劇場公開日 2022年3月25日

ナイトメア・アリー : インタビュー

2022年3月24日更新

ギレルモ・デル・トロ監督が「ナイトメア・アリー」で誘う、運命を操ろうとする男の因果応報の物語

「ナイトメア・アリー」で新境地を開いたギレルモ・デル・トロ監督
「ナイトメア・アリー」で新境地を開いたギレルモ・デル・トロ監督

冷酷で残忍な義父から逃れたいと願う少女の夢と現実の物語「パンズ・ラビリンス」、声が出せない女性と不思議な生き物の交流を描き、第90回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む4部門を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」など、ダークでファンタジックな世界観のなかで人間の真実を浮かび上がらせ、世界中を魅了してきたギレルモ・デル・トロ監督。しかし、新作「ナイトメア・アリー」(3月25日公開)で描くのは、生々しいリアリズムを備えた現実の世界だ。ある罪を抱える男が、光り輝くショービジネスの世界で成り上がり、やがて上流社会の闇へと飲みこまれていく。本作で新境地を開いたデル・トロ監督に、話を聞いた。(取材・文/編集部)

※本記事には、映画のネタバレとなりうる箇所があります。未見の方は、十分にご注意ください。

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1939年のアメリカ、怪しげなカーニバルの一座にたどり着いた、野心に溢れる青年スタントン・カーライル。そこで読心術を身につけたスタンは、“感電ショー”の女芸人モリーとともに都会へと旅立ち、華やかなトップ興行師への道を駆け上がっていく。しかし、心理学博士のリリス・リッターと手を組んだことをきっかけに、越えてはいけない一線を越え、後戻りのできない闇の領域に足を踏み入れていく。

ナイトメア・アリー」の原作は、46年に出版された米作家ウィリアム・リンゼイ・グレシャムのノワール小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」。47年にはエドマンド・グールディング監督、タイロン・パワー主演で、「悪魔の往く町」のタイトルで映画化された。後にがんに侵され、同作を執筆したホテルで自らの命を絶ったグレシャム自身の人生が投影されているような要素もある。新たな映画版では、ブラッドリー・クーパーが野心を暴走させていくスタン、ケイト・ブランシェットがミステリアスで冷酷なリリスを演じ、愛と欲望と裏切りにまみれた駆け引きを繰り広げる。

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妖しくほの暗い魅力を放ち、ノスタルジックであたたかみのあるカーニバルから、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する、一寸先も見えないほどの深い闇に包まれたセレブリティの世界へ。前者では、幻想的なショーとともに、鳥の首を食いちぎる獣人(ギーク)や、生みの親を殺したというホルマリン漬けの胎児など不可思議な存在が登場し、デル・トロ監督の美学を垣間見ることができる。一方で後者では、一流のエンターテイナーとして花開いたスタンが読心術を披露する高級ホテルのきらびやかなステージや、リリスの贅を極めたオフィスなど、どこか冷徹な印象を与える舞台が映し出されていく。

封印した過去から逃れるように、驚くべき野心とスピードで、高みへと突き進んでいく男スタン。しかし、全てを見透かしているかのようなリリス、真っ直ぐな愛を向けてくれるモリー(ルーニー・マーラ)、人生を切り開く術を授けるも、スタンの破滅を予感しているタロット占い師であり読心術師のジーナ(トニ・コレット)という3人の女性との出会いを経て、彼は身を滅ぼしていく。プロデューサーのJ・マイルズ・デイルが「本作の大きなテーマのひとつは、『人は自分を超えられない』ということだ」と解説する通り、劇中ではほかでもない自分自身の業が招く、因果応報のすさまじい物語が、目くるめく眩い映像世界のなかで紡がれる。

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――ご自身の映画監督デビュー作を発表する前から、本作の構想を練っていたそうですね。あなたがこの物語に、そんなにも惹かれたのはなぜでしょうか。

原作は僕自身がすごく影響を受けた小説なんです。カーニバルの夢のような雰囲気や読心術に魅せられた。超自然的ではないんだけれど、ある意味で超自然的にも感じられる。原作は人間の本質である欲望、喪失、残虐性などを露呈しています。非常に興味深い本でした。この原作を基に、最初に作られた映画とは違うものを作ることができると思いました。小説はまるで悪夢や夢のようなもので、それに挑戦する勇気を持つことができました。

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――デル・トロ監督の「ナイトメア・アリー」は、原作小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」も、47年の映画「悪魔の往く町」も完全になぞってはいません。ご自身にとってのこの物語のテーマ、デル・トロ監督版の「ナイトメア・アリー」の独自性について、教えてください。

自分が思うように映画を作ってみたいと思いました。原作に敬意を払って、著者のウィリアム・リンゼイ・グレシャムの精神を大切にしたかったのです。彼は自分の人生のなかでの役割を書いています。男として、息子として、そして夫としての役割ですね。物語は死へ向かう彼自身の描写といっても過言ではありません。

この主人公を理解するために、映画は原作と変えなければならないと思いました。映画では、この男が残酷な父親に潰されたことにしました。僕の意見だけれど、人間は子どもの頃に潰されてしまうものだと思うんです。そして生きていくためには、うまく物語を作ったり、人の心を読んだりしないといけません。ちょうど、「金継ぎ」のように。割れてしまったものを継がないと、壊れたままになってしまうからです。

