劇場公開日 2021年9月3日

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アナザーラウンド : インタビュー

2021年9月4日更新

飲酒が人生にもたらす光と影――トマス・ビンターベア監督の人生賛歌「アナザーラウンド」が放つエネルギー

トマス・ビンターベア監督
トマス・ビンターベア監督

トマス・ビンターベア監督、マッツ・ミケルセン主演で第93回米アカデミー国際長編映画賞を受賞したデンマーク映画「アナザーラウンド」が、公開中だ。飲酒が人生にもたらす光と影を真正面から描き、見るものに結論を問う独特なエネルギーを放つ人生賛歌に仕上がっている。

冴えない高校教師のマーティン(ミケルセン)とその同僚であるトミー、ニコライ、ピーターは、ノルウェー人の哲学者が提唱した「血中アルコール濃度を0.05%に保つと仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる」という理論を証明するため、実験をすることに。朝から酒を飲み続け、常に酔った状態を保つと授業も楽しくなり、生き生きとするマーティンたち。生徒たちとの関係も良好になり、人生は良い方向に向かっていくと思われた。しかし、実験が進むにつれて次第に制御がきかなくなり、家族との関係は悪化。このままではいけないと悟ったマーティンらは、それぞれの問題に向き合い、人生で“本当に大切なもの”を見つけていく。

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ビンターベア監督と「偽りなき者」(2012)でもタッグを組んだがミケルセンが主演し、「偽りなき者」はもちろんビンターベア監督作常連俳優のトマス・ボー・ラーセンがメインキャストのひとりであるトミー役を演じた。親しい友人でもある名優たちが揃い、順風満帆で「アナザーラウンド」の撮影に入った4日目、ビンターベア監督の娘アイダさんが交通事故で亡くなった。アイダさんはミケルセン扮する主人公の娘役を演じるはずだった。

今作は、人生を軽やかに進む若者と、必死に足掻いても進めない老いていく者の描写を通し、「“人生”というものを守り、肯定しようとしていた」というアイダさん自身とその希望に満ちた信念に捧げられている。(取材・文/編集部)

※本記事は「アナザーラウンド」の内容に触れています。


――飲酒の楽しい面だけでなく、暗い面も正面から描かれているのが素晴らしかったです。

ありがとうございます。実は、今作はアルコールを称えるような作品を作りたいという、非常に挑発的な観点からスタートしたんです。しかし、すぐに、真実味があって重厚感のあるものを作りたいのであれば、当然お酒というもののすべてを受け入れる必要があると気が付きました。

道徳的な義務感もありました。アルコールの作用があって素晴らしい芸術や文学が生み出されてきたことも認識していますが、その一方で、アルコールが人を殺し、家庭や社会全体を破壊することも認識しているからです。

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――今作を企画されたきっかけは、デンマークでポリティカル・コレクトネスを意識して、表層的にアルコールに対するモラルが高まっているように見せていることに恐怖を抱いたことだったそうですね。

ポリティカル・コレクトネス以上のものが、我々の課題だったと思います。現代のコントロールされた生活にはうんざりしています。特に若者たちは、1日に何度もSNSに投稿しては評価されています。例えば、私がiPhoneを持っているときょう何歩歩いたか計測されていますし、記者であるあなたは、記事を書けば何回クリックされたかがわかってしまいますよね。学校に通う10代の子たちはiPhoneにトラッカーが入っていて、親が彼らの居場所を正確に知ることができます。自己認識をコントロールすることがものすごく必要なのです。

しかし、人間はコントロールできないものにインスピレーションを受ける生き物です。私の妻が言ったことですが、“コントロールできないもの”には非常に美しい善良さが宿っています。例えば、何かにインスパイアされることはコントロールできません。道徳心なんかも、自分ではコントロールできないもののひとつです。偽ることはできても、コントロールすることはできません。恋ともなれば、完全にコントロールを失うでしょう。そしてこの映画は、その“コントロールできないもの”のための闘いを描いた作品でもあります。

小さなことですが、「自分を忘れる」ということが幸せに繋がると思っています。常に自意識を働かせて、自分自身を“測る”ようなことをしていると、不幸になってしまうでしょう。

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――今作の冒頭で、哲学者セーレン・キェルケゴールの詩「青春とは? 夢である。愛とは? 夢のなかのものである」を引用されています。込めた思いを教えて下さい。

この映画のテーマは、コントロールできないものについてですが、もうひとつの重要なテーマとして、「若さと老い」があります。若さゆえの軽妙さ、そしてそれを老いとともに失っていくという大きな喪失感を描いています。このキェルケゴールの詩は、そのことをとても深淵で豊かに表現しています。分析するわけではありませんが、彼の言葉には若者に馳せる思いが感じられ、それが今作の主人公4人にぴったりだと思って使いました。

――今作のプロダクションノートで、キャリアの初期にはミケルセンとライバルのような関係にあったものの、現在は非常に仲の良い友人関係だとおっしゃっています。どのように関係が変化されたのでしょう?

私が20代の頃、マッツは斬新なある監督と映画を何本か作っていました。それがちょっとした……あのグループと私のグループは少し違う感じがあって、ライバル関係ではないのですが、2つの派閥の距離感があったのだと思います。彼は私の派閥ではなかったんですね(笑)。なので、お互いを知ることになったのは、私が監督した「偽りなき者」でのことでした。でも、険悪な仲だったわけではなく、一緒に仕事したことがなかったというだけなんです。いまでは大親友であり、共同作業をとても楽しんでいますよ。

マッツがその別の監督と一緒に作ったのがなかなかいい映画だったことには、イラっとしますけれどね(笑)。

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――キャスト陣は一切飲酒せずに酔っ払いの演技を行い、苦労したとお聞きしました。撮影前に“アルコール・ブートキャンプ”を行ったとのことですか、どんなことをされたのでしょうか?

