有名ですよね
窓ぎわのトットちゃん有名だから観ました
うん。それ以上でもそれ以下でもない。
まあノンフィクションだからそれはそうですよね。
黒柳徹子さんだから売れたのかな。
それ以外の特徴があるとすれば、学園の教育方針って事でしょうか?。
あえて言おう、軍事費は増やさなくていい、安保の懸念をプロパガンダする必要もない、ただ核は保有してくれそれが回避する方法だろう、それ以外は中国を信じるしかない、通りすがりの広島在住民です
黒柳徹子さんギネスも認定されて凄いん(*’ー’)ダヨプーチンに金正恩にマモーミモーに…
寝癖がある君の方が なんだか生きているって感じる
たとえば。
圧力に屈して魂を売るようなことはしない。
何が大事で、何が大切か、周りの空気ではなく自分の直感に従って判断する。
言葉にしてみると、陳腐というか今更ですか?というようなこと、或いはそういうことだよな、という場面がたくさん出てきます。
でも、じゃあお前はこれまでの人生で、それができているのか、揺らいでばかりいないか?
と問われると自信がなくなります。
〝分かってるつもり〟のことが自分が思い描いているイメージよりは実践できていないという人のほうが多いのではないでしょうか。
人生は、長いものに巻かれてるほうが楽です。
いつも勝ち目のない闘いをするのは、疲弊するだけで得るものがほとんどない。だから、多くの人はここぞ❗️という時のために、普段は負けたふりをしたり、これは妥協ではなく将来のための一時的な忍耐だ、みたいに自分の心を整理してます。最近、世の中でメンタルをやられてしまう人が増えているのは、ここらあたりのさじ加減(自分で得心がいくかどうか)の仕方を誰にも相談できないから?という気がします。
人生なんて正確に〝ここは小さじ一杯〟なんて計れません。ほとんど経験(読書や映画鑑賞も立派な経験❗️)や先輩や大人たちの振る舞いからの学びに基づくその時々の目分量なのですから。
となるとあとは、〝ここぞ❗️〟という場面を迎えたときに、決断と行動が伴うか、というのがその人の人生における後悔の頻度に繋がるのかもしれません。
いいとか悪いではなく、どんな人生も、セラヴィ(それが人生さ)‼️
大人にとっては、素朴で率直な問いかけにあらためて自分自身を見直すきっかけになる。
人生経験の浅い若者や現役の児童・生徒にとっては、身近な悩みにある程度のヒントを与えてくれる。
文科省推薦‼️みたいな変な押し付けではなく、素直に自分の現在位置を指し示してくれる、〝本当はいい映画〟なんだと思います。
数量限定かもしれませんが、主題歌であるあいみょんの『あのね』の歌詞カードが入場特典でもらえます。
この歌詞が驚くほどトットちゃんとあの友だちとの関係を的確かつ情緒的に表現していてビックリ‼️
『空の青さを知る人よ』もそうでしてが、あいみょんの映画的感性もまた天才的❗️
気がついたらエンドロールでも泣いていました。
かなり挑戦的なキャラデザを、動きと表情でしっかり可愛く…というより...
かなり挑戦的なキャラデザを、動きと表情でしっかり可愛く…というより
子どもの活発さ愛らしさを表現しているのが良い。前半トットちゃんから横溢する活力だけで楽しくなる。二人で木に登る、というだけのシーンが凡百のアクションシーンも手に汗握る。昭和10年代の市民生活をリアルに描いているだけに、差しはさまれるファンタジックなシーンがアニメとしての楽しさに溢れる。それだけに次第に戦争が生活に浸透し、トットちゃんたちの「成長」が小国民としての「統制」と重なっていくことが、描かれるトモエ学園が当時としてはもっともリベラルな教育環境であるだけに、恐ろしい。シンエイ動画のクライマックスといえば主人公の疾走だが、今作でのそれは、トットちゃんが一筋の光となってが大日本帝国の影を束の間、刺し貫くかのようで、凄まじい。その直後、異常に禍々しくも美しく描かれるB29の冴え冴えとした金属光とのコントラスト!冒頭の提灯と遠い「万歳三唱」の意味が、あとから思い返される。
見終わって涙が出てきた。
今更言うまでもなく黒柳徹子さんの子供時代の小説のアニメ化。
ご本人もナレーションをしている。
時は戦前から戦争が終わる手前位まで。
破天荒?お転婆?頭が?みたいなトットちゃんは普通の小学生では先生から問題児扱いされていた。普通の学校では受け入れてくれなさそうなのでトモエ学園と言う私立の学校に通う事に。
ここに至る物語もなかなかなもの。
特に校長の小林先生は常に子供の立場や気持ちを考えて声を掛けていた。
授業は決まったとこをする訳でもなく好きな事を好きなだけする様な?普通の学校と比べると破天荒?な授業をする学校だった。自由闊達と言っても良い。そんな学校と生徒を理解しようとする先生の学校はトットちゃんに向いていたのだろう。
昔はこんな先生もいたよなあ…(遠い目)。
それと大人になった今にして思うと結構危ない遊びや危険な事もやったな。安全なんか気にもしなかった。
昭和40年代小学生だった頃の自分や友人と当時もそんなに変わらない事をしていて懐かしくなった。
この映画の最も重要な所は人間の成長と生死だろう。
トットちゃんも友人もどんどん精神的にも成長してたくましくなって行く。そんな頃に戦争だ。
特に終わり近く、戦争が激しくなって疎開する頃。とある事がありまるで走馬灯でも見るかの様な疾走シーン。あれは比喩だろう。人間には寿命もあるが、病死や事故死、戦死もある。生きていても怪我で歩けなくなったりもする。色々な事を考えさせられる。
笑えるシーンや泣けるシーンは色々あるが、
最後まで見終わった後になんでだろう?泣けてきた。映画を見ている時はそうでもなかったのに。
最後に、アニメの口に慣れていると口の周りが赤くて下手な口紅を塗った様なビジュアルには違和感ある。表現の手法としてはアリなんだろうけど個人的には苦手。
それと時節柄仕方ないのかも知れないが、スッポンポンでも男性器(ちんちん)が無い。
シーン的に謎の光やモヤ、モザイクも馴染まない。ならいっその事無ければ良い、のかな?
