それでも私は生きていく

劇場公開日:

それでも私は生きていく

解説

「未来よ こんにちは」のミア・ハンセン=ラブ監督が、父の病への悲しみと新たな恋への喜びという相反する感情に直面したシングルマザーの心の機微を、自身の経験を基に描いたヒューマンドラマ。

シングルマザーのサンドラは、通訳の仕事をしながら8歳の娘とパリの小さなアパートで暮らしている。サンドラの父ゲオルグは以前は哲学教師として生徒たちから尊敬されていたが、現在は病によって視力と記憶を失いつつあった。サンドラは母フランソワーズと共に父のもとを頻繁に訪ねては、父の変化を目の当たりにして無力感にさいなまれていた。仕事と子育てと介護に追われて自分のことはずっと後回しにしてきた彼女だったが、ある日、旧友クレマンと再会し恋に落ちる。

「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥが主演を務め、「王妃マルゴ」のパスカル・グレゴリーが父ゲオルグ、「わたしはロランス」のメルビル・プポーが恋人クレマンを演じた。

2022年製作/112分/R15+/フランス・イギリス・ドイツ合作
原題:Un beau matin
配給:アンプラグド
劇場公開日:2023年5月5日

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映画レビュー

4.0この監督らしい透明感あふれる映像と感情の軌跡が際立つ

2023年5月28日
PCから投稿

ミア・ハンセン=ラブが紡ぐ物語はいつも、眩しい日差しと透明感あふれる映像が印象的だ。たとえ主人公にとって辛く苦しい現実が舞い込もうとも、それをなぞるように日差しが陰ったり、透明感が薄れたりはしない。かくも悲劇性を強調するわけでも、楽観視しすぎるわけでもなく、とてもニュートラルな視座で観客の思考をいざなってくれるから、我々も個人の物語にスッと入っていける。また、主演のレア・セドゥの存在感も自己主張しすぎることなくそこにナチュラルに立ち、彼女の切れ長の目線が言葉以上に心の流れを投影する。父の介護と、自身が見つけた愛。これらを決して二者択一にせず、いずれの問題も片方を失う理由にはしない。ここが本作の特筆すべき点だろう。もちろん、そこには様々な感情の交錯がある。自分の本心と向き合い、家族や恋人、幼い娘に対して愛を伝える上で、主人公の”通訳”という生業が物語をそこはかとなく味わい深いものにしている。

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牛津厚信

4.0ミア・ハンセン=ラブ監督の成熟と、同世代セリーヌ・シアマとの対比を思う

2023年5月5日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

ミア・ハンセン=ラブ監督の前作「ベルイマン島にて」(2021)のレビュー枠で、「EDEN エデン」「未来よ こんにちは」は乗り切れなかったが、「ベルイマン島にて」は劇中劇の入れ子構造を曖昧化する巧みさに感心した、という趣旨の評を書いた。1981年生まれのミアは十代後半で女優デビューし、二十代後半で監督・監督に転身。最新作「それでも私は生きていく」のストーリーには、哲学教師だった自身の父が晩年に患った病気をめぐるミアの体験と感情が反映されているといい、現在42歳の彼女の人生経験が近年の作品に深みを与えてもいるのだろう。

主人公のサンドラを演じたレア・セドゥは1985年生まれの37歳。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「アデル、ブルーは熱い色」を筆頭に、スパイ映画のファム・ファタールなどセクシーな魅力を放つキャラクターを数多く演じてきたが、本作のサンドラは通訳者として働くシングルマザー。衰えゆく老父を世話したり施設で見舞ったりすることもあり、髪はショートヘア、服装も比較的シンプル(とはいえ、妻子持ちのクレマンとの関係が発展してからのビビッドな赤のアウトフィットも印象的だが)。レア・セドゥの新たな魅力を引き出す監督の狙いは確かに成功している。

ハンセン=ラブと同世代のフランス人女性監督でいうと、現在44歳のセリーヌ・シアマの作品群(「水の中のつぼみ」「燃ゆる女の肖像」など)のほうが個人的には好みだ。監督デビューも同じ2007年の2人だが、フランスの国立映画学校ラ・フェミスで学んだシアマがストーリーと映像を緻密にロジカルに構築し、同性愛の要素さえも普遍的なテーマへと昇華させてきたのに対し、女優出身のハンセン=ラブは自身の体験にゆるやかに基づくエピソードの断片を、感性を活かしてつないでいく作劇という印象。大雑把な比較だが、自分なりに好みが分かれる理由を説明するとそうなる。ちなみに、シアマ監督の最新作「秘密の森の、その向こう」にも、実の祖母の晩年が反映された部分があるという。衰え死に近づく家族に向き合った体験を創作に組み込む、両監督のアプローチの違いも興味深い。

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高森 郁哉

3.0恵まれていた

2024年4月21日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

私の両親は介護が必要なほどではないけどもう十分に歳をとっています
シングルマザーの妹が両親と自身の娘と4人暮らし
それがもう10年続いてる

そんな彼女に何か励ましになる映画を教えてあげたい
そんな思いでこの映画を見たのですが主人公の方が妹よりも恵まれていた
とてもじゃないけどこの映画は見せられませんね

