死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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謎が謎を呼ぶ、怒涛の展開と回収。上半期で1番面白かった!
めっちゃ面白かった
2時間吸いつけられるように、コーヒー飲むのも忘れて見入ってしまった。
阿部サダヲ演じる連続殺人犯(サイコパス)榛村は、24人の17歳~18歳の頭の良さそうな真面目な高校生を残忍な手口で殺した。そして捕まり死刑宣告を受けた。しかし、最後の事件は自分のものではないと主張し岡田健史演じる青年雅也に手紙を出す。
と、ここまでにいくつかの謎が生まれる。
1、なぜ雅也は父親に疎まれているのか
2、なぜ母親(中山美穂)は自分で決められないのか
3、なぜ榛村は雅也に手紙を出したのか
4、初めに出てくる髪の長い男は(岩田剛典、絶対分からない)何なのか
5、中学で同級生という灯里(宮崎優、声も演技はたどたどしいがそこが役柄と合っていた)の存在。
6、最初に出てくる榛村が花びら状のものを用水路にばらまいでいる。これは何か?
謎ばかりだけど、話はどんどん進む。
サイコパスの犯罪者が他人を操る話は、「羊たちの沈黙」以降沢山あるが、なんと言っても殺人犯榛村自身が拘置所にいることで、逆に緊迫感が増すように感じる。しかも、レクター博士のように危険人物扱いはされていないところが不思議だ。
途中で増える謎
7、榛村は雅也の父親なのか?
8、榛村と母の関係は?
9、最後の事件の犯人は誰なのか?
10.、榛村はなぜ連続殺人をしたのか?
11、榛村の真の動機とは?
分からないことだらけで、目が離せない。
金子と雅也が再会するところで、事件は動く。
最後の雅也と榛村の対決は圧巻!全ての謎が回収され、真の背景と目的が明らかになる。この辺はぜひご自身の目でご確認を。
さらに蛇足のようなリア充じみた話がついてくるが、ここでもびっくりさせられる。
とにかく、全ての言葉のやり取りや画面から目が離せない。「刮目して」ご鑑賞いただきたい。
私は今のところ上半期1番と思うし、見て損のない映画だと思います。
よく出来た映画でした
阿部さんと岡田くんの演技がとても良かった。
正常な判断が出来ると思っている危うさを感じました。
最後は原作の方がより怖いと思いますが、映画としてはこちらで良いのかと思いました。
ひとつ気になったところは、金山が被害者を指さすところのロケーション。
もう少し見通しがきくところの方が、金山が被害者を認識していたのかそうでなかったのかの怖さがプラスされたとは思います。(原作どうだったかな?)
不意打ちのグロ
穏やかな映画ではない事は想像がついていた。予告編でもサイコパスと謳っていたし。
穏やかなパン屋でのやりとりから一変、急に拷問シーンで思わず目を逸らす。そんなグロ描写は聞いてない。
予告編では引きずられる所しか使われてなかったよ。
登場人物は基本的にボソボソ覇気がない。だから余計に榛村の語り口調が不気味。阿部サダヲさんは
ハマり役だと思った。
小柄で童顔、そして最も特徴的な猫目。
拘置所の職員すら味方に手名付けてしまうくらいだから、闇を抱えた人なら簡単に引きずり込まれるだろうな。
予告編でも衝撃のラストと言っていたが、まんまとしてやられた。
あの子の違和感はそういう事だったのか。
直視むりでした
たしか原作では人を焼いた煙でパンか具材をスモークしていたような?その時点でヤバいなと思いました。
ガラス越しに二人が重なる演出は北川景子さんのファーストラブでもありました。洗脳されていく様がわかります。
ほぼ原作通りでキャストもいい感じでしたが金山一樹だけ岩ちゃん?って思いました。
女性客を意識した感。
信頼関係を築いてからいたぶる行為、怖すぎます。
考えオチ