ブートキャンプは2週間行いました。最初の1週間は、キャラクターの追求やシーンの確認といった普段リハーサルで行っていることに専念しました。キャラクターの過去や未来について話したり、即興の演技で役を理解したりするためです。

2週目は、“酒を飲むということ”の研究に費やしました。酔っ払っている演技をしたり、実際にお酒を飲んだりしました。

最初にやったのは、アルコール摂取量を変えながら役者陣にカメラの前で教師役を演じてもらうことでした。カメラがすべてを語ってくれるとわかっているので、彼らにとって非常に正直で、非常に生々しく、非常に脆弱な状況でした。酔っぱらって転ぶ演技を、アクロバティックに上手にこなしたとしても、目を見れば「この人はシラフだな」とわかりますから。すべてはディテールに宿るのです。目には何かを入れなければならないし、口は乾いていないといけない。それから(酔った状態での)身体能力や声の出し方など、細かいところまで気を配りました。

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彼らは非常に優れた俳優ですが、それでもこういったリハーサルをしなければなりませんでした。(リハーサルしたのは)実際に起こり得ることが多かったです。例えば、泥酔していると、転んだときに自分の体を守れず、頭から落ちてしまいますよね。そういったシーンではスタントマンが必要だし、マットレスなども必要になります。だから、とても実践的で実用的なブートキャンプで……それと同時にとても楽しい時間でしたね(笑)。

――終盤にトミーに待ち受けている結末は、どのような思いで用意されたのでしょうか? ミケルセンが「この結末を個人的なものにはしたくない」と不安に感じていたと語っていますが、どのような話し合いを経てこの結末に着地されたのか教えて下さい。

私たちは、飲酒の破滅と美しさという両端を表現する映画を作ろうと決めていました。そして、トミーは破滅の面を表現しました。トミーを演じたトマス・ボー・ラーセンは、トミーと同じ経験をしています。彼はアルコホーリクス・アノニマス(※アルコール依存症から回復するために禁酒をしている)です。この問題について話してくれて、その物語にとても刺激を受けました。

トミーに起こる一連の物語が映画の一部になることは、ラーセンにとっても非常に重要なことでした。彼とはずっと一緒に仕事をしてきたので、私が1番よく知っている俳優です。彼ならきっと、感情に訴えるようにやり遂げてくれるだろうと思いました。そして、最後にマッツが飛ぶように踊る演出にしたのです。

この物語の結論は、皆さんが決めることでもありますが、私はこう考えています。トミーの死は、私たちがこれまでにアルコール依存症が原因で亡くなった人を大勢知っているからであり、それがトミーが遠回りしたのちに辿り着くもっとも自然な結果であると考えました。

トミー役を演じたトマス・ボー・ラーセン
トミー役を演じたトマス・ボー・ラーセン

――おっしゃるように、最後のミケルセンのダンスシーンは、喜びに満ちていますが、同時に観客に一抹の不安を与えるようなシーンになっています。

その男ゾルバ」(1964)という映画のエンディングで、浜辺でダンスをするのですが、それは「美しくも悲劇的な結末」と表現されています。私は「アナザーラウンド」の終わり方にも同じようなものを感じています。軽妙さを表現したかったんです。主人公たちが若者と一緒に踊って若返る魔法のような瞬間ですね。それでも、誰かが亡くなってしまった。恍惚感と悲しみが入り混じったシーンですが、これはここ数年の私自身の人生ともいえます。あの結末を撮影することは、私たち全員にとってさまざまな意味を持っていました。

――亡くなられたご息女のアイダさんは、今作のためのアイデアを持っていたと伺っています。それは完成した映画に反映されていますか?

娘は今作の脚本を深く愛していました。お酒を飲むことで生まれる高揚感や恍惚感といった喜びを守りたかったみたいです。そして、脚本が少し悲劇的な方に傾いていったときには、「パパ、希望を与えなきゃ!」と言っていました。そのおかげで、今作は少し変わった映画になっています。(破滅的な)飲酒の物語でありながら、人生を肯定するような作品にしなければなりませんでしたから。

大人たちがサッカーをするシーンも娘のアイデアです。つまり娘は、悲しみとは対照的に、“人生”というものを守り、肯定しようとしていました。それが、娘が亡くなる前にした最後のことのひとつでした。

――アイダさんの実際のクラスメートの方々も生徒役で映画に出演されていますね。

今作に登場する学校のシーンは、娘の実際の学校で撮影されていて、脚本はアイダと妹のことを中心に書いていました。ふたりは同じ学校に通っていたので。アイダの友人たちもキャスティングセッションに参加してくれて、クラスの一員として出演してくれました。本当ならば、娘も映画に出演する予定でした。

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娘が亡くなって、(撮影のために)学校に行くのはとてもつらかったです。私の人生のなかでもっとも困難な日々でした。しかし、最終的には娘のために映画を作ることになりました。今作は娘へのプレゼントです。それを踏まえると、娘の教室で撮影したことにも意味がありました。娘は学校を愛していましたから。

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