映画のなかではスタンがカーニバルにやってくるところやカーニバルを裏切るあたりが原作と違います。ただし、人物像は原作に忠実です。また、街へ出てからのリリスの部分が原作や前の映画よりずっと多くなっている。またエズラ・グリンドル(※リリスの元患者で、スタンが知り合う大富豪)がリリスを傷つけたかもしれないという設定も違います。ボディガードのキャラクターも違うし、モリーとの関係性も変えている。スタンとリリスの最後も新たに書いています。ほかにもいくつか違うところがありますが、最後のスタンへのある誘いは、原作とまったく同じにしました。

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――前の映画では、最後にスタンの前にモリーが現れましたが、この展開にはどのような意見をお持ちですか。

前の映画では、監督も、脚本家も、俳優たちも、モリーが現れることに反対だったのに、スタジオ側が押し付けたそうです。今回、映画化するにあたって、47年の映画は参考にしませんでした。最後にモリーが現れるアイデアは原作にないことだし、興味がありませんでした。

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――スタンは、あなたにとってどのような人物でしょうか。そしてブラッドリー・クーパーは、スタンをどのように演じたと思いますか。

ブラッドリー・クーパーのいままでで最高の演技だと思う。スタンに信じられないくらいのリアリティと感情的な真実を与えています。ブラッドリーは、スタンのもっとも暗い部分を演じることを恐れませんでした。見栄を張ったり、守りに入ったりせず、肉体的にも精神的にも裸になったのです。僕はそこに感動しました。スタンは最後には堕ちていきますが、安堵感を感じてもいる。やっと息を吐き、ありのままの自分になれたからです。もう自分を偽らなくて良いと。そしてこれが自分の運命だと悟るのです。

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――まさにカルマですね。スタンの時計は、本作が描くカルマを象徴する役割を果たしています。デル・トロ監督にとって、この時計はパーソナルな要素だそうですね。

シェイプ・オブ・ウォーター」を撮影中に父が亡くなりました。それで僕は、父の時計を形見としてとっておきました。だから、時計のくだりは原作にはないもので、僕自身のものです。私は父のことが大好きで、良い関係を築いていました。私の映画のなかには“父の影”が毎回出てきます。私にとって非常に大切なものだからです。常に父と息子の関係のことを考えていますね。今回の「ナイトメア・アリー」はもちろんのこと、「ヘルボーイ」「パンズ・ラビリンス」「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」「ブレイド2」にも出てきます。

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――デル・トロ監督はいつも役者陣にキャラクターの詳細なプロフィールを渡されます。普段は操る者であるスタンを操ろうとする心理学者リリスのプロフィールはどのようなものだったのでしょうか。彼女があんなにもスタンに嫌悪感を示す理由は、そこにあるんですよね?

映画を見ると分かると思うけど、ヒントはあります。リリスはスタンに恥をかかされたから彼のことを嫌う。でも、もしかするとスタンは自分と同じくらい賢くて頭が切れるのかもしれないとも思うのです。しかし、結局のところ、リリスはスタンに失望します。

私たちは、リリスは過去にグリンドルに傷つけられたかもしれないというヒントを出しました。実はリリスが真の企みを説明している会話も撮影したのですが、その説明シーンがまったく気に入りませんでした。まるで「刑事コロンボ」のエピソードのようになってしまったんですよ(笑)。それで、その説明をカットして、観客が解釈できるようにヒントだけを残しました。

――良いご決断だったと思います(笑)。そのリリスを演じたケイト・ブランシェットとの仕事はいかがでしたか?

最初にブラッドリー、それからケイトをキャスティングしました。このふたりならキング・コングとゴジラになってくれると思いました。激しくぶつかり合う役どころですから。ケイトに話を持っていったら、彼女はすぐにリリスこそがスタンを破滅させることができる人物だと理解してくれました。リリスは、スタンが周りのものを破壊するのを止めなくてはならないと思うのです。そういう下劣で、愚かな男たちを散々見てきてうんざりしていますから。リリスは現実的で、スタンに“彼の真実”を気づかせなくてはいけないと思っている。そのことをケイトは理解していました。

ケイトと僕は以前、テレビシリーズで40年代の米ロサンゼルスを舞台にしたノワールをやろうとしていたのですが、実現しませんでした。今回、彼女と仕事ができて、いままでのどの俳優との仕事よりも楽しめました。

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――先ほど「超自然的ではない」とおっしゃっていましたが、カメラワークや構成にデル・トロ監督らしいファンタジックさを感じました。公開を楽しみにしている日本のファンに、見どころとメッセージをお願いします。

その通りです。確かに今回の作品は超自然的でもなければファンタジーでもないですが、映画のスタイルとしては美しい夢のようであり、ファンタジーのようになっています。そんな世界観に観客を誘い込んでいるのです。

僕は日本文化と密接な関係を保ってきました。今回の作品の感性、ドラマ性は日本の観客が強く共感できるものだと思っています。この作品で日本に行けたらよかったのに……。中野ブロードウェイに行きたいし(笑)、日本で夏を過ごせるならかき氷も食べなくちゃ。今回は行けなかったけれど、次回作「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」では行く予定です。約束します。もうすぐだから待っていてくださいね。

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