考えオチ、ってか白石和彌監督作としては理に落ちすぎてる印象。
「ボクの美学」とか言いながら最終的にコダワリなかったの?的な。
それに、全てが全てあいつのコントロール下だったというのも逆にスケールダウンさせるようなところも。
白石監督なら、もっと遠くに行けたはず。行って欲しかった…
稀に見る良作。邦画で。
しょっぱなから「なんなんだよ!」「なんなんだよもう!」って。
だいぶ前に予告でみて、白石監督なら観るしかねぇ、阿部サダヲのこの目つきは絶対面白いやつと思って、観たくてたまらんかった映画。
疲れてるところ、開始すぐにコレはヤベェ映画だわ…とおののく。白石監督映画で1番グロかったーーー。
こないだまで、いだてん見返してたから、この映画の阿部サダヲが怖くてたまらなくなったら、いだてんの阿部サダヲ思い出してバランス取りながら鑑賞。あー怖かった阿部サダヲ。
ミポリン年取ったなぁ!岩下志摩子?岩下志摩子演技うめぇなあ。EXILEの人、全くわからんかった。
ラストも満足。別に衝撃でもなかったけど。満足でした。
映画観るのに眼鏡忘れて、ぼやけるシーン多くて乱視にはしんどい映画だった。
やー、久しぶりにいい映画観させて頂きました。
伝染する恐怖
24件もの連続殺人の容疑で死刑が判決された殺人鬼が依頼する1件の冤罪証明から動くサイコスリラー。
孤狼の血シリーズ、凶悪などがある白石監督特有の思わず目を逸らしてしまうような視覚的な恐さと観る者をげっそりさせるほどの心理的恐さがこれでもかというほど表現されていた。
本作のハイライトはなんと言っても殺人鬼榛村に憑依した阿部サダヲの演技だと言える。特に予告編でも強烈なインパクトを残していた阿部サダヲの光が全くない黒目のアップには心から恐怖心を抱いた。収容所で身動きが取れないはずの殺人鬼なのに何をしでかすか分からない恐さと徐々に人の心に入り込む魅力が絶妙に表現されていて、引き込まれた。
殺人鬼とコンタクトを取る大学生を演じた岡田健史も阿部サダヲに負けず劣らずの存在感を放っていた。普通の大学生でありながらも深すぎる心の闇、危うさが共存していて、そこに榛村の要素が徐々に加わる様が印象的だった。
バイオレンスな描写や阿部サダヲのインパクトに負けずに正統派のサスペンス要素もあり、物語としてもとても面白かった。
最後のシーンでは榛村の底深さ、終わらない闇の連鎖が一瞬で表されていて鳥肌が立った。
阿部サダヲの顔がスケキヨに見えてきた‼️
24人もの若者を殺したサイコキラーがなぜ久しく接触が無かった平凡な大学生に手紙を送ったのか?その大学生がなぜそこまで動いたのか。全てがそこから始まり、結末に繋がる。人に近づいて信頼させてから苦痛を与えて殺す榛村(阿部サダヲ)は拘置所のガラスの向こうからでも、人をコントロールできる天性のサイコパス。その榛村に操られる雅也(岡田健史)は榛村が自分の父親ではないのかと疑う。榛村と母親の関係にも気付く雅也。全てに共通するのが、子供時代の親からの虐待や抑圧。冒頭の中山美穂の「決められないから」というセリフが大きな伏線になる。本人に決めさせることで洗脳していく榛村の過去で回収していく。地味な存在だった中学の同級生の加納灯里(宮崎優)がラスト驚愕のセリフを吐いたところで、背筋が寒くなった。2人とも榛村の獲物だったことが明かされる。邦画のサイコサスペンスとしてはかなりの上位にくる作品。でも、よくPG12でおさまったものだ。白石監督はやっぱり流石ですね。拘置所のガラス越しのシーンは斬新。森の中を逃げ回るシーンの撮り方も凄かった。白石監督の完全なホラー映画も今後期待したい。岩井志麻子さん演技良かったよ。あと、私の好きな音尾琢真の食べながら話す演技が最高峰でした。注目です。
残酷さは苦手だけど
切ったり切られたり
拷問や残酷なシーン苦手
だけどこの監督の孤狼の血で慣れちゃった?