自身と親との距離、母親との関係、娘との生活
そして友であり恋人どの未来
彼女の身の上に同時に起こるリアルな出来事たち
それぞれが時にはストレスになり時には幸せになる
妹にもそうであって欲しいと願っている
ストレスは多いだろうけどその分幸せを感じることも多いのではないかと思いたい

主人公の問題は少しづつ解消して行く
多くの誰もが共感出来ると思う

妹には苦労のかけ通しだ
不甲斐ない兄の今出来ることを精一杯して行かねばと思う
夏前にでも田舎へ行ってみよう
妹と両親に会いに

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カルヴェロ

3.5この邦題なんとかして

2024年2月24日
PCから投稿

なぜ配給会社の命名センスにいちいち気分を害されなければならないのかという話です。

この映画の邦題は“それでも私は生きていく”です。

悲しみや苦難を乗り越えると次のがやってきてそれを乗り越えると次のがやってきて──そのような状況を“それでも私は生きていく”と言いたいのでしょうが、だいたいにおいて人生はそのようなものであり、言うなればわたしたち全員が“それでも私は生きていく”わけです。

原題Un beau matinを翻訳機にかけると「ある晴れた朝」と出ました。
英語タイトルもそれを英訳したOne Fine Morningですし中国圏タイトルもそれを繁体字にした美好的早晨です。

にもかかわらずなぜ日本のタイトルは“それでも私は生きていく”なのでしょうか。配給権を買ったからには改名の権利があるんでしょうが、わざわざ原題をまるっと変えて配給会社のうんこセンスを披露する意図はなんなのでしょう。

そもそも“それでも私は生きていく”とは苦労マウントの構えです。おまえの“それ”よりわたしの“それ”のほうが甚大であるから、“でも生きていく”と誇示できるんだと言いたいわけです。

観衆は“それでも私は生きていく”と挑発されてしまったので必然的に“それ”がどの程度なのか見てやろうという構えで映画を見ることになってしまうのです。

しかしもちろんそれはMia Hansen-Løve監督が意図しなかった挑発です。

──

シングルマザーのサンドラ(レアセドゥ)は視力を失い認知症も発症した父親ゲオルグの介護をしていますが宅老施設の選定に悩んでいます。既婚者のクレマンといい仲になりますが変節があり悲しみと喜びがもたらされます。
サンドラを悲しくさせるのは父の病状とクレマンとの恋仲です。簡単に言ってしまうと本作の緊張はそのふたつだけです。介護と恋愛感情の浮き沈みは現代人が負う普遍的な心労であり、率直に言って、“それでも私は生きていく”というほどの窮地ではありません。

病む以前のゲオルグは高名な哲学教師であり、聡明だった父が視力を失い且つ認知症になってしまったことがサンドラには悲しくて仕方がありません。
またクレマンが妻と別れて一緒になってくれるのかが目下の心懸かりになっています。

タイトルのゆえんとなるのは、サンドラが自宅を整理しているときに見つけたゲオルクの自伝のラフ原稿です。そこにはドイツ語で「ある晴れた朝」と書かれていました。

概説によるとMia Hansen-Løve監督の共通するテーマは個人の危機、欲望、実存主義だそうです。

『ハンセン=ラブは衝撃的または劇的な出来事を避け、微妙な感情の変化に基づいて物語を展開しています。クライマックスの瞬間は、事前の兆候なしに自然に起こります。』
(wikipedia、Mia Hansen-Løveより)

『親密でリアリストで、メロドラマがない。軽やかなタッチがありながらも、賢明な感じがする』とも評され、しばしばエリック・ロメールと比較されるそうです。今様にわかりやすく言うなら「さらに大人しい是枝裕和」という感じ。

確かに本作も概説どおりの映画で淡々と描かれています。

実存主義とは超簡単に言うと「その場しのぎ」です。「その場しのぎ」には悪い意味がありますが、事故や不幸に見舞われた時わたしたちは合理的でいられないばあいがあります。感情が揺れ動いて、刹那的な判断をします。すなわち、なにかがあったときどうするか決めていないことが実存主義です。

サンドラには色々な出来事が降りかかってきますが、それらをその都度、悩みながら乗り越えていく様子を実存主義と言っているのであり、つまり、監督が実存主義なのではなく、監督が扱う人物像が実存の体をしている──という意味です。

──

これらのエスプリを含有したフランス映画のタイトルが“それでも私は生きていく”でいいはずがありません。

リアリストでメロドラマのないMia Hansen-Løve監督も泣きの入ったこの邦題を嫌うでしょうし、繰り返しになりますが本作のサンドラだけでなく、わたしたちは全員がそれでも私は生きていかなければならないわけです。

つまり“それでも私は生きていく”とは一言も言っていない映画を、あたかも“それでも私は生きていく”という苦労マウンティングをした生意気映画に思わせてしまうことにおいて、この邦題の罪は甚大だと思うのです。

imdb7.0、RottenTomatoes93%と62%。

折しも今(2024/02)とある原作者のしをきっかけに原作者の意向を護持するという問題が巷間を賑わせていますが、いずれ外国映画の自由すぎる邦題が弾劾対象になる日がくるかもしれませんよ。

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津次郎
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