不自然さは否めないが解決策も浮かばない。
スッポンポンの描写にパンツ履かせる訳にもいかないし…
難しいなあ。
あなたはいい子
ハキハキと
自分の思ったことを口にする
お話が好きな女の子
トットちゃん。
…みんな
右へ習えの時代に
自由奔放な子供たちの
…個性
を伸ばすトモエ学園。
戦前にこのような学校が
あったのが驚きです
型にはめない押しつけない
そして思いやりのこころを育む
…教育
当時としてはすごく珍しい
かと。思います
黒柳徹子さんの原点
を知ることができました
トットちゃんのやさしさに
心が…あたたまる♡♡♡
変わった子を見守る両親と小林校長が素晴らしかった
昭和15年、好奇心旺盛でおしゃべりな小学1年生のトットちゃんは、変わった行動から学校を退学させられてしまった。その後、小林校長のトモエ学園に通うことになったトットちゃんは、子どもの自主性を大切にするユニークな校風でのびのびと過ごし、友の死を乗り越えて・・・そんな話。
変わった子を受け入れられなかった戦前の学校も当時としては仕方なかったのだろうが、トモエ学園と小林校長に出会えたトットちゃんは運が良かったな、って思った。
ぼっとん便所に財布を落とし、肥溜めをかき混ぜ糞尿を撒き散らしてたのを叱りもせず「元に戻しとけよ」なんてなかなか言えるものじゃない。小林校長、凄い。
それと、両親が素晴らしいと思った。
トットちゃん役の大野りりあなはハキハキしてて上手かった。
あいみょんのエンディング曲も良かった
子どもの頃の大事な記憶
タイトルは知っているけど読んだことのなかった「窓ぎわのトットちゃん」。本作を通して、子どもの頃の出会いの大切さや儚さ、そして戦争について思うことができました。
風変わりな子ども、身体的ハンデのある子ども、どんな子でも温かく文字通り包み込む小林先生が本当に素敵で、黒柳さんにとって小林先生との出会いがどれだけ奇跡的で大切なものだったのかが伝わり、羨ましくもありました。
作画や物語のタッチは正直好みではなく、そこまで楽しめたかというとそうでもないのですが、作品が醸し出す優しい空気感が良かったです。
君たちはどう生きるか?
原作は未読
徹子の部屋でベストセラーになっても殆ど税金に持ってかれるとか寄附するとかタモリと話していたのは覚えている
とても裕福、不自由無さそうな家庭
きっとお金持ちの子女が通う学校だったのですよね 戦争で画一的な教育の時代にあのような個性を尊重する教育が行われていたとはとても驚きでした 注意欠如・多動症気味?だったのでしょうか 昔から好奇心旺盛、お話がとても好きなのは変わってない...満島ひかり主演の徹子さんお仕事ドラマを見た時にも思ったけど、とても周囲の理解があってラッキーな人だな
この間見た宮崎駿氏の映画と似通ったものを感じました
前半はトモエ学園の素晴らしい教育や個性の話、後半は戦時中の世相と反戦。
◆前半のトモエ学園でのことや個性を認めてくれる話、昭和15年でも都会のハイカラな家庭の人々の話がとても興味深く面白かった。
◆タモリさんは2022年末の徹子の部屋で、来年(2023)はどんな年になる?と聞かれて、「(日本は)新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えたという。
黒柳徹子さんは、 「タモリさんの予想が、これからもずっと外れてほしいという願いを込めて、私の記憶の中にある戦争と戦後のことを書いたのでした」 ということらしい。
原作知らず、昭和の私学教育者の
気概に感動させられる。最終盤の炎上の時の言葉にも
その気概を感じる。
トットちゃんはヤスアキちゃんのお嫁さんになりたいと思っていたと思っていたがさにあらず。
戦中の締め付けるような雰囲気をソフトに描き、帰国した傷病兵や遺族の姿も挟み込む程度で戦禍の傷はあまり
顕に描いていない。この点が嫌な人もいるだろうが、
このアニメでは、これでいいのだろうと私は思います。
違う意見のあることも想像できるが。
トットちゃんには下の子がいたのね。
うちのカミさんは、一人っ子と言っていたから、少し
びっくり。
青森疎開で終わるのも原作通りだそうな。(聞いた話)
「君は本当はいい子なんだよ」という言葉がCMで、
流れているが、終盤の校長先生の言葉がトットちゃん
との関係性の深まりを感じさせる。
ファミリーで見ることが勧められるアニメです。
鬼太郎は勧められないな。私は。
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