そこは仕方ないと思いながら観てます
いやー
なんて言うのだろ
凄かった
この映画の内容だけで観たい映画にしてましたが
まさかの岩ちゃん
新境地だねぇ
最後の説明ではもう少し出て欲しかったけど
いやー
最初から最後まで不気味なサイコパス
阿部サダヲ
凄いね
最初の桜の花びらかと思ってたわ
それに冒頭から拷問シーン
きつい
あと、違う殺害された人の切られ方!!
えぐい
その辺はかなり苦手ですが。
心に残るを通り超えて
心をえぐる。
少しトラウマ映画です
それがまた良い
トイレに行くのを忘れるぐらい
最後まで目が離せない映画でした
人生で2度目の1番前の席
満員だったー
ほんまのネタバレなるのでこの後は知りたくない人は読まないで
橋を越える人と超えない人
人を殺せる人と(平気であれ、衝動であれ)
悩んでも追い詰められても殺せない人
殆どの人が殺せない人だが
この結末は特にそう思った
いくらマインドコントロールされたり、恐怖と暴力で支配しても人を殺す事はできない
ひ弱な彼がもしあの女性を殺したとしたら
あんなムゴイやり方ではなかっただろう
あのムゴイ殺人があったからこそ
阿部サダヲが捕まった理由になる
正確さからこわれた
に繋がるのかなって
勝手に理解した。
人は誰でも何らかの方法で人・社会・世間と繋がろうとするものだけど、『TITANE』とも通じる相手を殺したり傷付けたりいたぶったり操ったりしないと繋がれないという“人”もいるかも知れないというお話。
(原作未読)①「またァ、サイコパスもの?」(因みに“サイコパス”ほど誤解されている言葉はないでしょう。私も双極性障害なので精神病・精神障害について色々と本読みました。上で書いた「サイコパスもの」というのは、映画・小説・マンガ等で刷り込まれてしまった「サイコパス=異常殺人鬼」という意味で使ってます。)、と初めは食指が動かなかったのですが、私は映画・本・音楽以外(仕事は食べていかなくてはいけないので37年間勤めあげましたけれど)長続きしないとても三日坊主な人間なので、“24人もよく飽きずに殺せたなぁ”と、“どんな人間として描かれているのかな”と気になり出して観ることにしました。②先ず、榛村大和は本当の意味でのサイコパス(反社会性パーソナリティ障害)ではないように思います。殆んどのサイコパスの人って自分がサイコパスだと周りに分からないように表面上は上手く繕って生きておられますから。中学生の時に偶々会った小学生女児に瀕死の重傷を負わせて少年院送りになったりはしないでしょう。では何か?というと、これはもうわからない、生まれつきそういう人間だ、としか言い様が無い。子供の頃虐待されていたとか、周りに虐待されている/いた子供たちを配したりしてますが、レッドへリングでしょうね。簡単に動機や犯罪の背景を解明・説明してくれて観客がスッキリして映画館を後に出来る映画ではなく、「ああいう訳の分からなさのある現実に戻っていくのだ」と映画館を後にしても不安感・モヤモヤ感・後味の悪さを引き摺る(サスペンスですね)を狙っているのではないでしょうか。③大和は(大和に住む人間としてはシリアルキラーの名前に使って欲しくなかったですけど)人心操作術を少年院に入っていた時期に磨いたのではないかと。榛村児童福祉施設では入所してきた子供たちを上手く操っていたという証言がありましたけれども、施設長の心も操っていたのでしょうね。だから、大和が雅也に冤罪の証明と犯人探しを依頼したのも結局雅也を操るのが目的だったし(偶々雅也が犠牲者に出来る適齢期に近くにいなかったか、高校では優等生ではなかったからか、それでせめて操ってあげた)、多分死刑になる直前まで(殺人はもう出来ないので)人心操作は続けるのでしょう。証拠に看守(という言い方で良いのかな?)もいつの間にか手懐けていたし。大和が何故途中で連続殺人を止めたのか、今までになく杜撰な殺人をして逮捕されるようにしたのか、これも今の時点ではよくわかりませんので(自分では慢心したと証言していましたが多分嘘。)これから頭を悩ますことになりそうですけれども、結局分からないかも知れない。