劇場公開日 2019年3月15日

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「ドカバキ系アクションではなくビームで爽快系。」キャプテン・マーベル alalaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ドカバキ系アクションではなくビームで爽快系。

2021年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

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掴みは悪いかもしれないが、テーマもハッキリしていて、ところどころにディズニーお得意のギャグも差し挟まれ、中盤からはテンポも良く、全体を通してみるととても良かったと思う。

女性が主人公だと、どうもポリコレだのフェミニストだのとケチをつける輩が出てくるようだが、そもそも今までが白人男性のゴリ押し、押し売りだっただけとは考えないのだろうか…
社会の中で「弱者でいるべき」「従順でいるべき」と抑圧されてきた女性に向けて、それを振り払え!というメッセージが込められている。そういう意味ではフェミニズムなのだろうが、それの何が悪いのか?
障害者に勇気を与える映画、闘病中の人を元気づける映画、遠い国の問題を知らしめるために作られた映画等、そもそも映画はそういうもので、時代に合ったテーマで誰かを元気づけたり問題を広く知らせるツール。ただの娯楽であってほしいというのは見る側の一つの意見でしかない(確かにただの娯楽を見たい時もある)。
更に言えば、「女性」というのは別に極少数派というわけでもないし、アクションが好きな女性もごまんといる。なのに、製作側はどうしてもアクション映画で女性を主人公にはしたくないらしい。
マーベルのトップは、『キャプテン・マーベル』を製作したいと直談判した監督に、「女が主人公のヒーロー映画なんぞ売れるわけがない」と猛反対したそうだ。
ちなみに、『ブラックパンサー』の製作前も同様に反対されたそうで、製作陣は全員黒人だったそう。結果は見ての通りどちらも高評価だったわけだが、マーベルのお偉方は未だに差別的な人間が揃ってるんだなあと驚いた。

まず女優というと、マリリン・モンローの死後は「できれば既に名の売れた、若いガリ痩せの白人美女」というお決まりがあるようで、それに当てはまった女性の中から更にアクションができる体力と、強さに説得力を持たせる見た目にこだわるとなると、それだけで選択肢はかなり狭まる。
でも、アクションをするのに美人である必要があるか?若くて痩せてる必要もないし、まして白人である必要もないわけだが、どうしても製作側は、それらの条件が揃っていないと「売れない」と思い込むらしい。口コミで広まって爆発的に売れる作品もあるが、リスクは最小限にしたいためにとにかく「昔売れた作品の真似をしろ!」でここまできているようだ。
女性が主役を演じるには、努力だけではどうしようもない分厚い壁があるのは間違いない。

本作の主人公、キャロル役のブリー・ラーソンは、黙ってると別に可愛くも美人でもない、普通の女性。でも笑うと愛嬌がある。でもほとんど笑わない。そこが良い。
これでブリーがただのガリ細正当派美人だったら、男性にはウケたかもしれないが、女性の支持は得られなかったのではないかと思う。「彼女は完璧だから上手くいった。でも私は…」と思われて終わりだからだ。
どこにでもいそうな普通の女性で、でもどこかで目を引く魅力がないと作品にならない。ブリーは最適だったと思う。笑うと親しみのある顔になり、恐らく男女共に「人として」共感できる。
逆に言えば、そのシーンまで耐えられない人は退屈と思うかもしれない。開始から30分ほどは、全く「大興奮!」とは程遠い。キャロルが記憶を失っており、自分が何者なのかもわからず、ただ漫然と人に言われた通り生きているだけだからだ。序盤はほとんど記憶に残らないようなシーンばかり。
中盤くらいで漸くキャロルが自分の過去を知り、そこからはスピーディに進むが、それまではとてもスロー。「何やってたんだっけ?」「何でこんなことしてるんだっけ?」というレベル。ここらでギブアップする人が恐らく多いと思う。が、ここを「キャロルが訳も分からず他人に言われるまま漫然と生きているシーン」と思って見ると、なるほど納得だ(自分の人生を映画にしたら、こういう退屈な内容になるだろう)。

変装が得意な宇宙人や公開前から噂の的だった宇宙猫(?)、普通の人間と、色んな生き物が出てくるが、どれも愛嬌があって可愛い。
ヒーローものなんだから格好良いヤツらをたくさん見たい!という人もいるかもしれないが、個人的に、可愛い人と格好良い人の割合は現実にはこんなもんだと思う。そういう意味ではちょっと現実的ではある。そうそう格好良いヤツなんていないんだって。
アベンジャーズシリーズのフューリーは融通が利かなそうな雰囲気を醸し出していたが、本作では違う。何故かチャーミング(とギャグ)に全振りしてきたフューリーに最初は困惑するも、割とすぐに見慣れたし、もう何か別に良いや状態に。
宇宙猫は前評判通り、可愛いだけじゃなかった…本作のVIPは実はこいつなんでは…?
宇宙人も見た目はアレだけど愛嬌があり、日本人なら多分すぐ可愛く見えてくると思う。

