あの夜、マイアミで

配信開始日:

あの夜、マイアミで

解説

1960年代アメリカのアイコン的存在である4人の黒人男性が一堂に会した夜の出来事を描いたドラマ。「ビール・ストリートの恋人たち」で第91回アカデミー助演女優賞に輝いたレジーナ・キングが長編初メガホンをとり、「ソウルフル・ワールド」の共同監督・脚本を担当したケンプ・パワーズによる同名舞台劇を映画化した。1964年2月25日、プロボクサーのカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)は、ソニー・リストンを破りヘビー級の世界王者となる。彼の勝利を祝うため、黒人解放運動活動家のマルコムX、アメリカンフットボール選手のジム・ブラウン、歌手のサム・クックが、マイアミのホテルの一室に集まる。話題が公民権運動に及ぶと、彼らは黒人である自分たちの社会的役割について熱く語り合う。モハメド・アリを「栄光のランナー 1936ベルリン」のイーライ・ゴリー、マルコムXをテレビドラマ「The OA」のキングズリー・ベン=アディル、ジム・ブラウンを「ドリーム」のオルディス・ホッジ、サム・クックを「ハリエット」のレスリー・オドム・Jr.がそれぞれ演じた。Amazon Prime Videoで2021年1月15日から配信。

2020年製作/114分/アメリカ
原題:One Night in Miami
配信:Amazon Prime Video
配信開始日:2021年1月25日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第78回 ゴールデングローブ賞(2021年)

ノミネート

最優秀助演男優賞 レスリー・オドム・Jr.
最優秀監督賞 レジーナ・キング
最優秀主題歌賞
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映画評論

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Amazon Prime Videoにて独占配信中 (C)Courtesy of Amazon Studios

映画レビュー

4.0黒人カルチャーのレジェンドの素顔に触れた気分

2021年5月31日
PCから投稿

アメリカの黒人セレブの中でも指折りの4人が一緒に一晩を過ごしたという実話をもとにした舞台劇を、俳優でもあるレジーナ・キングが自らの初監督作として映画化。舞台の映画化には、映画の形式に徹底的に翻案したものと、舞台の表現に近いものとに二分されるが、本作はその中間くらいの位置づけだろうか。確かに限定されたロケーションの会話劇ではあるのだが、手練のカメラワークや編集センスが光っていて、安定の職人技という感じがする。キャラクターや会話に重きを置く内容だけに、映像にやたらと凝ったりしない作り方を選んだレジーナ・キングは、信用に足る映画監督なのではないか。

自分はサム・クックのファンだし、マルコムXやモハメド・アリの履歴もある程度知っていたのでレジェンドたちのプライベートな姿(もちろんフィクションとしてだが)がすんなり入ってきたが、ちょっと彼らや歴史的背景は知っていた方がいいとは思う。でもまあ、まずは本作で、不世出のシンガー、サム・クックの軽妙さも、シリアスな面も、素晴らしい歌声までも見事に演じたレスリー・オドムJr.のパフォーマンスから入ってもらっても大丈夫な気がしますよ!

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村山章

5.0たった1夜の出来事から永遠が見えてくる

2021年1月16日
PCから投稿

興奮

マイアミのコンベンション・ホールでカシアス・クレイがソニー・リストンを打ち負かして世界ヘビー級チャンピオンになった夜、勝利の歓喜を引き摺るクレイを、友達のマルコムX、サム・クック、ジム・ブラウンが囲むモーテルのスイートでの話。これはあくまでフィクションだが、彼らの口論からは様々な情景が見えてくる。当時、信仰していたイスラム教への不信感を増幅させていたマルコムXと、彼の思想に共鳴して自らもムスリムに改宗し、モハメド・アリと改名するクレイの信頼関係、マルコムから白人社会に迎合していると批判されるクックの内的葛藤、黒人選手を使い捨ての道具と見なすフットボール界からおさらばして、ハリウッドで俳優になると告白するブラウンの静かな決意。。。全ては1964年の出来事だが、何かを信じ、裏切られても、各々の思いを胸に差別社会のアメリカを生き抜こうと誓い合う4人の姿は、決して過去のものではない。現在も、そして、未来永劫続くであろう苦闘の象徴なのだ。たった1夜の出来事に永遠を見出した基になる舞台劇の脚本が見事だが、これが監督デビューのレジーナ・キングは、密室を頻繁に動き回る4人をオーバーヘッド・ショットや鏡を使ったショットを駆使しながら、躍動感を演出することに成功している。だから、膨大な台詞を追う観客の頭だけでなく、目もフル稼働させるのだ。本作は「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」と並んで、Netflixが席巻しそうな今年の賞レースに殴り込みをかけたアマゾンの勝負作。作品選びに関してはアマゾンのセンスもなかなかだと思う。

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清藤秀人

3.5幻の夜

2022年10月16日
iPhoneアプリから投稿

4人の会話はフィクションだけど、彼らのしてきたこと、この後の行動の本質を捉えていて、あり得たかもしれないものになっている。言葉が交わされなかったとしても、相互に作用し合ったのではと思わされる。

サム・クックが著作権の管理をしていたことや、ボブディランの風に吹かれてに影響を受けたことはドキュメンタリーでもみたことがあった。会話のディテールはかなり慎重に検討されているように思う。