動機などなく、そういう病と言ってよいのか疾患と言ってよいのか障害と言ってよいのか、を持って生まれてきたので死刑になる直前まで止められないのだろうと思います。死刑になる道を選んだのも大和なりの人心操作だったのかも知れない。④大和自身も“24人ではなく全部で何人殺したか分からない”と言っているように、人心操作もこれまでどれくらいの人間を対象に行ってきてその犠牲者(というか)は何人いるのかも分からない。大和としては殺人の代わりに死刑になるまでそちらで犯行(と言えるなら)を続けるつもりかも知れない。雅也が調査を続けるうちに自分以外の人間にも手紙を送っているのが分かったように。雅也も未遂に終わったけれど人を殺しそうになったし、手紙を送った相手の心を操作して犯罪を行わせることに切り替えたのかもしれない。何せ死ぬまで止められないのだから。手紙を送った相手の中には灯里のような人間もいる(或いは頭の良い大和の事だから気づいていた)かも知れないし。人心操作して他人に犯罪を行わせるというアイデアは決して新しいものではない(アガサ・クリスティの『カーテン』もそういう話。未読の人がおられればネタバレしてスミマセン😅)。⑤ところで、灯里は登場したときから何か変な女の子だな、薄気味悪い子だな、と胸騒ぎがしておりましたが(雅也の血だらけの手の傷を舐めるところも気色悪かったし)私の第六感も満更捨てたものではありませんでしたね。演出と灯里役の女の子の演技のせいかも知れませんけれど。⑥なお、現実社会のリアリティという点から見ると、“こんなことはないだろう”という話。優秀な日本の警察が、被害者が24人(或いはそれ以上)に及ぶまで犯人を検挙(検挙出来ないまでも容疑者として特定)出来ないことはないでしょう。これに思い及んだ時点でこの映画は暗喩(メタファー)ものだと理解した次第。いくら弁護人の依頼とはいえ弁護士が一介の大学生に事件関係の書類一式を見せることは有り得ないし有るとしても一人で別室に置き去りにはしないでしょう(もう一人同席させる筈、私ならそうするし)。事務所の名刺を作るなんて私から言わせると言語道断。しかし、これらは話を進める為の仕掛けでしょう。大和と雅也と雅也の母との関係も出来すぎ。ただ、これも雅也を心理的に追い詰めさせる為のセッティングでしょうね。一介の大学生が警察を出し抜いて真相(結局は大和に誘導されて騙されそうになっただけだけど)にたどり着くなど“それこそ映画や小説の中の話”だし。確かにちょっと粗い流れであり、もっとやりようもあったと思いますので減点。まあ、原作がそうなら仕方ないか、ですが。⑦ただ、映画のリアリティという点から見れば、そんなに瑕疵ではないと思います。要はこういう形で構築された映画から何を読み取るかということ。私は、頭から最後まで”榛村大和”劇場だったと思います。剥ぎ取った爪を桜のように川に撒いたのも何もかも彼なりの儀式だったと。なにゆえか?それは分からない。分かったとしてどうなる?人の心の闇なんて実は本人以外に分からない(本人でも分からないかも)。そのよく分からない榛村大和を見事に具現化した阿部サダヲはかなり役を深読みしたんだろうと思う。あまり好きな役者ではなかったけれども演技力に感心した。⑧白石和彌は『凶悪』で感心したけれど(『凪待ち』はあまり感心出来なかった、『虎狼の血シリーズ』は観てません)、本作もかなりの力作で今年の邦画の中でも注目すべき作品だと思います。ミポリンは期待ほどではなかったけど(役柄が記号でしかなかったからでもありますが)。⑨以上が現時点での鑑賞後の感想でありますが(小学生の感想文みたいですね)、原作を読んでみて原作の意図するところと違っていたら原作者の方、すいません😅
※追記:つらつら考えていたら、大和が何故殺人を止めたのか捕まる(死刑になる)ようにしたのかは、多分“繋がる”ことを自分から放棄したからではないかと、ふと思いました。私も、(勿論、殺人や暴力・他人に対するマインドコントロールなどしませんが)時々人や世間と繋がりたくなくなる事がありますので。自分に引き寄せて考えたらアカンか😅
阿部サダヲ、ヤバイ!