変装してた人間の「青い目が気に入ってた」と言う宇宙人に、黒人の女の子が「そのままが良いよ」と言うシーンも良かった。黒人は言わずもがな、白人の中にも階級(差別)があり、やはり金髪碧眼は一番「格上」なのだそうだ。
こういうところで女性だけではなく、アメリカで誰もが直面している差別にも触れている。

ちなみに、こういうテーマにも関わらず、本作では「女だから無理」「女だからできない」というような言葉があまり出てこない。
2015年の『エージェント・カーター』では、「女の割にはやるなぁ」とか「女には無理」とかいう言葉がバシバシ出てきたらしく、この作品は全く売れなかったそうだ(単に内容もつまらなかったのかもしれないが)。
現実で惨めな思いをしている女性達を勇気づけるという名目ならば、わざわざ自分を余計に惨めにさせる映画やドラマなんて見たくないのではないか…と正直CMを見た時、言いたいことはわかるが露骨すぎて不快度が高く、これはあまり女性達に響かないのではと思った。
『キャプテン・マーベル』は2019年なので、あまりに露骨だとメインターゲットを逃すと『エージェント・カーター』から学んだのかもしれない。

見る前に「女が白人男性をボコボコにしたいだけの映画、女が男に仕返しをしてるだけに見える」という内容のレビューを見掛け、エェ…そんなクソつまらん映画なの…と思って暫く敬遠していたが、最近『インフィニティ・ウォー』を見たので、やっぱりついでにこちらも見ようと思い立った。
……いや、待て。敵には黒人男性も白人女性もいるじゃん。どちらかというとボコボコにした(というか多分死んだ)のは黒人男性と白人女性で、白人男性はボコボコにはしたけど一番軽い。これが「女が男に仕返ししてるだけ」に見えるんじゃ、女のヒーローが戦う時は敵も絶対女じゃないといけないのか?
『インフィニティ・ウォー』では女性が戦ってるシーンはほとんどが敵も女性で、しかもサポートに集まってくる味方も皆女性で、こちらの方がよほど違和感があった。真剣勝負してる時に「女は女同士で戦うぞー!」とはならないだろ…
ちなみに『ワンダヴィジョン』では敵も女性だったが、こちらはこちらで「MCUって女性キャラは敵か精神的に不安定だったり未熟だったりするキャラ多いな」と書かれていた。ダメだこりゃ。
新たな挑戦をすると、過剰反応で叩かれるのはよくあることではあるが、映画の評価自体は高いからぜひこのまま切り開いていってほしい。

結論、多少構えていたがポリコレポリコレと騒ぐほどポリコレしておらず、アクションは殴る蹴るのドカバキ系はあまりなく、比較的ユルめ。アクションシーンと日常のほのぼのしたシーンの切り替わりがうまく、ちょっと間の抜けた会話から真剣なアクションシーンへ自然に移っていく撮り方が素晴らしかった。
主役がモロ男性ヒーローを女性に変えただけのゴリゴリゴリラみたいなのかと思いきや、意外とお茶目でナチュラル(そこらにいそう)。ビーム出してきたり、宇宙船が出てきたりして、SF好きな人に向いてるかも。映像的にはディズニーランドのスターツアーズを思い出した。

テーマがブレずにハッキリしていてわかりやすく、CGが違和感なく綺麗だったこと、ドカバキ系アクションと勝手に思っていたが意外とユル系、にも関わらずキャロルの強さが最終兵器レベルだときちんと伝わったこと、序盤を除けばかなりテンポが良かったこと、でこの評価。
猫とフューリーが予想以上に可愛く、日常パートの緩さが好みドストライクだった。猫好きの人は、宇宙猫にメロメロのフューリーが拝めるので「同志!!!」と叫ぶご準備を。

最後に、キャロルが「縛られていた」もの、女性に限らず現代人にも色々あるのでは。
本作を「メインターゲットは女性だろう」とは言ったものの、「女性だけのための映画」とは思わない。それでは勿体ない。
過干渉や虐待親、イジメなど、他人の自信を失わせるような言動を繰り返し、自分より格下に引っ張り下ろし、自分の都合の良いように操ろうとする人間はたくさんいる。
何かに縛られていると感じることは誰しもあるだろうが、縛っているものは何なのか?何故いつまでも縛られていなければならないのか?
当然のように「こいつは自分の言ったルールに従って戦うだろう」「お前の実力を自分が認めてやろう」と何故か上から目線の発言をしてた奴が、話してる最中にキャロルにぶっ飛ばされるのだが、「いつまでもお前のルールに合わせてやると思うなよ!」とでも言うような彼女の一撃は、何かに縛られている人には爽快のはず。

エンドロールの最中(アベンジャーズ)と最後(宇宙猫)にオマケ映像あり。

alala