TVで披露されたあの曲も、あたかも本物のようで感動。その時のTVの映像は残っていない。それが歴史だと考えなかった人たちが残してくれなかった。でも物語は残った。

マルコムXによって語られるサム・クックの「チャント」が美しい。彼は人々の心を強く揺さぶる存在であることを、私たちやマルコムXに印象付ける。

ジムブラウンのある家のポーチでの出来事やサムのコパカバーナでの出来事など、自尊心を削られる経験を生き抜いてきたんだなあと思う。

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hyvaayota26

3.5実物に似ている

2022年1月20日
PCから投稿

おりしも公民権運動まっただ中の1963年。マルコムXは状況に危機感を持っている。白人社会で成功した黒人の英雄たちに、啓蒙ではないが、現況の意識の共有をしようとする。

個人的にいちばん興味深かったのはサムクックとの論駁。
マルコムXからサムクックは白人たちに媚び阿付しているように見えており、そのスタンスを面詰する。
サムクックの反論はブリティッシュインヴェイジョンの冥利についてだった。

ブリティッシュインヴェイジョンとはイギリス勢がアメリカのチャートを席巻する現象で、何度かある。
じぶんが経験したのはスミスやニューオーダーやデキシーズミッドナイトランナーズが流行った時代──チョボスキー監督のウォールフラワー(2012)の時代=80年代のインヴェイジョン──である。
サムクックが話したのはビートルズやローリングストーンズが台頭した草創期のインヴェイジョン。

それによるとボビーウーマックのIt's All Over Nowのカバー権利をローリングストーンズに与えたところ、R&Bチャートの下位にしか入らなかったその曲が全米ナンバーワンを獲得してしまった。
その人気格差にいったんは消沈したものの、半年後に莫大な印税が入ってきた。

で、サムクックは黒人が書いた曲を白人がカバーしたときの構造的勝利に気づいた。
白人たちがローリングストーンズのIt's All Over Nowを大喜びで買い求めるとウーマックや権利者のサムクックに金が入ってくる。したがっておれは白人社会におもねてはいない──というのが彼の言い分だった。

ところがマルコムXは発信力のあるサムクックが黒人の立場を歌っていないことに不満をもっており、その場でレコード──ボブディランのBlowin’ in the Windをかけたのだった。

『How many roads must a man walk down
男はどれほどの道筋を歩いていかなければならないのか
Before you call him a man?
人ととして認めてもらうまでに』

マルコムXはそれを聞かせ「ミネソタ州出身の白人が何も得るものはないのに、我々の闘争や人権運動の歌を書いたんだ。闘争に声をあげるとビジネスに影響すると君(サムクック)は言ったが、なぜこれは上位チャートに入ったんだ?」と問う──のだった。
わたしはディランの風に吹かれてにそういう意味があるとはしらなかった。

四者は他にもさまざまなディスカッションをするが、基本的にマルコムXはなんとか現況を打破しようと焦燥しており──焦燥ゆえの綻びはあった。

もうひとつ印象的だったのはジムブラウンがマルコムXに述べた濃淡の見解。
「君の肌色は明るいだろ。もっとも(闘争に)声をあげているのは肌の色が明るい君たちだ。・・・ごまかさないでくれよ。おれたちは同じじゃない。たとえば白人のいないところでは、黒人の女は肌色の薄い者と濃い者に分かれている。」

とうぜんだが黒人といえども、みんなが同じ方向を向いているわけじゃない。黒人の運動をぶちこわしにするのは黒人──を示唆する描写がこの映画にもある。
ダニエルカルーヤが主演したユダ&ブラックメシア裏切りの代償(2021)はまさにそういう話だった。
ブラックライブズマターの創始者だって表向きには被差別を泣訴しながら私服を肥やし、豪邸買いまくっていた。
映画では黒人=いい奴の単純図式がしばしば使われるが、それに感化されてはいけない──という話。

が、根本に奴隷制度の悪しき腫瘍がある。冒頭のエピソードはグリーンブックのように強烈だった。
ジムブラウン(演:Aldis Hodge)が荘園主の屋敷に立ち寄る。主人を演じていたのはボーブリッジス。あの好々爺な見た目。下にも置かぬもてなし。シーズンを勝利したかれの健闘を称え、君はジョージア州の誇りだとまで褒めちぎる。──ところが家具を動かしてと家人にたのまれ、いったん席を立つ。「家具を動かす?それなら私も手伝いますよ。」と助っ人を申し出ると「黒人は家に入れない。」と言って断られる。

そんな種類の屈辱は、忘れられるものじゃない。
根が差別主義ならば、最初から唾棄してくれたほうが、よっぽどまし──という黒人の言い分がすごくよく解る。

ただ極東のわれわれ日本人に黒人問題をうんぬんする資格はない──が私的な基本見解。わかっておらず、体感もしていない者が他人の闘いに意見するのはまちがいだ。

映画はBlowin’ in the Windに対するサムクックの回答A Change Is Gonna Comeで幕を閉じる。

『俺は川のほとりの小さなテントに生まれ、
この河と同じように
それからずっと走り続けてきた
随分長く長くかかったけど
俺はわかっている
変わる時が来ると』

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津次郎