阿部サダヲさんの演技が、凄く、良かった♥
生爪を剥ぐ拷問シーンは、かなり、強烈でした!
森で、殺された女性や裏路地に連れ込まれた小学生の女の子、死んだ赤ちゃんの処理方法など、残虐で、グロいシーンが、多々あり!
EXILEの岩田剛典さんも出演してましたが、別人すぎて、初見では、誰だか分からず😅
鑑賞して、凄く良かった作品です!
自己肯定感との戦い
この話のポイントは、自己肯定感にあるのかなと思いました。
なんと、登場人物はみんな自己肯定感が低い。
劇中では、虐待された経験のある人は、
みんな自己肯定感が低い。と何度も言っていました。
(自己肯定感の低い登場人物)
虐待経験のある死刑囚(榛村)
雅也
雅也の母
金山一輝
のちの雅也の彼女?の加納灯里
(自己肯定感の高い登場人物)
ほぼいない。強いて言うなら、殺された被害者たちかも。
(犯行に及ぶ考察)
自己肯定感の低い死刑囚は、
17.18歳の真面目で爪の綺麗な高校生をターゲットに近づいていく。
もしかしたら、死刑囚は自分が17.18歳くらいのときに
自己肯定感がガクッと下がってしまったのかもね。
ターゲットと会話を重ねることで、信頼を獲得する。
ここで死刑囚は、一種の自己肯定感が満たされたのかもしれない。
真面目に自分の苦手なことに、前向きにチャレンジし、
自分の人生を豊かにしていく自己肯定感の高そうな人たちが羨ましい反面憎かったのかな。自分と比べて。
そんな人たちに信頼されることで自分を保っていたのかもしれない。
ただ、最終的に猟奇的な殺人をすることで、
征服感や制圧感を得ていたのかも。
その時が最も、死刑囚にとっての自己肯定感が満たされたのかもしれません。
(雅也の自己肯定感)
雅也は中学生までは、地味な女の子(灯里)にも声をかけて、学力も高い順風満帆な人生だった。
しかし高校で失敗し、大学は三流大学に通う。
父に存在を煙たがられ、虐待され、自己肯定感を失う。
そんな時、死刑囚からの手紙を読み、会いに行き
「きみはすごいね」「きみにしか頼めない」と
死刑囚のリップサービスにまんまとハマる。
死刑囚の思い通りにマインドコントロールされ、
真相に近づいた気でいた。
けど、ギリギリのところで?若干アウト?なところで
自分を踏みとどまらせて(殺人未遂)、
マインドコントロールから脱却成功。
(灯里の自己肯定感)
ラストでは、彼女も死刑囚に
マインドコントロールされていたことがわかりましたね。
おそらく彼女も中学生のころから、
死刑囚のパン屋さんにいたのかもしれません。
そして、雅也に好意があることも死刑囚には見抜かれていたのだろうと思います。
彼女は中学生では目立たない学生だったから。
ところが大学では、華やかなサークルに入って
成功したかのように見えましたね。
劇中でも、服装がもだんだん派手に明るくなっていましたし。
しかし、劇中では描かれなかったけれども、
密かに彼女も死刑囚と接点があり、
手紙のやりとりがありましたね。
きっとそこでも、死刑囚のリップサービスに
まんまとハマってしまったのでしょう。
彼女は、なんと死刑囚の価値観に共感してしまっている。
好きな人の一部を持っていたい。という考えに。
ま、死刑囚は別に被害者たちのことを好きだったわけではないけど、灯里を洗脳するために言ったのでしょうね。
灯里は、死刑囚の言うことを聞いていると
実際に雅也と付き合えて幸せでしたでしょうね。
まあ、雅也には振られてしまうでしょうけど。
(考察)
死刑囚が、警察に捕まったのは、
わざと遺体遺棄をしたから。
今までは灰になるまで燃やしていたんだから。
けどそれには理由があったのだろうと思いました。
おそらく、いたぶって殺すだけじゃ
自己肯定感が保てなくなってしまったのでしょうね。
だから次のステップとして、
自分と似た自己肯定感の低い人を取り込み、
殺人鬼に変えていく。
そこに自分の新しい自己肯定感を見出したのかもしれません。
雅也が未遂をしてしまったことを聞いた時は、
興奮したでしょうね。
だけど、雅也がマインドコントロールから脱却した時は
簡単に切り捨てました。
彼は雅也、灯里以外にも接点をもち、
新しい殺人鬼を作る自己肯定感を
死刑執行されるまで続けるのだろうと思いました。
心残り。
はいはい来ました。ワタクシ的には、今年の年一候補でーす!
高田亮さん脚本です。「さがす」「ボクたちはみんな大人になれなかった」「裏アカ」「まともじゃないのは君も一緒」と、ここんとこ、結構多作をこなしてます。「さがす」も「裏アカ」も、ちょっとイマイチだったんで少し不安がありましたけど、これは良かったです。
監督は白石和彌さん。個人的には狼よりも、こっちの方が好きです。
原作は未読。「レクター&クラリス」の設定模倣、って事になるんですが、色々とブッ込んで来ていて、飽きません。レクターのシリーズが、天才的なサイコパスである男を主役にした、起承転結のある恐ろしい物語であると言う点に対して、この作品は「榛村大和」と言う男の化けの皮を、一枚づつ剥がして行くと言う構造。「みんなに好かれる殺人者」&「血縁関係匂わせ」の状態から、一枚剥がしてドンと落とし、一枚剥がして更に奈落の底へ。最後の最後に、扉が音を立てて開くと言う、ほの暗い怖さが最高でした!
そうですよ。雅也への手紙は、拘置所から出られない大和が「心残り」を晴らすためのものだったのだと言う、怖さ。好きになった灯里すら、大和が心理を操ってしまいかねない事への怖れ。「褒めておだてた」後に、「自分で選ばせる」、いや選ぶしか無くなる状況に追い込む大和のやり方にハマったのは誰なのかと言う怖さ。
もう、ここがゾクゾクってするw
役者さんがたくさん出て来ました。でですよ。ヤバい事を発見。大好きな佐藤玲ちゃんが、こういう被害者役に、無茶苦茶ピッタリであることに気づいてしまいました。イヤ、次はエンドロールまで無事で有ります様にw
128分とタップリの尺を使い切り、じっくりと見せてくれます。多少、言葉を選んでいるかのように考えながら、低い声で質問をする雅也。左脳に格納された言葉の束を、ただ羅列するかのように、口を動かす大和。拘置所のガラスを使った演出。重なるふたりの鏡像。沈黙。闇。背中。
CMも視聴率も気にしなくて良い劇場用映画のサスペンスは、こうするべきだ。と言う時間感覚が大好き。
良かった。かなり。
怖くて気持ち悪いけど面白かった
最初、河に花びらを撒いているのが物哀しくて綺麗だなと呑気に思ってたら最後に意味が分かってヒェーッ!!となりました‥
初っ端からコレR12で良いの!?と思うほどグロくて気持ち悪かったけど、それ以上に面白くて引き込まれました
面会のシーンの透明な仕切りの使い方も最高!
ラストの、えぇー!そっちが!?という意外性にも震えました
怖くて気持ち悪くて、でも見て良かったなと思いました
ただ、回想シーンの若かりし日の阿部サダヲさん‥
どう見ても芸人の永野さんにしか見えず、回想シーンの度に「ラッセンが好っきー!」が脳内再生されて集中できませんでした‥
なぜあのような髪型と服装にしてしまったのか
せめてシャツの色だけでもどうにかならなかったのか
ラスト付近の種明かしのゾクゾクするシーンでも背後にデカデカとラッセンが好っきー!がいて、ちょっと冷めました
こんな事書くと叩かれそうですが私は元々阿部さんの顔ファンで今回映画を見に行った理由の半分が「パン屋コスプレの可愛い阿部さんが見たい」という不純な動機だったので、そこがちょっと残念でした
パン屋の阿部さんはとっても可愛かったです!!!
阿部サダヲの狂気。それはまるで和製ジョーカー。人身掌握のプロであり...
阿部サダヲの狂気。それはまるで和製ジョーカー。人身掌握のプロであり、全てが掌の上での出来事なのかと思わんばかりのシーンの連続で、あの目が脳裏に焼き付いて離れなくなるスリラーサスペンス。
面会室という密室で繰り広げられる会話劇に息すら忘れて食いついている自分がいた。そして阿部サダヲの声に耳を傾けているうちに自分までもが操られてしまいそうになる恐怖を感じることができた。アクリル板越しに岡田健史と阿部サダヲが重なっていく演出には唸ってしまった。同化していってるなー、今は気持ちが離れているなー、ということが視覚的に伝わって映画的で良き。
ラストシーンの個人的見解としては、宮崎優も以前ターゲットとなっており、主人公同様手紙で執着されていたのかもしれないと感じた。岩ちゃんも宮崎優も操れた阿部サダヲが唯一操れなかった岡田健史に対しての次のアプローチとしてのラストカットなのではないかと。そう考えると、いつか岡田健史にもこの病が伝播していまいそうで怖い。そもそもあの無秩序な殺人も次の伝播先を見つけるための策なのかもしれない。
単純に気色怖い
阿部サダヲがキモチ悪い、気色いサイコキラーを演じていますが。
18歳未満の賢い子供達を手懐け殺害している犯罪者なんだが、殺害した中に成人した女性が一人います。
それは自分の犯行ではないと主人公に訴えて捜査させるのだが、サイコキラーは主人公を自分と同じ存在にしたかったのかどうか。
最後に主人公の彼女が阿部サダヲに共感しているように主人公に迫っていましたが。
阿部サダヲ演じる犯人の掘り下げが薄いので何がいいたいのかが分かりづらい作品ですね。
サイコな怖さよりゴア描写の痛々しさが悪目立ち
ゴア表現がきつめなので、サイコサスペンスというよりホラー寄りの印象だった。PG12作品だが、加害方法がいかにも痛そうなせいか、R15+と言われても驚かない。
阿部サダヲの目から光の消えた表情はよかったが、何か怖さが物足りなかった。漠然とした恐怖感は残ったが、よく考えるとほぼゴアシーンの怖さだった。
いわゆるサイコパスの犯人が、自分は手を下さず周囲を操って殺人をさせる犯罪ノンフィクションの本を何冊か読んだことがある(尼崎連続変死事件や北九州連続監禁殺人事件など)。読後の個人的な感想としては、他人を洗脳して行動までもコントロールするには、優しさだけでなく恐怖も植え付け、その匙加減を絶妙に調整する必要があるように思えた。
榛村はもともと、最終的に相手を力で拘束し、肉体を損壊して残虐な苦痛を与えることを目的とする殺人者で、だからこそ恐ろしい。そのために必要な人心操作の技術は、上記の事件の主犯とは違い、ターゲットに優しさや理解を見せてある程度近づけるレベルであれば事足りる。近づけたらその後は力ずくで目的を完遂するからだ。
だが本作では、彼が既に収監されているところから話が始まるので、榛村は雅也始め主要な登場人物に実力行使をすることは不可能だ。そうすると、面会室での挙動とと手紙と会話だけで今の榛村の恐ろしさを見せていかないとならないのだが、彼は人間を遠隔操作することは本来専門外で、トークスキルはほぼ相手を褒めるだけなので、警戒してもつい取り込まれてしまいそうになる魔性の話術のようなものが全く見えなかった。
そもそも、雅也に嘘をついてあれこれ調べてもらうことの目的がよく分からなかった。真面目な中高生の肉体損壊行為がなければ生きていけないとまで言い切る彼が、その目的達成に全く繋がらないあのやり取りをする意義は何だったのだろう。
榛村の普段の振る舞いは(言っている内容を除けば)終始あまりに普通の善人で、きつめのゴア表現との対比で異常さを表現したかったのだろうが、それ自体創作サイコパスにお決まりのキャラ設定だし、あそこまで狂気の気配がないとかえってリアリティに欠ける。阿部サダヲが特異な人間を演じることにも意外性がない。
もし、虐待を受けた人間の心の傷の深さを描こうとしていたのなら、直接的な残虐描写はせず、榛村と雅也や子供たちとのやり取り描写に重点を置いた方が伝わりやすかったかも知れない。
そんな感じで作品世界に上手く入り込めなかったので、後は細かいことばかり気になってしまった。
犯罪歴のある人間が、自分のパン屋に来る高校生を中心に地元ばかりで、冒頭で語られるような規則性を持って犯行を繰り返していたら、さすがに被害者が24人に至る前に捕まるのではないだろうか。几帳面そうな榛村が、遠景に人通りがあるようなその辺の道で、声を上げる女性を真っ昼間に車に引き摺り込んで殴りつけるのも性格に不似合いな脇の甘さで、唐突な感じがした。
雅也があんな怪しい手紙に始まった榛村の依頼をすんなり受けたのも違和感を覚えた。雅也の描写の流れからして、家庭が機能不全で大学でも馴染めてない人間は、あのレベルの話にも釣られてしまうということなのか。そういう動機付けだとしたら、偏見のようであまり好きではない。
その後、榛村に指示されて担当弁護士に会いに行き、そこでいきなりアルバイト採用される。裁判資料の管理があまりに甘いので、担当弁護士も榛村に洗脳されているのかと思ったが、弁護士は物語後半で殺人鬼榛村への偏見をあらわにするので、そういうことでもないようだ。何だか都合がよすぎて、雅也が裁判資料を見られる状況に持っていきたいという作り手の意図が悪目立ちしたように見えた。それに弁護士事務所の名刺が万能過ぎないか。
拘置所から出す手紙に差出人名を書いてなくても問題ないのか。傍聴席に阿曽山大噴火氏がいるなあ(これは結構気が散った)。ロッチ中岡に見えてしまう岩田剛典(頑張っていたと思います)。
岡田健史は、鬱屈した大学生の危うさが出ていてよかった。彼の存在感で見応えが補われた。
その疫病は伝染する…
阿部サダヲはどちらかというとコミカルな作品のイメーシがあるが、その演技の幅は広い。この作品を見るにあたり昨晩、白石和彌監督の「彼女がその名を知らない鳥たち」観直した。そこでは歪で醜く純粋な無償の愛の体現者を演じたが、本作では最悪のサイコパス、まさに純粋悪として観客を釘付けにすることだろう。
実は本作での榛村/阿部サダヲの登場の比率は少ない。岡田健史演じる雅也がメインとなり話は進んでゆくサイコスリラーなのである。しかし、ラスト近くの阿部サダヲの演技によって、結局この映画は「阿部サダヲのものである」ことを知らしめてしまうのが凄い。恐るべし阿部サダヲ!
演出として特筆すべきは、拘置所の接見室での描写だろう。これがなかなか凝っていた。
接見室のガラス越しに映るシリアルキラー榛村の体の上に雅也の顔が重なり、榛村が雅也を侵食し、取り込むような様は鳥肌が立つ。やがて接見も終わりに近づき、ガラス越しに重なる両者の両手はゆっくり引き離れ、榛村の侵食から開放される雅也。しかしその時にはすでに榛村の病に犯されるのだ。
そしてその病とは…裁かれ死にゆく榛村が自身の分身をこの世に残すというもの。自分の意志を残すべく獄中から巧みに人を絡め取り侵食する最悪の疫病…それが榛村だったのだ。
雅也は一時、本当に取り込まれてしまうかに見えたが、最後にそのからくりに気づき抗い、その思惑を打破してゆく。そしてゆっくりと席巻室のガラスに重なる二人の姿は離れてゆく。雅也は榛村になることはなく榛村は落胆する。
…しかしラスト、更なるどんでん返しが待っている。そこで雅也は榛村の分身は確実にこの世の中に残されていることを知り、驚愕と絶望で作品は終わる。それはもしかしたら他にももっとにもいるかもしれないとさえ思わせる終わり方だ。そう、死刑に至る病は確実に伝染してゆくのだ。その辺詳しくは映画館でぜひ体感して頂くといいだろう。
あと裁判ウォッチャーの阿曽山大噴火が傍聴人のエキストラに紛れて数度登場してるのはご愛嬌w
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